2012年5月31日

三つ

 株売買と聞くとよく聞かれるのが「1600もある中からどうやって
選ぶのか」みたいな話し。東証第一部だけで1400くらいある。
 その他の市場も入れたら1800くらいにはなるはずだ。これは
もちろん日本だけ。

 確かに、これから株でもやろうかと考えたとき、あまりにもたくさん
あり過ぎて迷ってしまうだろう。

 ボクが薦めるとするなら、どこでもいいからまず買ってみることだ。
 いや、どこでもいいの。買った瞬間からその会社のことが気になり
始める。株価にせよ毎日見るようになる。すると、分かることがある。

 「オレってやけに高い値段で買ったんだなー」とか「あ、ここ、オレ、
知ってる、親戚が勤めてる会社じゃないか」とか、そんなことが発生する。
 なんていうかさ、これまであったんだけど、見えてくるようになるって
いうか。そういうのがあるんだよね。

 株価ってみんな気軽に口にしてるけど、あれだって奥が深い。
 あなたはなぜあの株価ってやつが決まるか説明できるだろうか。
 「株価はその会社の価値」くらいは説明できるかも。ただ、それでは
説明にはなってない。ボクなら、ま、ここで書くのはやめとくか。 

 そんなことにもきっと関心を持つようになるはずだ。これはね、
試しにでも買ってみないとなかなかその気にはならないんだ。
 こうして興味を持つことによって継続して観察し、そもそもの
自分の深いところにある興味につながってくるわけ。

 投資家にはみんな傾向がある。癖っていってもいいね。
 もちろんボクにもある。ボクは株を買ったら少なくとも3年くらいは
所有してる。それから資源、医療関連が好きだ。資本金は70億くらい
までと決めてる。このような傾向というのは始める前からはっきりしてる
わけじゃないんだ。いろんな要素(ここでは書かないが)があって決まる。

 それらの末に1800もある株のうち「オレはここがお気に入り」
みたいに決まってくるんだ。ちなみに書いておくが、株の売買をする
人は売買する会社なんて3つか4つだ。これを知ったらさぞかし驚かれる
に違いない。いくら1800あっても関係ないんだよ、実は。


2012年5月30日

外国人

 昨日、起こった出来事をできるだけ正確に描写してみよう。
 列車に乗っていたらある大柄な外国人二人が乗り込んできた。

 女性一人に男性一人。ボクも入ってしまうほどの大きなスーツケースを
持たれていた。かなり乗ったと思われるころ、女性の方が駅名の書か
れたボードの前でなにやら熱心に見ていた。

 「ここが出番だ」と思い、立ち上がり「フェアー」と口にした。
 分かったことだが、フェアーはボクなりには「どこに行かれるの
ですか」を要約した一言だ。発音もおかしかったかも。

 が、女性は聞こえなかったらしく、相変わらずボードに見入っている。
 そこで女性の二の腕を「チョンチョン」。やっと女性は気づき、メガネ
の顔をこちらに向ける。そこでボクはさっきの「フェアー」。

 「オーーーッ」といい女性は「ヒロシーマ」。ヒロシーマと言いながら
片手を出して指を三本曲げて見せる。だれがどう見ても「広島は三つ目か」
と聞いてることは分かる。ボクは指を四つ曲げ「フォーース」。

 「いやーフォーースは違うだろう、フォーースは」と内心、思ったが、
意図は伝わった。一回目がファースト、二回目がセカンド、三回目が
サード、四回目がフォーース。のつもり。「四回目と四つ目は違うだろう」
とは思ったが。とっさには出てこなかった。

 ついで「アーユーユースシンカンセン」とたずねた。こちらはノーだった。
 頭の中ではショートしかけた回路を必死につなぎ「アーユーだったっけ、
ドゥーユーだったっけ」なんて考えていた。尋ねないことの方が結果的に
困るかもと思って内容はどうでもいいと思った。

 ここまで周囲の乗客は知らんぷり。ボクよりよほど英語が話せる人は
いたんだろうに。なにせアーユーだよ、アーユー。
 困った感じの外国人を見たら話しかけてみよう。きちんとした英語など
話せなくていい。困っているのはあっちであってこっちじゃない。

 「こいつ下手な英語だなー」なんて思うはずがない。ボクなど初めの
フェアーの時点でアウト。会話が全て終わったとき「あ、メイアイヘルプ
ユー、だった」なんて思い出した。外国人と話してみると分かるがだれも
メイアイヘルプユー、なんて使わない。フェアーで十分だ。

2012年5月29日

早起き

 あれは30になったばかりのころだったと思う。いろいろな
方にお会いさせていただきお話しを伺う機会を作っていった。

 そんな中にNTTの支店長さんがいた。支店長さんの話しはとても
おもしろかった。「なんでもやろうとすることは全てマル」って内容
だった。「やろうと思ったことはなんでもやってみればいい。取り
組んだだけでゼロじゃない」なんて話し。

 そこでそのころ懸案だった早起きに取り組むことにした。
 それまでも朝6時半ごろには起きていたが5時ごろ起きることが
できればいいな、なんて思った。

 とりあえず、毎朝4時半に起きることにした。
 これはなんなく達成。ただ2週間ばかり経ったころ、「オレ、このところ
あんまり寝てないや」などと考え、かなり長い時間、寝てしまった。

