2012年11月29日

団体

 いくつか団体のお世話役をやっている。
 以前はこんなことを思っていた。
 「なんでオレが。めんどくさい。だるいなー」って。
 「自分の仕事もあるし、団体に所属してる人はみな同じ立場
なんだから、同じだけ動いて当たり前だろ」。

 団体の仕事をやっていると、どうしてもこんなことを考えてしまう。
 それは団体の仕事は直接的に金にならないからだ。
 自分の中で正当性が保てない。

 ただ、続けるうちに考え方を変えていった。当初は変えないと
やってられない、だったが、いつしかそっちが当たり前になった。

 はじめはこんな感じだった。
 「打ち合わせとか、みんな自分が決めることができるんだから」。

 お世話役をやるということは、打ち合わせ、会議、全体会議など
顔を出さなければならない。ただ、そのどれも自分の都合に
合わせて決定することができる。ここが突破口だった。

 商店街連合会などがそうだが、所属してる部員たちはこんな感じ。
 全体会議などで、いきなり書類を渡され、日時、場所、おまけに
自分の役割分担まで書き込まれてる。その書類を見て、行動
すると「つき合わされている感覚」にとらわれるはずだ。
 ボク自身もたびたびあった。

 これがお世話役になると、全てにおいて自分の都合を入れる
ことができる。ボクだったら「懇親、スキー旅行」なんて企画
するはずだ。得意分野なので、企画するのも簡単だ。
 スキーをしない人に分担が回ってきたら大変なはずだ。

 よってボクの言いたいことは、どうせ団体に所属するのなら
お世話役にならなければダメだということだ。
 お世話役はめんどくさいけど、全てにおいて主体的に取り組める。
 身体は忙しいが、精神的にはとても楽だ。
 「団体に所属していてもなんとなくやる気が出てこない」なんて
人は、あっさりお世話役に回った方が良い結果が待ってる気がするな。


2012年11月28日

弁護士

 たまにだが「池田さん、知り合いに弁護士さんはいませんか」
と聞かれる。ボクも詳しくはないのだが、知り合いを紹介
させていただく。
 日ごろ、弁護士さんのお世話になることなど考えられないからね。

 ただ、ボクのような人間にまで問い合わせがあるということは、
それだけみなさんは必要性を感じてらっしゃらないわけだ。

 だが、分かったことだが、この世では、いつ、どんなことに
巻き込まれるか分からない。

 あまり心配ばかりしてもつまらないが、なにかコトが起こった
ときに行動に移すのはあまりに考えがなさ過ぎる。
 日ごろから「こんなときはだれに相談すればいいのかな」
くらいは知っておいた方がいい。

 先般、「知って助かる法律相談」なる新書があったので購入した。
 新書だから1000円くらい。
 ちょっとした法律に関することであればまめ知識くらいには使える。
 こんな本も「必要ない」と言えば言えるが、「ちょっと本棚に
でも置いておくか」でもいいはず。

 分かったことだが、人は関心のあるものにしか興味を示さない。
 だから急に弁護士が必要になったときに、どこに相談すれば
いいか分からない事態が発生してしまう。

 人は風邪をひくと病院にかかる。風邪をひいてから病院を探す
のもいいが、日ごろから注意して探しておく方がいい。
 世の中のことは広く、薄く知っておくことも大切だ。道しるべ
くらいはつかんでおかないとね。


2012年11月27日

類推

 たまに不思議に感じることがある。どうやらみんな、あまり本
を読んでないようだ。
 なぜなんだろう。

 本を読んで実感することがある。それは確かに本から情報が
得られるのだが、それだけではなく、物事の裏側を観察する
癖がついてくることだ。
 類推する力がアップするんだ。

 本からだけ、とは限らないだろう。
 高校生のときよく言われた。
 「仕事とは気働き、(きばたらき)、タバコと言われたら
ライターに灰皿、カバンと言われたらコートに靴べら」。

 これらはみな類推ゲームのようなものだと思う。
 「1を聞いて10を知る」という言葉がある。たいていなら
学校の勉強において少し聞けばよく理解できることを言う
わけだが。学校の勉強より実社会での類推ゲームの方がよほど
大事だと思う。

 類推ゲームを続けていると、同じように類推ゲームを実践
してる人のことがよく見えてくる。
 「あーこの人も同じようにやってるんだな」と分かるわけ。
 それが分からない、見えてこない人というのは、あまり意識
をはらってないはずだ。

