2014年4月30日

旅行

 以前はよく旅行に出かけていた。お盆、お正月は海外に。
 費用がバカにならなくて一回で30万円、40万円と
かかっていた。まだこの金額は原価みたいなもので、
お土産代、食費、飲み代などが加算されて大変なことになる。

 ところが、このごろ旅行に興味がない。
 親に車がないのでプチ(死語)旅行に出かけることが
あるが、それくらいかな。

 なぜ旅行に興味を失ってしまったのか。
 まだあのころは旅行によりなにかが変わると考えていた。
 自分の価値観だったり、モノの見方、考え方が。

 変わる点も確かにあるが、興味は別なところに移っていった。
 海外旅行でイタリア、スペイン、グアム(つながりが
分からない)など、ほかにも行ったが、そこで目にする
観光地が自分が欲していたものだったのかどうか。
 無理やり満足していると言い聞かせていたような気もする。

 では今はどうなのか。
 人に会いに出かけていると思う。
 いろんな人がいろんな場所にいて、それだけで旅行気分
でおなかいっぱいになる。

 話しているといつしか自分自身が見えてくる。
 以前は旅行に出て、自分が見えてくるかもと考えて
いたが、観光地でそんな気分にはならないな。
 それに観光地ってテレビで見たことの確認みたいな
ところも大きい。

 ただ、だれもが旅行をとりやめ、人に会いに出かける
べきかどうかは分からない。分からないから、とりあえず
旅行でも交流会でも参加してみるしかないのかも。
 「自分はこういう生き物だ」、決めつけなければ
なにか見えてくるんじゃないかな。


2014年4月25日

新聞

 ボクは小学生新聞を読んでいた。そのころ、特にそのことに
ついてなんの感慨もなかった。
 先日、山本さんと話していると、小学生新聞を読んでる
お宅はとても少なかったと聞いて、少し驚いた。
 うちはその少ない一軒だったわけだ。

 小学5年の真ん中くらいから読み始め、6年生いっぱい
読んでいた。当初はマンガのところばかり読んでいたが
しまいのころには紙面全てに目を通すまでになっていた。

 うちは裕福ではなく、またそのころ買い入れた住宅の
土地、家屋の借金に追われており、余裕などなかった。
 そこに支払いの一つに割り込ませたことになる。
 母親の発案だったが、なかなかのものである。

 子供になにを持たせるか。
 悩むところだろうが、「しっかり考える力」を持たせる
ことはとても意味がある。

 小学生新聞というのはなじみが薄いので内容まできちんと
知っている人は少ないはずだ。政治とか時事問題などは
一切触れられていない。

 科学関連の記事が多く、実験記録などもある。
 今となっては記事の中身を覚えていないのだが、
「捜査班のタケル君」「ガイド役のアケミちゃん」
ずっこけ役の「ワタル」などが配されていて、読みやすく
作られ、次号が待ち遠しく作られている。
 週に3回届く。
 小学生新聞は大人が読む新聞とは区別してとらえた方が
いいものだ。


2014年4月24日

ネット

 ゆうべ何人かでお話しさせていただいたのだが、終わりごろ
ネット管理の話になった。
 「だれに訪問してもらうか」
 「意図するところはなにか」
 「なにを目指しているのか」。

 ネットにおける自社の紹介、新しい行事のお披露目、ほかにも
たくさんの要素がある。うまく活用すれば十分に自分たちの
補佐役を果たしてくれるツールになる。
 ときには補佐役以上になってくれることも。

 で、だれがその役目を果たすかとなったとき、往々にして
「ネットに明るい人」が選ばれる傾向が強い。
 ボクはここがおかしいと考えている。
 「ネットを使って遊ぶ」というか、そんな感覚が求められると
考えている。

 現在、他人や友人のお宅を現実に訪問することは少なく
なっている。それよりネットで訪問しているのが現実だ。
 訪問してもらった人をどのように歓待するか、が
問われている。
 ここで冷たくしてしまうと次につながっていかない。

 ボクがまじめなネット管理ができないのと同様、
「ネットで遊べ」と言われても難しい人がいるのは当然のこと。

 ネットのうまい活用は意外に日ごろの生活態度、これまで
どんな環境で過ごしてきたかの総集編なところがある。
 ガチガチにまじめな人はネット管理に向いてない。
 そしてネットの世界は現実に人を動かすツールであることを
しっかりと念頭に入れておきたい。