 なんていうのかな、「頭で寝てる」っていうのか、眠たいから寝る
のではなく「このところ少ないからたくさん寝よう」みたいな感じ。
 なんとなく、つまんないと感じて1カ月くらいでやめてしまった。

 ただ、早起きは何年かして達成されることになる。
 早起きが目的ではなく、早く起きてなにかやりたいことがあれば、案外
楽に達成できることが分かった。「あーここか」なんて思ったな。

 これは冬の朝、寝所から出るとき辛いものだが、ここでも役立つ。
 用事もないのに起き出すのは辛いが、「あれをしなければ」と思うと
起き出すことができる。そのきっかけでつまづくことが多いだけだ。

 ま、早起きとか冬の朝、すぐに起きる、みたいなことは目的とは
違うわけだ。なにかをやりたいときに自然に達成されることの一つって
ところかな。ちなみに早起きはするが、夜は早い時間に寝ています。
 そして、徹夜というものは一度もやったことがありません。

2012年5月28日

実際

 このところ、株についていろいろ書いてみて、「あーそうそう」と
思える点がある。
 株についてたくさん書いても実際のところは、売買とはなにかを
理解することはできないということだ。

 いくら「1000万円がただの180万円に」としたためたところで
売買の現実は理解できないんじゃないかな。やはり他人に起きたこと、
自身には関係ないからだ。

 実は株をやらない人には分からないと思うが、どういうものかお金を
株式に変換すると、とたんに価値が少なく感じられる。100万円
くらいの損はあまり痛みを感じない。それっておかしいとは思うのだが。

 ボクはそもそもは父親から24万円をもらって投資を始めたが、
それからは全て、自分が働き、その報酬で売買をやってきた。
 その、ギリギリ、報酬が吹っ飛ぶかどうかというギリギリのところで
売買してきたことが、いろんなことが分かる要因だったのかもしれない。

 さて。
 ある株を300円で買ったとする。目標として450円になったら
売る、と決めておく。現実に450円になったとき、売ることができると
思うだろうか。
 売買したことのある人ならすぐに分かることだが、まず無理だ。

 実際に450円になると、なぜだか550円にはすぐになるような
気がする。そうこうするうちに、また380円くらいに戻してしまう。
 これなども自分の大事な大事なお金を投ずるとき、「これは決めた
ことなんだから」って実施に移せないものなんだ。

 だから、ボクは少ない金額でもいいから、株売買を実地にやって
みることを薦めている。「損したらどうするんだ」って思うだろう。やり直し
がきく年齢で少しくらい失敗してもいいんじゃないかな。やり直せばいい。

 株とかギャンブルなどの話しは他人から聞いても、いくら本を読んでも
実際のところは理解できない。要するに追い詰められないんだな。
 ただ、ボクが思うのに人生なんてギャンブルみたいな面もある。
 人生というギャンブルからはだれも逃れられない。だったら少し
くらい株をやってみてもいいんじゃないかな。っていうことだ。


2012年5月25日

独自

 ボクが小学生のころ、女子は二人連れでトイレに行くことが多かった。
 あれは不思議だった。「オマエらは同時にトイレに行きたくなるの
かよ」って。

 ただ、大人になっても、いまだにあの光景を見たときと同じような
感覚になることがある。

 ボクは人は基本的に周囲と同じでいいとは思うのだが、なにか
一つくらいはしっかりと違うものを持つことを薦めたい。

 もうそろそろ買おうと思っているのだが、うちにはテレビがない。
 アナログが終わってからそのままなのでなにも映らない。1年近く
になる。どうせなら1年待って買おうかな、なんて。

 今の時代、テレビなんてあって当たり前、空気みたいなものだと
思うが、それを意識してなくそうと考えたわけだ。ボクの場合にせよ、
アナログ終了で映らなくなったからやれたことで、ハードルは高い。
 それにかえって高くつく(ビデオとか借りるから)傾向がある。

 だからうちは今、NHKの受信料を払っていない。そして、ここでも
気づくことがある。引き落としなのだが、なんだかんだで手続きが遅く
なり、テレビもないのに4カ月ぐらい受信料を払っていた。いな、
引き落とされていた。

 人はなんていうのかな、ほぼ、他人と一緒でいいんだけど、少し、
違った側面を持つといいと考えている。

 ボクの周りにも「同じ会社の人間としか呑まない」人が何人かいる。
 ある決め事をすると人はとても楽に生きられるようになる。それは
そうなのだが、一つくらいは仕掛けを用意しておき、場外乱闘を味わう
のも決して悪くない。

 昆虫は(すいません)、光源に寄ってくる性質がある。ただ、人間
は昆虫じゃないので、吟味しながら寄っていける特質を備えているはずだ。
 「光源に寄る」と決めてしまうのではなく「いろんな光源から選んで
寄ってみる」のもいいのではないかと思う。


2012年5月24日

投資

 ボクはみなさんにも株式売買はやってみるべきだと口にしています。
 確かに株式投資は危険で、散財する可能性もありますが、お金に
しても同じこと。危険だから「できるだけ見ないようにしましょう」、
なんてことはありませんよね。

