2012年10月31日

あけすけ

 裸になれない人が多い気がする。洋服って意味じゃなくてね。
 他人や周囲に対して、本当の自分が出せない。
 本当は自分のことを恥ずかしく感じてるから、じゃないかな。

 ボクは大人になってよく分かったことがある。
 「みんなけっこう恥ずかしい生き方をしてるんだな」だった。
 自分だけが恥ずかしいのかと勘違いしてた。

 あれは20くらいのことだったか、列車に乗っているとトイレ
に行きたくなり、廿日市という駅で下車、トイレに走った。それから
というもの、「次ははつかいーーち」とアナウンスされると決まって
下車するようになった。

 そんな自分が恥ずかしく、だれにも言えなかった。
 こうして書いてみるとね、意外に恥ずかしくないもんだ。
 株の売買で大損したときもだれにも言えなかった。

 なんとなく、人間って周囲から「やっぱ違うね、池田さんは」
って言ってもらいたいところがある。だから、それに反する
ことは言わないようになる。

 だけどね、周囲は意外にそれに気づいてるものなんだ。
 「あー、こいつ、本当は自分に自信がないんだな」ってことが。

 なにを言うか、じゃなく、あけすけに自分を出せるかどうか、
なんだな。周囲は「あけすけじゃない」あなたをよく理解してる
わけさ。

 こんな傾向のある人は一度思いっきり恥ずかしい話しを周囲
にやってみればいい。きっと視界が開けるはずだ。
 「今までオレはなにを隠していたかったのか」なんて思うはずだ。
 あけすけになれるということは、自分に自信があるってことだ。


2012年10月30日

観察眼

 最近は定期的に洋服屋さんに顔を出します。
 季節の変わり目には、十分洋服があると思っても何点か買います。

 また、あまり乗り気にならないな、と思うと見るだけで
お店をあとにします。

 以前はそうではありませんでしたね。
 「ないから買う」でした。
 これ、続けていると「あ、これが似合うだろう」「これはダメ
だな」がかなり分かるようになってきました。
 観察眼ができてきたんでしょうか。

 さて。
 お店ではいつも自分が買うものは決まってきます。
 自分の中に「これがいいな」と思う型があり、それをなぞって
しまうようです。

 そこで店員さんに「これ、どーお」と質問すると、たいてい
ボクが選んだ洋服ではないものを持ってきます。
 内心「うーーん、違うんだけどなー」とは思うものの、それを
買うこともあります。

 続けて着ているとなんとなくそっちの方が良くなってきたりして。
 不思議。

 洋服屋さんではこのズレが大切かもしれません。
 自分には自分のスタイルがあると思うものですが、店員さんに
してみれば、店員さんから見たスタイルが存在する。
 ズレているから買わないんだけど、それをたまには買ってみる。

 このズレっていろんなところにあると思いますよ。
 自分の視点と他人の視点のズレ、とも言えるかも。
 写真で見る自分がなんとなく他人のような気がする、あれに
近いかも。このズレは意識した方がいい。自分の価値観が絶対だ、
などと考えない方がいい、とも言える。


2012年10月29日

比較

 比較することはとても大事だと思います。
 ボクが小学校に入学したとき、小学校って、「あって当然」
「勉強するところ」「苦痛があるところ」みたいな感覚で
とらえていました。なんていうか、両方の肩をがっしりと
押さえ付けられてる感じ。みんな6歳で入学しますからね。

 なにか「当たり前のシステム」って感じで進んでいきます。
 当たり前過ぎて、それにも気づかないもの。
 でも、これがおかしなことも呼んでる気がします。

 以前、アメリカ軍の基地にある小学校に訪問し授業したことが
あります。とにかく新鮮な驚きがありました。

 アメリカの小学校(日本にあってもアメリカ)って親が校長
に対して「せっかく日本にいるんだから日本の文化も学びたい」
と提案すれば、実現します。ボクがそうだったですから。

 これには驚きましたね。日本の学校にも似たシステムはあると
思うけど、日本の場合、「がっちり」と決められてる部分が多すぎる。
 ま、国によって違いがあることは当然なので、それはいいとして。

