2013年8月30日

週刊誌

 毎週、週刊誌を3冊くらい買う。
 どの週刊誌にするかは変わるが、いつも3冊くらいになる。
 新聞も購読しているが、それでも週刊誌は買う。

 テレビは分かったことだが速報性が高い。起きた事件を
素早く伝えるのに適している。新聞もそれに近い。
 週刊誌は起こった事件を掘り下げて伝えている。

 テレビでは毎日、報道がなされるが、週刊誌を読んでいる
人間からすると物足りない。「結局、どうなったのか」
「なにが原因だったのか」はっきりしない。

 起きた事件は知れるのだが、背景がさっぱり分からない。
 また、テレビでは報道できない内容のものも週刊誌で
なら伝えることができる。

 テレビ関連で言えば「放送権の売買」などは一切、報道
されない。テレビ局にとって都合が悪いからだ。
 であれば、テレビばかり見ている人は、ある部分のみ
切り取られた内容を伝えられているのと変わりない。

 媒体を複数用意するのはそういう理由がある。
 また、週刊誌も3冊くらい買うが、その理由は雑誌
によって内容が違うからで、同じ事件を取り上げていても
掘り下げ方が違ってる。

 一つの事件を観察するとき、いろいろな方角から見ることが
望ましい。今なら消費税増税だろうか。
 分かったことだが、賛成、反対いろいろある。

 賛成、反対それぞれ、主張する人たちには背景に思惑が
あることが多い。それら背景を類推しないと、賛成も反対
も躍らされていただけ、になってしまう。
 ボクたちが接する報道というのは、偏向してることが多い。
 それを避けるには、媒体を複数用意することだ。


2013年8月28日

 高校に勤めていたころ、よく交わされていた話を書いて
みよう。反論もあるかもしれない。

 生徒の中には「頭はとても良いのだが、いかんせん努力
しない、勉強しない者がいる。さて、この生徒は頭が
良いのか」である。先生の意見は「頭があっても勉強
しないんだから、そいつはできないやつだ」だ。

 これはどこから来た言葉か知らないが、頭が良くて
だけど勉強しない人間のことをこの辺りでは「ノウクレ」
と呼んでいる。
 「あいつはノウクレじゃけー、いけんわ」。

 先生という人種は頭が悪くても努力している人間を
評価する生き物だ。ノウクレはあかんわけよ。

 どうだろう。
 人間、生きていく上で、努力しない、勉強しない人間
がうまいことやっていけるのか。そもそも、政治に
ついてもなにも分からないだろうし、法律問題にしても
からっきし専門外ってことになる。
 結局、「仕事もできねーやつ」になってしまうはずだ。

 なにが言いたいかっていうとね、持って生まれた頭
なんてあまり関係ないわけよ。それはたまたま中学生
くらいだったら「かなり良いところの高校」くらいには
入れるかもしれない。だけどそこから先はないよ。

 そこで、先生たちの意見としては「あいつは頭が悪い
んだ」って結論に落ち着く。本当の頭の悪さ、とは
こういうことを言うと思う。
 ノウクレはあかんわけよ、ノウクレは。


2013年8月21日

おかしい

 話してる本人はおかしいと思っていないのに、聞いてる
こちらは「それ、おかしいよ」ということがある。

 かなり前のことだ。
 知り合いが「また追突されたよ」と話してくれた。車を運転
していて、後ろから追突されたようだ。

 ただ、そのころ記憶にあるだけで、そんなことが何度かあった。
 「注意した方がええよ」と口にしたが、実際に知り合い
の運転を見てとても驚いた。

 彼は車を運転するとき、走行車線と追い越し車線がある場合、
多分、無意識だと思うのだが、いつも追い越し車線を走る
のである。

 どうでもいいことなので、「なぜ追い越し車線を」とは
聞いたことがない。彼は運転が上手で、自分からほかの
車にぶつけたことがないのが自慢だった。
 ただ、かなりの割合でぶつけられてしまうのだ。
 追突と追い越し車線走行は大きな関係があると思えて
ならなかった。