 大事なことは「とことん、なくなるまで突っ込まない」ことを身に
つけるべきですし、「節度をもって売買できることを」学ぶことです。

 ボクは19で株式売買を始めましたが、当たり前ですが、その年頃
の人間が「よし、これからは株式だ」なんてことがあるはずもなく、
父親から「オマエも株くらいやれ」で、「帝国繊維の株をやるけー、
これでやってみー」でした。

 ボクは正直に言うと「株って、大根のことか。違うよなー」。かなり
これに近い印象でした。
 そして驚くべきは、ここからです。それから10年以上も株の売買
をするときは父親にたずね、全ての売買の決定権は父親が持っていました。

 ボクがある株を買おうとすると「そんな聞いたこともない会社なんて、
買うな」。ボクは自分が株の売買をやっている実感はまるでありません
でした。

 ただ、売買一つ一つについて父親からの指示でやっていたので、
「うーーん、オレも自分の才覚でやりたいなー」、そんなエネルギー
がたまり、株の本もたくさん読み、自分なりの見識を身につけた
つもりです。要するに「株の売買はそんなに簡単に上達するものでは
ない」ということになります。

 株の売買はお金のやり取りそのものです。人によっては「命の次に
大事」なんて公言するほど大切なもの。その大切なものを真ん中において
売買するのが株式売買です。だからこそ、ボクはみなさんに株式売買も
やってみるべきだと口にしているのです。

 この世は「危険だから見ないようにしよう」では通らないものもあります。
「株なんて危険」と短絡視せず、「それでは危険ではない売買方法が
あるのか」、研究することもやはり大切なんです。
 株式売買は「筋肉を鍛えること」にもかなり共通しており、やはり
日ごろから鍛えてないとできないものなんです。

2012年5月23日

持ち上げる

 先日のこと、「池田さんって持ち上げられると頑張っちゃう
人ですか」、周囲から散々言われた。返答は。
 「当たり前じゃないですか」。

 ほとんどの人は「持ち上げられたり」「称賛されたり」で、よし
頑張ろうと思うはず。であれば、それを利用しなくちゃ。

 ボクも以前は「あんたのここがいけんのんよ。そんなんで信用
されるかよ」、みたいな苦言を口にしていた。ただ、このごろは
あまりやらない。

 苦言はけなすことにつながり、それをそのまま受け取ってくれれば
いいが、誤解も多い。
 苦言を多く受ける人はたくさんの人たちから同じ指摘をされており、
「聞いても聞かず」になっている可能性も十分に考えられる。

 人間なんて意外に単純だと思う。
 「さすが、池田さん」「やっぱ違うね」「あんたでなくっちゃ」、
これらの言葉でコロッとその気になるんだから。安いものだ。

 ただ、よく見かけるのが「池田さんのすばらしい点は」などの質問
をしたとき、うーーーーん、と悩むしぐさを見せ、「ここですかね」、
と重い一言を発する。

 人によっては慎重に言葉を選んだ、みたいに受け取ることもあるかも
しれないが、「なんだなんだ、そこまで良い点が少ないのかよ」に
なってしまう。本当のことを言おうとするのではなく、「とにかく
持ち上げる」にこだわった方がいいと思う。

 人によっては「あまりないんですよね」、みたいな言葉をつける
人もいるが、実にもったいない。

 ボクはよく人から「どの口がそれを言わせるんですか」と言われる。
 おおげさなんだね。「それじゃーあることないこと、じゃなくて
ないことないことじゃないですか」って言われることもある。

 これくらいおおげさに持ち上げるくらいでちょうどいい。
 そこでは本当、とか真実とかはあまり意味を持たない。
 「あの人はホントに軽いんだから」、なんて言われるくらいでいいと
心得るべきだ。


2012年5月22日

京都

 ボクは京都には京都人種という人種があるのかとばかり思っていた。
 中学卒業と同時に京都に単身向かった。それまでは山口県でずっと
暮らしていた。

 もちろん京都に京都人種なるものはないのだが、そんな感覚を抱いて
いた。「ここは都会だ。山口県とは違うんだ」だった。

 だけど、自分も京都に暮らしているわけで、言葉としては当たり前で
よく分かったことだが、感覚としては「京都に住む人は別格」、そんな
印象がぬぐえなかった。

 当たり前だが町中には関西弁があふれてる。ボクの通った学校は
京都、大阪、滋賀の人間がミックスして存在していた。

 当初は関西弁を使うことに大きな抵抗があった。
 「オレは山口県なんだから、オレが関西弁を使ったら(なんで、オマエが
関西弁なんだ)って言われやしないか」が大きかった。

 「行かへんけ」(行きませんか)「やんのけ」(やるんですか)
 「あかん」(ダメです)これらの言葉は特にハードルが高かった。
 ただ、いつだったか、これらの言葉を使っても周囲の人間は何も
言わなかった。「あー、オレもそろそろ京都の人間って認めてもらえた
のかな」なんて思った。言葉はやはり通行手形のようなところがある。

 山口県から旅行でやってきた人間に関西弁を話すのは無理だ。
 これらの関西弁が自然に使えるようになるまで2年くらいかかってる。
 そして、2年も経つと「京都には京都人種があるわけではなく、
どこにいてもおんなじやないか」、ごくごく当たり前のことに気づいた。

