2014年5月30日

名刺

 先日、ある女性からこんなことを聞かされた。
 「わたしは池田さんから会社名もなにもない名刺を
もらった」と。
 以前、そんな名刺を作っていた。

 これはあることがきっかけだった。
 いろいろなところに電話するのだが、だれもが同じように
自分の名前の前に会社名を名乗る。
 携帯に電話してもそうだ。

 そして、無職の状態になった人の居心地の悪さも痛感
させられた。こちらが名刺を出すと「いや、わたしは
今、無職の状態でして」と。

 こんな場面を何度か見るうち、あることに気づいた。
 「中学生が中学校に通うように、高校生くらいの年齢の
人が高校に通うように」、だれもがどこかに所属していないと
さみしいっていうか、半人前の気分があることに。 

 どこか当たり前っていう感覚があり、そこから外れている、
そこに戻りたがっている、そんな空気を感じて仕方なかった。
 それに対してボクは「いやいや、会社はあなたの人生の
一部でしかないでしょう。人生全般にわたって仕事してる
わけじゃないし」って思ってしまうんだ。

 仕事はやめることがあっても、生きている限りは生きている。
 そういう意味での名刺って必要じゃないかなって。
 必ずしも仕事がその人を表すわけではないだろう。
 仕事の前にその人の生き方があるはずで。

 これらの考えと、まず自分が認められ、そして会社が
認められる、が順番としてあるはずで。で、名刺に会社名
を入れない時期があった。そろそろそんな時期も過ぎたかなと
感じたころ、また会社名を入れる現在の形になったわけだ。


2014年5月29日

アナウンス

 今、アナウンスがあつい。いつも乗る列車のホームに行くと
「黄色い線の内側までお下がりください」から始まって
まだまだ続く。列車に乗ると「開閉するドアにもたれると
戸袋にはさまれる恐れがあります。ご注意ください」。だもの。

 最終列車に乗ると「今日もJR西日本をご利用ください
ましてありがとうございます。お忘れもののないようお気を
つけください」だ。だが、お笑いなのはこれらアナウンス、
だれも聞いていない点。ただの雑音に過ぎない。

 現代の世の中で「戸袋」なんて言われてどれだけの
人が理解できるのだろう。「とぶくろ」って言われても
なんのことだか。

 エスカレーターもあつい。「白い線の内側にご乗車ください
ますよう、また小さなお子様をお連れのお客様はしっかりと
手をにぎって」だが、これを聞いて行動に移す人など
どれほどいるだろう。BGMになってしまってる。

 さて、これと関連しているかどうか、ボクは車を運転する
のだが、わりとイライラして運転することも多い。
 割り込みなどされると「オマエなー。忙しいのはオマエ
だけじゃないんだ」ってイライラして仕方ない。

 で、あまりにもイライラするので、これらのことの
原因を考えてみた。するとどうやら浮かび上がってきた
ものは。
 どうやらボクは平等意識が高いようだ。

 「こいつとオレとは同じような存在」がどっかりと
横たわっている。だからここにある要素を入れてやると
様相は変わってくる。外国人だ。アメリカ人が日本で運転
するとき、車のナンバーは「Y」なのだが、これを見ると
「あれっ、外国人かー。親切にしとくか」みたいになるのだ。
 平等意識が崩れるからだろう。

 ま、いずれにせよ、自分の身はアナウンスが守ってくれる
わけではない、周囲をよく観察して身を守るしかない。
 やっぱ自覚だよね。アナウンスと平等意識、なんとなく
共通してる気がするんだけどね。

2014年5月27日

コピー

 二年くらい前のことです。ご案内をいただいたのですが、
日付のところを見るとなにか変です。
 なにがおかしいのかよく見ると、年月日はいいのですが、
曜日が違ってました。それがなにを意味するのかしばらく
分からず。しばらくして「ああっ」と。

 前年度のご案内を取り出して日付のみ変更したわけです。
 「なんかこれ、やってしまいそうだよなー」、戒める
ことにしました。

 ボクたちの抱える行事は、極端に言えば前年度の文書を
取り出して年月日だけ変更すれば使える。使えるけれども、
「果たしてそれでいいのか」、考えることはとても重要だと
思います。

