2015年2月27日

救命

 あれは三年前だったか、救命救助の講習を受けてきた。

 分かったことだと思うが、人工呼吸、除細動器具の使い方などだ。

 人工呼吸と聞くと、以前のドラマにあったように口と口なんて

嫌だなーって思っていたが。無理にそうすることもないらしい。

 

 除菌した紙を手にやるのだ。

 心臓を上から圧迫するときは骨が折れてもいいくらいの強さ

でやる。できるだろうか。やるのだ。

 子どもだと現実に骨が折れてしまう。それでも救命の現場では

おこなうのだ。

 

 あれから一応、出番はない。ありがたいことだ。

 ただ講習を受けたからといって実際にやれるかどうかとなると

難しい。ボクのねらいとしては、受けて実施できないなら、

受けていなければますますなにもできないだろう、だった。

 

 けが人を前にうろたえるか、冷静に指示できるかどうかが

大きいと考えた。

 ボクの気持ちとしては日本人なら大人になった時点で

みんな講習を受けるべきだと感じた。

 

 用意してないことは行動に移せないものだ。

 だれしもけが人を前にすることなどめったにないはず。

 だけれどもそれは想像力の欠如ではないだろうか。

2015年2月24日

サイン

 先生たちは学校内でどのように呼ばれているのだろうか。

 たまに小学校にボランティア授業で向かうのだが、そこでは

みなさんなになに先生と呼んでいた。

 これが多いのかな。

 

 ボクが高校で勤めていたころ、ボクは邦利だからか、邦さんと

呼ばれていた。これはかなり早くからで、最初の数日でそうなった。

 それから退職するまでずっと邦さん。

 だからか、ほかの先生もみななになにさんと呼ばれていた。

 

 意外にもこれは良かった。

 親近感を持つし。一部の先生方はそうではなく、なになに先生の

方もおられた。

 これは想像だが課長先生より年上の方はなになに先生に

なっていたようだ。

 

 生徒が職員室に入ってきたならどうなるか。

 とたんに池田先生になっていたな。当然か。

 ここのところの使い分けはきちんとしていた。

 

 課長先生が、新しい先生をなになにさん、で呼び始める。

 それが新入の歓迎のサインみたいになっていた。

 ボクたちが子どものころ友達をいつ呼び捨てにするか

大きな問題だった。あれも友人としてのサインだった

気がする。

2015年2月23日

この先

 中学生ころの話だ。よくこんなことをやっていた。

 改めて思うが中学生のころの体験って大人にまでつながっているな。

 自転車で走り回っていた。片道40キロ近くは走っていた。

 出かけた先でお弁当を食べて帰ってくるだけなのだが。

 

 この先がどうなっているか知りたい。

 方向を変え何度も出かけた。三人で出ることが多かった。

 いつしか行きと帰りが同じルートになることに飽きて、列車を

利用するようになる。

 

 岩国駅から乗車して名前も知らない駅で下車。

 そこから歩き、また知らない駅から列車に乗って帰る。

 これがおもしろくてたまらなかった。

 この体験を話すと、ほとんどの人がそんなことはやってないと

口にする。はーそういうものなんだー、って気がする。

 

 この先はどうなっているのか、とても知りたくなる。

 たいていの場合、同じような道が続くだけなんだけど。

 それが分かったからといってどうなるものでもないのだが。

 

 これらの体験、大人になってもどこか引きずっている。

 似たようなことをやっているんだ。

 どこかそんなものを追い求めているのかもしれない。

 ボクたちは大人になってから人生が始まった気でいるの

かもしれないが実は子どものころの体験が大きくかかわって

いる気がする。

 あなたにもあなたの原型があったんじゃないかな。

2015年2月20日

呼び捨て

 昨日、おもしろい話を聞いた。聞けばあるあると思うはずだ。

 人は毎日いろいろな人とお話しをしている。メールも盛んだ。

 その内容を日々、見ているので、その人はそういう人なのだと

考えがちだ。

 

 ところが、その同じ人が別の人に対しては全く違う顔、

違う会話をしていることが、実際には多い。

 その人はこちらにだけ見せる顔があるっていうか。

 

 この人とは親しそうに話していたり、その同じ人がこちらの

人に対してはていねいに話す。かしこまって話すこともある。

 新密度によって超えることのできる境界線みたいなものが

あり、いつまでたっても越えられないこともあるのだ。

 

 人は一人でいろんな顔を持つと言える。

 学校の先生と話すときと友達とでは違う面がとても多い。

 それと同じだ。

 

