2012年12月28日

他人

 以前はよく心理学の本を読んでいた。(そういえば、このごろ
読んでないなー)。
 なぜ、手にしたかは忘れたが、とても参考になった。

 まず、あれこれ考えていた事例が、それらの本に当たり前に
書かれていたことにとても驚いた。
 まるで自分の事例が取り上げられているのかと思うほどだった。

 それが分かってからというもの、それまで考えていたことが
とても小さなことに思えるようになった。
 「自分だけこうなんだ」と思うより「みんなそうなんだ」の
方が格段に楽になるようだ。

 で、心理学の本を読んで一番参考になったのが、これ。
 「自分と他人をきっちり分ける」。
 このような書き方はされてなかったと思うが、そんな内容だった。

 読んだとき大きな衝撃を受けた。
 「そうか、問題の大半は他人のことをまるで自分のことの
ように考えることからきているのか」、そんな衝撃が走った。

 たとえば、明日、体育館に行くとしよう。自分一人なら守る
のは簡単。自分を動かすのは簡単だ。だが、10人くらいで
集合しようとすると、必ず一人くらいは遅刻したり欠席したりする。
 他人というのは、そういうものだ。

 「なぜ、動いてくれないんだ」「どうして理解してくれない」。
 そこで分かるのは他人は他人、自分は自分、という単純な構図。
 「他人がそこまで動いてくれるはずないだろ」がないから、
困ってしまう事態に陥る。

 「他人なんだけど、ここまで動いてくれた」が実際は正解な
はずだが、ボクたちはそうは思わない。こちらの思った通りに
動いてくれることを望んでしまう。
 「他人は他人、自分は自分」、この境界をきっちり守る、
認識することはとても大事だ。

2012年12月26日

地元

 以前はよく海外に出かけていました。そもそもボクはあまり
海外に興味はありませんでした。ただ、一度出かけてみると
その楽しさが分かり、違った文化を体験できることに興奮
していました。

 ただ、海外に出るときはいつも緊張させられます。いろんな
緊張がありますが、中でも大きいのが「お金だけが頼り」「お金
が全て」でしょうか。

 地元にいるときみたいに「今夜、ちょっと泊めてくれー」とか
「ホテル代が足りんけー貸して」なんてできっこありません。
 ボクと現地をつなぐクサリは現金しかないのです。当たり前
ですよね。出かけるとやけに実感として分かるんですよ。

 それなら地元ではどうでしょうか。
 いろんな目に見えないバリアーみたいなものに守られています。
 それに気づいたのが海外で、だったというところがおかしいですね。

 ただ、地元は良いことばかりかと言えば違います。
 「あそこのおじさんは文句ばかり」とか「わずらわしいだけ」
みたいなことも多いものです。

 ボクは単純に思うのですが、地元って、お金以外のものも通用
してて便利なんだけど、便利さ以外のものも必ずくっついてくる、
そんな気がしております。
 わずらわしさもセットになってるんですね。

 外国に出かけてしまうと、わずらわしさはないんですけど、
自分を守る手立ては現金しかなく。多額の現金を持ち合わせてる
人には都合が良いかもしれませんけど。一般の人は苦しい世界
でしょう。

 自分にとって好都合なだけのバリアーって存在してないと
思うんです。めんどくさいのと便利がセットになって存在してる。

 それでも、バリアーはやはりありがたい。
 人はいつも同じ場所にいると、そこがありがたみのある世界
だと認識できなくなる気がします。ときには海外で便利さの意味
を再確認することも意味あることかも。


2012年12月25日

洗練

 昨日、福岡に遊びに行ってきました。博多駅の中もうろうろ。
 駅ビルの中にある本屋さんに寄ってみました。日ごろ、本屋
さんにはよく顔を出すのですが。
 すると、見たこともない本があり、わざわざ福岡から本を4冊、
買って帰りました。

 こうした、たくさんの人が交差する駅の本屋さんに行くと
いつもおもしろく感じています。町中にある本屋さんよりよほど
品数が少ないはずなのに、自分が買いたい本がたくさんあるのです。
 中には、同じ本が複数冊、あったりして。
 (ABC店長に送るなんとかって本は3冊、あった)。

