2011年7月29日

ライフ2

 だが、そんなアメリカ人の自宅に招かれてみると意外な感想を持つんだ。
 お互い、相手の国の言葉は話せないはずなのに、けっこう意志疎通が
できてしまう。

 きっと、アメリカ人の長年の、言葉が通じない人たちとのコミュニケーション
術みたいなものがあり、それが発揮されているのかもしれない。
 よく言われることだが、相手の自宅に訪問するので、キャンディーなど
持参するのだが、いらない場合、はっきりと「ノー」を口にする。

 日本人はこんな場合、少し傷ついてしまう。「せっかくあげるって言って
るのに」ってね。この態度は子供であっても共通してる。きっとアメリカ人
は子供のころからそんなしつけをしているに違いない。

 たまにアメリカ軍の基地にてアメリカ人と食事させていただくことがある。
 中にはレストランもあり、たくさんのアメリカ人が食事してる。
 ボク(日本人)と友人のアメリカ人が話しているさなかでも、その友人
のアメリカ人は知り合いを見つけると「ハーイ」と手招きする。

 呼ばれた人もすぐに駆け寄ってきて「ハーイ」と座ってしまう。
 で、すぐにお互いの自己紹介。

 ボクは心の中で「このアメリカ人は(なんなんだ、この日本人は)って
思ってるに違いない」なんて思ってしまう。「ここはアメリカの基地の
レストランだぞ」って。ま、本当のところはボクにも分からないのだが、
きっとそんなことは思ってないだろう。こんなとき、自分の中にすごく
「日本人的」なものを感じてしまう。それを知ってハッとして苦笑いしてしまう。

 「アメリカ人はこんな感じで友人の輪を広げていくんだな、これだったら
ものすごく広がるだろう」なんてつくづく思った。

 だってさ、日本の場合、よく行くレストランや居酒屋で知り合いがいたと
して、お互いに「こっちはだれそれさん、こっちはだれ」なんてやらないよね。
 それをアメリカ人はやってしまうわけよ。
 「だいたい話の途中から入ってきて、うまくコミュニケーションできる
はずないだろ」って思ってしまうが、アメリカ人はおかまいなしだな

2011年7月22日

 ボクはこれまでいろんな人とお話しさせていただいたが、「それ、わたしと
同じ」なる意見を聞いたことは一度もない。

 本。毎月30冊くらい買う。これを言うと必ずのように「それなら1日
1冊のペースですね」と聞かされるのだが、ボクの場合、「決まって1日1冊」と
いうことはない。というのも、前半部分のみ読むこともあるし、出だしで
読まないこともある。かと思えば、とてつもなくおもしろい本は日曜日まで
おあずけして一気に読んだりもする。

 タイトルにひかれて買うこともあるが、勝率は半々だろうか。
 ボクの場合、顕著なのは「翻訳ものの」本は失敗する確率が高いという
ことだ。翻訳ものは著者がおもしろく書いた場合でも、訳者の文章力が
問われるのだろう。2つが揃うのはなかなかに難しいことだと思う。

 ボクはよく広言しているのだが、買う本にジャンルは存在しない。
 買わない分野は「小説」「ベストセラー」「平積みの本」などだろうか。
 ドキュメンタリーが一番多い。
 よって一般の人ならおさえているであろう本を全く買い入れてない結果になる。

 そして、必ず口にするのが「毎月30冊買う」のは義務でもなんでもない
ということだ。気づいたら30冊だったというだけ。
 「今月はまだ10冊だ。このペースじゃダメだ」みたいなことは一度も
考えたことがない。なにも考えずに結果として30冊買い入れているのが
実際のところだ。

 だからボクに向かってよく「それだけ勉強されれば蓄積もすごいでしょう」
と聞かされるのだが、いや、読書は趣味であって、勉強にするつもりはないん
だけど。蓄積はしているはずだが、勉強や資格のためにやっているわけではない。
 というような人に、ボクはこれまで一度も出会ったことがない。