2014年4月23日

自分

 自分の存在っておもしろいと思うんだなー。
 こんなことがあります。

 読書推奨欄を切り取って車に乗せておくのですが、乗せた
まま座席の下などに隠れてしまうことがある。それを
数カ月後に見たとき、自分がどの本が欲しかったか、
間違えることがないのです。

 「あー、これこれ」といった具合。
 それって自分の傾向なわけだ。おもしろいと思う。
 ボクが本を読むのは仕事につながるわけではないので、
それを読んでみたいかどうかだけが動機となる。それが
時間が経っても変わらない。

 テレビの番組にしてもそう。
 録画するのは土日が多いが、番組表を見てどれを見るか決める。

 ちょっとその傾向を書いてみると、「不思議なこと」
「海外」「警察、ポリスもの」、番組名で書いてみると
「なにこれ珍百景」「海外、行ってみたらホントはこんな国」
「世界の果てまで行ってQ」。「なんでも鑑定団」などかな。
 これらから派生したような番組も録画しているはずだ。

 不思議なこと、というのは深海から奇妙な生物が釣れた、
などは絶対に興味を持つ展開だ。

 ただ、なにが自分の興味、関心を決定しているのかは
分からない。不思議なことは子供のころからそれに関する
本を読んでいたから、関係しているはずだ。

 関心のあるものを見たり、読んだりするわけで、それは
強化されてるはずだ。詳しくもなるしね。
 よって、テレビの番組名、本の題名などが、ボクを
決定しているのだと考えられる。ボクはその中に住んでいるのだ。
 それこそがボクだと言える。


2014年4月22日

悪い

 これまで何度かこんな話を聞かされてきた。
 ボクのところがなにかの仕事を発注、そこから人が
やってきて仕事をこなしてくれる。

 で、これまで何人かが「わしゃー頭がわるうて(悪くて)、
学校行くんが嫌じゃったけーのー」などと聞かせてくれるのだ。
 ボクはこの人はいきなりなんの話を始めるのかと驚いてしまう。
 ただ、しばらくしてボクが教育関係の仕事をしているからに
違いないと納得するようになった。

 それにしても、この人とはこれまで一度も話をしたこともない。
 頭が悪くてもきちんと仕事をこなし、毎日を生きているに
違いない。自分で自分をおとしめる必要はないものだと
考えてしまう。

 ボクはつい「この男性はこれまでいつもいつも自分
のことをけなして生きてきたのかな」なんて考えてしまう。
 そういう気分が自然に身についてしまったのかもしれない。
 これは良い結果をもたらさないと思う。

 なんでも物事というのは「これはできない」「無理だ」と
とらえてしまうと不思議にも失敗してしまう。実力の
6割ぐらいしか発揮できないものだ。

 ボクも頭が悪いと自認しているが、ボクの場合、向いて
いないものもあれば向いているものもある。そこの区別
がはっきりしているはずだ。

 人間、なんでもかんでもできるはずがなく、うまくやれる
ことが結果、うまくやれるに過ぎない。要するに、どこを
とらえるか、だけなのだ。

 短所はあまり見ないで、長所をきちんと見る。
 長所を見つけたらますます努力し、人より秀でる
ように頑張る。そうしたら、つまらない卑下はやらなく
なるはずだ。
 そうした意味においてもなにか一つ自信が持てることを
習得することはとても大きな意味がある。


2014年4月21日

左利き

 おもしろく、興味深い本を見つけた。
 「左利きの人々」。
 何年か前に出版されたもののようだ。著者は当然、左利きだ。

 読んだ分かることは、左利きの人たちはボクたち右利き
の人間とは違う世界に暮らしてるということだ。
 それは鏡に写った自分と自分が対面、対話しているような
ものかもしれない。

 左利きによる困ったことは事例をあげていけばキリがない。
 驚くのは「やかん」「コーヒーカップ」「パソコン」など、
どう考えても左も右も関係なさそうなものまで、きっちり
右利き有利に作られているということだ。

 やかんは注ぎ口が右利き有利に、コーヒーカップは取っ手
を持つと絵柄が見えない、パソコンはマウス、エンターキー
など右利きのために作られていると書かれている。

 知らず知らず、この世は右利きのために作られ、それは
あまりにも当然過ぎてボクたち右利きにはその存在すら
見えていないというわけだ。

 次は驚くべき解明の一つだと思う。
 「左利きの人は道案内されてもよく逆に行ってしまう」。
 「そこを右に曲がって、と言われるとつい左に曲がって
しまう」そうだが、その理由として「左利きの人はギターを
覚えるとき、など教科書に書かれてあることを左利き用に逆に
読んで習得する癖がある。そこからきているのではないだろうか」だ。
 これは驚くべき記述だ。