 ここに本屋さんの一つの発展形を見いだす。
 ボクが買いたい本が置いてあるということは、男性が立ち寄る
ケースが多く、ビジネス関係の書籍もあるということなはずだ。

 駅の中なので「旅行の友」的な長編小説も置いてあるに
違いない。(ボクにはどこにあるか分からなかった)。
 買う層がきっちり決まっているはずで、なんていうか、ボク
用にセレクトしてあるって感じ。

 町中の書店はこんな感じじゃない。
 全ての年代の人に対応してるって感じ。

 駅中にある本屋さん、人がたくさん立ち寄る本屋さんというのは、
そのスタイリッシュを利用してるって感じだ。分かるかな。

 洋服屋さんだとよくあるよね。
 自分の地元より大きな町にある洋服屋さんの方がなんとなく
スタイリッシュな気がするってやつ。洗練されてるから
そうなるに違いない。
 地元だとパーティーに着ていくような服は置いてなかったりする。

 ま、そういう観点から言えば雑誌の推奨欄を参考にして本を
買うのも似たようなものかもね。
 いつも本屋に立ち寄るからって、都会の本屋さんに行く必要が
ないわけじゃないって、ところかな。


2012年12月21日

潜水艦

 ゆうべ、映画「Uボート」を見ました。ドイツが作った潜水艦
をテーマとしたものです。撮影された潜水艦は本物を二つ、用意
しました。

 このUボート、ドイツ軍の潜水艦ですが、いくつかの単語を
組み合わせたものの、頭文字を取ったものです。
 実は、ボクは毎度毎度、感慨深く見ているわけですが、日本
の方がこの映画を見ても、意味が分からない部分が多いと
思います。

 ボクは子どものころからドイツ軍のタイガー戦車で好きで、
中学のころは「ドイツ軍」と名がつけば片っ端から書物を
買い入れ、読んでるドイツマニアでした。

 そんなボクが映画「Uボート」を見ると、見え方、感じ方
が丸っきり違うものになります。

 まずナレーションで「Uボート乗組員はイギリスの補給路を
断つべく大西洋に出撃していった」と流れますが、ではイギリス
はどこから補給を受けていたのか。日本人には少し分からない面
もあるはず。アメリカ、からです。イギリスとドイツの戦争は
アメリカとドイツの闘いでもあったわけです。(このころアメリカ
はドイツ軍と正面切って戦争していない)。

 冒頭のシーンで「トムゼン艦長」が鉄十字賞を授与されスピーチ
する場面がある。ここからの空気が抜群に楽しい。

 「我が総統は、画学生から立身し、類い稀なる才能を発揮し、
最高の指導者になられた」。これは実は現場の軍人の皮肉で、
それを聞き「こいつ、なにを言い出すんだ」と身を乗り出す
将兵が何人か。でトムゼン艦長「えーーっと、何だっけ、
(イギリスのチャーチルとかいう、野郎のケツに魚雷を食らわせる)」
で、皮肉をジョークに変えてしまう。

 ここのところは日本人には理解できないだろう。
 スティーブマックイーンの「大脱走」にも同じようなシーンがある。
 日本の方に本当の意味でのUボートはなかなか伝わらないという
ことになる。もし見ることがあったなら、ぜひ、ここを注意して
見てほしいものだ。


2012年12月20日

時間

 なにか最近、他人の時間をぶん取ってる、そんな気分。
 こじんまりした町に暮らしているせいだろうか。
 こんなことだ。

 銀行に行く。「後から取りに来ます。よろしく」と言って
そこをあとにする。

 昨日は親に頼まれた保険の申し込み。
 こちらも「時間かかりますか。とりあえず、置いときます。
明日、取りに来ます」なんてね。
 窓口で座って待つことをしないんだね。
 これがやれるところはできるだけ、そうしています。

 「何度も行くのは手間だろう」と思われるかもしれませんが、
そこは小さな町のことなので。可能なわけです。

 役場に行くときは、行く前に電話して「これこれ、こんな書類
が欲しいんですが。必要なものは何ですか」と聞いてから出かける。
 役場の窓口で「印鑑が必要です」って言われて困ったことが
何度もあるからね。