 よく「ホウレンソウ」と言われる。「報告、連絡、相談」の
ことだが、その前に類推ゲームを持ってくるべきだ。
 類推ゲームをしながら報告、連絡、相談をする。きっと
うまくいくはずだよ。


2012年11月26日

失敗

 昨日の日曜日、全国大会の審査、判定をおこなった。
 初めての経験で大変に緊張させられた。19代珠算名人位
決定戦である。「日本で一番」を決める大会だ。

 前夜祭、ならびに当日も来賓として初代永世名人、次代永世
名人が列席した。ボクたち地元スタッフは26人におよんだ。

 リハーサルは3度におよび、さっぱり要領をえないまま当日を
迎えた。全国大会なんてボクに限らずだれにとっても初めてだ。

 はじめ127名での予選がおこなわれた。ここで審査が始まる。
 「緊張のあまり表情を堅くしてはいけない」なんて自分に
言い聞かせながら務めた。挙手があれば飛んでいかなければならない。

 問題はトーナメント戦だった。
 予選によって16名にしぼられた選手たちを前にして判定、審査
しなければならない。なにしろこれで日本一が決まってしまうんだ
から。緊張しっぱなしだ。

 ただ、何度もリハーサルで実演して分からなかったことも
本番ではスッと頭に入ってきた。そんなものかもしれない。

 トーナメント戦では先に4勝した瞬間、勝者が決定するのだが、
判定役の方はそれが分からず、「間違えました」とやらかして
しまった。リハーサルのときから「これだけはやらないでおこう」
とみんなで頑張っていたのだが。

 だが、どういうものか、本番で「間違えました」とやらかして
からはクソ度胸みたいなものがついたらしく、それからはウソの
ようにうまくやれた。

 今になって思うがスタッフのだれもが「わたし、もうダメ」と
投げ出さなかったことが良かった。まずい結果でも続けていれば
要領をえてうまくやれるようになる。初めからうまくやれる人は
いないんだ。

 今になって思うが、大会運営者が初めに思いっきり「うわ、
間違えました」とやってくれると、すんなり進んでいくな。
 大会運営者にはぜひとも、学んでいただきたいものだ。


2012年11月22日

サイン

 いろいろな方とお話しさせていただくが、ふと気づくとこんな
ことも。

 「わたしはあそこが悪い」「ここが悪い」。
 たいてい、みんなどこか悪いところがあり、ついそれが出て
しまうのだろう。

 以前、ばあさんが病院に入院していたことがあるが、そこで
出会った入院患者の話題がすごかった。
 「わたしは満身創痍、悪くないところがない」だった。
 どちらがより深刻な病気にかかっているのか、大会でも
見てる気分だった。

 これらの方とお話しさせていただき、気づくことがある。
 あまりにも自分のことばかり観察し過ぎているなと。
 自分の状態ばかり観察している。

 そこには「抱負」とか「希望」「これから」みたいなものがない。
 「これからこうしていきたいな」ではなく、ただひたすら
自分の病気ばかり見つめてる。そんな感じ。

 人は自分の興味あることしか見ないものだ。
 「旅行に行きたい」「資格を習得したい」「いろんなものを
見てまわりたい」、そんな発動がなければ、実現しない。
 視界が固定化されてることが一番問題なんだと思う。

 自分の状態を観察するのもときにはいいが、もっと視界を広げ、
いろんなものに興味を持ち、眺めてみればもっと楽しい光景が
広がるのではないだろうか。
 話題ときたら「病気のことばかり」なんて人は、病気が問題
なのではなく、そこにしか気づけない自分に問題があると
考えるべきだろう。


2012年11月20日

 「金は塊にせよ」、いろんな方から聞かされた話だ。
 これはどういう意味だろうか。

 「お金は少ない金額のあいだはたまらない。ある大きさになると
それを崩したくなくなる。たまるのはそこから」である。
 残念ながらボクはいまだに実践できていない。

 「お金をためる」、だれしもまず「100万円」からだと
思うはずだ。500万もたまれば、塊になる。なんとなく
崩したくなくなる。たまるのはそこからだと。
 この「崩したくなくなる」は重要な要素だと思う。

