2011年5月27日

動く

 先般から初対面の方、20人ばかりにハガキをさしだした。返信があったのは
今のところ1通である。これはこれまでとほぼ変わらない結果だ。

 これまで初対面の方には例外なくハガキを出してきた。返信の割合は
ほぼ上記の通りである。初対面があったということはなんらかの縁が
あったに違いない。少なくとも「そこ」にいなければそんな出会いも発生
しないわけだから。

 ただ、ふと思う。ボクがハガキを出せたということは、住所が記載されて
いるということで。お問い合わせ先が明記されてたことになる。

 そこに対して動きがあったにもかかわらず、なんの反応もないとすれば、
そもそもボクたちはなにを目的に出会ったのだろうか。なんて思う。

 「あのとき話したことは何だったのか」「あまりにも時間が余ったので
余暇を過ごすつもりで話しただけ、なのか」。結果としてはそういうことになる。

 ボクがハガキを出すのはそこからなにかにつなげるためであり、なんらかの
動きにつないでいきたいからだ。初対面の人だから「どこにどうつながるか」
は分からない。時間差でなにかが発生することだってあるかもしれない。
 ボクたちは動かない限り、なにも発生しないんだからさ。

 目的を明確にして動くことができればいいけど、初対面の人との接点なんて
どこにあるかだれにも分からないだろう。今はただのすれ違いの人にせよ、
なにかのきっかけで事態が動き出すかもしれない。
 なんてことを、一般の人たちは考えないのだろうか。かもしれない。

 自分の行動をひどく限定して動いてるように見えてならない。
 「自分と同じような環境の人を探して」いたのだろうか。全く違う
分野の人にせよ、結果的に同じ環境になることはありうる。

 ボクたちは毎日、動いているわけで。そこで他人との接点が生まれたなら、
「きっかけ」くらいは作っておくべきで。そのきっかけが次の行動の発火点に
なることは十分ありうる。とボクは考える。
 せっかく他人と知り合ったんだ。そのまま見逃してはそれこそ時間のムダ
だと思うんだけどね。

2011年5月25日

文章

 毎日、文章は書いてる。ここんとこ15年以上も続けてる。
 書き始めてからは「毎日10編」は書くことにしている。これは
完結していないものも含めて、だ。要するに義務だな。

 人間、これと決めたら狂わないといけないと思うんだ。普通、まっとう
じゃいけない。そんなので評価されるはずがない。
 「あいつは心底、おかしい」と言われるくらいまでやらなくちゃいけない。

 普通の人、なんてこの世には何千万人といる。みんな普通だからね。
 普通にメシ食べて、暮らして、生活してる。

 だけれどもね、なにかで突出したかったらそれでは難しいだろう。
 ボクもこれまで幸運とかラッキーを心待ちにしていた。だけどね、
そんなものは来ないんだ。きっとよそに訪問して忙しいに違いない。
 とにかく、やると決めたら、とことん、徹底的にやると決めている。

 ボクは中学生のころ戦争の本をたくさん読んでいた。
 第二次世界大戦中のロシアでは「前から飛んでくる弾より後ろから
飛んでくる弾の方が多かった」と言われている。どういう意味か分かるだろうか。

 逃亡兵を撃つために兵隊の後ろに狙撃兵を配置していたから、なんだ。
 だから、そのころ前線のロシア兵たちは「前向きに倒れるか」「後ろ向き
に倒れるか」はものすごく大事なことだった。前に向かって敵の弾に倒れるか、
後ろに逃げて味方の弾に倒れるか。倒れ方が違うんだ。

 そんな本を読み、ボクもいつしか「どうせ倒れるなら前に倒れよう」と
考えるようになった。きっとロシアの前線の兵士もそんなだったに違いない。

 なにかで評価されようと願うなら、とことん、徹底的にやらないとダメ
だと思う。「なにもそこまで」「そんなにまでやらなくても」ってところ
までやらないといけない。
 「物事はいいかげんがいい加減」なんて言ってちゃダメだ。

2011年5月17日

前かがみ

 ボクはよく「池田さんは自営だから、なんでも好きなことができて
うらやましいですよ」と聞かされる。うーーん。違うと思うんだけどなー。

 この世で働いていれば「何時までにここに来る」とか「これを仕上げる」
とかは変わらないわけでさ。ボクはのんきに暮らしてるように見えるの
かもしれないけど、それは見えるだけでさ。実際は違うと思うんだ。

 ボクは生きざまとして「後ろ向きではなく前かがみで生きていたいと」
ずっと願ってきた。だってどうせ働くんだから、嫌々働いてちゃ人生、
どれだけのムダか分からないでしょ。

 幸い、ボクは20代のころダブルで働いてきたし、土日も休まなかった。
 とことん働いたと言えるんじゃないかな。だから働く基礎はしっかり
身についてると思ってるんだ。これは大切なことだと思うよ。

