2010年11月29日

投資

 たまにだが「池田さんは株をやってるんですか」と聞かれる。実際
やっているのでやってますと応えます。どうやら株をやっていると聞くと
「儲かっているから」やっているように思うらしい。
 冷静な目で観察してとても儲かっているとは言えません。投資などという
ものはそこから完全に撤退したとき、どれだけの金を手にできたか、だけが
問われるものなのです。途中経過など当てにはなりません。

 ボクが今、脳裏をよぎるのはきちんと働いて得た報酬というものが一番
「儲かる」という現実です。
 だから「株をやるとしたらどこが良いですか」とよく聞かれるのですが、
いつも「しっかり働くことです」とか「余った金があれば投資もいいかも」
くらいにしか思ってないのです。

 よって、「良い話があれば聞きたい」という人には「この世の中、そんなに
おいしい話がそこらに転がってはいませんよ」と話しています。もちろん
「それが結末か」みたいな顔をされてしまうのですが。
 ボクは19のとき父親から「おまえも株くらいやれ」と「帝国繊維株
2000株」をもらったのがスタートです。はじめの何年かは父親の許可が
ないと売買できませんでした。「これって株をやってるって言えるのか」、
いつも思ってました。

 ただ、許可から脱するためには自身もよく勉強し、「これこれこういう理由で
ここを買ったら良いと思う」などの組み立てが必要になります。よってボクは
そのころたくさんの株の本を読み、経済新聞もしっかり読んでいました。
 当初は「仕手筋のお金が入って暴騰した」と思えることが何度かあり、
「自分の株にも仕手が入らないかなー」と夢想していました。

 仕手とは歌舞伎の言葉で「操る者」くらいの意味で、株価を操る存在、
買い占めグループのことを指しています。一時は1000万を軽く越える
株式資産を所有していました。ですが、大暴落に続く大暴落でそれはたったの
180万円に。
 ボクが途中経過に意味はない、と述べるのはこの経験が大きく関わっています。
株式に回したお金は現金に戻してみて、初めてお金になるのです。株をやって
いると口にしますと「どこが儲かるか」と聞かれますが、ボクが良いと思った
ところはボクが良いことをしているので、聞いた人にはリスクが高まっています。
だから投資において「他人の話は聞かないことが第一歩ですよ」とお話させて
いただきます。
 投資とは自分の責任においてお金を投げ出し、成果として戻ってくることを
期待する性質のものです。「自分の責任」を考えてみれば「どこが儲かるか」
質問した時点で失格ということが分かります。

2010年11月26日

行動

 普段のボクは「ありがとうございます」だとか「いつもお世話になって
おります」みたいなセリフを全く口にしてないことが分かった。驚くべきことだ。
 だが、なにか行動を起こしてみると無意識にもこれらのセリフを口に
しており、自分でも驚いている。「だれの口が動いてるんだ」と思うくらいだ。

 要は人間というのは「こういう人間だ」みたいな人は存在しないという
ことなんだ。「オレは無口だ」「一人が好きだ」「わたしはあがり性なんです」、
これらは全て思い込みだと思う。

 ボクも子供のころから一人で本を読んでるのが好きだった。男であるにも
関わらず千代紙を集めていた。千代紙というのは今もあるのかもしれないが、
4センチ四方の紙でとてもきれいなものだった。

 大人になってもあまり社交的とは言えず、いろんなところに出かけて
いくわりにあまり話すことのない人間だった。

 だが、今思うのはその場面に出くわしてないから、そんな結果になって
いたんだと思う。行動を起こすとボクの口からも「お世話になってます」
みたいなセリフが口をついて出てくる。

 ボクも本来あがり性だが、「わたしはあがり性です」なんて口にする人は
実際には行動に移す気がないだけじゃないかと思えて仕方ない。

 人間、切羽詰まるといろんなことができるようになる。そして、人は
だいたいにおいて「切羽詰まることのないように」暮らしてる。だから、
あがり性がいつまでも治らないんだ。「やむをえない場面」を用意すれば
あがり性なんていくらでも改善するだろうし、そもそも改善する必要もない
のではないかと思う。単なる思い込みだから。

