2014年6月30日

自分のため

 33のころだったかな、それまで勤めていた高校の先生から
電話がかかってきた。「今度、高校生に社会人の話を
聞かせることになって、邦ちゃん(わたくしのことです)、
だれか紹介してくれんか」だった。

 ボクは高校で勤めているころからいろんな人と知り合いに
なることの大切さを考え、実施していたからそれが原因だった
のかもしれない。

 軽い気持ちで引き受けたが、そもそも高校にはほかにも
適任の方はおられたはずだ。「なぜ自分に」とは思ったな。
 そして内心「めんどくさいことを頼まれたな」とも思った。

 かかる経費は全て自分もちだし、高校生に対してうまい
こと話せる人なんてそうそういるはずもない。
 おまけに県からそのために支出できるお金は5千円だと
聞かされた。いくら意義をうったえても、社会人が
その金額で動くのかどうか。

 ボクはそのころもあまり顔は広くなく、知っている人を
通じてお願いをして歩くことになる。当然、半分くらいは
断られる。だが、ここで不思議なことを体験した。

 断られても苦痛にならないんだ。
 気持ちの中に「どうせ他人のことだし」「オレはタダで
動いてるだけだから」があったはずだ。
 その気持ちがこんなふうに作用するとは思ってもみな
かった。強風が吹いているのだが、ガラス一枚向こうの
ことのように思えていた。

 「この作用は利用しなければ」なんて思ったな。
 ボクが自分自身のことでお願いをして、断られれば腹も
立つだろうし、悔しい気持ちにもなるはず。それが一切、
ないのである。

 この「ガラス一枚向こう」はきっと役に立つと思う。
 人はつい、自分のために動くが、だからこそ力みが入って
うまくいかない原因になってるかもしれないよ。


2014年6月27日

とらわれ

 いまだによく覚えていることがある。
 狭い道で車を走らせていたときのことだ。向こうから車が
やってきたので、少し大きな場所で待っていた。

 すれ違うとき、その車のドアからタオルが出ているのに
気づいた。ボクは窓をあけ「タオルが」と口にした。
 そのときだ。「なんじゃわれは」ときた。

 ボクはびっくりして一瞬、なにが起こったのか分からなかった。
 しばらくして相手はこちらが文句を言うために窓をあけたと
解釈したものと分かった。
 ふーーん。なるほどなー。
 ボクも逆だったらそう思ったかもしれない。

 ボクは以前、前を走る車の給油口が空いているのを見つけ
信号で停まったさい、伝えてあげようと車を降りたが、
やはり相手は戸惑った表情を見せていた。
 車って少し家の玄関ってところがあるのかもしれない。

 人は「自分は被害を受けている」「バカにされたくない」
「軽く見られたくない」などがあると、社会全般がそのように
見えてくると思う。
 敵意を持ってこちらに向かってくるように感じられる。
 タオル事件はそれを表していると思った。

 物事を冷静に観察できなくなるわけだ。
 ただ、やはり社会というものは、自分の態度が社会の
態度を決めることがある。自分が不機嫌になるから、社会
も不機嫌になる。

 そういう面ばかり見せてくるわけだ。
 いつもいつもこんなことばかりは言ってられないかも
しれないが、たまには考えていいことかもしれない。


2014年6月26日

うねり

 ボクは中学生のころ、ドイツにはまりにはまっており、
書籍を見つけては買って読んでいた。第二次世界大戦に
ついての書籍ばかりだ。

 ドイツに関連しての同じ傾向の本ばかり読むので、
「同じじゃないか」とは思うものの、それでもその傾向
のものばかり読む。

 するとそれらの書籍にある共通項を見つけた。
 どれもこれもが2000年くらい前からの記述がなされて
いることだ。第二次世界大戦は1939年、ドイツ軍が
ポーランドに攻め入ったのがきっかけとされているが、
これらの本は古くからの歴史をおさらいすることから始まっていた。
 ただ、ボクにはそれが退屈で、飛ばして読んだりしていた。