 よく前にCMで流れてたでしょ。
 「人生の3分の1はベッドの中」ってやつ。あれでいけば「人生の3分の1は
働いてる」わけで、後ろ向きか前かがみかはものすごく大きいよね。

 ボクの知ってる自営の人で「気楽に楽しく、なんでもやれてる人」、
なんていないなー。顔は楽しそうだけど「やることはきっちりやらせて
いただきます」って感じだもんね。当たり前だ。

 ついでに言っておくと人っていうのは「笑顔の多い人ほど苦労してる」
ものなんだ。「あの人は、いつもニコニコして、苦労もなにもないんだな」
って人が意外に苦労した過去を持ってる。会社の愚痴をグダグダ並べてる人
の方がよほど苦労なんてしてないもんだ。

 ボクは30を過ぎてからは毎日午前6時前に起床することにした。
 それですぐに仕事場に入ってしまうんだ。だからご自宅での生息時間は
ものすごく短い。「あの人は自分の好きなことだけやって気楽に生きてる」って
感想は、やはり見た目だけのことなんだ。

 朝6時前に起きてるから、ゆとりをもっていろんなことができるわけでね。
ただ、それをね、ボクは自分で努力とか歯を食いしばって、とか考えてないんだ。
楽しいからね。
 後ろ向きと前かがみ。あなたはどちらを選ぶ。

2011年5月16日

使い方

 お金の使い方にはいつも気をつかってる。ボクの念頭にあるのは玉突き
のような感覚だ。これはボクが株式投資をやっているのも理由にあるかも
しれない。

 先日、ちょうどそのような出来事があったので書いてみたい。
 三人でボクがよく行く料理屋さんに出かけたときのこと。一人を紹介
するとママが「あー、知ってますよ。何度か利用したことがあります、
おいしいですよねー」。紹介した男性のお店を知っておられたようだ。

 ボクはその場で1000円を出し、男性に渡し「このお金でママに
セットにして届けてあげてよ」。きっと彼のことだから渡したのは1000円
だが1300円くらいを詰めて届けるはずだ。

 もらったママはもちろんうれしいだろう。彼の店もお得意が増えるチャンス
につながるし、ママもうれしい、こういう玉突きみたいなお金の使い方が理想だな。
 ママはその後、きちんとお金を払ってその店でお買い物もされたようだ。

 人は「あーこの人があそこの店の人か」と認識はしても、なかなか店に
顔を出さない生き物だ。きっかけがないんだな。だからそのきっかけを
提供することは意味あることだと思う。

 ボクは何人かでお店を利用するとできるだけ「この人はね、あそこで商売
してる人なんです。なにかあったらよろしく」とできるだけ紹介することに
してる。ただ、残念ながらこの紹介で商売が実現したことはほとんどない
みたいだが。

 ボクは自分が20代のころ「この人は池田さんと言ってね、ごひいきに
してあげてください」と紹介してもらえるのを心待ちにしていた。そうは
思うがなかなか紹介はしてもらえなかった。

 それがあって商売する人たちは「さりげない紹介」をしてもらえるのを
心待ちにしているのではないかと思うようになった。
 こうしたことをさりげなくやれるようにしたい。
 お金を使うときは玉突きを念頭に置いておくといいと思う。
 まず最初に金を使う。それがだんだんと大きくなっていくといいよね。

2011年5月13日

一人

 できるだけ一人で参加するようにしてる。
 食事会に誘われたり、講演会だったり、講習会に誘われることもある。
 「あー空いてるから行こうか」とは思うものの、一人で参加するのも
なんとなくつまらない。そんな気がする。

 「だってさー、参加して話し相手とかいなかったらどうするの」。
 「その後、メシ、食いに行くのもその人と行けばいいんだから楽でいい
じゃん」とか思う。「会場で落ち合えばいいんだからさー」。

 実際、これらの理由で周囲の人たちを誘ったことも何度もある。もちろん
それはそれで良かった。知らない会場で知らない人ばかりに囲まれると
「いたたまれなくなる」というか「きちんとした居場所がなくて居心地が
悪い」とかね。

 で、内心、具合は悪いんだが、逆の立場に立つとどうだろう。
 女性の二人連れ、なんてよくある光景だ。見ているとトイレに行くのも
一緒だったりする。女性二人で食事会に参加すると、結局、会が終わる
まで「その人に話をし」「その人の話を聞くだけ」だったりするんじゃないか。
 「だったら、二人でどこかに食事しに行った方がよほど楽しいのでは」。

 それに知り合いと参加すると、ついその人の目を気にしてしまう。
 「オレは、こんな発言がしたいのに。この人がいるから、ま、おとなしく
しておこうか」になりがちだ。ボクはね。

