2011年6月30日

習得

 実は、ボクの現在の動きはあるコトから習得させていただいたと表現して
差し支えないと思う。ボクは20代のころからある思いが脳裏から
離れなくなった。

 社会人スタートが自営だったことも関係しているのだろうか、「大事なのは
お金じゃなくお金が入ってくるシステム作り」。

 今はデフレと呼ばれているが、ボクが20代のころはすさまじいインフレ
だった。1万円がアッという間に半分の値打ちになる。1万円はそのまま
なんだが、1万円で買えるものが少なくなってしまうわけだ。

 これはなにを意味するか。
 「いつまでも働いていればその時々の値打ちで生活していける」である。
 母親からはいつも「あんたはしまいには野垂れ死にだ」と怒られるのだが、
ボクの考えの底にあるものはこれだ。

 さて。そのあるコトとは。
 ボクは30代になってからいろいろなところにせっせと参加するように
なっていた。そこで多く見られたのがこんなことだった。保険屋さんが
いろんな会の主催をされている姿だった。

 ボクは当初それを「会を主催してお客さんを囲い込んでいるんだな」そんな
ふうに考えていた。ま、そういう人も多いんだろうけど。

 だが、改めて考えてみれば保険屋さんがこれらの動きをすることはとても
当たり前なのかもしれない。要するに「みんなのお世話をさせていただい
ている」と考えてみればごくごく自然な帰結だろう。

 前はよく言われたんだがセールスするとき「商品を売るな、自分を売れ」
と言われてきた。これはどういうことかというと、この場合で言えば保険屋
さんは「保険を売るのではなく」「自分の誠実さをきちんと見ていただく
場を用意」するということになる。とボクは考えたわけだ。
 だからそれを見習ってる面も多々あるというわけなんだ。

 誠実さは口で言ってもなかなか分かってもらえない。実践しなくては。
 その場を用意することはとても大切なことだと思うね。
 ほかの業種の人たちをしっかり観察し、取り入れることはとてもうまい
考えだと思うよ。健闘を祈る

2011年6月29日

上手

 ボクは珠算段位8段、暗算段位9段だ。これを言うとたいていの人が
「計算が早いんですね」と言うが、暗算9段というのは早いとか遅いとか
いうレベルじゃない。あなたがその計算を見たら「絶対に人間には不可能」
だと思うくらいの速度で計算できる。というレベルだ。

 で、ではどうすればこんなに上手になれるのだろうか。ごくごく簡単な
ことなんだ。上手な人がたくさんいるところに自分を置けばいい。
 どう。簡単でしょ。

 実際はそれが難しいのかもしれないね。ボクは15で京都に行ったが、
なにせ珠算3級を7回くらい不合格になるほどダメ人間だった。
 そのころは「どうせオレはバカなんだから、バカがなにやっても仕方ないって」
本気でそんなふうに考えていた。だが、京都に留学することになり。

 当初、ボクは京都での生活が始まると「あーこのデカイ身体が半分に
たたむことができればいいのに」、何度思ったことだろう。「どこかに
隠れたい」「こんな下手な自分を見せたくない」そんなことばかり考えていた。

 だが。留学というのはそれに全てを捧げる、みたいなことになってるわけ。
 生活全般がそれに染まっていくね。そして上手な人と一緒に練習していると
あることに気づくわけ。「やればできることなんだ」って。

 3級の試験を受けても受けても不合格だったが、練習もせずに受験して
合格する方がおかしい。その当たり前のことがよく分かった。

 上手な人がいるところに身を置くということはね、頭でいくら説明しても
理解できなかった「やることやればいくらでもできる」が体感できるって
ことなんだ。「オマエはバカじゃない、やればできる」とか聞かされても
人は信用しないね。その言葉。見せてあげて、体感できるようにしてあげれば
いいんだよ。「ほら、頭のせいじゃないだろ」だな。

 しいてあげれば、上手な人がうじゃうじゃいるところに自分を置けるか
どうかだよね。これってけっこう恥ずかしいし、自負心もあって決断でき
ないんじゃないかな。

 「あー恥ずかしい、オレは今までなに、やってきたんだ」。何度、この
セリフを心の中で叫んだか分からない。それがあって後から追いかけて
いけばいいんだ。この世にバカはいない。バカであればなにもせず楽だから、
そういうふうに自分でしているだけなのさ。

2011年6月28日

提案

 先週の土曜日、「スイーツでおしゃべりの会」というのをやった。
 いやーとてもうまかったよ。玉ちゃん。ありがとね。結局、参加者の
ほとんどが男性だったがとても楽しかった。ボクは酒も甘みもいける男だ。

