2011年2月28日

甘い

 前に高校の同僚でおもしろい先生がいた。
 「あの人は自分に甘いからなー」。
 もう少しその話を突っ込んで聞いてみると。

 「世の中には自分に厳しい人、自分に甘い人、他人に厳しい人、他人に
甘い人」がいるそうだ。かもしれないね。

 「自分に厳しい人」ってよく言われるストイックってやつ。
 「他人に厳しい人」は自分はさておき、他人に対して要求の大きな人と
いうことになるかな。

 「自分に甘く、他人に厳しい」人だとかなり辛いものがあるね。
 自分は約束その他守らず、ただ他人に対しては厳しくその実行を求める。

 「自分に厳しく、他人に甘い」もある。ただ、これはストレスがたまって
るんじゃないだろうか。他人は許し、自分は許さない。こんな人は意外に
たくさんいる。ストレスがたまって病気になる人ってこんな人じゃないかな。
 その先生による解説では人はみんなこの組み合わせで生きてることになる。

 それでは
 「自分に甘く、他人に甘い」だとどうなるか。
 きっと「あの人は仕事ができない」になるはずだ。「下に甘いからなー」とか
言われてしまう。

 「自分に厳しく、他人に厳しい人」はどうだろう。
 「あの人はとにかく真剣過ぎるんだよ、付き合いきれない」になるのかな。
 「一緒にいるとくたびれて仕方がない」とか。
 ま、これらは配合の問題かもしれないね。

 ボクはどうだろう。多分「自分に甘く、他人にも甘い」だろうか。
 これらはきっと混ざりあって明確な区別はできないだろう。

 たまにはこれらの区別に当てはめて反省したり、入れ替えたりして
みてもいいかもしれない。これらはとにかく配合の問題だと思う。
 完全なる「自分に甘く、他人に厳しい人」というのは存在しないと思う。
 どこまでその配色を替えていくかだね。

2011年2月25日

反応

 ボクたちは実はレーダーみたいなものじゃないかな。探査してこの世を
渡っていかなくてはいけない。

 ボクはよくハガキを出すがそれに対する返信は10分の1くらいかな。
 10枚出して返信が1枚。「お金のムダだって」思うかな。ボクも当初は
そのように考えていたが、今は違う。

 ボクは20代のころから盛んに酒席を用意していた。酒席をするという
ことはだれかを誘うということになるが、しばらくすると「今度は相手が
誘ってくるべきだろう」と考えるようになる。だが、いくら待てどもそんなことは
起きない。そのころボクは一人でカッカしていたな。

 「失礼なやつだなー」とか「誘われたら誘うべきだろ」みたいなことを
よく考えた。ハガキについても当初はそうだった気がする。
 ここにはイコールの考えが横たわってると思う。周囲と自分がイコール。

 では、今はどのように考えているか。
 なんていうか、決定権は相手に渡してしまってるんだ。相手がどのように
反応するかはボクには関係ないっていう感じだ。ボクはレーダーを発射した。

 反応する人もいればしない人もいる。ここで重要なのは「反応する人と
反応しない人とが」はっきりすること。それだけで十分じゃないかと考えてる。

 ボクたちはいろんなことに対して「元を取りたい意識」が強すぎるのでは
ないかと思う。「就職するためにこの資格、就職するためにこの学校」そんな
意識が強すぎる。ボクは19の歳から株式投資をやっているが、投資の世界では
見える結果なんて追いかけはしない。見えない結果ばかり追いかけるんだ。

 株でさ、「この株が上がります、だから買いましょう」なんてあるはずがない。
ありえるはずがない。投資の実情は「この分野は伸びるかも」くらいなものだ。

 自分が打った手が全て評価されなくてはならない、なんてのはおかしな
考え方だ。今、評価されないことはなにもしないことになるからね。

 ただちに評価されることと評価されないことを同時にこなすくらいで
いいんじゃないかな。「すぐに返ってくること「「そのうち返ってくること」
「いつか返ってくること」くらいに分けて考えるといい。