 これも比較しないと分からないことですからね。
 アメリカ軍の基地の小学校って給食がアメリカ本国から船で
届きます。おいしいわけがない。もちろん冷凍食品。

 よって先生とか職員は自宅からサラダならサラダ、一品を
多めに作って持参し、ある一室に置いておく。持ち寄られた
食べ物をだれが食べてもいいというシステムにしてある。これは
頭がいい。

 驚いたのは、この一室、いろんな人が出入りし、その時間が
みんなバラバラなこと。生徒たちも給食の時間がまちまち。
 日本の小学校は1時限40分だけど、基地の小学校は(低学年
だけかもしれないが)1時限25分だ。集中力を考慮しての
ことだろう。

 きっと日本の方の大半がこれらの事実を知らないはずだ。
 どちらのシステムが良い、悪いじゃなく、比較するからこそ
見えてくるものがあるはずだ。まずは比較してみよう。


2012年10月26日

話す

 「池田さんってしゃべらないんですね」。
 かなり前からそんなふうに言われてきた。しゃべらないという
より話しの中心にいたくない。

 自分がなにか話す。それをみんなが聞く。フンフンとうなずく。
 そんな状況があまり好きじゃない。
 「自説を主張する」、場面が恥ずかしいわけ。

 といって、世の中の大半のことにあまり興味のない自分は
うまく話しを合わせるのも下手くそ。よく不機嫌って言われる
けど、そんな背景もある。

 だから、以前から注意してることが一つだけある。
 「フンフン」って楽しそうに人の話しを聞く。それだけ。

 以前、ある男性と話していて「あー今日は良い話し合いでした」
って言われたけど、彼が95%以上、一人で話していた。
 こっちは合いの手を入れてるだけだった。

 人間、観察しているとおもしろい。
 「話そう、話そう」としてる人って、もう用意してる。
 「よし、今度はオレの番だ」ってつもりでいる。そんなとき、
周囲の人の話しは耳に入らない。

 人は他人の話しをじっくり聞くより、自分が話したい生き物だ。
 ある意味、ストレス発散でもある。

 ただ、人間という動物が話したい生き物であるとの認識は必要だ。
 「話すより聞くのが難しい」ととらえるくらいでちょうどいい。

 カウンセリングなんて、話してお金を取ってるわけじゃなく、
人の話しを聞いてお金をいただくんだから。それだけ人間は話す
より聞く方が下手ってわけだ。
 話すのと聞くのと、バランスを考えた方がいい。

2012年10月25日

結果

 ボクは自営業なので、気分としては一日中、仕事してるつもりで
おります。実際に仕事してるわけじゃなく、受け止め方というか、
考え方ですね。

 本をたくさん買いますが、それだって「仕事に役立つ」方面から
考えれば、趣味だったものが、実用になるわけでしょ。

 「なんだ、それなら映画も、コンサートだってそういうことに
なるじゃないか」かもしれませんが、そういうことなんですよ。

 本にせよ、幅広く、他方面にわたって「読む」のか、「趣味
の本しか買わないのか」、決めなくちゃいけませんよね。
 そこでボクの場合、「幅広い方が将来、なにかと役立つかも」
になってるわけです。

 よって外国もできるだけ幅広く出かけるようにしてきました。
(最近、どこにも出かけてませんが)。外国もいろいろ考え方が
あると思います。

 「一つの国のみ訪問してめちゃくちゃ事情通になる」か「たくさん
訪問して、各国からおもしろい話しを取り上げるつもり」か。営業職で
あれば、各国を訪問することは話しのネタとしても大切になって
きますよね。

 このとき、「趣味で訪れた」のか「話しのネタとして訪れた」
のか、はっきりしませんよね。ボクはそういう感覚でとらえて
いるわけです。

 その点、自営業というのは、そういうふうに考える下地というか、
土台があるんです。「なんでも自分の役に立たせよう」、そんな
考えを取り入れやすいと言いましょうか。

 「9時5時」の感覚がそもそもないんです。
 楽しく取り組んで、なおかつ仕事の役に立つ、かもしれない、
なんて便利じゃないですか。また、そういう感覚で取り組むのか、
義務感覚で取り組むのか、で結果はまるで変わってきますしね。


