2014年1月31日

関心事

 人間、自分が関心のあることが、だれにとっても大切な
ことの気がする。錯覚かもしれない。

 ボクは現行(今、現在使われている)の5円のみ収集してる。
 昭和23年から33年までだ。現在使われているお金だから
支払いのさい、5円が含まれていれば確認するだけでいい。
 手間というほど時間もかからない。
 たまに見つけるととてもうれしい。

 ときに見つかるのは昭和26年、27年が多く、次いで
28年、33年のときもある。これらを見分けるのは簡単。
 33年までは明朝体という角張った字体が使われており、
その後はゴシックだ。

 そんな5円玉だが、見つけるとこんなことも考えてしまう。
 「オマエ、よくほかの人に見つからないでオレのところに
来てくれたなー」。
 自分の中ではさまざまな人の目をかいくぐってその5円が
やってきた、みたいになってる。

 自分が「それそれ」と熱中しているので、そんな気分に
なるのだろう。だが、改めて考えてみると、世の中には
どんな5円だろうと関係ない、そんな少額よりお札だ、と
考える人の方が多いに違いない。自分一人で舞い上がって
いるに過ぎないのである。

 ふと、そんなことを考え、笑ってしまう。
 どういうものか、人は自分が関心を持つものが、世の中
の関心事みたいに考えてしまうところがある。
 それよりも、世の中が大事に考えていることを、自分
の関心事にすることが大事だと思えてならない。

2014年1月30日

紹介

 先般、講師を依頼され実施させていただいた。
 到着早々、主催者の方から「講師がいなくて困ってるんですよ、
池田さん、だれかいませんか」、そんな話を聞かされた。
 講師の役目はなんとか終わり、帰宅した。

 ただあの、「困ってるんですよ」が、歌の一節のように
頭の中をこだまする。
 「だれかいませんか」ってことなので、さっそく紹介すべく
考えてみた。

 内容はボクと同じで、「この時間にここでお話しをしてください」。
 5人くらいに声をかけ、2人から断られ、3人から承知の
返事をいただいた。この3人のプロフィールを主催者にファックス
し、うちの一人が講師を実施する運びとなった。

 人のチャンスなんてどこに転がっているか分からない。
 小規模な場所で講師を引き受け、だがそれが意外に好評で、
ってことはないかもしれないし、あるかもしれない。
 そんなイメージは大切だと思う。

 昔から「口コミ」なる言葉がある。
 「うちの製品はすばらしくて、ぜひ」、そんな宣伝は
自分が自分のことを推薦するので、聞く側としても割り引いて
しまう。だが、お客自身が薦めるとグッと真実味が増す。
 こうした口コミの作用を最大限に利用すべきだと思う。

 ボクなら「この商品で良いものが欲しいんですが」と
聞かされたなら、「わたくしの知り合いがこんなことを
やってまして、ご紹介しますよ」とすかさず口にする。

 要は意識の問題だ。なにか耳にすればきっかけに
つなげていく。その気になればいくらでもできるはずだ。
 日ごろから「あの人の良いところはどこか、売りはなにか」、
つかんでおけばより説得力を増していく。試してほしい。

2014年1月29日

鹿児島県

 地方自治60周年記念でそれぞれ各県の記念のコインが
作られている。47都道府県であるから、そろえば圧巻だろう。
 額面は500円だ。
 裏面の絵柄は統一されている。

 昨日、銀行に行くと鹿児島県のコインがあったので両替
してもらった。鹿児島県の絵柄はなにか分かるだろうか。
 煙りたなびく桜島である。
 広島は原爆ドームだ。

 銀行の人によると都道府県の半分くらいできたそうなので、
まだまだこれからである。
 先日、静岡県、岡山県、山梨県を両替してもらった。

 静岡は富士山、岡山は兼六園、山梨は富士山とぶどうだ。
 分かったことだが、それぞれの県で作るわけなので、
一番象徴した図柄が採用される。
 以前、奈良県も両替してもらったが、奈良の大仏、だった。