2011年2月24日

平日

 以前のことになるがNTTの支店長さんと話をさせていただくことがあった。
 前向きな人と話していると感化されるのだろうか、「よし、わたくしも
短時間睡眠にチャレンジしてみます」、そんな言葉を発する自分がいた。

 一日5時間睡眠でいくことにした。
 支店長によると「短時間睡眠にして余った時間はなんでも好きなことを
やってみたらいい。時間の広がりを感じるから」ってことだった。

 ただ、2週間ほど経ったころ、異変が起こった。「このところあまり寝て
ないから。明日はゆっくり寝よう」、なんて思い床についたが、翌朝とても
驚いた。10時間近く寝ていた。

 このときつくづく感じるところがあった。
 「寝てない、寝てないっていう意識が、ある日大きく出ちゃうみたいだ。
これじゃ意味がない」と。

 それから2・3年して短時間睡眠は可能になった。短時間とは6時間
くらいかな。短時間睡眠を目的にするのではなく、「早起きしてもやりたいこと」
を見つけることだった。

 ボクは徹夜というものをしたことがない。徹夜も上記の理由でやらないこと
にしてる。徹夜の穴埋めをするためにほかの日にしわ寄せが来れば同じこと
だと思うから。ただ、ボクのように徹夜をやらないと決めてやれる人ばかり
じゃないだろうが。

 短時間睡眠も徹夜もたまにやってみてはどうだろうかと思う。
 ボクも今ならひょっとしてやれるかもしれない。やってみて自分なりに
「能率が上がらない」「上がる」などと検証してみることが大切だと思う。
 意外なほど大きくの人が実践してみもしないで「わたしはそういうの、
ダメなんです」と断言される。そうだろうか。

 思い込みで自分のことを決めつけてるところはないだろうか。とても
もったいないことだと思う。ただ、結果はちまたで話題にのぼるような
結論に至ることが多いと思う。それではあっても「自分ってこんな体質
なんだな」と分かることはとても意味のあることだと思うんだ。

2011年2月21日

フレンドリー

 あれほど明確に感じたことはこれまでなかった。
 広島の繁華街に出かけたときのこと。通りを歩いていると道行く人に
道を尋ねられた。「いや、こっちが探してるんですけど」。
 そんなことが何度も続くようになった。

 それから観光地などに行くと「シャッターを押してもらえませんか」、
知らない人から頼まれることがやたらと多くなった。実に不思議な気分。
 つくづく思った。「こんなことってこれまでなかったよなー」。

 ある日を境に社会がボクに対してフレンドリーになった瞬間だった。
 そして、たまにそのことを人に話して聞かせるようにもなった。

 話すうちにあることに気づく。
 「あ、社会がオレにフレンドリーになったんじゃなくて、オレの態度が
変わったってことなのか」と。

 その前は「池田さんは寡黙で怖い」とか「顔が能面みたいで表情が分からない」
とかよく聞かされていた。ボクは自分では「また、あんなこと言ってらー、
顔なんかどうだっていいんだよ」、いつもそんな気分で聞いていた。

 分かってみるとほかにもいろいろ変化があった。
 他人からガツンと言われることも多くなった。実に不思議だ。

 あなたは知らない人から道を聞かれますか。シャッターを押すよう頼まれますか。
 ガツンと言われますか。
 こっちが素直な態度になると社会も受け入れてくれるのかもしれませんね。

 ボク自身のことで言うと「オレはオレだ」という感覚がとても強かった気が
します。自分の中では「こっちが少し引っ込むと相手が強く出てくるようになる」
そんな感覚でした。

 空手に「押推」(おす)って言葉があります。ボクは空手を習ったことは
ないのですが。このおすというのは「押したり引いたり」だと分かります。
 自分が押せば相手は少し引っ込む。こちらが引っ込めば相手が少し強く
押してくる。そういうことなのだと納得がいきました。
 「おす」って漢字に変換できません。これで合ってたっけ。

