2010年10月29日

祭り

 ゆうべ、よく行く料理屋のママとこんな話になった。
 ボク 「なんか祭り、やりたいよね。なんかないかね」
 ママ 「祭り、良いですねー、池田さんがやるんだったらうちも協力しますよ、
タコ焼きでもやりましょうか。池田さん、酒まつりをやりましょう」。

 ボク 「えっ、でも、ボク、日本酒は好きなんだけど、二日酔いになるから
封印してる人間なんですけど」。
 ママ 「いいじゃないですか。酒祭り。西条みたいにできたらすばらしい
ですよね」。

 ボク 「そうそう、西条でしょ。ボクも行ったことあるんですよ、父親が
呑みたいだろうからって、ボクが運転して行きました。ものすごい人で」。
 ママ 「でもどうしてここじゃできないんでしょうねー」。

 ボク 「ああいう町ぐるみの催しはとにかく結束しなきゃできないんですよ、
ボクも振興会に参加してますけど、つい(うちの利益にならないしなー)
(協力してもらうばかりじゃ向こうだって嫌になるだろう)とかいろいろ
考えますから。まとまらないんですよ」。

 ボク 「あっちとこっちの利害の調整にほとほと参ってしまうものなんです。
まだそれでも振興会は気心が知れてる仲だけど、それが業種を越えてやるって
なったら。難しいですよ」。

 ボク 「多分、大きなことがやれない地域っていうのはそういう利害調整が
きちんと進んでないからできないんですよ」。
 ママ 「池田さんもいつまでもそんなこと言ってないで」。

 ボク 「でしょ。なんだけどなー。でも今、B級グルメとか菓子博覧会
なんかもうまくやってるよね。売上がものすごく上がってるって言うもん」。
 ボク 「やっぱ、食うもんとか呑むもんだよなー。こっちが早いよね」

 祭りは人を呼ぶ。そして祭りでは人が気前よく金を落とす。だから、祭りだ。
 機運が盛り上がらない地域というのはやはりみんなが自分の利益ばかりを
優先するから、規模も小さく、人が集まらない結果になってるんだろう。
 いや、もうそんなことは分かってるんだけどね。そろそろ業種の垣根
を越える時期なのかもね。

2010年10月27日

払う

 あれは27くらいのころだったろうか、借りてる駐車場の料金を支払いに
行くのがめんどうでめんどうでたまらなかった。つい「あーあ、引き落とし
とかにしてくれたら便利なのに」、よくそんな愚痴がついて出た。

 だが、そんなとき父親から「おまえはのー、ええけー行って払って来い」
って言う。父親とこの手の話をすると「なぜそうする方が良いのか」理由
を言わない。結論だけ。そしてなぜか父親は「ええか、行ったらつまらん
話の一つもしてくるんやで。それを忘れんな」を付け加えた。

 「はー、ウソやろ、なんでお金払うこっちが払いに行っておまけに
つまらん話(世間話)を考えてやらなあかんわけ(やらんといけんの)」
無性に腹が立った。

 父親はほかにも「今からなになに会社の人がセールスに来るって」と
告げると「おまえ、その会社に行って話をしてこい」なんて言う。
 「はー、どこの世界にセールスされる側の人間がその会社に出向かんと
いけんわけ」、なんて内心思ったが、父親には父親の考えがあるんだろうと
言う通りにした。

 これを読んだあなたの感想はどうだろうか。やはりおかしな人だなーと
思ったかな。ボクはおかしな人とまでは思わなかったが。

 冒頭の「つまらん話」というのは世間話のことなんだが、それによって
よその経営状態を知る、駐車場システムが儲かるものなのか探る、なにか
良いアイディアが落ちてないか考えながら話す、なんて効果があるのでは
ないかと今では考えている。やってみると意外に利用価値があることに
気づいた。こういうのは頭で考えるよりやってみることが大切かも。

 「逆にセールスの会社に出向いて行け」は、きっとボクが相手のペース
で話をまとめると踏んでいたのかもしれない。ボクも実行してみて分かったが、
セールスの相手はとてもやりにくそうだった。相手もまさか自分の土俵
に踏み込まれるとは思ってなかったようだ。「参ったなー、ここまで来られちゃ、
有利な条件を提示します」みたいな感じがありありとうかがえた。

 あなたもいろんなことを「これが当たり前」みたいな感覚でやっていませんか。
 これらの難しいところは「やってみるとこうなる」がなかなか説明できない
ところ。実践する中で一つ一つ発見していくのに近い。だからこそガタガタ
言わずにやってみることが大切だと思う。

2010年10月26日

完全

 どうかなー、いろんな人と話していて感じることがある。ひょっとして、
みんな、自分のこと完全って思ってる。なわけないよなー。あるはずない。
 個別に聞いてみればみんな否定するはずだ。