 おいしくいただいた。ピーチティーにチェリーティーもおいしかった。
 「ティーは香りでいただくんよ」。アドバイスも良かった。

 いろいろ話をしたが、ある男性にたくさん提案をした。そして、いつもの
ごとくすべて却下された。「できませんよ」。それに対して「もう言うな、その
できませんよってやつ」と応酬するボク。

 すると玉ちゃんが「一年間だけ他人に自分を預けた気になってやってみたら、
その一年間はなかったものと思うのよ」だって。良いこと言うなー。
 この男性にはいつも提案してる。そしていつも却下されている。

 ボクは言った。「オマエなー、提案されるってことは、それだけ値打ち
があるからしてくれるんやで。どうなってもええ、いう相手にそんなこと
言うわけないやろ。ありがたいと思え」。男性は「全部の提案を聞いてる
ことなんてできるわけないじゃないですか」。ボクは言った。「できる」。

 ボク 「とにかくあしたからイエス、イエス、イエス。ノーは言うな」。
 男性 「だからー、そういうのは池田さんだからできることでしょ、
ボクにはできませんって」。
 ボク 「だからさっきも言われたやろ、期限付きでやるんよ、永遠に
やれなんて言ってないだろ」。

 男性 「だったら、まず池田さんが手本、見せてくださいよ」。
 ボク「オレはいつも全部イエスや」。男性「池田さんはどうかしてるんですよ」。

 「どこそこに行きませんか」「イエス」「今度パーティーがあるんですが」
「イエス」「講演会があるんですけど」「イエス」「こんな勉強会が」「イエス」。
 これは決して極端な話じゃないんだ。今度、口にしてみよう。

 「え、なになに、参加するー、させてー」って。絶対にあなたの見る景色
はガラッと変わる。約束する。それを言うと決まって「お金はどうするん
ですか、お金がないとできないでしょう」って言われる。バカだなー。
 ホントにバカだ。金がなければ「お金がないんです。どうにかなりませんか」
って言えばいいだろ。金がなければ頭を使えよ。

2011年6月24日

教育

 街を歩いているとこんなおばさんを見かけることはないだろうか。
 バイク(原付き)に乗ったおばさん、カーブを曲がるとき、片足、もしくは
両足を外側、前方に突き出している姿を。

 まさか、おばさん、バイクが転倒しそうになったとき、その足で支えよう
というのではあるまいな。自動車学校に教習に行くと(ボクは中型免許を取得
してる)「バイクから決して足を出してはならない」ときつく言われる。

 中型バイクの場合、乾燥で250キロほど、燃料その他を入れれば300
キロくらいになる。転倒しそうになって足を投げ出せば骨折だけでは済まない。

 これは原付きも同じで、乾燥で60キロ、なんやかやで80キロくらい
あるバイクを足で留めることなど絶対にできないことなんだ。

 なら、なぜ、それがやれるのか。きっと自転車に乗っていた人が「バイク
でも」でやっているに過ぎないのだろう。80キロほどもあるものが、
いくら遅いとはいえ20キロ近くの速度で動いている。それを貧弱な人間の
足でとめようというのである。いかに無謀なことか。
 「知らない」というのは実に恐ろしいことなのだ。

 「バイクを足でとめるな」は教習初日にきつく教えられることである。
 それからボクたち中型免許を取得した人間は「バイクから降りるとき
揺すってみろ」と教えられている。

 中型バイクの場合、片側のスタンドとセンターのスタンドと両方ある。
「揺すって」みると、いいかげんな設置の場合、車体が揺れて転倒を防げると
いうわけだ。

 ほかのものもそうだが、バイクも「やってはならないこと」というのが
存在してる。たいていそれらは最悪のケースを想定して、未然に防止する
ために機能してる。なにかあったとき、その合理的な理由がよく分かる仕組み
になっているんだ。「知ってるか知らないかだけ」なんだよね。現実は。

 教育というのは実はとても恐ろしいものである。それを知っているか
知らないかは危険に身をさらすことにもなりかねないからね。

 人の話は注意して聞き、なぜ、それを口にするのか、まずは聞いて、
それを実践し、自分のものにしていくことだ。教育というのは実は学校で
だけおこなわれるものではなく、社会のあまねく場所に存在していると
考えた方がいい。軌道修正は(自分流にアレンジ)はその後だ。

2011年6月23日

ものさし

 ボクはさ、みんなもたくさんのものさしを持つべきだと思うんだ。
 かなり前のことになるが、ボクはサンタの格好をしてプレゼントを
配って歩いたことがある。そのとき、実にいろいろな人から「なぜ、
あなたはこんなことをするのか」、問われたものだ。

