2013年11月29日

耳より

 先般、たまに行く料理屋さんにて耳よりな情報をいただきました。
 耳よりな情報ってなにを想像されるでしょう。なんのことはない、
「今日はマグロがおいしいですよ」だけです。

 ここはその日に提供できる料理が看板に書いてあるだけ、
お薦め、などは書かれてありません。

 よってマグロもほかのものもただ横並びに書いてあるだけです。
 ここのおじさんはほとんど会話をしない。おかみさんがたまに
話しかけてくる。そのおかみさんが「今日はマグロがおいしい
ですよ」、そして「今日のは冷凍じゃありませんから」。

 この辺りで冷凍を解凍したものでないマグロが出回る
ことがあるとは、知らなかった。

 それではと頼んでみた。
 刺し身にしていただいたが、本当においしかった。ほかの
料理も頼み、続けて「マグロのヤマカケ(山芋のすりおろした
もの)」も頼んでみた。こちらもとてもおいしかった。
 「マグロってヤマカケが合うなー」って。

 ボクの期待する料理屋さんの耳よりな情報とはこういう
種類のものだ。
 1割り引きとか、ビール半額などではない。

 黒板に書かれていても解凍ではないマグロかどうかは
分からないからね。
 お店って自分のところの強みは何なのかが問われて
いると思う。それを知り、提供することが大事なんじゃないかな。


2013年11月28日

中毒

 世の中にはさまざまな中毒があるようだ。よくゴミ屋敷の話し
を読む。そんなゴミ屋敷のあるじから掃除の依頼を受ける
掃除屋の話しなどが紹介されるがおもしろおかしく読んでしまう。

 多いのがゲームのやり過ぎで、トイレも行かず、ふろにも
入らない方のお屋敷のようだ。

 こんな記事を読み素朴に疑問を感じてしまう。人間って
そこまで中毒症状を抱えることができるのだなと。
 ゴミ屋敷のあるじも、ふと部屋を見てみると大変なことに
なっていたと気づいたわけだ。

 さてと。
 人間とは、改めて考えてみると、自分を客観的に眺める
ことのできない動物なのかもしれないね。
 なぜか、今のボクにはそれがよく分かる。

 ゆうべのことだが、2年5カ月ぶりにテレビが届き、
テレビ鑑賞。給湯器も設置し、おふろ入浴(夏場は水シャワー)、
あたたかいお水で茶碗を洗った。

 テレビはアナログのまま切り替えせず、給湯器は10年を
過ぎると部品がなくなり故障の修理ができないようになる、
と案内があったがそのままにしておいたので、使えなくなった。

 届いたテレビはブルーレイも見ることができる、最新
のものである。石器人がいきなり現代人になったのだ。
 これらのもの、なくなってみると、その必要性がよく分かる。

 ただ、それを感じるためには、一度視界から消してしまう
必要がある。ないから、大事に感じ取れるわけだ。
 人は「テレビがないと生きていけない」とか「あったかい
お湯が出ないとつらい」などと口にする。まだまだだな。

 現実に消滅させたとき、それがどれだけ大事か分かるわけだ。
 ゴミ屋敷のあるじと同じで、「ふと、改めて眺めてみる」は
なかなかできないものだよ。


2013年11月27日

タイミング

 以前、スーパーでのことだ。夜7時を過ぎていたが、お刺し身
コーナーに行くとどれもこれも半額だった。

 「これはありがたい」と思い、あれこれ買い入れた。ボク
は仕事柄、夜8時前後にスーパーに行くことはいつでも
実行可能なんだ。

 しばらく半額で買い入れていたが、続けていると嫌な
気分が充満してきた。その理由は分からない。

 「オレは半額がそんなにうれしいのか」、なぜだか自分に
質問してしまう。そして、ある日、もう少し早い時間に
スーパーに行くと、30%引きのシールが貼り付けてあった。