 だけど、そんなふうに感じてしまう。
 自分では意識してないんだろうね。そこんとこ。
 ボクは一人で過ごすことが多かったからか、一人でいることに全く苦痛を
感じない。だが、反面、人と話すのは苦手だ。人と呑みの約束をするのだが
当日まで「なにを話すか」頭の中で想定問答集を作ってから出かける。

 ただ、想像に反して話そのものはうまく展開したりする。
 その中で身につけていったのが「ほほーなるほどー」「そうですかー」
「ですよねー」みたいな話。要するにあいづち。
 「池田さんはしっかり聞いてくれるから話しやすい」、何度このセリフを
聞かされただろう。

 もうね、ボクの場合、自分がしっかり話す、じゃなくしっかり聞く、と
決めてるからね。他人の話をしっかり聞くのは意外に大変だけど、なんて
いうか、相手の世界観を聞かせていただくって考えれば良いんじゃないかな。
 ボクの場合、お話するのが下手くそだったから、こういう特技が身についた
んだと思う。

 そのボクの目から見るとみんなものすごく損してるんだよね。
 みんなが完全を装ってるように見えちゃうんだ。そんなこと意識してない
はずだけど。だが、完全な人はだれもアドバイスしてくれないし、楽しい
話も舞い込んでこない。完全無欠な人は充実してるはずだからね。

 人間ってさー、少しほころびを見せておくのが良いんだよ。なんでも
できるってふうを装うんじゃなくてね。「ほら、池田さんを見てみなさいよ、
ホントにダメなんだから」。まー、ボクはダメダメなことは確かなんだが。

 「ほころびを見せる」って意外に難しいかも。ある意味、自分に自信が
ないと表現できないからね。それはあるかもね。
 この世に完全なやつなんていない。完全じゃないから他人と話す余地が
生まれるし、アドバイスももらえるし、チャンスにつながるんじゃないかな。
 自戒を込めて。

2010年10月25日

暗い

 先日、ある男性と話していて。「あなた、自分のこと暗い人間だって
思ってるんですか」。

 男性 「暗いですよ、当たり前じゃないですか、なぜか物事、悪い方に、
暗い方に考えてしまうんですよ。そういう池田さんはどうなんですか」。

 ボク 「オレも暗い人間だよ。そう見えませんか」。
 男性 「まーーーったく。見えない。いつもニコニコしてなにが楽しい
のかって思いますよ」。ボク 「あっそう」。

 人間は基本的に暗い生き物だと思うけどね。
 ボク自身のこれまでを例に取ると。「トラブルなどが起きるとその解決に
必死になる。結果的に暗い毎日から脱してる。トラブルなどないと(地球が
どうかなるんじゃないかと心配になる)」。要は心配のタネは尽きないと
いうことだ。なければないで、探してでも心配するのが人間なんだろう。

 さて。
 これまでボクが暗い状態から脱したときのことを書いてみよう。
 自分一人で自分のことを考えているとどんどん暗くなる。「オレって、
なにやらせてもうまくいかないし、成し遂げたことってなにかあったっけ」。

 そんなことを考えているとますます悪い方向に考えてしまって。
 だけど、そんなとき、だれかと飲食を共にすると不思議と「ダメダメ」
な気分から脱してることを発見した。結果、分かったことなんだけどね。

 暗い、つまらない人間、取りえがない、前向きじゃない、明るくなれない、
どれもこれも自分が自分を見つめて引き出した応えだ。だが、他人と話して
いると「もっと苛酷な人生を送っていたり」「なにをやってもうまくいかない
これまで」の人もたくさんいる。どうやら自分の人生を自分が見つめてる
だけじゃとことん暗くなるだけみたいだ。比較しないからかもね。

 基本的に人はみんな暗い生き物だと思う。それを分かった上で「暗いけど
明るくふるまって」いるのが現実じゃないかな。で、暗いけど明るく
ふるまってる人の方がなんていうか、あったかみがあったり、人の感情が
よりよく読めたりもするんじゃないかな。自分を自分が見つめてるだけじゃ
なかなかそこんところ、突破できないと思うな。

2010年10月22日

哲学

 その方とは何度かお会いさせていただいてます。哲学の先生です。
 先日、久しぶりにお会いしたので
 「先生、いつもお元気そうで」と口にすると先生は

 「わたしはね、元気ぶっているんですよ」と聞かせてくれた。思わず
笑ってしまった。なるほど、「元気ぶって、いるんですね」。
 ドルビーサウンドなみの重低音で聞かせていただきました。

 「だってそうでしょう。元気があるかないかじゃなく、元気があるように
ふるまっていればいいんですよ」が続いた。なるほどねー。

 先生はいつもたくさんの人を集めてお話をしていただけます。
 そのときいつも出てくる話題は。
 「だってみなさん、そうでしょう、明日、どうなるか分からないなんて、
これほどすばらしいことはありませんよ」だ。