 ボクはなんとなく実践はしていた。
 株式売買を続けていたからだが、株式という、お金に近いが
お金ではない、に意味があるのかもしれない。

 これまでは、株式資産は確実に増えていく時代だった。だから
「毎月のお金から、株式用に取っておいたお金」で株を買い、
それが資産として大きくなっていった。

 ボクがそうならなかったのは、ほったらかしにしておいても
株式資産が大きくならなかったからだ。
 株式は「なにを売買するか」じゃなく「いつ所有を始めたか」
の方がより大きな意味を持つと、ボクは考えている。

 どうだろう。
 財布の中身って、たくさんあると気が大きくなってつい「使って」
しまわないだろうか。だが、銀行預金にしておくと、少し抵抗が
発生する。株式ならもっとだ。
 宅地、住宅になってしまえば、もっとだ。

 価値観の問題もあるから、簡単には言えないが、「すぐには
使えなくしておくこと」はとても重要な意味を持っている。
 人はやはり発想の動物だと思う。その考え、感覚がなければ
実践はできない。「すぐに現金化できないもの、があっても
いいよな」と思うことも大切だと思う。


2012年11月19日

売る

 ボクは人がそれを「買わせてほしい」って言われたとき、
できるだけ売ればいいと考えています。株をやる人にはすぐに
分かっていただけると思うんですけどね。

 ボクは19のときから株の売買をやっています。長く続けて
きて実感させられるのは、こちらが「売りたい」と願っても
売れるわけではないということ。
 株なんてものは他人が「買いたい」と願うときしか売れない
ものなんです。

 先般「パナソニック株」が大幅に値下がりしたようです。
 ボクは所有していますが、値下がりする最中に売りたいと
考えたとします。売れませんね。みな考えることは同じですから。

 「自分だけ助かりたい」と考え、「一円でも株価が高いときに」
手放したいのはみな同じですが、圧倒的多数が「売りたい」
なんですから、売れるはずがありません。
 こんな歴史的安値をつけたときは、買うことはいくらでもできます。
 おもしろいほど簡単に。

 株の売買の方法に「指し値買い」というのがあります。
 「この値段じゃないと買わないよ」と値段を決めて売買します。
 早く売りたい人は「成り行き」でいきます。パナソニック株が
下げ「自分だけ逃げたい」ときは成り行きで売ります。
 でも、売れないものです。
 だれもがみな成り行きで売ってきますから。

 こんなことを続けていると売買というものは「売ってくれ」
とお願いされるときが売り時だとつくづく思います。

 ただ、現実として難しい面はあります。
 「まだまだ上がるんじゃないか」「もっと儲かるんじゃないか」
とは思うものの、儲けをそこでストップさせることになりますから。
 株の売買もほかのものの売買も、要するに、そこの闘いなんです。
 「もっと儲かるはず」だけど「ここらでよしとしよう」と
考えなければならないのです。

 売買というのはとにかく難しい。いろんな経験を積んでいかない
といきなりではできないものです。
 売買のコツを教えましょう。小さな金額からおこなうことです。

2012年11月16日

標準

 なにをスタンダードに考えるかってとても大事だ。
 スタンダード、標準、当たり前といっていいかな。

 ボクは高校になるとき単身、京都で留学することになるのだが、
初めての夏休み、一日の休みもなく朝から夕方まで練習の
毎日に、なんだか気が遠くなった。それまで生きてきた中で
なにかをまじめに、真剣にやったことなんか、あれと比べると
なかった。ことになる。

 それまでのボクは母親から「もう宿題はやったの」なんて言われ、
「あー嫌だ嫌だ、催促されたからやる気がなくなった」みたいな
毎日を過ごしていた。成績も良いはずがなく、下から数えた
方が早いくらいだった。

 しかし。京都には親戚(いたが一度も訪問しなかった)もいなくて
知り合いも友人もいない。京都の町はボクにはまぶしく、ただ
「夏休みくらいプールでバシャバシャしたいなー」は粉砕された。

 山口に戻って何年か経ったころ、もう一つの職場でも働く
ことになった。こっちは要請されたんだけどね。
 よって20代いっぱい二つの職場で働き、土日も休みが
なかった。お金はあるが使う暇がなかった。

 朝6時半に自宅を出て一つ目の職場の前にある喫茶店でモーニング
(一日の憩いの時間だ)をいただく。帰宅は毎晩9時前だった。
 高校のときも20代も自分からは決して実行しなかったと思う。