 やはりこれは言葉としてではなく、感覚としてよく理解できた。
 日ごろ京都の人間と接してるのが大きかったな。

 そのころ、やっと「オレは山口県なんだ」っていう気負いがなくなった。
 それまでは「山口は九州じゃない」「山口は本州だ」って、今、考え
れはどっちでもいいことに強くこだわっていた。そういうお年頃かな。
 その地に早く溶け込みたければそこの方言をいち早く習得することだな。

2012年5月21日

財産

 ボクは日本のどこにいても財産はあると考えている。いや、考える
ようになった、かな。

 よく「東京でこんなことで人を集めているんですよ」、その類いの
話しを聞かされることがある。「だから、ここでもやってみたら
どうかなって」。悪いことじゃないと思う。

 ただ、東京と地方では圧倒的に違う現実というものもある。人が
圧倒的に少ないんだ。こればっかりはどうしようもないね。
 だから東京で人気になっているものをただ、地方でやればうまく
いく、わけじゃない。

 ボクは自分が暮らしてる場所について「なにもない」とこれまで考えて
きた。だけど、それはおかしくて、「なにもない、けど自然がある」
わけでもある。人間、ないものを見るのは簡単ってところかな。

 はっきり言って地方の人は地方や、同じ町の人を相手にするべきじゃ
ないと思う。大阪や東京を相手にすべきじゃないかな。

 ボクの暮らす町にせよ、同じ地方と比べると見劣りするけど、東京
と比べれば優位なものはいくらでもある。まず「行列がない」「雄大
な自然がある」。探せばまだまだ見つかるはずだ。

 東京や大阪は人がたくさんいるから、そこを優位としている。
 だから地方が人集めで東京と勝負なんてできるわけがない。

 ただ、農地はタダみたいなお金で借りることができるし、家賃も安い。
 野菜のいただきものも多いし、魚介類のいただきものも多い。
 夏は海で泳ぐことができるし、冬はスキーができる。

 難点も多いが利点も多い。ボクたちは難点ばかり見ていた気がする。
 改めて自分の町の魅力を探してみよう。集客ではかないっこないが、
ほかで勝負できる点がきっと見つかるはずだ。要するに地方は、もう
都会の真似をしてもやっていけないところまできてる。
 そうじゃなく、地方に都会の人たちを呼ぶのが今からの正解だと思う。


2012年5月18日

つらさ

 つらさってすごく個人的なことだと思う。
 それぞれのつらさがあるわけ。

 ボクは中学生のころ陸上部に入っていた。陸上部に入ったのは学校に一緒に
行く友人がキャプテンだったから。なにかと好都合だ。
 だが。陸上部ってすさまじく大変。まずそれぞれの練習(短距離なら
短距離)に入る前に学校の外側をグルッと走って一周する。

 「なにが悲しくて走らなくちゃいけないんだよ」、いつもそんなことを
考えていた。学校のちょうど裏にある商店があり、夏場はそこでジュース
を買って呑むことも。するとおなかが「タッポンタッポン」いって
ますます苦しくなる。戻ってくると「池田、遅いなー、なにやってんだよ」。

 「当たり前だろ、こっちはジュース呑んで走ってるんだから」は口の
中に飲み込む。「はー、ちょっと調子悪くて」。

 そのころ陸上部は大会などでもけっこうな成績をおさめていた。
 短距離に400(メートルね)、800、走り幅跳び、三段跳び
などで大会では常に上位にいた。ボクは砲丸投げだったが、いつも
予選落ちだから「はー、なげー(時間をもて余す)、まだ大会、やって
んのか」、いつもそんな感じ。ボクの登場時間は午前中の早い時間で終了。

 あとは延々とみなさんが終わるのをひたすら待つ、だった。
 そんなボクにとって陸上部の活動は「ただひたすらめんどうなだけ」だった。
 大会の前になると「よし強化練習だ」みたいなことになり、はなはだ迷惑。

 そしてボクは中学を卒業すると単身、京都で生活を始めるわけだが、
ここでもすさまじいソロバンの練習の日々。周囲は必死になって練習
するが、こっちは半分嫌々。つらかった。

 いつも、周囲の人たちと同じ練習をこなしていた。ただ、受け止め方
だけは全く違っており、ボクのみ苦痛の連続。「はー、まだあんなに
長い時間、練習しなくちゃいけないのか」。

 だけど周囲はいつも喜々として練習をこなし、大会に備えていた。
 とてつもなく不思議だった。「なぜ、あんなことが楽しいのか」。
 要するに、時間ってやつはみんなに平等に訪れるが、問題は受け止め方
なんだよな。つらい人にとってはただつらいだけ。なんだ。
 「だったら、楽しくなるようにしなくちゃ、バカみたいだよね」と思うね。

2012年5月17日

真ん中

 ゆうべのこと、ある男性から「どうして池田さんは遠いところを出て
くるんですか」と質問された。列車を使って、タクシーまで使って、
なぜ、出てくるのかと。改めて聞かれて戸惑った。
 そういえば、なんでかなー。

