2016年1月29日

金融恐慌

 ユダヤ人をご存じだろう。

 その歴史はどうか。

 長年の迫害により国を追われることが多かった。

 なので歴史的に大事にしているものが、彼らには

ある。

 タルムードと呼ばれる教えが書かれたものも

あり、日曜などには開いて確認すると言われている。

 

 タルムードというのは百科事典みたいになって

おり、分厚く、なにかの折に取り出して読む

のだそうだ。

 口が一つに耳二つ、その理由は話す倍、

聞く必要があるからだ、こんな教えが掲載

されているらしい。

 

 彼らの考えはボクたちにも参考になる。

 迫害を受けることの多かった彼らは国を

追われる事態になったなら、着の身着のまま

脱出しなければならない。

 

 なので大切にしているのが頭脳と持ち運び

のできる貴金属だと言われている。

 土地やその他の財産は没収されてしまえば

どうにもならないからだ。

 

 これから金融恐慌のような時代が訪れたなら。

 利用できるものは頭脳と貴金属などだけだ。

 ボクたちは自分を裏切らないものに投資

しなければならない。

 お金が無価値になったとしても、それを

利用して生き延びる方法を体得しておけば

いい。

 そんな時代になるかは分からないが、その

用意だけはしておいたほうがいい。

2016年1月27日

不可欠

 物事が上達するためになにが不可欠でしょうか。

 それは比較することだと思います。

 ボクは高校のころそろばん日本一の都珠算という

ところにおりました。

 

 先生が言われます。池田君、全国大会に出ようと

おもうたらな、京都の予選を勝ち抜く必要がある、

京都の予選が全国大会そのものなんや、と。

 そこでボクは選手としてではなく、練習に参加

していました。

 

 ただ同じ空間に全国大会レベルの選手がいると

いうだけで、自分の技量が上がっていきます。

 これはこんなところにも表れています。

 選手たちがいとも簡単に難しい問題をこなす

のですが、同じ空間に自分もいると、こんなの

簡単だよな、だれだってできる、そんな

気分になってきます。

 

 やれて当然、なんでオレってできないの。

 これは言葉として実感したわけではなく、

感覚として実感したことですが。

 これからすると、上達のための早道は

有段者と一緒に練習すればいいことに

気づきます。

 

 上達というのはまず意識が上達するのです。

 こんなの簡単だよな、みんな当たり前に

やってるんだから、があり、上達するのです。

2016年1月26日

手紙

 手紙は出しますか。

 ネットがあれば手紙なんて、と思うかもしれませんが

だからこそ手紙に重要性が増していると思います。

 ただ手紙は面倒だと思うのも事実。

 

 今日はボクが実際にやっていたことをご紹介して

みます。

 まず封筒ですが、ワンタッチで封ができるものを

用意します。そして、自分の住所氏名はあらかじめ

書いておきます。切手もこの時点で貼りつけておく。

 

 便箋は封筒の中に入れておくと便利です。

 初対面の方から名刺をいただいたらその便箋に

さらっと書き、すぐに投函します。

 翌日には相手のところに届くわけです。

 

 要するに、手紙というものは事前の準備を

するかしないかで大きく感じ方が変わってきます。

 面倒かどうかが変わってくるのです。

 机のあるところで書こうとするとやはりそこも

面倒に感じられます。

 

 なので便箋に書いたらすぐに投函できるよう

準備しておきます。

 あらかじめここまで準備しておきますと

あまり面倒には感じませんよ。

2016年1月22日

判断

 ボクが20代のころ、周りの人を採点していました。

 うーーん、あの人、40点。

 評価方法はこれから出世するかしないか。

 ふざけてますね。

 

 あのころのボクは他人を軽く見る傾向が

あったと思います。その自信はどこから

くるのかは分かりませんが。

 

 採点をしたはずの相手に再度、お会いしてみると

こんな良いところが、あんな点もすばらしいと

感じることが多々ありました。

 今のボクにも若干あるかもしれませんが、

勢いのある人、元気そうな人を見ると高得点を

与えていました。

 

 ただ人間の価値でいえばもっとほかにも

たくさんあります。

 そんなことも分からない、思いあがった

感覚を持っていたのは確かです。

 みなさんにも申し上げたいのですが、

人の良さや良い点は瞬時に判断できる

ものだけではありません。

 軽く判断しないようにしましょう。

2016年1月21日

劣等感

 ボクは高校にあがるとき単身京都で暮らし始めた。

 京都には社会人として行くことに決まっていた。

 父親から京都に行ってはどうかと聞かされたとき

すぐに行くと決めた。

 