 「特殊な自分」を演出しているわけではなく、こだわり続けると結果、
特殊な自分がそこにいるというわけだね。
 やるならとことんやってみよう。それはあなただけの資格、財産になると思うよ。

2011年7月21日

クリスマス

 クリスマスツリー(たぶん)なる木を知ってるだろうか。
 初め、それを聞いたときとても不思議な気持ちがしたものだ。クリスマス
ツリーというのは草木である。大洋に火山活動が発生し、島ができる。
 当然、その島には草もなにも生えていない。

 そんな島に飛来し、生育するのがクリスマスツリーだ。そして、この
クリスマスツリー、不思議なのはここからだ。

 なにも生えてない島で生育するのだが、そこで初めて栄養分が形成され、
ほかの樹木が生育する土台を作る。その栄養分を目当てにしてほかの
樹木が生育していく。そのころになるとクリスマスツリーは姿を消して
しまうんだ。おかしな樹木だ。

 軍隊にも「先陣を切る役目」の部隊があるが、クリスマスツリーは先陣
を切る役目で、果たしたときには自分が姿を消してしまうわけだ。
 おかしな特性を持つ樹木だ。

 いな、そこにだけ存在意義を見いだしていると言えるかも。
 こうして、クリスマスツリーはまた海洋に現れた島に先陣を切って
生育していく。そのクリスマスツリーがなければその島は荒れ地のまま
だっただろう。

 この、日本という島国もひょっとして、クリスマスツリーの恩恵があって
これだけの森林国になったのかもしれない。そう考えるとすばらしいと思うね。

 知ってるだろうか。
 「カキは森が育てる」って話。海に生育するカキは森林からの栄養分を
吸収して大きくなる。豊かな河川がおいしいカキを育てているんだ。
 一見、関連のなさそうな事実がつながってるってわけだね。
 どちらが欠けても成果につながらないわけだ。

 ボクは人も同じように感じるね。クリスマスツリーのような存在の
人間もいるだろうし、そのおかげで、次に活躍する人も出てくる。

 ボクはクリスマスツリーの話を聞いたとき「なんだかオレのことを言ってる
みたいだ」って思った。ボクもクリスマスツリーなのかもしれない。
 だとすると、樹木が生育するころになるといなくなる。かもね。
 それはそれでいいが、あなたは一体、どんな樹木なのだろう。その
特性を知ることも大事かもしれないよ

2011年7月19日

無料

 先日、知人の話で「セミナーをやっているが、無料だ」、と聞かされた。
 物事をおこなうとき無料にするかどうかはいつも迷うところだ。
 無料にすれば「こちらの心意気をくんでいただけるかも」、と思うと同時に
「当日になってキャンセルされても文句は言えないよね」とも思う。

 今年初めのことだ。いつもの通り、食事会をおこなったが、後になって
ある方から「参加費が高い、よその例会であればもっと安いし、意義がある」
と聞かされた。(ここまで辛辣じゃなかったが)。
 ボクが取った態度は、無視だった。

 あのとき、参加費は4千円だった。それを高いとみるか安いとみるかは
人それぞれだ。どう取られてもその人の勝手だ。だから、こちらの対応も
好きにさせてもらった。

 確かにもっと安い金額で食事もついて例会をおこなうところはある。だが、
ボクはわざわざ出向いてあまりおいしくもない食事をするなんて考えられない。
 それこそ一日のムダだ、と考える。

 高いと思えば出席しなければいい。意義がないと思えば出席しなければいい。
 ボクはこういうとき、お金というものは人間測定器として使えるんじゃ
ないかと考えているんだ。だから出席する人は「それだけ払ってもいい」と
納得している人だけだ。

 だが、ボクたちはどうかすると「もっと安くすればもっとたくさん出席して
いただけるのでは」と考えてしまいがちだ。
 極端に言えば「無料、タダにすれば参加しやすいよね」。だが、無料
であれば「聞く値打ちがないからタダにしたんだろう」と考える人も出てくる。

