2012年9月28日

お金

 ボクは19の年から株式投資をやっています。残念ながら
成績は決して良いとは言えず、トータルで計算すると多分
マイナスになっていると思います。投資というのは言うほど
簡単に儲かるわけではありません。

 ただ、投資の周辺についてはかなりの理解が進んだのでは
ないかと思います。そもそも株式投資というのは、ある会社に
お金を投資し、その会社の成績によってこちらの受け取りが
変わってくるということです。

 現実にはボクたち、一般投資家はここまでしっかりとした信念
のもと、投資をやっているわけではありませんが、やはり基本は
そういうことです。これは出走する船が途中で座礁するか、
順調に航海を終えて、収益をあげて帰ってくるか、にかけて
いるわけです。

 一般社会というものも、実はこのような構造でできあがって
いるのだろうと思います。大切なのは「今、あなたが目にしてる
お金」ではなく、「お金が入ってくる構造」そのものですよね。

 数年前のこと。
 ある若い男性が自宅の天井に8000万円を隠していたのですが、
それを全て盗まれる事件がありました。遺産で入ったお金を銀行に
預けることもなく、天井に隠し、手元になくなれば天井から出して
使っていたそうです。

 よしんば、この男性、盗まれることはなかったとしても、
8000万円を使い切ってしまえば、なんの値打ちもないただの
若者に過ぎない。それに遊んでばかりいたので勤め先もない状況。
 この男性にとって8000万円はあって良かったのか、ない方が
よかったのか。

 お金というのは、食事みたいなものだと思います。一周間分
しっかり食べて数日、食べない、なんてことはできません。
 大切なのはお金ではなく、お金が入ってくる道。ボクたちの
才能そのものが大事になってくるというわけです。
 お金という媒体は、なにかあればすぐになくなってしまいます。


2012年9月27日

戦争

 昨日も書きましたが、ボクはもともとタイガー戦車で遊んで
まして、そこから、ドイツ軍に関する書物を読むようになりました。
 中学生くらいで、そうとうな数の本を読んでいました。

 ドイツ軍ということで言えば、「戦車の性能はどれほどか」
みたいな本が大半を占めるのですが、なぜ、ドイツが戦争
に突っ込んでいったか、そんな本もたくさん読みました。
 今になってみると、戦車の性能の話しなど、ただの情報に
過ぎず、逆に歴史を再確認することの意味は大きかったと
考えています。

 第二次世界大戦はドイツがポーランドに進攻することで始まった
と、歴史ではなってます。そのころにはユダヤ人に対する排斥
も始まっており、ドイツ国内に不満が充満していました。

 これの根っこは第一次大戦が終わった後の「ベルサイユ条約」
に端を発しています。莫大な賠償金の支払いを求められたドイツ
国内ではやり場のない怒りが充満していました。

 そのころ盛んに言われていたのが「ユダヤ人に職が奪われる」
でした。第二次世界大戦を始めるため、軍備の増強を図るわけ
ですが、ベルサイユ条約で結ばれた「軍備の増強をしてはならない」
に触れないように、戦艦などの建設はせず、飛行機などの兵器
の増産に拍車がかかっていきます。

 ポーランド進攻の前に「ズデーデンランド割譲」「ダンチッヒ
回廊進攻」などがあり、無血作戦の勝利と言われています。
 これらを、そのときのイギリス首相、チェンバレン、フランス
の大統領などがドイツに対して譲歩したことが、ポーランド
進攻につながったと言われています。

 実際の戦争の前にはこんな背景があり、それらが合わさって
発生します。ただ単に「ドイツは戦争を開始しました」なんて
ことはないわけです。
 ちなみに日本はソ連とアメリカで分割統治することになって
ました。それだと岐阜県辺りに壁が作られ、北海道に行くには
パスポートが必要、だったわけです。大変に恐ろしいことでしょう。
 それが戦争の真実なのかもしれませんね。