 1ページ目はローマ時代のお話なのである。そして
ワイマール、だとかプロイセン、といった名前が頻々と出てくる。

 すると、おかしなことが見えてくる。
 第二次世界大戦でドイツは「第三帝国」と名乗ったが、
その意味がつかめてくる。ローマ時代の勢力図を再現
することだ。

 ボクたちは第二次世界大戦というと、「いつ始まって」
「どこの国が」みたいな断片を切り取りたがるが、実際は
そうではなく、続いている時代の起伏に戦争があったと
考えることが大事なのだ。
 ということを、これらの本を通して理解したかも。

 現代の日本においても変わりはないと思う。
 時代は竜のようにうねりをともなって動いている。
 一つ一つの事件は単発で起こるものではなく、時代
のうねりが起こさせている面も大きいと思う。
 ボクたちはときに歴史を確認し、そして個別の事件
をとらえる方が物事の本質が見えてくるのではないかと思う。


2014年6月25日

笑う

 自分を笑うって必要だと思う。
 いつも自分が関わってる世界というものはだれにもある。
 仕事だったり、趣味の会だったり。
 それをときに外側から見ることは必要じゃないかな。

 あ、ちなみにボクはドイツが登場する映画は一切見ない。
 見ない、のではなく見ることができないのだ。
 中学生のころからドイツ軍の書籍を読みあさってきた。
 もちろんドイツ軍びいき。

 で、映画ときたら当初は勝っているがそのうち旗色が
悪くなり敗北。それが辛くて見ることができない。
 頭では「ドイツが負けたのは歴史の必然。我慢して
見よう」とは思うものの、ダメ。

 人間、ある傾向を与えられるとかたくなになってしまう
ということだ。
 「映画なんて娯楽の一つだろ。ゆとりをもって見れば
いいじゃないか」と思われるかもしれない。でもダメなんだ。

 なので中学生のころ読んでいた書籍も後半から後ろ
のところは読まない。もちろんドイツ軍の旗色が悪くなるから。
 なんていうかな、理論理屈じゃないんだろうね。
 ドイツ軍についてはすさまじく詳しいのに、映画は
一切見ることができない状態はいまだに続いている。

 だからボクの提案はもともと難しいものかもしれない。
 それでも。
 人はみな自分が大事にしているものがある。それは
良いのだが、それにより見方が固定されてしまうものだ。

 外側から見るということは、少し距離をとって観察
するということだ。
 その中にいては見えなかったものが見えてくると思う。


2014年6月24日

自分

 自分のことを知りたければ株の売買をやってみればいい。
 たちどころに分かる。ま、売買は大損する可能性もある
からね。それは承知しておくべきだ。

 ボクなどはある株を買う。そこからズルズル値を下げた
とする。どうするか。そのまま所有する。そしてまた
もっと下げる。あきらめて所有になる。

 株の本などを読むと「見込み違いはすぐに売ってしまえ」
と書いてあるが、ボクの本質はそうではないので、所有した
ままとなる。

 売買で大損したとき、自分はどのような行動に出るか。
 あれこれ空想するはずだ。だが、空想は空想でしかない。
 ボクは大損し、それを計算した晩、ぐっすり寝ることが
でき、自分でも驚いたものだ。
 まず損の計算ができるまでにかなりの時間があったのも
原因の一つかもしれない。

 結局、人はお金を中心に生きている。その一番大切な
お金が増えたり減ったりする。心臓がわしづかみにされ
身動きできなくさせてしまう。
 ただ、それも慣れていく。

 売買を始めてみると、いわゆる銘柄がどんどん増えてくる。
 「この会社が良いと思ったんだが、上がらない。こっちの
方が値上がりしそうだ」、が原因だ。それと複数、所有
しておけば、大きな損につながらないだろう、そして
心が動揺することを嫌うというのもある。

 頭の中で考えたことは、まずその通りにはならない。
 自分が大きなバクチにうって出る人間かどうか、売買
をやってみるとよく分かる。どたんばに追い詰められたとき
自分がどうなるか、知っておくことも大事な気がする。