 ただ、話してくれる本人は、そのことがおかしいとか
改めよう、みたいな話を一度として聞いたことがなかった。

 よく「また追突されて、いいかげんなやつが多い」なんて
話になるのだった。それをはた目から観察するに分かるのは
追い越し車線を走行する車の中に追突する車が多いという
ことだった。あまり理由なく急いでいるのが原因だろう。

 話してる本人はちっともおかしく感じていないのだが、
聞いているこちらはそのおかしさに気づく。
 追突を誘発している事実に気がついてないようだった。
 自分ではおかしいと感じていなくても、はた目からすると
おかしなことが、あるかもしれないよ。


2013年8月20日

とらえ方

 今現在もできるだけ時間を作って近くの城山に登るように
してる。週に1回か2回だ。
 は、いいのだが、ここには市役所の職員さんも働いておられ、
出会うことがある。その職員さんたち、いつも車なのだ。

 ボクはそれを見るたび、「もったいないなー」って思ってしまう。

 ボクなどはわざわざ、片道10分をかけ車で向かい、車を
留められる場所を見つけ、駐車。当然、帰り道にも10分は
かかってしまう。それを職員さんたちは、タダでその環境を
手に入れられるわけだ。

 ただ、そうは言うが、職員さんの心境というのは、「この暑いのに
よく山など登ってられるなー」に違いない。

 なんていうかな、一つの事象を違う場所から観察してるような
気がして仕方がない。
 ボクなら絶対、お昼休憩などにこの山を上り下りするのに、
なんて思ってしまう。この坂道(アスファルトなので)で
職員さんと出会ったことはこれまで一度もない。

 ここは近在から人々を集め、みんな好きで登っているように
見受けられる。それらの人々を見て、なにを思うのだろうか。

 てなことは、実はどうでもよくて。
 ただ、この山を上り下りするについて、とらえ方のあまり
の違いに驚いてしまう。職員さんが実際はどのように
とらえているかは知らない。

 仕事にせよ、ほかのことにせよ、みんな同じだと思う。
 事実は一つなのだが、どのように観察するかで、辛い
労働になったり、楽しいレジャーになったりする。

 ここは入山料など必要ないし、何時に登り始めても
おかまいなし。制約は一切ないのである。自由だよね。
 その事実を別の角度から眺めてる可能性のある人が
いるかもしれないってことは、知っておいてもいいのでは
ないか、と思う。


2013年8月 9日

クジラ

 引っ掛かりやすい人というのは実在する。
 昨日、緊急地震警報が携帯に入ってきた。驚いた人も
多かったに違いない。ただならぬ雰囲気があった。

 ただ、実際には地震など発生せず、ただの予行演習に
なってしまった。そういう意味では良かったかもよ。

 あれは何年前だっただろう。
 新聞に「ロシア、ミニクジラの開発に成功」の記事が
踊った。写真もあり、小型の水槽の中を悠然と泳ぐミニクジラ
の姿があった。

 「うわー、とうとう、こんなことまでできるようになったのか」、
って思ったな。

 しばらくしてあれは誤報だと分かった。
 誤報っていうか、エイプリルフールの冗談だったらしい。
 考えてみればおかしな話だった。

 ミニクジラが開発できるとしたら、我がニッポンのはずだ。
 ロシアにできるはずがない。
 なにせ、歴史上、長らく食べてきた国だから。
 っていうか、だれも考えないよね。ミニクジラを作りたいって。

 あのとき思ったな。
 「オレもたいしたことないな」って。「ミニクジラ、開発
成功」の時点で、「なにかおかしい」って感じなければ
ならないはず。それがうれしそうに「とうとうやったかー」
だって。バカらしい。

 「ミニクジラ、開発成功」の記事を読み、何割かの
人たちはそれをわりとまともな話だと信じるわけだ。
 あなたはどっちだろう。


2013年8月 7日

考え

 ゆうべ、食事させていただき、みなさんの話を聞かせて
いただいた。中でサラリーマンと自営業の話になった。
 彼によると自営業とは自由業だということだった。
 かもしれないなー。

 「サラリーマンってのは、考え方が小さくて、ダメですよ」。
 ここのところのとらえ方はとても大切かもしれない。
 この世は考えていることがそのまま実現するわけではない。
 なかなかうまく運ばないものだ。