2012年9月26日

 「包丁人、味平」は強烈に覚えている。マンガだ。
 その第一巻のはじめの章。

 二人連れの労務者風の男が入ってきてカレーを注文する。
 男 「ここのカレーはまずいなー、もっとうまいもんを食わせろ」
 キッチンブルドッグのコック 「お代はいりませんのでお引き取り
ください」 

 男 「オメーも料理人のはしくれだろう。プライドってものはないのか。
もしオレにうまいと言わせたら倍の料金を払ってやるよ」 
 味平 内心の声 「こんなやつらがもしうまいもの食ったって、
絶対にうまいなんて言うわけない。この勝負、受けちゃだめだ」。 
 コック 「それではどうぞ」 男 「どうぞって、こりゃさっきの
カレーじゃないか」 コック 「どうぞ」

 カレーが出される。 しばらくして「カラリーン」。空になった
器にスプーンの音。男 「うめー」。 味平 「やったー」。
 労務者風の男たち、引き上げる。

 味平 「でも、おかしいですよね、カレーは同じだったのに」
 コック 「味平、あの男性たちは毎日、現場にて大量の汗を
かく、身体が塩を欲してるんだ。だからカレーに入れたのは塩
だけで味もなにも替えちゃいない」 味平 「ええっ」。

 味平 「だったら、最初からあの労務者風たちにもうまいと
言わせるモノが出せるじゃないですか」。 応えはなし。

 一度、これと決めた味をひたすら出し続ける美学のようなものも
感じますが、商品とかサービスというものは全ての人を満足
させられないんだと、よく分かります。

 要するに、お出しする相手はだれなのか、が大事になってきます。
 よく「これはすばらしい商品なんです」と聞かされます。自分が
すばらしいと感じることにあまり意味はなく、出す相手がすばらしい
と思うかどうかが肝心な点です。
 自分に主眼を置いてしまうと見えてこなくなるものがあります。


2012年9月25日

ピクニック

 車にはピクニックセットを常備しています。
 簡易なイスだけですが。
 ただ、けっこう空間をとるんです。折り畳みなんですけどね。
 今、もう少し上質なイスに切り替えようかなと考えています。

 このイスの出番ですが、真夏と冬は使えません。あとの季節で
使用します。載せてないとやはり使えませんね。
 出番がいつかは分からないので。

 車で出かけ、スーパーなどでお弁当、もしくはお総菜にお茶
を買い、空き地でいただきます。もちろんロケーションも大切。

 海があればそこ、遠ければ川、もしくは山が見える場所。
 最近の使い方としては高速を利用したとき、サービスエリアで
使うことも多いですね。
 ご飯じゃなくても、軽くコーヒーなどをいただくこともあります。

 これ、やってみると意外に良いものでしてね。
 室内でいただくより、よほど解放感があり、景色を見ながらの
コーヒーはいけます。

 かなり前のことですが、車に自転車を積み込んでやろうと考えた
ことがあります。そのときは折り畳み自転車も買ったくらいです。
 ワゴン車に乗っていたのでちょうどいいと考えたのですが、
すんなりとは収納できませんでした。簡易なイスを積んでやろうと
考えたのはここからの発想です。

 まさか自宅から自転車に乗ってもいつも車で往来している
ところから脱出するだけでも大変ですからね。

 屋外でのコーヒーを、こんなに簡易にできるとは思いもしません
でした。ボクは4つ、イスを積んでいるのでけっこうな場所を
取りますが、やはりあれば便利ですね。中国山地の山奥で軽く
コーヒーがいただけるなんて、ちょっとしたぜいたくではあります。
 こんな発想があると少し楽しくなると思いませんか。


2012年9月24日

源泉

 株の売買をやっていると、いかに一般大衆の反対にいけるか、
が大きなテーマになってきます。みんなが進む方角に儲け
などないからです。ただ、その結果、一般大衆とほぼ同じ
方角を向いてしまうのは皮肉としか言えません。