 これからすると、北海道や山口県はどんな絵柄になるのか。
 まるで想像つかない。
 この絵柄を見て、「あ、この県なら、これだよな」が
すぐに分かれば、イメージ戦略はうまくいってると言えるかも。

 さて。
 これら記念コインであるが、これは行き着くところ、なにに
なるのだろうか。税金である。国庫に入る仕組みになっている。

 記念コインは流通しているお金と同等なのだが、手にした
人は買い物ではあまり使わない。収集することになるが、
これは税金面からすれば死蔵である。
 死蔵させることに意味があるのだ。

 お金なのだが使わない、使いたくない、そんな気にさせる
ことが大事ってわけだ。
 以前、10万円金貨、5万円銀貨が作られた。これも
死蔵の対象である。


2014年1月28日

ニセモノ

 先日、銀行に行くとなにやらチラシが。よく見ると記念の500円
硬貨だった。地方自治60周年を記念してのもののようだ。
 以前、広島県が発行されたときはかなり両替し、周囲の
人たちに配って喜ばれた。

 今回は岡山に静岡、山梨県である。
 ま、それはいいが、日本という国は本当にすばらしい国だと
思えて仕方がない。銀行の男性が話していたが、この記念硬貨、
「スーパーで使おうとしたら断られました」だって。

 れっきとした日本国のお金が使用できないとは。
 逆に考えてみると、このことはすばらしいことだ。
 なぜなら、見たこともないお金が流通し、だれもそれが
偽物かもしれないと疑う者などいないということだからだ。

 これらの記念硬貨、銀行に持参すれば500円と両替して
くれる。そうして使えばいいのである。
 これは日本という国の態勢がきちんとしているから成立
していることなのだ。

 以前、2000円札というのもあった。ひょっとしたら
知らない人もいるかもしれない。きっと現在は回収され、
廃棄処分にされてしまったのだろう。

 お金を考えるとき、10とか5の単位はいいが、2は
いただけない。1000円札と交じれば3枚で4000円だ。
 これは確かに不便だ。

 ただ日本という国においては消えてしまうようなお札に
関しても疑う人がいないというのは、やはりたいしたものだ。
 不安定な国でこんなことをすれば、人心がおかしくなって
しまう。
 ちなみに、だが、あの2000円、プレミアとか
ついているのだろうか。


2014年1月27日

ドライ

 先日、こんな話しを聞いた。6人で旅行に申し込んだが、
あと一人旅行に参加。ただその方は一人追加部屋料金が
取られることとなり、7万円のさらなる出費が求められ、
かなりもめた末に参加しないことで決着したそうだ。

 みなさん70代だそうだが、人生の先輩にあたるそれらの方
たちがそんなことに翻弄されるとは。結論を先に書くが、
仲間内同士の旅行はドライであるべきだ。

 ボクなら最初に「一人部屋追加料金については合算して
全員で負担する」と決めておくけどな。ここのあたりは
経験の有無で違ってくるのかな。

 また、仲間内で旅行する場合、キャンセルはどうするのか、幹事役に
手数料を支払っておく、など、事前に決めておいた方がいい。
 別の知り合いによると申し込みはそれぞれが旅行会社に対して
行うという。これは賢い。

 問題は、その旅行についてだけグループを脱退するのなら
いいが、そこからこじれて関係がおかしくなり、グループ
そのものから脱退してしまうことだ。
 ある年齢になってからこれでは苦しいだろう。

 意外にもこれらのことでもめ、孤立する人たちもかなり
いるみたいだ。お金に関することだけにあとをひくわけだ。

 知り合いの車を使い、その方の運転で旅行する場合なども
注意が必要だ。おんぶにだっこ、では長続きしない。
 仲間や友達であればこそドライに進め、すっきり終わらせたい。
 そして、いろんなグループに属しておき孤立することを
避けたいものだ。


2014年1月20日

お宝

 テレビが復活したので「お宝鑑定団」を楽しく拝見させて
いただいている。まったくの偽物だったり、まごうことなき
本物で高値がついたり。おもしろい。

 さて。
 ボクの家にはお宝はあるのだろうか。残念ながらないなー。
 ボクが子供のころ、学校の同じクラスの人間の中に「これまでの
古い自宅を取り壊して新築する」ことが、たまにだがあった。

