2014年7月31日

なぞ

 小学生のころ「世界のなぞと不思議」って本が楽しくて仕方
なかった。「旧日本軍の兵士が道に迷って、最後は川
に飛び込んで助かった」みたいな話が満載されていた。

 今思うにこの本は自分にかなりの影響を与えてる。
 現代の日本においても世界のなぞと不思議を体感
することはできるから。

 生まれて初めて海外に行ったのは所属している団体で
行ったハワイだった。飛行機も生まれて初めてだった。

 で、ハワイがことのほか楽しかった自分は、次回も
ハワイに申し込んだ。ところが旅行会社の手違いで
出かける日がズレていた。仕方なくハワイからグアムに
変更した。意外にもこれが転機になった。

 「旅行先は必ずしもハワイでなくてもいいのではないか」。
 その次はサイパンに申し込んだ。サイパンでは日本で
みんながおでんをつついてるというのに泳ぐことができる
らしい。「なんか、それって、すごい」。

 サイパンに行くと「ハッピーニューイヤー」なんて看板
が木にかかってる。日本の感覚だと「寒い時期の風物詩」
なのに、こちらは暑く泳ぐことができる。
 この感覚にとても大きな感動を覚えた。

 「今頃日本じゃみんな寒い寒いってやってるんだろうな」
とか思いニヤニヤしながらサイパンの海で泳ぐ。
 サイパンの次はニュージーランドだった。もう分かる
だろう。日本の夏がこちらの冬なのだ。そのころスキー
を始めたので、もちろんスキー。

 「おんなじ地球なのに、こっちでは寒く、あっちは暑い」
その感覚がとてもおもしろかった。「世界のなぞと不思議」
に書かれていたものよりかなりレベルダウンしてしまうが、
同じようなものを追求した結果だと思う。
 ニュージーランドに行くとき見たパンフレットがまた
よかった。「スキーは地球がくれた遊び」確かに。


2014年7月30日

予定外

 株の売買で儲かることはあるのだろうか。
 あると仮定して考えてみる。

 ビギナーズラックというのはある気がする。ボクは
父親から帝国繊維の株をもらって始めたのだが、あれよ
あれよという間に値上がりした。「株って儲かるんだなー」、
そんな錯覚をするのに十分だった。

 一度、こんなことがあると、「またないかな」、そんな
気分で取り掛かるものだ。
 それからはうまくいったり、いかなかったり。

 日経平均株価が1万円くらいの話だが、そのころ株
の動きはあまり大きくなかった気がする。
 当初こそ、帝国繊維の株価がどこに載っているのか
毎回探していたのだが、そんな日はすぐにどこかに
いってしまい、まずは朝の行事として株価を確認していた。

 あれから三井造船、ワシノ機械、コマツなどを売買した。
 そして、たまに儲かると「これは予定外の収入だから、
みんなにおごっちゃえ」、そんな気分になる自分。

 実際、そのころ周囲を誘って飲みに出かけていた。
 逆に、損したところで、それらの人がおごってくれる
わけではない。損しても周囲にその話をしないし。

 こうしてみると、予定外の収入なんてない方が良かった
のかもしれない。20代のころ高級国産車を買った
こともあるが、すぐに乗らなくなってしまった。
 あれも株の儲けがなければ買ってなかったはずだ。

 株の話というより、後悔の話みたいになってしまったが、
株の売買はお金のでこぼこがついてまわる。
 収入というものはでこぼこがない方が本当にすばらしいと
断言できる。浮ついた気持ちにならないからだ。
 ただそれを知ることができたのも、売買のおかげかも
しれないが。


2014年7月29日

相手

 株の話をしていると混乱する人が多い気がする。
 よく「勝つ」「取れる」などと聞かされる。もちろん
儲かることのようだ。

 であれば、背景を考えた方がいい。
 競馬や競輪など日本ではお金を賭けて楽しむゲームがある。
 それらは掛け金総額から2割近くの経費を差し引き、
残りを全員で分ける仕組みになっている。

 お金を賭けて戦うのだから、背景がどうなっているか
考えるのは当然だろう。

 では、株はだれが相手なのか。分かるかな。
 ここに今にもつぶれそうな会社があるとする。その株を
あなたはやっとの思いで売り払う。「はー、やれやれ、
やっと売ることができた」。しかし、一年ほどすると
リストラの効果もあり株価が上昇。あなたが売った値段の
倍にもなってしまった。株はただ単に勝負なだけでなく、
時間の要素が加わってくる。勝ったはずなのに負けて
しまうことはよくあることだ。