 これは、「儲けたい」「損したくない」があるため、意識
せずとも大衆と同じ方角を見ざるをえないのかも。

 株の売買をやっているとおもしろい現象に出くわすことが
あります。「500円になったら売ろう」と思っていると、
不思議と480円くらいで反転、下がってしまうのです。

 なにか見えざる大きな手でがっしりとつかまれてるような
気が、売買をしているといつもしてしまいます。

 その大きな手から逃れようともがくのですが、走れども
走れども、気づいたらその大きな手のひらの中、が現実です。
 株の売買ではそもそも儲けようと思ってはいけないのかも
しれません。だけれども、それならそもそも売買しなければいい。

 先頃、JALが最上場しました。
 先般、破綻したさい、紙くずになった株券をそのまま所有して
いればかなり儲かったことになります。でも、それはできない
相談です。なぜなら、「早く売らなければ損が大きくなる」
からです。

 現在、東京電力の株価は131円。
 ここから不死鳥のように復活して元どおりになる、と予想
すればここで買っておけばいい。あなたにできますか。
 ボクもそうですが、できません。

 これこそが見えざる手であり、一般の投資家と同じになって
しまう原因です。東京電力を薦めてるわけではありませんが。
 株の売買というのはお金を真ん中にみんなが真剣勝負している
場です。「儲けたい」「損したくない」が自分たちをがっしり
とらえて離さないのです。
 そして「大きく儲ける」は「大きく損する」とほぼ同意義ですしね。

2012年9月21日

最適

 ゆうべ、ある男性から注意された。
 「池田さん、あれはやっぱりおかしいよ」。
 そうかー。あの件についてかなりのわだかまりがあったみたいだ。

 ただ、こうして話し合う中で「それが問題で」「発露された
ことについては」良かったんじゃないかな。
 あれを抱えたままだといつまでも怒りは消えないはずだ。

 さてと。
 ボクたちは、常に「なにを相手にしているか」はとても大事だ。
 会社であれば、つい、中の人たち同士で「これは正しい」「正しく
ない」なんてやらかしてる。肝心なことが見えてない。

 お客さんに対して最適の解を見つけていくのが一番大事なことだ。
 「だれのために、なにをやろうとしているのか」。
 その過程においては批判や非難はついてまわるだろう。

 要するに、冒頭の男性とボクの感覚の違いはここに起因している
ものと考えている。ボク自身は「一つ一つは間違っていてもかまわ
ない」と考えている。
 「なにを目指しているか」だけ外さなければそれで十分。

 また、早さもとても大切にしている。
 「どうせやるなら、一日でも早くやらなければならない」は
常に考えていることだ。「やるのなら、すぐに」。

 早さを追求する中ではやはりいろいろと非難されることもある。
 ボクは「時間をかけて120パーセントのものを作り上げる」
じゃなく「時間をかけずに70パーセントで」満足したい考えだ。
 なにをやるにせよ、方向性は一番大事だ。
 「どこに向かって、いつまでにやるのか」。


2012年9月20日

優先

 先日、ある男性から電話がかかってきた。
 男性はいろいろ考え、実行に移されてるみたいだが、どこか
「自分一人」が頑張ってる気がして仕方ない、そんな感じだ。

 断言しよう。
 他人は自分が思うほどのことを感じて生きてるわけではない。
 体温の違いと言えるかな。それぞれみな違う体温だ。
 以前、エコに関するセミナーを開いたことがある。専門家
を招いて。この内容ならさぞかしたくさんの人が集まって
「会場に入り切らなかったらどうしよう」とか考えていた。

 結果は。
 用意した会場はガラガラで終わった。

 そのときボクは思った。
 「これはエコに関することなのに」「みんなが関心を持つべき
ことなのに」「そんなことでどうするんだ」。って。

 別の男性の一言が事態を的確につかんでいるのかもしれなかった。
 「そんなこと言っても、毎日、食べていくことの方が大切
ですからね」。まーそう言われてみれば、エコだなんだと
言えるのはどこかゆとりがあるのかもしれない。
 日々の生活に苦しんではいないからこそ、高邁な考えに身を
ゆだねていられるのかも。