2012年10月24日

楽しい

 以前のことだが、カナダにスキーに出かけた。
 戻ってきてから周囲の人たちに自分が写った写真を見せた。

 それらの人、いわく。
 「池田さん、これ、ものすごく楽しそう」。

 そう言われて見た写真、ホントに楽しそうだ。
 「そうかー、オレもこんな顔ができるのか」、だったな。

 日ごろはしかめっ面ばかりしており、ついぞこんな顔になった
ことがない。(と思う)。
 それがスキーをやってるときはこんな顔になれるとは。驚いた。
 写真って恐ろしいなと思うことがある。内面まで写すわけで。

 そのとき、言われて初めて「楽しそうにできる自分」を見つけた
気がした。それまでも楽しいことはたくさんあったはずだが、
指摘されて実感した、だな。

 人って「ただ単純に夢中になれるものを」いくつか用意して
おくといい。それをやってると時間を忘れるもの。
 そんなにたくさんはないはず。
 それでも、そういうものがあれば毎日がカラーになる気がする。

 よくボクは人をスキーに誘うが、たいていの人から「あんな
寒いところ、行きたくない」と聞かされる。確かにそうだ。
 ボクも寒いところはあまり好きじゃない。けど滑っていると
寒さなんてすぐに忘れる。

 想像しても楽しさは分からないんだな。とりあえず滑ってみる。
 それで判断すればいい。
 「楽しいことがない」、なんて人は、頭で楽しさを理解しようと
してるんじゃないかな。


2012年10月23日

楽しい

2012年10月22日

野菜

 このごろ親の買いだしを手伝うからでしょうか、野菜を買う
ことが多いですね。当然、野菜売り場にもよく顔を出します。

 これまで、ボクにとっての野菜は「これだけのものが、これだけの
値段」でしかありませんでした。
 ニンジンはあくまでニンジンで、大根は大根です。
 あとは大きさと量で値段が決まります。安い方がお得ですね。

 そんな見方だったのですが、いろいろな方とお話しさせていただき
ますと、野菜の別の面も見るようになってきました。

 「これにはこれだけ手(手間)が必要で」
 「農薬も控えめ」
 「日々、精進あるのみ」。

 失礼な話しですが、農家の方々に「日々、精進」することが
あるのか、全く脳裏にも浮かびませんでした。
 農家の方からお話しを聞くと、いろいろ努力され、精進されて
いることが分かります。

 大半の人がスーパーで野菜を買っていると思います。
 そこでは、きれいに包装された野菜たちが売られています。
 大きさもそろっていて見た目もとてもきれいです。

 でも、農家の人たちのお話しを直接、聞き、買うと、それぞれの
野菜に作った方たちの名前がついてるような感覚を覚え、
「応援したいな」、そんな気持ちにさせられるのがとても不思議です。
 いや、当然かもしれませんね。

 そうすると、ですね、野菜も実はできあがりを販売するのでは
なく、途中の過程のお話しを聞かせていただき、信用、努力と
いったもので判断しても良さそうなものだと、つい思ってしまうん
ですね。

 そんな話しを聞いてから、それらの野菜をいただくと、少し
味わいも変わってきます。背景を知ることは、それをよりよく
知ることになるのだと思います。
 野菜は今、工業製品に近い扱いだと思います。そうして
しまっているのは、ボクたちかもしれませんよ。


2012年10月19日

見えない

 株式売買というのは「相手の見えないもの」だとする認識が
あると思う。父親なんかも「株は相手が見えんけーのー」なんて
口にする。

 ただ、見えないが、いることははっきり分かるね。
 知らない人が多いと思うが、日々の株価の後ろのところに
出来高というものが書いてある。新聞によっては書いてないかも。

 出来高というのは、昨日、どれだけの売買があったか、数値で
示すものだ。3ケタが多い。4ケタもちらほら。
 248だったら、それに0を三つか、付け加えればいい。
 四つかもしれない。いや、四つだな。
 ということは、昨日、200万株ほどの売買がおこなわれた
ことを意味してる。

 ここから分かることはとても多い。
 同じく株価には前日比、黒く塗られていれば値下がり、白なら
値上がりの意味だが、出来高が増えて、昨日と比べて値上がり
していれば、翌日はほぼ値上がりする。逆も同じ。