 まず頭の中をきれいにし、改めてご案内を書いてみる。
 すると、おかしなことですが「ここはこっちの言葉の
方がいいな」、みたいなことが必ず見つかります。

 前年度のご案内に、今年加わった行事を書き加える、
今年、やらない行事は削除する、これを続けることが
行事そのものを陳腐なものにさせてしまうのです。
 おかしなことに、ご案内の冒頭が「早春のころ」
となっているのに、季節は既に初夏だったり。

 そもそもですね、ご案内を用意するのに「去年、
使ったものがあるから、それを使えばすぐに仕上がる」、
この考えが間違っているのです。それは、去年からなにも
変わっていないことを表しています。呼ばれる人は
なにも変わらない行事に参加を要請されていることに
なります。
 何事も、頭をまっさらにして取り組んでみることを
お薦めします。


2014年5月26日

お試し

 このごろ、市が主催する催しに参加することが多い。
 無料のこともあるし、参加費が必要であってもとても
安い金額だ。
 こういうのを「せっかくの良い機会」という。

 ただ問題もある。
 お昼の時間帯が多いのだが、40分だけ、とかはじめの
うちの1時間の参加になってしまう。

 これまでいろんなことをやってきた。
 フリーズドライの造花とか。
 ギターの演奏の会。
 自分にあった香りの作り方もあった。

 これらはそれに関心があったわけではなく、その時間
が空いてたからだ。

 人間にとって興味、関心なんてものは、よそから入って
きた情報のことが多い。テレビでやってた、ラジオで聞いた、
お友達に誘われてやってみた、がほとんどなはずだ。
 試しにやってみると意外に楽しかったり、興味を持ったり
する。

 良いきっかけにはなるはずだ。
 ボクはよく「オレにはこれはできない」と断言する人とも
出会う。多分、その方は自分の中にイメージするものが
あり、それ以外を排除しているに違いない。

 なんでもやってみればいいと思う。
 音楽もなんでも聞いてみる。
 「自分ってこんなやつだ」を打ち破ることにもつながる
はず。それってとてもすばらしいと思う。


2014年5月23日

一番

 ボクは会合とか交流会に参加するときはいつも一番に
到着するようにしています。

 以前、よく食事会をやっていたのですが、ボクは仕事の
都合で(自分が企画したにも関わらず)、一時間ばかり
遅れて合流していました。

 遅れるのは参加者みんなが了解していることなので、
なんともないのですが、やはり酒席でしょう、みんな
ある程度できあがっているわけです。

 「ワハハハハ」とか「ウハハハハハ」など、酒席
ならではの空気が充満しています。そこに分け入っていこう
とするのですが、意外に難しいものです。

 メンバーは知った者ばかりですので、こうした酒席は
そのうち合流できますが、知らない人たちがいる場に
入っていくのは大変です。
 これらのことをなんとも思わない人もいるようですが。

 会合に一番に出席すると、デスクに座っていて部屋に
入ってこられた人、一人一人にごあいさつする形になります。
 入ってこられた順番ですね。
 これが落ち着くんですね。

 「場の空気になじむのに時間がかかる」って人はぜひ
頭に入れておいてはいかがでしょうか。
 一番に行くと時間のムダだと思われるかもしれませんが、
参加者それぞれといろんな話ができるので、決して
ムダではないと思います。


2014年5月21日

出社

 毎朝、職場には朝5時半には出社します。
 自宅からここまで車で5分ほどです。
 そして、片付ける必要のあることを7時くらいまでに
終わらせます。自宅で済ませるべき朝食、トイレ、などは
職場でやっています。(だれもいないので)。

 ボクのようなお仕事をやっている者は、極端にいえば
お昼出社で大丈夫ですし、周囲の人たちみんなから
「池田さんってお昼まで寝てるんでしょ。うらやましいわー」
って言われてしまうのです。が、ボクに限ってはそれは
ないですね。

 30歳のころ、二つの職場に勤めていたのが一つになりま
した。とてもすがすがしい気分で、朝は7時半に起床、
NHKの連続ドラマなどを見てゆっくりと職場に向かって
いました。

