2011年4月30日

 たまにおかしいなーって思うことがあります。違和感を感じるんです。
 だれかを誘うとしますよね。その方から「いやー、その日は忙しくて、
難しいです」とか聞かされる。

 そんなことはよくあることなのですが、もう少し突っ込んで聞いてみますと
「1時間遅れでよければ参加できる」場合が意外に多いことが分かったのです。

 それを知ったときのボクの顔ときたら。とてもおもしろい表情になって
いたことでしょう。と同時に「そうだよなー、そんなもんかー」なんて
ことも感じてしまうのです。

 実は、ボクの場合、「1時間遅れで参加することは」それこそたくさんあり、
自分の気持ちとして珍しいことでも突飛なことでもなかったものですから。

 そこで改めて思い返してみました。「オレって1時間遅れを許してもらえ
なかった場合、どれだけの割合での参加になるのか」。実に8割は参加
できないことが分かったのです。恐ろしいことですねー。

 日曜日の午前11時に集合するとします。たいていボクは自宅を9時半
に出ます。バスに乗り、列車に乗り、徒歩で向かいます。ボクの場合、
徒歩で20分や30分は平気で歩けます。2時間くらいかけて向かうわけです。

 ところが、忙しい日になるとタクシー、列車、タクシーを利用します。
 すると1時間で到着できます。ただ、費用は徒歩に比べると3倍くらい
かかってしまいます。金銭的に余裕がないと難しいのですが。

 一体、なにが言いたいかって言いますとね、優先順位をきちんと決め、
場合によってはタクシーを多用し、1時間遅れで参加すれば、あなたの
行動半径はもっともっと広がるということなんです。要は頭の中の組み立て
を替えてやればいいわけです。

 いつもいつもこんなことをやっていてはお金ばかりかかって仕方ありません。
 よって「優先順位を決め」、「できるだけ間に合うよう参加」くらいに
幅を持たせると、もっともっと行動的になれるはずです。

 脳みそを柔軟にして物事を観察すれば、意外や意外、一日は24時間
ではなく、40時間くらいにふくれあがるということなのです。ね、便利でしょ

2011年4月27日

カチッ

 人はね、カチッとしていなくちゃいけないんだ。カチッと。
 5年くらい前のことになるかな。ある人に「今度、呑みに行きましょうよ」。

 「あーええよ、で、いつにする」。やおら辞典のようなものを取り出して
都合を確認する。行動予定表である。空いているのは二カ月後しかなく、
「それでは二カ月後の何日」と約束した。

 だが、当日が迫ってくるうちにこっちは心配になってくる。
 「あの人、ホントに覚えているのかな」。「そろそろ携帯に電話して
覚えていますかって確認しなくちゃいけないかな」、なんて思った。

 だが、確認の電話はしなかった。日ごろはいつもするのだが、このときは
「このまま突っ込んできちんと実行されるか様子を見てみよう」なんて思った。

 よって、約束した日から一度も連絡せずに当日を迎えた。
 約束の場所に時間どおりに現れた。当然と言えば当然だが、ボクは内心
「あっぱれ」と思った。

 そして仕事をするならこんな人と、なんて思った。
 ボクは日ごろ、いつも約束すると一週間くらい前にチェックの電話を入れる。
 「いついつですが、都合はよろしいですか」、確認の電話を入れる。

 これに救われたことも何度もある。確認すると「いや、ほかの用事が入って」
なんてことが、たまにだが起こる。確認して良かったと思う瞬間だ。

 実は約束というのは人によって重さが違う。ボクは前に飲食店に行ったとき
「あー池田さん、あの人、予約してるんだけど、来ないのよ、どうしたん
だろう」って聞かされ、電話すると「あー行くのやめた」だった。
 店の人にキャンセルの電話もなにもしてない。
 こんな人とは怖くて仕事できないな、なんて思った。

 だから約束は人により重さが違うけど、より厳しい方に合わせることが大切だ。
 そして約束したらカチッと音がするくらいでちょうどいいと思う。
 この世は全て約束で成り立ってる。列車だって時間どおりに来る約束で
できてる。約束はカチッと音がするくらいにしっかりとやろう。