 この出来高を観察すれば、どの株に人々の視線が集まって
いるか、たちどころに分かるわけだ。

 よって自分(持ってないものはあまり見ない)が所有する
株式の出来高が急に増えてきたら、背景になにかあるわけだ。
 「新しい発明をした」「販路が増えた」「取引先が大きく
なった」などである。

 よって売買するタイミングとしては、出来高がふくらんでる
間はジッと我慢。少なくなったときに売る、などをやる。

 出来高に人間の名前は書かれていないが、それはエネルギー
として、はっきりと数値に現れる。出来高の後ろにはたくさんの
人間がうごめいており、そして、実際には気配をころすことが
できずにいるわけだ。
 どこのだれ、とは分からないが、存在ははっきり分かる。


2012年10月18日

ルール

 日本は海洋国家である。ま、ボクもあまり意識はしてないけどね。
 で、海洋国家というのは、海を舞台にいろんなことが展開
されていく。知らないと思うけど「敵兵を救助せよ」なる本がある。
 ボクは所有しているのだが、いまだに読めてない。よし、読むぞ。

 こうした日本のような国はいろんな国の船が寄港し、また去っていく。
 は、いいのだが、ときに難破したり、物資を補給したりもする。
 それを救った名もなき人たちが各地にいたことも確かなことだ。

 この近くでは島根県浜田市のアーンスロー号、難破事件がある。
 難破したのは敵、ロシアの補給艦だった。乗組員は15歳くらいの
少年兵と50過ぎの船員が多かったそうだ。

 現在の日本人にはピンとこないかもしれないが、戦争にもルール
がある。いや、ほんとほんと。「赤十字のマークをつけている
車や船は攻撃してはならない」とか「白旗をかかげたものを撃って
はならない」だね。ただ、「敵船は救助しなければならない」はない。

 これは純粋に救助の意味合いで地元の方々が善意でおこなった
ことだ。ロシアの船の救助は漁民が多かったそうだ。
 ちなみに、このアーンスロー号、数々の記念品が残され、展示
されている。わたくしも見学しました。
 ただ、博物館展示ではなく、ここは残念(今は分からない)だ。

 四国では降伏したドイツ兵(第一次大戦ってことか)に対して
地元民がいろいろ手助けした史実が残されている。トルコの船を
救助した話しもあるみたいだ。

 さて。
 日本にはこうした誇るべきすばらしい話しもたくさんあるのだが、
こうしたことは各国との友好関係に完全にプラスになっている。
 ま、マイナスになるはずがない。

 日本という国は海洋国家で、ということは、お船による各国
交流、助け合いができる国なわけだ。大陸にこの考え方はないと思う。
 そうしてみると「救助による各国との結び付き」もできないわけ
じゃないね。外交ももっとこの辺りをクローズアップしても
いいんじゃないかな。

2012年10月17日

遠く

 物事にはみな遠くと近く、が存在すると思う。
 あとは適度にバランスを取りながら、どちらにも傾かずに
やっていくのがいいかなと。

 ボクは珠算8段だが、不思議な話しだが、これは順を追って
もなかなかたどり着かない。8段になるためには10段を
目指して練習する必要がある。

 これが順を追って練習していると、まず初段が合格、次に
2段を目指して練習だが、5段くらいになると、これまでの
練習方法では突破できなくなってしまう。組み直しみたいなことが
求められる。珠算でいえばソロバンで計算していたものを暗算に
切り替えたり、などだ。

 このつなぎがなかなかうまくできない。
 一度、下手くそになってしまうんだ。
 それでも、まずは初段くらいには合格しないとやる気がわいて
こない。合格して自分にほうびを与えながら、10段をこなす
ためにはどうすればいいか方法を考えなければならない。

 みんな物事はそういうものだと思う。
 近くを見ると遠くが見えてこない。遠くばかり見るといいかげん
嫌になってくる。目的と目標といっていいかもしれない。

 仕事をやっていてもそうで、ボクの観察するところ、「これだけ
やれば毎月、これだけのお金がもらえる」感覚の人が多いように
感じてしまう。それは確かにそうだが、将来、確実にその
ポジションにいられるかどうか、も大事だろう。