 それらの人たちの自宅には古銭などを入れた壷なども
あり、古銭集めをしていたボクたちは格安でゆずって
もらったりした。そのころの古銭に対する扱いはひどい
ものだった。

 「これは大きいから500円。こっちのちっこいのは、そうだなー
200円でいいや」そんな感じで売買が成立した。で、ボクなどは見た目で
大きいのを選び500円で買ったりしていた。そもそもボクを
コイン集めに誘った友人は「これ、どこかで見た。高かった気がする」と
一番小さいコインを選んだ。大きさは1センチにも満たない5銭だった。

 ただこの5銭、コイン図鑑で見ると「明治3年と4年」の
2年間のみ発行されたことが分かる。その値段は驚きの
1万円近いものだった。表に「5銭」とタテに刻印されている。

 ボクのは20銭だったが、これにしてもボクが所有しているコインの
中で最高値をつけるものだった。表に竜、裏に朝日が刻印されている
それは一般に朝日竜と呼ばれている。

 竜のみのものは明治25年ごろから発行が始まるのだが、
(記憶がいいかげんだが)ここになるとグッと値段が落ちて
しまう。ちなみにこの20銭はいまだに手元にある。
 「昭和のお宝」をよくこの番組で目にする。あれを見て
いつも「ありえない」と口にしてしまう。

 なぜなら、遊具であるなら子供たちはそれで遊ぶわけで、
ましてや箱なども存在していれば高値ということなのだが、
「買ったけどそのまま」にしておくプラモデルや遊具などは
よほどの資産家でなければ不可能だからである。
 一般のお宅は買ったら遊ぶ、箱はなくなる、が普通である。


2014年1月17日

お城

 先日、久しぶりにお城にあがってみました。ここにはお城が
ありました。ただ明治時代に入る少し前、同じ藩に二つの
城は必要ないということで取り壊し。

 今あるお城は昭和になってから再建されたものです。場所も目立た
ないところにありましたが、下界を見下ろす場所に移動。それにて
現在はどこからでも目に入ります。

 お城は下界から眺めるためにあったわけではないんですね。
 裏手には常に水が確保できるよう、大きな井戸も設置
されています。今は使われていません。

 ボクはライブにこだわることにしています。あまり
以前からではなく、やっと最近のことです。コンサートも
実はこれまで一度しか行ったことがありません。

 レストランで催されるコンサートなどは何度か出席した
ことがあるくらい。お城にしてもふと「あそこからの眺めは
どんなだろう」とか思うんですね。上がって見てみると
まーわりと想像してる通りなんだけど。

 ライブということで言えば、美術館に博物館、自然遺産
などもライブですよね。たまに落語を聞くことがあります。
 テレビではよく見るのですが、実物を見るとやはり良い
ものです。同じ落語なのに全く別物な気がします。

 なのでボクは「テレビで落語を見て本質がとらえられる
のかな」なんて思うわけです。ボクはスキーが趣味なの
ですが、ボクがいくらスキーの楽しさを口にしても、
「こうやって滑るとうまく滑れる」など説明しても
うまくはできないものです。それと同じだと思う。

 楽しいかどうかは一度滑ってみればすぐに分かる。
 なんとなく「行ったつもり」「見たつもり」になるが、
ときにはライブにこだわってみることをお薦めします。


2014年1月16日

本棚

 ある日のこと、知り合いの男性がこんなことを口にする。
 「池田さんって新型うつに興味があるんですか」。ボクは
なんのことか分からずしばしポカンとしていた。
 あーはいはい、本棚にそんな本があるからか。

