2012年2月29日

聞く

 みんな聞くのが下手だなー。
 その点、ボクはいつも「池田さんはしっかり聞いてくれる」って言われる。
 いかにうまく話すか、ではなく、いかにうまく聞くか、の方がよっぽど
大事だと思うよ。

 ボクはこれまでたくさんの人に会って、お話させていただいた。
 よくこんなことがあった。
 講演会で出会った方、セミナーで出会った人、そんな人たちを誘っては
食事をさせていただいた。それはいいが、その日にちが迫ってくると
「あー、かったるいなー、なに、話そうかなー」なんて感じる自分がいた。

 なにか目的があるわけではなく、参考になる話を聞ければいいかな、
くらいのつもりでいたことも関係してるはず。
 「これからは人とのつながりだ」、みたいなことをよく考えていたから
こそだとは思うけど。

 人と人が出会うとき、決まった話をするのが常だと思う。その決まった
話がないんだからね。

 そこでボクは一計を考えた。
 「とにかく質問形式にしよう」だった。
 「なぜ、今のお仕事を」とか「これからの展望は」「どんなことをやって
みたいですか」、その後くらいにボクのこれからのお話をさせていただく。

 これを思いついてからはとてもうまくできるようになった。
 なんていうかな、人は「窮すれば通ずる」みたいなところがあるね。

 ボクは前々から「池田さんは話すのはうまくないけど、人の話はきちんと
聞くよね」があったので、聞く姿勢はきちんとできてたみたいだ。

 人はお話をしているときは、他人の話が入ってこない面があることは
きっちりおさえていただきたいところだ。ボクは「話すのが苦手」くらいで
ちょうどいいと思うな。話すのが苦手な人はしっかり聞くだろうから。
 意外かもしれないけど、この世は話すのが得意な人よりうまく聞く
人の方がうまくいくと思うよ。


2012年2月28日

とことん

 「自分はなにをやりたいのか分からない」「向いているものが分からない」、
そんな話をよく聞かされる。ボクも同様のことを考え周囲の人たちに質問
していたものだ。

 ただね、「なにをやりたいのか分からない」状況そのものがとても自由
ということなんだ。あなたが江戸時代に生まれていたら「なにしようかな、
オレ」なんて自由があるはずがない。やるべきことは決まってるんだから。
 逆に考えると自由とはとてもめんどうなことだと言える。
 あなたはなんでもできる、と聞かされても世の中に同じくらいの能力を
持っている人など、いくらでもいるはず、とも思うよね。

 ボクは暗算段位9段だけど、それを口にするといつも「向いていたんですね」
って言われる。内心、いつも苦笑してしまう。
 計算に向いた人なんているわけない、って。
 なぜ暗算9段になれたのか。「たくさんやったから」に過ぎないんだ。

 まず能力の差にしてしまうのがおかしい。ボクとあなたの脳みそを
取り替えても、結果は同じになる。ボクは珠算3級を6回くらい不合格
になってるからね。よく分かるんだ。あのまま大人になったらそりゃー
「脳みその違いだ」って思うかもしれないが。9段になってみれば、脳みそ
の違いなんて言い訳はとてもとてもできないな。

 そしてね。ボクは珠算の全国大会を何度も見学してきたが、あなたにも
ぜひ一度全国大会を見学する機会を作ってほしいものだ。トップ10人
くらいまで全く差がつかない。点数の差がつかないんだ。トップ争いは
とても狭い場所でおこなわれるわけ。わずか1題間違えるだけでトップ
からはるか下まで落ちてしまうんだ。

 要するに「なにがやりたいのか分からない」というのは、とことんやって
ない証拠だってわけだ。「あなたはノーベル物理学賞もとれる、東大にも
入れる、有名な会社にも入れる、大きな企業の経営者にも、なんだって
できる」と言われても信じることはできないはずだ。「どれか一つ」
くらいしか達成できないのはみんな薄々感じてるところ。

 間口をどれだけ狭くできるかが、やりたいことを見つけるのに有効だ。
 そして、とことんやらなければ何一つ可能性を追うこともできやしない
のもまた確か。全国大会を見学してみよう。とことんやらなければなににも
つながらないことがよく分かるはずだ。