 そこで、ボクなりに感じたところを話すのだが、ほぼ理解していただける
人はいなかった。そのときは分からなかったが、後々になって分かった
ことは「どうやらものさしが違うのではないか」だった。

 そして、違うものさしを当てはめてみると、これらの方たちの発言が
妙にうまく理解できるのだった。新しい発見だった。

 「サンタの格好をしてプレゼントを配る」は、あまり難しく考える必要は
なかった。周囲に小さな子供を持つ親がたくさんいた。その子供たちが
少しは喜んでくれるのではないか。動機としては本当にこれくらいしか
なかったんだ。だが、批評する人たちの中でこんな簡単な動機を例に
あげた人は一人もいなかった。

 要するにね、これらの人の頭には「人間とはどういうときに動くか」が
不動のごとくがっちりと埋め込まれてしまってたんだ。それとは違う
行動原理で動く人を見ても理解には程遠いってわけだ。

 「それをすることによって池田さんになんのメリットがあるんですか」。
 「どうせやるならお客さんのところを訪問した方が利益がありますよね」。
 など、聞いた当初はなぜこれらの発言になるのか理解できなかったが、
ものさしが違うことを念頭に入れるとこの方程式はおもしろいように解けた。

 「人が動くのは自分にとってなんらかのメリットがあるかないか」が
行動原理になっているから、このような発言になるのだろう。

 ボクはこれらの考え方があってもいいと思うが、違うものさしも用意
するべきだと思う。人はたくさんものさしを用意すべきなんだ。

 であれば、人の動きについて理解も深まると思う。ボクもメリットは
追求したいが、サンタになって商売相手を相手にしないことは、かえって
メリット追求につながったと思う。皮肉なことだけどね。
 世の中は自分がおこなったことがいろいろなところに跳ね返って作用
することがある。ボクはサンタになってみてそんなことを強く思ったね。

2011年6月22日

関係

 ボクはよく食事会を開いているが、参加者からは「池田さんとはどういった
関係ですか」、そんな質問を受けることも多い。聞かれた人たちは
たいてい「すれ違っただけです」と返答し、みんなに大笑いされてしまう。
 ま、真実だから、そういうことになるよね。

 この世はさ、全て、つかまえる気で行動するか、そんな気を持たないか
で決まるんじゃないかな。「つかまえる」っていうのは人間のことじゃないよ。
 機会をつかまえるかどうかだよね。

 「オレは友達がいない」とか「ボクはなかなか友人ができにくい性格なんで」
とかいろいろあるに違いない。ボクにしたってそうだ。

 前に知り合いでこんな人がいた。市役所から回ってくる回覧板をよく
チェックしておき、とにかくよく参加するんだ。

 「男の料理教室」とか「今から始めても遅くないフラダンス」みたいなものに
せっせと申し込んで参加されていた。これらにくっついて入ってる案内は
どれもこれも良心的な値段設定がしてあり、また安心して参加できる。
 なかなかうまいアイディアだと思ったね。
 それまでボクはこれらのものを眺めたこともなかったが、見直したよ。

 要するに、機会なんてゴロゴロしてるってわけさ。
 そこにはほかの参加者もたくさんいるだろう。「今度、うちの家で料理
教室の続きをやりませんか」って提案すればいいんじゃないかな。

 って、提案するとたいていの人が「なにか変に思われますよ」と口にする。
 分かるねー。その気持ち。そうそう。変に思われるさ。

 ボクは前々から自分に言い聞かせていることがある。やったことと結果を
混同しないように、だ。やろうとすることが間違っていなければ、結果は
気にしない癖をつけるべきだ。「うちの家で料理でも」は間違っていない。

 その反応はさまざまあるだろうが、切り離す訓練をするべきだ。
 この世は同調してくれる人だけ同調してくれればいいんだ。その
見極めをさせてもらってるわけだ。そこを忘れちゃいけない。

 友人というのは提案力だと思う。「酒を呑みに行きませんか」「今度、
ここに旅行しませんか」どしどし提案していく。大半は却下されるだろう
けど、そんなのはほっとけばいい。この世は提案力で決まるってわけさ。

2011年6月20日

極端

 先日、知り合いから「つくづく」って感じでこんなことを聞かされた。

 「池田さんってすごいですよね、初めのころ何回も断ったじゃないですか、
それでもしつっこく誘ってきて、よくあそこまでやれますね」。

 あきれた、そんな顔をして話してくれた。うーーん。そうかもね。
 ボクは前々から極端を目指してやってきたつもりだ。「やるならとことん」。

 32のころ、ボクは自分のことを「池田株式会社」だと考えた。自分
そのものが会社だ。だから、そのころの名刺には会社名が記載されてない。
 「自分が会社であり、会社そのものだと」考えていたからだ。