 で、株はだれを相手に勝負しているか、だが、ボクは
自分だと考えている。相手は時間の移り変わりの中で
変わっていく。とらえどころのないものなのだ。

 制御できるのは唯一、自分の儲けたい心だとする
言い方もできる。
 株と競輪、競馬はまるで違う。時間によって相手が変わる
からだ。

 競馬や競輪は一度、出走してしまえば、後は結果が出る
まで1分ほど。だがしかし、株の場合はそれを1週間に
することもできれば5年にすることもできる。この時間に
よって株の売買は考えられる限りの可能性を持っている
ことになる。


2014年7月28日

よそ者

 考えてみるにすっかりよそ者感覚が身についているかもしれない。
 中学を卒業してそのまま単身、京都に行ってる。それ以前
には親の仕事の関係で校区の違いもあった。

 京都に行く前、ボクは今でも住んでいる町が、かなり
大きな町で、活気あふれる場所だと感じていた。
 そもそも小学5年になるとき一度転校しているのだが、
オシャレな町に引っ越した、そんな気分が強かったくらいだ。

 「給食にアイスが出る」。
 「デパートがある」。「とにかく人が多い」。
 だが、京都のそれと比べると、それはあまりにもみすぼらしく
比較するのもはばかられる。だから京都にいる間、かなりの
虚勢を張って暮らしていた面もある。

 「オマエ、山口け」と言われただけでカッと頭に血が
のぼっていた。言った本人に悪気はなかったはずだが、
京都の町の大きさに圧倒された自分は、バカにされてる
ようで悔しくてたまらなかった。

 中学のころまでの「自分たちが真ん中」「わりと大きな
町に暮らしてる」そんな気分は吹き飛ばされた。
 ただその経験が元になったのだろうか、いつもなんとなく
よそ者のような感覚が身についてしまった。
 自分がどっぷりとそこにつかる経験がなくなってしまったんだ。 

 ただ京都で何年も暮らしていると、友達もでき、いろんな
形での地元の人たちとの付き合いが生まれる。
 そこで判明したのは京都という町がでかいだけで、
住む人たちがでかいわけではないということだ。当然である。

 人は自分が住んでるところが中心だ。中心であり、
常によそ者である。ボクの感覚はそんなものだ。
 たぶん、これは外部からの視点を作るのに役立ってるんじゃないかな。


2014年7月25日

三賢

 「三賢と付き合え」って言葉があるのだが、知っているだろうか。
 先般、知り合いからあれこれ相談された。そこでボクの
知ってるその道の専門家を紹介した。

 アドバイスがもらえたようだが、本来であればトラブル
が発生する前に相談し、回避するのが最善である。

 三賢とは、お医者さん、法律の専門家、あと何だっけ、
その道の専門家のことである。

 人間、一人の能力や力などタカが知れている。
 ましてやこれらの専門家の能力を獲得しようとすれば
何十年もかかってしまう。

 そんな時間はかけられないので、必要になったとき、
アドバイスを求められる相手を用意しておくことが大事。
 アドバイスを受け入れる能力と、日ごろから接して
おき、いざというとき相談に乗ってもらえるように
しておかなければならない。

 「自分は頭が悪い」と自覚することは意外に大切だ。
 現実問題としてこれら専門家の能力と比較すれば
だれしも頭は悪い。「自分は何でも知ってる」という
態度ではせっかくのアドバイスは活きてこないわけだ。

 アドバイスする側も「知っているならどうぞ」に
なってしまう。
 三賢とは日ごろからつまらないお金を使って身近
にいてもらい、必要なときすぐにアドバイスが
もらえるよう工夫もしておかなければならない。


2014年7月24日

カテゴリー

 よく「池田さんはこんな人ですね」って言われる。そこ
にはいろいろ入る。「頭の柔らかい方ですね」だったり、
「人見知りの激しい人なんですね」もある。
 ただ、それらの発言をされる方はボクからすると
「頭の堅い人だなー」って思ってしまう。