 右利きには理解できないが、聞かされてみるとありうると
思えてしまう。
 この本を読んで分かることは「左利きの人はまず使うもので
苦労し、右利きのために作られた世界を自分なりにアレンジ
することに苦労」させられるわけだ。
 「右と言われたら左」は、我がままな人を意味している言葉
だが、左利きの人にとってそれは当たり前に起こるハプニング
なのかもしれない。

2014年4月18日

ネット

 今の世の中はとてつもなく便利になりました。
 言うまでもなくネットのおかげです。

 宿泊したいホテルや旅館がある、問い合わせをし、予約を
入れる。ネットならでは、割り引きした金額が提示される
こともある。
 ボクは人から「ここに行ってきたよ」と聞かされると、ネット
で調べてみる。機会があれば出かけるかもしれない。

 ネットはほかにもさまざまな利用がされ、便利なものだ。
 ただ便利なのは間違いないが、だからこそ陥る場所も
あるように思える。

 グーグルや質問箱など設定に対し返答いただける場所が
無数にある。この中に百科事典がそのまま収蔵されて
いると聞けば驚いてしまう。

 ただ、だからこそやっかいな世の中になったと思う。
 ボクたちが知っておくべき範囲が無限に広がったような
ものだという気がしてならない。

 ボクが子供のころ、教室には「なんとか博士」というのが
群れていた。「虫のことならあいつ」「車のことならあいつ」
などと専門があり、彼らは子供専門家を気取ることができた。
 中身は軽いものだった。それでも小学生の中ではヒーロー
に近い扱いを受ける。

 今、あれは無理だろう。
 「ちょっと待ってよ、ネットで調べるから」でかたが
ついてしまう。

 で、次になにがやってくるかといえば、周囲にすごい
と言わせるためには「ネットで調べられる外側」にしか
ないことになる。ネットで調べられることには意味が
なくなってしまったとも言える。

 今は周知の範囲がとてつもなく広がり、それぞれ個人の
居場所が少なくなってしまった。これからはネットで
調べられないことが意味を持つようになる。


2014年4月17日

 友人からトイレの掃除に「布でできたサンドペーパー」が
あると聞かされ、100円ショップに向かった。
 トイレのこびりついた汚れ、いくらゴシゴシ磨いても
取れない。話の中でそれが出て、その話になった。

 で、昨日、ショップに出かけた。
 あまり大きくないところだが、どうだろう。
 中に入ると分かったことだが、お掃除、洗濯のコーナーに行く。

 すると店員さんがいたので尋ねてみる。
 「布でできたサンドペーパーってありますか」。

 店員さん、しばらく考え、園芸のコーナーに案内し、
サンドペーパーを示す。そりゃそうだ。
 しかし、尋ねたこちらも悪い。
 「布、サンド、どっちなんだ」。

 それから店員さん、お掃除コーナーに案内し、「お掃除
関連ではこちらにあるだけです」で、放置されてしまう。
 仕方がないのでそのものずばりはあきらめ、近いところで
当たってみる。

 すると「パワーアクリルスポンジ」なるものを見つけた。
 多分、例の布サンドペーパーではないはずだが、
せっかく来たのにムダにはしたくない。
 それを買い求めた。

 しかし、100円ショップの店員さんって大変だなー。
 質問の中身がどこから飛んでくるか分からないんだもの。
 というより、この樹海の中、お目当てのものを捜し当てる
のがみんなの楽しみになっているのだろうか。
 かもしれないなー。


2014年4月16日

環境

 先日、ある男性と話していると「前の会社は毎日やめよう、
やめようって思ってました。でも、今、考えるとあの辛さ
が役だってるんですよね。今では感謝してます」。
 なんの話からこんな展開になったか忘れたが、おもしろい
ものだ。

 ボクはそもそも人は怠惰な生き物だと思う。うちも両親
が甘いといえばそれまでだが、怠惰な毎日を送っていた。

 で、単身京都に修養に出かけることになるのだが、やはり
そこは他人、「ものすごく大変で辛いんです」と訴えたくも
なるのだが、「他人だし、自分からここに来るって言った
んだから」で、そのまま過ごした。