 みんなには地元の感覚がどこかあるみたいだ。ボクにはない。
 いつからかな、こんな感覚になったのは。

 ボクは中学を卒業して単身、京都で生活を始めるんだけど、行った
当初、学校のやつらから「オマエは九州け(けは質問してる)」と
言われた。何度も「いや、オレは山口県だ」って強調していた。

 実際、山口県と九州とはかなりアクセントに違いがあり、方言も
全く違う。そして。京都の人間は日本の真ん中意識もすごかった。
 高校生という年齢もそうさせているのかもしれないが、ボクたちを
地方の人間扱い(実際そうだが)してくる。
 それにボクの目に写る京都は大都会だった。四条河原町の辺りなど
「どうしてこんなに人がたくさんいるんだろう」って思っていた。

 だから高校生活が始まってからしばらくは「バカにされてたまるか」、
いつもそんな気負った気分でいた。当初、どこからかチョーク(ケンカ
を吹っかけてるわけ)、が飛んできて、「バカにしやがって」と
すさまじくむかついたものだ。頻繁に方言が出てくるなど、バカに
される要素もたくさんあった。

 そんなボクも地元に戻ってきた。そのとき「関西弁を話す青年」が
たたずんでいた。よくあのころ「関西の人ですか」と聞かれた。
 途中からめんどくさくなって「はい、関西です。京都です」と
応えるように。どうやらあのころから地元意識がガタガタに壊された
のかもしれない。壊されたのだが利点もあった。真ん中は常に自分の
いるところだってことだね。

 先般、訪問した京都は十分地方色豊かだった。バカにされまいとした
あの気負いを思い出しておかしくて仕方なかった。
 関西弁が自然に口をついて出てくるようになったとき、ボクの心中には
「人間、住んでるところが地元になってくるんだなー」なんてつくづく
思った。真ん中は常に自分のいるところだと思うよ。
 よって時間をかけて出かけたところも、ボクにすれば地元ってことだね。


2012年5月16日

悪口

 ボクは悪口を言わないそうだ。いやー、分かりませんよ、言うときは
散々口にしていたりして。
 確かに悪口は喉元まで来てるんだけど、最後の最後で踏みとどまってる。
 最後は我慢だね。

 これは自分の目線が外界に向けられているか、内側を向いているかも
関係してると思う。同じメンバーで呑む人に悪口が多い気がする。

 ボクはお互いに接点のない人同士で食事することも多く、愚痴
と同じで「あいつさー、こんな悪いところがあるんだぜ」、なんて
言いたくてもできない、っていうのもある。

 その人は「あいつ」を知らないわけでさ。
 要するに悪口の多くは「閉じられた世界」での話だ。

 ただ、悪口は口にすると「すっきりする」「楽しい」などの効能は
あると思う。ボクも不思議なんだが、散々、悪口を口にしてるとき、
「どうして悪口ってこんなに楽しいんだろう」なんてよく思ったものだ。

 一つには優越感だろうな。
 悪口を言った人は言われた人より「格が上」なわけでしょ。
 「あいつはダメで、オレはすばらしい」を再確認してるところがある。

 と、ここまで考えてみると、悪口も毒素みたいなものだと分かる。
 その人と自分を比べること自体がおかしなことだと気づいてない。
 悪口を言う人は言われた人と「どっちもどっち」なわけだ。

 どうせ格が上なら、悪口は口にせず、優越感にひたっていればいい。
 「あいつはダメでオレは立派」な状況に変わりはないはずだ。

 悪口の種はみんなが持っていると思う。だから言わせればキリがない。
 ただ、口にしたところで気分は晴れないものだ。
 いな、晴れると思う人もいるだろう。そんな人は目線を外界に向ける
工夫をしてみよう。いろんな人に会い、いろんな場に出かけてみる。
 いつしか、なぜオレはあんなに悪口が楽しかったのか疑問に思える
日がくるだろう。

2012年5月15日

考え方

 考え方は一番大切だと思います。
 所詮、行動は考え方に続いているだけですからね。

 ボク、タクシーをよく利用します。本当に夢のような乗り物だと考えて
います。夜間になにか企画したとき、タクシーがあればこそきちんと
実行できるわけですから。この時間の10分、15分はとてつもなく
大きい。

 ほかの乗り物と比べると費用は格段に高い。だけれども、ボクの場合で
言えば自分が企画した食事会にきちんと間に合うかどうか、
がかかってますから。タクシーあればこそ実施できている面があるんです。

 それからたまーにですけど、少し離れた場所にいる友人から「今日、
東京からこんな人が来てるんだ。オマエも来いよ」って、こんなとき
たいてい急に、なんですね。「え、今日、今日かよ」。

 たいていの人はここで断ると思うんだけど、ボクは車を走らせる
こともよくあります。出かけた先でしっかりとお酒も呑むので、どうするか。

 あるとき、ふとひらめいたんです。
 「どこにでもビジネスホテルはあるじゃないか。そこに泊まればいい」って。

 以前は知らなかったんですけど、このビジネスホテル、深夜2時くらいに
「今から泊まれますか」と問い合わせして、宿泊したこともあります。

 「ビジネスホテルって案外、こうした利用方法もあるんだなーって」、
感じました。翌朝、早くに起きて帰宅すればいいわけですからね。

 これらの根っこにあるのは、要は考え方だと思うんです。
 「タクシーは高い、決して利用しない」と決めてしまうと、行動範囲
が狭くなってしまう。

 「今からあんな場所まで行ったらどうやって帰ってくるんだよ」では、
やはり行動範囲が狭まってしまう。
 人間には考えに癖みたいなものがあり、電卓じゃないけど「1たす
3は」って入れると、必ず4みたいな感じになる傾向がある。

