2011年11月30日

強み

 人間というのは実は、かなりたくさんの経験をしているものだ。
 ボクも自分のことを「なにもない人間」だと考えていた。だが、素直に
なって思い返してみるといろいろ出てくる。そんなものかもしれない。

 ただ、人間、自分の中で恥ずかしい体験はできるだけ心のうちに秘めて
おきたい、そんな気持ちもあるだろう。
 そこにこそ突破口が開けていると思えて仕方ない。

 ボク自身のことで言えば、中学受験失敗、株で大損、暴走族とケンカした
こと、などはできるだけ他人に知られたくなく、自分の中にだけしまって
おきたい、そんな気持ちが強かった。

 だが、あるとき、酒席にてその話をすると、周囲の人たちはなぜかそれを
おもしろがってくれ、ボクが考えている結果とはまるで違った景色が現れた。

 そのとき、ボクは内心で「おいおい、これはオレの恥ずかしい話なんだぜ、
もっと気の毒がって聞いてくれよ」だった。

 逆に、ボクが他人と話していて「大損した」なんて聞かされると意外に
おもしろく感じて聞いていた。「隠しておきたい」ことなんだけど、
ある意味、「それをさらけ出せるこいつはすごい」と感じていたり、
「こいつ、度胸あるなー」って感じたりする。

 そして、意外なことだが弱みを出せるやつは弱みが強みに変化する。
 ボクにもあったが、「株で大損」した過去があると、他人がそこに触れて
くると無性に腹が立って仕方なかった。傷口に塩をぬられてる気分になってくる。

 ボクが中学生のとき、仲間が集まって中間テストや期末テストの点数を
見せ合っていた。ボクはそれを怖いものを見る思いでいつも避けていた。
 「おい、池田、オマエ、何点だったんだ」とでも聞くととても腹が立った。

 「オマエはオレの点が悪いことを知っててそんなことを言ってるんだろう」
みたいに思ってたんだ。まるで違っていたんだけどね。

 今から思うと、点数が悪いことをなぜそこまで隠していたんだろうって、
思うよ。ホントに。いいじゃないか、悪くて。悪いことを隠そうとするから、
それこそが恥ずかしいことなんだって、大人になって気づいたよ。
 弱みは見せればいい。弱みを見せることのできるやつは、十分強い。

2011年11月29日

切り替え

 気持ちの切り替えはとても重要だと思います。
 ボクは高校に勤めていたことがあります。新学期が始まる前、少し
ザワついた感覚になることは毎年のことです。

 さて、新学期が始まり、授業がスタートして、さー頑張るぞ、のこの
時期に退学する生徒が毎年一人か二人いるのです。来なくなってしまうのです。
 この時点で浪人し、翌年、再度本命の高校を受験するわけです。

 ボクはあのとき、「なんで根性出さないんだ」って思ってました。ただ、
今になってみると「あれも正解だったのかな」などと感じています。
 それは。

 ほかの生徒の中でよくこんなことを口にする者がいたからです。
 「ホントはこんな高校、来たくなかった」です。ボクは内心「なら、よそに
行けよ」と思ったものでした。「よそにけられたから、オマエは今ここに
いるんだろ」そんなふうに思えて仕方ありませんでした。

 それらの生徒たちは自分のことはさておいて「ここはバカばっかり」などと
悪態をつくのです。「ならオマエはどうなんだ」ですよね。
 自分で口にしていて、その意味するところが分かってない。
 絶望的な気分になるのは分かるけど、それは決してオマエだけじゃない。

 ボクも私立中学を受験して不合格だったときはすさまじい絶望感を感じた
ものでした。行くはずのなかった公立中学に通うなんて、恥ずかしい。
 中学でもどんどん成績は悪くなっていき、下の方をうろちょろするようになる。
遅刻も多くなった。「自分はすごいんだ」みたいな感覚がどんどんしぼんで
いくのがよく分かりました。当然でしょう。

 自尊心がなくなったところから、さてどうしていくかが問われているのだと
思うんです。「オマエはダメなやつなんだ」。世の中がそんな烙印を押す
こともあると思います。世の中、その連続ですよね。そこから立ち上がるか
どうかが問われているわけで。