 ボクは最近いろんな人から「池田さんは変わった」と言われることが多い。
 ボク自身にあまりそんな意識はないけど、そんなふうに言われることは
良かったと思う。ボクは変わったんじゃなくて行動するようになっただけ、
なんじゃないかな。人はみんな「こんな人間」という人間はいなくて、
行動に移す気があるかないか、だけなんじゃないかな。

2010年11月25日

島根県

 実は、ボクの親は島根県人だ。どちらも平田市の出だ。ボクが1歳くらい
のとき山口県にやってきた。それからはずっとここだ。
 だから、親戚は島根にいる。ボクはここで育ったが高校にあがるとき
京都に留学した。そして京都から戻ってきたがものの見事にそれまでの
友人とかつながりが霧散していた。

 京都でもときに「たった一人」を感じたがこちらに戻ってきてもそれを
感じることになった。これは仕事をする上でけっこうな障害になる。
 親戚、友人がいないとなるとまったくの他人を相手に仕事しなくてはいけない。
 うちの家族は「つながり」を仕事に持ち込むことが全くできなかったわけだ。

 ただ、こんなことを思うようになったのは最近のこと。
 逆に「親戚や友人がいないからうまくやれた面もあるのかもしれないな」
なんて思うようになった。これは仕事をする上で「特別な待遇の人」が
いないことを表している。

 ボクの知り合いにもよくいるが親戚にお客さんになっていただくとありがたい
のはありがたいがどうしても特別待遇になったり、ほかのお客さんと区別する
ようになってしまうようだ。

 ボクは親戚や友人が仕事をするうえで土台になってくれる、ボクにはそれが
ない、なんて思っていたが、改めて考えてみると「まったくの他人」
の方が良い気がする。

 きっとこれを読む人たちは親戚友人に囲まれてやってるだろうからなかなか
その意味が分からないかもしれないが。

 だからボクたちは親戚を頼ったり、友人を頼ったりすることがこれまで全く
なかった。これは相手にする人たちみんながイコールで、今になってみると
「良かったな」と思ってる。「わしゃー親戚なんじゃけー、少しまけてくれー」
みたいなことがあるとよく聞かされる。

 ボクのところはそんなことがまるでなかった。お客さんに対して全てに
対してイコールでいけたことは、結果的だけどとても良かったと感じてる。
ミスしても友人なら許してくれるかもしれないが、それを続けていては良い
仕事なんてできないだろうし。
 どうだろう。親戚や友人なんて一度ないものと思って取り組んでみては
いかがだろうか。それが本来の姿のような気がする。

2010年11月22日

漢字

 ボクはもともと国語が得意だった。得意と言うか、数学や理科に比べると
まだマシだったというべきか。それがあったからだろう、高校になってすぐ
国語の時間に行われる漢字テスト(初回)でたまたま満点を取ることができた。

 なんとなくこれが励みみたいになって、それからは漢字だけは勉強、予習
することにした。漢字テストは出題範囲が決まってた。
 ほかの数学や英語などは「どうせ悪い点に決まってる」とさらさら勉強する
気がなかったから、ここに集中する(そんなふうに言えばね)ことにした。

 と、驚くなかれ、漢字テストが行われる限り、全て満点を取得することが
できた。一年間だったか、全て満点で通すことができた。
 漢字テストといってもそんなにおおげさなものではない。読みと書きが
半々で、確か40問の中から10題、出された。

 人間にはなんとなく「満点が取れたから」「満点を続けたい」「そのためには
やることはやる」みたいな意識が働くものだと思われる。
 よもや自分が一年間を通じて満点が取れるとは思ってもみなかった。