 ボクはそれらのことを通してよく分かった。
 「人はそれぞれで大事なことが違い、どれを優先順位の上に
あげるかは、その人の置かれた状況による」と。

 であれば、「人が動かない」はごく当然なことと言える。
 関心のない人をこちらに振り向かせるため努力するより、関心
のありそうな人を探すことの方が大事というわけだ。


2012年9月19日

大きく

 仕事をやっていると、「もっとパワーを」「モアパワー」
ってことがある。どこか後ろ向きになりがちで、前に出たいと
思いつつ、どことなく元気がない。

 こんなとき、ボクはいつも実践してることがある。
 難しくないですよ。
 わざと大きな声を出してみる。それだけ。

 返事にしても「はい」と「はいっ」は違う。
 大きくするだけで「あれっ、池田さん、元気良いですねー、
なにか良いことあったんですか」、そんな感想が聞かれる。
 これを続けていると、自分の声で自分が元気づけられるようになる。

 かなり前のことだ。
 ボク自身が何人か誘って食事会の予定だった。
 ただ、かなりの頭痛がして、めまいがある。「うーん風邪ひいたのかも」。
 「だけど休めないしなー」。

 そこで本当に5分だけふとんに入り、寝るというか、横になった。
 でもすぐさま起き出してタクシーに飛び乗る。「さっきよりは
少しだけどまだマシ」。少々、青白くなった顔で会場に向かう。
 酒を飲みながら料理を食べ、出席者と話すうちに調子が悪かった
こと、そのものがどこかに消し飛んでしまった。

 「話すうちに元気になる」、そんな感じだった。
 その日は分からなかったが、それからなんとなく、大きな声、
元気ありそうな表情って自分自身を元気にしていくのではないか、
そんなことを考えるようになった。

 自分の体調より、周囲の人たちとの会話に集中できる、それも
良かったのかも。「オレって気分で元気になったり落ち込んだり
してるのかな」なんて感想を持った。

 そして「楽しい話しをしていると、身体まで元気になっていく」
ことがよく分かった。「身体は気分に引きずられてる」ことが
実感できた。「毎日、楽しいことがないから、声だって小さい」
になりがちだが、「楽しいことがないから大きな声を出して」
みることが重要だと思う。試してみてはどうだろう。


2012年9月18日

薦める

 23から20代いっぱい2つの職場で働いてきた。
 で、言うのもなんだが、2つで働くのはあまり薦められないな。
 そこのところを書いてみよう。

 まず、ボクは2つで働く気などさらさらなかった。そこに
「池田さん、うちでやってもらえないか」なる要請があり、
悩んだが引き受けた。それはいいのだが。

 2つで働くということは、必ず一つ目と二つ目があるわけだ。
 続けているとどっちが一つ目か二つ目かはっきりしなくなる。
 とにかく毎日、アクセクして必死に時間をこなしてる感じ。

 今、改めて思うが、忙しいのなら2つで忙しいより、1つで
忙しい方が良い気がする。考えを集中させることができるよね。
 目的や目標があり、そこに向かって進む最中、途中ならまだ分かる。

 ボクは2つで働いていたころから考えていたんだが、2つの
仕事がそのうちまとまり、つながっていく、ならいい。
 このごろあまり聞かなくなったがキャリアとして積み重ねること
ができるならそれもいい。

 とにかくボクは毎日、すさまじく忙しく、ただお金に困って
いなかったこともあり、「なんでこんなに忙しいんや」みたいな
感覚に支配されそうになっていた。

 「かったるい」「だるい」と思う一方、「池田さん、引き受けて
もらえないか」、個人で指名いただいたわけで、そこだけは
きちんとしたいと思った。
 「やっぱ、あいつで良かった。うちでやってもらって良かった」、
そんな感想はどうしても欲しかった。
 その一点だけかもしれなかった。