2012年2月27日

ほめる

 ボクはよく他人のことをほめます。
 いえ、これはボクの内にひそむものじゃありませんよ。そう仕向けてるだけで。

 ほめることはすばらしいですね。まずお金がかからない。
 準備も時間も必要なし。お金もかかりません。これだけエコなことも珍しい。

 そもそもはですね、ある人から聞いた話。
 「オレ、生まれてからほとんどほめてもらった記憶がない」です。

 ボクは思わず笑ってしまい「あっはっは、そんなことないだろう」なんて
口にしましたが、ボクにせよ大人になってほめてもらった記憶なんてほぼ
皆無です。大人とはそういうものなんでしょう。

 要するに他人の称賛など必要なく、自分のエンジンで動くのが当然、な
わけです。ですが、他人の称賛で動くエンジンが、多少あってもいいなと
考えています。

 ボクの見るところ、社会人のほとんどが自分の評価が著しく低い。
 いや、ボクもそうかな。
 「オレなんて存在する値打ちなんてあまりないんだ。だけど、生きてる
から仕方ないよな」くらいの感覚でいる。実は、それこそがもったいない。

 ボクもよく人から言われます。
 「もっと自分の評価を上げてもいいんじゃないですか」って。
 ま、ボクは謙遜というより、自分をよりよく見せるのが苦手、なんで
そうなっているんですが。

 こんなことを聞いたことがあります。「人間ってね、(あなたはすばらしい
人ですね)くらいじゃ分かってもらえないのよ。(あなたはものすごく
すばらしい人ですね)って言わないと。それくらい誇張して口にしないと
伝わらないのよ」なんですって。

 誇張くらいじゃなく、オーバーに、ものすごくおおげさに口にしないと
伝わらないものなんです。

 だから。少し良いことを見つけたら(ボクはよく口にするが)「あなたは
アインシュタインの生まれ変わりですね」「平成で一番です」くらいは
口にしたらいい。ってことですね。こんなことを書くと、次回からボクの
発言は信じてもらえなくなるだろうな。

2012年2月24日

習慣

 車、洗ってますか。
 ボクは毎週火曜日にガソリンを給油することにしています。これは
ガソリンの残量に関係なく、です。これをすると燃料切れの心配を
する必要がありません。

 そのとき、いつも、よって毎週火曜日、車を洗うことにしています。
 もちろんガソリンスタンドで、それも自動洗車機で、です。
 ボクはタイヤのホイールが汚れているのがとても嫌なので、そのとき
ブラシ(設置してあるもの)で、きれいにしてやります。

 ときには火曜日に雨が降ることもあります。それでも時間があれば
給油と洗車はしています。ホイールがきれいになるだけでもいい。

 「身体を鍛える」「勉強に取り組む」「なにかを習慣化する」、
そんなことを考えるなら、まずは上記のことを念頭に置いていいと考えます。
 まずはシステム化してしまうのです。

 「何時に起きる」「起きたらすぐに出かける」など、決めてしまいます。
 ボクはその日、用事があってもなくても午前6時には起きると決めています。
 よって日曜日もできるだけ6時に起床します。
 ただ、日曜日の早起きは辛い。

 ボクは毎日、ヒゲソリをしています。これはだれしもかな。
 ただ、ボクは毎日、夜、ヒゲソリするんです。よって朝は起床とともに
行動を起こすことができます。これもシステム化でしょう。

 「ヒゲソリとは朝におこなうもの」とあまり限定して考えなくてもいいと
思います。ボクたちの行動の根っこには「これはこうあるべき」が意外
に根付いています。それをときに打破することも求められます。
 「これは本当にそうすべきなのか」。ときには疑い、新たにシステム化
していく必要があるのではないでしょうか。

2012年2月23日

アドバイス

 意外かもしれませんが、ボクはよく洋服屋さんに行くんですよ。
 店員さんからもいろいろアドバイスを受けます。

 いつでしたか、色に関する講習を受けたことがあります。
 当然、日本人に合う色もあります。

 色紙を用意しまして、自分の肌にあて観察します。それにより洋服
も自分に合う色が見つかります。たったこれだけのことですが、知らない
より知ってる方がよほどすばらしいです。
 ボクはその講習会のとき、クリーム色が合うと判定されました。

 洋服屋の店員さんのアドバイスはいつも違和感を覚えます。
 「池田さんにはこれが似合いますよ」と聞かされるのですが、「これって
ハヤリものを追いかけてるみたいで」「こんな奇抜なセンスは好きじゃない」
などが、心の中にわき上がってきます。