 気持ちを切り替え、自尊心が再び戻ってくるよう、自分を鍛えなければ
いけません。ボクも賢くない高校に行ったけど、そこにとらわれ過ぎると
よくないんですよね。「高校は高校、部活動で頑張る」でもいいわけです。
 世の中からつき放される、なんて実はよくあることでしてね。一々そこに
こだわっていては進めないんですよ、ボクたちは。

2011年11月22日

おもしろい

 つい先日のことだ。おもしろいことがあった。
 知り合いがある会に誘われたらしい。で、ボクもおもしろそうだと
思い参加することにした。そのとき言われたのが。

 「池田さん、主催者から年齢は高くても20代の人でお願いしますよ、
って言われているんです。わたしは池田さんに参加していただくのは
かまわないんですが」。だった。聞かされて当然だと思った。

 異質のやつが入ってきたら楽しくなくなる。これはどこにでもある。
 それでも、ボクは参加した。
 当日を迎えるまでボク自身、どんな顔をして参加しようか、いろいろ考えた。

 会はゆるゆると始まり、途中、紙が配られ、参加者一人一人の名前を聞いて
まわる時間となった。ボクは当初、「なぜ、オレが回って歩かなければ
いけないんだ」なんて思い、座っていた。しばらくして、「こんなことで
参加してると言えるのか」などと考え、名前をいただくべくテーブルを回った。

 戸惑いもあったがやってみるとなかなかに楽しい。
 知らない人と話をすることに少なからず戸惑いを感じるボクとしては
この仕掛けにより気軽に話しかけることができた。

 果たして。
 この会には20代しか参加してないようだった。主催者がそんな主張を
するくらいだから当然だろう。そのとき、ボクは世代ブロックバスターに
なったわけだ。世代を突破したわけだ。っていうほどおおげさでもないか。

 ボクが20代のころ、年配の人たちから「池田さん、あんたが年配が
いる場所に入っていかないと、年配の人が近寄って来てくれることは
ないんじゃけー」とよく聞かされた。ボクも半ば、それを当然の
ことだととらえていた。それほど世代を突破することは難しかった。

 ただ、ボクは日ごろの食事会にせよ、この会にせよ、入る気になれば
いくらでも参加できると考えている。まずボクたち自身が「なんだこいつら、
若いやつらばかりじゃないか」なんて考えるのはやめにしよう。
 おまけに「年上のやつを尊重しろ」なんて考えるのもやめよう。
 ボクは今こそ年上のやつほど世代を突破しろと口にしたい。

2011年11月17日

英語

 あれはボクが23のころだったか、仕事場で話をしていると、突然
窓がコンコンとノックされた。どうだろう。窓がノックされるとものすごく
驚くだろう。ボクもひどく驚いた。

 窓を開けるとアメリカ人が突っ立っていた。こちらは面食らってしまった。
 そのアメリカ人は「ホスピトール、ホスピトール」って口にしてる。

 今ならたちまち病院を探していることは分かるのだが、あのときは窓
をノックされたのと、面食らったのとで冷静に考えることができず、
「ノーノー」とそのころの日本人が多くとる反応をしてしまった。

 病院を探していたんだろうに、不親切なことをしてしまったものだ。
 考えてみるに、生まれて初めて英語に接した瞬間だったかもしれない。

 ボクの暮らしてる街にはアメリカ軍の基地があり、たくさんのアメリカ人が
街を歩いてる。それは子供のころからで(当然だ)決して珍しい存在ではなかった。
 だが、現実にはアメリカ人と話すことなどなかった。

 この街にしてもお店のご主人ならだれもが英語を話せるわけではなく、
みんな自分の顔の前で片手をヒラヒラさせて「ノーノー」を連発していた。

 そんなボクだが、初めてハワイを旅行したときのことだ。ホテルの冷蔵庫
が壊れていた。フロントにその説明をしたいのだが、どう言えばいいか
分からない。

 よって「オーシャンスポーツ」なる遊びに参加したさい、日本人の係員に
聞いてみた。すると「アイスボックス、ブロッケン」だと。
 ボクはフロントにて「アイスボックス、ブロッケン」を連呼した。
 旅行が終わるまでなんの変化もなかったけどね。