 現代という時代は「これをしなければ生きていけない」そんな
時代じゃなくなった。要するにお金とか、食品、物品では人を
操れなくなってしまった。それは自分自身についてもそうだと思う。
 自分自身を動かすためにはお金ではないエネルギー源を探す
必要がある。

2012年9月14日

下落

 ボクは長らく株式投資をやっているが、バブルと呼ばれたとき
すさまじいまでの損をしてる。たまに思い出すとおなかが
痛くなるほどだった。(今は大丈夫)。

 バブル崩壊というのは、株式に限って言えば3度、大きな
下り坂のような下落が起こった。これも判断を誤らせた要因だった。
 大きく3度、下げたあと、「一体、いくら損をしたのか」なんて
あまりにも怖くて計算すらできなかったほどだ。

 ただ、今になってみると、この大損は自分のためにはむしろ
良かったのではないか、負け惜しみではなくそう思ってる。

 よく言うでしょ。「人間、どこかでやらかさないと、しっかり
とは分からないから」。株式評価額で言えばバブルの時代は
1000万を越えていた。その評価額がたったの180万にまで
下がった。180万のときに株式を手放したわけではないので、
損が確定したわけではない。

 ただ、大きく3度、下げたと書いたが、下がる途中で「反転して
大きく値上がりするだろう」と思い、貯金をはたいて投資してしまった。
 これが実際の傷口を広げた原因だった。

 その額、500万近かったと思う。この500万は、なんていうか、
株式という世界に「ばらまいた」が正確な表現だと思う。
 大きな海にワインを流し、その海水からワインだけ取り出そうと
必死になる。もうそんな気分だった。(これは株をやらない人には
分からないかも)。

 なら、なぜ、大損したことが良かったのか。
 「大きく上げれば、大きく下がることもある」、たったこれだけの、
一つの教訓を得るためだけに大金をはたいたようなものだ。
 そう。そういうことなんだよね。

 投資というのは、その時点で捨て金になってるんだ。
 賭け金という捨て金になってしまってる。「儲かった」と感じた
のは賭け金を多くすることができる、に過ぎなかった。
 それが分かったわけ。
 そんなボクだから書いておこう。投資にて「がっちり儲ける」
なんて考えない方がいい。

2012年9月13日

見る

 なんでも見て、なんでも聞いてみた方がいい。
 やはり人間には「引っ張られる作用」みたいなものはある。

 すばらしい人といると、自分もなんとなくそっちに引っ張られ、
いいかげんな人といると、いいかげんになる。

 まだ意識してやっていればいいが、たいていは無意識だろう。
 知らず知らずのうちにそうなっていく。だから怖い。
 洋服のセンスにしても、朝、起きる習慣一つとってもみんな
そうだと思う。

 まず、ボクたちに大切なことは「引っ張られる作用は確実に
存在することを」知ることだ。
 で、「どうせなら、お手本になる人のそばに行く」ことだ。

 そのためには、まず比較できる材料を持たなければならない。
 「たまたま、あの人にそばにいたらこんなことになりました」
じゃダメだな。「どうせなら、この人の近くにいよう」じゃないと。

 比較するためには当然のことながら、いろんなところに出かけて
行き、いろんなものを見る必要がある。

 そこで問題になってくるのが「オレってこういう人間なんだから」だ。
 これが邪魔。
 人間は「こういう人間」というのは存在しない。
 みな、なにかをお手本にして、それを見習ってるだけ。
 それを無意識に身につけてしまってることが多い。

 だから音楽にしても、映画にしても、書物にせよ、どんどん
見て、聞いて、読んでみればいい。人間もあまりより好みせず
会って話しをしてみればいい。それらが比較の第一歩だと思う。
 引っ張られる作用というのは確実にある。それをうまく活かす
ことが大切だ。