 何人かでたむろしてる人たちって声をかけづらい。「あー、あの人は
このグループの一員なんだな。あの人だけに声をかけるのもなんか変だな」
とか気をつかってしまう。ってありませんか。

 だが、一人であればそんな心配は無用だ。
 それに一人だとだれかと仲間になりたい引力みたいな力が働くんだよね。
 「一人ぼっちのまま終わりたくない」みたいな感覚になる。だれかと
一緒に参加していると起きにくいと思う。

 ま、そうは言うけど、ボクも単独での参加より何人かで参加したいクチだ。
 グループにはグループの良さがあると思うが、「グループばかりで参加
していてはダメだ」、たまにはそんなことを考えるのもいいことではないかな。

2011年5月12日

距離感

 この世はね、距離感で成り立ってるんだ。でね、ボクはこの距離感
ってやつ、ぶっ飛ばす必要があると考えているわけ。

 しばらく前、いわゆるメーリングリストなるものに投稿を続けた。毎日。
 毎日。2年間くらい。やるときはとことんやるね。

 投稿を続けているとよく分かることがあった。
 みんなさ、距離感を大事にしてるわけよ。「わたしはこのメーリングリスト
に参加してまだ日があさい。生意気なことを書いてたたかれるのは嫌だ」。

 「わたしがせっかく投稿したのに、まるっきり反応がない。こんなの嫌だ」
 「あの人とこの人は発言してるみたいだ。それに比べてわたしなんかが
発言したらどう思われるだろう」。

 毎日、投稿しているとそんな力関係がすさまじく見えてくる。
 要するにね、「日常でよく見られる力関係をネットの中においてもそのまま
実践」されてるわけです。そこで提案がある。「そんなことを続けて、
なにかが変わるんですか」。

 思い切って踏み込んでみたら、と提案したいわけ。
 ボクたちにはよくあるよね。「師匠をさしおいてわたしがこんな発言を
するのはおかしい」とか「年齢でいったらあの人が上だから、あの人が
先だ」とかね。

 これを続けていると最終的にどうなるか分かるだろうか。なにも起こらない。
 思い切って踏み込むとどうなるだろう。「恥じをかくかもしれないし、
だれかから説教されるかもしれない」。よね。だけどね、踏み込まないと
なにも変わらないのが確かにこの世でもある。

 ボクにしても「このメーリングリストにおいて新参者だし」みたいなことを
考えていたら投稿なんかできるわけがない。それでいて「オレの実力を見てくれ」
なんて口にしても意味ないでしょ。実力があるなら見せつけないとね。
 順序、序列はときに大事にすべきかもしれないが、それを大切にして
「だれもわたしの実力を分かってくれない」なんて口にすべきじゃないよ。

2011年5月10日

ショック

 ものすごくショックを受けたことがある。20代だった。ある女性から
「池田さん、あんたはね、結局、自分が傷つきたくないんよ。周りに
気をつかって、だれからも嫌われないようにって、良い顔してるだけ」って
言われてしまった。

 ボク自身にそんな考えはまるでなかった。ただ、言われてみると
「そんなところもあるのかもしれないな」なんて思った。

 この女性が言う「本当の自分」って何なんだろう。「自分の本当の気持ち」、
考えたこともなかったなー。

 「自分の考えを押し出せば共感してくれる人あれば、反発する人もある。
それは必然ってことなのかな」。「オレは周囲の人に悪く思われないよう
頑張ってる、わけか」。

 「そりゃ悪く思われるより良い人だって思われた方が良いに決まってるよね」。
 「だけどそれが自分を偽ることで成り立ってたとしたら、おかしいよね」。

 人はみんなどこか「他人に悪く思われたくない」があると思う。もう
それは本能的なものだよね。で、他人からうまい評価を得ようとすると
同調することを覚える。あまりに同調が過ぎるといつしか自分の気持ちが
分からなくなってしまう。

 するといつの日か「池田さん、あんたは周囲に同調してばかりだな、自分の
考えってものはないのかい」なんてね。

 そこでハタと思うわけだ。「はて、自分の考え」。
 ボクたちはみんな「他人に悪く思われたくない」生物だと思う。
 だけど白にくっついて白、黒にくっついて黒になってるだけだとすると、
「おまえの本当の色は何なんだ」ってことになるよね。

 最近はよく「ひく」なる言葉が使われる。「みんなひいちゃってさー」。
その言葉を発する人は「ひかれないよう生きてる」わけだ。だけどボクが指摘
されたのは「周囲がひくかどうかではなく、あんたの生き方、考え方は
どうなんだって」ことだ。

