2013年9月30日

日めくり

 以前、職場で日めくりカレンダーを使ったことがある。
 結果は、書くまでもないと思うが、1カ月くらいは
すぐに過ぎてしまっていた。

 「一日一枚ちぎるだけなのに」ダメだった。
 同じく積み木でカレンダー、もやったことがある。
 これでは分からないかもしれない。

 曜日と日にちがスライドすれば一致するようになっており、
少しの手間でカレンダーになる。積み木と言えば、数字と
曜日を前面に出るようセットするものもあった。

 これらは、みなダメだった。
 長続きしない。
 あの手間ってどれほどだろう。多分、ほとんどかかってない
に違いない。それでもダメなのだ。

 逆に毎日のことなのに、きちんと実行するものもある。
 毎日飲むコーヒー、新聞、洗顔、(当然か)。

 今、使ってるカレンダーはよそからのいただきもの。
 日付の下がメモみたいになってるやつ。メモに予定
を書き込み、終わると(済み)マークを入れる。
 これが予定通り終わり、その月を捨てるとき、
少し達成感。

 多分、ボクの想像だが、人は今日一日で生きているわけ
ではないということだろう。仕事であれば、1カ月単位、
2カ月単位も多い。要するに「今月の予定」が知りたい
ものなのだ。そこにもっていくと日めくりカレンダーは
難ありだ。そういうことなのだろう。

 長続きしないことって、それそのものが悪いという
より、システムの問題なのかもしれない。
 日めくりという考え方が間違っていたのだ。


2013年9月27日

気づく

 先般、ある会社の事務所を訪問したときのことだ。とても
驚いたことがある。事務所に入った正面に壁全面に黒板が
設置してあった。長さ4メートル、高さ2メートル半の
大きさの黒板だ。

 「こんなの市販されてるんですか」
 「特注品です」だらしい。あるわけないよな、こんなの。

 ただ、黒板の前に多少棚やラックなどが置いてあるので
全体は見えない。

 その黒板にあの、いつもの見慣れた日本地図がチョーク
で書かれてる。都道府県の区割りもそのままだ。
 ところどころに会社名、電話番号なども見える。
 付き合いのある会社だろう。

 このように、日本地図を目の前にしてみると、日ごろ
の自分の行動半径の狭さを痛感させられる。

 そして、また、この日本地図を見ていると、「日本全体
を相手に仕事することも」可能なように感じられる。
 視点の持ち方だろうか。

 まず、この会社の社長さんとボクの視点は丸っきり違う
はずだ。この黒板を見れば一目で分かる。

 ボクがこの黒板についてあれこれ質問すると、とても
うれしそうに応えてくれた。
 で、一番注文の多いのは、やはり首都圏らしい。

 問題意識という言葉がある。なにに気づくかということ
だと思う。「あれっ、これ、なにかおかしいぞ」、発見
するつもりがなければなにも見つからないと思う。

 発見することができれば、質問はいくらでも出てくる。
 質問があれば、参考になる意見を聞くこともできる。
 周囲の人を観察していれば、いろいろ発見があるはず。
 見つける気持ちで臨まなければなにも見えてはこない。


2013年9月26日

システム

 近くの眼科、毎朝同じ光景を見せる。
 午前7時前になるとたくさんの人だかりができる。ボク
も並んだことがある。知人から「チケットを取ってきてくれ」
とお願いされたからだ。

 並んでいると男の人が出てきて整理券らしきものを
手渡してくれる。それを本人に渡すと午前中に診察して
もらえるらしい。それでみんな並んでるわけか。

 その男の人というのが、もちろんふだん着であるが、
どうやら院長先生のようだった。先生自ら整理券を
配布されておられるわけだ。ご苦労なことです。

 実は、この眼科、以前も眼科だった。
 名前も変わり、玄関周りもきれいになった。

 だが、システムは変わらなかったわけだ。以前も同じ
光景が見られた。新しくなったとき、「あのシステムは
なくなるだろう」と予想していたのだが、なくならなかった。
 「電話とかでやればいいのに」はシロウト考えなんだろうか。

 もちろん玄関口で整理券をもらうために並んでいる人たち、
半ば趣味だろうと思う。それでもねー。

 このシステム、病院の近くにお住まいの方なら、好都合
かもしれないが、交通機関を利用する人にとっては難しい
に違いない。その辺りが考慮されてないようで気にかかる。
 病院に二回通う必要があるわけだし。