2012年9月11日

限界

 たまには限界までやってみることですよ。そこから引き返せば
いいわけですから。

 ボクは高校の初めての夏休み、毎日10時間、ソロバンの練習
をしました。これはボクだけじゃなく、選手たちはみんなこの
メニューをこなしていました。この話しをすると「そんなこと
できるわけがない」って口にされる方がとても多いんです。

 やった本人を前にして「できない」と言われても。困ってしまう。
 頭で想像するからできないんですよ。やってみて、それから判断
すればいい。

 限界を知ることの良い点は「とにかくオレはこういう人間なんだ
から」みたいな、思い込みがきれいさっぱりなくなってしまうこと。

 意外に人間は強く、はた目からは苛酷な状況に見えても、
こなしてしまうもの。ボクも子供のころ学校の先生からよく
「池田、なんでゴール前で走るのをやめるんだ。ゴールはもっと
先にあると思って走れ」と言われたものだが、「やれやれ、ゴールだ」
と思うと力を出し切れない。限界ってやつはもっともっと向こう
にあると思う。

 ボクは高校生のころからの胃痛持ちだ。かれこれ7・8年は
患ったと思う。社会人になってからは食事が終わってきっかり
2時間経つと下腹が痛くなり、ただ手で押さえると痛みがやわらいだ。

 あるとき列車に乗っていたときのこと。廿日市という駅で便所
に行きたくなり、下車、トイレに走った。次回からは廿日市駅
が近づくと腹が痛くなり下車するようになった。

 たまにはとことんやってみるといい。限界というのはボクの
見立てによると「はっきり分かる」ものだ。「そろそろ、オレ、
もうやばい」は限界ではなく夢想した中にある限界状態に過ぎない。
 いろんな分野で限界を知ると人間の本当の強さが分かるはずだ。
 「そろそろ限界」は自分が作ったものに過ぎない。


2012年9月10日

 以前は「男が口にしてはならない言葉」というものがあった。
 このごろ聞かないなー。

 「男が口してはならない言葉」にはいろいろあった。
 まず「他人を中傷するな、悪口を言うな、くり言を言うな
(あのときああしていれば)、バカ笑いするな(先日、バカ笑い
してしまいましたが)、チャバチャバ(方言だと思う。たあいの
ない発言のこと)を口にするな」など、まだあったと思う。

 最近「美学」ってあまり聞かなくなったけど、きっとそれに
近いと思う。

 上の言葉はボクが直接、聞いたものもあるけれど、書物で読んだ
ものも含まれている。「直接、聞いた」というより、方向性って
感じだったな。

 「男のくせに」、これは何度も聞かされた。
 「男のくせに、いつまでもガタガタ言ってんじゃない」
 「男のくせに、もっとしっかりしなさい」。

 このごろ役割分担の話しをすると嫌われるので、あまりしなく
なったのかもしれない。これは役割分担とはちょっと違っていると
思うな。

 以前は「男の育て方」なるものが存在していた。
 「男のくせに」はその最たるものだろう。なぜか、男はこの
言葉を聞くと「なにお、うるさい」と歯を食いしばる動物だ。
 それが良かったのかもしれないね。

 心のどこかに武士の末裔(うちは百姓だったけど)って気分が
あるのかもしれない。それはそれでいいことだよ。
 もし「男のくせに」がなかったら、きっと女性陣も頼りなく
感じることだろうよ。


2012年9月 7日

価値観

 以前はよく海外を旅行してました。
 初めはハワイで、行った当初はあまり感動はありませんでしたが、
あとからじっくりやってきましたね。感動の波が。
 で、それからあちこち行くようになったんですが。

 あのころ一番重視していたのは、「価値観が定まる前にあちこち
旅行しておきたい」でした。

 よく海外を旅行しますと「日本より遅れているな、この国は」
とか「ここのホテルは自分でドアを開けてやるのか、すごいなー」
みたいな意見を聞かされます。
 日本から見た、海外でしかないんですね。