 そして一番肝心なことは「人を相手にして生きていくと」決めた。
 それが決まったから、やるべきことは見えてくる。
 人付き合いにおいてとことん、極端なまでにやってみようと考えた。

 皮肉なことだが、極端までやると適切、適度が見えてくる。はっきりする。
 ある人と知り合ったとする。毎日のように誘ってみよう。きっと彼は
「ええかげんにせい」と言うか「オマエはとことんアホやのー、おもしろいわ」
のどちらかになる。そこまでやると「ここで切り上げておけばいい」も
見えてくる。

 極端なまでにやるとそこが見えてくるようになる。
 ただみんなはさ、そこまではやらないね。なぜだろうか。

 きっと「怒りをかうのが嫌」なんだろう。「ええかげんにせー」って
どなられるのが嫌に違いない。そりゃボクだって嫌だ。だけどさ、
怒られるかどうかはさ、その前には分からないものなんだよ。たびたび
怒られると適切な頃合いが分かってくる。「ここでやめておこう」とか
「もう少し押してみよう」などが分かってくる。

 結局さ、「他人の怒りを恐れるかどうか」の問題だけなんだよね。で、
ボクは怒りをかって怒られたら、「それはそれで仕方がない」と考えている。
 それを恐れるかどうかだけなんだよね。
 「わたくしは怒られます」と決めたら何だってやれるだろう。そんだけの
ことなんだよ。

2011年6月16日

戻る

 お金というものは使えば使うほど減ると思っていないだろうか。ボクは
少し違ってるんだ。その辺りの認識が。
 「お金は使うほど戻ってくる」とは言わないが「お金は使わなければ
戻ってくることもない」くらいには考えている。呼び水というのかな。

 32のころだったかな、元勤めていた高校の先生から電話があった。
 「あー池田さん、あんた、顔が広いじゃろう、今度、高校で社会の第一線
で活躍してる人の話を聞く時間を作ることになったんよ、で、あんた、紹介
してくれんか」、そんな依頼だった。

 高校に勤めていたころから「このままでいいのか」、そんな気分でいた
ボクは、やめてからも、もがき、あがいていた。ただ、そのあがきが高校
の先生からの「顔が広いんじゃろう」で、あながち間違った方向に突っ走って
るわけでもない、そんなふうに思ってかなりうれしかった。

 ただ、この依頼、引き受けてみるととても大変だった。今なら知り合いの
経営者に頼んで講師を引き受けてもらえば済む話なのだが。ツテを頼って
相談に行くと分かったことだが講師料が「4万、5万」と請求された。

 それでも相手が高校生だということでかなり値引きをしてもらった。それに
しても高校から出せる講師料はわずか5千円に過ぎなかった。仕方がない
ので足りない分は自分の財布から出して払った。

 打ち合わせと称して2度くらい晩ごはんをご一緒したりしたが、そのときも
全て自分の財布から払うことになった。5年くらい引き受けたが、ずっと
こんな感じだった。一度終わらせるまでに5万円ぐらい使った。

 てなことを書くと「ムダだ」「損だ」と思うかもしれない。それは話を聞いた
だけではね、そうかもしれない。でも実際に取り組んでみて思ったのはまた
別の感想だった。

 打ち合わせと称して晩ごはんを共にしたが、考えてみれば「独占インタビュー」
させてもらっているのと同じだ。別の場面でお願いに行けば次回は快く
引き受けていただけるだろう。確かにお金はふところから出ていく。

 だけどね、お金はこのとき機会に変わった。その機会は次の場面を
提供してくれることもある。
 お金の出入りだけで判断していてはいけないと思う。お金はチャンスに姿を
替えて戻ってくることがある。そんな気持ちはどこかに持ってないといけないよ。

2011年6月15日

ジャック

 ゆうべのことだ。打ち合わせをしたのだが、「テレビジャックがしたい、
ラジオジャックも」なんて話をすると「池田さん、やってください、まず
お金をためて」だった。テレビジャック。ジャックはおおげさだな。
 少しの時間、電波をお借りしようというわけだ。

 確かにお金をためてジャックすれば早い。だが、ボクにそんな気は
さらさらない。それにお金をためる才覚があれば苦労しないって。

 母親からこんな話を聞いたことがある。
 「家を建てるのにね、お金をためても絶対に建たないのよ、少しお金
がたまったら、借金して建ててしまわないと。そこに住んで毎月返済して
いけば建つけどね」。住宅の値段はどれくらいだろう。4000万円くらいか。