 中学生のころは親の元で過ごし、毎日食事の心配なく、
蛇口をひねれば温かいお湯の出る生活を送っていた。

 そんな環境なのにも関わらず、学校は毎日のように遅刻。
 成績も次第に下がっていった。
 そのころボクは自分のことを「バカなんだ。生まれた
ときから。分かったことだ」なんて考えていた。
 こんな心境になるとかえって安心できたりした。

 京都で生活していたころ、「親ってありがたいな。こんなに
良い環境(中学生のころ)を作ってくれるんだから」みたいに
考えたことはない。

 それより自分が対面する問題が大きすぎた。
 「自分で自分に厳しく」はできないと思う。
 やはり他人からそのような環境を作られ、そこに押し込める
ことにより達成されるのではないだろうか。特にうちは
甘い家庭だったしね。

 親子の関係で厳しくすることは難しいと思う。
 「なんでオレをここまで追い込むんだ」って思ってしまい
がちだから。広い社会にほうり出し、現実を見させることも大切だ。


2014年4月15日

おいしい

 何年か前の本なのだが「おいしいハンバーガーのこわいはなし」
というものがある。「おもしろそうだ」と思い、買って読んだ。
 先日、本棚から見つけたので再度読んでいるのだが、
あとがきのところに「これは前著を小中学生のみなさんにも
分かりやすく理解していただくために書かれました」ってある。

 ここでアッと驚くことになる。
 その前著、買っていたからだ。
 ただ、初めの20ページのところでストップしたままだった。

 確かにこの本、漢字が少なく、文節の終わりが「だったのだ」
とか「こんなふうに」など分かりやすく書かれていた。
 ボクは同一の本を買い、片方だけ読み終えたことになる。
 これはとても大事なことだと考えている。

 要するに難解な本を途中で投げ出すくらいなら、簡単に
まとめられた本に取り掛かった方がよほど良いわけだ。
 小中学生にまで分かる、はとても重要なことだと言える。

 やはり以前、経済関連の本を読んだ。
 これも全く同様で、まず専門性の高い記述で書かれたものと、
平易にしたものとが販売され、ボクはどちらも買い入れていた。
 この本においても平易な方だけ読み終えた。
 「ヤバい経済学」があり、平易にしたものもあったわけだ。

 ただ、特筆しておかなければならないのは、小中学生向け
に書かれたからといって、内容が低いわけでも、それでは
専門性が分からないわけでもないということ。

 難しく書かれたものより頭にすっきり入ってくるかも
しれない。
 だれにも専門性があると思うが、それ以外においては
平易なものから導入し、必要があれば難解なものにも
取り組むくらいでいいのではないか。
 本の内容の摂取においてはぜひ取り入れていただきたい
考えだ。


2014年4月14日

尾道

 昨日、尾道を再訪してきた。
 知り合いが交流会を実施すると案内されたので、出かけたの
だが、オープン3周年をお祝いする行事だった。お昼から
はじまりで、終わってもまだ3時。

 その知り合いが以前からお世話になっているというお店
で食事させていただくことにした。尾道駅前商店街から
一本道路をへだてたところにある。

 駅前と同じ向島の間の海を見ながらの、すばらしい
ロケーションだ。眺めがすばらしい。ただ地元の人たちは
毎日見慣れている景色かもしれない。
 席に案内され、メニューを見せていただく。
 このメニューが巻物みたいになっていておもしろい。

 尾道は海の幸がおいしいのだろうと推測し、魚を中心に
注文することに。お店の方の「イカでしたらチイチイイカ
がおいしいですよ」とのことで、チイチイイカとお刺し身
盛り合わせを注文。チイチイイカっていうのは小さなイカ、
それを酢ミソでいただく。うーーーん、絶品だった。

 ボクは最近、海関連では試しに一つ注文して納得いかない
場合、ほかのものを注文しない。この時点で大変合格だった
ので続けて注文してみた。

 料理はどれもこれもおいしいのだが、お店の方の気の配り方
がありがたかった。「すいませーん」と声をかけると
すぐに「ハーイ」。「チイチイイカの酢ミソがおいしい」と
告げると「木を一本買いして一年分の酢ミソを作る」と
聞かされた。そんななにげない会話も楽しい。