 ま、これらは時間の節約術みたいなものかな。
 唯一、困ったことは車。
 車のタイヤ交換、エンジンオイルの交換のときは待っていなくては
ならない。なにせ、車がないからね。
 代わりの車があるときはそちらを利用します。

 こんなことを続けるうちに「オレって他人の時間を有効に
使ってるなー」なんて、おかしなところで感心してしまいます。

 自分の時間がなくなってくると、人間っていろいろ考えるもの
ですね。こんなふうに工夫して、自分の時間をひねり出すことも
やっていければな、なんて考えています。
 ちょっとした発想の転換でしょうか。

2012年12月19日

マーク

2012年12月18日

ストーリー

 株をやっていると口にしてるので、たまに「ではどこを買ったら
いいですか」と聞かれることがある。
 うーーん。まず、ここでその方の投資に対する感覚が見てとれて
しまう。株、やる人はこんな質問、しないんだよね。

 株式投資、ほかの金融商品を売買するときも含めて、大事なのは
ストーリーだと思う。「どこを買ったら」というのはその末に
たどり着いたものでしかない。

 大事なのは、人それぞれストーリーは違うはずなので、たどり着く
結論も違うだろう、ということだ。

 ストーリーと聞くと、イメージしにくいだろうか。
 まず株であれば、日本株か、中国株か、今ではブラジルもあれば
東南アジアもある。ロシアだって考えられる。投資先はエネルギー
関連か、車か、機械か、サービスか。

 古くからある企業なのか、新興企業か、資本金の大きなところか
小さなところか。「国内だけで生産、販売しているのか」「世界も
含めて展開しているのか」、ストーリーはいくらでも考えつく。

 「いちかばちかで」投資する人でない限り、手持ちの資金を
全て株に回す人などいない。であれば、資金のどれだけを
株に回すのか。も決めなければならない。

 こういったことは、売買する前から決められるものばかりでは
ない。長らく売買を続け、だんだんと自分の中にひな型ができ、
それをルール化して売買していく、ものなんだ。

 株の売買と聞くと「要するに儲かるか、儲からないかだろ」
みたいに考える人が多いはずだが、現実にはイメージ力、展開
ゲーム、が近い。

 商売、やってる人であれば、その展開ゲームを実際の現場に
生かしていく。こともやる。
 商売で得た勘を、また株売買に生かすこともやっていく。
 「どこを買うか」より「どうしてその銘柄にたどり着いたのか」
の方が実際には重要だ。

2012年12月17日

掃除

 意外かもしれないが、ボクは毎日いろんなところを30分は
軽く越える時間、掃除してる。
 掃除って楽しいんだ。

 なぜ、掃除が楽しいのか、うまく説明できないんだけど。
 で、掃除と言うと、「同じことの繰り返し」って感じが
するでしょ。確かにそうなんだ。同じことの繰り返し。

 一昨日、移動させて掃除したところを、また移動させる。
 この繰り返しが、妙に楽しい。不思議だ。
 一つには掃除って後戻りすることがない、があるんじゃないかな。

 やる前より必ずきれいになるわけでしょ。
 これはどこか前進していることを感じさせられるんだ。
 それから工夫もある。

 掃除を一手に引き受けてるところは、「あそこは掃除が届いて
ないな」など思うと、そこを重点的に掃除したりする。
 また、掃除において大切なことは「一週間分まとめて」掃除
するより、毎日の5分の方がきれいになること。これは当然だよね。
 掃除を続けていると徹夜で頑張ることより、平日に、小まめ
に取り組む方が能率が上がるって自然に理解できる。

 たまに思うことがある。
 ホウキ(掃除機は使いません)で集めたゴミを、ゾウキンで
ふいたところに戻したらどうなるだろうって。
 きれいに磨いた床に集めたゴミをばらまく。

 不思議とそれ以前とは違うだろう、って分かる。床がピカピカ
だからね。そこにゴミをまいても元の状態にはならない。はず。
 掃除ってやつは毎日、毎日、同じことの繰り返しにほかならない。