 そんな大きな決断がすぐにできるものなのか。

 そのときのボクの気分としては、これ以上岩国

にいたくない、だった。

 私立中学が不合格で、中学にあがってから成績

は落ち続けていた。

 

 進路としてはよくて公立高校、下手をすれば

滑り止めの高校に行かなければならない。

 オレは負け犬だ、そんな気分のまま岩国に

いたくはなかった。

 

 だから京都の話を聞いたとき、少し視界が

開けた気がした。父親にしても息子がなんとなく

覇気がなくなっていることを分かっていたの

かもしれない。

 

 実際に京都での生活が始まってみると、

毎日を必死にこなすだけだったのだが。

 よく人には言うのだが、京都での暮らし

というのは京都に行くと決めたときに既に

終わっているようなものだ。

 あとは決めたことを実施するだけなのだ。

 大きな劣等感ははね返す力を養って

くれるものなのだ。

 こんちくしょう、と思ったらなにかを

するきっかけになる。

2016年1月20日

小学生新聞

 自分を作ってるものはなにか考えたことは

ありますか。ボクの本棚を見た人はだれもが

池田さんはジャンルがわからん。バラエティー

に富んでいるとよく言われます。

 

 これはボクが社会で起きる出来事に対して

問題意識を持っているからだと考えています。

 で、そのきっかけは何だったか思い返して

みますと。ボクは子供のころ小学生新聞を読んで

いました。

 

 きっとそれだったと考えています。

 そのきっかけは母親からのあんたも新聞くらい

読みんさい、でした。

 小学生新聞というのは、週に三回届く子供向け

の新聞で社会面などはありません。

 

 半分はマンガで読みやすく作ってあります。

 内容は科学ものがとても多いのです。

 それが根っこになり、社会で起きる問題に

対していろいろ興味を持つようになったのだと

考えています。

 

 であるなら、ボクにとって小学生新聞が与える

影響はとても大きかったことになります。

 現在の骨格を形成していたといってかまわない

でしょう。

 だれしも、ふと、なんでわたしはこれが好き

なんだろう、なんて疑問に思うことがあるはず

です。

 それには理由があり、出発点があるはずです。

 それを時には思い出してもいいかもしれま

せんね。

2016年1月19日

長い

 たまに、まだ今日は終わっていないのかと

感じることがあります。

 一日にいくつかの予定を詰め込み、夜10

くらいにおいて、あーまだ今日なのか。

 

 やはりこれは土曜とか日曜に多い。

 午前と午後で予定を入れ、夜間の時間帯で

外食するとつくづく一日は長いと感じられます。

 案外、こうした日を毎日設定すると特別に

感じることはないかもしれません。

 

 ボクがあーまだ今日は終わってないんだなと

感じるときはとても充実した楽しい一日を

送れた日です。

 

 赤ちゃんの好きなCMがあるのをご存じですか。

 でんわしてちょーだい、のたけもとピアノです。

 赤ちゃんは小刻みに変わる音にひかれるらしく

このCMがかかるととたんに泣き止みます。

 

 本来、人は場面展開が好きな生き物なのです。

 変化を楽しむ生き物なわけです。

 一日の中にいろんな舞台設定をしてやると

楽しくなるわけです。

 日常とは逆をやってみる、ともいえる

かもしれません。

2016年1月18日

遠回り

 ボクは高校から京都で一人暮らしをしている。

 高校は京都の学校を受験したのだが不合格なら

一年間、京都で修行しながら翌年、再度受験する

ことになっていた。

 

 ただ高校は無事合格したので、中学からそのまま

進学することができた。あのころ、こんなことを

思った。はー良かったー、これで不合格だったら

京都の人たちにバカですって書いてぶら下げてる

のと同じじゃないか。

 

 ましてや中学生のころの一年間はとても長い。

 およそ永遠と称してかまわない時間感覚だ。

 ボク自身はムダになる、遠回りになると

感じていた。だから合格だったときは本当に

うれしかったのだが。

 

 今になってみれば、不合格だった方が良かったと

心底、感じてる。単身で京都で修行したことも

大きな財産になっているのだが、中学浪人を

経験していればもっと大きなものを手にできた

と感じている。

 

 あのころ、なぜムダ、遠回りと感じたのか。

 本当に皮肉でしかない。

 今になってみればあのころしでかした失敗の

方が財産になっているし、人に話しても喜んで

もらえる性質のものだ。

 