 どうだろう。
 あなたは本心から「明日、どうなるか分からない、だからこそ楽しい」
なんて思えるだろうか。「仕事もはっきりしないし、これからも安心して
暮らせる社会が続くかどうか分からない。そんなのんきなことを口にして
いられるのは、あんたのような人だけなんだよ」、そんな気分でいませんか。

 だけどね、ボクも思うんです。
 「明日、どうなるか分からないからこそ楽しい」って。
 先生は続けて「わたしはね、うきうきして仕方ないんですよ、明日は
どんな日になるか想像するとね、うれしくてうれしくてたまらないんです」。

 「だってそうでしょう。明日、起こることが分かればこんなにつまらない
ことはありませんよ。そんな毎日を生きるなんて苦しみに等しいですよ」。
 「乱世の世の中だからこそ、いろんな傑物が輩出されるんです。
のんびりとした時代にそんな人材、輩出しませんよ」。 

 「とんでもない世の中だからこそ、わたしたちにお役立ちの場面も出て
くるし、活躍する機会も与えられる」のかもしれませんよ。
 モノは考えようってことですが、でもやはりモノは考えよう、なのです。

2010年10月21日

ケンカ

 ボクの知り合いでしょっちゅう、ほかの人とケンカやいさかいを起こしてる
人がいる。「なんで仲良くやれんのか」。たまにそんな話をするのだが、
「正義はこっちにあるでしょう」みたいなことばかり口にする。
 正義の問題かっちゅうの。

 ボクはあまり周囲と衝突しない。ケンカにならない。
 それはボクが他人と自分をきちんと区別しているからだろう。
 要するによくケンカする人というのは「他人も自分と同じように考える」が
心のどこかにあるに違いない。そこははっきり違うな、ボクと。

 ボクは小学生のころから挙手を求められると必ず少数派になっていた。
 自分の意見が周囲と違うことはそのころからよく分かっていた。
 「自分はこのように考える」は正しい。「その人はその人が考えたいように
考える」が正しい。

 これは周囲にお願いをしてみればすぐに分かる。
 「そうは言うけどねー、池田さん、そんなのはあんただけの考えだよ」、
どれだけこのセリフを聞かされたことか。

 あるとき、別の知人から「池田さん、これ、絶対じゃけー、絶対に見に来て」
と強く強く言われた。そして出かけた。あまり感動しなかったので、能面
みたいな顔をしていると「池田さん、なんで、なんで感動せんのん」って
言われた。

 ボクはその人に言った。
 「感動なんかしないなー、よくある話じゃないの。あなたが純粋なのは
分かるけど、よくある話でしょ」。
 知人 「おかしいなー、その場にいる人たち全員で盛り上がったのに」。

 ボク 「それは分かるけどね、逆にいろんな人たちの目にさらされる
ことによって、本当にすばらしいものはすばらしさを発揮するわけでさ。
(感動しろ、感動しろ)って強制されてもねー、その反応が全てって
ことなのよ」。
 よく周囲と衝突する人は「他人と自分は同じ」が根底に流れているに
違いない。だが、そこの区別ははっきりさせた方がいい。

2010年10月20日

笑われる

 みんな、もっと笑われるように努力しようよ。
 ボクも中学、高校のころ、周囲から笑われるとものすごく腹が立った。
 自意識過剰なころだから「くそー、笑ったな」みたいな感覚が大きかった。

 きっとあなたにもあるんじゃないかな。
 「要するに、この世では笑われることはやってはいけないんだ」と。
 ボクにも多々ある。
 「あー池田、まーた、あんなことやってらー」。
 「池田、オマエ、またシャツの後ろが出てるぞ」
 「オマエ、何回もここは教えたろう、一体いつになったらこのオツムに入るんだ」

 みたいなことを繰り返すうちに「あー笑われることは罪なんだ、いけない
ことなんだ」と思うようになる。
 ボクも20代のころはそんなふうに考えていた。「笑われちゃいけない」って。

 だけどね、笑われないということは、あるついたての中に自分を囲い込む
ことでもあるんだ。世間ってやつはあなたを「なにかやったら笑ってやるぞ」
で包み込んでいると言っていい。周囲にそうした電線を張り巡らせるんだな。
 それはお互いにそうしてるわけ。
 お笑いでがんじがらめに閉じ込めてるんだ。

 この辺りには「ふうが悪い」という方言がある。「ふうが悪い」というのは
「またー、池田さん、あんな格好して、ふうが悪いでしょ、いいかげんに
してよ」みたいに使う。ボクたちはこれらの言葉により「ある場所」
に囲い込まれていると言っていい。

 他人に笑われるということはなにか行動を起こしたということなんだ。
 行動を起こさない限り、他人に笑われることはない。
 行動を起こすと失敗したり、自分だけ目立って「池田さん、なに、やってるの」
につながっていく。萎縮してしまうんだな。
 ボクたちは笑われる回数を増やしていく必要があるんだ。それは確かに
辛いことだけど、そこから一歩抜け出してみようよ。
 「おーそうだ、もっと笑ってくれー」でいこう。