 男性は続けて「池田さんの本棚を見ているとジャンルって
ものが丸っきりつかめませんね」とも口にした。

 ボクはその言葉に意外なものを感じた。そもそも本を読む
というのは、いろんな世界にタッチすることなはず。

 必要に迫られて読む本もあるだろうが、ボクの場合、
知的探求心、いろんなものを知りたい、そんな欲求が強いと思う。

 「破綻、AIJ」みたいなものがあったり「和牛商法の破綻」
みたいなものもある。自分がそれに関連しているわけではなく、
いろんなことを知りたい、社会で起きていることをもっと詳しく
知りたいと願うから、だろうね。

 ただ、それだけでなく、長い期間にわたっての自分のこやし
みたいな感覚はある。というのは、本を読むとそれをすぐに
利用できるわけではなく、なにか発生したときなどに、
「これが良いのではないか」、眼前に浮かぶことがある。

 具体的に利用できるわけではなく、総合的に活用している
気がする。

 人にはそれぞれ問題が発生するが、実は問題が起こって
から本を読んでも間に合わないと思う。弁護士に依頼する
必要が起こったとき、「正しい弁護士の探し方」など
読んでもムダだ。

 問題を解決するとき、人は多分、最善を求めると思う。
 その最善とは、いろいろなものに出会い、自分の中に
ためておき、選べる状態にしておくことじゃないかな。

2014年1月15日

ほめる

 みんなを見ているとさ、他人のことをほめない人がほとんどだね。
 どうしてだろう。

 ほめるって根拠とか理屈は必要ないんだよ。ただたんに
どしどしほめるだけでいいの。ボクなんていつも「池田さん、
ほめてもなにも出ませんよ」って言われてるからね。
 それでもほめることにしている。

 どうもね、誤解があるようだ。
 それは他人を観察し、本当にほめるところが見つかったなら、
ほめると思ってるみたいだ。そんなんじゃないと思うよ。

 人になにかを伝えるってとてもめんどうで大変なことなんだ。
 伝達ゲームってあるでしょ。
 先頭の人に言葉を告げて後ろへ後ろへ伝達していくゲーム。

 あれをやってみると分かるのは、先頭の人と一番後ろ
の人とでは丸っきり違う言葉になってることがほとんどだ。

 要するに、人は他人の話しをあまりきちんと受け取って
ないというわけだ。

 こちらが発した言葉も半分くらいしか届いてないと考える
のが当然だ。だからほめること一つとっても、いくら
たくさんほめているつもりでも、半分くらいしか届いて
ないものなのだ。

 試しにほめた相手に対して「いつもほめてますよね」と
聞いてみるといい。「そうでしたっけ」なんて返事が
ほとんどだから。

 父親は「口は便利やぞ、タダでどんな言葉だって出せる
んだから。オマエはなんでタダのものを活用しないんや」
なんてよく話していた。
 人は他人からほめられることなど少ないものだ。ほめて
ほめてほめちぎって、称賛するくらいで、実はちょうど
いいんだよね。

2014年1月14日

結集

 少し前、島根県のある集落を訪問してきた。いろいろ話しを
聞かせていただくためだったが、おもしろいものもあった。
 その集落は戸数にして200戸。冬は雪に覆われる場所だ。

 ただ、その集落、「何日にこんな催しがありますよ」と
案内すると、集落の多くの方が参加される。
 ほかの集落においてパラパラと20人ほどが参加する催し
もこの集落においては多数が集まり会場に人が入りきらない
こともしばしばだとか。

 それだけ人がたくさん集まるので、「こうしてほしい」
などの要望も通ることが多い。

 それらの話しを聞いて、納得と感動の入り交じった気分になった。
 集落が一つに結集し、同じ方向を向くためにこれらの要素は
欠かせないと思ったからだ。

 ひるがえって自分はどうだろう。
 市報が届けられるが、まずまともに見ることもなく、それらの
会合にも出席したことなどない。「あんたはどうなんだ」と
尋ねられると困ってしまう。

 ただ、これは集落の人口と、「手間がえ」と呼ばれる
システムに秘密があるようだ。

 手間がえというのは、集落で困ったことがあれば集落
みんなで解決するシステムだ。これらの、みんなでよって
たかって解決するシステムの歴史があるからこそ、結集する
力も高まったのだろう。