 その日、ある愕然とさせられる光景を目にした。
 そこにはおいしそうなお刺し身がたくさん並んでいた。

 「そうか、オレは半額で買って得をした気分になっていたけど、
人気のないものから買っていたのか」「選ぶ自由がないんだな」。

 ボクは半額で買えばものすごくお得で、お財布にやさしいと
思っていたが、実際は違っていたのかもしれない。

 定価販売で買うと選ぶ自由、選べる自由がある。
 それからは半額シールに魅力を感じなくなってしまった。

 ただお財布のことも考え、ギリギリの線で納得することにした。
 悪くても30%引きの時点で買うことにした。
 夜7時を過ぎると30%引きはごく当たり前の光景だ。

 洋服なども半額になっていることが多いが、それを半額で
買ったことは自分は覚えているものだ。「これは半額、
これは半額」と唱えながら着るくらいなら、定価で
買った方がいいと思うな。


2013年11月26日

年賀状

 年賀状の発行枚数が落ちているようだ。当然と言えば言える話しだ。
 年賀状のことを考えるとき、そもそもなぜ年賀状だったのか、
を考えることも決してムダではない。

 ボクは最近、ほとんど出さないので、届く数もまばら。
 このような状況になってみると「出しておくもんだな」って思う。
 「年一回のあいさつで済むんだから楽と言えば楽だよな」と
考えることもできる。
 よく「つながる」って言われるけど、ネットでもつながりは
あるが、年賀状でもつながっていたわけだ。

 「不幸の手紙」なるものがある。
 ボクが子供のころ学校の先生から「不幸の手紙がきたら
ほかに回してはいけません。わたしのところで処分しますから」
なんて話しが真顔で展開されていたりした。

 文面は「この手紙を受け取ったら一週間以内に同じ文面
を書いて49人の人に送ること。でなければあなたは間違いなく
不幸になる」だったようだ。うちには届いてない。

 ところが、この不幸の手紙なるもの、もともとは幸福の
手紙だったと言うんだからおかしなものだ。大正時代に
幸福の手紙を送る習慣が発生した。それがいつからか
ねじ曲げられて不幸になっちゃったわけだ。人間なんて
幸福より不幸の方が楽しいから、不幸が一人歩きし始めたわけだ。

 年賀状も元はこんなところが出発点だったのではないだろうか。
 きっかけはたいして意味のないものだったのが、国民的
行事にまで発展してしまったわけだ。

 確かに年賀状は便利だ。一年の区切りをどこでつけるかと
なったら正月が最適。ましてやこれなら一年に一回で済むし。
 年賀状は発行枚数が落ちているようだが、逆にここまで
隆盛してきたものが少し落ち着いてきた、が実際だろうな。

2013年11月25日

ススキ

 広島、千代田にてかや刈りボランティアに参加してきました。
 暖かい日和で作業に適した一日だった。

 しかし、縁というものは不思議なものだ。たまたま参加した
行事、そこから派生したボランティアに参加しようとは。
 島根県に「日貫」という場所がある。とても山深いところで、
瑞穂インターから近く。瑞穂スキー場もこのすぐそばだ。
 日貫は津和野の飛び地だそうだ。

 ここに山崎邸なるお屋敷がある。ここの屋根をかや(ススキ)
でふくため(作る)、まずはススキの採集から始まったわけだ。

 本数にして2000束。1束が15センチ四方あり、途方
もない数が必要なわけだ。1500束くらいでいいそうだが、
余るのはまだしも、足りないと困るので、この数。

 かやはススキのこと。
 どこのお宅にもススキの一本や二本生えているものだ。
 千代田の山奥にてススキの採集をする。よみがえりの水、
と呼ばれるきれいな水が取れる場所のすぐ近くだ。

 ここは使われなくなった畑で、ほったらかしのまま3年も
すればススキの原になるそうだ。高さ3メートル近くの
ススキが一面にびっしり。

 ここに総勢24名の男性が取り掛かる。
 ボクは畑作業など生まれてこのかた一度もやったことがない。
 よって刈られたススキを集めしばる役。
 試しにカマを手にススキに挑んだが、思いのほか力が必要だ。
 ほかの男性たちは高齢にも関わらずこの作業を黙々と
こなしていく。