 このとき、生まれて初めて英語とは外国人との意志疎通のためにあるのだと
理解した。遅い。遅すぎるけどね。

 だが、それはすごくいいきっかけになった。
 「海外旅行、使える英会話ハンドブック」なる本を買ってきて練習を始めた。
 だれもが英語を勉強しているが、そもそも「英語とはなんなのか、
なんのためにあるのか」理解してから始める方が良いっていうお話しでした。

2011年11月14日

継続

 先日、ある男性と話していると「池田さんはよくそこまで継続して
やりますね」と感心された。対して「継続ってそんなに難しいことかなー、
いくらでもできるよ、そんなもの」と返答した。

 「あんたさー、うっぷんとかたまってないんじゃないの、不満がたまれば
なにかやりたくなるだろ。その力がマグマみたいにたまって吹き出すわけ、
継続は結果、そうなったってことだよね」。

 「わたしはさ、毎日3通づつハガキを出したことがある。それも8年くらい。
これ、思いついたら翌日、郵便局にハガキを買いに走ってた。誰にも言わな
かったしね、(今年の目標だ)なんてこれっぽっちも思わなかった。よし、
いいぞ、すぐにやろう、それだけだった」。

 「ある本を読んだのがきっかけだった。すぐに一日2枚、2年はやろうと
決めた。やってみると枚数は増えて8年くらい続けた」。

 「こんなことはさ、うっぷんがたまればいくらでもできることなんだよ、
なんとかしなきゃ、今のままじゃ嫌だって思うなら」。

 人はみんな継続はすばらしいと言う。
 すばらしいのなら、継続すればいいんじゃないかな。

 結局、みんなはさ、そんなに不満を抱えてるわけでもないし、マグマが
吹き出すようにうっぷんがたまってるわけでもないんじゃないかな。

 「そんなことくらい、オレにだってできる」と思う人は多いはずだ。
 だから、やればいい。実行すればいい。だれも止めやしない。

 ボクは毎朝6時には仕事場に入る。これ、だれからも強制されてない。
 ただ、今のままじゃ嫌だからやってるだけだ。
 継続なんて実に簡単なことだ。それだけのマグマがあればね。
 あなたに問いたい。継続は大変ですか?。

2011年11月11日

 先日、ある男性と会食させていただいた。そのとき、ボクが「毎月少なくとも
30冊くらいの本を買う」そんな話をしたからだろう、男性から「では
池田さん、お薦めの本は何ですか」と質問された。

 しばし中断。しばらく考えた。
 「本というのは自分のこやしになると思って読んでるわけでもないんですよ、
好きだから読む、楽しいから読む、でね。資格を取るためとか、参考に
なるから読んでるわけじゃないんです。わたくしは圧倒的にドキュメンタリー
が多いですね」。

 「なにかお薦めの本があるとすれば、そうですね、500冊とか1000冊
くらい読まれて、その中から自分の心にオリ(澱)のようにたまった
ものがエキスってことになるでしょう。ですから、(これ一冊であなたに
とって有益な情報が満載)そんな本は多分、ないと思いますよ」。

 「わたくしにとってすばらしい内容のものでも、あなたにとってそうか
どうかは分かりませんからね」。

 「わたしはいつも雑誌を見て、推奨欄を見てどの本を買うか決めているん
ですけどね、40冊くらい紹介してあっても、選ぶのはその中の1冊ですからね、
逆にそこにわたくしは自分自身を見る思いがするんですよ。(あーオレは
これなんだな)って。(それが自分だ)って思うんですよ」。

 「だからわたくしの本棚にある本はわたしそのものなんですよ、ひょっとしたら
それらの一節が行動の指針になってたりするかもしれないですしね、どの
一節がそうだったのかは分からないですけど」。

 「わたくしは(楽しい人生)が目標なんですけど、それを感じさせて
くれる本を無意識に選んでいるかもしれません。ある人がわたくしの本棚
を見て(池田さんって夢があるんだなー)ってしみじみとした顔で話して
くれましたからね」。

 「車でもそうじゃないですか、四駆を選ぶ人もあれば、高級車が好きな
人もいる。走ればなんだっていいという人もいる。ガンダムのモビルスーツ
とおんなじで、(それを身にまとって)いるんですよ」。