 自分一人が選ぶときは、いつもそのセンスに従います。よって選ぶ洋服
もある範囲内におさまってる。またそれで安心していられる。
 のですが、店員さんに薦められた服も続けて着てるうちに違和感が
少なくなってきます。

 「これが自分に合う」、そんな先入観が邪魔をしているのでしょう。
 人はいつも自分が自分を観察しているものですが、店員さんとか、
他人というものは外から見た自分ということになるのでしょう。

 「これが自分に似合ってる」もこれまでの自分ですからね。これからは
また違うかもしれない。

 ときには、ボクたちは他人からの指摘を受け入れるべきなんですよ。
 「あなたはこの洋服が良い」って聞かされたら、かたくなに「いや、
自分はこれだ」でいくのではなく、「あーそれもいいのかな」があっても
いい。「それも似合うのかもな」があってもいい。

2012年2月22日

突破

 突破することはとても大切なことなんです。
 ボクは珠算8段、暗算9段ですが、なんと珠算3級を5回くらい不合格
になっています。すべっちゃったんですね。今から考えると確かに
そんなにまじめにやってなくて。受験前から「すべる、落ちる、受けても
ムダだ」なんて考えていました。

 おまけに同じころ受験した私立中学も不合格になり。「あーあ、バカは
なにやってもダメだよなー」なんて感じたものでした。
 私立中学をすべったことは今もなんとなく胃袋に鉛を詰め込まれたような、
嫌な思いでですね。だれしも自分のことはかっこよく表現したいもの。
 それがいきなり、ですからね。

 それで通い始めた公立中学。もうまともに勉強する気も失ってました。
 「オレみたいなバカはなにやってもダメ。生まれたときからそうだった」、
いつもそんな感覚につきまとわれ、近くで勉強の話をしてるやつがいると
自分のことをバカにしてるように感じられました。

 きっとそんな感覚が作用したのだと思います。中学を卒業するとき、京都
に留学しました。決定までにものの5分もかかりませんでした。
 もう、なにかね、すごく鬱屈とした気分が充満してまして。

 「このままここにいてもなんにもならない」感覚はすさまじいものがあり
ました。ただ京都での生活は必死な毎日を過ごす、高校1年の間は良かった
のですが、2年の中ごろ、すさまじい胃痛を患いまして。これはその後
7年間くらい悩まされました。

 ただ、やはりそのころ、「オレもやればできるんだな」、そんな強い自信
を持つようにもなってました。あまりのすさまじい練習で、夜、寝て
いる夢の中でも計算するほどでした。それが自分ではとめられなくて。

 それはある日突然でした。「あ、オレにもできるんだ。何なんだ、この
感覚」でした。やはりそのころ「人間の脳みそはみんな同じものを与え
られてるんだ」強く確信しました。

 突破すること。突破することはとても大切なことなんです。なんでも
いいので、突破するまでやってみること。そこに全く新しい景色が広がって
いることを強く実感しています。

2012年2月21日

ハンドル

 大型バイクのハンドルを触ったことのある人はほとんどいないだろう。
 ボクは18になるとすぐに車の免許を取得し、その前からあこがれだった
バイクの免許を取りに行った。自動車学校で実際にバイクに触ってみる。

 まず車の免許があったからだろうか、「このハンドルでカーブを曲がるのか」
そんなことを思いハンドルに触って左右に動かしてみる。
 ほぼ100%の人が「えっ、バイクのハンドルってこれだけしか動かないのか」
と思うはずだ。ボクもそう思った。左右5度も動くだろうか。

 では、バイクはカーブにさしかかるとき、なにをハンドルとして用いるの
だろうか。分かる人はいるかな。分かる人はかなりの洞察力ある人だ。
 つい昨日のことだ。ボクの車の前を原付きバイクがトロトロ走る。
 「あぶねーなー」と思う。両足を突き出した姿勢で乗車。男性。

 ボクが思うにバイクという乗り物は「バイクと人間が一体化する」が
正しいとらえ方だ。左カーブを曲がるとき、人間とバイクは一体化し、
車体を左に傾ける。バイクのハンドルがほとんど動かないのはここに理由の
一つがある。バイクはハンドルで操作するわけではない。

 バイクには本来のハンドルがある。なにか分かるだろうか。
 バイクのハンドルは太ももである。
 自動車学校で教習が始まる。
 「おい、そこのー、オマエ、太ももをビシッとしめろ、両足を広げるな」と
指摘される。(今はこんな言い方しないよね)これをニーグリップという。