 また、中学生のころ国語の時間に百人一首のお勉強の時間があり、いわゆる
あの百人一首ゲームを授業時間中にやったことがある。ボクたちはおもしろがって
よくこのゲームをやった。

 このゲームをうまくやるためには無論、記憶することが大事で、「うかりける」
とくると「激しかれとは祈らんものを」が素早くつながることが大事だった。
上の句と下の句を途中をカットしてつなげることが大事。その、百人一首が高校の
時間にテストとして出題されることになった。

 さー、大変だ。ここでいいかげんな点数は、中学生のとき頑張った自分としては
許されるはずがない。テストは上の句が書かれ、つなげて下の句を書くスタイル
だったが、そこからも猛勉強して93点を取ることができた。
これだけ、クラスで一番だった。
 ま、ほかの教科は捨て去ってしまっているので、話は簡単だ。

 ただ、なんとなく、漢字テストと百人一首テストは「人はたまたまでも
うまくやれたことに感動し、それを継続させてやろうとする意志」がきちんと
働くものだということが体感できた。中途半端に平均点を上げるより、
「あいつは漢字テストだけは満点だからなー」の方が、なんていうか、
大事かもしれない。「これだけは」と限定すれば、やれるさ。

2010年11月19日

許す

 ゆうべ、よく行く料理屋さんにて。
 「池田さんってなにをやっても許しいもらえそうな気がする」、なんて
ママの話。
 ボク「またまたー、えっ、オレってそんなふうに見えてたの」。

 ママ 「一見、のそーーっとして見えるけど、なにか失敗とかしても
笑って見逃してくれそうな気がしますよ」。

 ボク 「ママ、人は見た目じゃないけーね」。
 ボク 「なんでも許してくれそう、に見えるのはボクがいろんなことに
ぶちあたって、今んところ、反省してそのようにふるまってる面がとても
強いと思うけど」。

 ママ 「まーそれはそうかもしれないけど。それを言ったら人はみんな
生まれたまま変更なしってことになるし」。

 ボクはこう見えて、けっこう怒りっぽいところがある。ママなんて
ボクがお酒を呑んだ状態のときしか見てないわけで。
 許してもらえそう、は前向きに受け止めるべきなのか、どうか分からないが。

 この世には争いはついてまわる。ただね、だれしも経験あると思うけど、
争い、いさかいを起こしてしまうと、どこかでそれを修復しなければいけなくなる。
 「あのときはつい怒ってしまったけど、また一緒にやりましょう」に
なりがち。それが見えてるからいいかげん、出っ張りをなくすのかもね。

 ボクは20代のころから「池田さんはなにを考えているのか分からない、
みんなに良い顔してまわってる感じ。好き嫌いを出さないからはっきりしなくて
怖い」とかよく言われてた。同じ理由かもしれない。
 ボクは今でも「自分を出さない男」と形容されることがある。
 出してるつもりなんだけどなー。

 「失敗しても許してくれそう」はある意味当たってる。
 「オマエなー、失敗しやがって、なんでいつもいつもそうなんだ」とは
思うが、そんなやつでも良いところを見つけだして、おだてて、ほかのことを
やってもらわなければいけない場面も多い。が見えてるからなー。

2010年11月17日

覚悟

 「池田君のこのセリフで覚悟を感じた」。後々、聞かされた話だ。
 ボクは高校になるとき京都に留学した。お世話になる先生とは高校受験
の前、前年の11月くらいに面接のような時間があった。初対面の場となる。

 そのとき先生はやたらとタバコを吸っておられ、そのときのボクの記憶
はそれくらいしかなかった。実は中学卒業と同時に他県に留学するのはそのころ
不可能だった。「一家転住」といって家族全員が転居する場合のみ、認めら
れていた。