2011年4月26日

大災害

 ゆうべチャリティーの打ち合わせをおこなった。
 冒頭、「なぜ、チャリティーをするのか」、聞かれた。
 ふと思った。

 そういえば不思議なことだ。だってさ、たった一カ月前までそんなこと、
思いもよらなかったもの。ボクはこれまでチャリティーめいたものを
やったことがない。寄付すらしたことがあったかなかったか。

 町内会では会費を収めると「赤い羽根」が回覧板にたくさん取り付けて
あり、それぞれが取り出すことになっていた。それを見て「はー、募金
が集められているんだなー」なんてことをぼんやり考えたことがある。
 一般の人ってこんな感じだろう。

 積極的になにかをすることはないが、取られる分には「まー募金だし、
悪いことじゃないんだし」くらいの感覚。ボクがそうだった。

 自宅が流されるってどんな気持ちだろう。残念ながらボクには「自宅が
かけがえのない存在」という気持ち、感覚がない。世の中にはそれまで
自分が乗っていた車を売るだけで涙ぐむ人だっている。

 ボクは自分の車を売ったとき「はーこれで故障から解放される」とは思ったが、
愛車とかそんな感覚はまるでわいてこなかった。
 だが、車だってときにスーパーで小さな傷が(ほかの車の出入りによって)
つけられていたりして、だけどそれだけでもすごくショック。事故を起こせば
もっとショックだろう。

 車でこれなのにわが家が流されたらショックなんてもんじゃないだろう。
大災害は他人事じゃないと思うよ。いつ襲われるか分からないんだから。

 ボクは東北地方に友達とか親戚がいるわけじゃないんだ。だけどね、
そこで苦しんでいる人たちがいることは確かなんだ。できることがなにか
あれば、って思うよね。そう思った人から動くことが大切なんじゃないかな。

 動いて、それに感化されて動く人が出てくることを期待する。が、今回
ボクがチャリティーをおこなう主な要因だ。みんなさ、自宅が流される、
って想像すらしたことないでしょ。ショックなんてもんじゃないと思うよ。
 今回の大災害でボクにもきっかけが訪れたってことかな

2011年4月25日

1をきいて

 「1を聞いて10を知る」、聞いたことがあるだろうか。この言葉は
本来、学校などの現場で基礎を教えてもらえば、あとの組み立ては
自動でやれる、そんなところだろう。優秀な人を形容するときに使う。

 が、社会人になったら絶対にこっちだ。
 相手が求めるものを察知する能力、だ。

 ボクは高校生になるとき単身、京都に留学した。留学先の先生が
何度も何度も口にした言葉がある。「池田君、人がカバンを持っていたら
すぐに持ってあげる。灰皿と聞いたらマッチが一緒やで」。「気働き、
いうてな、言われんでもすぐにやるんや」。
 ってなことを思い出させてくれたんだから、先日の出来事は良かったのかもね。

 ある仕事を依頼したんだが、途中、肝心なものを忘れていたと取りに帰られた。
 一般の会社だったら「その二度手間の分、給料は払わないぞ」とか言われる。

 ボクはビールが20本を切ったらすかさず買いに行く。だから「あちゃー、
品切れだ」なんてことは一度もない。必要なものは補充しておくのが当たり前だ。

 ビールに関して言えばこうだ。
 残り少なくなってから店に出向いても、しまっていたりするかもしれないし、
買いに行く時間がなくなってしまうかもしれない。だから少し余分に見て
行動する。こんな癖をつけておけば「あ、忘れた」なんて起きない。

 ガス欠をやらかす人は何度も何度もやらかす。車のガソリンがなくなり、
仲間に助けを頼んだり、どこかに電話していたりする。高速道路で救助
を求めると少なくとも3万円は取られるそうだ。どうってことない理由で
3万円が吹っ飛ぶわけだ。危険だしね。

 「ガソリンは少なくしておくのがエコね」なんてバカ言ってないで、
そういう傾向のある人はきちんと補充しておくべきだ。危険だから。
 「1を聞いて10を知る」。本当に頭の良い人というのはこういう人の
ことを言うのだ。

2011年4月22日

一人だけ

 よくボクはいろんな人たちから「池田さんの行動原理が分からない」と
聞かされる。ボク自身は単純だと思うんだけどなー。
 それはね、「自分一人だけ浮かばれることはない」ってことなんだ。
 たった一つ、それがあるだけなんだよ。