 「両足をしめて、燃料タンクをガッチリ、ホールド(しめつけろ)しろ」。
 慣れてくると太ももでカーブを曲がることが体感できる。
 カーブを曲がるとき、身体全体を倒して曲がるように見えるかもしれないが、
実は太ももを倒している、が正解。そのあと身体全体が倒れる。

 大型バイクに乗ってる人で両足がだらんと開いてる人を見たことはない
はずだ。両足がぶらんぶらんしてる人はとっさの反応が取れないから危ない
わけ。そもそも燃料タンクが両足のところにない原付きバイクじゃどうしようも
ないのかもしれないが。バイクは自転車が進化した乗り物じゃないんだ。

2012年2月10日

知る

 ボクはメガネをかけています。おかしな話かもしれませんが、メガネ屋さん
に行き視力を計ってもらうのが楽しいんですね。

 メガネを作るとき今の自分の視力に見合ったレンズを用いることが大事
なんですが、店員さんの「それでは、まず視力を計ってみましょう」が
うれしい。おもしろい。
 前回より良くなってることなんてまずないんですけどね。
 人は自分を知ることがなんとなく楽しい生き物なんだと思いますよ。

 ボクがそれを知ったのはかなり前のこと。
 そのころ呼ばれてはセミナーなどに参加していました。セミナーの内容に
興味をひかれたわけではなく、「その日、その時間」が空いてれば参加
していたんです。

 その日、白い画用紙みたいなものを渡され、「さ、それではあなたの好きな
ように、好きな絵を描いてください」。
 確かテーマがあったはずですが、忘れてしまいました。

 しばらく時間が経って、講師の方が「それでは一人一人、見ていきましょう」。
 このときなんとなくウキウキしてる自分を見つけた。

 「あら、池田さん、あなたは発想が豊かですね、こんな人はきっとなにかを
成し遂げますよ」、みたいなものを期待してる自分がいる。いや、実際は
違って、それなりの解説がなされるんだけど。

 「豊かな発想」というのは、そもそも画用紙からはみ出した絵を描いた
人が言われていたことだ。なるほどなー。言われてみると確かにそうだ。

 人はだれもが体重計に乗るという。(ボクは計ってない)。
 血圧を計ったり。スポーツクラブではみんな自分の数値を気にする。
 これって、みんな自分のことを知りたいことの表れなんじゃないかな。

 人はみんな自分のことをよりよく知りたい生き物なんだ。
 人は自分のことが自分では見えない。だからそれを知るためには客観的
な目線が必要になる。他人の観察が必要なんだ。
 「人は自分のことを知りたい生き物」。である

2012年2月 9日

エジプト

 エジプトには2回、行った。子供のころ、ツタンカーメン発掘記を読んだ。
 カーターが発掘に成功した。実は、発見したときメディアが押し寄せてくる、
どこからともなく盗賊団が殺到する、などを恐れて埋め戻しの作業などもしてる。

 古代のお墓には入り口にしっくいでできた、侵入したことが分かる細工が
ほどこしてある。ツタンカーメン発掘記のハイライトは「壊されてないしっくい」
が見つかったところだ。

 ただ、子供のころ、「いつかエジプトに行ってみたい」「ツタンカーメン
の黄金像を見てみたい」なんてこれっぽっちも思わなかった。
 まさか、自分がエジプトを旅行し、自分の目でピラミッドや黄金像を
見ることができるとは、全く脳裏をかすめることもなかった。

 ボクは大人になっても、海外旅行に行くこともなく過ごしていた。
 それが団体で旅行したハワイをきっかけに「それなら中国」「それなら
グアム」みたいになり、「ひょっとしてエジプトも行けるのか」と考え、
パンフレットを眺めることになる。

 まとまった休みはなかなか取れないのでお盆に一番短い設定の8日間。それも
最初と最後に日曜日がくるように。

 当初、旅行会社からは「池田さんのご希望の設定は見つかりませんねー」
と聞かされていた。だが、ボクは偶然、「それなら成田はどうか」と考え、
パンフレットを子細に調べてみると成田からならボクの設定日時で行ける
ことが分かった。関西空港からよりは国内移動の料金が高くなるが、
やむをえない。ただ、ボクは自分の発想に感謝した。「関西がダメなら
成田なら」の発想にだ。

