2013年1月31日

早寝

 ボクの知り合いに早寝早起きの男性がいましてね、夜9時には
寝て、朝は4時に起きるって、いうわけですよ。

 もちろん早寝早起きが悪いわけじゃないですから。
 すばらしいことなんですけどね。

 この男性が言うわけです。「池田さん、わたしゃー
夜10時、回ったら、もう頭が働きません」って。いつも
だったら就寝してる時間ですからね。

 ただ、社会生活をおこなう上ではどうでしょう。
 9時に寝るためには、会合も6時スタート、宴会もそれくらい
には始めないといけません。朝は朝で「新聞はまだ来ないな」
ってことになる。

 ボクは早寝早起きそのものはすばらしいと思うんです。
 ただ、たまには深夜に帰宅することもあるだろうし、
そのときは翌朝、少し遅く起きればいいのではないかと。

 あまりにも自分のスタイルにこだわり過ぎると、「社会が
こっちに合わせるか、どうなのさ」しかないわけで。

 時間にしばられるのではなく、用事の内容だったり、
自分がそれをやりたいかどうか、に的をしぼることが大切
だと思う。

 なんなら、毎日、出かけてもいいし、どこにも出かけなくても
いい。出かけることが目的ではなく、出かけてなにをするか、が
目的なはずだから。


2013年1月30日

歩数計

 先般、携帯電話が壊れたので買い替えた。
 新しい携帯には歩数計の機能が組み込まれていた。

 で、この3週間ばかり、なんとなく一日の歩数を見るのが
日課になっていた。

 それによると、ボクの一日の歩数は少ないときで3900、
多いときで5000から6000である。
 室内をゆっくり歩いているとカウントしてないみたいだ。

 日本が戦争中だったころ、「軍人さんは一歩、75センチを
前線まで刻む」と言われていた。

 ので、5000に75センチをかけざんすると、375000。
 およそ一日に4キロ平均、歩いていることが分かる。

 これは山道だったり平地だったりするので、キロだけでは
判断できないところもある。

 ボクは歩くときは、いつも靴を履き替え、タオルなど持参し、
軽装に着替えてる。要するに、歩く格好を作ってるわけ。
 革靴だと(普段はこっち)、1キロも歩かないうちに足が
痛くなってくる。

 以前、ボクはあることを発見していた。
 それは、物事ってものは全て、数値化せよ、である。
 歩数計は歩く距離を数値化できた。

 ボクの得意な計算であれば、やはり時間を計測することに
より、自分の上達度が、目ではっきり確認できるし、努力目標
にもしやすい。

 なんでも「とりあえず数値化できないか」工夫してみよう。
 そっちの方が「なんとなく頑張る」よりよほど、努力を
おこなう姿勢が身につくものだ。


2013年1月28日

マキ割

 先般、マキ割りをさせていただいた。
 輪切りにされた材木を小さくカットしていく作業だ。
 ボクは子どものころから、このようなことをする環境に
なく、マキ割りは試しに一回、やったことがあるだけだった。

 さて。
 このマキ割り。頭で想像するのと実際にやってみるのとでは
まるで違う。楽しいんだ。すごく楽しい。

 「なにが、なんであんなものが楽しいんだ」って聞かれても、
楽しいものは楽しいんだから。
 ボーリングのような、スカッとした感覚がある。

 オノを振り下ろすと、小さな材木のかけらが吹っ飛んでいく。
 それがボーリングのピンがはじけ、吹っ飛んでいくのと同じ
ように感じられる。こっちはタダだし、マキは火にくべて
暖房になるんだから。

 マキ割り。テレビの時代劇で見たことがあるくらいだった。
 あの光景を見て、なんとなく「わびしい」「さみしい」気持ち
にさせられたものだが、実際、やってみるとレジャーみたいなものだ。
 現代人にとって、それは義務ではなく、アトラクションだから
だろうか。とにかく楽しい。