 掃除する前までは「掃除になんの意味があるんだ」って思ってた
けど、やってみると楽しいし、なによりきれいな空間というのは
能率があがる。あれはやってみないと分からない感覚かもしれない。
 人間、生きていれば必ず汚れる。それをきれいにすることは
人間としてまずは当たり前のことかもしれない。


2012年12月14日

 このごろ本を読む人が減ったそうだ。
 とても不思議で、疑問に感じるところだ。

 本、ブックにはどんな印象があるだろう。
 「今どき、はやりの小説」みたいなものもあるだろうが、
手っ取り早く、いろんな方の考えを導入できる作用もあるの
ではないかと思うんだ。

 先般、牧野さんという方の書いた「町の不動産屋はなぜ
つぶれないのか」なる新書を読んだ。とてもおもしろかった。
 牧野さんの、土地に対する考え方が主に書かれていると思う
のだが、興味深かった。

 高校のころ、先生からよく聞かされたことがある。
 「池田君、物事はな、いろんな角度から見んといかんのやで。
こちらからばかり見るのではなく、あっちから見たり、こっち
から見たり」。

 本は、具体的にいろんな角度から物事を観察するのに役だって
いると思うんだ。

 本によっては「あっちとこっちがバラバラ」なことが書かれて
いたりするかもしれない。だけど、「信用できない」と短絡的
に考えるのではなく「なぜ、ここまで記述が違ってきたのか」
背景を探ることも、また頭の訓練になる。

 日本人の多くの人たちが関心を寄せている為替にしても、
バラバラなのは一緒だ。国の借金にしても「破綻する」なる
意見と「これだけの資産があるんだから」みたいな話も多い。

 時間が経てばどちらかが間違っていることは明らかになる
はずだが、読者が双方を読んで自分なりに類推することが
求められていると思う。

 国の借金も半ば、未来のことだから完全に言い当てることは
難しい。そもそも難しいことを記述しているのだから、著者、
読者双方が手探りとも言える。
 たくさんの人に会って話を聞き、たくさんの本を読んで
自分の考えを補完することが大事じゃないかと思うんだ。


2012年12月13日

上達

 上達って、通る道はみんな同じような気がしてるんだ。
 スキーを始めたとき、なにか変だなーって思った。その
「なにか変」の理由が当初、よく分からなかった。
 ただ、あるとき「アッ、ひょっとして、これか」。

 ボクは珠算8段、暗算9段だが、知らず知らずに、同じような
練習方法でスキーに取り組んでる自分を見つけて、すさまじく
驚いた。

 どこか、気持ちの中に「これは遊びだから」「そんなに必死に
ならなくても」そんな感覚があったはずだが、いざやってみると
「やれるようになるまで、とことんやる」、そんな練習風景が
再現されたようだった。不思議な感覚だった。

 それからというもの、ほかのものに取り組むときも、珠算が
上達したときのような、あの過程を無意識にもたどってる
自分を見つけたりした。

 なんていうか、あの練習を抜きに語れない、って感じなんだな。
 自分にとっての成功体験だったのかもしれない。
 で、頭は無意識にもそれをなぞってしまうというわけだ。
 人って、それまでの自分の体験と比較するのかもしれない。

 高校受験でうまくやれた記憶のある人は、「あのときの
勉強はこんな感じで取り組んだ」とか「三日前からの徹夜が
有効だった」など、その人ならではの、経験を持ち、次に
なにか難題にぶつかったとき、無意識にもそれを取り出して
実践してる。そんな気がする。

 で、あれば、なにか一つをとことんやることはとても大きな
意味がある。比較するのであれば、そういうものと比較するのが
いいからね。

 ボクの考えだが、人はそれまでの、どこかにある自分、と
しか比較できない気がする。「頑張れ」っていっても、なにと
どう比べて「頑張るのか」はっきりしないからね。
 上達していく過程は驚くほど似ているんじゃないかな。それが
ボクの感想だ。

2012年12月12日

目線

 ボクは本が好きなので、もちろん本屋さんにはよく出かけ、
店内を観察して歩いてる。
 また、雑誌などで推奨欄にて本を探し、本屋さんで買い求める
こともよくある。今日はその話をしてみよう。

 店頭にて「その本はここにあるようになってますのでお待ち
ください」、はよくある。しばらく待っていると店員さんが
「おかしいですねー、あるようにはなってるんですが、売れて
しまったみたいです」。