 3000万円をためることもほぼ不可能に近いだろう。やはり住宅は
借金しなければ建たない。仮に3000万円ためられたとしても、インフレ
の進行により住宅の値段が上がっていることも十分に考えられる。

 ボクたち自営はよくこんな話をする。
 「誘う、誘われるでいったら、絶対に誘われないといけない」ってね。
 デパートに出店するとしよう。こちらからお願いに行くと高い家賃を請求
されるが、「ぜひうちに出店してください」とお願いされると家賃は安くなる。

 要するに、なにが言いたいかっていうとね。
 テレビジャックするにせよ頭を使って工夫しなければならないわけだ。
 世の中、不思議とこちらからノックすると高くつく。向こうがノック
してくれば話はトントンと進む。

 だから「お金をためてジャックを」なんてまるで考えてない。
 ボクはお金があまりない。みんなもそうだろ。

 だけどね、それであきらめてちゃいけないと思うんだ。やりたいことが
あるなら、どうやってそこに到達するか考えなくちゃいけない。アイディア
だってあなたの資産だからね。

 ボクは自営をやっているが、お金を集めるのになにが大切か分かるだろうか。
夢だよ。ロマンだよ。
 「これで社会が変わる」って聞かされるとだれだって目の色を変える。
 そこにお金が集まるわけさ。お金がないことは言い訳にならない。

2011年6月14日

闘い

 先月、チャリティー落語会をおこなった。
 頑張ったが、はっきりいって失敗だったと思う。ただね、やって良かった
とは強く思ってる。

 いろいろ聞かされたが「池田さん、オレたちには集客力がないんだよ」は
確かだと思う。
 いくら良い企画だったとしてもたくさんの人に振り向いてもらえなければ
役に立たない。

 ただ、と同時にボクは自分の中の矛盾に気がついていた。

 「もっともっと謙虚に、いろんな人にお願いしていればもっとたくさん
集まったのではないか」なんて思う。「変なプライドが邪魔してしまった。
願いは東北の復興じゃなかったのか」ってね。確かにそうだ。

 実は人間というのは動こうとするといろんなものが邪魔をしてくる。
 「別にオレがやらなくてもいいんじゃないか」

 「あの人はそんなに友人ってわけでもないしな、この案内をどこかで
読んで参加してくれるといいな」。
 「世のため人のためになることだから、なりふりかまわずやるのって
おかしいよな」。

 きっとボクもそうだが、みんなさ、いろんな人たちからいいこちゃんって
言われたくないんだろうね。「池田さん、なに気取ってんだよ、いい
かっこするなよ」とか言われたくないんだ。それが目的じゃないのにね。

 ボクも20代のころから「観察するな、実践しろ」、何度言われて
きたか分からない。「観察はだれにだってできる。問題はやるかやらないか、
なんだよ」だよね。

 実践してみると自分の中の弱さが露呈する。「復興のためなんだから、
お願いまでしてやることないよね」なんて気持ちが心の中にわだかまりとして
存在してる。結局、ボクはこれに限らずこの手のものと常に闘ってる気がする。
 それって自分と闘ってるってことかもしれないね。

2011年6月13日

ケチ

 実はボクは自分のことをとてもケチなやつだと考えている。そしてね、
みんなももっとケチになるべきなんだよ。

 ボクは高校生のとき留学で京都に行き、一人でアパート暮らしをしていた。
 当初は高校にバスで通っていた。だが乗り換えもあるのですぐに自転車
に切り替えた。乗り換えの時間も含めるとバスと自転車とで全く同じ時間になった。

 初めのころは分からなかったが、高校のすぐ近くに「焼き立てのパン」を
出す店があり、そこで買うようになった。

 あるとき学校でパンを食べていると「おい、池田がチョコもらってるぞ」と
大騒ぎになった。パンとついでにお菓子を買って持参していた。間の悪い
ことにその日は2月14日だった。

 「チョコ、もらったって、これはオレが買ったんだ」、トンチンカンなことを
考えていた。その日はバレンタインデーだったようだ。全く知らなかった。
 「あのなー、オレにチョコくれるやつなんているわけないだろ」でチャンチャン。
 同じチョコを持参しても日にちによって全く違う作用をもたらすわけだ。

 だれかにバラをプレゼントするとしよう。だが、大事なのは「いつ渡すか」
「なぜ渡すか」「どのような形で渡すか」だ。それによって効果は全く
違ってくる。

 ボクが21のとき父親が「おい、今度の日曜は母の日じゃろうが、これで
洋服でも買ってプレゼントしてやれ」なんてお金を渡してくれた。

 ボクは翌々日くらいにあるお店で洋服を買った。そして当日、母親に手渡した。
 すると。母親は「どうしたの、どうせ、お父さんから買えって言われて
買ってきたんでしょ」。図星だった。こういう動きはケチではない。
 せっかくお金を使ったのに効果は半減してる。