 この集落の売りの一つだと思う。
 当事者はそれに対してあまり深く感じることはないが、
他者とかよそ者からすればすばらしいシステムに映る。
 これはその集落の宝だと思う。

 この集落では雪でスリップしても道路サービスなどだれも
来てはくれない。集落のだれかが助けてくれるのを待つんだ。
 厳しい現実だが、一面あったかい風景のようにも見える。


2014年1月10日

固定

 固定した考えはときに見直す必要があると考えています。
 ボクは30になったころ、毎日ゆとりある生活をしていた。
 朝、7時半ごろ起き、NHKの朝ドラを見て8時半くらいに
仕事場に向かう。朝食も自宅でとっていた。

 ただ、こんなのんびりとした生活を2年ぐらい続けたとき、
ふと疑問に思うことがあった。「こんなこと、してていいのかな」。
 「今はゆとりがあるが、これからもそれでいけるのか」。

 それまで、二つの職場に勤めていた。それが一つになり
やっとホッとできる。そんな気分もあった。
 二つの職場に勤めているころは朝は6時に起き、帰宅するのは
毎晩8時半だった。それに比べると天国のようだ。

 ただ、自分がなぜ二つの職場を一つにしぼったのか。危機意識
が強かったからだ。「今はいいけど、これからはどうなるんだろう」。
 急に背中がゾクゾクして「これではいかん」と思った。

 それからは生活の形をガラッと替えた。朝はできるだけ早く
起き、着替えたらすぐに飛び出してしまう。

 ボクの場合、起きてから自宅を出るまで5分とかからない。
 朝5時(これはずっと続けてる)に起き、職場には10分後
に入る。朝5時起きはとても辛いが、慣れてくると楽になる。
 朝は早く起きるが夜寝るのは早い方だと思う。
 生活のスタイルを夜から朝に変更したと考えている。

 人にとって生活はとても大切だと思う。だけれども、
見直す余地はあるのではないか。朝、自宅で朝食をとると出発が1時間は
遅くなる。ついテレビとか見てしまうからね。

 そのテレビにしても見たくて見たくてたまらないものでは
なかったはず。なんとなくなら見る必要はない。
 「オレはこれこれだから」、入る言葉はいろいろあるだろうが、
他人と比較するのではなく、「もっとうまい方法があるの
ではないか」、考えることも必要だ。


2014年1月 9日

費用

 少し前イタリアに旅行する予定の方の話しを書いた。その
方と先日、出会ったのでまた話しをした。かかった費用は
五日間で40万円だったそうだ。

 日数で割ると一日あたり8万円となる。
 ま、だれが考えても高い金額だ。

 ただ、そのとき、最善に対してお金を出したと考えれば
それでいいのではないかと思う。お金ってとても個人的な
ものだと思う。

 ボクはこの正月、ずっと自宅にこもり本を読んでいた。
 読書で過ごしてもイタリアに出かけても、やはり時間は
過ぎていく。イタリアに行かずに車にお金をかけるとしても
一つグレードが上がるに過ぎない。

 家具を買っても同じことだ。
 その五日間は戻ってこない。

 ボクもこれまであちこち旅行してきたが、それにかけた
費用は正解だったのか、分からない。

 ボクは本が好きだから読書によりあちこち旅行した気分には
なれるかもしれない。だけれども、その国の雰囲気、空気、
人々の暮らし、までは見えてこない。そんなものは一度の
訪問でなにもかも分かるものだ。

 日本の場合、ヨーロッパのような職場環境ではないことが
ほとんどだ。「この時期に行けば安いから行きたい」など
通用しない。旅行を取るなら費用は後回しだ。ボクも
そうだった。

 正月やお盆などだれもが旅行に行くから費用もうなぎのぼり
になる。乗った飛行機はギューギュー詰めだし。
 それでも、その40万円が残ったところでどんな有意義な
ものに使えたか。ボクなら旅行をとる。


2014年1月 8日

おかしい

 たまに人と話していて不思議だなーって思うことがある。それは、
他人から自分がおかしく思われない、変だと思われないよう
努力してるように見えてしまうんだ。
 「なんか変な努力だなー」って思ってしまう。