 初めのうちはさ、「売れてしまったのかー」なんてあきらめて
いたんだ。たださ、続けて店内を歩いていると、ある。あった。
 「おかしいなー、店員さんはないって言ってたのに」だ。

 ま、あることはいいことなので、レジに持参すると店員さん、
「あれ、ありましたか」だって。

 それからは、店員さんから「ないはず」と聞かされても、
鵜呑みにせず、店内を歩いて探すようにしてる。

 このような形で店員さんはないと言ってるのに、実はあった、
は頻繁にはないけど、片手以上はあったな。

 こちらは相手が本の専門家くらいなつもりでいるので、「ない
ものはない」が前提になってる。だが、この事実は「一通り
探したけど見つかりませんでした」をあらわしている。

 意外だが、棚にささってる本より、平積みにしてある本を
見落としてることが多いみたいだ。「ここにあるはずがない」
が、原因なのかもしれない。

 そこにいくと、ボクたち専門家じゃない人間は、どこでも
探すからね。店員さんにはもうひとつ、癖みたいなものがある。
 「なになに建築からみたなんとか」って題だとすると、必ず
「家、住宅、建築」の棚を探すんだ。当然かな。
 でも、違う場所に置かれてることもある。

 専門家は同じレールばかり走るので、意外にも見落として
しまう場所がかなりある、とも言えるな。
 ボクたちの目線、視線についても似たようなことはない
だろうか。注意したいものだ。

2012年12月11日

無作為

 講座とか講習会とかよく受けます。内容に興味がある、とか
そっち方面が好き、など全くなく、時間が取れるから参加
しようか、です。
 以前からそうですね。

 興味なくても、そのとき参加して興味を持つようになるかも
しれませんしね。みんな興味なんてそんなものでしょ。
 友人に誘われた、テレビで案内してた、知り合いから誘われた、
なんてのがほとんど。ボクの趣味のスキーだって最初は
誘われて参加、ですから。
 よってボクは「なんにでも参加してみる」という自分を確立
しているわけです。変なの。

 こういうのもたくさん参加してみると、話を分かりやすく
説明できる講師がいたり、つっかえつっかえで、一体なんの
話なのかさっぱり要領を得ない講師とか出会います。

 そういうのを聞くと「ここはこうした方が」とか「もっと
簡単な言葉使ったらどうかな」など、自分なりに工夫したりも
します。そんな作用もある気がします。

 これら講座に参加したならば、しまいのところで「それでは
最後にご質問などございますか」ってタイムが用意されることが
多い。そこで思い切って挙手してみよう。

 質問なんてなんでもいい。
 みんながこちらに注目してる気になるかもしれないが、
いやいや、そんなことない。最初から最後には質問するつもりで
いると、内容がかっちり頭に入ってきたりする。心構えが
できるんだろうね。

 ボクは無作為に選んで参加しているわけだが、講座とか講義
とかいうものも、共通項があるはずだ。そこを自分なりに
感じておくことも大事だ。
 「あの話とこの話はかなりつながっているな」だ。

 こんなものをたくさん用意しておくと、人に説明するときも
相手が分かっていただけるまで例として話すこともできるしね。
 説明することによって、自分の理解も深まる、のもあるんだ。
 これからは無作為に参加の時代だね、なんちゃって。


2012年12月10日

楽器

 言葉は、人の脳みそに働きかけ、次の行動につながって
いく気がしてならない。

 先般、「スーパー発声法」なる講座を受けた。時間にして
わずかだったが、耳に新しい言葉があり新鮮だった。

 「声楽ってどんな字を書きますか。声を楽しむ、ですよね、
身体を使って楽しむんです」。すごーく新鮮。
 「身体は楽器かー」。なにかそっち方面からは考えたことが
なかったから。

 で、あれば、ボクは富士山に登ったことがあるが、あれも
「身体を使って楽しく登山したことに」なるわけか。これまでは
「なにがなんでも山頂まで行きたい。なんとしてでも」、なにか
意志の力が大きくて。「この身体を使って山頂まで行ければ
楽しいな」なんて、ちっとも考えたことはなかった。