 ふと箸を入れる袋を見ると(よく料理屋さんで見かけるやつ)、
小さな千代紙が張り付けられ(印刷かと思った)、そこに
「ありがとう」と墨書してあるのだが、よくよく見ると
なんと、それは手書きだった。

 気づかなければ見落とす、そんなこと。「この店は
ひょっとしてすごい店なのかもしれない」と思った。
 メニューも墨書での手書きだった。かっこいいな、ここ。


2014年4月11日

食パン

 先日、食パンをいただいた。
 焼いて食べてみるととてもおいしかった。

 で、その食パンについてなのだが。
 「食パンって切りにくいんよねー。包丁が悪いのかもしれない
けど、ボロボロ粉が出るし、真っすぐ切れないし」。

 それを聞いてハッとさせられた。
 その感想とはまるで違うことを思ったからだ。
 確かにいただいた食パンはカギザキになっていた。

 それでもうまくトースターに入り、焼いてみた。
 白い煙りが上がったので「これはやばい」と思ったが、
焼き具合はちょうどいい。
 バターをぬってみると、そこでもまた粉がボロボロと落ちる。
 だが、それがうまいのだ。

 デコボコになったところにバターが落ち込み、そのデコボコ
がとても絶妙においしい。

 そこでハッとさせられた。
 「そうか、お店で売られている食パンってきれいに切れて
いるから、ある意味うまくないのかも」。
 お店の食パンはきれいに切れてる。

 ボロボロは一切出ないのだが、あのきれいな断面があまり
おいしくない原因なのかもしれない。
 そういえば食パンって、きれいに切れているのに再度、
ボロボロにしたことはない。案外、ボロボロの方がうまかった
りして。

 パン屋さんもきれいにカットしてくれる。だが、そのまま
買って自分でギザギザにカットした方がうまいかもよ。
 試してみる価値、絶対あり。


2014年4月10日

株の売買

 株をやっていて儲かると熱くなってしまうものだ。この現象
がなければ株っていいものだと思うのだが。
 株の売買で儲かるとこんなふうに考えてしまう。

 元金が30万円で5万円儲かったとする。(こんなことは
あまりないが)。そうすると、「元金が100万円だったら
20万円近く儲かる」わけだ。

 この辺りに借金の入り口があったり、そもそも30万円
くらいの現金で売買すると決めていたのに変更する大きな
原因となってしまう。
 大きく張ってしまうわけだ。

 そして、それすらまたうまくいくこともある。
 ほかのものもそうだと思うが、うまくいくというのは、
次回はより大きく、それらが失敗する原因になってる
ことも多い。

 ただ、日本の場合、そもそも「会社とともに自分の資産も
増えていく」とする考えが少なく、「一発当てる」ことが
株の売買だと思われているふしがある。

 儲かるかどうかが株の大事なことで、これからの産業が
どうなるのか、どんな産業が脚光を集めるのか、どこに
向かっていくべきかの考察がなく、とにかく儲かれば
いい、ばかりに注目が集まっている。大変残念なことだ。

 これからは電気自動車ばかりになる、と思えば、蓄電池
の会社の株を買えばいいことになる。
 それこそが、社会の向かう先と、自分の資産が増える
抜群の方法だ。

 これらの点をしっかり踏まえれば、そもそも株の売買は
そんなに危険ではないし、ギャンブルの一つでもない。
 ということになる。


2014年4月 9日

歯医者

 先日から歯科医院に通い詰めている。来るときはやたらとくるな。
 気になる場所を告げると3カ所の虫歯があることが分かった。
 三本とも麻酔をかけ、ほぼ治療は終わったようだ。これで
また当たり前に食事ができると思うとありがたい。

 今回、3カ所の治療をおこなったが、ほったらかしにして
おいたわけではなく、かぶせてあるものが外れ、出かけた
とき見つかったものばかりだ。
 違和感があれば自分ではそう思わなくても歯科医院で
点検してもらうべきだね。

 久しぶりに歯科医院のあの「ウイーーーーン」を聞いた。
 ほかにも「ガリッ、ガリッ」などもある。
 聞いていると音楽のロックを聞いてるような気がしてきた。

 この歯科医院は麻酔をかけるとき「ごめんなさいね」と
口にする。確かにチクッとくるが、以前ほど痛くはない。
 慣れてきたのかな。
 麻酔。ありがたいものだ。

 この虫歯の治療をするとき、レントゲンで撮影してもらった。
 しばらくして撮影したものをお医者さんと一緒に見る
のだが、お医者さん「これは虫歯じゃけー、治療せんと
いけんわ」。レントゲンにて虫歯かどうかはっきりする。
 レントゲンって放射能だろう。