 大きく言うと地域がある。地域がとても貧しく、ひっきりなしに盗難が
発生すれば、あなたが住んでる自宅だって塀を高くし鉄条網を張り巡らせ、
電気を流して撃退することを考えるはずだ。
 だが、それって幸福な景色じゃないよね。

 自営業をやってるとさ、自薦はだれも認めてくれないことを嫌ってほど
思い知らされるんだ。「わたくしは信用できます」「信頼してください」
「約束は守ります」って、自分が口にすることはできるが、やってみれば
分かるが、だれもそんな言葉を信用しないんだ。

 なら、なにが重要か。他薦だろう。
 「あいつは信用できます」「信頼できます」なら信じてもらえるんだ。
 だったら、自分の周囲の人たちに信頼していただけるよう動かなければ
いけないよね。その人たちが周りに伝えてくれるんだから。

 要するに、「人はみんな自分がかわいい。で、そのような動きを取る。
だが、えてしてそれは通用しない」ってことなんだ。

 信頼は日ごろの努力の積み重ね。やはりそれができるかどうかが問われて
るんじゃないかな。そして、自分くらいは「あいつを信用してください」
にならなければいけない。
 「やってくれたら、少しお返しする」なんてやってるからいけないんだ。

 自営業の一番問題なのは「仕事は頑張ってやります、ただ、その仕事が
自分に回ってこないんです」って状態だ。だから、お互いに「あいつは
信頼できます。だから仕事を回してやってください」でいかなきゃいけない。
 そのためには、そもそも信頼される毎日を送らなければいけないことは
確かだけどね。

2011年4月19日

オール

 少し前まで「オール電化」がすごくもてはやされていた。分かった
ことだが、家庭の中、全てを電化してしまおうというわけ。
 深夜の電力は格安なのでここで発電し、ため、いろんなことに使おうと
いうわけだ。それはそれで良かったのだが。

 今、こうして原発事故が起こってしまうと、なんていうかメッキが
はがれたというか、真実の姿がかいま見えた気がする。

 電化自体は悪くもないのだが、停電になったり、計画停電が行われると
困ったことになる。まず一番困るのは「停電になればほぼ全ての機能が
失われる」ということだ。ひょっとしたら、最新のマンションでは自宅
に入ることすら困難かもしれない。エレベーターにとじこめられたり。(こちらは
現実に起きている)。

 ここで何が一番問題か分かるだろうか。
 それは動力の獲得を一つに絞ってる点だ。
 オール電化はやはり大変危険な選択だったわけだ。

 ボクは今回の大震災が起こってからいろんな空想をしてる。「もし、ここで
大震災が起こったら」、と。「庭があるから穴を掘ってトイレにしよう」。

 「近くに水がわき出してるところはないだろうか」と。
 水は歩いて行ける距離じゃないと困るだろう。残念ながら直線距離で3キロ
はある。

 今回、水は出るようになっても下水管が壊れたところもある。
 水は出るが流せないわけだ。洗剤を使わずに庭の草木に流してるそうだが。

 昔の農家じゃないが、一つのお宅で全てを完結させるシステムが災害時
には求められるわけだ。ボクの知ってる農家は山からわき水がひいてあり、
裏庭をとうとうと流れていた。野菜も植えてるから当分はしのげる。

 近代化、高度なシステム、が今回、根っこのところから崩れ去った気がする。
 まさか停電で自宅に入れない事態が発生するなどまるでジョークだ。
 この、現代の近代化された世の中で原始的なメカニズムを空想せずに
いられないとは、なんと皮肉な話だろうか。

2011年4月14日

サバイバル

 なにか、今、電気は「必要かどうか」っていう踏み絵みたいになってきたな。
 計画停電に計画的避難。どちらも聞いたこともないような言葉が踊ってる。
 分かったことだが原発の事故により電気の供給に問題が生じたからだ。

 もうね、これからはサバイバルの時代になっていくんじゃないかな。
 「どうすれば電気を使わずに生活できるか」が主題になっていくことだろう。

 突然、話は飛ぶのだが。うちの父親は「車に乗れるのが快適な、裕福な
証し」だととらえてる面があるみたいだ。だから「車にも乗れないなんて」
みたいな表現がときに顔をのぞかせる。