2010年10月19日

才能

 ボクは珠算段位8段、暗算段位9段を取得してる。それを言うとかなりの
人が「池田さん、すごいですね。わたしじゃ絶対できないです」って口にする。
 それを聞くとおかしくて、おかしくて。いい歳をした大人がそんなことを
言うかねーって。高校生になったばかりのボクもそう思ってた。だけど
今はそんなこと思ってないよ。だれだってできる。

 きっとみんなこうなんじゃないかな。
 「いきなり、早い計算を見せられて。あんなことできるものじゃないって」。
 当たり前だ。そんなの。

 一般的には珠算段位8段を取得するためにはしっかりと練習した人でも
8年くらいかかる。8段に到達するような人は小さいころから「あの子は
なにをやらせてもすごい」なんて言われてることが多い。

 ボクが8段を取得するのに15年くらいかかってる。本格的に練習してから
でも7年くらい。取得したのは23のときだもの。あなただってなにかを
15年くらいやれば「やれそうな気が」するでしょう。それだけのことですよ。
 大人にそこまでの時間はないだけで。

 ただ、ボクは中学生くらいまでは自分のことを「バカ」「能力がない」と
考えていた。いつも期末考査のテストは見ずにゴミ箱に捨ててたし、
学力判定テストなんて同じ学年が3ケタいるのに自分の順位も3ケタで
ひどく落胆したのを覚えてる。これで自分に才能があると思う方がどうかしてる。

 ボクは一般的に珠算が上達した人たちとはかなり違った、異色の存在なんだ。
 最終的に8段になった人で、こんな経歴を持つ人はいない。
 だからこそ、こういう能力もある人に限られたものじゃなくて、だれもが
持つものだときちんと理解してる。自分に起こったことくらい把握できるよ。

 だからだろうか、ボクはほかのことをやらせても「自分にはできない」
「できそうにない」と考えることがない。つい、できると思ってやって
しまうんだ。ただね、この差は意外に大きいんだ。みんなはできるかどうか
分からずおそるおそる取り組むよね。

 で、難しそうだったら「な、オレには無理だろ」って結論に至ってしまう。
 ボクはそこを通過してるから「いやいや、こういう流れがあって、突き抜け
るまで練習しなきゃ」と思うわけ。
 だからさ、ボクはみんなにも「突破する経験」をするように薦めてるわけ。
 なんでもいいからさ、突破してみると自分の才能を信じられるようになる。
保証するよ。

2010年10月18日

 頭で考えたことは現実化しないと思う。
 ボクは中学卒業と同時に京都に留学した。それを人に言うと決まって
「寂しくなかったですか」「途中でやめて帰ろうとは思わなかったんですか」
みたいな質問を受ける。

 まず最初の寂しかったかどうかだが。
 留学先ではすさまじく忙しく、寂しいと感じてる余裕もなかった。それでも
当初は親元によく電話をかけていた。2年が経とうとするころ「日曜日は
中華料理ね」と自分で決め、出かけていた。楽しんではいたが、胃痛を
抱えて苦しむことにもなるころだ。

 「中途でやめて帰る」は全く脳裏をよぎることはなかったな。
 「中途でやめてたら完全にダメダメ人間だろう」くらいの感覚はあった。
 一度も、考えたこともなかったな。

 きっと話を聞くと「頭ではこのように思う」があるはずだが、それが現実
になることはない。現実はもう少し違うんだ。

 このころあまりにも時間が足りなくなり、どうしたと思う。
 まず冬は銭湯に行く回数を半分に減らした。夏場は毎日行くには行くが
「入る時間は10分」と決めた。竜巻みたいな感じだ。
 追い詰められると人間、いろんなことを考えるものなのだ。
 頭でいくら考えてもそこまでは思いつかないだろう。

 ボクもそうだが人は「物事を実際にやってみる前に」あれこれ考える。
 あれこれ考えて「うまくいかないようだから」実際にはやらないでおく。
 ボクもよく思うが「やらなかったから恥じをかかないで済んだ、
それはそれで良かったんだ」と無理やり納得させてるところがある。

 「きっとやっていたら失敗してる。そしたら恥じをかいて情けない思い
をしてるはずだ」なんてところだ。

 現実ってやつは一つしかない。だが、頭では実にたくさんの結果が待ち
受けてる。その結果におののいて「やらない理由」を探してるんだ。
 ボクは自分もそうだからよく分かるんだ。
 ボクと同じような人は自分に言い聞かせよう。「頭で考えたことが
現実化することはない」ってね。

2010年10月15日

壮大

 ゆうべ、交流会を実施させていただいた。大いに盛り上がり、とても
楽しかった。ボク自身、どこの場に出かけていっても物静かと言われる
ことが多いが、改めて「物静か」なんてのは損なことだと思ってる。