 二つの職場で働いていると、まず一つ目に取り掛かるとき
どんよりとした気持ちが広がる。「これが終わって二つ目」
だからね。

 だからボクにとっての「忙しさ」というのは、かなりのものだと
思う。スタンダードが違うことになる。
 このスタンダード、標準だが、自分がのほほんと暮らして
いては身につかない気がする。親と一緒にいてもダメだ。

 親はしょせん、「こんなに忙しいとどうにかなるわよ」の
路線なはずだから。
 まずは標準を作る必要がある。「なにが忙しいのか、どんな
だったら忙しいのか」。

2012年11月14日

利用

 他人をもっとうまく活用することをお薦めしたい。
 ボクはこれまでたくさんの方とお話しさせていただいた。

 それは人脈形成だったり、ビジネスのヒントがつかめないか、
が大きな目的だったが、それにて別の効用もあった。

 ボクは子供のころから一人でいることが多く、また本を読む
のが好きだったこともあり、孤独にとても強い。

 だから他人との接触はボクにとっては未知の部分が大きかった。
 「今日、初対面に近い人と話すんだが、なにを話せばいいのか」
考え出すとキャンセルしたくなったことも何度もある。
 ただ、キャンセルなどできるはずもなく出かける。

 これらを繰り返していると、「初対面の人にはとにかく質問攻め
にすればいい」とか新たな知恵がわいてくる。

 「初対面の人と親しく話すのって苦手なんだよなー」って
人も、とにかくまずは悩むことから始めてもらいたい。
 悩むことをせずにうまく解決を図ろうとするのがおかしいの
かもしれないよ。

 そんな理由でいろんな方とお話しさせていただくのだが、
効用として一番大きかったのは「他人の情けない姿を」拝見
することだった。

 人って自分ばかり見つめていると「オレってなんて情けない
やつなんだ」ばかりがふくれて大きくなってくる。

 だけど、他人の情けない話しを聞いていると「オレだけじゃ
ないんだ」って分かる。多くの人が「外界に出ていくことに
恐怖に近いものを感じてる」なんていっても、あなたは
信じないかもしれない。でも、それも事実なんだ。

 要するに、他者との接触は「オレだけが特別ダメなんだ」を
粉砕してくれることに役立つわけだ。
 実は人間ってものすごく恥ずかしい存在である。それを
早く知った者が精神的に楽になれるようにできている。
 それを早く知ってほしい。


2012年11月13日

ラジオ体操

 たまに近くの山に登ります。
 ここは近いから便利です。少し時間が見つかるとすかさず登る。
 革靴じゃ無理なので、車にはいつもトレッキングシューズを
乗せています。
 あとはこれといって用意するものはありませんね。

 で、このごろいつも持参してるタオルで体操をセットして
います。タオルを持ったまま前屈、後ろにそりかえってみる。

 簡単にですが、ラジオ体操のまね事もしています。
 ラジオは持参していないので、あくまでもまね事。
 「大きくふりかぶって」とか、あのまんま。

 もともと山でしょ。
 だれに気兼ねすることなくできるんですよ。
 以前は場所を探して腹筋とかやっていましたが、これより
ラジオ体操の方がいい。

 ボクの周囲の人にこの話しをすると
 「体操がいいのは分かっているけど、その10分ができないん
ですね」って聞かされる。

 多分、だけど、時間の問題じゃなく、基本、人は運動が嫌い
なのと、「わざわざ感」が嫌なんじゃないかな。
 自宅の玄関先でやれる人は少ないだろうし。
 運動公園まで出かけるのはおっくうだろうし。

 ボクの自宅の近くには錦川が流れています。この川に沿って
歩道があるのを最近見つけたんです。こうした歩道を見つけて
歩くといいのではないでしょうか。そのさい、自宅から近い
ことが大事な点かな。慣れると生活の一部になると思いますよ。


2012年11月12日

瑞穂

 これまで何度か同じ感覚を味わった。
 無機質な土地、場所だったにもかかわらず、人間を通して、また
別のものが見えてきた、そんな感じ。

 一昨日、島根県、瑞穂に行ってきた。
 これまでの瑞穂に対する感覚はこんなものだった。
 「スキー場のあるところ」(スキーをするからね)、「イナカ」
「森がたくさんある」。「道路事情が悪い」。