 経験は財産だ。

 やろうと思っても難しいことも多い。

 ムダ、遠回りに思えるようなことが実際には

財産になっているものだ。

 そのときの感覚だけで判断してはならない。

2016年1月15日

超えよう

 ボクはそろばん8段にアンザン9段だ。

 恐ろしく計算が早いのだが、少し誤解が

あるかもしれない。

 9段になるまでに血みどろの練習をこなした

末に到達したと感じられるかもしれない。

 

 確かに練習はきつく大変なのだが、実際に

大変だったのはそちらではない。

 ボクはそろばんの3級の試験を7回くらい

続けて不合格になっている。

 

 精神的にきついのはこちらである。

 あー今度もまたダメだろうな、不合格になるに

決まってる。だってオレ、バカだもん。

 そんなつもりで受験し分かったこと、不合格

になっていた。

 

 初めて段位の検定試験を受験したのは

高校二年のころだが、そのころは一つでも

上の段位をとってやるんだと意気込んでいた。

 精神的にはとても楽だ。

 これは前向きに開放しているのか、後ろ向き

にちぢこまっているのかの違いだと思う。

 

 オレはできる、やればできると感じてからの

練習や試験は明るい方向に向けての力の発揮だ。

 やればプラスになることが分かっている

わけだ。

 ラインと表現したが、これを超えると上達が

楽しくなる。ラインというのは楽しいか

楽しくないかの境界線ともいえる。

 まずはラインを越えよう。

2016年1月14日

本質

 わたしたちの本質とは何でしょうか。

 仕事の本質とは。

 

 だれしも仕事がむなしくなるときがあると

思います。意味がないと感じることも。

 そんなとき、果たして自分の仕事は

何なのか、考えてみることは大事です。

 

 ボクも何度も考えました。

 ボクの場合ですとこんな感じです。

 わたしたちは地域の計数観念向上のため

日夜励んでおります。

 

 ボクはこれまで、この文章を見てなんとなく

おおげさ、ウソくさいなと感じていました。

 そんなに良いもんかよ、くらいに。

 

 だけれども改めて考えてみるに、これに

尽きるのです。

 やっぱりこれが原点です。

 

 時には自分の職業を、だれが助かり、だれが

恩恵を受け、町にとってどんな意味があるのか、

考えてみるのも悪くありません。

 ひょっとしてやる気が出てくるかも。

 意味がないと感じていた仕事も意味が

感じられるかもしれません。

 

2016年1月13日

先の先

 先の先を読め。

 父親はよくこんな言い方をした。

 ボクも実感している。

 

 これは一言でいえば、それが現実になってから

あたふたとするのではなく、前もって想定し、

用意しておけということだ。

 

 例えば、人が会社を退職しようとする。

 それを父親は、よく観察しとったら分かるじゃ

ろうが、人はなにげなくサインを発しとるもの

なんやと。

 

 そうなのだ。

 言葉のはしばしに、そろそろゆっくりしようかな、

もっとお金が必要になって、などヒントになる

言葉を口にしているものだ。

 それを察知しておけばうろたえることもないし、

用意することもできる。

 

 人が発する言葉を注意深く聞けば分かるはずだ。

 察知していれば、人が発言する前になにを考えて

いるかわかり、たぶんそうなるだろうから、

そのときはこうすると決めておくことができる。

 

 えーーっ、そんなの聞いてないよー。

 これではなんの対応もできない。

 人は常になんらかのサインを発してる。

 要はそれをつかむ気があるかどうかだ。

2016年1月12日

信用

 去年の五月、新しい仕事が舞い込んできた。

 講師を引き受けてくれとの依頼だった。

 これまで出会ったことのない人から、新しい

場所でのお仕事だ。

 

 まず、なにはともあれお話しを聞かせてくださいと

出かけた。相手はこちらのことを知ってるようだ。

 そこでボクはある提案をした。

 とりあえず一か月ほどお試し期間で仕事させて

ください、その期間は無料でかまいませんと。

 

 一か月間ではあるが、回数としては5回だ。

 この一か月間は無事にこなすことができた。

 相手にも信頼、信用してもらえたと思う。

 ただ、無料で引き受けたのだが、取り決めの

半額はいただけることになり受け取った。

 

 この無料で引き受けるというもの、ボクの

発案というわけではない。

 そもそも両親は島根出身だが、島根の人は

コツコツまじめに働くと評判が良い。

 

 そこにプラスしてこちらを信用していただく

ため、こんなことをしてはどうだろうか、が

根幹にある。それの一例に過ぎない。

 ボクは相手先に、この一か月間でこれは無理

だなと感じられたらお仕事は進められなく

てもけっこうですからと付け加えた。

 商品は使った後でも気に入らなければ

引き取りに応じます、みたいだなと感じてる。

 知らない相手に信用していただくために

なにが必要か、なにをすべきか、頭に入れて

おくといい。

2016年1月 8日

掃除

 道路の掃除を始めて二年くらいになります。

 それまで掃除したいと願いながらも自分が

いいかっこしているようで恥ずかしく、なかなか

外に出ることができませんでした。

 