 ボクは暗算が得意なのでよく思うのだが、脳の電気回路が同じ
ところを走るところがある。いろんなレールがあることを確認すれば
もっともっと行動範囲が広がるのではないかと思う。

2012年5月14日

前例

 先を走る者は大変なんです。
 先般、久しぶりに京都を訪れました。高校時代、ここに住んでいたのに
金閣寺も銀閣寺も訪問していません。清水寺、御所も行ったことが
ありませんでした。今回、初めて訪問しました。

 ボクは中学卒業と同時に京都に留学することにしました。中学3年の
秋、実施に向けて動き始めました。そこからは実に大変でした。

 ボクはもともとあまり頭が良くなく、できるだけ賢くない学校を探して
いました。中学卒業時に他県に転出は認められていませんでした。

 よってボクたち親子は一人で留学するためにあれこれ模索しなければ
なりませんでした。市役所に行き「単独での申請、却下」、次には
「母親とボクが二人で転出」の形にしてやっと認められました。

 「単身で京都に行く」、たったこれだけのことなのに、ってあのころ
よく思いましたね。先を行く者の宿命みたいなものでしょうか。
 母親と一緒に転居した形を取り、ボク一人が残りました。

 それから、そのころ中学卒業と同時に他県の公立高校を受験することは
できませんでした。よって私立のみに絞ることに。
 ボクの成績はとても悪かったので私立でも受かることを最優先にしました。

 留学先の先生からは「池田君、高校、失敗したらどうするんや」と
質問されていました。ボクは「受験に失敗したら(一つしか受けないので)
京都で生活し、ここに通って翌年再度受験します」と応えた。

 これらのことは全て前例がなく、一つ一つチャレンジして突破して
いきました。市役所からは一つ一つ難癖をつけられるので「なんかオレに
うらみでもあるんか」なんてよく考えたものです。

 高校からは「一人でアパート住まいは許されない、保証人のハンコを
もらってこい」と言われ、実施しました。留学先の先生にお願いした。

 物事、なんにでも先例があることばかりではありません。
 やったことのない、取り組んだことのない出来事もあります。そのとき
「やっぱダメだってさ」なんて言っててはなにも始まりません。
 「不可能ならば可能な方法を探すだけ」だとボクは思います。

2012年5月11日

聞く

 つい先日のことです。
 ある方とお話しさせていただいていますと。
 「池田さんは人の話しをしっかりと聞いていただけますね」、
そんな感想をいただきました。そうかー。これ、あまり自分じゃ意識
してないんだけど。

 でも、これって、その人からすれば「ほとんどの人は自分の意見を
押し付けてくるばかりなんですよ」とも聞こえる。っていうか、
他人の話しを聞かない人がどれほど多いかということ。だろう。

 以前、ある女性とお話しさせていただいたことがある。
 2時間ばかり話したが、終わって帰ろうかというとき、女性が発した
言葉には笑ってしまった。「今日はいろいろとお話しできましたね」。

 だいたい女性が95%ぐらい話していて、こっちはうなずいてる
だけだった。ボクには女性がとうとうと持論を述べてるようにしか
感じられなかったのだが。

 お話しというのは「うまく話す」こととは違うと思う。
 「難しい、難解な言葉をたくさん用いて、学識あるように話せる」
ことでもない。相手の意見をしっかり聞いて、的確に話すことだ。

 ボクはいろいろな方とお話しさせていただくが、相手がこちらの話し
を聞いているかいないか、つかめてしまう。
 上記の方もつかめるのだろう。
 人は意外に「相手が聞いているかどうかすぐに把握」してしまうものだ。

 「あ、この人は聞いてないな」と思われてからの話しはうまくいかない。
 人間、歳をとると相手の話しをしっかり聞くことが苦手になるそうだ。
 頑固おじさんに「おじさんだってこうだよね」なんて話しをしても
聞く耳を持たないだろう。
 うまいお話しというのは「うまくしゃべる」ことではなく「相手の話し
を的確につかむ」ことだ。

2012年5月10日

堂々巡り

 「いや、あのな、だからな」。
 堂々巡りをしてはいないだろうか。時間のムダだからやめようね。

 よくいろんな人からこの手の話を聞かされる。「うちはな、お金が
ないから新規投資はできない。だから、儲からない。だからオレの手取り
は少ないまま」。

 それを聞き「はー、そうですか。なにか聞いてると鋼鉄でできた玉の中を
全力疾走してるような話ですね、で、どこから外に飛び出すんですか」。

 「いや、あのな、だから、うちの会社はお金がない。だから新規投資
はできない。だから儲からない。な、だからオレの手取りは少ないんよ」。

 はー、それは分かりました。
 ただ、その玉の中をいかに早く走るか、は聞いていて分かるんですけど、
どこかに穴があいてて、そこから外に飛び出す、とかそんな話には
ならないんですか。