2013年11月22日

信じる

 ボクは中学生のころから政治的な発言を繰り返してきた。
 その手の本もたくさん読んできた。ボクはよく人に話す
のだが、「ボクは政治的な話題は好きなんですが、やはり
中学生でしょう。内容的にきちんと理解しているわけでは
ないんです。それより、心の深いところにセットされてる
ところはありますね」と。

 今でもドイツの戦争映画を見ることができないのもその
一つかもしれない。それくらい強烈に焼き付いてるものなのだ。

 さて。
 これまでいろんな方とお会いさせていただき、話しをさせて
いただいた。そこで特に感じることがある。

 それは。
 人って意外に簡単にいろんなことを信じることができる
ものなんだなってことだ。

 身体に良い食品だと信じておられて、「これは良いんだから、
身体にとってすばらしいもので」と薦めておられる。
 「このやり方をすればいろんなことがうまくいく」
 「テレビでもやってましたけど、学術的に効果がはっきり
してて」。

 ボクはその効果のほどは分からない。
 それより、大人がなにかを強く信じることにおいて、
薄ら寒いというか、「そこまでとことん信じてしまって
いいのだろうか」って思ってしまうのだ。

 ボクは一般に言われる健康食品なるものの存在意義など
ほとんど分からない。それらを強く主張される方と接して
いると「たかが食べるものでそこまで熱くならなくても」
って思ってしまうのだ。

 ボクの心にはどこかに冷めた部分が残されている。それが
中学生のときの体験と関係しているのかどうか。なにかを
とことん信じるというのは、ある意味とても危険なことだ。


2013年11月21日

チャンス

 めんどくさいことってチャンスだと思いますね。
 そもそもボクは中学を卒業と同時に単身京都での暮らし
を始めたわけですが、ごく一般的な中学生の感覚から
すればとてもかったるいことですよね。

 知らない人たちに囲まれ、毎日、必死で生きていく。
 ホントにそんな感じだったんですよ。だけれども、逆に
一般の人には見られない景色、環境があったことも確かでしょう。

 行動するときにいつも思うんですよね。
 「あー、かったるいなー、ほかに用事もあるのに。こんな
用事入れたらほかの件が後ろにおして忙しくなるばかりじゃ
ないか」って。

 ただ、逆に「いつもの用事はいつでもできる。それにて
チャンスが発生したことはないんだから。なにかあるかも
しれないし」とも思うんです。

 最近もたまに「オレは男子中学生かっ」みたいな感覚
になることがよくあります。「いい年してどれだけ暇なんや」。

 打ち合わせなどもこちらから出かけておこなっています。
 往復の時間が取られるのでムダとは思うんですが、これは
前々から決めてることでして。

 自分の事務所で打ち合わせをするのは便利だけど、
なにかを見つけることはありません。やはり出かけるから
なにかを見つけることができる。そう思って出かけています。

 大人ってムダな時間の過ごし方をしませんよね。できるだけ
効率よく、順序だてて進めます。ごく普通ではありますが、
それこそが発見する機会を奪っているように考えています。

 かったるいことって、その人の人生の辞書に出てこない
事柄だったのでは。だからこそかったるいを追いかけなければ
いけない。そう思います。


2013年11月20日

高い

 「その値段で引き受けたのはいいが、かなり高かった」、
なんてありますよね。ボクにもありました。

 かなり前のことですが、友人がグアムに旅行するボクに
「ほうか、オマエ、グアムに。ならグアムで足ひれを
買ってきてくれんか」、頼まれました。

 足ひれって、泳ぐときに使うフィンのこと。
 一冊の本を持ってきて「これ、これや」と。
 よってお金を預かってグアムに行きました。

 グアムでその足ひれを見つけ、買ったのはいいのですが、
問題はここから。なんと、宿泊のホテルからダイビングショップ
に行くのにタクシー代が往復で3000円あまり。おまけに
旅行バッグにつめようとするや、その足ひれの巨大なこと。