 みんなもさ、もっともっとケチになるべきなんだよ。活きたお金の使い方
をしなくちゃいけない。どうせ1万円払うのなら2万円、3万円の価値を
持たせることを考えなくちゃいけない

2011年6月10日

トランプ

 ボクは初対面の人には少なくとも「4通のハガキ」は差し出すようにしてる。
 この世はね、なにもしなければなにも始まらないんだよ。

 あなたが商売しようとする。野球チームを作って活動しようとする。
 では、どうするか。「わたくしはこんなことを始めましたから、ぜひよろしく」
と周知に努めるはずだ。そのとき、大半の人が「野球、オレは興味がない」と
却下するはずだ。みんな忙しいからね。

 では、どうするか。
 「この世のほとんどの人にとって野球は意味のないものだから、意味が
あると感じるやつを探すしか」ないんじゃないかな。「この人も、あの人も
ダメだった」って指折り数えていても仕方ないんでね。

 ボクは20代のころから自分に言い聞かせてる言葉がある。それを自分では
「トランプ理論」と呼んでいる。トランプの中に一枚だけ当たりくじが
あるとする。

 上から順にめくっていけば一番最初に当たりのトランプを引き当てるかも
しれない。半分を過ぎたころに引き当てるかもしれない。
 ひょっとしたら、一番最後かもしれない。肝心なのはね、「当たりくじ
を引き当てるまでめくり続けること」だよ。

 「必ず当たりくじのトランプはある。あることは絶対に間違いない」と
思えば、そのようにすればいい。とにかく引き続けることだ。
 「あと1枚で当たりだったかもしれない」なんて悔しいでしょ。

 ボクは「この世はバラバラだ」と感じてる。みんなそれぞれが勝手な
ことを考えて暮らしてる。それで健全だと思うんだ。あとはさ、自分の
考えはまとまったんだから、当たりが出るまでトランプをめくる覚悟だけ
だよね。

 あなただって誘われたもの全てに参加すねことはできないはずだ。
 逆の立場になれば却下してるんだよね。それでこそ自由意志ってもんだ。
 「バカになってとことんやり続ける」。
 要は頭の善し悪しじゃなく、やり続けることに意味がある。続けていれば
どんな回り道だってそのうち目的地に着くってことさ。

2011年6月 8日

危機感

 「明日から出会う人全てを酒席に誘おう」と決めたのはいつだっただろう。
(今はやってない)。

 背景には大きな大きな危機感があった。ボクはスタートから自営業だが、
夜、夢の中で「真っ暗な海の上をイカダに乗って漂ってる自分」を見た。
 ボクは子供のころから孤独で、一人で本を読んでいるのが大好きだった。

 だが、自営業にはそれが許されない。この世における仕事の定義とは何だろう。
 ボクは20代のころ、それを「対人間」にあると考えた。そのころも
機械文明はしっかり根付いており、「1分間に10個作れる」ものが
「1分間に30個」になることなど当たり前に起こっていた。

 だが、人間は「これまで1分に80文字しゃべっていたけど、これからは
200にします」ってわけにはいかない。
「自営の仕事は最後まで人間がついてまわる」と気づいた瞬間だった。
 およそ仕事をする人で人間と接触せずに済ませる人はいない。
「どこまでいっても人間相手ってことだよな」が正直な感想だった。

 だれかれかまわず誘うとなれば話は早い。例外がないからね。
 隣のおじさんとも飲みに行ったし、お店のご主人はたいてい誘ってる。
 もちろん酒席ばかりでなくコーヒーに誘うこともよくあった。

 内心では「知らない人と話したくない」がある。「1対1でなに、話すの」
って考えてしまう。ただ実際にやってみると心配するほどのことはない。
 手当たり次第だから歳が10離れていたり20離れていたりする。頭で
勝手に「話が合わないだろう」と思うが、現実はそうでもない。不思議だ。

 ま、あなたも明日からやってみてはどうだろう。と書いても100人に
1人もやらないことは分かってるけどね。人はハードルが高いほど乗り越え
ようと工夫や努力をするものだ。「やってなんになる」と思う前に、素直
に実行してしまうのもうまい手だと思う。