 だが、こっちはそんなこと言ってられない。よってボクは母親と一緒に京都に
転居する手続きを取り、実際はボク一人で京都での生活が始まった。
 それと理由はほぼ同じなのだが、公立高校の受験は不可能だった。
 私立高校のみ受験可能だった。公立高校は単身留学者の受験は許してなかった。
 それなら、公立高校に留学する人はどうするか。中学3年の中途でそこに
住めばいいのだ。ボクたちはそれを知らなかった。

 先生から「池田君は公立高校は受験できんから。私立高校だけやな、洛南
とかあるけど、あそこは平均4.5やからなー」なんて話だった。
 5段階評価の平均4.5以上ある人間が受験する学校だった。ボクの
平均は2.7くらいかな。4は一つもなかった。無理無理。とにかく、4と5は
一度も見たことがないんだから。

 で、先生は「池田君な、平安を受けてみー、だけどな、あかん(不合格)
かったらどうするんや」みたいな質問があったらしい。はっきりとは覚えてない。

 そこでボクは「不合格だったら京都で暮らして、翌年再度受験します」
みたいなことを言ったようだ。先生はいたくこれに感動され「よっしゃ、
おまえの覚悟は分かった。それなら留学を認めよう」と思われたらしい。

 後々、考えてみた。「オレってそんな覚悟の言葉、言ったっけ」。
 実は、それまでボクは中学校で頻繁に遅刻し、頻繁に早退してた。
 半ば、投げやりに近くなっていたんだ。だから、これは「覚悟」があると
いうより「どっちでもかまいません」だったんだ。だが、それが先生には
覚悟だと響いたわけで。ま、結果オーライかな。

 ときには投げやりも良い結果に結び付くことがあるということで。
 だが、そのときボクが「不合格だったら京都に来ることを再度検討します」
なんて言ってたら、留学は実現してなかったわけだ。言葉ってときに恐ろしい
現実を招くことになる。って思いませんか。

2010年11月16日

お金

 実はね、お金って手に入れるのも大変だけど使うのも大変だって知ってますか。
 「いや、そんなことはない。オレは使うのだけは得意だ」なんて意見が
聞こえてきそうだ。手に入れてないものをうまく使うことはできないだろう。

 うちの父親と買い物に行くとものすごくおもしろいんだ。
 酒屋さんに行く。それでアサヒスーパードライと第三のビールと買うんだ。
 で、息子がスーパードライ(高いやつね)を飲んで、おやじさんが
第三のビールを飲むんだ。

 いつもボクは言う。
 「おとうさん、ビールくらいケチケチせんで、普通のを飲んだら」って。
 だけどね、ダメなんだ。高いのと安いのが並んでいると父親はどうしても
安いのを買ってしまう。「これで十分うまいんだから、いいだろう」って言う。

 ボクは「それはそうだけど、比較ってものがあるでしょ。お金がないときは
ケチケチするのは当然だけど、少し余裕ができたら、生活を見直してやれる
ことはどんどんやればいいじゃん」って。
 だけど父親は納得できない。

 こんなこともボクはよく言う。
 「メイドまでお金は持っていかれんのんよ」。聞いてるのかどうか知らないが。

 もうこうなってくると、お金というのも免許制にしてうまく使うことを
教えていかないダメだね。

 その点、ボクは自宅を国に預けて毎月決まった額をいただくシステム、あれが
良いなーなんて思ってる。死去したら自宅は税金として没収されるシステムだ。

 昔、だれかが言ってたな。「人間、欲しいものがなくなったらおしまいよー」。
 ホントにそうだ。人間、欲しいものがあるから頑張る。お金を稼ぐ。

 そしてそれを使う。よく「お金を稼ぐ」と聞くが「一体、いくら稼ぐのか、
いつまでに稼ぐのか。稼いだらなにに使うのか」を明確にするのもいいかも
しれない。「とにかく金が欲しいんだよ」は、どこまでいっても稼ぐだけで
終わってしまうかもしれない。それは空しいよね。