 このマキ割り。およそ1時間ばかりやり、片隅に山のように
積まれていた材木の大半がマキ(破片)になった。そのとき思った。
 「こりゃー明日、筋肉痛で大変やぞ」。

 で、翌朝、こわごわ、起きてみると。ありゃ、意外にも
どこもなんともない。筋肉痛が、なかった。
 なぜだろう。ひょっとしてオノというのは、振り下ろすだけ
だからだろうか。重たいものが振り下ろされる、その力を
利用しているからなのかもしれない。
 これもやってみないと分からなかったことだ。

 とにかく。マキ割りというもの、現代人にとってはただの
楽しいレジャーに過ぎない。機会があればぜひチャレンジして
みてほしい。


2013年1月24日

主催

 ボクは見た目と中身がまるで一緒。あまり人と親しく話さない
のも、前からだ。何人かで楽しく話し合ってる中に入り込むのも
すさまじく苦手だ。

 ただ、それでも製造業ではないので、黙々と機械相手を
してるわけにはいかない。どうしたって人間相手になってしまう。

 そんな中、あちこち出かけてみて分かることがある。
 けっこうね、ボクみたいな「人間相手が苦手」な人も快活
にやってらっしゃる現実も見る。

 般若の面でもかぶってるんじゃないかと思う人が、顔の表情
を崩すと、とても親しみやすくなるのを見て「反則」って
叫んだものだ。

 これら、顔に難あり、雑談に難ありの人たち、観察していると
なにかの会の主催をなさってることが多い。
 お世話役だな。
 周囲の人たちのためにあれこれ手配し、お世話する。

 話しかけても、そんなにおもしろいことを言うわけじゃなし、
雑談のプロってわけでもない。
 そんな人も、その会では生き生きと活動されてる。
 友人は一般の人よりよほど多いんじゃないかな。

 この世はさ、自分から仕掛けて、広げていく人あれば、
仕掛けを用意して、人が入り込んでくるのを待つタイプもいる。
 これはどちらが上とか下とかいう話じゃない。
 仕掛けをうって人がやってくるのを待つ。とてもうまい作戦だ。
 般若には般若なりにやりようがあるってことかな。


2013年1月21日

線引き

 父親は株を始めて20年くらいは繊維株しか売買していなかった。
 大阪の毛布の会社に勤めていたのが、やはりきっかけだ。
 この毛布の会社は倒産してしまうんだが。

 父親によると「繊維の会社は腐ってもタイ」ってことになる。
 「業績が悪くなると、手持ちの資産の土地を売ってしのぎ、
開発のための資金にあてる」。「昨日、今日の会社じゃ
できんことや」。よくそんなことを言う。

 株売買するとき、自分の仕事と関連のある業種から選ぶことは
大いに理にかなってる。それとなく関連情報が入ってくる
位置にいるからだ。

 また、株価の推移を観察することは、ひいては自分の仕事に
プラスで戻ってくる可能性、大だ。
 関連性まで見抜くことができれば、株式投資でうまい成果
を残すこともできる。

 一般的に株というと、「なにがなんでもお金を儲け、儲けた
やつが勝ち」みたいな認識があるかもしれないが、株を真ん中
に、その周辺に存在している人もそれぞれだ。

 日ごろのお仕事をまじめにこなし、自分の会社の株式を
小まめに買う。20年くらい経ったらけっこうな資産になって
ました、なんてことは、十分にありえた。

 こんな人は頻繁な売り買いもしないから、「お仕事中、
株がちらついて仕事にならない」なんてこともない。

 要するに、株なんてものを過大評価せず、それで生活しようと
せず、「仕事も株もお互いにプラスになる」くらいのイメージ
で取り組む方法もあるということだ。なににおいてもそうかも
しれないが、確固とした線引きは必要にはなるが。