 「今日は交流会だ。なんの話をしようかな」と考えていると、ふと
かなり以前のことが思い出された。テレビかなんかだったと思う。
 ハウステンボスについて、だった。

 あれは商工会議所の職員の方が草案を練り、立ち上げた、そんな内容だった。
 ボクはそのときかなり強い衝撃を受けたのをよく覚えてる。
 「こんな男がいるんだ。一人の男の考えが町を変える、人々を変える、
気持ちを変え、認識を変え、こんなバカでかいものをこしられてしまったんだ」。
 そうだ。自分っていつかはハウステンボスを作りたいと願ってたことが
あったっけ。そうだった。だったんだ。

 それは自分の手柄ってわけじゃない。みんなの手柄。みんなの力が集まって
思いもしない偉業を達成させる。一人の金字塔なんかじゃなく、みんなの
金字塔だな。

 ボクも日ごろの自分を振り返るとそんなに変化があって毎日が楽しいって
わけでもない。だけど、いつまでもその考えを続けていたって、なんて
いうか、そのままって気がする。
 大きな目標を持ったやつほど、かなう出来事は大きいと聞いたことがある。
 「自宅を建てるのに精一杯」と考えている人に町の造形は無理だろう。

 もちろんボクもハウステンボスそのものができるとは思ってない。
 だけど、みんながそこに向かって、ない知恵を絞って立ち向かうって、
やれそうな気がする。しませんか。
 だから、ゆうべ、ボクはみんなに宣言しちゃった。

 「ハウステンボスを作ります」って。
 楽しくないなら、楽しくなるように変えてやればいい。つまらないなら、
楽しくなるよう変えてやろう。楽しくてゾクゾクしちゃうよ。ホントに

2010年10月14日

エネルギー

 ボクはこれまで実にたくさんの異業種交流会に参加してきました。
 参加できるときはほぼ全て、そんな意気込みで参加してましたね。
 その原動力はボクが社会人になったころ、寝てるときの夢にあったと
思います。自営業というのはなんの保証もありません。その恐怖が寝て
いると押し寄せてくるんです。

 ボクは真っ暗な海をイカダに乗って漂流しています。
 組んでいた木材が一つ一つ離れていくんです。それを必死に足と手を
使って離れないよう引き寄せてる夢なんです。
 「病気になったり、具合が悪くなってもだれも助けてくれないんだ、オレ
は自分の力だけを頼りに生きていかなくちゃ」なんて思いましたね。

 そして、異業種交流会にもたくさん参加するようになりました。参加
してみて思ったのは、みんながみんな同じ目的で参加しているということです。
 「みんながみんな、自分の会社の製品を売り込みたい」わけです。
 それを見てるとおかしくておかしくて。だってそうでしょう。

 こっちの人は真剣に自社の製品のセールスをしているのに、あっちでは
「自分がなにを言うか、どのように言うか」猛特訓していたり、下を向いて
ぶつぶつなにか口にしていたりするんですよ。だれもこっちの人の話を
聞いてない。自分のことだけに熱中してるんです。「これじゃ買う人が
いないじゃないか」。って思いました。

 そこにいくとボクの知り合いはちょっと違います。異業種交流会に参加
するといつも「良いものがあれば買いますよ、どんどん話を聞きます」
そんな態度と物言いをされるんですね。だからいつもこの方の周りは長蛇の
列ができます。

 ここでボクが強く主張したいのは「全員がモノを売りたいところに、
自分も売りたい」と乗り込んでも決してうまくいかないということです。
「買いたい人が」いないんですから。

 どうでしょう。その場にはたくさんのセールスマンがいるわけですから、
共闘して「みんなでオレたちの製品を買ってもらおうよ」と話をまとめて
みてはどうだろうか。次元を変えてみる必要がある。
 場には全てエネルギーがあり、それが向かう方向があります。
 それに立ち向かってセールスするより、それを活かしてエネルギーに
変える方が得策だと思うのですが。

2010年10月13日

座標軸

 ボクはみんなにも座標軸を持ってもらいたいと願ってる。
 いろんな方とお話しさせていただくが、多いのが「テレビのキャスターが
言ってた」みたいな話だ。テレビのキャスターが善悪を論評して良いわけがない。
 善悪の判断はみんながそれぞれでやるべきことだ。

 そこで大事になってくるのが座標軸だ。
 ボクは1939年から1945年までのドイツに関する本を軽く100冊
は読んでいる。第二次世界大戦の期間だ。ボク自身、それが一般の人と
違うことだとは長らく分からなかった。

 だけど、ある一定期間の歴史を徹底的に読破したせいか、善悪や、物事の判断を
するときに利用している自分に気づいて思わず苦笑した。
「なんか活用してるなー」って。

 第二次世界大戦中のドイツ軍の本ばかり読むきっかけは子供のころ遊んでた
戦車にある。タイガー戦車にあこがれ、「タイガー戦車写真集」など高い
お金を払って買っていた。そこから関連書籍を買っては読むようになった。
 だから「ドイツ軍が負ける映画は見ない」とか「本の後半部分は読まない」
なんてこともあった。最後にドイツ軍は負けてしまうからね。