 だけど、反面、「車はガソリンも消費するし、おかしなガスもたくさん排出
する」とも言えるわけだよね。父親に向かってこんな言葉を突き付ける
ことはしないけどさ、電気というのもある意味、そんなものなんじゃないかな。

 「電気ってとても便利、クーラーに照明に、なければ一時間だって過ごせや
しない」と考える人が大半なんだ。一カ月ばかり前まではだれもそのことにも
気づかなかったわけだよね。

 電気があって便利、にも気づかなかったわけ。
 だけど「危険を取るか安全を取るか」なんて話になってるわけでさ。
 考えを軌道修正する良い時期かもしれないね。

 これからは電気がなくてつまらない生活、じゃなく「電気がない生活って
とてもチャレンジングなことだ」くらいの発想で行くべきじゃないかな。

 かなり前のことだけどさ。木製の遊具をたくさん設置し、入場料を
取って遊ばせてくれるところがおおいに流行した。野外でさ、木製の
遊具につかまったり、ぶら下がったりして遊ぶわけ。もちろん入場料を払って。

 あれ、今、考えるととてもムダだよね。「金、払ってまでそんなこと
することないだろ」ってわけで。「山ん中に行けよ、いくらでもできるぜ」だ。
 ボクはこういう発想の転換が必要だと思うわけ。

 「首に巻くだけでひんやりとする優れもの」というものがある。あれ、
今年の夏にはやるんじゃないかなと思ってる。サバイバルグッズの競い合い
なんて起きるかもしれない。
 電気がない生活を「暑くてたまらない、ひどくみじめだ」そんな面から見る
のではなく「こんなサバイバルグッズを見つけた。あんたもやってみたら」
でいくべきじゃないかな。

2011年4月13日

なにげない

 「なにげない動作」ってあるよね。無意識にやってしまう動作、しぐさが。
 注意しなくちゃいけない。

 かなり前のことだが、NTTの支店長と仲良くなり、たまにお邪魔していた。
 訪問するとコーヒーとかお茶を出してくれる。

 支店長の話でよく覚えているのは。
 「ざぶとんにはオモテとウラがある」とか「お茶を出すときはフタと
下の絵柄を合わせて」とかだった。結局、細かいところに気づくようになれ、
ってことかな。

 ボクが高校生のころ、いつも出入りしていた教室でのこと。いつもなにげなく
クリップを外していた。すると、ある日、「もう我慢できん」といった
感じで「池田君、クリップは外さず、くっつけておいてくれ」と言われた。

 ハッと気づいたボクはそれからはきちんと気をつけるようになった。

 また別の人からもボクが掃除していて「輪ゴムもクリップも」チリトリに
入れてしまうものだから、だが口にはせず「お、池田君、ええもの見つけた」
みたいな感じでゴミの中から「輪ゴムとクリップ」を取り出してさも得をした、
そんな顔をされた。

 そのときもボクは気づいてそれからはゴミの中からクリップと輪ゴムは
取り除くようになった。
 こういうことって無造作にやられるとイラッとくるよね。
 「もうっ、なんで」って。注意したい。

 さて。
 支店長室に戻るか。

 支店長室であるときコーヒーがだされた。コーヒーカップにクリームと砂糖が
乗っかってた。入れてスプーンでかきまぜ、そのときボクはいつもの癖で
そのスプーンをなめてしまったんだ。いつも自宅とか自分の事務所では
やってた無意識の動作だ。ハッと気づいて顔が真っ赤になる思いだった。

 それからは自宅でも自分ちの事務所でもスプーンをなめるのはやめる
ことにした。日ごろやってるから、ついやるわけでね。
 あなたはゴミの中からお宝をきちんとよりわけているだろうか。
 無造作にやっていると「あの人、エチケットがない」なんて思われる
から、要注意だよ

2011年4月 8日

臭いものには

 二カ月ばかり前、テレビでこんな企画が。「わけあり物件の紹介」だった。
 ぼんやりと見ていると「すぐそばに墓地のあるマンション」が紹介
されていた。激安ということだった。