 ただ、自由業であるボクの意見を言えば、成し遂げたい
ものがあるなら、それをいつまでも忘れずに向かっていける
利点は間違いなくある。
 要するに、忘れるかどうか、だけだと思う。

 こんなことがあった。
 5年くらい前のことだが、夕食会に誘われ、出かけた。

 呼ばれていた歌手が歌を披露された。「あー、なかなか
いい歌声だなー」って思い、「わたくし、今度行事をするので
そこで披露してもらえませんか」とお願いしてみた。
 すると運よくOKをもらえた。

 こういうことって、頭のどこかにそのことが残っている
からこそ、タイミングの問題になったのだと思う。
 考えのどこかにそれがなければ決して結び付かない。
そんな気がしたものだ。

 日ごろは忙しくてその人のことを忘れていても、別の
方とお話させていただく中で、脳裏をよぎることがある。

 「わたくしの知り合いにこんな方がいますから、今度
紹介しますよ」、そんなセリフにつながってくる。
 「こんなことをしてみたい」、なんて思ったら、それを
忘れず、なにかあればすぐ取り出せるようにしておけばいい。

2013年8月 6日

神楽

 先般、またまた神楽の練習見学に出かけた。
 「ここはものすごく山深いところで遠いところだ」、そんな
印象があったのだが、慣れてみるとそうでもない。不思議だ。

 はじめ、ナビを見ながら「まだかな、まだかな」と
走らせているとき、かなり遠くに感じた。何度か走るうちに
距離を感じなくなってしまった。

 人はこれまでやってきたことをそのまま続けるのは
難しくない。慣れてないことをやると失敗したり、遠回り
のような気がしておっくうになる。そんな面はあるよね。
 遠回りの経験が少なくなってきたとしたら、問題かもよ。

 さて。
 神楽である。
 団員歴50年という、話し好きのおじいさんによると、
米軍の基地でも神楽を上演したことがあるという。

 ボク 「アメリカ人に神楽って分かるんですか」
 おじいさん 「いや、分かるみたいやで。やんややんやの
大喝采やったけー」
 ボク 「ええっ、ホントですか」
 おじいさん 「もう、すごいんじゃけー、どっちが悪者
で、どっちが善とかも分かるみたいや」。

 アメリカ人にも分かるんだ。確かにセリフなんて、
日本人のボクが聞いてもよく分からないからね。

 さて、ここで提言だ。
 団員歴50年のおじいさんの話。
 「池田さん、神楽ー、呼んでくださいや」。
 「神楽は手弁当で(あまりお金を取らない意味)出かけます
けーのー」。
 ボクはアメリカ人に見せてあげたいと思った。
 だれか呼びたい人、いますか。


2013年8月 5日

条件反射

 条件反射なのかな。
 昨日、団体の会合で食事会に出かけた。すぐ近くにできた
レストランで。バイキングスタイルだ。

 団体の会合なので、一室を別に用意してくれているものと
考えていたが、そうではなく。ほかの方々と同じ大広間で
いただいた。料理はとてもおいしかった。
 ここは見晴らしがよく、眼下に流れる川を見ながら、
いただくことになる。遠く米軍基地の施設も見える。

 ここで大変驚くことを発見した。
 7名で参加したのだが、アルコールをいただくのは
ボク一人だった。あとの方は全員召し上がらない。

 「これじゃーなー、盛り上がらないなー」とは思いつつ、
飲まないのだから仕方がない。
 ボク一人、瓶ビールの中瓶を二本、頼んだ。

 アルコールをいただく人なら分かると思うが、参加者が
だれもアルコールを召し上がらない設定だと、自分の
酒も進まない。
 日ごろ、これの3倍は飲むと思うのだが。

 団体の会合は参加者の都合により、真っ昼間におこなわれた。
 よって食事が終わり、午後1時くらいには帰宅した。

 このとき思った。「あーあ、オレもアルコールなしに
すれば良かった」。せっかくの日曜日、アルコールで
台なしにすることがもったいなく感じられる。

 おまけに、帰宅して1時間ほど寝てしまった。条件反射
なのだと思う。身体が「ビールを飲んだら寝る」と
決まっているみたいだ。
 やっぱ、アルコールは夜にいただくのがベストだな。