2011年2月18日

考え方

 底辺にある考え方はすさまじい意味合いを持つことがある。今日はそんな話を
してみたい。

 ボクの同級生にこんなやつがいた。「たまには呑みにこいや」と言うので
彼んちにでかけた。何回かそんなことがあったが、彼はいつも浴びるように酒を
呑んでいた。ウオッカなどのきつい酒ばかりだ。
 一晩でウオッカの瓶がほとんど空になった。

 そして次から次から紫煙(タバコのこと)をくゆらせ、部屋の中はモウモウ
と煙っていた。ボクは何度か「おい、ええかげんにせーよ、身体に悪いって、
タバコに酒に、絶対悪いって」、そんなことを口にした。

 だが、彼は聞いているのかいないのか、一向にそれらのことをやめようとは
しなかった。ボクは内心「すごいストレスをかかえとるんやなー、言うた
ってムダかー」なんてよく思った。

 その彼、それからしばらくして「結石」ができ、とたんの苦しみを抱える。
 結石は二度、できた。

 彼 「結石いうんはすさまじい痛みでなー、横になることもできんのや、
エビみたいに身体をゆがめてな、起きてることも寝ることもできんで
痛くて痛くてたまらんのやで」。

 「薬で石を壊して尿道を通すんやけど、通るときいつもあぶら汗、タラタラ
流してな、石がどこ、通るか分かるほど痛いんやで」。
 聞いてるだけでこっちの具合も悪くなりそうだった。

 その彼、今、どうしてると思います。なんと、酒もタバコもやめました。
 それほど結石の痛みがすさまじかったんだろうと思います。

 人間にとってストレスとか考え方がどれほど身体に直接的に影響を
与えるか、つくづく思い知らされました。あなたの考えは実は身体にも影響
を与えてます。悪い考えを持てば身体もおかしくなるんです。
 ひょっとすると身体とは頭の中にある考えとかいろんなものが具体的に
外に現れているのかもしれませんね。
 身体の健康の前に心の健康を考えるべきなのです。簡単じゃないとは思うけど。

2011年2月17日

言葉

 かなり前のことになる。中学のときの同級生から電話がかかってきた。
 「なつかしいなー」と思いながら話していた。ただ、話していてだんだんと
違和感が芽生えてきた。

 相手の同級生は「おい、オマエ」とか「まだ元気でやってんのか」、
そんな言葉が連発される。それを聞いてボクの頭の中では「同級生だから
当然だよな」と思いつつも、相手に向かって同級生らしい言葉が全く出て
こないことに気づいた。

 「あれっ、おかしいな」。
 ボクの言葉の末尾はみんな「ですからね」とか「でしょう」で、自分の
言葉を聞いて自分でもおかしいなと感じた。「おいおい、相手は同級生
なんだぜ」。
 そんな感じでかみ合わなかった。印象に残る出来事だったな。

 ボクは22・3のころだったと思うが「これからはだれにでも通用する
話し方に統一しよう」と決めたんだ。確かにそれまでは同級生が使ってる
ような言葉だった。だけど、この世はいろんな年代が混在している。
 であれば、だれにでも通用する方がよほど便利というものだ。

 ただ、同級生相手であれば「なれなれしい話し方」も良いとは思うのだが。
 言葉はとても不思議なものだと思う。粗野な話し方をしていると自分の気持ち
そのものも粗野になってくる気がする。ていねいな話し方に努めれば
気持ちまで穏やかになってくる。

 そこから分かることは「ていねいな生きざまにしたければ」まず言葉を
改善する方が先決だということになる。そして、社会というものはいろんな
年代が混在しているから「だれにでも通用する言葉」を用いる方が結局、
頭を使わなくて済むことになる。

 「なりたい自分」があるとするなら、まず言葉をそっちに動かすことが
先決だと思う。態度より言葉が先だ。
 なんていうか、人間って乱暴な言葉を使いながら穏やかな動作を取る
ことは難しいみたいだ。

2011年2月16日

素直

 やっぱり人間、素直が大切だと思う。
 素直さって物事に取り組むときの姿勢につながるじゃないですか。
 そうして考えてみると恐ろしい側面もあるね。

 あれは携帯電話を所有してすぐのことだった。
 かかってきた人から「池田君、君ねー、そのモシモシっての、やめないか。
なんで(ハイ、池田です)って出られないのか」と言われた。