 「いや、だからな、あのな。うちの会社はお金がないんよ、だから
新規投資はできんのよ。だから儲からない、だからオレの手取りは
少ないままなんよ」。
 はー。分かりました。それはさっきから聞いてますから。

 これを読んで笑ってるかもしれないが、いやいや、やらかしては
いないだろうか。
 「国会議員がだらしないから、この国はダメなんよ」。「国会が
ねじれやろ、だからいけんのよ。まずあのねじれを解消せんと」。
 「国会議員は国会議員の本質にたち戻って出直しをせんと」。

 この手の話を1万時間、費やしてもなにも解決しやしない。
 将棋だったか、チェスだったか、いや、なにかのスポーツだったかな、
どうにもこうにも(あ、ボクシングか)展開が進まなくなったら、
いったん、両者を離して再度、始めるよね。あれ、なんて言うのかな、
話がこんな展開になったら、風穴をあける必要があるよね。
 つまんない意見でもさ、「これくらいはできるんだから、やって
みませんか」が必要なんじゃないかな。

2012年5月 9日

姿勢

 あなた、姿勢はいい方ですか。
 ボクは高校になるとき単身、京都に留学しています。その最初の
夏休み。朝から夕方までの猛練習が始まりました。朝から夕方まで
ソロバンで数字を追いかけるんです。

 ただ、この毎日は本当にうんざりで、だけれども自分から志願して
ここにいるわけで、すえたクーラーの匂いがする中、耐えました。

 練習は午前9時に始まります。一番つらいのが午前が終わるころ、
午前11時50分ごろ。「まだまだ練習がある。午後もしっかりある」
なんて思うと本当にうんざり。それからすぐお昼が1時間あり、そして
午後へ。

 ところが。不思議なことに、そんな嫌で嫌でたまらない練習、
午後4時ごろになってくると前向きになってくるから不思議です。
 調子が出てくるって言うんですか、「ようし、この問題を今度は3分
以内で仕上がるよう頑張るぞ」とか、そんな感じに。
 「まだまだ、あと5時間くらいやれるぞ」気分はそんな感じ。

 で、翌朝になると、「はー、嫌だ。またあの猛練習がー」って、
ものすごくうんざりします。これをなんと毎日、続けました。

 単身で留学してるくらいだから、愚痴とか言えません。なにかあると
「池田君はわざわざ山口からこのためにやって来たのよね」なんて言わ
れるし、そう言われることも分かっていたし。

 この夏の練習が終わってみるとあることにも気づきました。それは
姿勢が格段に良くなっていたことです。人間、10時間近くの練習を
こなすと、よくだらしない人がやってる悪い姿勢は続けられないんです。

 悪い姿勢はとにかく疲れてしまうので、矯正されるっていうか、きちんと
した姿勢になるわけです。長時間やってるともたないんですね。

 そのころボクには悪い癖もありましたが、猛練習をやってると、その悪い
癖も矯正されていくんです。長い時間の中で遠回りのような作業は省かれて
しまうんです。
 なにかが上達したい、上手になりたいと願う人は、必ず達成されます。
 しばらく辛抱して長時間を達成してみてください。矯正を実感できる
はずです。

2012年5月 8日

一つ

 ボクはよく人からいろいろな会や講演会に誘われます。
 で、空いていればできるだけ参加するようにしています。

 こうした会では実にたくさんのお話を聞かせていただけます。それは
実にすばらしいことなのですが、ボクはそのとき、「なにか一つ
くらいは実践してみよう」と考えているんです。

 話はたくさん聞きますが、実施するのはその中の一つくらい。
 人間、そんなものだと思いますよ。

 それでも、一つの会でなにか一つ変化するなら、これはすさまじい
変化だと思うんですね。先日も「財布の中はいつも整理整頓」と
聞いたので、それからはできるだけ整理し、不要なものはすぐに処分
するようにしています。

 聞いて始めたのはこの一つだけです。
 それでも一日の成果としてこれだけのものがあればすごいことですよ。
 ボクの実感ですが、人は一日にしては変わらないものです。
 積み重ねの中で変わっていくのが人間ではないかと。

 一カ月に一つ、なにかの課題をこなしていくならば、一年で12個
でしょう。考えてみてください。一年で12個もなにか変化がありますか。

 ボクは30のころNTTの支店長さんから「早起きすることはええよ」
と聞かされ、それ以来、できるだけ早起きするようにしています。
 もちろん夜は早めに寝ますが、早起きの方が一日が有意義に使えます。

 このときはたった一つですからね。一つの話を聞いて、ただそれを継続
しているだけなんです。でも、一つでもすごいことですよね。
 ある意味、大変化かもしれない。

 また、「一つくらいはやってみよう」と始めてみて、始めたからには
ずっと継続、と難しく考えなくてもいいんじゃないかな。途中で
断念したっていい。それより変化が始まる方が大切じゃないかな。

2012年5月 7日

ニュートラル

 あれは小学校4年のときだった。体育館でフォークダンスを踊る
ことになった。レコードをかけ音楽に合わせて踊る。

 ただ、当初、みんなバカにしていた。
 「何なんだよ、そんなことやってられるか」だった。

 しばらく踊っているとおかしなことが起きた。いや、ただみんなが
真剣になって踊り始めたわけ。そのうち体育館全体が揺れてるような
感じにまでなった。しまいにレコードはあまりの振動に演奏中止。