2014年6月23日

 今年、九州に遊びに行ったときのことです。
 道の駅に寄ってみました。
 父親があれこれと野菜を買い、ボクはそれを持つか、
自分が欲しいものを探してついていきます。

 すると不機嫌そうな顔をしたおばさんが買い物カゴを
もって入ってきました。なにを思ったか、買い物カゴから
野菜を並べていきます。「あ、なーんだ。生産者の方かー」
なんて思いましたが、不思議な気もしましたね。

 「なぜ、この人はこんなに不機嫌な顔をしているんだろう」
とか「オレも客なんだから、いらっしゃいませ、とか
これもいかがですか、とか言ったらいいのに」なんて。
 結局、その野菜を買うのはボクかもしれないわけでしょう。

 こんなことはよくあります。
 飲食店で食事していると、出入りの業者さんがビール
やお酒を持ってこられます。

 「まいど」と店主にあいさつし置いて帰るのですが、
食事しているボクたちに向かって「こんちは」とか
「ここ、おいしいですよね」くらいあってもいいと思う。

 自分の仕事がなにか分かってらっしゃるというか、
それだけって気がします。

 ボクは内心「あなたのところの酒を飲んでるのは
わたしなんですよ」と思ってしまいます。
 「客の客は自分の客」くらいの感覚があってもいいの
ではないかと、思ってしまうのです。


2014年6月19日

本屋さん

 本屋さんってところはおもしろい。
 意外な楽しみ方がある。
 このごろ本屋さんには毎週、水曜、金曜、顔をのぞかせている。
 忙しい日でもこの巡回を欠かすことはないな。

 入って左側奥にはミリタリー、軍事ものの書物が並んでる。
 各国の往年の名機、戦記もの、いろいろ並んでる。

 そこにあったのだ。
 著者名を見ておかしいなと感じた。
 「この人って」。

 題名は「やりたくないことをやらずに、一生働き続ける
武器の育て方」だった。やりたくない、と一生働き続ける、
のところは少し小さな文字だった。
 経済関連のコーナーに設置しておくべき本がこんなところに
紛れ込んでいたのだ。理由はすぐに分かった。

 「武器の育て方」だ。
 しかし。武器の育て方でしょ。普通、兵器を育てるって
書き方するわけない。

 これはもちろん「強み」「資格、特技」の話しであって
兵器の話しではない。武器のところにだけ反応してここに
置いてしまっているのだ。

 「これ、売れるの」なんて思った。まるで場違いなところに
あるんだから、売れるわけがない。
 それがまた、よく目立つように、表紙が見えるように
設置され、その後ろにも何冊か置いてあった。しかし、
ここじゃ無理でしょ。

 実はこんな例は意外に多い。
 本屋さんのスタッフがなにをもとにして設置しているか
透けて見えてしまうわけだ。


2014年6月18日

取引

 株式売買は信用取引でもおこなうことができる。借金だ。
 今はもっと手軽になっているだろうが、以前は「日証金」
に申し込むと、資金の3倍まで取引することが可能になる。
 これを担保にもう一つ借金すれば、7倍まで可能。

 これはもう、聞いていたらFXのレバレッジそのものだ。
 日証金、だが、ここから借金すると3カ月後に反対売買
をしなければならない。あ、ちなみにボクは借金して売買
したことはない。

 これを脳裏に浮かべて想像してみた。
 3カ月後に売買をしなければならない。
 すると、「残りの一カ月は使いものにならない」ことが
すぐ分かる。「人間、追い詰められたときの決断にろくな
ものはない」ことが分かるからだ。

 よって期限は3カ月あるが使えるのは2カ月だ。
 長いような、短いような。
 一カ月過ぎた時点で、自分が考える方に結果が出て
いなければ「あかん、このまま地獄か」になるに決まってる。

 これは逆に儲けがあがった時点でも同じことが言える。
 10万円儲かった時点で「今、やめておけば10万円
とれる」と考えてしまう。あがる保証はないからだ。

 結局、借金してやる売買に良い結果が待っているとは
とても思えない。
 ボクがFXをやらないのもここに理由がある。
 レバレッジがきくということは、借金してやっているのと
同じだからだ。