 自分では全く気づいてなかった。
 「えっ、オレってモシモシなんて言ってたっけ」。

 意識するようになると一般の電話にしても「モシモシ、池田ですが」なんて
口にしていた。電話の応答について意識することがなかったんだな。
 それからはただちに一般の電話にせよ、携帯電話にせよ「はい、池田ですが」
で通すことにした。

 ボクはそのあたりにこだわりは見当たらない。良いと思ったらすぐにそっちに
移動してしまう。

 二つの問題点がある。
 一つは「意識しないことは決して改善されない」。
 一つは「良いと思ってもグダグダと言い訳ばかり思いつきそっちに移動しない」。
 人は他人に対して指摘めいたことはあまりしないと思う。

 ボクも「あーあの人、損してるなー、あんな言い方しなければいいのに」と
思うことがある。だけど「ま、その人がそれで良いんだから、かまわないよね」、
そんなふうに考え指摘しないことがほとんどだ。

 そして、指摘されても「いや、これはオレの流儀ですから」なんて言い訳
ばかり思いつき、ついそんな言動をしてしまいがちだ。極端になると「オレの
ことはほっといてくれ」になりかねない。

 これは社会との向き合い方とも関係あるみたいだ。実は携帯電話の一件
までボクは他人から指摘を受けることがほとんどなかった。心がかたくな
になっていて指摘する気も(周囲が)起きなかったのかもしれない。
 「オレは指摘は聞くよ、受け入れるよ」。ぜひ、そんな一面も持って
もらいたいものだ。それが素直ってことだよね

2011年2月10日

役に立つ

 ボクはよく「池田さん、それをやってなんの役に立つんですか」とか
「それをやってなんの得があるんですか」みたいなことを尋ねられる。
 尋ねた人の気持ちの中が透けて見えるようでおもしろい。

 ボクはやっていることと目的がつながってなくてもいいのではないかと
考えている。そんなもん、たくさんやればつながるものもあるだろう。
 この世では結論の分かることはたいていたいした果実は得られない。

 「これをすればこうなって、こうなるからああなる」。推論して結論が
読めるものはたいした収穫がないのはだれしも分かっているだろう。

 ボクは19の歳から株式投資を始めたが、株も分かりにくい世界だ。
 「一番売上が高くて一番儲かってる会社の株」を買ってもうまくいく
とは限らない。いな、この場合、往々にして損することが多い。

 株の世界でいう「織り込み済み」というやつで、自分が買った時点で
かなり高くなっており、高値づかみになってることも多い。

 意外に儲かるのがベンチャー企業でなにをやっているのかよく分からない
が大化けすることもある。問題なのは「ベンチャー企業」であれば儲かる
わけではないということ。

 たくさんあるベンチャー企業の中でまぐれ当たりでそういう株に出会う
こともある。どのベンチャー企業がこれから隆盛していくのかだれにも
分かりかねるところがある。ってことを株式投資では繰り返してきた。
 これらがボクの発想の根っこになってることは確かだ。

 それから「まかぬタネは生えん」(まかないタネは生えない)。
 なにか行動を起こすから発芽することがある。やはりタネはまかなければ
発芽はありえない。樹木を見ているといつも不思議に思う。何千、何万の
タネをばらまく。結果として発芽に至るのはほんのわずか。

 どのタネが発芽するか分からず、むやみやたらと放出してる。
 樹木に比べればボクたちの行動なんてたかが知れてるだろう。あれくらい
たくさん放出して結果を待つ姿勢があれば、なんでもうまくいくんじゃないか。
 そう思うよ。

2011年2月 9日

遊ぶ

 あなたは自由に遊んでいるだろうか。できてないと思う。
 ボクはスキーがむちゃくちゃ好きで、よく出かけてきた。あれは芸北
のユートピアサイオトというスキー場でのこと。コース上にはあまり雪
がなかった。ふと見るとリフトの下を外国人が滑っていた。リフトの下はだれも
滑らないからそのまま雪が残されている。