 ほかにも整形外科でも同じ光景が展開される。
 整形外科は外に長いイスまで設置してある。
 たかが、予約といっては失礼だが、もっとうまい方法が
あるのではないかと、つい考えてしまう。


2013年9月25日

輪ゴム

 最近、輪ゴムとかクリップを買ってくるとすぐに入れ替えを
することにしている。

 コンビニでコーヒーが売られている。インスタントコーヒー、
紙製のコップが四つくらい入ってるもの。これ、一つ
くらいは使わずに済ませてしまうので、それに入れ替える。

 透明のフタにコップ。
 中に何が入っているか、たちどころに分かり、ホコリ
をかぶらない。
 特にクリップなどはホコリがしてもきれいにすることすら
できない。

 これら輪ゴム、クリップなどは単体で部屋に落ちていても
そのままゴミに捨ててしまうことも多いが、コーヒーカップ
に入れてやると小まめに分類できる。
 リサイクルについても丸だ。
 必要なときはすぐに取り出せて使える。

 うちはたいていのものをスケルトンにするよう工夫してる。
 スケルトン、中が透けて見えるようにしておく。

 封筒であれば、折り返しのところに中になにが入って
いるか記載しておく。下から見てすぐに分かる。

 筆記用具を想像してもらえば早い。
 たいていデスクの一番上の引きだしに入れているだろう。
 これ、分かっているから次回、使用するときもすぐに
取り出せて使えるわけだ。

 工夫は訓練の面もあるみたいだ。
 出せる人は出すが、出さない人は全く出さない。
 なので、日ごろから訓練して工夫しなくちゃいけない、
そんな気がする。


2013年9月24日

参考

 先日、偶然な出来事があった。
 二人の方からスケッチブックをお仕事に利用されていると伺った。
 なにかとても奇遇な気がしたので、ボクも使ってみようと
考えている。

 一人の方からは「あれっ、ラフを書いておいたんだけど
どこにいったんだろう」がスケッチブックのこと。

 もう一人からはデスクにスケッチブックが置いてあった
のでなにに使うか尋ねたところ、「思いついたことをなんでも
書いていく」とのお応えだった。

 人に説明するときもそのスケッチブックを見せながら
やられてるようだ。

 「なかなか言葉では説明できないこともありますからね、
そんなときはスケッチブックを見せて、自分でもはんすう
しながら説明するんです」だって。
 はんすうというのは、説明しながら、自分も再度確認
するということのようだ。
 参考になった。

 本などを読んでいてもこの手の話はよく出てくる。ただ、
「こうしたらいい」などと紹介してあっても、どこか
よそごとになってしまう。実践しない場合が多い。

 そこにもっていくと、この場合、実践し効果のほどが
実感できるので、取り組みやすい。

 なんていうかな、他人の行為を見てもひらめきを
感じないといけないと思うんだ。「なぜ、この人はこんな
ことをするんだろう」って。

 で、質問してみると、いろいろ応えが返ってくる。
 その応えに納得すれば、自分も利用させてもらえばいい。
 「なんかおかしいぞ」って感じる感覚を大事にするべきだ。


2013年9月20日

依存

 人間、それがあるときは気づかないものなのかもしれない。
 以前、海外を旅行したときのことだ。「さてと、テレビ
でも見て寝るかー」なんて思ったが、「あ、そうか、日本
の番組は映らないんだ」って。

 海外を旅行って、たかだか5日間くらいのものだが、
なにか日本の情報にうとくなっていくようで不安を覚えた。
 日ごろは日本国内で暮らしているのだが、これだけ情報
に飢えている感覚はまるでゼロだ。

 テレビにしろ新聞にせよ情報が入ってこない。
 グアムでは日本の新聞が差し入れられていたっけ。

 無意識ってやつかな。
 5日間ぶりに日本に帰国するや、すぐに新聞を買ったりして。
 日ごろはあまり重要視してないのに、やけに熱心に読んだ。
 テレビとか新聞、雑誌もある間はその存在に気づけない。

 「ほとんど読み飛ばしている」感覚はあっても、やはり
熱心に見ているものなのだ。

 ボクもよく周囲の人たちから「テレビなんて時間のムダ
ですよ」と聞かされる。だが、毎日、見ていてムダか
どうかの判断はできないだろう。

 チャンネルがあるわけだから、選んで見ているのは確か。
 その中で「くだらないことばかりやってる」番組が
あったのだろう。やはりこういう人はテレビを撤去
してみればいい。