 毎月、お金をいただきながら、ポジション確保のための
方法も考えていく必要がある。

 ボクは二つの職場で働いていたことがあるが、「そのうち一つ
になるし、楽しくお金を使っていてはならない」考えは強固に
あった。楽しく使っていたら大変なことになっていたと思う。
 人は今を励み、将来を見つめて、なにをすべきか考えなければ
ならないと思う。

2012年10月16日

向かう

 ボク自身はなにかに向かってるのが好きなのかもしれない。
 以前、バイクに乗ってた。ホンダ。ある理由で乗らなくなった
のだが、それから不思議な体験をする。いや、不思議でもないか。

 寝ていると、バイクのハンドルを握ってる(もちろん夢)
ことがある。
 「右ターン」「左ターン」、ハンドルを自在に切る。
 ハッと目が覚め、「オレってバイク、好きだったんだなー」って。

 バイクはないので、(っていっても、仕事で忙しく、あまり
乗る時間はとれなかった)のたーーーっと、した毎日を過ごしていた。
 なんていうかな、毎日、仕事はやってるんだけど、張りが
なくなってしまってる。

 つくづく「あーオレって、なにかこれってものがないとダメ
なんだな」。痛感させられる。

 多分、だけど、この根っこは京都にあると思う。毎日、大変な
練習と、忙しい毎日だったけど、そのころはめんどくさく、
かったるい対象ではあったが、それが「なにかに向かう姿勢」
を作り上げたのかもしれない。なんて、ふと思う。

 対象物を探すというのかな。熱心に向き合えるものを探して
しまうんだ。そんな感じ。

 よってバイクがなくなれば、なにか。仕事だったり、スキー
だったり、海外旅行だったり。やり始めると真剣に立ち向かう。
 真剣に、熱心にやるから、いろいろな成果も出てくる。

 要するに「頑張ること」そのものが、次の目標を見つけだして
しまうんだな。

 いつしか、ふぬけになった自分も楽しくなってきた。エネルギー
が充填されていくんだな。「なにもなければ、目的を捜し出す
自分が」いる。
 「なにかに向かう」というのは、そういう姿勢ではなく、
頑張った一時期が「そうさせてる」ように思えるな。


2012年10月15日

うまくやる

 株をやっていると口にすると、よく「儲かりますか」と聞かれる。
 どうやら株は儲けるためにやるものだと、みんなは思ってる
らしい。いや、儲けたいとは思うが、現実は難しい。それだけ。

 株で儲かるのは意外に簡単。おっとっと。タイミングが全てだ。
 「いつ、株を買ったか」だけ。

 だから「だれそれさんが株で儲けたらしい」って話しを聞いたら、
「どうやらタイミングを失してるようだ」と考えなくちゃならない。
 「なんならオレも一口、乗ってみるか」ではうまくいかない。

 ボクなんぞも週刊誌にて推奨してある株を売買したことがあるが
うまくいったためしがない。

 知らないと思うが、日本株というのは、以前はアメリカ人が
たくさん買っていた。

 ちょうど、今、ボクたちが中国やアジアの国々に対して感じる
ように、ドルから見た日本円はお買い得の背景もあり、アメリカ人
なんで日本の有名どころしか分からないのだが、
ホンダ(アメリカに工場があった関係)、パナソニックなどが
買われていた。

 アメリカ人からすると「ちょっとしたお小遣い」で日本株が
買えたので気軽なものだったに違いない。それが日本の発展と
ともに株価も上昇。「おいおい、なんだか日本の株がすごい
ことになってるぞ」で、いいことしたアメリカ人も多かったはずだ。

 なんのことはない。右肩上がりが始まるころに株を所有した、
たったそれだけだった。だけどね、ここが意外に肝心なところ。

 「日本株の上昇スタートは日経平均株価1万円」だったと、
よく言われるが、現在はこの1万円すら割っている。
 その期間は20年以上になるはずだ。

 この間、日本株を売買してる人はほとんど儲かってない。
 残念ながら株なんてものはタイミングが一番大きい。
 今のボクの感想としては株の売買にていろんな経済常識が
身についた、それは良かったかな、くらいでしかない。
 チャンチャン。

2012年10月12日

大損

 よく「株で大損した話し」をさせていただきます。1000万円分
の株式がたったの180万円になったと。
 実は、損はこの金額に近いのですが、もう少し複雑。

 ボクは現物取引しかしませんので、300円だった株価が
400円になれば儲けということになります。よってこれだけの
損を出すためには、大きく下がったことになります。
 この「大きく下がる」は3段階くらいに分かれて下落し、
それが傷口を広げる結果となりました。