 ゆっくりと超える垣根もあればいつまでたっても越えられない

垣根もある。

 なにかの事件をきっかけに超えることもある。

 ボクたちはいろんな顔を持っているわけだが、それがごく

当たり前だと思う。

 学生のころ、相手のことをいつ呼び捨てにするかは

意外に大きな問題だったりした。あれと同じかな。

2015年2月19日

機械

 ITが仕事を奪う、よく聞かされる。

 ただ、これまでの日本においても機械化され、仕事がなくなって

いった。

 ニコラテスラという直流電気を発明した人はこれにて人々は、

労働から解放されるだろうと説いたが、それは当たっていて

それにて困ってるわけだ。

 

 かなり前のことになるが、知人からある男性を紹介された。

 機械メーカーから機械を買って独立したが度重なる

値下げ要請により破たん。

 メーカーの悪口が展開された。

 

 こんな話はたくさんあり、珍しくもない。

 これを聞いて思ったね。

 仕事とはなにかをしっかりと考えなくてはいけないと。

 

 これまでは仕事は動きがきちんと見えていた。だが現在、

仕事は水面下に沈んでしまってる。

 まとめてみよう。

 これからは簡単な仕事ほど消え去ってしまう。

 

 残念ながら現代においても機械化できないものがある。

 人間である。風呂にも入るし爪も伸びる。

 病気にも。

 人間の周辺には仕事は残り続けるわけだ。

 ボクはかなり以前、そうなるだろうと決め、動いてきた。

 機械がこなせることなら、あなたの出番はないね。

2015年2月17日

記憶

 先日、人と話していると、池田さん、よくあそこまでいろいろ

覚えておられますね、だって。

 過去に起こった出来事をここに書いているからね。

 訓練みたいなもので、慣れれば出てくるものなんだ。

 

 人は過去の一瞬、一瞬を全て覚えているものなんだ。

 ただ、毎日思い返していても気分が悪くなるだけだから、

日頃はふたをして暮らしてる。

 なかなか出てこないことは確かだ。

 

 ボクの場合、思い出すだけで胃がひりつくような経験が、

ないような気がする。人によっては思い出して気分が悪く

なる人もいるだろうね。

 

 株で大損したことや、暴走族に土下座して謝ったこと

などは思い出すたびに胃液があがってくるというか、

嫌な体験だった。

 だけれどもいろいろな人と話していると、中には

笑い飛ばす人もいて。そんな人を見ていると、あーあまり

悲劇でもなかったのかな、なんて。

 

 お金で大損した話は、悲しくやるとダメなんだな。

 うわー損しちゃいましたよ、どうしましょう。

 自分にとって悲劇でも聞いてる人には落語よりおもしろい。

 なら話してみんなに楽しくなってもらえれば、多少損にも

意味が出てくるかもね。

 人はみんなどこか、これまでの記憶は頭に残っているものさ。

2015年2月16日

俳優

 映画を見ているとたまに恐ろしくなる。自分が殺人犯になって

逃げまどう気分にさせられる。いや、これは映画なんだ、実際に

起きてることじゃないと言い聞かせる。

 

 映画俳優においてもやはりこんなことが起こるらしい。

 あまりにも演じた人物に同化させ過ぎた結果、精神が参って

しまうことも。

 そのためハリウッドでは自分に自分を戻すプログラムが

実施されている。

 

 この話を読んだときひどく納得した。

 いやーそんなことはあるでしょうと。

 

 これらの事実はあることを示していると思う。

 それはボクたちは自分のことをこんなやつだ、こんな人間だと

かなり固く考えているものだが、そうではなく。実際はもっと

流動的なのではないか。

 

 ボクは以前から自分のことを暗いやつ、いろんなことを

楽しめない人間だととらえてきた。だけれどもそれも誤解

なのかもしれない。

 人にはいろんな気分があり、またちょっとしたことで

どうにでも変わってしまうものなのだ。

 自分はこんな人間だ、はただ単にそれを演じている

だけかもしれない。

2015年2月10日

さいとうさん

 子どものころ世界のなぞと不思議なる本が大好きでよく読んで

いた。その本の表紙はてっきりエジプト語だとばかり思っていた。

 大人になって再度見ると、それは英語でした。

 生まれて初めて飛行機に乗ったのはハワイに行くために

乗ったとき。

 

 ハワイの出入国審査で、話しかけられなにも発せず終わって

しまった。さいとうさんって言えばいいって教わったんだけど。

 え、ハワイの人にさいとうさん。

 いや英語でサイトシーイング、観光旅行のことをそういう

んだけど、ボクたちはさいとうさんっていえばいいって

聞いていたのさ。あー恥ずかし。

 