2010年11月15日

水晶

 中学生のころ近くの山に水晶を取りに出かけた。近所じゃ有名だった。
 この辺りで取れる水晶は黒水晶、煙り水晶とか呼ばれるものだ。
 ただ、煙ったように見えるのは確かだが、怪しく透明だ。

 「久しぶりにあの山に登ってみようか、まだ水晶があるかもしれないぞ」と
思って何年か前、登ってみた。
 「1時間はかかるかも」と思ってのほてみたが、いやいや、ものの5分で
たどり着いてしまった。とても不思議な気分だった。

 あのころからぼんやりと分かっていたがここは採石場だ。花崗岩の。
 で、水晶というのは花崗岩の中にあるくぼみに突き刺さってる。
 くぼみというのは割ったからで、花崗岩で考えれば空洞ということになる。

 その花崗岩を人間が採取するとき割る必要があり、割ってみるとくぼみが
あり、その中に水晶があるというわけ。というわけで、花崗岩と水晶と雲母
はセットになってる。水晶のあるところ、必ず雲母がある。

 雲母というのはキラキラした薄い板のようなもの。
 水晶は石英とも呼ばれる。うまく結晶化したものを水晶と呼ぶ。
 水晶は必ず六角形を形成する。自然の摂理とはおもしろいものだ。
 ただ、ボクたちがお店などで水晶を買うと六角錐になってる。あれは
突き刺さった部分から切り取るから。

 さて。元に戻る。採石場にたどり着くとブルドーザーも投げっぱなしに
なっていた。

 中学生のころおじさんがこのブルドーザーの座席にあるビニール
をめくって「ほら、これ、やるよ」とすさまじく大きな水晶をプレゼント
してくれた、あのブルドーザーだ。理由は分からないが、あの後、すぐ
ここは放棄されたようだ。

 もしかしたら輸入自由化とかの波を食らったのかもしれない。なにかタイム
スリップした気分になった。

 中学生のときは巨大な空間に見えたが、大人になった今、見てみると
やけに狭い空間だ。「こんなに狭かったっけ」。
 近所の小学生、中学生を巻き込んだ水晶ブームの発端となったこの場所に
久しぶりに足を踏み込んだ。なぜだか、どれもこれもとても小さく感じられた。
 花崗岩の研究には最適だったかもね。

2010年11月12日

サービス

 今夏、花火大会が近くで見られるそうで、企画として考え、ツアー
みたいな感じで実施させていただいた。バーベキューとセットで楽しんで
いただけたと思う。

 当初、ツアー実施の主催者は「バーベキューの材料費だけみんなから
もらえばいい」とサービス精神を大いに発揮してくれた。

 確か、1900円だったか、それに少し足して2100円を集めて
主催者に支払った。一人200円。30人近く集まったから6000円の
お祝儀か。ちょっと少ない気もするな。

 いろんな人の話を聞いたり、ボク自身、行事の幹事をやらせていただく
ことも多い。それから分かることはこの「材料費だけいただけばけっこうです」
が意外にくせ者だということだ。

 行事が終わってかなりの確率で飛び出してくるのが「みんなは片付けも
しないで」とか「洗って戻すのが当然だろう」みたいなちょっとしたお叱りだ。

 実際には片付けはやっていることが多いのだが、それがなければほかの
ことを持ち出すまでだろう。これらのことに配慮せずにおくと次回、似た
ような行事をやろうとしても断られることが多くなる。

 断られた本人はなぜ断られたか分からず戸惑うかもしれない。
 だが、ここで付け届けみたいなことが効いてくる。余禄の発生だ。

 学生時代、これらのことに長けてるやつがいて、「オマエ、これ、
ええから取っとけよ」みたいに少し多く渡してくれるやつがいた。
 こいつから誘われるとかなりの確率で参加していた。その余禄が元気を
生むんだな。