2011年11月10日

自分

 20代のころ、ボクはなんと言われてたか。書いてみよう。
 「池田さんって結局、周りの人ちから嫌われたくないのよね、周囲の
顔色をうかがって、それにうまく対応しようとしてるのよ」だ。

 今のボクを知る人たちからすればかなり意外な発言だと感じられるだろう。
 現在、ボクは他人に嫌われることを嫌っていない。

 思い出してみるに、確かにあのころボクは周囲に嫌われないよう、好かれる
よう頑張っていた気がする。すると。

 「池田さんって周りに合わせるから、あなたがどんな人か見えなくなって
しまうのよ」と言われていた。ある人が「カナダはすばらしい」と言えば
「そうそう、カナダってすばらしい」と応え「イギリスは楽しい」と言えば
「楽しいですよね」、そんな発言が多かった気がする。

 それを周囲から観察すると「あの人はなにを考えているのか分からない」に
なってしまうのだった。

 どうだろう。
 この世にはたくさんの人間が暮らしているが、それらの人々は全て同一
の考え方をし、同じ境遇で暮らしているだろうか。そんなことはない。

 ボクがあるでっぱりを作れば、それに共鳴してくれる人あれば、反発する
人も出てくる。ボクはそれを恐れていた気がする。

 要するに、あなたを強く打ち出せば、それを嫌って悪口を言う人が必ず
現れてくるというわけだ。だから「そんなの気にしなくていいんじゃない」
って言いたいわけ。

 逆に、20代のころのボクみたいにだれからも嫌われない人というのは
何の色もついてなくて、存在そのものが見えてこない、「いてもいなくても
かまわない人」になってしまう。

 「だから嫌われよう」ってんじゃなく、「強く主張すれば賛成する人、
反対する人が出てくる。それはごく自然なことなんじゃないか」ってことだね。

 これだけたくさんの人間が暮らしていればみんなが自分と同意見なんて
おかしいだろう。違いは厳然と存在してるんであって、そこを問題にしても
仕方がない。違いを知り、自分を知り、初めて他人と共鳴できる部分も
出てくるんじゃないかな。

2011年11月 8日

違い

 違いとは比べるからこそ分かることなのかもしれない。
 先日、母親の同級生の自宅であるログハウスに宿泊するべく車を走らせた。

 山あいの中に、のどかなただすまいの感じのするお宅がある。ご自宅は
別にあり、旦那さんの実家である土地に建てられた、半ば別荘と化した
お宅である。

 昼ひなかから、外を歩く人は全くおらず、車も通らない。夜ともなれば
なおさらである。夜11時までいろんな話が続いた。

 中でボクの話になることもあった。
 「お兄さん(ボクのこと)は食事はどうしてるの」「朝ごはんは」「掃除は」
などの質問が飛んだ。聞かれて初めてボクはそれらの質問にうまく答えられない
生活をしていることを痛感させられた。

 このおばさんにとって夕食をきちんといただくことはとても当たり前のこと
のようだった。一般的にもそうだろう。だが、ボクの場合、外食も多いし、
他人と会食も多い。それも仕事柄必要な会食ばかりでなく、こちらから
設定する外食もとても多い。
 もちろん、このおばさんにそんな説明が有効とも思えず笑ってごまかした。

 さらに、ボクの朝食は仕事しながらなので、なにを食ったかほぼ記憶になく、
常に片手で食べられるものしか食べてない。
 それはこのおばさんにしてみれば「簡単にいただく」レベルではなく、
食を冒涜しているのと同じかもしれなかった。

 ただ、ボクにしてみればそんな意識はなく、とにかく毎日忙しく、朝食
の中身など考えたことも悩んだことも一度もない。だった。

 ボクは「人はそれぞれを生きる」と考えている。みんなと同じように生きてる
わけじゃないんだ。自分はどうしたいのか、なにをしたいのか、なにを
してるときに生き生きとしてるのか。が大事だ。

 それがたまたまみんなと同じであればもちろんかまわない。ボクはそれを
真剣に悩めと主張しているに過ぎない。なんとなく、このままでいいのかな、
じゃなくもっと真剣に、本気で悩むべきだ。