2013年1月18日

表面

 少し前、トムクルーズ主演の映画「ワルキューレ」を見た。
 なかなかにおもしろい映画だから、興味のある方はぜひ。

 「ヒトラー暗殺事件」を描いたものだ。アドルフ・ヒトラー。
 第二次世界大戦時におけるドイツの総統である。

 このヒトラー暗殺事件、実際に起こった出来事である。
 ただ、この暗殺事件は「かなりうまくいった」事例であり、
暗殺事件自体は4回くらい起こった。

 映画を見て、中学生のころ読んだ書物の断片が頭に届いた。
 「そうそう。暗殺事件は作戦会議をやってる最中に起こった
んだ」なんて、つながる場面が何度もあった。
 文が映像に化けたような感覚だった。

 実は、アドルフ・ヒトラー自身も暗殺事件を何度も起こしている。
 権力を握るまでは非合法に、握ってからは合法的にだ。

 一番規模の大きかったものは、「SA長官、とその周辺幹部
の暗殺事件」だろう。SAというのは、ボクが読んだ本によると
「突撃隊」と訳されていた。
 長官は「エルンスト・レーム」。

 権力を握るまでは、この武闘派の男は役に立ったが、ナチス
が実力を握るようになっても、以前のままの無骨さが抜けなかった。
 それで幹部もろとも始末した。

 SAはこれにて組織を終わりとし、「SS」(親衛隊)が作られ、
「ヒムラー」が長官になる。

 映画ってすごいなーって思う。一週間くらいかかって読んだ
本をうまく2時間にまとめてあるものね。
 ただ、なににおいてもそうだけど、表面だけ見て良い、悪い
を判断するのはやめようね。


2013年1月17日

ブレークスルー

 昨日、岸講師による人権講習会に参加してきました。
 人権ということで、人気がないのか、あまり人が集まって
ないようでした。

 確かに内容によって参加したい、したくない、があるのは
分かりますが、知識として知っておいて損のないことですので、
機会があれば聞いてみるべきだと思います。

 お堅い内容のわりにお話しは楽しかったです。
 始まる前、「堅い話を分かりやすくするためにわたくしども
講師はいます」だらしい。

 まずはじめに、「ブレークスルー」なる時間があった。
 「それでは二人一組になってください」。ありゃりゃ。
 なにかなと思うと、ジャンケンをするんだと。

 「これは負けるジャンケンです」。「まずAとBを決めて
ください。Aの人はグーチョキパー、どれでも好きなものを
出してください。Bの人はAの人に負けるものを出します」。

 いつもジャンケンって二人同時に出さないといけないって
感覚が強いので、いざ「Aがまず出し」って言われると
戸惑ってしまう。
 「ジャンケン、ポンポンのポンでAが、後ろのポンでBが
Aに負けるものを出します」。なわけ。

 なにかブレークスルーの話になってしまったけど、ま、それは
さておき。
 とっさに相手に負けるジャンケンを出すのって難しい。
 日ごろやらないからね。

 講師によると「こうしたブレークスルーをすると、頭の切り替え
もできるし、うまいアイディアが浮かんでくるようになります」
のようだ。ブレークスルーというのはこうした活用法があるわけだ。

 ほかにも「丸いシールを買ってきて、ジャンケンして勝った
人が負けた人の顔にシールをはっていく」ジャンケンもある。
 それで。なにかブレークスルーの話になっちゃったけど、
内容については機会があれば聞いてみてほしい、にしとこうか。


2013年1月16日

悩み

 かなり以前のことになる。ある短大の学長先生とお話しさせて
いただいたことがある。そのころ周囲の人たちに「気さくに話せる
人がいたら紹介してほしい」とお願いしていたからね。

 短大の学長室でお話しさせていただいた。
 ボク 「なんか、最近、仕事がうまくいかなくて」「やること
なすこと、うまくいかないんです」。

 学長 「わたしも悩みはたくさんありますよ。悩みがない人
なんてないんじゃないでしょうか」。
 ボクはこれを聞いてとても新鮮な驚きを感じた。叱咤激励
されると思っていたからね。