 何度か下げる過程では、実は損の計算ができませんでした。
 「いくら損してるのか分かるのが怖い」です。散々、下がって
「くそったれ、もういいや」みたいな心境のとき計算してみると、
評価額が180万円くらいにしかならないことが判明したわけです。

 このとき売りませんでしたので、ここで損は確定していません。
 株を長らくやっていると、株価が波を形成することはよく分かって
いるので、こんな大きな底で反対売買することはありません。

 確定した損は、何度か下落したとき、貯金をはたいて「協和発酵株」
「THK株」などを買ったのですが、続く下落で自分の買った
水準から大きく下げ、「もう二度とあんな水準まで戻らない
だろうな」なんてことになったわけです。
 この話しは長らく他人に口にすることはできませんでした。

 上記の評価額が180万円だったのを計算するときも、胃の
あたりが内側からナイフで切られるような痛みがありました。

 ただ、その晩、ぐっすりと眠れたことにはとても驚きました。
 「オレって意外に強いところがあるんだな」なんて。
 この損にてボクは年収の2年分くらいを失ったことになります。
 それでも「ま、いいや」くらいの感想ですので、人間とは
強いのやら弱いのやら。分からないものです。
 人間って自分が思うほど弱い生き物じゃないと思いますね。


2012年10月11日

お金

 先日、小銭の集計をしていると。「50円ってこんな感じ
だったっけ」って。あまり観察しないですよね。
 確かに、毎日のように使ってる。だけど使ってるわりに
きちんと見ていない。改めて見るとおもしろい。

 エラー銭って聞いたことありますか。
 この現代においてたくさんの人たちの目をかいくぐって
市場に流通する、流通してはいけないお金のことです。

 このエラー銭、実際に売られています。
 よくあるのが、真ん中の穴の位置がずれているもの。
 改めて50円を見ると、けっこうずれてるのもありそうな
気がする。ただ、ずれていても気づく人はいないんじゃないかな。
 それだけ注目されてないお金ってことになる。

 いやいや、500円玉にせよ、500じゃなく1000と
刻印されていてもだれも気づかないんじゃないかな。

 究極のエラー銭もある。50円。
 なんと、真ん中の穴が空いてない。ふさがった50円。
 これは珍品中の珍品。
 ただの50円なのに6000円くらいで売られていた。

 今の500円は自販機で韓国の50ウオン貨で不正に使用
されたことが原因で、作り直されたもの。
 たまに古い500円貨を見ることがあるが、確かに作りが
大ざっぱ。粗い。

 自販機のボックスから50ウオンを見つけた人にとっては
「韓国のお金とよく似てるなー」なんて感想じゃ済まない。
 多分、そのときシゲシゲと50ウオンと500円を見比べた
はずだ。それはお金の信任とも関わってくるね。
 中国だと偽札かどうか必ず透かしてみる癖がついてるそうだから。
 日本という国は「50円みたいなもの」でもきちんと50円が
使用できる国、とも言えるね。


2012年10月10日

頑丈

 人間って意外に頑丈にできている。ボクは15のとき単身、
京都に留学に行くのだが、京都で一人で生活しているとき、
ふとんは一度も干してない。

 寝間着がわりのジャージも気づけば一度も洗ってなかった。
毛布は3年生のある日、クリーニングに出した。おまけにアパートには
冷蔵庫がなかった。

 中学生のころ、遅刻に早退ばかりしていたボクは、京都では
変身するんだ、そんな意識がものすごく強かった。
 よってテレビも持参せず、冷蔵庫ももたなかった。

 冷蔵庫がないせいで、一度食あたりをやっているが、夏の
暑い日に食べ物を室内に放置していたのは、ただ単に無知だったから。

 「一人で京都にいましたよ」、そんな話しをすると、「よく病気に
ならなかったですね」と聞かされる。それを聞いて「あ、そうか、
そういうとらえ方もあるよな」なんて思わされた。

 ボクも家族も「一人でいて病気になったらどうしよう」なんて
まったく脳裏をかすめることもなかった。
 これはもちろん結果的に病気にならなかったから、言える
ことだけどね。