 これはあまりにも長く日本人を続けてしまい、そのことに対しても
自覚がなくなってしまってるのでしょう。
 なんてことを思ったわけです。
 「オレが素のままで受け取れる海外を大切にしたい」なんて
ことを考えたわけです。

 その意味からすると、「東欧各国」「ロシア」などは自分の価値観
がガタガタに壊された旅行だったと考えています。そして、旅行
という観点からすると一番感動しました。

 実は、人は日本人という感覚をいつでも粉砕できるはずです。
 海外を旅行しても、「この国はこうなんだな」と観察すれば
それでいいわけです。日本と比べて経済が良いか悪いか、なんて
それこそ旅行者にはなんの関係もないこと。楽しめばいいんですよ。

 ボクも実は「日本食が一番だな」とは思っています。日本に
戻るとホッとしたりして。ただ、価値観が定まる前にあちこち
旅行して「そのままのその国」を観察したいとも考えています。

2012年9月 6日

遠い

 これまでいろんな国を旅行してきた。数だけでいえば30近くに
なるはずだ。ただほとんどがツアーだし、「東欧4カ国周遊」
みたいなものも含めての話しだけど。

 旅行も当初は「ハワイ」とか「グアム」など。これらを旅行
するうち、もっとよそに行きたくなってくる。

 ただ、そのころはお盆と正月しか旅行できず(今も旅行したいなら
そうなる)、またまとまった休みがなかなか取れないこともあり、
それを突破することが大事だった。

 よってそのころ旅行をするには「日曜に出かけて日曜に帰ってくる」
ツアーばかり探した。これで最大8日間の時間がとれる。
 カナダにもこの形で旅行したが、周囲からは「8日間でカナダは
無理」と言われていた。

 旅行の目的って何だろう。
 「遠くに行きたい」「知らない場所に行ってみたい」「その
国らしい食事がしたい」、まだまだほかにたくさんあるはずだ。

 こんな感じで、いろんな国を旅行させていただいたが、確かに
景色、景観はすばらしいものはあったが、あるとき、ふとこんな
ことを思った。

 「オレの地元にはもっともっときれいな川が流れてる」ってね。
 この感覚は新鮮だった。
 大金を使って外国を旅行したが、遠くにまでやってきて強く
実感したのが、地元の川だった、なんてね。
 意外とそんなものかもしれない。

 遠くばかり見つめていたのが、意外に自分の近くのすばらしい
場所を再確認したっていうか、そんな気持ち。
 外国の多くは水道水など口にできないが、日本では、特にボク
の地元ではいくらでも、おいしく飲める。これもすばらしい点だ。
 外国はお金と時間がなければ出かけられないが、地元のすばらしい
場所は費用も時間もかからない。たまには地元を見直すのもいいよね。


2012年9月 5日

選定

 先日、料理屋のママさんからこんな話しを聞いた。
 「わたしは冬になると体調を崩してしまうんですよ」。よくある
話しだね。そこでボクはウオーキングを薦めた。
 だが、ママの反応は。「やればいいんでしょうけど、なかなか」。

 ウオーキング、散歩、散策、なんでもいいが、やってみると
少しは改善するところもあるはずだ。

 そこで、ボクのお薦めを書いてみよう。
 ウオーキングするには場の設定、選定が最重要だと思う。
 まず自宅からのルートを考えてみる。ここはとても重要だ。
 できなければ、職場からのルート。

 ボクの自宅は住宅地なので散歩の気分になかなかなれない。職場
の周辺も同様で難しい。自宅からそのままウオーキングできれば
一番良い。

 ボクは以前、「汗をかくことに」大きな抵抗感があった。
 「汗で汚れたまんまで行動するのは嫌だ」だね。だから肝心な
点は「ウオーキングしたら着替えをする」だ。

 それから、洋服などの服装は「ウオーキング用」にこだわるべきだ。
 もちろん靴もそう。間違ってもカバンなんか持つと散歩する気分
じゃなくなる。
 ウオーキングを生活に組み込むべきだと思う。

