2015年4月28日

火の玉

 先般、昔話を聞いていてふっと思い出した。

 子どものころ父親がよくこんな話をしていた。

 あのな、火の玉にまたを二度くぐられたら死んで

しまうんやぞ。

 

 ふと思った。

 今、火の玉と聞いてなにか分かる人はどれほどいるの

だろう。いろいろな本によると、火の玉とは燐がぼうっと

光る現象のようだ。

 イカなどを生のまま埋めておくと発するようだ。

 

 父親の話の火の玉は人だまである。

 ただ、現在、闇夜というものがないので、火の玉が活躍

できるスペースはなくなってしまった。

 母親によると、同級生は野クソをしていて蛇にかまれて

死んだというのだが、それもどこまでホントやら。

 

 しかもこの同級生、女子だっていうんだから。

 ホンマかいな。

 岩国などは漆黒の闇などそもそも存在しないし、

火の玉といわれてもピンとこない。

 

 やはりあれは娯楽のない時代、縁側で話される

余興だったのかもしれない。

 火の玉はなくなってしまったのではなく、

人の心から消え去ったといった方がいいのかもしれない。

2015年4月27日

奇談

 海の奇談

 昨日、山下さんといろいろ話をさせていただいた。

 その内容がおもしろかったのでここに書いてみよう。

 

 イルカが船と伴走するのはよく知られた話。

 山下さんによると、船の先端あたりにサーフィンのような波が

立つらしい。イルカはだからそれを喜んでいるのではないか。

 イルカが伴走するとき決して先端より後ろになることは

ないそうだ。

 

 夜中にイルカが登場。夜光虫が光る海面をイルカが泳ぐと

夜光虫がそれに反応。するとイルカが泳いだところだけ

光が走る。真っ暗なイルカの身体がササーッと動く様子が

観察できるらしい。ロマンチック。

 

 熊とサメと犬はとても似ているそうだ。

 サメは日頃はのたーーーっと泳いでいるが、攻撃体勢に

入ると少し丸まった体型になる。この姿勢の変化が

危険かどうか判断する目安になる。

 

 大海原を航海していると、島が近くにあるかどうか

なんとなく分かる。島の上には独特の雲がある、

干し草の匂いがする、海鳥が見られる、などがサインに

なるそう。

 航海中にそんなサインを見つけたらきっとしびれるだろう。

 

 航海中、食事はどうするか。だが。

 マグロなどを釣って食べる。マグロは疑似餌で釣れ、

当初はマグロ丼、残ったものは燻製にして保存する。

 大海原は危険に満ちているが、同じくらい魅力に

あふれた場所でもあるわけだ。

 次は山下さんから聞いてください。

2015年4月22日

整理整頓

 事務所の整理整頓をやってます。

 どういうものか、取りかかる前より乱雑になり足の踏み場

もなくなっています。

 

 必要のないものは処分しています。

 すると出てくるわ出てくるわ、軽く5年、10年と経過した

ものが、たくさん。

 

 今となってはどれもいらないものなので全て捨てます。

 こんなものも、そのときには必要で、取っておけばまた

出番がやってくると考えていたんですね。

 

 いったい、なぜこんなものがここにあるのか、そんな

ものもたくさんあります。

 ただ整理し、使えるものは使っていきます。

 

 バインダーなどたくさん出てきました。

 これから周囲の人に配ります。

 ある机を整理していますとお金がたくさん出てきました。

 小銭ばかりですけど。お金はお金。

 

 全部合わせても500円に届かない金額でしたが、

ありがたく使わせていただきます。

 なぜ机の引き出しに小銭があるのか。分からない。

 年賀状にスタンプするえとのはんこが出てきました。

 それも大量に。

 

 この時期にサルだの牛だの。

 分かったことですが全て処分。

 現在、えとのはんこ自体、使うことはないでしょう。

 これってしっかり覚えておいて12年後に再度取り出さ

なければ使えません。はなっから無理だったんだよな。

 みなさん、整理して必要のないものは処分しましょう。

2015年4月17日

長持ち

 感謝。

 犬でも猫でも話しかけると相手も理解するそうだ。

 この話なんとなくは理解できるのだが。

 