 実行するとき嫌でも理解させられるのは「自分は周囲の人とイコール」だと
自分で考えてしまっていることだ。実は、イコールだという認識もお持ちで
ないに違いない。やらないから分からないだけでね。
 ボクは自分を周囲の人たちより少し低い位置に存在してると考えている。
 だけどね、アリジゴクみたいなもので、低いから人が落っこちてくる
ことはある。高ければ周囲の人たちが上ってこなければならない。だから
時間がかかるんだよね。「自分の仕事は何なのか」、ボクは「対人間」
だと考えた。あなたはどうだろう。

2011年6月 7日

あきらめる

 これから書くことを読めば大半の人がきっとあきれるに違いない。アホやって。
 だけどね、みんな100%事実だから。

 今は携帯が普及してとても便利になった。相手に直通でつながるなんて
とても便利だ。だが、直通だからこそ困った問題も発生する。

 ボクには携帯に電話して呼び出すにも関わらず相手が出てこない電話がある。
 2年くらい出てこない。2年っていっても、3カ月に一回くらいしか
電話しないんだけど。だけどね、これ、本当のことなんだ。あきれるでしょ。

 知り合いにある会社の社長さんがいる。いつだったか携帯番号が分からなく
なり、会社に電話することにした。こっちも1年くらいは電話しただろうか。

 いつ電話しても「社長は席空けです」とか「社長は会議中です」とか
いって取り次いでくれない。ま、こっちもどこの人間かはっきり言えば
いいんだけど。言わないのも悪いんだけど。

 だけど、この社長、ある日とうとう電話口に出たんだ。電話に出ないのは
やはり実際に忙しかったらしい。電話に出るまでに1年以上かかった。

 どうだろう。携帯電話というのは直通で便利だが、だからこそ困った
事態に陥ることが分かるだろう。

 なにが言いたいかっていうとね、物事はもう少し押してみてはどうかと
いうことなんだ。みんなはさ、その少し手前で引き返してるわけ。
 「どうやら忙しいらしい」。ってね。
 だけどそれは真実かどうか分からないわけよ。

 ボクはよく「最初のお誘いは断るな」とだれかれなく口にするが、これも
「最初のアプローチで断念する人が多いからこそ」成立する話だよね。

 もう少し、しつっこく、再度、再度って働きかければうまく折り合える
かもしれない。それだけだれもが「とことん」まではやってないってことさ。

 ボクたちは憶測したり類推したりする。それはかなり当たってるだろう。
 だけど、もう少し踏み込んでみたらどうだろう。

 案外、うまくいくかもしれないよ。「絶対に携帯に出ない相手」がいれば、
出てくれる人に対して感謝の気持ちもわいてくる。ボクはいつもそのように
考えることにしてるんだ。出ない相手だっていつかは出るかもしれないしね。

2011年6月 6日

動けば

 30代のころだ。盛んに異業種交流会に参加するようになる。なぜか、
理由は自分でも分からない。

 さまざまな人たちから「自分一人だけの繁栄なんてない」とか「街が落ち込んで
いるのに繁栄する会社はない」など聞かされたからかもしれない。
今もこの考えで進んでいるつもりだ。

 この交流会というやつ、たいていはゲストが呼ばれお話しをされることが
多いのだが、そのゲストにせよ、参加している参加者にせよ、別の形での
お付き合いなど発生しないものだ。「別もん」って感じだな。

 で、ふと、これって「もったいない」と考えるようになった。せっかく
ゲストと知り合うチャンスでもあるのに。ただ、その場で名刺交換などしても
「それだけ」って感じで次につながることがない。まー、当然か。

 そこであることがひらめいた。悩むとひらめくのだ。
 ゲストを酒の場にお誘いすることにした。名刺交換くらいはするから
それが手掛かりだ。さてと、会社に電話をしよう。

 そのとき、すさまじい逆風が吹いてきた。やらせまいとするすさまじい
エネルギーだった。なにか分かるだろうか。
 そう、自分、じ、ぶ、ん。俺、そう、オ、レ。

 結局、2年くらいの間に6人くらいの人と飲んだかな。ゲストは毎月
呼ばれるから20分の6くらいの確率になるかな。
 知らない人を酒に誘うとなると、勝手にストーリーを作り上げてしまう。

 「あの人は酒を飲まないかもしれない」「仕事でもないのに呼ばれて
どんな気持ちだろう」「1対1で飲むってオレだって辛いのに、相手は
さぞかし」「どんな理由ですかって聞かれたらどうするか」など、まだ
実際には相手と1ミリも話をしていないのに、ここまで類推してしまう。

 相手が女性の場合、一人で「変に誤解されたらどうするか」なんて心配を
始めてしまう。このエネルギーはとにかくすさまじくて自分でも驚いた。

 一番心配だったのは会の主催者に迷惑がかからないかってことだった。
 ゲストは主催者が呼んでるものだからね。
 やりたいことがあるにせよ、主催者に迷惑がかからないよう配慮しな
ければと思った。