 なら、「無酸素」でエベレスト登山した人なんかも「身体は
こんなこともできますよ」、そっち方面から考えることもできる
わけだ。

 スポーツも「勝った、負けた」と騒ぐけど、自分の身体を
使って楽しんでいると考えれば、見え方が変わってくる。

 「自分の身体を使って取り組んだ結果、負けました」。
 または「身体の機能をとことん使い尽くしました」かな。

 人間って、結局、身体を使ってなにかするしか方法がないもの。
 脳みそも身体の一部だと考えれば、全てがそうなる。
 言葉というのは、観念を呼び起こす。

 ランニングするにせよ、「身体の機能を隅々まで使ってます」
なんて、考えない。ただ、新しい言葉の導入により、「身体
って走れるんだ」、そんな感覚にもなれる。
 新しい言葉の導入ってだれにとっても必要だと思うんだけど、
いかがでしょう。


2012年12月 7日

発声

 先日、時間が取れたので「スーパー発声法」なる講習を受けて
きました。とても楽しかったです。

 いつも、これらの講義とか講習に参加したとお話しすると
「池田さんはそんなことにも興味があるんですか」と言われる
のだが、興味はあと。まずは参加してみることにしてる。

 もし、似たような講習を三つくらい立て続けに受ければ
その分野にかなり詳しくなると思う。一度、こうした形で
聞いておけば、次回、また別の方から聞いても、1から聞くより
理解力が高まると思う。

 発声法の中で特に印章に残ったのが、これ。
 「なにか重いものを持ち上げるとき、息ははきますか、吸い
ますか」。剣道も同じこと、言うな。

 確か、重いものを持ち上げるとき、息を吸って吸って、そこで
とめて持ち上げているはず。吐いてるときに持ち上げると危険だ。
 武道とかスポーツ全般に関係してるんじゃないかな。まさか
発声法にまで関連があるとは思わなかった。

 声楽というのは、「声を楽しむと書きますよね。声楽は
楽しいものなんですよ」だそうだ。声を発する、そのとき、
大切なのが大きく息を吸い込んで、そのまま発声する、だ。

 剣道もメーンと打ち込むそのときは、大きく息を吸い込んだ、
そのときだ。

 逆に打ち込まれるときというのは、吐く途中なわけだ。
 どちらも、相手の呼吸を観察してるとも言える。
 このごろあまり「呼吸をととのえる」とか聞かなくなった。
 物事に取り組むとき、呼吸を大切にすべきなんだろうね。

 まさかスーパー発声法にて、そんな話を聞くとは思わなかった。
 「そんなの興味ない」、よく聞かされるが、なんだって聞いて
みればいい。楽しかったら趣味の一つに加えればいいんだし、さ。

2012年12月 6日

比較

 以前、オーストラリアを旅行したことがある。
 このころ、一般の家庭を訪問するツアー、というのがはやった。
 オーストラリアのときも訪問した。
 年配の夫婦が暮らすお宅である。

 まずお宅に伺うと、どこが玄関か分からない。うっそうと
した林の中にたたずんでいる。驚いたね。

 中を案内される。「ま、ま、どうぞ」とお茶をよばれる。
 そのお茶をよばれたところが、多分、この家のハイライト
(分かるかな。見所)なのだろう。お気に入りの場所みたいだ。

 横に長い窓が配置され、眼前にはなだらかにうねった牧草が
目に飛び込んでくる。タテガミをなびかせた馬が走っているのが
見える。なんかこの世じゃないみたいだ。

 旦那さんも「この景色が気にいってここに住んでるんだ」と。
 まず日本じゃ見られない景色だろうね。

 それからお宅の中を案内する旦那さん。
 ある部屋にあるオーディオに目がとまった。
 いや、その巨大さにね。旦那さん、そのオーディオも自慢
らしく「どう、これ、すばらしいだろう」みたいに盛んに目配せ
してくる。いや、どうと言われても。
 半ば、ソファーと一体化してるそのオーディオの存在感と
きたら。ものすごいの。

 いろいろ案内していただいたが、結論としては「人が住む、
暮らすというのはこういうことなのね」だった。
 寝室があったり、オーディオの部屋があったりするわけだが、
当たり前だよね。