 先日、話していると機械や車に対してもありがとう、とか

いつもご苦労様、などと声をかける人がいるのである。

 言われてみて、あーそうかー、なんて。

 

 車に対しては、お、ガソリンが減った。入れてやらんと、

だし、そろそろオイルの交換時期かー、とかさ。

 今日は洗車しようかな、くらい。

 

 以前、自分の身体に感謝、ねぎらいの言葉をかける

べきだと読んだことがある。実践、してませんが。

 そういえば、愛車なんていって、手放すとき泣く

人がいる。あれはさっぱり分からない。

 

 思い入れが強いんだろうね。

 ボクはそっちより、お、やっぱ新車は良いねー、

香りが違うよ、だから。

 

 車や機械にも感謝する人というのは、動物を大事に

したり、愛護する気分が強いに違いない。

 動物と接するのと同じように機械にも接して

いるのだろう。

 あ、こういう人が使ってる機械はやはり長持ち

しますね。確かに。

2015年4月16日

名医

 たまに週刊誌で東西の名医50とかやっています。

 あれを見るたびにむなしくなってきます。

 ここでいう東西というのは東京圏と関西圏のこと、

そもそもそこから外れた山口県など名医はいないってことか。

 

 もし自分が病気になったとする。

 不安で心配で、だから少しでも良い医療を探す。

 セカンドオピニオンもしっかりする。

 だけど、そのとき名医が存在しているとするなら、

ここじゃダメなのかよーと叫びたく、なりませんか。

 

 もし失敗したとして、ひょっとして名医なら治して

くれてたかもしれない、なんて嫌だ。

 こんな記述をすれば名医のところにはますます患者が

集まり、それ以外は疑いの目を向けつつ受診するのか。

 なんかおかしくないか。

 

 平均点の底上げならいい。

 等しく技術を上げるよう努力していただく。

 しょせん、満点は追及できないのではないか。

 であれば、どこで受診しても平均点の方がいいと

思うんだけどなー。

2015年4月10日

タルムード

 ボクは人から池田さんは人の話をふんふんって聞いてくれる、

ってよく言われる。

 あーそうかー。

 あまり意識してないんだけど。

 

 子どものころから一人でいることが多く、話すのが苦手な

だけなんだ。それでも人と会う機会はたくさんあるので、

いつしかこうなったのかもしれない。

 

 それを踏まえて感じることは、やはり人という生き物は

自分がしゃべりたい、話したいということだ。

 ユダヤの格言にこんなものがある。

 なぜ人に口は一つで耳は二つなのか。

 話す倍、人の話を聞かなければならないということ。

 

 多少、こじつけの感もあるが、とても良い言葉だ。

 本当は、自分が話す量と相手が話す量をきちんとバランス

を取り、快適に、多少は目的に向かって進めていければ

いいということだ。

 

 ちなみに書いておくと、ユダヤにはタルムードと

呼ばれる経典みたいなものがある。

 これらは百科事典のようなボリュームがあり、

ユダヤ人の中でよく読まれており、生きる上での

指針になっている、書物の集大成みたいなものである。

2015年4月 9日

大人げない

 大人げないこと。二年くらい前のことだ。母親の友人が益田で

暮らしておられ、父親と母親、ボクが運転手役で遊びに出かけた。

 ちょうど秋の祭りをやっており、お昼ご飯をいただくことに。

 そこで事件は起こった。

 

 ボクたちはお昼ご飯を作って持参していたのだが、父親が

気をきかせて祭り会場で売られている弁当を買ってきたのだ。

 ボクは腹が立ち、お父さん、なんでそんなものを買って

くるんや、と。

 

 父親にしてみれば、他人様に自作の弁当を提供したくなか

ったのだ。いやみんなで仲良く食べればいいじゃんって。

 ボクも冷静に考えてみれば他人がいるところで

そんなこと言わなくてもいいんだけど。

 

 日頃はそれと似たことが起きても我慢しているのだが、

そのときはつい飛び出てしまった。

 ただ母親の友人一家も何事もなかったように時間は

過ぎていったので助かった。

 