 そして、人はお金を払うと吸収力が高まる。出費したお金をムダにしたく
ないからだ。

 要するに、この世にはたくさんの人が暮らしているが、全ての人を相手
にはできない。相手も線引きしてくるが、こちらも線引きするしかない。
 「参加費が高い」なる意見は「そもそも縁がなかった」と考えることが
賢明なのかもしれない。

2011年7月15日

突き抜け

 ボクはなにかにチャレンジするとき突き抜け感覚を利用してるんだ。
 26のとき初めてスキーをした。こんなに楽しいものがほかに
あるだろうか、心底そう思った。それからは必死になって滑った。
 スキーはあくまで趣味だと考えていたので、検定などは一切受けてない。
 その瞬間が楽しければそれでいいと思った。

 たいていの人から話を聞いて特に多いのは「上手になりたいけど、自分の
場合、どうなのか」、そんな感じ。アクセル踏みながらブレーキをかけてる
気がした。あのねー、それじゃー上手にならないんだよ。

 要するにね、完全には自分を信じてないわけだ。ボクは珠算段位8段を
取得しているが、それを知ってるからだろうか、いい歳をしたおじさまが
「わたしは子供のころから計算が苦手で、だから今のような仕事に就いてます」
なんて聞いてもないことを話してくれる機会が多い。

 いつもは調子を合わせて「ですよねー」なんて言ってるが、計算なんてものは
嫌になるほど練習すればできるようになるわけで。けっこうな歳をした人が
そんな初歩的な発言をされることに少しばかりさみしい思いがするものだ。

 どうだろう。何でもいいから一度、突き抜けてみてはいかがか。
 突き抜けると、必ずその人でなければ吐けない言葉が出るようになる。

 ボクなら「ソロバンを練習し過ぎて夜、夢の中でも計算した」。
「できるだけ数字を見ないようにしてる。見ると計算を始めてしまうから」
「8分かけて計算していたが、練習しているとたったの46秒でできる
ようになった」などです。これらはみんな本当のことです。

 一度、突き抜けてしまうと自分を疑うことがなくなります。なにかに
取り組むとき「やれるはず、やれることなんだ」が真っ先にきます。実際
には「やれるはず」も感じてないですね。ごく当たり前にできると信じて
真っすぐ取り組む、そんな感覚です。

 いろんなことがそこそこできる、よりあれをやらせたら絶対にかなわない、
そんなものを持つ方が強いんです。これは実は、他人より秀でている、という
意味ではなく、突き抜けているのでなにをやらせても疑いを持たずにやれる、
ということなんです。

2011年7月12日

動く

 ゆうべ、ある男性とお話しさせていただいたのだが、中でこんな質問を
受けた。「池田さんはなぜ、そんなにいろんなことをやっているのか」。
 ボクの動きについての質問だ。うーーん。なかなかうまく応えるのが難しい。

 ボクの両親の世代は戦争が終わったころ、小学校に入学したころで、
「戦後の焼け跡」と言われるように、なにも残ってなかった。ま、ただ
両親は島根県なのでそう極端でもなかっただろう。母親の父親は戦死扱い、
父親の父親は敗戦の後、結核になって会社を退社してしまう。それからは
分かったことだが、大変な暮らしが待っていた。

 ただ、両親ともによく口にするんだ、「なにもないことはとても良かった、
がむしゃらになって働くことができた」と。世の中、あれもない、これも
ないとなれば、必死になって働いてそれを充足させることを考える。

 ボクはよく思うんだが、両親たちの世代ってあまり難しく考える必要が
なかったはずだ。「なにもないんだから、必死になって働くのは当然だ」。

 ところが。今は大変だ。街に出ればビルが林立し、テレビの向こうでは
みんな能天気に楽しそうだ。だが、テレビに出演依頼があるわけじゃない。
 「会社をおこしてヒルズ族の仲間入りだ」なんて夢想するが、だれもが
果たせるわけでもないだろう、なんてすぐに理解できる。