 ボクが外側からいろいろ見えるのは確かだろう。
 ただそれは必要に迫られてのことが大半で、ボクの
もともとでも生まれつきでもない。

 ボクはたくさんの本を読むが、それにしたって小学生
のころ小学生新聞を読んでたことが大きな原因だろうと
考えている。それはしつけっていうか、そういうことでしょ。

 「頭が柔らかい」もよく言われるが、頭が堅いと
物事がスムーズに運ばないので、柔らかくしているだけ。
 そんなボクは簡単に物事を始めてしまい、頻繁に
「こんなはずじゃなかった」を繰り返してる。
 良いことばかりじゃないね。

 ボクが思うのに人が他人をカテゴリーに当てはめて
分類したがるのは、あまり難しく考えたくないから
じゃないかな。

 うまく当てはまりそうな引きだしがあり、「この人は
この引きだしかな」くらいじゃないかなと。
 だったら、その引きだしの数、多くした方がいいと思うよ。
 少ないから問題なんだ。
 50くらいの引きだしがあれば、分類はもっとうまくいく。
 とにかく人を「この引きだし」って決めつけてほしくないね。


2014年7月17日

信頼

 信頼は作ってきたと思う。
 ボクは子供のころから人付き合いが苦手だった。今もあまり
好きじゃない。

 だけれども、やっているのは自営業。
 「それなら自営業の仕事って何だ」と考えたとき、「それは
人付き合いか」なんてグルグル回っていた。

 今、ボクが暮らしている土地、建物は、もともと「池田さん、
ここで仕事をやってもらえんだろうか」と頼まれたところだ。
 この事実、改めて考えることがなかったので、きれい
さっぱり忘れてしまっていた。

 しかし最近、人に話す中でこの事実を思いだし、人との
縁を深く感じてしまう。頑張って仕事したのも事実だが、
頼まれることがなければ、ここに住んでいなかった
かもしれない。
 それを考えると、身が引き締まる思いがある。

 だからボクの場合、人付き合いは好きだからやってる
とか、苦手だからやらないという性格のものではなく、
やらなければならないものということになる。

 その人付き合いを円滑に進めるためには、信頼が
欠かせない。「あの人に頼んだらきっちりやってくれる」。
 そのためには、小さなことも整理して実施しなければ
ならない。
 「あの人は信用できる、信頼できる」というのは、
その人が本来持っているものというより、いかに
うまく仕事をこなすか、からやってきている。


2014年7月10日

提起

 懸案事項はたくさん用意しておく方がいいと思います。
 以前、高校の先生から講演会(高校生向け)の講師を
探してくれと頼まれたことがあります。

 めんどくさいなーって思いながら取り組みましたが、
なんていうか、いつも頭の片隅にそれが引っ掛かってる
気がしました。
 「探さなくちゃ、探さなくちゃ」です。

 だからでしょうか、たまたま出会った人に対して
「この人、講師にいいんじゃないか」なんてつながる
ことがよくありました。

 問題意識といっていいかもしれません。
 ボクもこの問題が用意されなければ、そんなふうに
つながることはなかったと思います。

 「たくさん本を読め」
 「いろんな人と話をしろ」
 「信頼できる人を見つけろ」
 「生活に運動を取り入れろ」

 ま、なんでもいいのですが、こうした問題提起を
自分もしくは周囲の人から投げ付けられることが大事
だと思います。

 結局、人間って期限を切って、追い詰められないと
動かない生き物だと思います。

 問題提起はたくさんあっていいのではないでしょうか。
 それがいつ、どんな形でつながるかは分かりません。
 ただ問題提起している人とそうでない人とでは
いろんな出来事に出くわしても反応は全く変わってきます。
 自分に対して問題提起しましょう。


2014年7月 9日

洋服

 洋服ってとてもおもしろい。メガネもときにおもしろく
なることがある。
 以前からボクは洋服のセンスのなさを指摘されることが
多かった。「池田さん、池田さんはいつもワイシャツばかり、
ほかのものを持ってないの」。

 いや持ってはいるんですが、仕事が終わって出かける
ことが多いので、そのままなことが多いのです。
 でもなんとなく、ワイシャツだと安心してどこにでも
出かけられるっていうのはありますね。