 このアパートは不衛生という言葉がぴったりだった。
 だけれども、病気せず健康に過ごすことができた。健康と
いうことを意識することはなかったな。
 高校1年のときは窓が一切ない部屋だったしね。この話しを
するといつも「まるで刑務所ですね」って言われるが、そういう
環境だったと、後々になってからは思うね。

 病気に関して言えば、高校3年のころ、「オレはなんでこんなに
走り回っているんだろう」、とふと思ってからすぐ、強烈な
胃痛を覚えるようになった。

 結果、ボクが思うのは「気が張ってるときは大丈夫」だったものが、
ゆるんだ瞬間にドッと襲われたって感じだ。それからすると人間は環境
の生物じゃなく、緊張の糸をゆるめるかどうかがカギを握っているの
かもしれない。
 人間って意外に頑丈にできている。不衛生だから病気になる
わけじゃないね。もっと自分を信用しよう。

2012年10月 9日

神楽

 広島県、千代田で開催された神楽競演大会を見てきました。
 神楽の大会なんですが、午後から夜間までずっと神楽浸けです。
 神楽ってご存じでしょうか。

 うちは父親が島根県の人間で、子供のころから神楽が大好き
だったそうです。そのわりに、ボクの神楽観戦はかなり遅く、
ここ何年かで楽しさが分かるようになりました。
 父親によると島根と広島の神楽は少し違うそうで、島根は
もっとおっとりしてるそうです。

 神楽はこの地方に伝わる民間芸能とも呼べるもので、横笛、
太鼓、筒などの演奏とともに、「たいらのなんとか」(古い古い人)
みたいな人が派手な衣装であらわれ、舞いを演じます。

 演目と呼び、いろいろなものが舞われます。
 たいてい、こうした大会は体育館などで開催され、出入りが
自由で、それぞれ観客は自宅からソファー(簡易なもの)や、
座椅子などを持参し、くつろいで見ています。

 ボクは10年ばかり前、あるホテルで観戦したのですが、
実はさっぱりおもしろくありませんでした。今、思えば失礼な
話し、「前でなにかやってるな」くらいの感想でした。
 ボクたちは開けた酒を持ち帰ることばかりに夢中になって
おり、神楽など見ていませんでした。

 実は、これら民間芸能というもの、テレビやボクのように
催し物の一つとして見てしまうととてもつまらないものだという
ことが、よく分かりました。実演を目にしないと意味がないのです。

 太鼓の方などは「薬をやってるのではないか」と思うような
すさまじいアクションでたたいています。
 一種の陶酔感だろうと思います。
 それが実演でないと感じ取れないわけです。

 ボクはいつしか、舞いと同時に太鼓の方たちの「興に乗った」
姿も真剣に見るようになりました。
 こうしたものは出会い方がとても大事な気がします。実演
という形でなければ楽しさが分からないのです。
 ぜひ、会場までお越しください。その気になればいろんなところで
開催してるパンフレットに気づくはずです。


2012年10月 5日

たのもし

 「頼母子講」(たのもしこう)「頼母子」(たのもし)って
知ってますか。知らないでしょうね。
 今の社会ではその必要性があまりなくなっており、あっても
きわめて小さな集まりの中でおこなわれているだけだと思います。

 これは「たのもしに行ってくる」とか「構に行ってくる」
などと使っていたようです。
 これだとなんのことか分からないと思いますが、これは銀行です。

 推測ですが、いろんな意味合いがあり、今、地方でもたまに
言葉として出てくる「寄り合い」の意味も大きかったはずです。
 ひと月に一度集まり、お金を持ち寄る。
 ちょっとここから分かりやすく書いてみます。判断しやすく
するために貨幣価値を現代風にしてみます。

 10人の人が集まる。毎月各自が3万円持ちより、だれか胴元
を決め、積み立てていく。8カ月も辛抱すれば、240万円になる。
 「たのもしでおとしてくる」と言えば、このたまった240万円
を「自分が借りる」ことを意味します。
 もちろん利息が必要で、ほかのメンバーは利息を手にします。