 こんな言い方が多い。
 「これっておかしくありませんよね」
 「みんなこんな感じでやってますから」
 それを聞くと、なんとなく記憶に残っており、「あの言葉は
何だったのか」って。

 なんとなく世間というか、常識的なことがあり、それに沿って
いれば恥じをかくこともない、そんなふうに聞こえてしまう。
 悪いことじゃないけどね。

 かなり前のことになるが、ある男性からボクの発言に関して
一つ一つ指摘されてる時期があった。「おかしい、ってなにと
比べて、どうおかしいんだ」「みんなこんな感じって、
だれのことなのか具体的に名前を挙げてみなさい」、みたいに。

 それに詰まって応えられなくなる自分。
 こんなことがあったせいか、違和感を感じるのかもしれない。

 今のボクが思うのは、要は「とことんやりたいこと」が
ないから、周囲の目線が気になるのではないか、である。
 まだまだ余裕っていうか、余力がある証拠だろうな。

 きっと人は追い詰められたら他人からおかしく思われる、
なんて気にすることはないはずだ。
 追い詰められる、かやりたいことがあるか、だろう。

 まずは自分の発言を点検することは大事だ。
 「だれでもやってることだし」「自分だけってわけじゃないから」、
こんな発言を見つけたら注意すべきだ。


2014年1月 7日

タクシー

 昨日、久しぶりにタクシーを利用した。
 タクシーはとても便利な乗り物で、繁華街では待機して
いてくれすぐに乗ることができる。現代人はその便利さに
慣れてしまっているに違いない。

 昨日の料金は770円だった。1000円を出して
「お釣りは100円でいいです」と付け足して支払った。
 チップが130円ということになる。

 駅から乗車したのだが、うんざりするほどのタクシー
の列に並び、お客が少ないときはかなりの時間待機して
やっとお客を拾うのが現実である。

 以前、五日市の駅から乗車したとき聞いたのだが、「だいたい
3時間くらい待機してるようです」だった。

 そのときもチップをはずむことにした。いや、せいぜい100円
くらいだが。

 ボクの場合、流しのタクシーを拾ったときチップは払わない。
 待機時間ゼロだから。
 ただチップって走ったあと出すので、そこがなんともねー。
 「チップをはずむから」、事前に言うのもおかしい気がして。

 昨日は帰宅するときもタクシーを利用した。
 おもしろいものだ。タクシーの運転手さん、こちらがお店を
出たところで減速。お客を拾うにはうまい考えだ。

 結局、ほぼ停車したタクシーをとめ乗車した。
 「機転がきく」も運転手さんにとって大事な感覚になるの
だろう。


2014年1月 6日

 この休みを利用して近くにある山を登ってきた。銭壷山と
高照山だ。残念ながら銭壷山はてっぺんまで道路がついて
おり、歩くきっかけがつかめず山頂まで車で、だった。
 おかしな話しだが山頂からふもとに向かって歩いた。

 この二つの山とも山頂まで道路がついており、いいかげん
途中で車を置いておかなければ山頂まで車で行ってしまう。
 高照山もそうで、なのでこちらはふもとに置いた。
 どちらの山も標高で600メートル前後。

 銭壷山は目の前に瀬戸内海が見渡せ、天気が良かったのも
あり、とても良かった。
 高照山は少し曇りだったので下界の地形が見える程度だった。

 ここはパラグライダーの基地でもあり、それも気になって
出かけた。カープの練習場のすぐ近くの山だ。

 アスファルト道路のみで山頂まで1時間20分ほどだった
ので、標高差は400くらいだと思われる。車を置いた
地点が既に標高200だったということだ。

 事件は帰り道で起こった。
 見晴らしのいい道路がついていたのでそちらに入る。
 ところどころ雨が流れた形跡はあるが、コンクリートの
道路がついていた。かなり下ったところで道路は消滅していた。
 こんなことがあるのだろうか。ありました。

