2012年1月17日

効率

 ボクは中学卒業と同時に京都に留学してる。京都での最初の夏休み、
すさまじい練習が待ち構えていた。もう、うんざりだ。脳裏にはプール
ではしゃぎ、水とたわむれる自分の姿がある。反して、クーラーの
少し乾燥した匂いが漂うなか、数字と格闘の毎日だ。

 ただ、大変な驚きもあった。夏休みに入る前、7分くらいかかって
計算していた問題が、終わるころには3分を切る時間でこなせるようになった。

 なにか、3分を切るとゲームの得点を競う感覚になって、「一体、どこまで
短くできるんだろう」、そんな感覚になったことをよく覚えている。

 同じ作業をこなしていくのに、7分が3分になったわけだ。それにもまして
7分で計算していたころより3分の方が正当率が上がった。間違えなくなった。

 おかしいだろう。「早くやれば間違えも多くなる」はずなのに。
 この問題は最終的には46秒で計算できるようになるのだが、そのころには
「絶対満点」だと自分で感じ取れるほどだった。

 ある日、1分を切って計算できるようになったとき、「さて、今度はゆっくり
計算してみましょう」と、ゆっくり計算してみた。タイムを見て驚いた。
 「あんなにゆっくり計算したのに、1分かかってなかった」。

 これは「一度上達してしまうと、元のレベルに(逆の意味で)戻ることが
できない」ことを表している。

 以上、これらはなにを表しているかというと。
 「本当の効率とはなにかを」探ることが大切だというわけだ。

 中学生のころのボクは「あわててやって7分くらいかけて」やっていた
ものを、高校一年の秋口には「さっさとやってそれでも満点」になっていた
ことになる。時間は半分。もっと短縮してる。

 素早くやれる人というのは効率を知っているわけ。それでいて、仕上がり
は完璧。最大の早さより少しだけゆるめれば仕上がりの完璧は楽々だ。
 46秒の世界を知ることが一番大切なんだ。ゆっくりやっても1分は
かからない。早いのにていねい、は存在する。早いから、ていねいなんだ。

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