2011年11月 7日

弱点

 ときには自分の弱点を見つめ直してみてはいかがだろうか。
 ボクならどうだろう。

 株で大損した話、中学生のとき成績が悪かった話、中学受験し失敗した話、
ほかにもたくさんある。実はこれらの話、長らく他人に話すことが
できなかった。それでいて、他人がその話に触れるとボクは気分を害し、
おし黙ってしまうことがよくあった。

 他人に自分の弱点を話して聞かせるのは実に大変なことだ。できるなら、
隠しておきたい内容なのに、他人がわざわざその話題に触れてきたように
感じられるから、だろう。

 ボク自身、長らくこれらの話をするのは辛かったが、あるとき他人に
話してみると他人はあまり気にしてないようだった。それにもまして、
株で損した話はすさまじく楽しく聞こえるようだった。

 人は、ほぼみんな当たり前に生きている。あまり変わり映えしない毎日だ。
 そんな毎日が続く中、大損、大失敗した人の話は楽しく聞けるみたいだ。
 ボクも当初はその笑いがボクをバカにした嘲笑だと感じていたが、そうでは
なく「こんな人がいるんだー」、そんな感動を与えていることを知った。

 そして。
 ボクはできるだけたくさんの人と接することをお薦めしている。
 ある、限られた人とばかり話しているとある役柄が設定されることが
多い気がする。「ダメなわたしと、優秀なあなた」である。

 だが、いろいろな人と接するとその役柄は入れ替わる。自分が優秀になったり、
他人が笑われる立場になることもある。どっちが悪い、なんて話ではなく、
この、役柄を入れ替える、自然に入れ替わることがある、が大事な点だと思う。

 自分の中で大いに弱点だと思えることも他人にしてみれば違うことも多い。
 それらをきちんと認識し、「あえて話せる」気持ちの強さが欲しい。

 弱点というのは「あなたが気にするから」弱点のままだが、あなたさえ
気にしなければ弱点でもなんでもなく、強みに早変わりしてくれる。
 弱点を語って大いに笑っていただきましょう。

2011年11月 4日

慣れる

 ボクは高校生になるとき単身、京都に留学している。伏見区のアパート
に一人暮らしの生活が始まった。

 よく学校のやつらからは「池田、一人暮らしか、うらやましい」と言われて
いたが、毎日毎日、すさまじく忙しくアパートには寝に帰るだけだった。
楽しいとか苦しいとか考える余裕すらなかったな。

 このアパート、家賃が1万円で、トイレは共同、炊事場も共同だった。
 炊事場には5円玉を入れ、ガチャッと回すと一定時間使えるガスの設備
があった。そんなものの存在、ほとんどの人が知らないだろう。

 ボクはこのガス設備でお湯を沸かしてコーヒーやお茶を飲んでいた。
 あるとき、急須をのぞくとお茶っ葉にびっしりカビが生えててひどく驚いた。
 そのころアパートでお茶をいただけるのは比較的早く帰宅する日曜日だけだった。
 よって、その一週間でカビが生えていたわけだ。

 ボクは今もそうだが、普通の生活の感覚があまりない。そんな人間がアパート
に一人暮らしだ。とんでもないこともたくさん起きる。

 よく「アパートに一人暮らし、トイレも共同」なんて話をすると、「池田さん、
よくそんなところで生活できましたね」とか言われる。今、考えると
ボク自身、そう思うんだよね。トイレくらいゆっくり使いたいとか思うよね。

 ただね、そのアパートはボク以外は大学生がほとんどだったが、その大学生
もほとんどアパートにはいなかったと思う。よって生活してるとき、もちろん
毎日トイレを使うのだが、ノックされたことは一度もなかった。
 彼らはどうしていたんだろう。不思議だ。
 炊事場も同様で使っていたのはボクくらいじゃないかな。

 このアパート、大家さんが申し訳なさそうに「この部屋しか空いてないん
ですよ、上の階が空いたらすぐに移ってもらいますから」なんて話をされたが、
一階のこの部屋には窓が一切ない。窓は炊事場と通路に面してあるだけだ。
 ま、寝に帰るだけだから、どんな部屋でもあまり関係はなかったが。