 だが、一昨日の瑞穂はまた別の面をこちらに見せた。
 これは初めてじゃない。それまで知らない場所だったものが、
人と知り合いになることにより、また別の顔を見せる。

 そこで出会った人たちから「ここにもこんな人がいるよ」
「あんなおもしろい人がいるよ」と聞かされる。
 どこを見渡しても山また山ばかり、だと思っていたが、
違っていた。
 ボクはこれまでなにを見てきたのだろう。

 あなたが、知らない町を訪問したとしよう。
 そこでは歩く人に声をかけることもしないし、お店で
立ち話もしないはず。車で通り過ぎてしまうだけ。
 これをボクは無機質と呼ぶわけだ。

 観光地には寄るだろう。そこにあるお店を利用するかもしれない。
 「これがおいしいよ」「これが有名」と聞かされ、それらを
買うこともあるはず。

 だが、それはその町をより深く知ることとは違っていたわけだ。
 町というのも無機質から、しっかりとした手ごたえが感じられる
までに変わって(自分が)いくものかもしれない。
 あなたが知ったつもりでいるその町も、実は別の顔を持って
いるはず。これって楽しいかもよ。


2012年11月 9日

選択

 万里の長城で事故が起こった。相手は自然だが残念なことだ。
 ボクはかなり以前、「この目で万里の長城が見てみたい」と
考え、お正月をはさんで出かけたことがある。北京だった。
 旅行費用はとても安く、そちらはうれしかったな。

 さて、いよいよ、明日は万里の長城、という日のこと、
レストランで「割ると中からおみくじが出てくるクッキー」なんぞ
を食べ、用意していた。そして、当日。「凍結のため、万里の長城
までの道路は通行不可」と告げられた。ボクはすさまじく残念がった。

 それでも旅行客の望みをつなぐためか、入り口の道路までは
行き、通行できるか待機することになった。それでもダメで
ボクたち旅行者は北京動物園でパンダ見学をした。

 その翌年には高速道路が開通し、凍結の心配もなく見学できる
ようになった。ボクは翌年、ほぼ同じツアーに申し込み、見学
することができた。わずか四日間のツアーだが、万里の長城は
やはりすばらしかった。ぜひ。

 今回、事故が起こった場所は、ボクたち旅行者が出かける
場所ではなく、そこから200キロばかり離れた場所だ。

 さすがに、観光客の多い場所なら事故など起きない。その点は
安心してほしい。万里の長城は総距離2000キロと言われ、
「明」の時代の古い長城も残っている。万里の長城は500年
あまりにわたって作られ続けたものだからね。
 今回の事故はそうした場所で起こったものだ。

 やはり北京に「明(字は違うかも)ミンの13陵」なる観光地
もある。こちらもすばらしいが、ここの寒さは「苛烈」そのもの
だった。風が吹くと「どこまでも冷える」そんな感じだった。
 「大陸は寒さが違う」と言われるが、本当だ。
 日本の、雪とともに吹く風とはレベルが全く違う。

 「万里の長城」と聞いて、「事故が起こった場所」なる認識も
されるかもしれないが、違う。海外ではちょっとした手違いも
大きな事故につながりかねない。「引き返す勇気も求められるが」
それが非常に厳しい選択だということも、よく分かる。

2012年11月 8日

他人

 昨日の続き、みたいなものかな。
 料理屋のママの話し。

 ママ 「わたしが3姉妹の店に勤めることになったとき、
かなり戸惑いもあったんですね。姉妹で仲良くやってるのに」

 ママ 「でも、入ってみると良い効果もありまして。姉妹
ってワガママが出るかもしれないけど、わたしという他人が
入ることによって、いい刺激になるんですね」

 ママ 「ここは姉妹が仲良く働く、だけじゃなく、お仕事
する場なんだってことが、うまく伝わるんですよ」。

 俗に言う同族経営はこれに当てはまると思う。
 で、やはりこれを打破するためには、うまく他人の力を
利用するべきだと思う。

 他人に力を発揮してもらうというより、仲良くやってるところに
異質のものを、あえて投げ込んでみるというべきか。

 ただ、同族経営の会社は往々にしてこれを嫌う。
 「わたしたちだけでうまくやれてるのに。コミュニケーション
が取りにくくなる」だろうな。

 ママの場合、きっと最初に提言をおこなったのだろうと思う。
 「3姉妹のお店に入ってやっていくのは大変ですよね」
 そこで、スナックのママが
 「いとこってことにするから。また、あなたがいるとワガママ
が引っ込むかもしれないし」なんてところだったのだろう。