 「その結果、周囲の賛同が得られなければ、それはそれで仕方がないんじゃ
ないか」だった。逆に考えてみれば周囲の人たちみんながあなたの意見に
賛成しているとすれば、あなたは当たらずさわらず、だれの気分もそこねない
よう、無難に暮らしてる、ってことになる。それでいいのかい。

2011年5月 6日

ダブル

 20代はずっとダブルで働いていた。だから2カ所目は文句なく税金
を10%取られ、確定申告もやってた。確定申告のさいも5万円近くの
税金を払った。ダブルで入ってくると確定申告しなくてはいけない。
 20代の間は(23から)ずっと同じ歳の大卒の年収の倍以上をもらっていた。

 ただね、めちゃくちゃ働いたよ。朝は6時40分(そのころ)に家を
出て、まずは喫茶店でモーニング。ゆったりしてから職場に。
 帰宅は毎晩9時前。この上に土日休みなく働いていた。

 いくら計算しても平日自宅に10時間以上滞在することはなかった。
 睡眠、食事、風呂その他引っくるめて10時間以内だった。
 おまけに20代の間は無遅刻無欠勤。この記録は今でも続いてる。
 ダブルの職場のどちらも遅刻したこともない。

 母親とよく話すんだが、これくらい仕事をすると「お金が入る、入らない」
なる感覚そのものがぼやけてくる。働くことに疑念のわくことがまるでない。

 なにか呼吸するみたいに当たり前のことなんだ。だからだろうか、20代
のころからお金の計算をしたことがない。「いくらたまった」「今月はお金
が残る」みたいな感覚そのものが薄れてくる。土日が休みじゃないんで使う
時間もないんだ。

 こんな毎日を続けているとある変化が起こる。働くのは呼吸みたいに普通の
ことなので大事なことは「働ける環境作り」「より大きな仕事が舞い込む
下地作り」が肝心だと考えるようになった。信用、信頼も重要だ。

 「人は自分が関心のあることをやってくれる人が大好き」もだんだんに
行き着いた考えだった。その人の仕事にプラスになることをこなしていくと
「この人にも仕事をあげたい」になる。そんなふうに考えるようになった。

 だから、回り道に感じられるかもしれないが、「損して得取れ」はボクに
してみればとても当たり前な考えだ。「仕事がさせてもらえる環境作りが」
大切だからね。仕事は選ばれた人にやってくるものだとボクは考えている。
 選ばれるのも、選ぶのも人間だ。だったらどうすれば選ばれるか考え
なければいけない。

2011年5月 2日

帰属

 結局、人間って帰属する先を求めてるんだなー、なんて思う。
 きっと、一般的にはこのことになかなか気づかないんじゃないかな。

 ボクは高校生になるとき単身、京都に留学してる。15だった。
 行く前は「これからは自堕落な生活はしないぞ」と堅く誓い、自分の
持ち物に制限をつけた。ただ、始まってみるとあまりの忙しさで、
京都にいる間、とうとう一度もテレビを見ることがなかった。それまで
一日に4時間くらいテレビづけだったのにね。

 高校の同じクラスのやつらとオールナイトの映画を見に行ったことがある。
 もちろんほかのやつらは親をだまくらかして、ウソの理由を並べる。
 ボクは一人でアパート暮らしだから、もちろんだれに断るまでもない。

 そのころ深夜2時まで営業するファミリーレストランみたいなものもできた。
 たまに出かけたが(深夜)、もちろんだれにことわるまでもない。

 てなことを、高校のクラスのやつらはしっかりと見て「うらやましいなー」
なんて口にしていたが、ちょっと違うんだな。親の元で食事、風呂、その他
もろもろの世話をやってもらって、たまに抜けて遊ぶから楽しいんでね。

 一人でアパート暮らしだと、それらは全て自分でやらなくてはいけない。
 京都に行くまで、ボクはもちろん地元しか知らず、中学生だからまだ
「校区内」とか「校区外」みたいな感覚もしっかりと根付いていた。

 だから京都での生活が始まると「おい、校区はどこや」、ま、そこまで
極端じゃないが、人の群れを見ていると自分が軽いホコリかなにかになって
空中高く舞い上げられたような感覚を覚えた。

 「ここにはオレのことを知ってるやつはいない」「なにしたっていいんだ」、
人はそれをフリーと呼ぶ。だけどね、上でも書いたけどそのフリーっての、
世話してくれる人がいて、たまにそこから出るからとてもフリーを感じるん
だよね。やってみると分かるよ。

 ボクはオールナイトの映画を見たり、深夜のファミレスにも行ったけど
留学先はただの一度も休んでない。社会人扱いだったからね。その自覚もあった。
 知らないところで生きていくにはしっかりと自分が帰属する先を確保しなく
ちゃいけないんだ。後から分かったことだけど「とても忙しい状態を作ることも」、
しっかりと生きていくことにつながってると思う。