 いつもおかしく感じていたのは、これらの書籍、はじまりの長い部分を
ローマ時代、ワイマール共和国(日本でいえば明治時代かな)の話に
費やされていたことだ。1939年から第二次世界大戦は始まるが、
ローマ時代からどの書籍も始まっていた。それをとてもおかしく感じていた。

 だが、あるとき、ふと「そうか、その前がいろいろあったから、戦争の
引き金になったのか」みたいに考えるようになった。
 日本は第二次世界大戦で負けたわけだが、その前の大戦での大きな反省が
戦後日本に大きな影響を与えていることをどれだけの人が知ってるだろう。
 その前の大戦での戦後賠償はヴエルサイユ条約で決められ、過大な賠償金が
第二次世界大戦につながった。

 って具合にね、物事を考えるとき、座標軸があるとないとじゃ大きく
違ってくるんだ。歴史を知れば「大きく考える癖」がついたり「それと
照らし合わせて判断」することもできるしね。その判断をテレビのキャスター
に任せちゃいけないよ。

2010年10月 8日

驚く

 一人の女性を紹介したい。
 少し前、交流会でお会いして名刺をいただいた。まず驚いたのが自分から
名刺を持って来られたということ。軽いショックを覚えた。
 年齢は、70代だろうか。

 名刺に携帯の番号が記されていたので昨日、電話をかけてみた。
 ここでも軽いショックを覚えた。
 電話するもつながらず、そのままにしておくとしばらくして
 「先ほど、お電話いただきましたか」と折り返しの電話がかかってきた。
 知らない番号に折り返す人は意外に少なくとても驚かされた。

 「先日はどうもありがとうございました。つきましては少し先に交流会
を予定しております。いらっしゃいませんか」とお話しさせていただくと
さっそく手帳かなにかを確認されておられる様子。

 「あー、ごめんなさい、この日は用事が入ってます。10月は忙しいんです」
だった。しかし。予定が開いてたら出席するつもりだったんだろうか。
 いや、自分で誘っておいて変なんだけど。

 ここまでで、この女性の実力というか、気持ちの大きさがよく分かる。
 オープンで、何でも受け入れる度量があるんだな。
 電話を切ろうとすると「また誘ってください」と言われた。本気かいな。
 いや、自分で言うのも変だけど。

 頭の中でシナプスが音を立ててつながり始めた。
 「この女性は提案があればみんな乗るに違いない」と。
 この社会、女性がどこにでも出かけることにためらいのある人はまだまだ
多いに違いない。
 が、この女性は軽さがあり、いろんな提案に乗れる柔軟さがある。
 男よ、もっとしっかりしろ。そんなことではチャンスは遠のくぞ。
 ここに活発に動いてる女性がいる。男だったら負けてられないだろう。

2010年10月 7日

雑談

 「池田さんってけっこうどこにでも出没しますよね、だけどどこの
席でも一人ぽつーんと座って黙々と料理食べてますよね。なぜわざわざ
出かけてきて、あんな態度なんですか」。よく聞かされます。
 心の中ではいろんな人たちと楽しくワイワイやりたいと思ってるんですが。

 いざ、現実の場に遭遇すると「ま、いいか、今日はおいしい料理
を食べに来たと思えばそれでいいんだから」って、強引に納得させてる
ところがある。だったら来なければいいのに、とはボクも思います。

 ボクは10代のころから「池田君は考え過ぎるんよー」と、これは
何度も聞かされてきました。「池田君は頭の中で組み立てをして、それから
動く癖があるでしょ。なかなか世の中って思うようにはいかんもんなんよ」。
 これも何度も聞かされた。分かっちゃいるけどね。

 ボクは20代のころから出会った人に「今度、呑みに行きましょう」と
よく誘っていた。だが当日になると「なに、話そうかな。かったるいなー」
と思う自分がいた。
 それならそんな提案しなければいいでしょ。とは思うが。

 「相手と話が合わなかったらどうしよう。お金もかかるし、呑みに
行く約束なんかしなければよかったかな」。よくこんなふうに考えていた。
 だから頭の中で想定問答集みたいなことをきっちり組み立てて当日を
迎えていた。今でも少しそういうところがある。するととても疲れる。

 それを口にするとほとんどの人が「だからー、そこまでして人と会う
ことないんじゃないの」になる。当然だな。
 これを読むたいていの人がボクのような人を指して「生きづらく考える
癖のある人だな」と思うに違いない。
 そのわりにいろんなところに出没はするが。

 これはボクの習性なのかもしれない。だけど、そういう習性を持つボク
みたいな人の参考にはなるかもしれない。
 とにかく、どこにでも出かけていくこと。話が成立しようとしまいと、
そこに座っとれ。なにかを話そうとするのではなく、その人の話を
よく聞いて、「今日はあなたの話を参考にさせていただきます」って心持ち
で臨むこと。かな。グッドラック。