 ボクの場合、子供のころから思い描いていたことが実現したというより、
「あれっ、これって現実」そんな感覚が大きかった。「まさか、子供のころから
読んでいたツタンカーメンをこの目で見る日が来るなんて」だった。

 これからすれば夢とか希望、野望とおおげさに考えずとも、いろんな情報
に接していれば、大人になって思いがけない形で現実化することはあるの
ではないかと思う。

 そのさい、いろいろなことにアンテナをあげておくことも大事かもしれない。
 ボクにせよ、子供のころ読んでいなければ現実化はもっと時間がかかって
いたと思う。まず種子を植え、発芽はいつか分からないけど、
「どこかであるかもしれない」でも十分すばらしいことだと思う。

2012年2月 7日

不変

 お金の値打ちは不変だと思っていないだろうか。そうではない。
 今、あなたの手元にある10万円。どう考えても10万円は10万円
でしかないし、増えることも減ることもないと。

 日本で暮らし、働き、日々、お金を使う中ではあまり実感がわいてこない
かもしれない、が。
 今、財布に5000円ほど入れてお買い物に行くとしよう。洋服であれば
「こんな良いものがしっかりと買えたな」そんな実感があるに違いない。
 デフレだ、インフレだと聞くが、その実感がデフレであると承知してほしい。

 先日、タイ株の「サイアムセメント株」を売り、日本円に戻した。
 「タイ」と聞いてピンとこないだろうか。大洪水に見舞われた国だ。
 ただ、このサイアムセメント、大洪水により大活況、株価は大幅に上げた。

 よってボクは270バーツで買ったこの株、360バーツで売った。
 そして、日本円に戻したが、投資金額は5万円ほど少なくなっていた。

 このミッシングリンクが解ける人も多いはずだ。円高だ。実は、少し
前までこの株は評価額76万円だった。だが、円高により評価額はたったの
44万円に。投資金額が50万円ほどなので5万円くらいの損失に終わった。

 もともとタイ株を買ったのは、円安になれば株価が上がらなくても
儲かる、があったのだが当てが外れてしまった格好だ。

 要するに、今や日本円はタイバーツ、中国元に対しても円高である。
 大活況で大幅に株価が上がろうと、このザマだ。
 これからは日本人もお金を外側から見る癖をつけた方がいい。

 あなたがもらったお給料の20万円は、中国元に換算すればいくらになるか。
 タイバーツに換算すればいくらか。明らかにもらい過ぎだと分かるはずだ。

 それからすれば今、日本は空前の好景気である。「まさか」と思うだろう。
 外側からお金を観察すればあながち間違ってないことに気づくはずだ。

 お金は今や不変でも何でもない。株をやっていると10万円を見て
50万円を空想できるし、その逆もできる。株は風船みたいなものだと
いうのがボクの感想だが、これからはお金を見ても「風船」を想像
されるがいい。ふくらんだとき見ればそれは大きいが、しぼんだときそれを
見ればやけに小さいと感じられる。お金なんてものはこれから間違いなく
そうなっていく。

2012年2月 6日

情報

 ボクは少し変わった人間なのかもしれない。中学生のころ、ドイツに
関連する本を読みあさった。その数、40冊近かったと思う。

 一つのテーマでここまで読む人は少ないはずだ。自分は自分を生きてる
ものなので「自分は変わった人だ」なんてことは思うことはなかったが。
 ただ、その経験から言えることを書いてみたい。

 情報の取捨選択についてだ。あなたは知らないかもしれないが、今、両極端
な意見が錯綜しているのが実際だ。中身は。「円高が進むからお金を円で
所有しておけ」というものと「日本は破綻するから、資産を円で持つのは
危ない」だ。

 情報や意見というものは、全て、「だったらどっちなんだよ」みたいなことが
発生する。この両者にしてもどちらを採用するかで結果は大きく変わってくる。
 ま、これらの意見さえ知らない人も多いかもしれないが。

 情報や意見というものは必ず、両極端な二つが存在すると考えていい。
 あとは実際になると自分の直感とか、これまでの経験に基づいて判断する
しかない。

 そして情報というものは「だれが得をするのか」「なぜその情報を流すのか」
「根拠となるものはなにか」「自分にとってプラスになるかどうか」などを
加味しながら判断しなくてはならない。

 実際のボクは。タイ、バーツから日本円に、中国元から日本円にあわせて
120万円ほど戻した。ボクは円高が進むと判断したわけだ。これはただの
判断だからね、参考にしないでよ。