 一年くらいそんなゆとりのある生活を続けていたのですが、
ある日、どことなく恐怖感のような、ザワザワとした
感覚に襲われました。「もともと自分は自営なのに、
社会人になってすぐ恐怖にかられて(収入が途絶える)
悪夢を見ていたのに。こんなことでいいのか」って、
考えました。

 それから早朝出社をはじめ、今に至っています。
 用事の大半は7時くらいに終わります。
 計算してみると、30歳から今まで、自宅で過ごす時間は
7時間くらいしかありません。

 「たくさん働けばいい」って主張したいわけじゃなく、
人間、「どんな環境に置かれても生きていける」方が
いいのではないかと考えています。
 やはり人間、生きていればなにがあるか分かりません。
 今の環境もずっと続くかどうかは分からないのです。


2014年5月20日

文通

 ボクは文通をしていた。あのころペンフレンドって言ったっけ。
 ま、周りからそそのかされただけなんだけどね。

 現在ではまずネットだろう。考えてみれば、文通とネット
って宇宙と地べたくらいの違いがある。

 中学生になってすぐ、「中一コース」だっけ、それと
「中一時代」っていう、雑誌があった。これを年間購読すると
付録がもらえ、それを目当てに申し込んだ。

 どちらを購読していたのか忘れてしまったが、後ろのところに
「文通コーナー」なるものがあり、写真を見て、「この人だ」と
思い、手紙を出した。

 今から考えると、写真っていっても、行方不明者捜索の
写真、みたいだった。白黒で、おまけに荒い印刷で。

 手紙を出してみると、ほどなく返事が届き、ボクはとても
うれしくなった。ただ開封すると「わたしのー、同じ
クラスの女の子が、文通したいってことなの。よろしく」
などと書かれており、なぜかボクはその子と文通を開始
することに。

 何度か手紙をやり取りするうち、「あなたの写真を
送ってください」なんて書かれていた。ボクもあのころは
なにも考えなかったから。今ならジャニーズかなにかの
写真を送るけどね。自分の写真を送った。

 それっきりだった。
 「おいおい、そっちかよ」。
 ボクの文通体験はあえなくここで終了。
 君はさ、アイドル事務所に常駐した方がいいよ、うん。


2014年5月16日

途中

 かなり前、高校で勤めていたころの話です。
 同じ場所に付属の短大があり、そこの学長先生にお話しを
聞きに行きました。そのころボクは周囲の先生に「いろいろな
人の話を聞いてみたいから、だれか紹介してください」と
お願いしていたのです。

 その学長先生とお話しさせていただきましたが、一つだけ
強く印象に残っているものがあります。

 学長先生は「わたしはね、講演会やお話しを頼まれることが
多いんです。そこでお話しさせていただきますが、話の
途中で(先生、わたしが知るところでは)とか(わたしの
経験ではそんなことはありませんでした)など、割って
入ってくる方がおられるんです。そんなことが続き、
それからは(とりあえずわたしの話が終わってから、
意見や反論をお伺いしますから)と、話が始まる前に
宣言してから始めることにしました」。

 この話を覚えているのは、やはり今の社会、話を途中で
さえぎる、話の主導を奪ってしまう、などがたびたび
発生しているからでしょう。

 ボクの場合、それが間違った情報でも否定することは
ありません。「イタリアはこんな国だった」と聞かされ、
おかしいなと思っても否定はしません。

 ボクたちの次元での会話なんて、間違っていても
だれにも損害が発生しません。そのおかげでしょうか、
ボクは話した相手から「今日はたくさん話しましたね」と
言われることが多い。ボクは内心「あなたがね」と。

 「その話はオレの方が詳しい」「オレはその国には何度も
行った」、それは事実かもしれませんが、楽しい会話には
ならないものです。相手が話している間は、途中で
さえぎることなく話すことが大事だと思います。


2014年5月15日

自販機

 かなり前のことだ。家の近くの自販機でジュースを買った。
 いつものようにお金を入れ、「ガココ」と音がして
ジュースが落ちてくる。

 そのときまで、異変に全く気づかなかった。
 いざ、ジュースを取り出そうとすると、あの金属の板
のようなものが、全く動かない。「あーーーっ、しまったー。
詰まってでない」。