2010年10月 6日

割り切り

 ゆうべ、よく行く料理屋のママさんがしみじみ、といった感じで話してくれる。 
 「このごろ自分の時間が全く取れないんですよ。手芸が趣味なんですけど、
あーあ、集中してやりたいなー。手芸(ビーズとかで作るものみたい)は
集中力がいるんですよ。だからしっかりとした時間を作らないと」。

 ボク 「ママ、いっそのこと沖縄に行ったら。沖縄で手芸をやるんよ、
おかしく聞こえるかもしれんけど」。「もしくは日曜日の午前中は手芸の
時間ってことで、手芸の教室に通ったら。自宅にいるから次から次に用事
がでてくるんよ」。
 「ボクもね、何度か沖縄に行ったことあるんよ、沖縄に行ってもやることは
あまり変わらんのんよ、本を読んだりね、だけど旅行先で読む方が能率上がるって
いうか。ほかのことをしないからね。そういう効果は間違いなくあるよ」。

 ママ 「でもねー、沖縄にも行ってみたい気はするけど、その三日間が
取れないんですよ。先月、休みにしたら携帯に(北海道からお客さんが
来てるんよ、ママ、今日は休みかい)ってことがありましたからね」。
 ボク 「いや、ママが言うことよく分かるよ、久しぶりに来る人もいる
からね。だけど、それの積み重ねで休みが取れず、ママはリフレッシュも
できないわけでしょ。そのしわ寄せが店に反映することも考えないとね」。

 ボク 「ママ、ほかに行きたいところはないの」
 ママ 「ハワイに行ってみたい。ずっとあこがれだったの。池田さんは
行ったことあるんですか」。
 ボク 「ボクはあるんですよ、その話はきっとママの参考になるかもしれない」。
 ボク 「ボクはね、本当はハワイに行きたくなかったんですよ、仕事、
休む必要もあったし。父親が行くはずだったし。父親が急に(オマエ、行け)
って言うから、(オレにも都合ってもんがあるんだ)ってやり取りがあって、
お盆の間、ずっと差し替えの仕事して、ハワイに行ったんよ」。

 ボク 「パスポートは勤め先でみんなで取得してたから、これは運が
良かった。だけど、良かったなー、ハワイ。朝から晩まで遊んで、参加者の
だれより遊んだと思いますよ」。(ほかの方たちは50代が多かった)。
 よくボクはいろんな人から「時間がないからそれはできない」と聞かされる。
 そんなことで自分で自分を縛り付けてるのが現実じゃないかな。

 読みたかった本を持って沖縄に行ってみる。そうするとものすごくはかどる。
 自宅にいると「自宅だから、掃除しなきゃ」とかいろんな用事があるもんだ。
 まず年間スケジュールで「休み、アンド旅行」って決めてしまった方が
いいね、こういう人たちは。それを早めにお客さんに告知すればいい。
 この手の人たちは「思いきりと割り切り」が求められるんだ。

2010年10月 5日

はったり

 ゆうべ、先日から頼まれていた方の相談に乗ることになった。
 この方、見た目は豪快なのに態度はとても控えめ。「いえ、わたし
なんてとてもとても」。何度かこのセリフを聞いた気がする。
 ボクもそれはとても好感を覚えるところでまるだと思う。が、自分を
売り出していくことにおいてはバツだと思う。

 ボクはこの方に「これから本格的に講演をやっていきんさい」と。投げかけた。
 講演会の講師を勤めるわけだ。「最初は無料でもいい。とにかく場数を
踏んだ方がいい。話すうちにジョークとかも交えて話せるようになるって」。

 ボク自身の感想を言えば、十分に講演会の講師を勤めることができるはずだ。
 その可能性を感じる。講演会の講師というのは実は、いろいろなところから
声をかけていただく舞台装置だととらえている。自分を売り出していくわけだ。

 ただ、この男性、「自分が講師なんて。これからたくさんの講演会を
聞きに行きます」なんて言う。「いや、そんな必要はない。人のを聞いたら
世の中、うまい人がいるもんだ、と怖じけづくだけだって。やらん方がええ」。

 ボク 「講演会の講師でもなんでもそうだけど、この世ははったりよ。
はったり」。「自分の大きさそのまで勝負しなくていい。かなり大きく
見せないと、講師はできんよ」。
 この方はとてもまじめだと思う。だからはったりなんて口にすると「はったり
ですか。それはいけないことです」みたいに言う。

 ボク 「あんたには実力があるとするじゃない。だけど自分が感じてる
だけじゃだれも講師を頼んではこない。少し強引に(オレにやらせろ)って
態度でいかないと、みんな不安に思って頼めないんだ。だからはったりが
必要になってくるんだ」。「どーんと任せてよ、って言えばいいんよ」。
 男性 「そんなことはできませんよ」。