 ボク 「先生のような方でも悩みがあるんですか」
 学長 「ありますよ。口にすればキリがないだけです」
 学長 「素直にね、感じたままを生きていけばいいんですよ」。

 この最後の「素直にね、感じたままを」は確かに聞かされた
内容なのだが、学長先生から、だったかどうか定かでない。

 人はみんな悩みがあると思うが、「自分だけが苦しい」
「自分だけが辛い」と考えてしまいがちだ。

 ボクの新鮮な驚きというのは、「結局、みんな同じ」が
確認できたということだ。確認できただけだが、ものすごく
気が楽になった。

 一人でクヨクヨ考え込んでいると、ますます深みにはまって
しまう気がする。

 ボクはみなさんにもお薦めしたいのだが、こうして他者と
触れ合ってみる、ときには直球を投げてみることの大切さだ。
 自分だけの問題だと考え込むのではなく、「みんな一緒なのか」
と納得できるだけでもかなり気分が変わるものだ。

 やることなすこと、うまくいかないと、つい他者と話すのも
おっくうになるものだが、そこで少し前進してみよう。
 きっと収穫はあると思う。


2013年1月11日

ラーメン

 昨日、ラーメン屋さんに行ったんだ。ラーメン屋さんではたいてい
ギョウザもいただく。セットにしてもらった。
 ギョウザのタレを小皿に入れようとすると、こぼれてしまい、
いくつかの水たまりがカウンターに広がった。

 「あーあ」なんて感じで、ティッシュ(店、備え付け)で
ふこうとすると、店員さんがゾウキンをもってかけつけてくれた。

 そして「洋服にかからなかったですか」、そんな言葉までかけて
くれた。うーーーん、なかなか気がきくお店だなー。

 だが、採点すると落第点だな。
 まず、カウンターに水たまりが三つも四つもできた時点で
ある異変に気づかなくてはならない。現象面(こぼれた)
ばかり見てるからこうなる。

 店員さんの心のうちは。
 「あーあ、やっちゃったよ、ギョウザのタレくらいきちんと
そそげないのかよ」なんだな。この角度から見てしまうとある
重要なことに気づけなくなる。

 実は、容器のフタがきちんとしまってなかったんだ。
 ラーメン屋さんの容器って、おなかをペコッとおさえ小皿
にそそぐタイプ。この容器、傾けただけでこぼれてしまったんだ。

 だから店員さんは水たまりを発見した時点で、「あれっ、
この容器、どこかおかしいですか」がまずこなければいけな
かったわけ。
 「水たまりができた」「きれいにしよう」で終わってしまって
いるから、こうなる。

 この容器の不具合、見ただけでは分からなかった。
 そそいでみて初めて、ドボドボとこぼれる。
 ま、これも場数ってことになるのかもしれないが、現象面
ばかり追いかけても真実は見えてこないってことかな。


2013年1月 9日

健康

 健康ってあんなに大切なのかな。
 なんて書くと「オマエは今、健康だから言えるんだ」って
聞こえてきそうだ。かもしれないなー。

 ただ、健康が人生の大きなテーマになれるってことが不思議で
ならない。どっちだっていいんじゃないかなー、そんなの。

 健康に気をつけていても病気になる人はいるし、ならない
人もいるだろう。全て、自分がコントロールできるのなら
まだいいけどな。

 まず人間って「複数の悩みはなかなか持てない」は忘れては
ならない。ボクも悩みがなくなると、20年くらい前、他人に
向かって放った言葉が大変失礼だったのではないか、なんて
悩むからね。

 そんなことを思い出すと「オレって、今、幸福なんだろうな」
なんて思うんだ。
 ほかに悩むことがなくなると、人は探してでも悩むものだ。

 子どものころ読んだマンガでこんなものがあった。
 「先生(お医者さんに対して)、オレはこの先、3年生きる
ことが大事じゃないんだ。ここ3カ月、生きることが長生きする
より大事なんだ」。うーーーん。しびれるねー。このセリフ。
 一度は吐いてみたいものだ。