 ボクの想像だが、一般に人はテレビに3時間くらい時間を
取られている。無意識だから分からないだけさ。たまにテレビ
にかけている時間をカウントしてみればいい。
意外に長いと実感するはずだ。

 テレビってボクたちにとっては生まれたときから存在してる。
 あまりにも日常になり過ぎていて、実感が難しくなってる。
 現代人にとってテレビはなくてはならない存在だ。それが
分からないのは、テレビがあるからさ。

2013年9月18日

 しかし、不思議だ。
 たまに行く飲食店でのこと。
 ビールを注文すると、店主、その場でビールを発注。

 ものの3分ほどでビールが届いた。配達された方、
店主に向かって「こんにちはー、まいど」。
 おいおい、ここにも客がいるじゃないか。内心、つぶやく。

 不思議だ。
 配達されたお店にとってはボクも客のはずだ。だが、その
客には目もくれず、店主にばかりあいさつをする。
 やはりモノを配達して回ってるという感覚しかないのか。

 これ、実はよそでもよく経験する。
 営業の方がお店を回る。入ってくると店主にペコリ。

 「いつもありがとうございます。今日はこれとこれを
補充しておきました」、はいいのだが、あなたの会社の
製品を使ってるわたくしには目もくれない。

 店内に何人か客がいても知らんぷりだ。
 きっとこの営業マンにしてみれば、ボクたちの存在は
目に入ってないのだろう。

 間接的という言葉があるが、この場合、直接的なの
ではないかと思えてならない。

 「わたくしたちがいないとあなたの仕事は成立しな
いんですよ」と思うのだが。
 「だれが客か」って話になるのだが、あまりに短絡的
過ぎる気がする。「客の客は自分の客」ぜひ、そんな
感覚を持ってもらいたいものである。


2013年9月17日

会食

 14日の土曜日、何度かお会いさせていただいた方と
アポイントをとり、会食した。相手は忙しく、今月、
夜、空いているのはこの日だけということだった。

 会食は落ち着いたお店でと思ったが、あいにく、
そういう場所がないので施設の中の食堂になった。
 この食堂、オーダーストップが19時だった。驚いた。
 そして、20時過ぎにはお店から退出するよう求められた。

 ただ、このお店、山あいの場所にあるのだが、次から
次にお客さんがやってくる。オーダーストップが19時
なのに、その30分くらい前でも来客がある。驚いた。

 この日の会食はこれといって用事はなかった。
 ただ、知り合って、しばらく経つので、相手の考えを
きちんと知りたい、そんな希望はあった。

 こんなとき、いつも迷うのだが、その場になってみると
意外にすばらしい時間を持つことができ、自分でも驚く。

 ボクはいわゆる「とりとめのないお話」というのが
苦手だ。ビールを傾けながら、お互いの近況を語る。

 それは分かっているのだが、いざ、その場を想像すると
「なんの話をしようかな」、あれこれ考えてしまう。
 だが、その場に置かれてみると、うまい具合に進む
からおかしなものだ。

 1対1の会食というのもなかなかすばらしいものだ。
 相手がなにを考え、なにに神経をそそいでいるか、
よく分かる。そこらあたりから、相手との付き合い方が
みえてくる。
 相手の背景がきちんと見えてきて、とても参考になる。
 あれこれ考えるより、その場を設定することが早道
だと感じた一夜だった。


2013年9月13日

ニセモノ

 先日、ある人と話していてボクの趣味の話になってね、
その中でニセモノについての話をさせてもらった。

 コイン収集は中学生くらいからやってて、当時は
値上がり期待だった。いつしか、値上がりを期待する
のではなく、今、使われている5円とか10円玉ばかり
集めるようになる。これだと収集にお金がかからないからね。

 だからかなり以前のことになるが、「明治3年の一円」
のニセモノを買ったことがある。
 お店にもきちんとニセモノと表示がしてある。なぜ
ニセモノを販売するのか。現物があまりないからだ。

 明治3年と4年は銀貨で表に龍、裏に日差しが描かれて
旭と呼ばれ、合わせて「旭龍」あさひりゅうと呼ばれている。
 この二年のみ作られたお金だ。

 あの当時、明治3年の一円だと2万円近い価格がつけられて
いた。あまりにも高いのでニセモノが販売されていた。
 800円くらいだったかな。

 おもしろいのは、このニセモノ、どこにもニセモノと刻印
されてないのである。本物と全く同じように作ってあるが、
ニセモノの刻印はない。パッケージにはニセモノとあるが
現物にニセモノの表示はないのだ。