 ボク 「いや、ごにょごにょ、言わんでええ。自分を10倍くらい大きく
見せて(講師なんか簡単だ、十分できる)って見栄を切るんよ」。

 ボク 「わたくしなんかの講演会じゃ満足できないと思いますけど、
なんかよろしくお願いします、じゃせっかく話を聞きに来た人も(ダメだ
こりゃ)って拍子抜けするだけだって。どーんといかんかい。どーんと。
えーえ、これからふられた講演会の講師は全て引き受けんさい、全て。

2010年10月 4日

能力

 最近、個人の能力ってやつに疑問がわき上がってきて仕方がない。
 それぞれ個人に能力があると「オレはすごいんだ」って結果になると思う。
 自信を持つのは良いことだが、それはえてしてマイナスにも働いてしまう。

 先日、食事会を開催したのだが、ゲストも、招かれた人たちからも聞かされた
のは「能力がなかったから、今がある」みたいな話だった。とても矛盾してる。
 人はそれぞれ能力を磨くことを常に考えているはずだ。
 なぜって能力がなければこの世で通用しないから。

 だが、その能力というやつ、「だからオマエはダメなんだ」「オレのやる
のをよく見ておけ」「この会社で一番できるのはオレだ」そんな話に帰結して
しまいがちだ。

 この社会、能力のあるすごいやつが一人で動かしていけるのだろうか。
 いや、このボクがこんな話をするのはおかしいかもしれない。
 これまでのボクはやはり個人の能力を高めなければいけないと思ってたし。
 もちろんそうだけど、それとともに周囲を巻き込んでいく力、みんなを
たたえる能力もないといけないと思うようになった。

 よく話では「人は一人では生きていけない」とか「会社という組織は
一人の能力で運ぶものじゃない」とか聞かされる。それに対してなんとなく
「そんなもんかねー、おかしいんじゃないの」なんて思ってた。
 「能力のあるやつがぐいぐい引っ張っていくのが本当なんじゃないの」って。

 ボクの知り合いには従業員さんが30人、40人の会社を経営してる人が
何人もいる。ボクは自分のことじゃないんで実感が沸かなかったけど、
ある日「従業員さんたちが一斉にボイコットしたらその店はどうなるの」
なんてふと思った。有能な経営者が孤軍奮闘しても店は開けられないだろう。

 経営者の力が500だとしても、店を運営などできないんだ。それぞれ
の能力が50くらいでも結集すれば店は運営できる。
 「オレの能力は500だ」なんてなんの自慢にもならないんだ。
 これは逆に見れば「オレは能力がない」って嘆いてる人には朗報かも
しれない。「いや、あんたにはものすごい能力があるんだよ、能力がない
ことが能力なんだ」とね。これは冗談で言ってるんじゃないよ。

2010年10月 1日

地域

 ボクのことを「よく分からない人だ」と評価いただくので、今回は
それを解くカギを書いてみたい。
 これまで何度か言われてきたことに次のものがある。それは

 「地域が良くならないと自分とこの会社も決して良くならない」だ。
 この思いを強くしたのが阪神大震災だった。地域丸ごと大震災に見舞われた
わけで、助けられるべき人はたくさんいるが、助ける人がいなくなって
しまった。改めてそんなことを思った。

 ボクの両親は島根県出身だ。平田という町なんだが、ザッと見回しても
大きな会社は見当たらない。人口もそんなに多くない。その地域に見合った
会社がそこそこあるんだな。ビルを見ることがないもの。

 平田を見ていると「地域に見合った会社しか存在しない」がよく分かるんだ。
 会社というのはその地域に暮らす人たちに見合った存在でしかない、とも
言えるね。だからこそ全国展開すると大きくなれるんだろう。

 ボクの知り合いのお母さんは地域に新聞を配達されている。この新聞、
地域の人たちから頼まれて配達してるんだ。人口が少なく、採算が取れないから
新聞が配達されないんだ。だから買う人がわざわざ頼んで配達してもらうと
いうわけ。こんな逆転の現象も起こる。町に住む人たちには想像もできない
だろうね。ガソリンスタンドだって頼まれて営業してるケースがあるからね。

 なんて言うかな、みんなで助け合って、支え合って生きてるんだよね。
 「頼まれて新聞を配達してる」と聞かされたとき、つくづくそんなことを
思ったものだ。それからすると、極端な話をすれば「自分にお金がなくても」
かまわないことになる。地域で支えてくれるわけだ。働く場がなくなれば
「池田さん、うちで働けよ」のシステムが働けばそれでいいことになる。
 これならお金と違って盗まれることもないから安心だとも言える。

 これらのシステム、みんなの周りにもきちんと機能してるんだよ。
 みんなうまく利用してる。「ワンストップサービス」っていって電話
したらどんな要件でもその専門家につないでくれる、も同じ発想だ。
 持ちつ持たれつでうまくやっているわけだ。
 「自分だけ得しよう」は頑張ってみるのはいいけどなかなか成果に結び
付かないかもしれないね。