 「こりゃいいや」と思いリフトの下を滑ることにした。するとすぐに放送で
「スキーヤーの方にお願いします、リフトの下は危険ですので滑らないでください」。

 ボクはスキーで遊んでる気分だったけど、なんていうか、コースを設定
されてそこをせっせと滑ってる、そんな感覚も味わった。
 「ここを滑りなさいよ」そんなふうに言われてる気分がした。「こうして
遊ぶもんですよ」と。

 ボクの知り合いはそこにいくと全く違う遊びを考案した。
 息子さんがいるのだが、息子さんがまだ小学3年生くらいのころの話。
 車を走らせて息子さんが気の向くまま「あそこに行きたい」と口にした
ところに真っすぐ向かう。と聞かされた。山が多かったらしい。

 「あそこの山からの眺めはどんなだろう」。
 すぐにその山の方に車を向け走らせる。とにかくめちゃくちゃに山の頂上
を目指すという。

 ボクはすぐに「許可がないと難しいんじゃないか」「山道が運よく見つかれば
よいが」など考えてしまう。そこらを歩いてる人に向かって「あの山に登りたい」
と伝えると教えてもらえることも多かったそうだ。
 その奇抜なアイディアにボクはとても感心させられた。

 それからボクもたまにそれをやってみた。効率はすさまじく悪いよ。
 「これがあの頂きに向かう道だろう」と思い登るとてんで違う方向に向かって
おり、下山して地元の方にお聞きして再度登山口を見つけたこともある。

 ボクの気持ちの中に自然に「山の頂上を目指すんだから真っすぐ、間違いなく
行きたい」みたいな感覚が横たわってることも知った。
 「遊びだから間違いもまた良し」とはなかなかならなかった。

 本当に自由に遊ぶって意外に難しい。遊んでいると思っても「遊びとは
こういうもの、こうあるべき」みたいなものをだれかが設定しており、
そのリングの中で遊んでるのが実情なんだ。ねーたまには自由に遊んで
みてはいかがでしょう。頭の中の問題だよね、これって。

2011年2月 8日

言い訳

 だれしも悪い事態を想像することがあると思う。ボクもそうだ。
 「あー、これ、うまくいかないだろうな」なんて思う。実際に行動
してみるとやはりうまくいかない。なにか想像通りって感じ。

 いつしか実行する前から「どうせうまくいかないんだから」と思う自分を
見つけるようになる。そうなると実行しなくなるから現実はよりうまく
動いていく。

 「歳を取る」ということは想像することがびしばし当たるようになって、
その無難な橋の上を器用に渡り歩いていくこと、なのかもしれない。
 だから失敗がないわけだ。

 失敗ってとてつもなく嫌なことだ。知人にボクはいつも「失敗は嫌だ、
失敗したくない」と口にする。知人はいつも「池田さん、失敗なんて全く
怖くないですよ」。

 ボクたちにはみんな想像力というのがある。
 起こる事態を想像し、回避しようとする。
 悪い結果に至れば「やっぱりな、そうだったろ」と自分を慰める。

 ボクはいつも思う。
 「結果は良いか悪いか二つに一つしかない。いつかははっきりさせなく
ちゃいけないんだ」。
 だが、それは胃痛を抱える大問題でもある。

 不安の底に沈みそうなボクからするとみんなは「無難な橋の上を器用に
歩いてる」ようにしか見えない。

 去年の年末、パーティーを実施した。会場には「45人」と報告したが
実際は20人くらいしか集まってなかった。会場に電話した。
 「すいません、今20人くらいなんですけど」。

 ボクはこうなることをほぼきちんと想像していた。その想像通りになった。
 この事態を回避するためにはもっとやれる手段はあったと思う。だが、
あえてそのまま突入して良かったとも思ってる。その事態からの脱出を
図らなければならないから。ボクもすぐ自分に言い訳を用意してしまうんだよな。
 言い訳って自分じゃよく分かってるんだけど。