 お医者さん自身は放射能を浴びないよう、外に出て
操作をおこなう。もちろん放射能は嫌われ者だが、
役に立つ放射能もあるわけだ。
 今回「冷たい水がしみる」と申し出たが、それが虫歯だった。
 心当たりのある人は出かけてみてもいいかもしれない。


2014年4月 8日

ウルトラマン

 「ウルトラマンが泣いている」、「破綻」を読んだ。ウルトラマン
は分かったことだが、日本におけるヒーローの代表格。
 その円谷監督のお孫さんだっけ、書いておられる。

 ただウルトラマンは生み出されるまでにかなりのお金が
かかったようで、おかしくなったのはここにも原因があったと
みられる。破綻は岡山県にあった林原産業について、だ。

 林原産業はもともとは水あめが出身で、そこから研究を
進め、総合研究機関になっていった。場所も近いから地元の
雄みたいに感じていたのだが。

 さて。
 これらの本は「現実にはなにがあったのか」、関係者が
解き明かすものである。ここに至ってウソを書き連ねても
仕方あるまい。

 現実になにがあり、なにが起こったのか、はっきりする。
 自分が同じ立場だったらと考えてみると冷静では
いられない。一族の恥じだったり、関係者の恥じを暴露
することになるし、実際の悪者がさらけ出されたりする。

 悪者が暴き出されても、会社がなくなった今となっては
空しさが募るだけだ。

 であれば、なぜ暴露するのか。
 国民的関心ももちろんあるだろうし、同じ失敗をしない
ように、もあるだろう。
 著者の立場になると意外にもせーせーしているかもしれ
ないとも感じてる。隠すものもなく、これまでをあらいざらい
ぶちまける。

 悪者を暴くことが目的ではなく、これまでを一応、清算
しようという考えが透けて見える。
 清算が済んだ今となっては、なんらかの形で再起して
いくことを願いたいものである。


2014年4月 4日

バイク

 18のころバイクに乗りたくて乗りたくて仕方なかった。
 「絶対にホンダのCBに乗ってやる」、あのころCBは
あこがれの存在だった。マンガでもCB750FXの
きれいなシルエットを見せるものがあった。

 ただあのころ、750は難攻不落と言われた試験を
受験せねばならない。一枚で4回受験できる紙がどれほど
の分厚さで合格する、などと言われていた。事実上不可能。

 そこで400をねらう。真っ赤なタンクがとてもかっこいい。
 で、念願の400を買い入れたのだが、ぶっこけてしまい
廃車、そのままバイクから降りてしまった。

 やることのなくなった自分は当分、ボーーーッとしていた。
 あのころ二か所で働いていたので、そのお金で国産高級車
を買ったりしたのだが、いつしかエンジンをかけに行くだけに
なってしまい売り払ってしまった。

 そんなボーーーッとする期間もあったが、やがてスキー
の楽しさを知りのめり込んでいく。
 今から考えると熱中できるものを探していたというわけだ。
 このころからやりたいことが見つからなくても仕方がない、
冷却期間だととらえることができるようになってきた。

 そういえば、小学一年生のころ、洋服を着たままで寝る
時期があった。サッカーの場所取りのため一番に学校に
乗り込むためだ。

 母親から「それはやめときんさい」と言われやめて
しまったのだが。あの感覚はいまだに残っているのかも
しれないなー。
 熱中できるものがなければ少し様子を見よう。
 その期間が長ければ次になにか見つかったとき全力が
出せる気がする。


2014年4月 3日

腰痛

 一カ月ほど整骨院に通ったことがある。腰痛だ。
 周りの人たちに「腰が痛くて痛くて」と話すと、知り合いの
整骨院を紹介してくれる人がいた。整骨院にて腰が痛いと話すと
首と足にベルトをかけ、引っ張る機械にかけられた。