 実施する前からこのことに気づいたのは、たいしたものだと思う。
 うまくいかないとき、あえて異質のものを投げ込んでみる、
中で動揺が発生する。それにて再確認できるものも多いと思う。


2012年11月 7日

方便

 先日、たまに行く料理屋さんに出かけてきました。
 そこのママさん、あるスナックに勤めていたことは知っていました。
 ひょんなことからその話しになりまして。

 そのスナック、ボクも利用したことがあるのですが、「三姉妹」
で運営されています。

 そこにこのママさん一人がスタッフとして入ることになった
わけです。

 そのさい、姉妹の長女にあたる女性から「あなたは一人だけ
他人だから、店内では、イトコということにしておきましょう」
だったそうです。

 ボクはこれはなかなかうまい手だと思いまして。
 お客さんの中には「そうだと思ったよ、長女とあんたは
そっくりだから」とか「イトコだから名前は違うよなー」と
勘違いもよく起こったそうです。

 ですけど、スナックではこれくらいのウソはきれいなウソ
だと思います。
 なんでもかんでも本当のことを言えばいいものではない。

 「イトコ」もありだし「遠く離れていた姉妹」もありかも
しれない。

 この長女の女性はきれいなウソがつける人だと感じました。
 ボクたちは適度に方便を交ぜながら、それを潤滑油にして
暮らしていけばいいと思います。


2012年11月 6日

投稿

 中学生のころ、よく新聞社に投稿していた。はじめ、どこに
送ったらいいか分からず、母親に怒られたものだ。
 ただ、何度送っても掲載されることは一度もなかった。

 あのころ、投稿するものは全て、政治がかっていて、掲載
などされるはずがない。「特攻隊を忘れるな」とかそんなの
ばっかり。

 ボクはそのころ、ドイツ軍に関しての書物を乱読していたので、
そちらの方向からの投稿も多かった。特攻隊については詳しくは
知らなかった。

 知らないと思うが、投稿しようとすると「投稿規定」なる
ものが存在することが分かる。「原稿用紙2枚くらいまでに、
原稿はお返ししません」とある。

 まだ、くっつくときは「日ごろ、感じたことなどを送って
ください」だったりする。

 中学生のボクは「これ」と思い込んだら、そればっかりで。
 「日ごろ、感じたことを送ってください」ってあれば、
「ははー、そちらからのことを書かなければいけないな」なんて
ことは全く、気づかず、自分の主張したいことばかり書き、
送っていた。採用されるはずがない。

 それに気づいたのは大人になってから、だった。
 つくづく「中学生の自分は掲載する人の身を考えもしないで、
よくぞ送ったものだ」だったな。

 新聞社の担当の人には「採用規定」なるものが大まかに
存在していたはずだ。それに沿った形で投稿しなければ触覚
に触れるはずもない。

 そのためには、日ごろ、掲載される文章を返す返すよく読み、
傾向をつかまなければならない。専横な(意味、分かるかな)
ボクにそんなことが分かるはずもなかった。
 なにかをするときは、相手のことも考えなければならない。わけ。


2012年11月 5日

真実

 あなたはこの世には「絶対なる真実がある」と思っている
だろうか。ボクはそのようには考えていない。
 真実、ウソ、は、はざまの見えない境界に存在してる。

 ボクは19の年から株式売買をしてる。ずっと継続して売買
してきた。こんな人は意外に珍しい。継続して売買できる人は
浮き沈みの中でわりあいとうまく売買できた結果だから、だ。
 儲かってはいないが、継続できる売買に徹してきた、はずだ。

 さて。
 株式の世界ではこれまでいろんな真実が語られてきた。
 知らない人がほとんどだと思うが「日本はニューヨークの
写真相場」は長らく言われてきたことだし、信じた人も多かった。