 ボクたちはいつも日本にいて、これが当たり前と感じて
暮らしているわけだが、ときに外国に出てみると、つくづく
日本と外国の違いを感じる。

 日本の、とにかくなんでも小さく作るって、人間の基本的感覚
なのだと思っていたが、違うみたいだ。あれは国土が狭いから、
思うんだろうね。
 比較って、これくらい違いのあるもの同士を比べると違いが
くっきりして見えてくるね。

2012年12月 4日

建値

 株の世界に「建値を忘れよ」なる言葉がある。とても大切
な話なんだ。

 ボクは以前、「東芝株」を持っていたことがある。1200円
くらいで買い入れた。「建値を忘れなさい」とは、この
1200円で買った事実を忘れろということなんだ。

 ただ、現実に東芝株が800円くらいに下落してしまうと
どうしても眼前に1200円がチラチラする。既にこの時点で
100万円を越える損失を抱えている。

 今、売れば100万円、しばらく辛抱すればひょっとして50万
くらいの損で抑えられるかもしれない。どっちにも動けないまま
時間だけが経過。

 こんなとき、意外にも思い切った決断などできないものだ。
 株も土地も建物も買った瞬間から値段が変わっていく。
 もちろん製品だってそう。

 「この値段で買ったのに」なんて感じながらそのまま所有、
よくある話だ。
 ここを割り切れる人なんてめったにいないと思う。
 建値を忘れることのできる人だ。

 建値を忘れるためには、何度も何度もつまんない売買を繰り返し
「切って捨てる」ことを覚えないといけない。
 東芝株で言えば「もう、あんな1200円なんかになるわけ
ないだろ」とあきらめなければいけない。

 こんなことを繰り返していると「株での損、儲け」なんて
しょせん数字の世界の話だな、なんて達観してしまう。
 現実の暮らしとは関係ないわけ。

 なんていうかな、「せっかく高いお金を出して買ったこの
機械。使わなければもったいない。とはいえ、新しくて
使いやすいのがある。さて、どうする」みたいなことかな。
 時間のムダだから新しいのを使えってわけだ。

2012年12月 3日

先行投資

 これから独立、自営に踏み出すという方には、いつも「半年から
一年は収入がなくてもいいよう準備してありますか」と質問している。

 いつもきょとんとした顔をされるが、これなどはごくごく
当たり前の話に過ぎない。実績も信用もない会社が営業開始と
同時に仕事が舞い込むことなど、実際にはあまりない。
 半年から一年は先行投資の時期と考えなければならない。

 これは個人においても同じだと考えている。
 ボクは京都在住の間、毎月お給料をいただいていた。
 ただ、いただくわけだが、自分では納得できないものがあった。
 それは「自分はお金のためにここにいるわけじゃない」と思って
いたからだ。

 京都に行く前、周囲の人たちから「修行ってのはこんなもんだ」
「徒弟制度というのは、あんたが世の中を教えてもらうんだから」
「あんたはなにも知らないんだからね」と聞かせてもらった。
 それがあったから、なんだ。

 ボク自身、山口県でのほほんと暮らしてきて、親もせっせと
働いてくれるのでなにが不自由なわけじゃない。学校の成績も
悪く、「どうしてオレってやつはこんなにバカなんだろう」
なんて思っていた。
 そんな人間が一人京都に行くわけで、もちろん大変だった。

 だけれども、気持ちの中には常に「自分はなにも知らないん
だから、ここで教えてもらうんだ」って感覚があった。

 というのは、こういった修行先というのは、ほかの人も同じ
ように志願してる場合が多い。志願者が多いと、相手のリスク
を減らす意味で「タダでいいから働かせてください」にしないと
いけない。だから、タダでもいいわけ。

 自分の知らないことを教えていただけるんだから、ボクも
もちろん京都では「ダルい」「かったるい」「めんどくさい」
などただの一度も口にしたことはない。言えるわけがない。

 世の中、自営も個人もまずは先行投資が大切だ。
 「タダでいいから働かせてください」、どうせなら、そういう
先を探すことだ。そして、こう言うんだ。「タダでいいですから
お願いします」。