 たいてい主催者とか行事を行う人というのは、なんていうか、迷惑を
受けてるものなんだ。いろんな意味合いで。それをこれらのスパイスで
中和してやろうっていうわけだ。主催することの多い人はそのへん、
先刻承知してるはずだ。いろんな場面で余禄を発生させるようにしよう。
 きっとその行事はうまく終わるさ。

2010年11月11日

生命力

 樹木の生命力はすさまじいものがある。ご存じだろうか。
 それを知ったらすさまじく驚くと思うよ。
 うちの庭にモクセイの類いの樹木が生えている。玄関先に植えられる
ことの多い樹木だ。父親がだれかから記念にもらって植えたものだそうだ。
 だからかれこれ40年近く経つに違いない。

 幹の直径が30センチ近くになってる。で、2年くらい前、あまりに樹海
のようになってしまったので「シルバー人材センター」にお願いしてばっさり
刈ってもらった。地上から約3センチくらいのところで切られてる。
 これらの樹木が8本近く生えていたが、ことごとく伐採してもらった。

 ちなみに書いておくがシルバー人材センターに頼むと格安ではあるが、
捨て場所に苦労するらしく、捨ててみてから料金が請求される。捨て賃が
必要になる。

 実は、これら伐採してもらった樹木、横から幹が伸びて、かなり立派な
樹木に成長しちゃってる。驚いた生命力である。直径が3センチくらいで、
10本近く生えてる。元、あった樹木の横から生えてる。

 「あのねー、なんのためにセンターに頼んで伐採してもらったと思ってるの」、
だれも聞いてないことをいいことに、ブツクサ言いながらノコギリを手に
出向く。これくらいなら自分でなんとかなる。

 柿の木(これは伐採せず、もちろん食べられるから)の周囲に密生してる。
 おかげで柿の木の周囲は見通しが良くなった。
 しかし。樹木の生命力はすさまじい。元あった樹の周囲からニョキニョキ、
まるでキノコみたいに生えてきてる。葉っぱがイガイガの樹木もあるが、
それからもしっかりと生えてきてる。樹はこれくらいの邪魔は跳ね飛ばして
しまうのだ。人間にも求めたいものだ。

 赤い実をつける、葉っぱが焼き魚のツマに出てくることもある、あの
樹もしつっこい。こっちが完全に負けてる。なにせこちらはハーハー
言いながら格闘してるからね。どうだろう。あなたもこれらの樹木を見習っては
どうだろう。勝てないとは思うけど。とにかく、ものすごいよ。

2010年11月10日

トラック

 きっとこれを読むほとんどの人が知らない体験というものがある。
 それはトラックからの眺めだ。一度体験してみてはどうだろう。絶対に
世界観が変わると思うよ。トラックってまず乗ろうと思わないだろうけど。

 ボクはマイクロバスを運転することもあるかなと考え、免許試験場に
出向いた。試験場で一発合格をねらったんだ。ただ試験場に行くとちょっと
勝手が違ってた。「マイクロバス限定」としてある。よく聞くと幼稚園などの
送迎用に乗られていたバスは当初、普通乗用車(ボクたちが乗ってる車)
の免許で乗っていたらしい。

 だが、大型の車ではあるので独自に免許を交付する流れになったようだ。だから
この限定というのは「大きな車だから普通免許で乗るのもどうか」ということで、
マイクロバスを所有してるところの人だけが後付けでいただく限定免許だったわけ。

 よってこの免許を取得していても大型トラックには乗れない。だから係(試験場)
の人から「これはマイクロバス限定ですよ」なんて言われてしまう。
 「あんた、どうせ免許取るんだったら大型トラックを取らないと」。

 大型トラックと聞くと急にビビッてしまって、自宅近くにある自動車学校に
入校することにした。そこは6トンの車を使ってた。自動車学校なので
「大型」を用意しなくてはならない。ギリギリ大型に入る大きさだと思う。
 6トンのロングボディタイプだ。運転席に向かってつま先をかけ、
階段を上がる感じでドアを開ける。運転席につくと視界が全く違う。