 これが実は26歳のころの話で、完全に忘れていた。
 あれからこれまで腰痛を感じたことはない。あれは何だったのか。
 ただ整骨院ではとても参考になる話を聞いた。

 「腹筋を鍛えると腰痛を感じなくなる」で、あれから腹筋
と腕立て伏せに取り組むようになった。そのおかげもある
かもしれない。

 今になって思うことだが、26歳くらいであれば青年と
呼べる年齢である。痛いところなど普通はあるはずもなく、
だから、あれは何だったのかと。

 今、考えると同じ姿勢でいることが多く、ストレスあり、
何一つ運動していなかったことも関係しているかもしれない。
 同じころ、スキーに病み付きになり、年中筋力トレーニング、
シーズン中はもちろんスキーに出かけていた。あんなことも
腰痛離れする理由かもしれない。

 「腰痛のために運動しなければ」と
 「スキーが上達するために運動」は似てはいるが全く
内容が違う。

 おかしな話だが、スキーを滑るとき、腰痛のことなど
全く脳裏をよぎることはなかった。

 人は知らず知らずのうちに同じ姿勢でいることが多く
なっているものだ。それらが腰痛や肩の痛みに連動している
かもしれない。日ごろの身体の動きをチェックしてみるのも
うまい手だと思う。


2014年4月 2日

労力

 ボクは中学生のころ友人に誘われ、コイン収集を始めました。
 友人からゆずってもらったり、コインショップにて買い求めたり。
 多かったのは「1銭」「2銭」などの銅貨、昭和のはじめ
ころのお金も多く持っていました。

 ただ、長らくそんな収集をしていましたが壁にぶち
あたりました。明治時代、大正時代、昭和のはじめころの
コインというものは、「探せば」見つかるものではありません。
 よほど古いご自宅を所有しているか、蔵があるような
人でなければあるはずもないのです。

 よってショップ頼みになるわけですが、そこに自分の
努力、奮闘する場所は全くありません。
 お金の力があるだけです。
 明治時代の貨幣を収めたアルバムがあるのですが、それを
一式買う財力があれば、たちまちボクのようなコレクター
の上をいけてしまうわけです。

 なんとなく世の中の仕組みが分かった気がして、それまで
集めたコインをわずか4枚くらいを残して全て友人に
プレゼントしました。
 友人たちはとても喜んでくれました。
 彼らは収蔵品が増えるわけですから。

 ボクは自分にとって意味が薄くなっていったものは
どしどし周囲にプレゼントしてしまえばいいと考えています。

 自分より意味を感じてくれる人がいればその人が所有
しておくのがいい。自分が手に入れたお金はこれだけだから、
なんていってたら進みません。

 いっとき楽しい夢を見せてもらったと考えるべきだと思います。
 ボクは中学生のころ、かなりのお金をコイン集めに使って
ました。100円でもかなりの値打ちがありました。
 それだけの労力を使ったのに、とは思うのですが。
 自分に意味がなくなったものはどしどし周囲に回して
しまいましょう。その方がきっと有効だから。


2014年4月 1日

ない

 先週の金曜日、目星をつけておいた本を求めに書店に出かけた。
 出かけた、というか、車の通り道にある場所なので寄り道に近い。
 本はたいてい週刊誌の推奨欄を参考にする。気になった
ものがあれば、そのページをやぶき、紙切れを持参する。

 金曜日は4冊の本を探し、書店に2冊ありその場で買い、
残り2冊は注文した。
 半分の確率で書店にあったことになるが、これはかなり珍しい。
 ほとんどは4冊探して1冊あればいいほうだ。

 ただこれは悪いことではない。
 ボクはベストセラーを買わない。平積み(入ったところに
表紙が見えるようにして置いてある本)もあまり買うことがない。
 案内は推奨欄をあてにすることがほとんどだ。

 これはこういうことだ。
 書店とかスーパーというのは、その周辺に住む人たちの
バロメーターの役割もしている。書店でいえば文化度だ。

 自分が読みたい本が書店にないということは、それだけ
自分が新たな分野を発掘、開拓したことになる。

 以前はそうではなく、スーパーの横に併設されていた
書店の店内を歩いて探していた。
 今から考えるととても原始的で、効率が悪い。
 要するに厳選された中から厳選してるようなものだから。

 よって「書店にない」ことが大事な点だ。
 週刊誌の推奨欄はバカにならない。「これ、おもしろいのに
だれも知らない」本をできるだけ推奨している。

 以前、そんな週刊誌の推奨欄に、全ての雑誌にて
紹介されていた本がある。これまでただ一度だけだ。
 題名は「もぐら人」だった。
 「そこにない」ものを探す努力と工夫が大事だと思う。