 現在はとても残酷な時代だと思う。それぞれの人にとって「自分が
存在していること」の意味が分かりにくくなっている。それこそ「戦後
の焼け跡」状態であれば「食べ物は飛ぶように売れ」「作るものはいくら
でも売れる」なはず。今、食べ物が飛ぶように売れることなど決してない。

 自分の存在がしっかり感じられなければ引きこもりになってしまっても
おかしくないだろう。人間というのは「認められたい生き物」なわけよ。

 「あなたがいるからみんなが助かってる」とか、そういう動きをみんな
欲しがってるはずなんだ。それをどうやって達成するかの問題だけだね。

 だれもが生き生きとして毎日を過ごすことができる。こんな毎日がやって
くればきっと楽しいだろう。ボクがいろいろな動きをする根底にはこんな
ものが流れてる。「やれることはまだまだたくさんある」を提示する
ことがボクの生きている存在理由だと思うんだよね。

2011年7月11日

誤解

 どうやら日本人は誤解しているのではないだろうか。いろいろね。
 第二次世界大戦は世界を巻き込んだ大戦争だ。この戦争は実は連合国と
枢軸国の戦争だ。これを知らない人が意外に多いね。

 枢軸国は「日独伊三国同盟」の三つの国だ。日本、ドイツ、イタリア。
 イタリアがまず降伏し、ドイツが降伏し、日本がそれに続いた。

 だから「史上最大の作戦」と呼ばれるノルマンディー上陸作戦もアメリカ軍
が上陸したとはどこにも記述されてない。「連合軍が上陸した」になってる。

 先日、すさまじく驚いたのだが、ボクの両親とも「日本軍がオーストラリア
の兵隊と戦争した」ことを知らなかった。おいおい、ちょっと待ってよ。
 かつての戦争において大変な目にあったんだろう。知らないとまずいよ、
ホントに。

 なぜ、日本軍がオーストラリアの兵隊と闘っているか。連合軍と枢軸国を
脳裏に思い浮かべてもらえばすぐに分かるはずだ。実は、アメリカはかなり
遅くまで戦争に参戦していない。世論の盛り上がりにあらがえなくなり、
参戦したのが実情だ。

 それまでは連合軍の一員として大西洋を使ってイギリスに軍需物資を輸送
していた。それを破壊するために投入されたのがドイツのユーボート。
潜水艦ってわけだ。

 この戦争においてドイツ、イギリスは疲弊し、アメリカは参戦が遅かった
こともあり、戦後、覇権がアメリカに移った。天下国家がイギリスを中心に
回っていたのが、アメリカを中心に回るようになったわけだ。
 この事実はヨーロッパの戦争を扱った本であればまず例外なく取り上げら
れるものだ。戦争をすれば疲弊する。当たり前のようだが、やはりそうなのだ。

 日本人は戦争を局地的に考え過ぎてるんだ。戦争は世界のあらゆる場所で
展開された。それぞれの大義があった。

 日本人はなにかと言うと「ソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破棄して」と
口にするが、ドイツはソ連に対して一方的に「独ソ不可侵条約」を破棄して
戦争を起こしている。破棄はつながっているわけだ。
 みんなには日本とアメリカの戦争うんぬん、だけでなく第二次世界大戦として
改めて俯瞰して観察することをお薦めしたい。

2011年7月 8日

戦争

 どうやら日本人にとっての戦争とは1944年くらいに始まり、1945年
に敗戦て終わる、みたいな感じなんだな。ボクはそれがとても残念だ。
 ボクの母親の父親は徴兵され、軍人になった。「南方に向かう船が
沈没したらしい」、で、いまだに死んだのかどうかはっきりしていない。

 父親の父親は志願で軍人になった。練兵所(訓練するところ)に向かう
とき、いつもお供を二人つれて歩いていたそうだ。父親が練兵所にこっそり
行くと「あ、池田准位のおぼっちゃま、オハギをどうぞ」と、いろんなおやつ
がもらえたそうだ。