2011年2月 4日

普通

 今、ボクはものすごくたくさん出かけてる、出歩いてる。実は、これ、
前はこんなじゃなかったんだ。回数は倍以上になってる。
 自分の中では即応態勢ができあがったと感じてる。良いと感じたら
すぐに動くんだ。そんな感じがある。
 出歩くから立派とか、出歩かないからどうだ、なんてことは思わないけどね。

 前は毎晩食事が用意されていた。実はこれでかなり違うんだな。
 「あ、今日はご飯いらないから」とか「明日は晩ごはんはいらないから」
って口にするわけだが、なんとなくそれがかったるいというか、そんなだった。

 今は自分が決めたらそのように動くだけ、だから話は早い。
 人からは「遊び歩いてばかりいたら身体を壊すよ」なんてよく言われるが、
うーーん、ボクの中では遊び歩いてるわけでもないんだけど。

 一昨日、ある男性といろいろ話をさせていただいたが、「この世の中は
あっちを立てればこっちが立たず、なかなか思い切ったことができない」そうだ。
 この世はそんなものだろう。

 だが、それこそがボクたちを「これまで通り」にさせておく装置になって
いはしないか。なんてことを口にすると男性は「いや、分かる、池田さんの
言おうとしてることは分かる。けどねー」だって。
 そういうのを「しがらみ」「体面」「慣習」と呼んできたっけ。

 ボクたちはなにかを守ろうとするととたんに弱くなる。それを守らなけ
ればならないから、何事も中途半端になり、すごみがなくなる。
 あなたがやろうとすることが想像できてしまうんだ。いや、それもいいん
だけどね、あくまでもあなたの問題だから。

 前にある方からよく指摘された。ボクが「社会ではこんなことをやっては
いけないんです」「社会ではこうなってるんです」「常識はこうです」「普通、
人はそんなことはしませんよ」なんてことを口にすると「普通とはなにか、
社会とはなにか」と質問される。

 「普通とか常識とか社会なんて見たことがない」そうだ。言われてみればその通り。
 常識はあなたの中にあり、社会はあなたの中にある。それにしたがっていれば
いいと思うんだ。あなたの普通とは何でしょう。

2011年2月 3日

探し物

 実は、人は探し物をしていると見つかるって話をしてみたい。
 去年の年末、パーティーをすることになった。それはいいのだがだれに
参加してもらうのか、があった。

 そこでふとボクの脳裏に浮かぶものがあった。それはその少し前に聞いた
話が参考になった。

 「わたしの知り合いで講演会をする人がいてね、いつも100人くらい集めて
盛況みたいよ。なんでも200枚くらいハガキを出すんだって」。
 それを聞いたとき「ふーーーん、そんなことする人がいるんだ」、
そんな感じだった。

 ひらめいたのはパーティーの呼びかけにこのハガキ作戦を応用すればいいと。
 そこでさっそくハガキに取り掛かった。
 残念ながらハガキでの案内で参加いただけた方は皆無だった。

 それはいいとして、なにかボクの中に重大なものが残った気がする。
 パーティーするのはいいが携帯に電話するほどのものかと思う。
 もちろんたいていの場合、携帯に電話したのだが。
 人は困ると突破口を探す気がする。探していると見つかることが多いの
ではないか。窮すれば通ずだ。

 そのためにはまず自分を追い込むことが大切かもしれない。
 人はいつも自分のできることをやろうとする。当然かな。
 でも、そこに大きな課題を与えてやれば解決策を探るだろう。

 ボクも真剣に悩んだからこそハガキ作戦を思いついたんだと思う。
 なぜ、重要かと言えば、「これがダメなら、あれ、それがダメなら、これ」
と作戦をたくさん思いつける点だ。次回からは同じ困った事態が発生しても
思いつける速度はあがっているはずだ。

 ボクはよく思うんだが人は「今、できること」をやっていてはいつまでも
進歩しない気がする。「今はできないけど、だからこそやろうとする」態度
が必要だと思うんだ。
 だって、今できること、は困った事態になんかならないからね。