 消滅したところから山に入ってみた。だが、すぐにトゲトゲ
の樹木に阻まれ動くことができなくなった。なんと、コンク
リートの山を山頂近くまで戻ることになった。ただ、これで
正解だったと思う。20分ばかりのロスタイムで無事、
アスファルト道路に戻った。ここは登った道だから、あとは
ひたすら降りるだけでいい。

 帰路、パラグライダーを見かけた。分かったことがある。
 山を歩いて降りる速度よりパラグライダーはゆっくり
降りていくことだ。空の旅行を楽しんでいるわけだ。とても
意外だった。たまには山もいいよ。


2014年1月 4日

土足

 しかし、不思議だ。うちの事務所は土足ではない。靴を脱いで
あがることになっている。ただ、集金に来られる人や、郵便局
の方などが土足であがってくる。

 うちの事務所は段差がほぼない。わずかばかり道路より高く
なってるだけ。そこが誤解を招く原因なのだろうか。

 ただ、ボクの靴がそこにそろえてあるんだけど。
 いつもその光景を見てあぜんとさせられる。「あの靴が
見えないの」って。

 ドカドカとあがってくるわけではない。ほんの20センチ
ばかりだろうか。それでもお金を支払うのに土足の人間を
相手にするのは楽しくない。内心いつもムカッときてる。

 たまにドアが走るレールに足を乗せ用事を済ませようと
する人もいる。それもまたムカッとくる。

 ボクは子供のころから「ふすまのさん(レール部分)は
踏むな」と何度も言われてきた。「昔っからレールに
足を乗せるなと決まってるんや」とね。

 なぜレール部分を踏まないようにするか、だがここを
踏んでしまうと交換時期が早くなる。昔は木製だから
なおさらだ。

 そんなことを何度も聞かされてきたので、それを目に
するととても嫌な気分にさせられる。「あんたはオレにムダ
な出費をさせたいのか」ってね。

 用件の前にムカッときているので不機嫌になってしまう。
 こんなことはちょっとした観察力があれば十分だと思う。

 そもそも自分ちの玄関で同じことをやっているのか、されて
腹が立たないのか考えてみればすぐ分かるはずだ。
 慣れもあるのかもしれないが注意したいものだ。


2014年1月 2日

反発

 先日、ある方とお話しさせていただいたのだが、その中身は。
 「池田さん、よそに出たことありますか。出たことないと
分からないと思いますけど、反発がすごいんですよ」。

 こう書いてもなんのことか分からないと思うが、いろいろ
活動なさる中、地元の人たちからの反発もすごいのだと
口にされる。

 よそ者のような立場で、なおかつ活動するということは、
それだけ反発が大きいということなんだろう。ボクは
反発の中身が分からないので、うなずくよりほかになかった。

 実は、ボクにもたくさんの反発があるのかもしれない。
 ただ、ボクの場合、それを察知するアンテナがさびついて
いることは間違いない。自分では分かってないから。

 そこでこんな話しをさせていただいた。
 「モノの見方と時間の流れは大事だと思いますよ」
 「かなり前のことになりますけど、地元に家電量販店が
ありました。そのころすごい勢いでしたけど、今はより大手
と合併し名前も変わってしまいました。時間がたってみると
なにが正しくて、なにが間違っていたか、その基準から
変わってしまうこともありますからね」。

 なにが言いたいかっていうと、地元の方たちの反発も
時間の経過にともなってそれ自体が意味を持たなくなる
瞬間がやってくるのではないかということだ。

 それを問題視していた人たちの意識が変わることは十分
ありうることだと思う。
 人間、動けば反発はついてくると思う。動くってそういう
ことだと思う。おもしろくないと感じる人はいつもいるわけだ。

 そこでこんなことを付け加えた。
 「この人たちだけは自分を支持してくれるって人を何人か
作られたらいかがですか。全体が支持してくれるのではなくて」。
 なにに対しても反対する人がいる。地方に行くとなおさらだ。
 反対することで心の平安があるに違いない。その人たちを
替えていくのは確かに時間がかかる。視点を替えてみては
どうだろう。