 というのも、この准位という地位は練兵所に面会に来る親族に許可を与える
係で、うちのじいちゃん、(心臓と言う名前、つくづく、すごい名前だよね)
よく許可してくれるので親族にとっては評判の准位だったそうだ。
 戦後もしばらくは「池田准位には大変世話になった」と練兵所で訓練した
元軍人さんが家を尋ねてきたこともあったらしい。

 みんなは知ってるのだろうか。日本は東日本と西日本で分断されるところ
だった、なんてことを。8月16日の戦闘開始、なる本に詳しいのだが、
北海道守務島(漢字は違うかも)にて防衛についた軍人たちがいたんだ。
 この戦闘は敗戦が決まってから行われたのである。テレビでも見たが
1600人で防衛した、と聞いた。(だいたいの数字)。

 フォッサマグナあたりが国境になっていたかもしれないんだ。大変だよ。
そんなことになってたら。パスポート申請して東日本に行くんだからね。
 ちなみに沖縄もパスポートが必要だった。

 大日本帝国の責務の一つに「アジアの解放」があった。欧米列強の支配
からの脱却のお手伝いだ。なぜ、今、アジアの国の中に「日本に大変感謝
してる」と口にする国があるか分かるだろうか。理由はこれなんだ。
 確かに大日本帝国は悪いこともした。侵略もしたに違いない。

 だけどね、それで全てじゃないんだ。戦争はもっともっと複雑で。
 敗戦が決まってからアジアの国に残り独立のために闘った大日本帝国
軍人がいたことをみんなは知ってるのだろうか。もう敗戦になってるから
軍人じゃなく、軍属という立場で闘ったんだ。

 戦争にはいろんな断面があり、もっともっと複雑なんだ。「1945年に
敗戦で終わりましたとさ」なんて簡単な話じゃないんだ。
 自分の国で起こったことなんだから。改めて調べてみるくらいはやっても
いいんじゃないかな

2011年7月 7日

忙しい

 先日、ある女性に電話すると、「最近、ホントに忙しいんです」、だって。
 忙しいのかー。しかし。忙しいってとてもおもしろい言葉だと思う。

 人は自分がやりたいことをするとき、「忙しい」を使わない。ボクにせよ、
スキーに行くとき「これからスキーに行くんだ。はー忙しいなー」なんて
口にしたことがない。要するに、「大変」「忙しい」などは自分が望んで
やっているのではなく、やらされているということだ。

 ただ、ここで問題としたいのは、忙しいについてだが、どうだろう。
 あなたは忙しい、やらされていることをどこかマイナスにとらえていない
だろうか。そんな必要は全くないと申し上げたいんだ。
 ボクは高校になるとき単身、京都に留学した。初めての夏休み「池田君も
みんなと一緒に練習せい」なんて指示が飛んだ。ボクは瞬間、クラッとしたね。

 だって、夏休み、お盆の3日間をのぞいて37日間、朝9時から夕方の
6時まで毎日練習するんだ。自分が志願して留学している身であれば
当然なんだけどね。それでもこの事実には正直、クラッときた。
 どうだろう。こんな地獄のような特訓、あなたは組むだろうか。

 要するにね、「自分が望んだことだから」「わたしはこれがやりたいんです」
なんて当てにならないってことなんだ。自分でこんなスケジュール、
組むはずがない。ただね、これらの特訓の日々のあと、まー社会人になって
みると、ついそのころと比べてる自分を見つけた。「あー、あのときに
比べればまだまだ頑張れるな」とか。そのころのことがたたき台になってるわけ。

 だから、やらされるというのは実は、とてもすばらしいことなんだ。
 おまけに、ボクは20代いっぱい、ダブル、二つの法人で働いていた。
 土日もなくね。今になってみると、ダブルで働くってすごいことだなー、
ってつくづく思う。得難い経験だよね。どちらの職場も無遅刻無欠勤だ。