 ボクは「20分ならこのルート、40分あればこのルート」と
みな決めてる。何度か歩いてみれば何分かかるかは分かるようになる。
 余った時間によってルートを選定する。

 実は、先月の8月は一カ月で三日間くらいしか歩いてない。
 こんなこともあるにはあるが、それでも歩くことを基本としたい。
 ボクの気持ちの中で一番の変化は「汗をかくことって気持ち良い」
ことを発見したことだと思う。ボクにとっては本当に大きな変化
だったな。


2012年9月 4日

つっけんどん

 ボクはこれまでたくさんの交流会や会に参加してきました。
 ただ、それはいいんですが、たいていならボクはつっけんどん
な態度を取ってまして。こんな人は無視されるか、冷たい空気
の中、一人、たたずんでいるか、のどちらかになってしまいます。

 それは悪いことだと分かってはいるんですが。
 ボクが自分のことを研究すれば、ワガママなんだと思います。
 あくまでも自分を通してしまいますので。好かれないわけ。

 そうした目で、交流会の参加者を眺めてみるとおもしろいもの
ですね。ボクみたいな人がけっこういるわけです。
 なんていうか、日本人にありがちな、接触してくれればうれしく
なって話すんだけど、表情は堅いし、あまり楽しそうに話さない
ので好かれることがない。

 要するに、あなたはこの逆をやってやればいいわけです。
 まず表情には常に注意し、楽しそうに話し、人の話しもしっかり
聞く。なにか提案がされればとりあえず「メモしておく」。
 「スケジュールを確認して再度ご連絡させていただきます」を
加えておけば十分過ぎるほどだ。

 交流会に参加しようと思ったほどだから、別の提案があれば
できるだけ参加してみよう。

 ボクはいつも自分の中にある日本人を見つけては、「どうにか
しないと」と思うんだけど、やっぱりまた日本人をやってしまう。
 こんなもんなんだよね。
 日本人であることはいいんだけど、「接触してきたら話してやる」
って態度じゃいけないね。


2012年9月 3日

参加

 先日、同業の会合がありまして出席してきました。県内の
同業者がかなり集まりました。
 みなさん、年齢に関係なく前向きな方ばかりです。
 一泊研修でしたが、研修の前にお仕事、研修が終わってからも
お仕事の方が大半でした。

 中には、この研修が終わってから、別の研修に参加される
すさまじい方も。張り切って取り組んでる人はやってるわけです。

 たまに都会に行くと自分がたるんでることがよく分かり、そして
「このままじゃいかん」そんな気にさせられてとてもうれしいん
ですね。

 なんとなく地方って「なんとかやっていける。そんなにアクセク
しなさんなって」みたいな空気がある。それは良いことなのかも
しれないけど、時間が経ってみると「これでいいのか」って気がする。

 都会の朝の、なにかに向かっていく姿がとてもすがすがしい。
 いや、地方だっていろいろめんどうもあり、大変なんだろうけど。

 なにを言いたいかっていうとね。
 自分の周囲ばかり観察していると、つい軽く考える、このままで
やっていける、そんな感覚になるから、それが危ないよと。
 ま、これは生き方の問題になるのかもしれないけど。

 ボクは会合とか研修などにはできるだけ参加するようにしてる。
 これ、考えてみるといろいろムダもある。

 その間は仕事できないし、時間は取られるし、旅費もかかる。
 ただ、現状がなんとなく物足りないなら、なにかが足りないん
だよね。そこになんらかの視点を加えないと突破できないのかも
しれない。そうであるなら、答えを探しに行かなきゃ。ってわけ。
 自分の周囲ばかり観察して安心するのはよくないよ。