 いつ知ってる人に出会うか分からないじゃないですか。
 そのときワイシャツならいつもの池田さんってことで。
 説明になってないか。

 で、いろいろ指摘、ご指導されることも多く、それに従う。
 ただ問題はここからだ。
 せっかく買った洋服、着ない。着ることがない。
 「なんか、これ、オレに似合わないな」って。
 仕方がないので、ハンガーにかけ目に見えるところに
つるしておく。

 ときに「これでもいいかも」って着ることがある。
 休みの日だったり、旅行のときだったりする。
 そのとき、自分が考えたほど、その洋服に違和感を
感じないこともある。そうなれば、それからは着る
ようになる。

 案外、みんなこんな感覚が多いんじゃないかな。
 なんとなく自分の洋服のセンスを自分で決め、ただ単に
それに従ってるだけってことが。安心はしていられる
んだけどね。メガネも同じだ。

 「これが良いかもよ」と言われた洋服を買ってみる
のもいい。ハンガーにつるしておく。「こんなのオレ
じゃない」と思っても意外に似合うかもよ。
 決めつけないことが大事だと思う。


2014年7月 8日

つっけんどん

 ゆうべお店の人と話していると「つっけんどんな態度の人に
対する対応」の話になった。

 「たまにいるのよ。黙ってる人。なにか話さないといけない
って思うんだけど、ハイ、とかイイエだから続かないのよ」。
 はいはい、わたくしもなのでよく分かります。

 その場がおもしろくないからそのような態度を取って
いるのではないのだが、そのような態度を取るうちに
ますますつまらなくなり、を繰り返しているものなのだ。

 「あまり気にされなくていいと思いますよ。そういう
態度の人って昼間の顔が抜けないんですよ。昼間の対応が」。
 「上から目線っていったら失礼だけど、そういうところも
あります。だけど、親切にされたらやはりうれしいもの
なんですよ。あれこれ話しかけてもらうのもいい。ま、
そこまで配慮する人は少ないとは思いますが」。

 つっけんどんな人って、ボク自身の経験から言うと
(自分自身という意味)だれもがみんな社会人の一員、
みたいな発想のできない人だ。
 要するに「その人にはそのように見えている」ってことだ。

 男性には多いのだが、部長さんであれば「こいつは
課長か、それともオレの会社より大きいか」が気になって
しまうわけだ。「取引先なら対応を変えるよ」と思ってる。
 ま、なかなか自然には生きていけないってわけだ。
 学校の先生にこのタイプは多い。

 仲間内では元気がいいが、よその一般の人とは
なにを話していいかさっぱり分からない。わけ。

 対応としては、やはりいろいろ話しかけてあげて
親切にしてあげるしかない。そうする気がない場合は、
一人仲間外れということになりますね。それもその人が
招いたことですから。いいと思います。


2014年7月 4日

 株の売買をやっていると、悪い癖のような現象が決まって
出てくるものです。当たり前かもしれませんが、お金が
かかってないとこの現象、現れないのです。
 もっと冷静に、もっと沈着に動けます。

 人間、人の行動というものはおもしろおかしく感じる
ものですが、やはりそれは他人のことであるから、なのです。

 300円で買った株、200円で長らく我慢に我慢を
重ねる。350円になったら売ったが、その後700円に、
なんていくらでもあることです。

 株の売買では多くの会社を所有するのは得策とは言われて
いません。ただ気づくと銘柄の数が3つ、4つと増えて
いきます。「あっちの方が元気が良さそうだ」「テレビで
新開発のこと、やってたし」などが理由です。
 ボクはひどいときには8つくらい持っていたことまで
あります。

 それぞれの株価がどれくらいするのか確認するのは楽しく、
でも、あっちが少し上がり、こっちで少し下がり、で
トータルするとなににもなっていなかったりします。

 株の世界では「見込み違いはすぐに売れ」と散々、
言われています。ただ500円で買った株が、430円
になったとき、「ここで売ればかなりの損が確定する」が
邪魔をし、売ることができないものなのです。

 よって「塩漬け」というのは、こうした場合に発生し、
「結果、塩漬け」だったのに「長期間の所有がベスト」
と自分に言い訳していることもとても多いのです。

 人はお金がかかってないと、これらの事例の場合でも
うまく対応することができるものです。やはりそれだけ
お金というものは魔性の存在なのでしょう。
 だからこそ体得できるものもあるわけですが。