 それが理由ってばかりではないのだが、ある日思い立って

英語の勉強を始めた。海外によく旅行に出たのも原因か。

 ニュージーランドに行くとき、隣に座った男性とずっと

話していた。いや英語でさ。

 

 すごいよなー。さいとうさんはここまで来たのだ。

 ずっと話してはいたのだが、その内容って趣味の話

とか、飛行機は嫌いだというもの。

  だけどすごい進歩か。

 

 古本屋さんで旅行で使える英会話って本を見つけ

それで勉強した。今から思うとそれで話せるように

なってはないのだが、取り組んだことは確かだ。

 今もあのころのレベルのままだ。

 ただ英語が宇宙人との会話用としてとらえていた

レベルから、一応地球の人と話す道具だと知れる

ことになったのは確かなことだ。

2015年2月 5日

理解

 人の話を聞いていると、あーなかなか良いことだなーって

思うものがある。以下もその一つだ。

 学校で成績表やあゆみをもらったはずだが、自分のあゆみを

ファイルしていく。

 

 だれしも専門分野があるはず。その分野に関してなにが起こったか

克明に記録しておく。簡単でいい。

 仕事になっていなくてもいい。これから仕事になる可能性など

なくてもいい。とにかく自分がそれに対して長く時間をかけた

と思えるものを。

 

 先日見せてもらったものは、その方のこれまでの活動記録だった。

 どこそこでコンサートを行った、講演会の幹事を務めた、など。

 彼は歌を歌ったわけではなく、裏方としてお手伝いをしただけだ。

 ただその専門分野においてはいくらでも相談に乗ってもらえる

はずだ。ファイルを見せてもらったがとても分かりやすくできている。

 

 実はボクはこれまで記録することになんら意味を見いだせず、

なんら残していない。だから自分の場合は、なにか聞かれたら

思い出しながら書き出すしかないな。

 

 これらのファイル、銀行に持参して融資のお願いをするときにも

使えるし、自分に関心を持ってもらえた方に対して自分を説明

するのにも使える。

 便利な存在だと思った。

 これをきっかけにしてファイルを作ってみましょう。

 それをいつも持ち歩いて説明に使えば理解していただける

のも早いはずだ。

2015年2月 3日

矯正

 かなり前のことになるが、マイナス言葉を使わないように

しようって話がよくあった。

 とりたてて意識するほどのこともないが、やはり大事なことだ。

 人は意外に自分の言葉に注意を傾けていないものだ。

 

 自分の言葉が他人になんらかの影響を与えていることに

間違いはない。その意識が足りないのではないかな。

 ボクは以前こんなことをやっていた。

 

 何人かで集まり、話し合いの機会を持つ。

 そのとき、お互いに気づいたことを発言していく。

 あなたのこんなところが良かった、ここは誤解を招くのでは

ないか。

 

 よく会社でもやっている三分間スピーチでもいいと思う。

 ボクが勤めていた高校でもやっていた。

 高校は三分ではなく、朝礼のときに少しお話しをする。

 

 なんていうかな、自分の発言を外側から観察することになる。

 そのとき周囲の人たちからほめられると、あーそうか、

こんな言葉は他人に力を与えられるんだなって分かってくる。

 

 その意味でボクは人というものは話す言葉を矯正する

必要があると考えている。

 オレはオレのままでいいと考えるのはおかしいと思う。

2015年2月 2日

スキー

 ボクはスキーが好きで。よくいろんなところで滑りました。

 その、いろんなっていうのが今回のお話しでして。

 このあたりでスキーするといえば分かったこと、広島県の

スキー場に行くことになります。

 

 シーズンに何回行けるかカレンダーを作って出かけたものです。

 ただふと、滑っていると、カナダにもスキー場はある、北海道にも、

そんな情報も入ってきますし、どんなんだろうって思うもの。

 ですので以前はニュージーランドとかカナダでも滑りました。

 

 スキーをすることに変わりはないのですが、経験するのと

想像してるだけとはまるっきり違うと感じました。

 北海道のスキー場も一度だけ行きましたが、想像していた

のとは違ってました。

 

 こっちの雪と違ってパウダースノーなので上手になった

気がする、とか聞いていたけど。さらさらした雪なので

コース上には雪がない場所もけっこうあります。

 ほかのスキーヤーがとてつもなくうまく滑るので

自分がへたくそに感じられたり。

 

 こうしたことを重ねてみると、こちらのスキー場に何度も

行くより、たまに北海道のスキー場に出かけることが

自分にとって意味が大きいと考えるようになりました。

 近場のスキー場に何度も行くと上手になりますが、

それとは違った経験もさせてもらえるわけです。

 こうした考え方ってどこかにあってもいいんじゃ

ないかって思います。