 「それは銀行の仕事だろう」と思うはずですが、以前の日本では
「銀行は資産家のためのもの」であり、小口金融の考えそのもの
が一般的ではありませんでした。
 よって零細な商売人はこうして集まり、お互いで融通し合って
いたわけです。これはもちろん良い面もあるわけですが、商売に
失敗すると、同じ地域に暮らす者同士、どこにも逃げる場所が
ない、切迫した状況を招いてしまいます。

 その意味ではもちろん、現在の銀行の方が「ダメならダメ」で
話しが終わってしまうので楽です。
 銀行との付き合いは金銭的な意味での終わりですが、たのもし
で逃げてしまうと存在を抹殺されかねません。地域にいられなく
なりますからね。

 ただ、この話しは「銀行とは何なのか」を考えるときとても
役立つものになるはずです。銀行とは「地域のつながりを省いた
たのもし」のようなものだというわけです。

2012年10月 4日

キャッチ

 知り合いでレストランをされている方から「秋野菜をいただく」
ご案内をいただいた。「夏野菜」のときは出席させていただいた。
 仕事の関係で今回、参加は難しいかもしれない。

 ここはレストランをされているのだが、実家は農家でもあり、
もともとは農家で野菜を出荷する体勢だったのが、いろいろな
縁をいただいてレストランにつながった、という異色のお店だ。

 よって、料理もおいしいが、野菜には当然のことながら
こだわりがあり、また味もいい。
 農家だから「農薬はどれくらい使っているか」などの情報も
抜かりがない。知らないはずがない。それもまた良い点だ。

 みんなも分かっているかもしれないが、ボクたちはいろんな
催しをする。するのはいいのだが、集まっていただけない場合が多い。
 それぞれ忙しいのだろう(誘った人たち)と推察するのだが、
この「秋野菜をいただく」キャンペーンを見ていると、そもそも、を
どうしても感じてしまう。

 キャッチ、というか、つかみがあるかないか、だ。
 まず相手の心をグッとつかみ、興味をかきたてる。
 それがない場合が多い。
 だから、そもそもだ。
 ボクはよく「そのものに力がない」という言い方をする。
 「おっ、ちょっと行ってみようかな」と思えるかどうかだ。

 ボクも「どうせならたくさんの人に集まっていただいて
盛り上がったらいいな」と思い、誘うのだが、魅力を感じて
いただける素材の良さが最も大切だ。
 あとはボクたちの「ちょっとしたお口添え」で決まりだ。

 よってボクたちが注意すべきは「たくさんの人に声をかける」
ではなく「もともとの素材の良さ」ということになる。なにが
人々をして「ひきつけるのか」を探すことが最も大事ということになる。

2012年10月 1日

知った

 株式の世界には「知ったがしまい(おしまい)」という言葉が
あります。

 3カ月ばかり前のこと。母親が「お兄さん、このファンド
はけっこうくれるけー、あんたもやったら」とけしかけられ
ました。

 話しを聞くと確かに魅力的な内容。「おっ、いいねー」なんて
思いましたが、やめときました。

 母親はもともと「これがすばらしい」と思って始めたのでは
ないでしょう。たまたまやってみたらけっこうくれるので、
薦めた。要するに母親は先行集団なわけです。徒競走を7・8人
で走ってるようなもの。これら先行集団はやはりうまみがあると
分かり、よその集団に声をかけます。それが後続集団になります。

 この後続集団は100人近くにふくれあがっているものです。
 100人にふくれあがった時点で、そのお話しは成立しなく
なっています。

 分け前を8人で分けるのと100人では結果は全く変わってきます。
 往々にして100人くらい集まると分け前は減り、危険な
状況を招きやすくなります。

 株式についても全く同様で、今、パナソニック株は510円
ですが、こんなときに買い入れ、持ち直したときに売ればかなりの
利益になります。その話しを聞いた人が始めたとき株価は700円
とか800円でしょうから、危険度はグッとあがります。

 あ、ちなみにボクはパナソニック株を持っているので、参考
にしないでくださいね。これは例としてあげただけですから。

 「儲かった」という情報はたちまち広がります。みんな魅力
を感じるので当然です。ですが、その情報をあてにして参加
する人たちは人数も多くなっており、取得単価も高いもの。
 「知ったがしまい」は株式においてのみならず、どの分野
にも通ずること。注意したいものです。