 同じ番組で「海のすぐそばにあるマンション、だけど視界をさえぎるように
建つマンション」の物件紹介もあった。
 「ハハー、こういうのはみなわけありなのかー」なんて思ったね。

 グアムに旅行したときのことだ。ガイドの女性がさりげなく「ここには
世界最大の基地があります。もし戦争が起こったらこの島は跡形もなく
なってしまうでしょう」(本当の話です)なんて聞かせてくれた。
 ボクの地元にも基地があるから聞いていて心底恐怖した。

 また、ドイツからルーマニアに旅行したときのことだ。バスで入ったが、
国境に向かうにしたがって山がひどくなる。およそ山のてっぺんあたりに
国境がある。ボクはそこで激しく理解した。

 ボクが中学生だったころ、ドイツに関する書物をたくさん読んできた。ドイツが
戦争を始めるとき、戦車を大終結させるのだが、こうした国境の町の中、森の中に
戦車を隠しておいたのだろうと理解できた。
 国境から戦争は始まる。具体的な国境を持たない日本人にはなかなか理解が
難しいだろう。

 国境から戦争が始まる。「なら、ここに暮らす人たちはその瞬間、逃げ
まどうことになるんだな」なんて思った。

 今回、原発が制御不能となり、首都東京も大混乱している。だが、初めて
の脅威だったかもしれない。ボクは今回のことを踏まえて「東京に原発を、
という本がありましてね、あれを読み返してみるべきですよ」とお話しさせて
いただいている。広瀬隆さんという方の書いた本だ。

 「便利を受け取るなら、義務が発生する」を分かりやすく書いた本と
いえばいいかな。東京に原発があればさぞかし便利だろう。今ではもはや
ブラックジョークになってしまうのだが。

 これはね、「そのように考えて、とらえてみれば、コトの本質がよく
理解できますよ」をだれにでも分かるように、ってことなんだ。
 今回の原発の事故ではどこにも逃げられない現実を、みんなが理解
しただろう。「格安物件、激安物件」の大きな腕はだれのところにも
等しく振り下ろされることが判明した。それはそれで良かったんじゃないかな。

2011年4月 6日

反応

 メールをする。どれくらいで返信があるだろうか。早い人に遅い人、
中には必ず翌日になる人もいる。電話でも同様だ。返信の早い人と遅い
人がいる。

 昨日、ある用事があって手紙を送った。定形のものは買いおきが
あるからいいが、郵送料がいくらかかるか分からないものは出向く必要があり
めんどうだ。だが、早く片付けてしまおうと出向いた。
 郵送したことをメールもした。

 返信の早い人は途中の細々とした報告が、きっと必要な人だと、そんな
ふうに感じてる。返信の遅い人は、結論だけ聞かせてもらえばそれで十分な
人かもしれない。

 ボクの意識の中でも返信の遅い人に対しては手紙を郵送したり、メールの
返信をするのをとてもゆっくりとおこなう。ゆっくりで許されるというか、
そんなところだ。
 人にはそれぞれ返信においても癖みたいなものがあるということだ。

 ボクが高校生のとき、留学先の先生からよく聞かされた話がある。それは。
 「人は十人十色だから、人はみんなそれぞれ違う。対応を替えなければ
いけない」だった。この話だけは繰り返し聞かされたからよく覚えてる。

 せっかちな人に対しては返信でも郵送でもやはりせっかちにしなければ
ならない。のんびりした人には、あえてゆっくりすることが求められる。
 「あの人はとにかくせっかちだから、嫌になっちゃう」というのは、
自分が相手を観察しての言葉だ。自分を主人公にしちゃーいけない。
 相手がそうなんだから、そうすべきだ。

 この、返信の早さはその人とどのように仕事を進めていくかにも大きく
関係してくると考えている。「いい具合にやっときましたから」が良い
人と、「このようにしたいんですが、どうですかね」が良い人もいる。

 メールに対する返信の早さでそれらを判断してもいいのではないかと
考えている。逆に。せっかちな人に対して結論ありきの人がゆっくりと
した行動を取ると「あいつは遅くて困る」みたいな評価がなされてしまう。

 何事ものんびりの人はよくよく相手を観察し、せっかちな人に対しては
性急に進める必要ありと考えた方がいい。というか、自分の中にしっかりと
期限の意識を持つ、でいいな。早く済ませるとそれだけで評価の上がる
相手がいるからね。