 ダブルで働くきっかけになったのは「池田さん、やってもらえんだろうか」
だった。かなり悩んだが引き受けた。「ダブルなんてできっこない」なんて
思うが、必死になればなんとかこなすことができた。後になってみると
「よくぞあんなことができたものだ」なんて思う。こちらの経験もたたき台
になってくれていると思う。

 「これは自分がやるって決めたことだから」、実は、こんなもの、当てに
しちゃいけない。やらされる。すばらしいじゃないか。それにて真剣、必死、
頑張りの意味がつかめるんだから。
 人は野放しにしておいて能力を発揮できるわけじゃないんだ。やらされ
ないとやらない生き物なんだ。

2011年7月 5日

上から

 実は、ボクは20代のころからよく人を誘っては呑みに出かけていた。
 いつだったか、何人かで呑んでいるとさっきまで気分が悪かったのに、
だんだんと元気になっていく自分に気づいた。頭痛がしていたのに、
薬も呑んでないにも関わらず治り、楽しくて楽しくて仕方がなくなった。

 知り合いのお医者さんに話すと「そんなことはよくあること」だそうだ。
 快活に笑う。それだけのことなのだが、特効薬みたいな可能性を秘めて
いるのかもしれない。一人で呑んでいてもそうはならないんだよね。

 さて。
 これまで常に、他人を誘って酒席を用意してきたわけだが、20代の
ころはかなりのわだかまりがあった。「なんでいつもいつもオレが誘うんだ」
だった。「今度、呑みに行きませんか」って提案すると、内心「下の者が
お願いに行った」みたいな気分にさせられるんだ。

 まだ初めのころは良かった。同じ20代だし。だけどだんだんボクの方が
歳が10も15も上になり。「なんでオレばっかり誘うことになるんだよ」。
 「でも誘われないんだから、仕方がないよな」。

 きっとボクの心にはブレーキがかかっていたに違いない。これは「酒席に
おいてはみんな同等だ」、からくるものだったのだろう。

 いつだったか、こんな話をすると「だったら、池田さん、第一土曜日は
酒席の会って決めておいたらいいじゃないですか」なんてことも聞かされた。
 だけど、ボクは我がままで自由でいたいから、第一土曜日が固定して
なにかの行事なんて好きじゃない。あー、はい、我がまま、我がまま。

 この問題については特効薬など開発してはいないが、今のところ「実は
誘う人が偉いんだ」ってことにしてある。誘う人は断られることがほとんど。
 それでも実践するわけで、まさにジャンヌダルク(意味がわからん)だ。

 社会では自分の地位、立場によって「声をかける、かけない」がある程度
決まってきてると思う。だけど、それを突破することもまたおもしろい
ことなんじゃないかな。

 いい歳したおじさんが年下の若者に向かって「呑みに行こうよ、いいじゃ
ないか」。なかなか言えないそのセリフを口にすることが、また楽しいなと
思えてしまうんだ。
 わだかまりを捨てると、もっと自由気ままに行動できると思うよ。

2011年7月 4日

運命

 これから書くことを信じる人はあまりいないだろう。だけどね、100%、
真実、事実です。ボクは23になったときある高校に先生として就職する
ことになった。すごく嫌な気持ちが沸き上がってきた。なぜって、
そこの中学を受験してすべっていたからなんだ。

 あれは受験が終わってしばらくしてからのこと。6年生の担任の先生が
「おーーい、池田、ちょっと来てくれ」。呼ばれて先生についていった。
 ボクが階段の少し先を歩き、先生が続いた。そのとき、先生が「池田、
ダメだったよ」。太陽光線が二人を照らし影が階段に伸びていた。

 ボクは瞬間的に全てを悟った。「あー、中学受験、ダメだったんだ」。
 なんとなくそんな気はしてて、だけど周囲の連中はボクが私立の中学を
受験してすべったことをそのうち知る。なにか「オレはバカです」って周知徹底
してるのと同じじゃないか。小学生なりにそんなことを思った。
 中学での毎日は当初、かなり辛いものだった。