 人にこの話をすると「それって刑務所みたいですね」と言われるのだが、
ま、今、考えてみればそうだったかも。
 ま、何が言いたいかっていうとね、人はこんな状況の中でも生きていける
ってことさ。慣れてしまう。
 この生活、そんなに苦しかったって記憶もないんだ、実は。そんなもんだよ。

2011年11月 2日

眼光

 実は、「すいませんが、池田さん、あっち向いててくれませんか」と
よく言われることがある。「池田さん、目が怖いんですけど」が続く。

 「視線がきつい」ということだろうか。かもしれないなー。
 ボク自身は「人間、生きていれば眼光鋭くなければ意味ないだろう」と
思ってるからね。当然だ。

 子供のころ母親からよく「お兄さん、魚が死んだような目をして、
そんなんでどうするんね」と言われていた。あのころ、希望も展望もなく、
ただ生きてるだけだったと思う。今にして思えばね。
 やりたいこと、成し遂げたいことがあるわけでもなし。子供だから当然か。

 ボクは思う。
 どんな気持ちで生活しても時間は過ぎていく。だったら、やりたいことを
設定しそこにつき進むのが良いんじゃないかって。

 ボクは高校になるとき単身、京都に留学してる。そのとき、同じ教室に
ソロバンの10段位を取得している選手が何人もいたが、彼らに共通してる
のはやはり眼光の鋭さだった。どことなく漂う空気感が違ってる。

 ソロバンをやってないときはいたって普通なのだが、いざ始まると獲物を
ねらうギラギラした目線に変わる。

 人はみな、真剣になるとそんな目になると思う。だったら、なぜ、普段
からそう努めないのか。ぼんやり生きても、真剣に生きても時間は同じ
ように過ぎていくのに。

 もったいないじゃないか。
 もっともっと真剣になれよ。目線がギラギラして周囲の人が怖がるくらいにさ。
 ボクの持論は「人間、生まれてきたから生きてます」じゃない。
 「人間、生きてますから真剣に生きます」だ。

2011年11月 1日

約束

 実はね、ボクは19の歳から株式投資をやっているんだ。
 最初はもちろん父親に指図されてね、自分一人で売買できるようになるまでに
10年くらいかかったと思う。それまでは「まだ売るな」とか「あんなつまらん
会社、買うな」などうるさい、うるさい。

 ただ、自分の中に裏付けもなく売買はできないから、株の本なども積極的
に読んで学習に努めた。ま、株式売買は学習や勉強にあまり意味はないんだけどね。
 自分独自の売買論理を組み立てて父親に話しては聞かせた。

 これまで実に多くの株式売買をやってきたことになる。で、問題はここから
だが、売買は全て電話一本でこなしてきた。その際、なんの問題も起きた
ことはない。

 絶対に口にしてはいけないのは
 「さっきの注文、あれ、気が焦っててさ、取り消してくれないだろうか」である。
 売買の注文を出したなら、なにがなんでもその決済を終わらせなくてはならない。
 これは初歩の初。決してだれも覆すことのできない重要な掟である。

 もちろんボクも注文に異を唱えたことなど一度もない。
 ことに株式売買はお金がからむだけに「言った、言わない」などあれば
大変なことになる。ま、ボクは異を唱えたことがないのでその先は分からないが。
 これまでで一番多くの金額を動かしたのは300万、400万といったところだ。
 一度もトラブルになったことはない。

 どうだろう。
 あなたは口にしたことに対して「言ったんだから、それは300万の値打ち
がある」、そんな状況に立たされたことはないだろう。ボクは何十回もある。

 他人となんらかの約束をするということは、そういうことなんだ。
 「約束したことはお金につながる、口にしたことは絶対に履行しなければ
ならない」ってことだね。これらの背景を元にしている人間は「口にした
ことはお金だ」が基本になっている。他人との約束は契約である。

 それがいかに小さなことであっても、約束は約束なのである。
 株の世界で「1万円だから良いでしょ」なんて通用しません。
 他人との約束は全てお金に換算されると考えてもらった方がいいと思う。
 常に、そういう気持ちを持ち、気を引き締めて暮らしていこう。