2011年4月 5日

視野

 知り合いがよく「ハッチャじゃねー、ハッチャはいけんよ」なんて
口にする。ハッチャの後に「所帯」が続く。
 この言葉は言葉よりもその意味するところがとても大きいと思う。
 ボクなりにこの言葉を解釈して意味するところを書いてみようと思う。

 お金持ちのお宅を訪問する。すると必ず違和感を感じる。玄関先に
大きな中国の置物などがあったりする。あれを見ると「変だなー」って思う。

 なにが変なのかすぐには分からない。しばらくするとわが家の玄関先に
そんなものがあっても「通行の邪魔」でしかないことに気づく。
 あの、大きな邸宅だからこそ、そんなものが買えるというか置けるというか。

 お金持ちのお宅をお邪魔して必ず感じるのは「一つ一つがとても高い品物」
が多いということだ。茶碗や小物など見たこともないような高価な品が室内を
満たしている。

 で、「どれもこれも高いものばかりですね」なんて感想を述べると
「いやー、安いですよ」って。靴なども10万円するそうだが、
「それでも安い」らしい。ただ、茶碗や靴も長持ちするらしく、いわゆる
ランニングコストで考えると「かえって安く」なってるということらしい。
 ここらあたりがボクたちとは全く違うと感じるところだ。

 確かにボクたちは「一つ一つの安さ」にひかれるが、長持ちもしないので、
長持ちさせないので、かえって高くついてる面がある。

 ボクたちは、つい「5000円の靴が2200円で売ってた」ところに
ひかれ、買ってしまっていないだろうか。しばらく使っていると「やはり
やすもん(安物)じゃけー、すぐダメになる」なんて口にして処分したりする。

 要するにお金がたくさんあるなしの問題じゃなく、長期の視点に立って
行動しているかどうか、だ。
 「安物買いの銭失い」なる言葉も同様だろうと思う。

 「とにかく高いものを買えばいい」わけではなく、長い視点に立って
行動できるかどうかが問われている。と思うんだ。
 これをそのまま当てはめる必要もないと思うが、ときには長期の視点に
立って動いてみることもとても大切だと思う。

2011年4月 4日

財布

 母親がよく「財布の底が見えるような暮らしをしんさんな」って口にする。
 「財布の底が見えるような暮らし」というのはこんなことだ。

 「今、月末じゃけー、今のうちに買っておかないと、来月はじめになったら
お金がないから、そしたら買えんようになる」だ。
 月末になると決まって「お金を貸して」とねだる人も同様だろう。

 母親は「一カ月、サイクルを持ち越せばそんなことをせずに済む」と
聞かせてくれる。当然だな。「とにかく一カ月、我慢すれば次の月からは
余裕を持って生活できる」はずだ。

 ただ、これらの人たちはその一カ月の我慢が難しいから、そのような結果
になっているんだろう。サイクルが正循環しないというか、マイナスのサイクル
に陥っているというか。

 この手の人たちはたとえ一カ月、うまく我慢できたとしても、しばらくすると
決まって元のサイクルに戻ってしまうものだ。

 たまに友人に聞いてみる。
 「財布にお金をどれくらい入れておくか」。

 すると「全く入れない。入れると必ず使ってしまうんだ」って口にする人が
意外に多い。「常にない、ないって思っているから、飢餓状態になってる
のかもしれんな。あるとすぐなくなってしまうんだ」。この手の人はお金
をためる、大金を作ることは難しいだろう。

 お金は「あっても使わない」のが当たり前だ。あればあるだけ使ってしまう
というのは「財布に穴があいてるような」ものだ。たまるわけない。

 お金は、「ある範囲で使う」が正解だ。「臨時収入があったからたくさん
使う」とか「欲しかったものを買う」はおかしい。
 そんなだから、「入ったら、それを使う」になってしまう。
 財布の底が見えるというより、財布がお金が通過する場所になってるわけだ。

 人はお金をたくさんためることはできなくても、財布の底が見えないよう
生活することはできるはずだ。なんのことはない、ゆとりをもって生活
するというだけだから。そのゆとりが安定した考えを身につけさせ、
長期的な視野を獲得する源泉になっていくと思うのだが。