 いや、元学校の先生だから調整はうまいのかな。

 とにかく助かった。

 気まずいままで進んでいったらどうしよう、なんて

思ったから。

 だれしも爆発するときはあるものだ。

 周囲の人はそのときうまい助け舟を出して収束

させてほしい。そのままこじれるのはだれに

とっても困ったことだから。

2015年4月 7日

ドケチ

 なにがきっかけだったか忘れたのだが、子どものころドケチ商法

っていう本を読んでいた。大阪丸ビルの所有者の男性の話である。

 ドケチというのは聞いたことがあると思うが、日頃はケチケチ

して生活するが、ここぞというときしっかりとお金を使う

ことをいう。

 

 なにしろ徹底していて、タクシーに何人かで乗るときは必ず

最後に乗る。なぜか。ごっつぁんでーすと運賃を支払わずに

済むからだ。

 節約できるものは徹底して節約し、大きなことにお金を使う。

 これを活き金を使うという。

 

 ボクも改めて考えてみるとこのドケチを実践していた。

 親と同居しているとき、家にお金を入れてない。

 しばらく出していたが、あまり意味がないと思って。

 

 それより、よく海外を旅行していた。

 年間三回、年の旅行費用は軽く100万円を超えていた。

 自分のこやしになるかもと思ったが、今考えてみると

そうはなってない。ただ、日本の地方で暮らしてる自分、

っていう、前提があるわけだが、海外を旅行することに

より、いろいろな価値観が学べるかなと考えた。

 

 幸福も不幸も日本の中で、日本人の中で感じること。

 比較の対象が狭すぎるわけだ。

 おかげでいろんな価値観が学べたと思う。

 

 このドケチだが、今も十分に使える考えだと思う。

 お金は意味のある使い方をしなければならない。

 それを考えるきっかけになるはずだ。

 生活するにはまずこれだけのお金がかかる、は

果たして本当だろうか。

2015年4月 6日

草刈

 さっきゴミを集めてきた。

 排水溝にたまるのが桜の花びらなら美しいのだが、吸い殻が

集まっている。美しくない。

 実は気になってることがある。

 

 歩道にびっしりと草が生えている。

 今年のはじめ、カマを用意しきれいにした。

 枯れてたからね。

 これでは歩行者は歩きにくいと思って。

 

 そこが、また草が生えてきている。

 これを退治するつもりだ。

 考えてみれば、ここらは完全に車社会で、歩行者のことなど

気にもとめてなかった。

 

 だがいくらなんでもあれでは歩きにくいだろう。

 歩行者の姿を全く想像していなかった。

 歩道のことってこれまで考えたこともなかった。

 これ、見てどうですかと言われても気づかなかったはず。

 

 せっかく歩道があるのに、きれいにした方がいいに

決まってる。

 問題とは、気付く力かもしれない。

 これって問題ですよね。に気づくことが。

2015年4月 1日

浦島太郎

 ボクは高校になるとき単身、京都で暮らし始めた。そもそも

京都にはテレビを持っていかないつもりでいた。

 それまではテレビは友達、仲間、自分のそばに置いて

おきたいもの、だった。

 

 だけど、それこそが毎日のだらだらとした生活の原因

になっていた。今から思うと中学生のころ、少し前に

やっていたドラマの再放送を流していた。

 それを見ていたけど、見たくて見ていたわけでもなかった。

 

 ただいざ京都での生活が始まってみるとテレビを見る時間

などどこにもなかった。そして見たいという欲求も消え失せて

いた。銭湯向かいの食堂で晩御飯を食べるのだが、そこでは

テレビがかかっていた。ただ部分的に視界に入る映像って

興味も関心もひかなかった。

 

 京都から岩国に戻ってきて何年か経ったころ、ある年代の

映画をさっぱり知らないことに気づいた。

 そう、京都で暮らしていたときに上映された映画は

一つも見ていなかったわけだ。

 自分が浦島太郎になった気分だった。

 

 本当にテレビが見たいのならそれでかまわない。

 ただやることがないからテレビ、ならなにか行動を

起こすきっかけかもしれない。

 テレビを見ていた時間ってあとから考えると

とてもバカらしい。それがボクの感想だ。