 相場は自分が操縦しているわけではない。
 集合体が操縦しているのに借金してまでやろうと考える
こと自体間違っている。


2014年6月17日

バイク

 昨日、車を走らせていると、前を走るバイクのおばさん、
両足をだらんと外に出したまま走らせている。
 危ないなー、なんて思いながら見ていた。

 想像するに、おばさんはバイクでカーブを曲がるときなど、
「なんとなく両足でささえる」つもりなのかもしれない。
 しかし、そんなことが可能だろうか。

 バイクは軽くとも70キロくらいある。それが動いている。
 それを両足でささえて停めることなど、実際にはできない。
 これは原付きとかスーパーカブなどが原因なのかもしれない。

 一般にバイクというのは、「太ももで乗るもの」なのだ。
 ボクもバイクに乗っていたが、試しにバイクのハンドル
を動かしてみるといい。ほとんど動かない。
 車はハンドルで操作するが、バイクは太ももで操作するのだ。
 よって暴走族の乗車シーンのように、両足を広げて
乗るのはおかしい。

 バイクというのは、バイクと人間が一体化することなのだ。
 ボクはホンダのCBに乗っていた。このバイク、乗車姿勢
が椅子に座ってるような感じになる。
 すると、乗っていると身体が疲れてくる。

 そこにいくと前傾姿勢が取れるバイクの方が疲れは少ない
はずだ。
 よってバイクは飲みやすい薬のような形状が良いと
いうことになる。そこに突起物があってはならないのだ。

 バイクは当然のことに、外部からの衝撃に備える必要
がある。そのとき、両足をしまう(バイクに寄せる)分
だけ反応が遅くなる。これが危険なのだ。
 走ってるバイクを両足で停めることができるか。できる
わけがない。とても危険な行為だ。


2014年6月16日

なにを

 「なにを、ではなくだれが」が重要だ。
 仕事にははやりすたりがある。これをやったらいいのでは
ないか、もちろんそんなものもある。だが、なにを、ではなく
だれがやっているかが大きく問われている。

 これはいつの時代も変わらないと思う。
 ボクの父親は以前、鯛焼きを売ったら儲かるのではないかと
考え、大阪に仕入れ(鯛焼きの機械)に行ったそうだ。
 父親の友人がこの鯛焼きの機械で販売することになった。

 さて、この鯛焼き、飛ぶように売れた。
 鯛焼きはそのころ新しかったのだ。
 だが、目新しかった鯛焼きも、そろそろいろんな場所で
売られるようになり、スーパーの中でも気軽に買えるように
なる。この友人、もちろん今は鯛焼きなど売ってない。
 長続きはしなかった。
 長続きしている人となにが違うのだろう。

 考えてみたことはないだろうか。
 このごろ英会話の教室は大変な盛況だ。小学校にはネイティブ
の教員が配置され、英語熱は高まるばかりだ。

 それなのに、駅前留学の教室は破綻した。どんな運営の
仕方をすれば破綻するのか不思議に思うばかりだ。
 要は、はやってる仕事に取り組めばうまくいくのではなく、
自分自身にお客さんをひきつける力があるかどうかが
問われているわけだ。

 その上で、はやりの仕事に取り組めばますますうまくいく。
 いつの時代も新しい仕事はある。お金になりそうなものも。
 だけれども、どんなにうまい仕事に取り組んでも
うまくやれない人たちがいるのも確かなことだ。


2014年6月12日

運転

 車を運転するとき注意していることがあります。
 速度を控えめにするっていうのは、当たり前だけど大切
なことだと思う。

 それから、警察につかまって違反切符を切られるかどうか
をあまり気にしていません。罰金と点数の減点がありますが、
それも良い契機になるかなととらえています。

 国道で信号が黄色でもそのまま突っ切ります。後ろが
大型トラックだったりしたら危険ですから。
 横断歩道にさしかかったとき、こころもちアクセルから
足を離す。右折も左折も。