 これは「前日のニューヨークの市場が値上がりすると、日本
も値上がりする」ことを言う。

 今ではなんの根拠もなかったと思うが、そのころこれを
信じる人は多かった。よって、この説はおおまじめに取り上げられ、
結果、その通りの流れになった。

 それがウソかどうかなんてことは関係なく、それにしたがって
動く人が多ければ、それが真実になる。

 株式の世界では「だれそれが、どこそこの株を買い占めている」
は何度となく流されてきた。信じない人がほとんどだが、たまに
信じる人が多くなると、ウソだろうと根拠がなかろうと、それに
したがって株価が動く。

 大多数が信じてくれることを願って流されるウソも膨大な
数にのぼる。
 この世は大多数が信じたことで構成されている。ウソだろうと
根拠がなかろうと、信じていただければそれで十分だ。
 よって、真実かウソなんて、きわめて見えにくい。し、判別する
ことに意味はない。
 大多数が信じたことが本当のことだと言える。


2012年11月 2日

防災

 去年の大震災の影響もあってか、防災に対して用意する機運が
高まっている。それ自体は悪くない。
 ただ、その防災、点で存在していてうまく機能するのかどうか、
そんな視点も必要だと思う。

 ボクは自宅が「どんな災害にも強く」ありたいとは願っていない。
 自宅が無事でもスーパーが被災すれば、食事にありつくことは
できない。これでは同じことではないか。
 点も大事かもしれないが、面が機能していなければ意味がない。

 比較してみると分かるかもしれない。
 ボクはロシアを旅行したことがある。わずか5日間だったが。
 ロシアのお宅はどこも集合住宅。
 8階建てくらいの、日本でいえば官舎みたいな作りになっている。

 エレベーターなどに乗ると「ゴゴゴ」と音をたてて作動する。
 ロシアにも一軒家はあるのかもしれないが、お城のような、
特別なお話しなはずだ。

 ではなぜ、ロシアは集合住宅なのか。分かるだろうか。
 ボクは冬に訪問したからかもしれないが、集合住宅の理由は
寒さ対策が一番だと思う。よってロシアでは個別の暖房費は
かからない。建物全体でやってしまうからね。

 もし、ロシアで一軒家であればさぞ大変だろうと思う。
 冬の暖房費がいくらになるのか。
 「日本も集合住宅にせよ」と主張してるわけではないが、
比較することで見えてくるものもあるわけで。
 個別、単体で防災を考えるより、集合で考えた方が、より
うまい方策にたどり着く気がしてならない。
 これからはあまり土地、建物に執着すべきではないのかもしれない。

2012年11月 1日

生活

 あれは25のころだったろうか。近くの海に釣りに出かけた。
 釣り具屋にてゴカイ(釣り餌)を買った。

 釣り具屋のおやじさんというのは、実は「釣りスポット」の
情報に詳しく、質問すると気軽に乗ってもらえた。
 「今やったらあそこがええよ」。
 そんな情報を頼りに出かけたものだ。

 ある日のこと。
 海で釣っているとおじさん(年寄りに見えた)が近寄ってきて
「おにいちゃんらー(複数)釣れるか」と。ボクたちは「かわいい
のがたくさん釣れたよ」と「キス、コチ、アイナメ」などの釣果
を見せる。

 それはいいのだが、おじさん、「なにをエサにやっとるんや」と。
 で、ゴカイを見せると「ほーーーーっ、こんな高いものを
使っとるんか。ここの魚はぜいたくじゃのー」なんて言う。

 で、興味を持ったボクは「なら、おじさんはなにを使っとるん」
と尋ねてみる。すると手招きし、あるものを見せてくれた。

 「ほら、これーや」。
 なんだ。ただの赤い布切れだった。「ええっ、これがエサ」。

 おじさん 「そりゃーそうや。わしらー生活がかかっとる
けーのー。そんな高いエサでやっちょったら生活なんかできや
せんで」。「この赤いやつで生き餌みたいに見せるんや」。

 ボクは魚が布切れで釣れることにも驚いたし、生活するための
原価のかけかたも分かって妙に納得させられた。
 おじさんにしたらボクたちは大名釣りなわけだ。
 記憶ではゴカイは800円とか1000円したからね。

 釣りをするとき仕掛け(針と糸)を用意するのだが、おじさん
は「仕掛けくらい自分で作れ」なんて言ってたな。ボクたちに
その発想は全くなく、「お金で買うものだ」とばかり思い込んでいた。
 自分たちが大名釣りをしていたと初めて分かった日だった。
 そして、生活するって大変なんだなと感じた日でもあった。