 きっと最初に買った人は3本か4本、続けざまにお金を
入れたに違いない。そして、いざ取り出そうとする段になり、
金属の板が邪魔をして取り出せなくなったのだろう。

 そこにまた何人かが同じことをしでかし、ボクもそれに
続いたわけだ。トホホ。
 「どうすんのよ、これ」。
 ボクも内心「こりゃーあきらめるしかないわ」と、
考え、自販機に背を向けた。

 しかし、そのときあることがひらめいた。
 「ひょっとして、ひょっとするかも」。
 逆転の発想だ。

 取り出し口に手を入れ、ジュースを押してみる。すると
驚いたことに、落ちてきた方向にはこのジュース、
動かせるのだ。そこで一本、また一本と落ちてきたところに
押し上げていく。すると取り出し口に空間ができ、とうとう、
あの金属の板はフリーになった。

 そこで一本ずつ取り出していくと、計10本近くの
ジュースが取り出せた。
 これを思いつくのは簡単そうで案外と難しいのでは
ないかと思う。聞かされてみればだれしもそう思うはず
だけどね。

2014年5月14日

 つい昨日のことだ。知り合いの方からメールにて
「これじゃ首になります」と書かれていた。そこで返信した。
 「首ってレイオフのことだって分かる人、少ないんじゃ
ないですか」。相手はとても驚いておられた。
 ま、首は分かるか。

 それならオープンデッキはどうだろう。分かる人は少ない
だろう。情報が明らかにされたデッキのことじゃないよ。
 レコードはさすがに分かるか。

 死語もたくさんあるね。
 「KY」は既に、なんの意味か分からないだろう。雑誌
にはたまに使われているね。

 「キモい」も死語だ。「気持ち悪い」の略なのかな。
 しかしラジオなどでもごく当たり前な感じで「シカト
されましてねー」、なんて言われると驚く。
 「えっ、シカト」。無視のことだよね。

 これに方言が加わる。
 ボクは京都の高校に行ったが、「たわんけーのー」と
発言して、意味が分かってもらえなかった。当たり前か。

 「たわん」というのは、「たう」とも言うが、
「達する、達してない」のこと。京都で通じるはずがない。
 「エライのー」もある。こっちは関東で通じない。
 関東の人はこれを「偉い」だと思うらしい。だよね。

 これは方言で「疲れた」の意味。
 「しんどいのー」は通じるだろう。
 それでも、時代を経ても残る言葉があると聞く。
 人々の気持ちにうまく対応した言葉が残るに違いない。


2014年5月13日

商売

 先日、ある方とお話しさせていただいたのだが、こんな話
になった。
 「あの人、商売、下手よねー。あれくらいサービスすれば
いいのに」。

 商売するにあたって大事なのは「わたしにだけなにかしら
良いサービスを受けることができた」、特別な気持ちを
与えられるかどうかだろう。

 先日、あるお店を利用したのだが、そこの女主人から
「これはサービスしますね、召し上がってみてください」と
一品、料理を出していただけた。

 その背景は分からない。
 余ったものかもしれないし、試作品かもしれない。
 ただ、それを効果的に利用しているとは言える。

 うちも商売をやっているが、商売をやっていると
必ず、「うちにあっても利用価値のないもの」みたいな
ものがある。
 コピー機もあれば印刷機械もある。

 知り合いがパンフレットでも作りたいのであれば、
うちの機械でやれるものなら作ってしまう。
 紙もたくさん購入するから、100枚くらいであれば
お金などいらない。「あげるよ」であげちゃう。

 ボクは引っ越しの手伝いもよくさせていただくが、これ
だって体力さえあれば余ったもの、とも言える。

 要するに、商売というのは常に周囲の人にとり
どれだけお役に立てるか、だと思う。

 その人になくて、こちらにはあるもの。時間かもしれないし、
体力かもしれない。印刷機械やコピー機かもしれない。
 商売をやっていると、必ずこうした余るものが出てくる。
 それを気前よく、周囲の人にあげることで、また自分
に戻ってくるかもしれない。まずは商売も会社もそこを
出発点に考えたい。