 結局、足ひれとの間に洋服をつめる感じで収納し、お土産
は一切、買うことができませんでした。

 結果から考えると、グアムで足ひれを買わなくても日本で
買ったのと同じ値段になってました。重たい荷物なだけ損。

 この値段の請求はとても微妙。友人からすれば「それじゃー
日本で買うのと同じやないか」になってしまうし。
 結局、この金額はかぶることにしました。
 タクシーを使ったことも口にはしませんでした。

 そもそも足ひれの値段が違っていたのならいいのですが、
経費の問題だから。友人にしてもそこまでは思いが至らな
かったでしょうし。

 こっちとしてもとても悔しいです。彼にお土産として
足ひれを渡したのならともかく、タクシー代だったなんて。

 ただ、少しだけ賢くはなりましたね。「オマエねー、
外国に行くからってその値段で買えるとは限らんのやから」
って言えるようにはなりますよね。
 あなたはこんなときどうするでしょう。


2013年11月19日

定住

 あなたは定住型だろうか、それとも。
 ボクは定住型ではないのだろう。移住型かな。

 移住型というと再々引っ越しを繰り返す人のことかもしれないが、
ボクは引っ越しなどやっていない。感覚の問題だろう。

 そもそもボクが土地を手当し、自分の好みに従って住宅を
作ったことがないことも関係しているのかもしれない。

 よってボクはそもそも豪邸に暮らしてみたいとか、豪華
な調度に囲まれてみたいなどの欲求そのものがない。
 高価な家具など買い入れたことはない。

 一つには阪神大震災、東日本大震災の記憶があり、「あんな
ことがあればなんの役にも立たない」が脳裏をよぎるからだ。

 結局、大震災などがあれば現金が一番の強みになる。
 被災していない場所で暮らす、そこに移動する、全て
現金が必要だ。
 銀行からお金が引き出せるのかどうか、は問題だけど。

 ヨーロッパのように国に資産はなくとも、個々人の
家屋には大変な金額の金銀その他の資産があると言われて
いるが、そもそも地震の多発する日本においては、
家屋に過大な価値はないと考えるのが当たり前かもしれない。

 アメリカではそもそも地震が発生すらしない。
 オーストラリアで地震が起こったとき、人々はガス爆発
だと勘違いしたようだ。
 日本は戦前、燃えやすい住宅に住んでいると言われて
きたが、今も同じかもしれない。


2013年11月18日

オバケ

 オバケっているのだろうか。
 あれは先々代の車に乗っているときのことだ。
 エンジンをかけ、しばらく走らせているとミャーって声が。

 「この声はどこから聞こえてくるのか」。分からない。
 あちこち用事のため走らせる。そのあいだも聞こえる。
 「おかしい」。

 一度は車から降り座席の下などくまなく調べる。そのとき
声がしない。おかしい。
 そして車を走らせると、やはりどこからかミャー。

 ガソリンをつぐためにスタンドに向かう。スタンドの店員
さんに「この車、おかしいんで。どこからかミャーミャー
聞こえるんで」と話してみる。
 店員さんもあちこち調べるが原因は分からない。

 なにかこのまま車に乗るのが不気味に感じられてきた。
 とうとう猫のオバケがとりついたか。

 思えば猫とは犬猿(あれれ)の仲だった。犬とも仲良し
じゃないな。犬は近づくとワンワンほえてくる。
 感覚的に嫌いな相手は分かるようだ。お互い様だ。

 しばらく車を調べていたが原因は分からず、「もうええわ、
このまま乗るけー」と発進させようとすると、女性店員が
「わたし、もう一度調べてみる」。

 その車は座席の下にエンジンがあるのだが、店員さん、
座席をにらんで「絶対ここから聞こえる」と。
 そこでエンジンオイルを交換するときのための機械に
乗せ車をリフトアップする。エンジンをのぞきこむ。

 すると、シャフトの上に子猫が、いたのである。
 オバケは実在したのである。シャフトの上に。
 女性店員がそのままねこっかわいがりしてる間に
車を走らせた。あの猫がその後どうなったのか、知らない。
 ペットになったのだろうか。なににせよ解決してよかった。