 信号などで車の列ができると前の大型トラックまで見渡すことができる。
 普通乗用車は地面を這ってるように見える。
 道路を走らせていると視点が全く違うことが分かる。道路横にある並木が
トラックに当たるように感じてならない。乗用車とは全く見える景色が違う。

 トラックも車庫入れとか縦列駐車の練習をする。そのとき自動車学校にある
ポールを利用するのがとても新鮮だった。「何本目のポールがミラーに
写ったら左に切って」なんて言われる。実際の現場でもこの要領でいけばいい。

 大型トラックの免許を取得してしばらくは乗用車に乗るとスポーツカーに
乗り込む気分にさせられた。地面を這ってる感覚になってしまうわけ。
 トラックからの眺めは爽快だ。トラックは物流を担ってるだけじゃなく、
「大きな車をころがす」楽しみもドライバーに与えているんだ。この感覚は
なかなか分からないだろうけどね。

2010年11月 9日

聖徳太子

 先日、何人かで食事し、会計のお時間となった。ある男性が「池田さん、
じゃお願いします」と差し出したお札は「聖徳太子の1万円」だった。
 男性はほかにも「伊藤博文の100円札」「旧5000円札」などを
財布から取り出してみせた。

 どれも折り目もついてないほどのきれいなお札だった。
 男性 「うちのお客さんで古い紙幣ばかり使われる方がいるもので」。
 その紙幣を見るとまるでオモチャだった。現在のものより少し大きく、
折り目もついてないだけにオモチャに見えてしまうんだ。

 そのとき思った。
 「お金というのは本物だとだれもが認めてるから本物であって、認めなく
なればただのオモチャなんだな」と。

 以前に本で読んだことがあるがお店などでの支払いのとき「1円玉は
20枚までは使用してもいい」そうだ。「それ以上は断ることもできる」と
記載されていた。これら古い紙幣はどうなんだろう。
 お店が断ることがなければ使えるだろう。断られてもこれら古い紙幣は
銀行に持参すれば替えてくれる。

 マニア向けにネットかなにかで販売した方が高く売れるかもしれない。
 ボクはたまに記念硬貨を銀行の窓口で替えることがある。おもしろくって
替えるのだが、また銀行に持参して戻してもらうことも多い。
 記念硬貨のお金はどこに行くかご存じだろうか。国庫に行くのだ。
 記念硬貨は一般に使われているお金とは別の処理がなされる。記念硬貨
は税金と考えて間違っていない。

 ボクは現在使われているお金のセットを買ったことがある。ミントセット
と呼ばれてる。現在使われている1円玉や5円玉がセットになって1860円。
 宛て先は「大蔵省造幣局、なんたらかんたら」に送ると届けてくれる。

 500円はまだなかったから取り出せば166円にしかならない。
 真空パックして作られた年号を記載したプレートとともに入ってる。
 ボクのミントセットはどういうわけか空気が侵入したらしく緑色に
さびついてたけどね。(もちろん何年も経ってから)。

 お金というのはだれもが認めるからお金なんだ。現在使われているお札も
いつかそういう運命にあるはずだ。そのとき「へーーーーっ、昔はこんな
お札、使ってたんだー」なんてため息をつく人がでてくるわけさ。

2010年11月 8日

必要

 よく「池田さんはなにがしたいのか分からない」って聞かされる。
 だろうね。自分でも分かってないもの。
 ま、ボクは右往左往してるのかもね。

 ボクは社会人になったのと自営が同時だ。20代のころはよく怖い夢を見た。
 真っ暗な海に投げ出される夢。「こんな小さなイカダじゃ流されてしまうよ」。
 イカダに乗って漂流してる夢をよく見た。経済的な成り立ちがゆらゆらしてて
しっかりとした土台を感じ取れなかった。これは今でもそうだ。