 店先で思わず聞いた。
 「これ、ニセモノってどこにも書いてないけど」。
 店主はおごそかに言った。
 「あーあ、出して触ったら一発で分かるよ」。

 買ってしばらくして取り出してみた。確かに触ったら一発
で分かった。ザラザラしてマイルドではない。
 本物は(銀貨)、もっとサラサラしている。ザラザラ
にゴツゴツ感はゼロだ。
 しかし、明治時代(維新直後だ)の貨幣製造技術は高かった
んだなーって、改めて思った。

2013年9月10日

オリンピック

 オリンピックが2020年、東京で開催されることが決まった。
 なんにしてもすばらしいことだ。
 で、ゆうべだ。ある方と話していると、やはりオリンピックの
話になり「東京に決まったねー」と。

 その流れから、「池田さんは東京オリンピックのことは
知ってるか」と聞かれた。いや、それが知らなくて。
 「じゃ、大阪博覧会は」。それも知らなくて。

 それらを知らないのだが、ボクの家庭では全くそれらの
ことが話題になることはなく。ましてや、ボクは野球
というスポーツをまるで知らなかった。

 うちの家族はとんとオリンピックとか野球とかに興味
がないのだ。

 ボクが子供のころ、近所に住むやつらが「オマエ、
どこのファンや」と。ボクはファンという言葉がなにを
意味するのかよく分からず、頭にかぶっていた帽子を
指さした。

 とたんに、連中は「なんだ、オマエは巨人ファンか、
つまんねー」と言い放った。ボクはそのとき初めて、
巨人というチームがあることを知った。

 この辺りでは絶対、カープファンでなければならないと
知ったのは、大人になってからだった。

 そんな話をゆうべの方にお話すると「そんな人が
いまどきおるんやねー」とあきれられた。いますよ。
 前回の東京オリンピックのころは「国民的関心事」
なる言葉があったそうだ。だが、そんな言葉があっても、
全く関係ない人もいたのである。ここに。


2013年9月 9日

団体

 先月、業界の団体にて集まりを持った。会員の中から
「お客さん増に関連する話を聞かせてほしい」との要望が
出されたからだった。ボクに異論はない。

 何人か講師を探したが、あまりにも急なことで見つからず、
ボクが個人的に用意した資料でおこなうことにした。
 結果、どうなったと思うだろうか。
 研修会ではなく懇親会になってしまった。

 みんなが食事しながらなごやかにその時間は過ぎていった。
 ボクは「これも会員の意向だ」と思いながら、懇親会
に付き合った。もちろん用意した資料は取り出すことはなかった。
 業界の団体なんてそんなものだ。

 なぜかっていうとね、加盟している人たちはそれぞれ置かれた
状況がバラバラだ。この世界で長らくメシを食ってる人も
いれば、そろそろ引退を考える人もいる。

 そろそろ引退を考える人にしてみれば、もう研修会なんて
どうでもいいってわけだ。

 団体というものは、そもそもこういうものである。
 「なら、池田さん、団体ってなにも前に進まないじゃ
ないですか」って聞こえそうだ。そう、その通り、やはり
それはそういうことなんだ。いろんな境遇、いろんな年齢
の人が同じ場所で活動するわけだからね。

 ただ、利点もある。そろそろ引退を考える人も、自分
の中では「そろそろやめようか」はあるのだが、ここまで
長年、加盟しているんだから、もう少し、で継続している
場合が多い。会費は集まるわけだ。

 だからなかなか前には進まないが、なにか行動を起こす
ときは、集まった会費の分くらいは行動力があるわけだ。
 行動を起こすつもりなら、悪いことは言わない、団体
ではなく個人で動くべきだ、ってことになるね。


2013年9月 6日

迷惑

 父親をほめてばかりだが、今日はマイナス面について書いて
みよう。マイナス面、これはもうはっきりしてる。

 父親は基本、「知らない人と、あまり知らない人に対して
強度の警戒心をもって」あたる。

 先日もあまり親しくもない人から電話がかかってきて
「池田さん、たまには話でもしましょうよ」と。

 父親はこんな場合、決まって「やめとけ、やめとけ。
なにか無理難題を押し付けられるだけやぞ」みたいに言う。
 他人とのかかわりあいを極端に恐れてる、ように見える。
 確かにそういう面はある。