2013年11月15日

 株売買について。
 株をやったことのない人でもなにが儲けにつながるか
くらいは知ってるはずだ。

 300円くらいで買った株が500円になる。この差額が
儲けになる。で、株をやっている人は、この差額が大きいか
小さいかで勝負しているに違いないとの感想もあるだろう。
 これが、違うのだ。

 もちろんこれが理想だが、現実は違っていたりする。
 世の中、幻想というものがある。
 「株をやっている人はみんな儲かっている」なんてのは、
どんな幻想テレビを買い入れても映らない。
 株をやっている人のテレビにはね。

 「800円で買った株、550円で売ることができた、
まーよかったか」なんてことが、度々発生してしまうのだ。
 これだってかなりの損をしているのだが。なぜこんな
ことになるのだろうか。
 これは株やその他のギャンブルをやらない人には理解不能
の世界だろう。

 聞かされてみればおおげさな話しじゃないんだ。
 だれもを騒がす大きな発明を達成した会社があるとする。
 その話しを聞き及んで買いに走る。700円だった株価
があれよあれよと値上がりし、やっと買えたのが850円。

 「この株はきっと1200円になるに違いない」、どんな
テレビを買っても映らない幻想がはっきり見える。
 あわや970円までつけた株価、その後、反転。案外
780円くらいで売っていたりするのだ。

 970円で売っておけば、ってだれもが思うが、そこが
欲の恐ろしいところ。「あんな大発明をした会社がこのまま
じゃ終わらない」なんて思ってしまうのだ。
 それ以下になってしまうことも多いんだけどね。
 ここで一つ。だれもが儲かれば苦労はしない。


2013年11月14日

下見

 うちの事務所は二度にわたって泥棒に入られた。
 一度目と二度目との間隔がどれだけだったか定かでは
ないが、あまり長くはなかった気がする。

 どちらも会社のお金は保険が使えて補填をしてもらえた。
 個人のお金はもちろん証拠がないので補填などきかない。

 ただ、同じ事務所に二回泥棒に入られると、次回の
保険の契約はそのままではできないようになっている。
 よってうちはアルミ製の鉄格子みたいなものを外から
装着することとなった。

 侵入場所は隣との間にある40センチくらいの透き間を
利用してだ。大人では通り抜けにくい空間しかない。
 施錠箇所の上1センチほどだけ穴が開けられ、ヒビは
あちこちに走ってた。そこから開錠して入ったようだ。

 これらを思い返して分かることは、泥棒ってしっかり
下見をやっているということだ。それは想像以上だと思う。

 入られたのは木曜日だったが、うちの事務所は火曜日と
木曜日の午後、無人になる。そこをついてきたわけだ。
 泥棒はこうした周期性をねらっているのは間違いない。

 また、侵入経路だが、目立たず、逃走に有利な場所を
探しているのもよく分かる。

 結局ね、「うちはイナカだから泥棒なんか」とか
「お金もないのに入るやつなんていないよ」は、実は
正解ではないということだ。あなたの自宅や事務所も
下見はされていると考えた方がいい。

 そのとき大切なのは周期性をできるだけ作らないことと、
スキを作らないことだ。泥棒に入られて金品を失うだけ
ならまだしも、接触などあろうものなら命の危険だってある。
 下見はされていると考えた方がいい。


2013年11月13日

腹筋

 先日、料理屋さんで食事していると店員さんが「池田さん、
なにか運動してますか」。「腹筋と腕立て」と応えた。
 腕立ては少し、腹筋は100回近くはこなしている。

 すると店員さん「ダイエットになりますね」だって。
 「ボクもやらんとですね、(やらないと)、最近、
身体が重くて重くて」。

 そこで自分なりに運動のススメを説いたのだが、だが、
待てよと。この店員さん、多分、運動するのに理由がないと
できないのかな、って。だからダイエットなんて言葉が
出てきたのだろう。