2014年5月12日

天使

 レンタルで借りて「天使の分け前」っていう映画を見た。
 エディンバラとか出てくるからイギリスの映画なはずだ。

 天使の分け前というのはワインをタルで寝かせていると
年間で2%、なくなってしまうそうだが、そのこと。
 初め、ダラダラとして「つまんない」と思うが、ワイン
と出会うころからおもしろくなってくる。

 主人公はそれぞれ犯罪を犯した少年たちで、地域清掃活動
をやらねばならなくなった者たちだ。
 設定として現実にはありえないものだが、「こんなことは
ある」と思わせる内容だ。青少年のころ「大人はずるい」と
思ったことのある人もいるはずだが、それを狡猾に利用した
内容となっている。

 世に犯罪はたくさんあるが、それらは希望、お金がない
ことが大きく関係している。(この映画を見ると再度、
そんな気がしてくる)。
 「どこにも逃げ場がない」のだが、狡猾な大人は脱出方法
を知っているものだ。

 この映画の主人公は狡猾な方法でこれからの生活を取り
戻していく。しかし、それが荒唐無稽ではないところが、この
映画のすばらしいところか。

 この計画を企てた四人のうち三人は、残念ながら手にした
お金をギャンブルその他で霧散してしまうに違いない。
 そんな終わり方だった。

 結果、なんだな。お金を手にして方向性を替えるやつと
同じ失敗を繰り返すやつ、根本的にはなにも分かってない
やつがいるってことか。
 イギリスの映画は初めエンジンがなかなかかからないの
だが、それを越えるとがぜんおもしろくなってくる。


2014年5月 8日

営業

 先日「池田さんはなに考えて会社、やってんだ」って話に
なった。うちは小さいからあまり難しいことは考えて
ないけどね。

 ただ、ボクは以前から会社(小さくても)というものは、
営業、総務、経理、広報、製造、といろいろな分野があり、その
どれかがずば抜けていればとりあえずつぶれたり、破綻
することはないと考えてやってきた。

 営業なら営業を磨いて、大きくしていければいいという
イメージだ。逆に「全てを満点に近い状態に」なんて
さらさら、考えたことがない。
 人間、なんでもできるなんて人はいないだろうし、
結局、特色のない人間になってしまうと考えてきた。

 あまりに満点に近い人間がいれば、その人間が病気で
入院などすれば会社そのものが破綻してしまいかねない。
 製造なら製造だけばっちりであれば、「うちは営業が
しっかりしてるから、熱心に製造していけばいい」と
感謝の気持ちも生まれるはずだ。

 そこでボクの場合は営業と広報をできるだけ頑張り、
その分野で突出していければいいなーって考えてきた。
 そもそものボクは他人の前でなにかを話すことは
苦手だが、こんな面もある。「オレは話すのが苦手
だが、だからどこまでやれるのかおもしろい」。

 会社にはスーパーマンなんて必要ない。もしスーパーマン
がいたら周りがそれに頼るだろうし、成長もない。
 人間、「あの人にこれをやらせたらすごいんだけど、
ほかはさっぱりだなー」くらいの方が好感を持たれる。

 というわけで、あくまで目標だが、営業と広報を
できるだけ頑張ってやってきたつもりだ。
 ただ好き嫌いで選んではいないかな。
 自分がどのタイプか考えてみてその分野を伸ばして
いくことは大事だと思う。


2014年5月 7日

追い越す

 ボクは暗算段位9段だ。その話をさせていただくと、よく
「計算が早いんですね」と聞かされる。そうかもしれない。
 ただ自身の中に違和感もある。

 あれ、計算じゃないと思う。
 一般に計算といえば「7に9をたして、8をかけたら128」
みたいなものではないだろうか。それであれば珠算3級か2級
の計算はそれに当てはまる。ただし、暗算9段というのは
計算じゃなく、スポーツか集積回路、ICチップみたいなものだ。

 演算処理に近い。
 ICチップは人間が作ったものだが、しょせん人間に近い
ものであって、人間を越えることはできない。それは、人間
が作ったものだからだ。
 暗算9段くらいになるとそれがよく分かる。