 車間距離はできるだけとる。
 以前は今の半分もなかったと思います。
 後ろに車間をとらない車がきたら先に行かせます。
 こちらが信号で停車しても直前まで停まらない車って
いますよね。そんな車も先に行かせます。

 先に行かせるのは簡単で、左の空白部分に停車させるか、
ウインカーをだして追い越しさせます。
 これだけでかなりゆとりのある運転ができます。

 車間距離をとらない車が後ろにくると「法規を守れよ」
みたいに気になって、がんばってしまう人も多いと思いますが、
危険なことですね。
 先に行かせるだけでかなり精神的に楽になります。

 高速でも国道でもですが、ほかの車を追い越してばかり
いる集団があります。この集団の中に入らないようにします。

 よくパッシングといって、「そこ曲がっていいよ」の
サインだと言われていますが、ボクの知り合いは「曲がるな」
のサインだったらしく、あわてたと言ってました。
 いろいろ気をつけたいところはありますが、はじめは
「教習所みたいだ」だった運転もごく自然にやれるように
なります。お互い注意したいものですね。


2014年6月11日

継続

 長らく株の売買をやっていますが、一度として中断した
ことはありません。いつもどこかの株を所有していました。
 これは問題もありますが、まずまず無難な投資をやって
きたということになります。

 あまり儲からず、あまり損もせず、が長続きした原因
だと思います。まず株やってる人は必ず、昨日の株価が
気になるものですが、ボクの場合、自分が所有する株の
株価を確認するのが一週間に一度程度です。
 売買の回数ですが、年間で3回から4回くらい。

 株をやらない人の想像だと、毎週のように売買してる
ように思われるかもしれませんが、ボクの場合、こんな
頻度です。
 株やってる人の一般的な形態は知りませんが、人の
投資は気になりません。

 株式の売買をするとき、かなり大事になってくるのは、
自分なりの投資の形を作っていくことです。

 始めてすぐには無理なのですが、投資を続けることに
より、「やはり自分にはこれが合ってるな」を見つけて
いきます。本来、株式の売買って「オレは機械しか売買
しない」とか、そうしたところまで決めてしまいます。

 かなり続けたら(売買を)、「上限はこの金額まで、
これだけ損をしたら撤退」など、決めてしまいますね。
 やはりボクの場合、自分なりの投資を続けてきたことが
長続きの秘訣かもしれません。

 株をやっていると聞くと、「全てのお金が株に」なって
いると思われるかもしれませんが、それもなく。
 株用のお金として待機させてるお金もあります。
 100%では張ってないわけです。
 クールといっていい態度かもしれませんが、株の売買に
クールはとても必要なものなんです。


2014年6月10日

参加

 高校で授業するととても楽しいですよ。
 前から3列目くらいまでの生徒たちは、授業をしっかり
聞き、テストの点数も高い。

 中ほどはどっちでもない生徒たちが座る。
 後ろ3列はまるで授業など聞いてないしテストの点数も悪い。
 「なーんだ、当たり前じゃないか」って思うかもしれない。

 確かに当たり前だが、厳しい現実でもある。
 よってテストの点数もグラデーションのようにきれいに
決まってしまうのである。

 ボク自身が高校生だったときも全く同じだった。
 わりと興味のある国語はしっかり聞き、赤点をもらう
数学などは聞き流していた。

 後ろに座る生徒の気持ちははっきりしてる。
 「前に座ると当たられて応えないといけなかったり、
一々先生がからんでくるからめんどくさい」。

 「おい池田、せっかくだから応えてみろ」とか言われ、
しどろもどろすると、「おいおい池田君、なにやっちゃって
るの。ここはさっき言っただろ」とか言われてめんどうなのだ。

 だが大人であるボクたちはこれを逆に利用しなければ
ならないはずだ。
 理解できない内容のものに当たったら、とりあえず
最前列に座ってみる、とにかく挙手してなんでもいいから
質問してみる、などを繰り返していると、理解も早い。

 そして、いくら考えても分からないのは、講演会など
ご自分でお金を払って参加したはずの会場で、一番
後ろに座る人たちだ。ボクも途中で抜けるときはここに
座るんだけどね。理解は悪い。