 以前、公園デビューなる言葉が流布されていました

が、ボクも同じで街頭デビューそのものでした。

 たかがほうきとちりとりを手に掃除するだけ

じゃないか、頭ではそう思うのですが、いうこと

を聞かない身体。

 

 さて。

 この掃除ですがきっかけがいくつかありました。

 このことを書いてみます。

 何冊かの本で町の掃除の話を読みました。

 

 友人や知り合いの中にも掃除をしている人が

いました。

 お客さんがここを通って来られるのに、汚い

ままでいいのか、そんなふうに思い掃除を

考えてみました。

 

 そして着想から五年、そんな感じで長らく

実施したいと考えていた掃除、やっと取り組み

を始めました。

 初めて掃除したときは世界中の人が自分を

見てる気がしたものです。

 人の行動はコップに水をそそぐ行為に似てる

面もあります。

 一杯になってあふれたときに実行することも

あるのです。まずは街頭を掃除かー、そんな

気分になればそのうち実現していきます。

2016年1月 7日

大きなプラス

 ボクは珠算8段、アンザンが9段だ。

 これを言うと子供のころから計算が得意な子

だったと思われるかもしれない。

 実は全く違ってました。

 

 転機はやはり高校から京都に行ったこと。

 そこはそろばん日本一の看板をあげている

塾だった。そのときボクは2級くらいの腕前

だった。2級というのは小学4年とか5年で

取得するレベルである。

 図体の大きな男がやってきて、なおかつ

2級そこそこの腕前。あまりにも恥ずかしく、

これまでオレはなにをやってきたんだと悲しく、

悔しかった。

 

 山口からどうやら池田というやつが来るらしい、

どんなやつだろう。ボクは勝手にそんな光景を

想像していた。だからボクとしては山口では

もはや敵なしなので京都に乗り込んできた、

ならかっこいいのに、なにこれ、恥ずかしい

にもほどがある、が内心の声だった。

 

 当初、ボクはあまりにもへたくそだったので

その塾の受付に座って来客があれば対応し、

なければそこで練習していた。

 ほかの選手たちに実力が知られてしまえば

ボクもやりにくくなるだろうとの判断だった

かもしれない。

 

 ただ、この体験は強烈なパンチになったのも

確かなのだが、なにをくそったれ、を養った

瞬間でもあった。

 幸い、ボクは京都で一人で暮らしているわけ

だし、高校の成績など最低でもだれも文句を

言わない。これも良かった。大きなマイナスは

大きなプラスにもなる。しっかりやれ。

2016年1月 6日

工夫

 かなり前のことだ。

 知人の家に遊びに行った。

 庭に畑を作るのだと聞かされ手伝った。

 

 ここからここまで畑にしたい。お昼になったら

ごはんを出すから。あとはどこで休憩しようと

どんな方法でやろうとあんたに任せるから、と

聞かされた。

 

 事細かに指示されるより自由度が高い方が

あんたもやりやすいじゃろう。

 確かにそうだ。

 

 そして指示をするとき、どのようにすれば

相手が動きやすいか教えてもらった気がした。

 相手に工夫する余地を与える。

 大まかな時間設定を告げ、最終的にどのように

なっていればいいか伝える。

 あとはあんたの好きにすればいい。

 

 

2016年1月 5日

テレビ

 テレビは見ますか。ボクは高校生のころただの

一度も見ていない。テレビは大好きだった。

 中学生のころは毎日四時間くらい見ていた。

 今、思い返すのにどんな番組だったか、

思い出せない。

 

 高校は単身で京都で生活するようになる。

 京都に行くことが決まって、まず決めたのは

京都にテレビは持参しない、だった。

 

 ただ生活が始まってみるとテレビを見る時間

など全くなかった。

 晩ご飯は銭湯の向かいの食堂で食べていたの

だが、そこにはテレビがあった。

 

 見る気などない。

 かかっているに過ぎなかった。

 つくづく分かった。テレビというのは連続性

なのだ。あるドラマを見る。おもしろい気が

する。それから毎週水曜日の八時はこれを

見る、と決まる。それだけ。

 

 一回、それを断ち切られてしまうとあまり

見たいとも思わなくなる。

 ただの習慣なんだ。

 友人と話しが合わなくなる、などはある

かもしれない。

 そのときは見たことを共有するのではなく

内容を教えてもらえばいいだろう。