 情報は必ず正反対の二つが存在すると考えた方がいい。日本は破綻するかも
しれないし、しないかもしれない。大事なのは自分の価値観をしっかり作り、
それに従うことだ。情報に振り回されてはならない。

 情報なんてものは上に挙げたように正反対のことが存在してる。片一方しか
知らなければ、それのみを当てに行動してしまう。正反対の二つを自分の
前に置き、どちらが正しいのか自分なりに判断する。それに従って動くしかない。

 そのためにはボクのように一つのテーマをしっかりと読むこともいいかも
しれない。専門性を持つってことかな。それに照らし合わせて判断することも
悪くない。いいですか。情報というものは必ずのように正反対が存在する。

2012年2月 3日

遊ぶ

 この世は遊んじゃダメなんだ。遊んではいけない。遊ばせなくてはいけない。
 跳びはねてはいけない。跳びはねるサマを観察しなければならない。
 跳びはねる場を用意してあげなければならない。

 ボクは長らく株式投資をやっている。そこから見える景色もたくさん
見てきた。
 今、みんなもやってるSNS、上場するときの初値(上場時の株価のこと)
は一体いくらだったか知ってるのだろうか。聞いて驚くなかれ、200万円だ。

 みんなが楽しんで、遊んだ結果、株価200万円だ。
 場を用意してあげた人に対する報酬がこれだ。

 株式投資をやっていると、ついこんなところに意識が向いてしまう。

 それは、株式売買の大事なところに「これからどうなっていくか」先を
読まなければならない点にある。「これから発展する国は」「発展する
業種はどこか」「なにが有望なのか」、自然に考える癖がついてしまってる。

 つくづく実感させられるのは、この世は遊んではいけないということだ。
 土俵に上がって楽しんではならない。みんなに楽しく土俵に上がって
いただく努力をしなければならない。

 「おーーーっ、もっともっと楽しんでくれよ、オレはみんなが楽しく
やってるのを見るのが好きなんだ」でいかなければならない。

 よってボクたちが真剣に取り組むべきは「どうやったらみんなに楽しんで
もらえるか」「どうすればその場を用意できるか」に尽きる。
 「これ、楽しいからやってみろよ」は立ち位置として既におかしい。
 この世は遊んではいけない。遊んでいただくべきだ。
 跳びはねてはいけない。跳びはねる場を用意しなければならない。

2012年2月 1日

外側

 「一番外側を大切にしよう」。
 ボクが20代のころ自分自身に言い聞かせていた言葉だ。そのころ「へんえん」
なる言葉を使っていた。意味は分かるだろうか。

 だれしも自分という中心があり、その周りにいろんな人たちがいるものだ。
 中心に近いほど出会う回数も多くなり、話す機会も増える。ただ、
ボクが感じていたのは「これを大切にしていても変化があまり起きない」だった。

 はっきり言ってボクも変化は嫌いだ。できるなら昨日と同じ今日であってほしい。
 そんな気分が強い。だが、その結果が今だとすれば、「これでいいのか」
ってことになる。「なにかがまずいんだ」。

 そのためには、中心に近い部分のみ相手にしていてもなにも変わらない。
 人は直接の用事がある人とだけ出会っていると考えてまず間違いない。
 その出会いは意識しなくてもかまわない。

 意識しなくてはいけないのは、日ごろ出会うことの少ない人たちでは
ないだろうか。

 講演会を聞きに行ったら、ものすごく感動したとする。
 講師の方とお話するチャンスがあったとする。
 「外側を大切にする」とは、この機会を活かすことを言ってるわけだ。

 ひょんな出会いを大切にする。その講師の方に手紙を書いてもいいだろう。
 携帯に電話してもいい。話す中身は何だっていい。

 「先日は大変参考になるご意見をありがとうございます。わたくしなりに
考えてみますに、ここがとても参考になりました」なんて話をすれば
的をついていればいるほど、あなたを意識してくれるに違いない。

 変化はこうしたところからのみ起こると考えている。日ごろの付き合い
を軽く見てるわけではないが、こと変化に限定すれば日ごろの付き合いでは
変化は決して起きない。

 あとはめったに会わない友達に連絡してみる。久しぶりの友人に
連絡してみる。印象に残ってる人に改めて連絡してみるとか。
 人にとって外側ってけっこうめんどうだと思う。「かったるい」もんだよね。
 だからこそ、そこに突破口があるんじゃないかな。