 パソコンは1か0しか存在しないと読んだことがある。
 暗算9段も全くそれと同様である。ここのところが演算処理、
ICチップだと感じるところだ。

 823たす739であれば、頭の中では1562が出てくる
わけではない。電球が横に点灯している様子を想像されるといい。
 横に一個、一個、二個、二個、電球が点灯しているわけだ。
 これを見て頭の中で1562に変換してやるわけだ。

 電球が点灯している部分が1562で、あとは真っ暗に
してしまう。点灯しているところがパソコンでいえば1で、
真っ暗にしたところが0というわけだ。

 だから823たす739も実際には瞬時ではあるが、変換
して行っている。こんな世界は計算とはとても言えない。
 ICチップは人間が開発したものだが、しょせん人間を
追い越すことはできない。それは人間が作ったものだからだ。

 ICチップは与えられた計算はうまくこなす。
 だが条件を替えることはできない。条件を替えることの
できるのは人間だけである。そもそもの計算式を疑うことの
できるのは人間だけだ。人間を越えるICチップなど存在
するはずがないし、作ることは無理だ。


2014年5月 2日

嫌なこと

 先日からたまたま同じ話題に展開していったものがある。
 「その人が嫌がるアドバイスこそが一番意味があるの
だが、それこそがなされない」だった。だよなー。

 「そいつがもっとこうしたら、それはやはり大切な
ことだと思うんだけど。つい、どうでもいいことばかり
話してしまう」、これが現実だろうね。

 知り合いから聞かされたことだが、「息子が嫌がることって
結局、親しか話してやれないんだよね」。
 「オマエのここが悪い」 
 「その性格、なんとかならないのか」。

 その人の耳に痛い話はだれもしないもの。それを話して
聞かせてやれるのは、親かとても親切な周囲の人間
くらいなものだ。

 「本当の友人だったら、そいつが聞きたくない話を
言うものだ」。これは確かにある。
 それらのほとんどを口にしないボクは、一体どういう
人間なのか。結局、当たり障りのない発言に終始
しているだけなのかもしれない。

 心の中には「なにか嫌なことを言って、そいつの
機嫌をそこねたら、そいつが嫌がることを話して
オレになんの得があるわけ」がある。

 これらがほとんどだから、そいつにとって一番必要な
発言は、結局、そいつの耳に届かない。
 その周辺をうろうろした話に終始してしまう。

 ここはさ、「わたくしは耳に痛い話を受け入れます。
決して嫌な顔をしません」って、雰囲気を周囲に発散し
続けるしかないと思うよ。大人って「分かった話が
できないもの」だからさ。「あー、あいつにはなに言って
も大丈夫なんだ」って、空気を出すことが大事だと思う。


2014年5月 1日

ずるい

 よく「池田さんってずるい」って言われる。いやほんと。
 それはさ失言がほとんどなくて言葉による失敗が少ない
んだって。ありゃりゃ、良いことなんじゃないの。

 アッハッハ。それはね理由があるんだよ。
 うちは父親からしてそうなんだけど、やっぱり島根県の
人間だから「もともとあまりしゃべらない」。

 それから言葉によるつまづきを指摘されてきた。
 確かにそうだ。「だからあんたはダメなんだ」なんて
一度口から飛び出るともう戻ってこないからね。

 母親によると(こっちも島根県)「こっちの人(瀬戸内
気候)はポンポン言葉にする人が多い。それだけ陽性
なんだろうけど」になる。
 ボクは母親の話を聞いてとても新鮮だった。

 ボク自身は瀬戸内の人間だから「もしかして自分は
瀬戸内気質で陽性だ」なんて考えたことも脳裏をかすめた
こともない。
 ただ、島根県と対比させればくっきりと見えてきたの
かもしれない。

 ボクは子供のころからよくよく考えてから話すタイプ
だった。周囲の人たちからは「池田君、なに言おう、
なに言おう、と考え過ぎなんじゃないの」と言われて
いたものだ。そんなところはある。
 それは悪い面、良い面、両方あったと考えている。

 こっちの人は明けっ広げで言葉が軽すぎる、ことになる。
 ただ言葉というものは決定的なことは決して口にしない
ことだ。「折れそうになる」と「折れてしまう」は
似てるけど違うからね。