 ボクは運動するときに「身体が重いから」とか「ダイエット
になるから」など考えたことがない。
 ただ単に運動するのって身体のぜいたくって気がする。
 自由に動かして。山に登るのも勤務のつもりで励んでる
わけじゃないし。

 これは決まったこの人というわけではないのだが、話して
いて「理由付け」がはっきりしないと動けない人がいるなと
実感させられることがある。
 なにをするにも理由が必要なわけだ。

 考え方の根幹にそんなものが横たわってるように思えて
ならない。そして、その人が観察する周囲の人間は、
同じように見えてしまうに違いない。

 人間って「やりたいからやる」「どっちかというと
それがいいと思うから」みたいなことが実は存在していると
思う。ところが、この手の人は頭で解決つけようとし、
理解できてるようで、理解から遠のいている気がしてならない。


2013年11月12日

処分

 洋服を大量に処分した。
 ここ10年くらい一度も洋服を処分していない。買った
洋服はそのまま着て使うか、洋服の山に埋もれて所在知れず
になっていたわけだ。

 今回、処分に取り掛かって新たなことが分かった。参考
にしてほしい。(ならんか)。

 処分するために実況検分を開始したが、後々分かったことは
第一次、第二次、第三次と、何度かに分けて観察すると
より処分が簡単なことが分かる。

 なぜだろうか。
 洋服の山を一つずつ崩し、検分していく。
 「これは、まだ着れるだろう」
 「せっかく買ったのに、もったいない」
 「良いデザインじゃないか。着れるさ」。

 確かに良いデザインだが、マネキンが着るのと自分が着る
のとじゃ違いがある。ボクの場合、身体のシルエットが
そのまま反映されるお洋服はちょっと。

 長島温泉のアウトレットが買った洋服、サイズはぴったり
なのに、ボタンがとめられない。アウチ。←アウトじゃないよ。

 先般、日曜日が第三次だったわけだが、「せっかく買ったのに」
はもうやめよう、と決め処分に入った。
 段ボール6個ほどの洋服を処分した。

 これから分かることは、処分するときには一度だけ検分
するのではなく、何度も検分してみるといい。

 ボクの場合、「これはちょっとなー」と思う洋服も「あれば
着るかも」と買ったものも多い。これらはやはり着ることは
ほとんどなかった。ただ、これは買ってみなければ分からない
ことだと思う。
 思い切って洋服を処分しましたが、少し頭の中がすっきり
した気分でおります。スカッ。


2013年11月11日

辛い

 友人の中国人が中国料理の店を始めた。先週、訪問した。
 彼によると日本人と中国人とでは辛さに対する感覚が
まるで違うのだという。

 「お客さんに辛さはどうしますか」と質問すると、
「普通でいいです」との返答だという。で、普通の辛さで
お出しすると「辛くて食べられない」、毎度そんな反応が
返ってくるので「あまり辛くもない」状態でお出ししている
とのことだ。

 要するに、日本人が「やっぱカレーは5倍だよね」なんて
ある程度の辛さのあるカレーなどを好んで注文するが、
そういうのは中国の人にとっては「普通の辛さ」でしかないわけだ。

 ま、ボクは彼と中国を旅行したとき、雲南料理を出す店に連れて
いかれ、「池田さん、それ辛いから、やめといた方がいいって」
と言われた「きつい香辛料の入ったツボからバシバシいれ」、
彼から「池田さんは日本人じゃないよ」って言われてしまったが。
 彼によると「辛さというのは、ただ辛いだけじゃなく、
辛さの中に味わいがあるもので、中国人はそれが好み」だらしい。

 「中国の人は家庭で決まってこの料理を食べるのですが、
日本のお店では見ることがありませんね」、と聞かされた
料理を頼んでみた。豚肉料理で、少々辛い。これをご飯
に乗せるといくらでもご飯が進む。すさまじくご飯と相性がいい。