 もう一度、学校の授業風景を思い出してみよう。
 後ろに座る生徒たちの理解が不十分なのは、当たり前
だが理由があるってことを。


2014年6月 9日

知らない

 最近は、知らない土地には行かないようにしています。
 以前はそうではありませんでした。
 「いろんなものいっぱい見て、たくさん食べて」とか
思っていた。そして実践もした。

 でも、今になってみると少し違うのかなーって。
 これまでいろんなところを観光してきました。外国もたくさん。
 そこでは観光地に異質な文化、いろんな食べ物をいただき
ました。でもそれは本当の意味で、その場所なんでしょうか。

 遠くの場所に友達ができるとする。
 機会を見つけて訪問してみる。
 「あんな店、観光客しか行かないよ。こっちの店の方が
おいしくて楽しいよ」、そんな場所を案内され、食べる。

 観光地にしてもそうだ。
 「本当にすばらしい景色はここから見るのが最高なんだから」と
聞かされ、連れていかれる。
 その場所に初めて出かけたような錯覚にとらわれる。

 そのとき思う。
 「これまでオレはなにを見てきたんだろう」って。
 要は、場所って人が肝心なんだと思う。
 ただその場所に行けばいいわけじゃなく、掘り出し物
を紹介してくれる人がいてこそだ。

 だから最近、いわゆる観光地には行かない。
 友達や知り合いが紹介してくれる場所にのみ出かける。
 でもそれが一番の収穫につながっているんだよね。

 そのとき、その場所はこれまでのなじみだったような、
以前から知っていたような感じに襲われる。
 観光地を基準にするのではなく、人を基準にして動いて
みてはどうだろう。


2014年6月 6日

おさらい

 確か中学三年のときだったと思う。英語が苦手になっており、
一年のころの教科書で勉強してみた。意外にも簡単で、
驚いたものだ。

 なにかの本を読んでいて参考にしたはずだ。
 そこには「取り組んでも分かりにくいものは、とりあえず
初歩のテキストでおさらいしてみよう」と書いてあった。
 実は、初歩のテキストというものはバカにならないのである。

 なぜなら、小学生が読んでも分かる、中学生が読んでも
分かるように工夫してあるからだ。
 「簡便に仕上げる」、大人なら分かるが、子供には分からない。
 「かんべんにしあげる」でもダメだ。
 これを分かりやすく表現するのは意外に大変なことなのだ。
 言い回しの上手な人がいる。

 ボクもうまい方かな。
 「たいげんそうごしてしまうんですよー、こんなとき」、
それで相手が分からない顔になれば「つい大きなこと、
口走ってしまうんですよ」を付け加える。
 たいげんそうご、とは大言壮語のこと。

 言い回し、言い換えのうまい人はお互いの意志の疎通が
早い。
 初歩、初心者向けのテキストというのは、言い回し、
言い換えが多用されているのだ。
 あと分かりやすい表現に努めてある。

 初心者向けのテキストが作れる人は、その道の
スペシャリストである。
 説明というのは、難しい言葉を使って、さもスペシャリスト
かのような顔をすることではない。


2014年6月 5日

 よく株についてのことを書くので推奨してるように
思われてるかもしれないが、他人に薦める気はあまりない。
 株式投資は雑誌で書いてあるほど簡単ではない。

 また、数の論理に支配されている世界でもある。
 投資金額が100万円なら、大きな収益をあげても
120万とか130万円である。結果は投下資本に大きく
支配される。

 投資は弊害も大きい。
 ボク自身に起きたことだが、株で100万円儲かったとする。
 そのとき何が起こるか。

 「100万円も儲かったんだから、30万くらいは
パーッと使ってしまえ」になりがちなのだ。
 「もともとあぶくぜにだ。株なんてやってなかったら、
手にすることはなかったんだから」。こんな意識はごく当たり前
に起こる。

 儲かったときはまだいいが、損をしたときはどうだろう。
 おとなしくしていなければならない。

 だから株式での成績というのも、当初は一喜一憂していた
ものだが、続けていると損益について心の動揺がなくなってくる。
 儲かったり損したりするので、平均値を取れば一喜一憂
する理由がなくなってしまう。