 だけどさ、それと同時に中学生までのつまんない自分も思い出すことにしてる。
 あのころやりたいことも見つからず、「早く病気になればいいのに」なんて
願ってた自分がいた。今、考えると卒倒(失神)もんだよ。

 そのころからなんとなく仕事のイメージ作りをするようになってた。
 「自分の仕事は何だろう」「どんな社会になっても必要とされる自分とは」
みたいなことをよく考えた。自営だからこそ考えたんだと思う。

 そのころよく思ったのは「そのときそのときのお金はあまり意味がない」って
ことだった。というのも一つにはインフレがあった。あのころ5年でお金の
価値は半減とよく言われてた。タンスにしまった1万円は5年もすれば
すっかり価値が目減りしてた。

 だからよく言われてたのが冗談みたいだけど「お金をもらったらその場で
使い切ってしまえ」だった。これはインフレを想定すれば当たり前の話だ。
もらった瞬間が一番値打ちが高いわけだから。

 ボクが20代のころは「1億円あれば一生涯生きていける」というのもあった。
 だが、今、それら預金生活者はすさまじく逼迫してるそうだ。なにせゼロ金利
だからね。今は1億円で一年間の利息が100万円くらいかな。
 元本を崩していかないと生活できない。
 要するにお金というのはあまり当てにならないということなんだ。

 だったらどうすればいいのか。健康で毎月せっせと働くのが一番なんじゃ
ないかな。という結論にたどり着いた。
 「そんなの当然だ」って思うかもしれないけど。
 だから「必要とされる自分」なるものをイメージすればいいのではないか。
と思う。仕事とは、労働とは、お金を稼ぐとは、じゃなく常に必要とされる
自分を目指していく。ただそれだけ。だと今も考えているんだ。

2010年11月 4日

突破

 突破の感覚はとても大切だと考えている。
 ボクは高校にあがるとき京都に留学のために出かけた。初めての夏休み、
練習は苛酷をきわめた。ボク自身の受け止め方としてはね。
すさまじい練習の毎日だった。

 中学生までは毎日のように遅刻、早退を繰り返してたボクにとって大変で苛酷
なのはむしろ当たり前かも。とくに午前中は辛かった。これからの一日を
想像してはあまりの長さにうんざりする思いだった。

 だが、この夏休みが終わってみると自身のすさまじいまでの変化に自分で
驚くことになる。それまで暗算の2級は制限時間の倍くらいの時間(8分)
がかかり、点数をつけてみると満点の半分の70点や80点が多かった。

 ところが夏休みが終わってみると3分以内で計算できるようになっていた。
 最終的には46秒で計算できるようになるのだが、突破の感覚は1分の
ところで起こった。

 ある日、とうとう1分を切って計算終了することができるようになっていた。
 試しに「今度はゆっくり計算してみよう」と思い、ゆっくり計算してみたが、
それからは二度と、二度と1分を越えることはなかった。
 逆に「どうやったら1分を越えることができるの」自問自答するような気持ち
だった。そして不思議なことに1分を切ると何度やっても満点しか取れなく
なっていた。何回やっても満点。150点がとれる。
 「150点しか取れなく」なっていたんだ。

 そのころの計算感覚はこんな感じ。「もしかしたらあの問題は間違えて
いるかも」がくっきり明確になっていた。だからその問題だけ再度計算
してみる。どこが正答で、どこが間違えかほぼ見当がついたわけ。
 これなら、満点は難しくない。

 だから計算が終わった後「これは満点」、そんな自信を持つことすらできた。
 暗算というのは頭の中だけでおこなう計算。はっきりとした実像など存在しない。
 頭の中のブロックを自在に動かし、なおかつそれが徹底的に正解であり
続けるわけだ。普通、ありえない話でしょ。
 そのとき強く実感したね。「オレは自分のことをバカだと思っていたけど、
そうじゃなくてやることやってないだけだったんだ」ってね。