 ボクは彼と彼の故郷を旅行したことがある。
 そのとき「火鍋料理」の店に連れていったもらった。

 このお店では入ったところにタレの元が壁に20種類
くらい並べてあり、客はそれらの元を調合して自分に合った
タレを作るようになっていた。やっぱすごいわ中国。

 ちなみに現在の中国はかつての中国とは違い、顧客サービス
なども格段に上がっていて、その意味ではもう普通の国だ。
 以前の中国しか知らない人からすれば雲泥の差だと
書いておこう。


2013年11月 8日

プレゼント

 あなたに60万円、プレゼントします。いりますか。
 ま、正体を明かせばなーんだってことだけど。
 家を新築したとき、一般公開すれば値引きしてくれるって話しで。

 かなり以前のことですが、知人がこれを使ったことがある。
 一般公開するだけでそんな金額を値引きしてくれると
知らなかったのでとても驚いた。

 知人なのでお祝いを兼ねてボクも訪問してみました。
 玄関の靴箱の上に手袋などが置かれており、「これを
お使いください。引き戸などは開け閉めされてけっこう
ですが、ていねいにお願いします」、これらのことを
紙面と住宅メーカーの関係者から聞かされる。

 訪問する人たちも少し遠慮気味だったことを強く覚えている。
 確か知人の家は新しい建材を使った住宅だったとかで、
このシステムを利用することができたのかもしれない。

 さて。
 では、自宅を公開して(一週間ほどです)、60万円の
値引きをしてもらうか、やめておくか。その辺りの感覚は
どうだろうか。

 60万円といったら大きい。家電一式取り揃えることが
できるほどの金額だ。
 ボクは、やらないかもしれない。うーーん。どうだろう。

 ま、想像していてもらちがあかない。そのときの緊迫度
によるのだろうし。
 ただ、新築する方はこんな値引きの方法があることも
知っておいて損ではないかもしれない。


2013年11月 7日

変わってる

 先般、飲食店で話していると「あんたは変わってるなー」と
言われた。そのことについて自分では変わってるとは
思ってなかった。

 ボクは中学生のころ同じ陸上部の人間とある遠征を
行っていた。それを聞いたその人はとてもおもしろいのだと言う。
 どんな遠征かというと。まずは自転車でひたすら走り、
昼ごはんを食べて帰る、だった。

 「あのころからこの先はどうなっているんだろうっていう
感覚がありました」。小学生くらいだと親がつれて歩く
範囲の中で生活しているものだ。ボクも同じ。

 だから同じ場所で引き返すことになる。それをいつも
「この先はどうなっているのか」、興味しんしんだった。
 結果、自転車遠征につながった。

 そのうち自転車では自分の知っている範囲から飛び出す
ことが難しいことが分かり、列車に替えた。
 列車に乗り、知らない駅で下車。

 そこからひたすら歩き、また知らない駅から列車に
乗って岩国駅まで戻ってくる。これを何度も繰り返した。
 「この先が」っていっても、そんなには変わらない。
 それでもこの遠征はとても楽しかった。

 久しぶりにそれら訪問した町を最近、車で通ったが、
すさまじい変貌ぶりだった。

 改めて考えてみると、自分ってあのころとあまり変わって
ない気がする。人間は中学生くらいの感覚のまま生きて
いるのかもしれない。
 よく「原点に戻れ」って聞くが、あの原点はだれに
とっても中学生くらいなんじゃないかな。

2013年11月 6日

よばる

 「よばる」ってなんのことか分かるだろうか。分かるはずがない。
 島根県平田あたりの方言だ。使い方は。
 やかんに入れたお湯がこぼれる状態をさして使う。「よばるで」。
 「よばってしもうた」。

 先般、島根県日貫なる場所に行ってきた。ひぬいと読む。
 ここは島根県とはいえ、広島県との県境だ。もとは津和野
の飛び地だったようだ。

 ここの人たちと話していると、「あーやはりここは島根だ」
って思ってしまう。方言って実は上記の「よばる」など
言葉ではなくイントネーションだ。

 島根であれば「あげだが」「そげだが」などの言葉を口
にするとき、独特のイントネーションがある。
 それが日貫と平田に共通している。

 ちなみに「あげだが」「そげだが」だが、「あなたの
言う通りです」「やっぱりそうよねー」くらいで、
「あげだかね」で「本当ですか、そうですか」くらいの質問の意味。

 「そげだかね」は「みんなそのように言ってますが、
やはりそうでしたか」で、やはり質問の意味だ。
 ただ、これらの言葉、よそに暮らす人たちがそれを
口にしても地元の人には通じない。独特のイントネーション
があるから。