 その、同じ学校の高校に先生として舞い戻ることになる。運命の皮肉としか
言いようがなかった。少しだけ「江戸のカタキを長崎でとった」、そんな
気分もあった。この高校は中学と合わせて「歓送迎会」がおこなわれる。

 ボクは出席して「どいつだー、オレを不合格にしたのは」。にらみつけて
歩いた。顔は笑顔だ。中学の校長と教頭が怪しいなー。「オマエかー、オレを
不合格にしたのは」。もちろん言葉にせず、心で唱えた。

 しばらくしてから同僚の先生に「実はね、ボク、ここの中学、すべって
るんですよ」と口にしてみた。するとその人、「えっ、うひゃひゃひゃひゃ、
ウソーッ。うひゃひゃひゃひゃ」だって。「いや、ホントなんですから」。

 「いや、池田先生、いいじゃないですか、今は立派にやってらっしゃるん
だから」。ま、いいけどね。実は中学の校長も教頭もたった10年前の
ことなのに知らないらしかった。合格したのならまだしも不合格にしたやつの
ことなんて覚えてるわけがない。当然だよね。

 この話を学校の先生にいくら話しても「あーそうですか、今、忙しいんで」、
みんな軽く受け流していた。「あのなー、オレにとっては大問題だったんだよ、
中学受験に失敗したことは。受け流すなよ」。何度もボクは心でうめいた。

 しかし。大人になってみて、社会人になってみて思う。「あんなのは
たいしたことじゃなかったんだな」って。小学6年のボクには理解できな
かったけどね。

2011年7月 1日

イタリア

 あれはいつのことなんだろう。イタリアを旅行したことがある。
 その少し前、ばあさんが車にはねられ、意識不明の重体になった。

 あわてて病院に駆けつけたが、ばあさんに意識はなく、母親と交替で
看病(なにもできないけど)していた。いつからか立ち上がって「うおーーーっ」
とか「わたしは家に帰ります」とか騒いで大変だった。

 とても落ち着いて見え、冷静に「家に帰る」なんて言うから、本当に意識
があるのかと思ってしまう。そのころ両手両足を縄でしばっていた。
 「これよ、これ、これを外し(はずし)んさい」って言うから、意識
があると思ってほどいてしまう。すると立ち上がり、うおーーーーっだ。
 婦長さんから「どんなに暴れても縄をほどいてはいけません」と言われ、
言い付けを守ったが辛い時間だった。

 それから半月もしないくらいにそろそろイタリアに旅行するのかどうか
決めなくてはいけなくなった。交通事故が先であれば申し込みはしてなかった
はず。申し込みしてから交通事故が発生したんだろう。

 ボクはばあさんの容体と旅行との間で行ったり来りするようになる。
 そして「こんなときに旅行するなんていけないことだ」とか考えた。
 ただ、そのころ旅行は自分にとってただの息抜きとかそんなレベルではなく
もっと大きな意味合いを持っていた。「とにかくたくさんの体験をして、
これからに活かすんだ」そんな気分でいた。だから冗談ではなく「ばあさん、
旅行、ばあさん、旅行」そんな感じだった。そして、旅行は実行した。

 前置きが長くなった。実は旅行するとき、ばあさんが「入院した」「転院
する」など、重なることが多かった。そして一般的には「家族が入院したん
だから旅行は取りやめ」が正しいと思う。だが、40万円近くかける旅行を
やめるのも大変なことだ。何が言いたいかと言うとね、「これは重大な意味を
持つ」と思えばそれを優先させるべきだということだ。

 ボクの体験からも思うが、旅行、その他にせよ「なんの憂いもなく実行
できる時」って意外に少ないんだ。要するに心配事の一つや二つ、抱えた
まま実行するしかないってことさ。

 それらを理由に中止していたらボクの旅行回数は間違いなく半分以下になって
いたと思う。それで後になって「あのときはばあさんが」なんて口にしなければ
ならない。それって嫌だよね。
 自分のことを薄情なやつだと思うこともあるが、ある程度は割り切らないと
いけないってことだ。