 株の売買をやっていると、つくづく毎月いただけるお給料
のありがたさが実感できる。ある決まった金額の中で
生活していく。それはとても大切なことなんだ。

 大きく使うこともないが、少し辛抱すればまとまった
お買い物もできる。入ってくるお金に波があると、結局、
霧散してしまうものだ。
 ただそれもこれも、株で散財してみないと分からない
ものでもあるけどね。


2014年6月 4日

メール

 高校生のころから「気がつく人になれ」と再々、注意されて
きた。普通は両親からその手の話は聞かされるのだろうが、
ボクは中学生のころ、親に対しての返事は「別に」と
「どっちでもいい」しか口にしなくなっていた。

 高校からはよそさまのところでお世話になった。
 お世話になった先生と話すことは一カ月のうち二度か
三度くらい。ほぼ毎日のように出会うのだが会話は
あまりなかった。「気がつく人になれ」は、その少ない
会話のうちの一つだ。

 「カバンを持ってる人がいたらすぐに(お持ちしましょうか)、
気働きをしなければならない」、これは何度か聞いた。

 多分、だれにもあるとは思うが、ボクも「ここが悪い」
「ここを直せ」それに近いことを聞かされると、はぶてる
(方言、ふてくされるの意)ものだ。
 ボクもそうなのだが、リフレインっていうのか、これらの
言葉が頭の中を再度駆け巡ることがあり、注意するように
なるわけだ。

 そうした、気働きを続けていると、昨今のメールに
ついてもイライラすることが多い。
 こんな具合だ。「先日の件はどうなりましたか」
「ダメでした」「ではいつ実施すればいいですか」「聞いて
みます」。女子中学生の会話みたいになってくるのだ。

 これを読むたびに「先日の件は合意しておりません。ついては
再度、検討してみますが、池田さんの都合もあるでしょうから、
ベストな日を選んで報告してもらえますか」にしてもらえ
ないかなって、考えてしまうのだ。

 「来週の水曜日は難しいのですが、来週の金曜日、または
土曜日なら可能です」で済んでしまうはずだ。
 「気働き」というのは、「相手の時間をとらない」「テキパキ
と用件を伝える」「もちろんカバンを持ってあげる」も
あげられると思う。これは意識の問題である。


2014年6月 2日

ムカムカ

 先日、ムカムカする対応を取られた。
 お願いしてあったのだが、キャンセルされてしまっていた。
 「えーーっ、なんでこうなるわけー」。

 このことに関して具体的には書かない。
 ボクは自分がムカムカしたことを書かないと決めている。
 人にも話すことはない。
 それら全てを「自分のところで終わりにする」と決めている。

 先日も電話で「こちらでいいんですね」と確認すると、
そうですとの返事だったが、現地で違うことが判明した。
 気持ちの中では割り切れないものが残る。

 よくやるように「あんたなー、言ったことと違うじゃないか」、
文句の一つも口にしてやりたい。でもなー、それにて
気持ち良く終われたことなどないんだな。

 悪口と似ている。
 悪口って口にすると気持ち良くなると考える人も多いだろう。
 だが、悪口を言うと心がすっきりすると思うかもしれないが、
それは錯覚だろう。

 ボクは酒場で日ごろのうっぷんを晴らしたことがあるが、
翌日、ひどい二日酔いに見舞われたことがある。あまり酒
は飲んでないにも関わらず、だ。

 悪口、愚痴、他人に対する中傷、一瞬晴れ晴れとした
気分になると思うだろうが、やはり錯覚だと思う。
 だから「自分のところで終わらせる」と決めている。

 他人、お店についてなにか話すときは「良いときだけ」
にしておけばいい。ほめるときだけにするべきだ。
 愚痴、中傷はいくらその人が大きな傷を受けて辛いとは
理解できるが聞いていて気持ちの良いものではない。
 人間、愚痴と中傷は通過させないフィルターを備えておく
くらいでちょうどいい。