 「あんたとオレの仲やないか。この仕事を始めたから客
になってくれよ」みたいなこともよくある。

 ただ、恐れて全面的に拒絶してしまうと、自分の世界も
小さくなってしまう。なかなかに難しいのである。

 ボクはその点、「金額的にここまでの迷惑なら仕方がない」
と考え、あきらめることにしている。
 「客になってくれ」と言われれば、ある金額までは付き合う。
 そんな感じだ。

 これらはあまりよくない例だが、ときにとてもいい出会い
もある。

 これまでボクが接してきた中で感じることは、決して
悪い出来事ばかりでもないし、良いことばかりでもない。
 両方、やってくるって感じだ。
 だから拒絶は、良いことも否定して、存在を許さない事態
を招いてることになる。

 自分にだけ良い提案なんて存在しない気がする。
 ときには「迷惑をかけられる」こともあるだろう。
 ここらあたりは父親の姿勢は反面教師のようになっている。
 そもそもボクたちの存在は他人に迷惑をかけて成り立ってる
と考えた方がいいのかもしれない。


2013年9月 3日

知り合い

 商工会議所がよくやってる「愛市運動」、ボクはこれに批判的だ。
 「お買い物は地元で」ってやつだが、それなら周辺の
市区町村にお住まいの方はどうなる、ってつい考えてしまう。

 この「お買い物は地元で」には批判的だが、ボクは
できれば知り合いから買ってあげる、は実践しているつもりだ。

 いろいろメリットはある。
 こっちだっていつ世話になるか分からないし、お互い様って
考えも大事だ。

 もちろんデメリットもある。
 価格が割高であることも大きな理由だ。
 知り合いの場合、小さな店舗にて営業している場合が
ほとんどということになる。であれば、同じものがスーパー
でなら、3割、4割安く買えることも珍しくない。

 ただ、それでも知り合いから買い入れることを大事にしたい。
 今、盛んに行われているネット販売だが、ネットで知り合い
から買い入れることなどほぼあるまい。

 ネットが便利で安いかもしれないが、東日本大震災では
ないが、ひとたびなにかあれば、「ガソリンが手に入らない」
「食料品が手に入らない」「飲料水がない」などのことを
考えれば、危機管理の意味合いからもネットは危ない。

 ネットで安く買い入れられるのは、システムがきちんと
作動しているからだ。

 大震災が発生すれば、たちどころに機能しなくなる。
 そんなとき頼りになるのが周囲の知り合いだと思う。
 知り合いから買い入れることは危機管理の一つでもあると思う。

 そのために、日ごろから割高で買い入れておく、そんな
考え方だってありえると思う。
 今、町の小さな店舗は日々、消滅しつつある。それらを
みんなで支えることも大事なんじゃないかな。町の商店街は
防犯にも役だってるという意見もあるしね。

2013年9月 2日

破綻

 昨日、破綻なる本を読んだ。林原産業が破綻したが、
次兄の方が破綻に至ったいきさつをるる、述べておられる。
 製品としては「トレハロース」が有名だったと思う。
 「トレハ星人」が出てくるCMもあった。

 林原産業は以前から注目していた。岡山県は山口から
わりと近い地域。そこから世界的に有名な企業が頑張っている、
そんなことがうれしくて。

 林原産業がもともとは水あめを製造している会社であること
は知っていた。その水あめからトレハロースを生み出した。
 新しい価値の創造だったと思う。

 林原産業の破綻を知ったのはいつだったか。破綻してしばらく
してからだったと思う。新聞かなにかで読んだとき「えっ、
あの林原が」絶句してしまった。

 この本を読んでも売上は絶好調。傷のない企業だったことが
よく分かる。詳細は内容を読んでほしいが、一つの企業を
つぶしてしまったことの、地域に対する影響は甚大なものがある。

 売上絶好調の会社の存在を無にしてしまったんだから。
 論点はいろいろあるが、中に「日本の税制、商法は今の
ままでいいのか」なる課題を突き付けておられた。
 つぶれてしまった会社の重役だ。
 なんでも言えてしまうのだろう。

 人が一人、生きていくだけでも、電気も使えば水も使う。
 それが企業になれば影響は莫大だ。世界的に有名も企業が
つぶれたとあっては、これは日本の損失に違いない。

 会社の運営の仕方に問題はあったのかもしれない。ただ、
それにしても売上絶好調の会社の存在が無になってしまう
ほどのものなのか。疑問だ。

 これはこのようにも言える。日本を作っていく税制と
いうものの在り方一つで、元気のある国になったり、
やってもどうせムダ、みたいになったりするわけだ。
 この問題は根っこが深い気がする。ぜひ読んでほしい。