 健康は目的ではなく、なにかをやりたいときに、障害と
ならなければそれでいいんじゃないかな。
 周囲を見ていると「目的、健康」みたいな感じ。
 やりたいことを見つけよう。健康ってそれにくっついて
まわるモノ、でしょ。


2013年1月 8日

評価

 今も自宅に引きこもってる人っているんだろうか。
 身近に感じられないだけで、いるんだろうな。
 なかなか難しいことだとは思うが、やはり外に出て行かなければ
ならないと思う。

 かなり以前のことだが、ある短大の学長先生にお話しを聞かせて
いただく機会があった。知り合いに「なんでも腹をわって話せる
人がいないかな」と頼んでおいたら紹介していただけた。

 その学長先生に「ボクは頑張ってるつもりなのに社会は認めて
くれない。評価してくれない」なんて話をすると。

 ポツリと。
 「みんな、そんなことにかまっとるほど暇じゃないけーのー」。

 これを聞いたとき、なんとなくホッとするというか、納得する
ものがあった。「そりゃーそうだ。世の中の人が自分のために
生きてるわけじゃないんだから」。

 ボクは引きこもったことはないが、中学生のころは遅刻、早退
を繰り返しており、深夜のラジオ放送を聞いて、日曜日はお昼
ごろから始まった。

 「オレってダメなんだ」
 「つまらないやつなんだ」
 なんて思うのだが、自分一人で考えるせいか、出口が見つからず
に困ったものだ。

 「あんたはよくやっとるよ」
 「頑張ってるんだからいいじゃないか」
 なんてセリフも実は、外界に出ていくから投げかけてくれる
人も見つかる。自分一人で考えてばかりいてもそんな人は
見つからない。

 人は自分の位置を知るのに、他人を使っておこなっている
ものだと思う。だから、やはり外界に出て、いろんな人と出会う
ことが必須だと思うんだ。

2013年1月 4日

慣れる

 人間はなんにでも慣れていくって話をしてみよう。
 ボクは15で京都に社会人として単身、向かった。すぐに
働いたからね。

 うちはもともと借家だったが、ボクが10歳のとき自宅を新築した。
 中学になると、二階を増築した。二階にも水洗トイレ、流しが
作られた。二階に自分の部屋をもらったが、よって二階のトイレ
は自分専用になった。

 そのころのおもしろい話がある。同級生たちと話していると
「オレってさー、うんこ座りできないんだ。座ると後ろに
つんのめって倒れるんだ」だって。そのころ、ボクはトイレで
毎回のように20分、30分とこもっていたから、そんなの簡単だった。

 そんな人間が、京都で一人暮らし、おまけに大家さんに案内して
もらったトイレはくみ取り式だった。大家さんいわく「はじめは
掃除を当番にしといたんやが、だれもやらんから。わたしらが
やってる」。(実際は関西弁)。

 とうとう、恐るべきものがやってきた。京都に来る前、なにが
恐怖だったかって、トイレの問題が一番大きかった。
 それまで自分専用の水洗トイレを使っていたからね。
 「こんなトイレでこれから生活できんのかな」。

 これまでの生活がとても優雅なものに思えてきた。お風呂は
銭湯だし。それまでお風呂は当然のことながら新築の自宅で
ゆったりとつかっていた。「銭湯ってあの番台があるやつか」、
想像することすらできなかった。

 そんなトイレだが生活が始まってみるとすぐに慣れた。アパート
は一階に6部屋、トイレが二つ。どちらかが使用中、なんてめった
になかった。ノックされたことすらない。

 人間、便所に行きたくなれば、行くものだ。それまで心配で
心配でたまらなかったが、やってみるとどうってことはなかった。
 「人間、意外にやれるもんだなー」、あのときの実感だ。
 人間という生き物は頭で考えるよりよほどタフにできている。