 二度と使い物にならなくなってしまった。
 体育館で踊ったのはあれ一度きり。だけどたまに思い出すんだなー。

 ボクたちはなんとなく自分のことを決めてしまいがちだ。
 「オレはこんな人間だ」ってね。
 そして始める前から「意味ない」「つまんない」とか口にする。

 ボクはそんな意見を耳にするたびによくよく自分のことが分かって
いるもんだと感心してしまう。ただね、人間って意外に自分のことは
分からないものだ。

 そして意味があるかどうかも判断するのはとても難しい。
 頭ではバカにしていてもやってみると楽しいかもしれない。

 車のギアにニュートラルというポジションがある。ニュートラル
からローに入れたりセカンドに入れたりする。どこに移動するときにも
必ずニュートラルに一度入れてから新しいポジションに入れる。
 人はニュートラルであるべきだと思うんだ。

 そこからいろいろな場所に動くことができる。自分をこんなやつって
決めてしまうと難しい。ローに入れたままだとギアはそのうち壊れてしまう。
 昔は「老成」っていう言葉があった。「歳のわりに落ち着いた雰囲気を
出し、すごく大人」っていう意味だ。ただ、今、この老成ではやって
いけない気がする。これからはニュートラルだ。

2012年5月 2日

 先日、抜歯した。左の奥、上の歯。
 お医者さんによると真っ二つにタテに割れていたそうで、ダメだこりゃ。

 で、たいていならブリッジにする。手前と奥の歯に引っかける形で
人工の歯を作る。ただ、お医者さんによると「奥が不安定」だそうで、
ブリッジ断念。装着型の歯を作っていただいたが、すさまじくめんどくさい。

 なのでお医者さんに「インプラントにしてください」とお願いしてある。
 「インプラントかー、あれも骨がきちんとしないとできんのよ」と
言われ待つことになった。

 で、昨日、歯医者さんで新聞を読んでいると「インプラントに関する
お困りはここに電話」なんて書いてあるのを見つけた。何だろう、
このタイミングは。

 記事によるとインプラントによる装着被害がかなりの数にのぼっている
ようだ。お医者さんの、なんとなく歯切れが悪かったのはここにも原因が
あるのか。かもなー。

 人間の意識って実に不思議だ。
 これまでインプラントの記事なんてたくさん目にしたはずだが、
見たことがなかった。それがインプラントを現実的に考え始めると
とたんにそれらの記事が目に飛び込んでくる。意識がそっちに向いて
るんだろうね。

 要は、人間って興味のないことにはとことん興味を持たない、いくら
その記事を目にしても目に入ってこないということだ。

 これって考えてみると実に恐ろしいというか興味深いっていうか。
 逆に考えてみるとそれに興味を持つためには、それに関する書物
をたくさん読んでみるのもうまい手だね。
 みんな、歯は大事にしようぜ。

2012年5月 1日

システム

 小豆島と香川県(どちらも香川県)を旅行してきた。香川県は「うどん県」
だそうだ。なるほどね。良い売りだしだ。「香川に来たらうどんをお食べ」。

 で、できるだけうどんをたくさんいただくことにした。昨日、
帰るころになって「いよいよ、帰るから」ということで、あるお店に
寄った。店内に入るとまず受付があり、うどんにのせる具、ごはん類、
おかず類の表示が。お盆をレールに走らせながら、それらを取り、
レジで清算してもらうシステムだ。

 「あーなるほどね」と思いながら、カレーうどんを注文した。
 これらシステム化、わりと大きな店にありがちなんだけど、よそ者
の目からするととても陳腐な気がした。陳腐でチープ(安っぽい)。

 お店の人からすれば見慣れた光景なんだろうが、よそ者は意外に
細かいところまで見えてしまう。

 お品書きも白いボードじゃなく、黒板に手書き、とか変更しても
いいんじゃないかな、なんて感じた。「おかず」と書いた紙をテープ
ではりつけてあるが、頻繁に取り替えるか、なにかすりゃ良いのに、
なんて思った。

 人間というものは、一度、システム化されてしまうとそれを踏襲
したくなる生き物だ。「ここはおかしいんじゃないか」「もっときれいな
表示の仕方があるのではないか」など、新たなことに気づかないものだ。
 「うどん屋さん」のイメージそのままなのが引っ掛かった。

 香川の町中にあるうどん屋さんの方がなにか楽しい。客が勝手に
ポットからなにかそそいでいたりする。しばらく観察しているとうどん
のダシだったりする。地元の客をよく観察しないと注文の仕方も分からない。

 ほかの地元客を優先して注文の方法を観察する。やっと勝手が分かって
ネギや薬味は好きなだけ入れていいことを発見したりする。

 お店というものはよそ者感覚になって観察することが求められると思う。
 お店の人もたまには客になって自分の店を利用してみる。
 なにか小さなアラや細かい点が気になるはずだ。その注意が店内を
替えていく。人間というものは見慣れた景色についてはなんとも思わなく
なる生き物みたいだね。