2011年6月 2日

提案

 今日は提案をしてみよう。厳しいよ。
 物事、なにかするためには課題を用意すればいいと思う。課題を設定
するからこそ、困って実際の動きにつながるものなんだ。

 「あと残り半年で友達100人作ってみよう」でもいいんじゃないか。
 「無理無理」って感じた人もいるだろうし、「やるだけやってみよう」と
思う人もいるかもしれない。課題は現在の自分ではできないレベルにして
おくのがいい。「そんなこと言ったって、今のオレの友達全部かきあつめても
20にいかないぜ」と思う人もいるだろう。

 人間、困らないと解決策を考えないものなんだ。
 ボクも困って困って解決策を探したことがある。ボクは30代のころ
出会った人をほぼ例外なく酒の場に誘っていた。「今度、飲みに行きませんか」、
だが、なかなかうまくいかなかった。

 だけどね、こうして困っているとある本の一節に電流が走ることがあった。
「ああっ、そうかー」。
 突如としてひらめいた。ボクには何度かこんな経験がある。

 ひょっとすると、困って困って解決策を探すことがひらめきにつながった
のかもしれない。それからすぐに「食事会を開催することを」思いつく。
 人間、あれこれ迷って解決策を探すことは解決につながると思う。

 よくこれらの話をすると「今のオレには関係ない」とか「池田さんは
商売やってるから大事だろうけど」みたいに言う人がいるが、友達は
だれにとっても必要だろう。全てを仕事に結び付けて考えなくてもいいはずだ。

 「残り半年で友達を5人作ろう」なんてのはやめといた方がいいよ。
 ま、ここまで書くと「友達の定義はなにか」って話になるんだろうけど、
それは個別に考えてもらうとして。

 とんでもない課題を用意するととんでもない解決策だって思いつくだろう。
 そこが自分がジャンプする出発点になると思うんだけどな。
 「残り半年で友達を100人作る」、どうだろう。考えていけばいくつか
方法が見つかるはずだ。

 ボクは先月だけで初対面の方、50人にハガキをだしてる。全ての人から
返信があればそれだけで達成に近くなるよね。
 もちろん返信はほぼないに等しいのだが、これだって課題があるから
方法を探すわけでね。「増えたらいいな」では増えないと思うよ。

2011年6月 1日

答え

 みんなはさ、答えを知りたがるね。
 ただね、質問したからといって答えが手に入るとは限らないんだよ。
 自分がやってみることで答えにたどり着くのが本当のところなんだ。

 3年ばかり前のことになります。ある男性から「池田さん、明日、講演会
があるんですよ。来られませんか」と案内があった。ちょうど良かった。
 その日は出かける用事があり、掛け持ちで参加することにした。

 会場に着くと別の知り合いの男性がいて「あら、あんたも。じゃ一緒に話
を聞きましょう」ってことになった。一番前の席を確保した。

 講演が始まる少し前になると一人の男性が壇上に上がってこられた。
 きっとこの人が講師だと思い、ボクも壇上に上がった。
 「先生、今日はよろしくお願いします。池田と申します」と口にして
名刺をさし出した。昨日、参加の打診があったとは思えない豹変ぶりだ。

 男性はマイクの調整中らしくすぐには対応していただけなかった。
 そんなやり取りがあって、ボクは自分の席に戻った。一緒に座ることに
なってる男性が心配そうな顔をしてこんなことを聞いてくる。

 「どうした、やっぱり怒られたんか」。
 ボクは「うん、今はちょっと。後にしてください、って陰気な顔で言われた」
と口にすると、男性は「だから言わんこっちゃない」みたいな顔になった。

 この返答は少し悪乗りして彼に話したんだ。
 ただね、彼はこの問答が本当にあったと思ったらしくて。とうとう
最後までホントのことを言う機会を失っちゃったよ。

 ホントはね、講師の男性は「あ、ちょっと待ってください、マイクの調整して
ますんで」のあと快く名刺交換に応じていただいたんだ。

 どうだろう。現実の結果というのはやってみることでしか手に入らない。
 彼はいまだにボクが「怒られた」と思ってるはずだ。だが、それは
正しい応えじゃないんだ。

 これはね、あなたがやってみても同じ結果になるとは限らないんだ。次回は
失敗するかもしれない。だから、質問に意味がないと思うわけ。結果は。
いつも違ってる。だから質問しても意味がない。
 応えは、聞けば必ず返ってくるわけじゃないんだ。自分が実地にやってみて
応えにたどり着く必要がある。ってことだね。