 「あげだが」なら「だが」を少し強く発言しなければ
ならない。聞けば「あーそういうふうに使うんだ」って
すぐに分かるのは分かるのだが、よその人はとても
使えない。

 だからボクはいつも思うのだが、方言というのは
どこの藩(昔の県)の出身かすぐに分かる通行手形のような
役割をもっていると考えてしまうんだ。


2013年11月 5日

ザルツブルグ

 「ザルツブルグの立方体」って知ってるだろうか。あまり
いないはずだ。これはザルツブルグで発見された不可思議な
石のことで、ザルツブルグの立方体と言われている。

 存在しないはずの年代に明らかに人間が細工したと思われる
製作物、それらを「オーパーツ」と呼んでいる。

 また、気象に関して次のような話しも多い。
 日本の東北地方の話しだが「赤い雪が降る」ってお話し。
 だが近年、明らかにされたところによると、雪が溶け
かかったときに繁殖する赤い色の藻であることが判明。
 解明されてもこの手の話しはおもしろい。

 さて。
 ザルツブルグの立方体であるが、実物を目にした人の
記述によれば「とても立方体と呼べるほどのものではない」
そうだ。かもしれないなー。

 ボクたちは遠くの場所には想像を働かせることが多い。
 遠い場所だといろんなことが発生してもおかしくないと。
 だが、近くても遠くても距離には関係ないはずだ。

 身近なことに置き換えてみるとすぐに分かることがある。
 まずは「雪女」である。「ヒバゴン」でもいい。
 「ツチノコ」はどうだろう。

 日本で暮らしていて「絶対にヒバゴンは生息している」と
考える人はどれほどいるだろう。ほとんどの人が「サルの
見まちがえ」だと感じていることだろう。

 要するに、遠くの場所だと不可思議なことも起こると
考えがちなのだが、近くになってみると意外にあやふやになる。
 不可思議なことや不思議なことの正体はこれなのかもしれない。
 ただ、それではあっても、またその手の話しを読むのが
好きなんだから。おもしろいものだ。


2013年11月 1日

通報

 二年前になるか、警察に通報したことがある。確か110番
はしなかった。調べて警察署に連絡をとった。

 そのころ、自宅からあちこち歩いたり走ったりするのが
好きで、うろうろしていた。自宅は山で、その山を一周
することもあった。

 そうして歩いていると、路上に駐車された車から「コポッ
コポッ」と音がする。

 音の正体を見極めようと近づくと車のあるパイプから
なにかしら液体がこぼれ、道路をつたって流れているのが
見えた。「ほっとけー」と一度は思ったが、「もしあれが
可燃性の液体で燃えたら」と思うとゾッとして、通報
したというわけだ。

 問題はここからだ。
 よくテレビなどで犯人の特徴を知る人物が公衆電話から
警察に電話し、「オマエは何者だ」と問われると受話器を
ガチャと切ってしまうシーンがあるが、あれをしたくなった。

 警察署に通報すると「はい、分かりました、それでは
これから現地に向かいます」とのことだったが、続けて
「現場はどちらですか、ご案内お願いします」だった。

 とっさに「これから用事で出るのでそんなことして
られません」とウソをついたのだが、「すぐですから」
におされて現場を案内するはめに。

 「おせっかいで通報してあげたのに」、ついそんな感覚
にとらわれてしまう。

 警察には警察の事情があるのだろうが、なにかの現場
を案内するのって、あまり良い気はしない。他人の車の
不備を指摘しているみたいで。
 今はどうか知らないが、案内させられて時間がとられ
たくないなら、公衆電話から通報っていう手もあることを
覚えておくといいかも。