2010年9月30日

勉強

 想像ってやつはほとんど当たることがないと思うね。
 ゆうべ、食事会をしたんだけど、ある若い男性の話がとてもおもしろかった。
 自己紹介となって男性は
「いろいろ勉強して会社を興してみたいなと」って口にする。

 ボク 「いろいろ勉強ってなんの勉強なの。やる前から頭で想像してる
ことってほとんど当たらないもんだよ。後になってみると勉強になってない
ことが多いんだ」。ボクたちはつい頭の中で「ああでもない、こうでもない」
って組み立ててしまう。だけどそれって当たることはあまりない。

 会社を創業してみたら心配する時間が全く取れないかもしれない、
徹夜続きを覚悟していたのに、そうはならないかもしれない。
 そして会社を経営する上で勉強などあまり意味がないことも知るはずだ。
 会社組織にするのであれば「書類になにが必要か」「登記はどうやって
やるのか」悩む経営者なんていない。「そんなものは専門家がやる」で終わりだ。

 自分たちの会社がなにをやっていくかが明確であればそれでいい。
 会社組織にする前に「組織をうまく作るには」みたいな本を読んでも意味がない。
 ボク 「どうせ会社にするんだったらすぐにやってみたら」。
 男性 「いや、準備しないといけんでしょう」。

 ボク 「事前の準備ってやりようがないんよ。思い切って会社組織にして
みたら問題点も見つかるし、収益構造の見直しだって立てられる。やる前から
あれこれ考えてもなかなか見えてこないものもあるからね」。

 ボク 「それに会社を設立するには体力も必要になる。そのうちめんど
くさくなってどうでもよくなるよ、そんなことが」。
 男性 「いや、それはない。それは絶対ない」。

 ボク 「あんたはさ、さっき交流会もやってみたいと口にしてたけど、
とりあえず一人でも二人でもやってみたらいかが。(わずか二人でなに
するんだ)って思うかもしれんけど、その二人が集まらなければ交流会も
大きくならないんだからさ」。「思い切ってやってみると問題点も見つかり
解決策も見つかると思うよ」。

 ボクたちは行動を起こす前からあれこれ考えてしまう。だが、頭で考えた
ことは不思議なことにほとんど当たらない。想像するだけ時間のムダって
気がする。勉強と準備。これだけつまんない言葉はほかにないな。

2010年9月29日

臨む

 最近、たまに「オレ、それ、やったことがないから」みたいな話を
聞くことがある。ボクがよく人に「これ、やってみたら」と提案するから
かもしれない。みんな初めてがあるからなー。

 ボクが高校で教えることになったとき、23だった。もちろんうまくやれる
気はしなかった。高校生なんて体格が良いから逆にぶっ飛ばされるんじゃ
ないかと本気で心配したくらいだ。確かに胃痛を抱えながらのデビューだった。

 ボクと一緒にその高校に採用された先生にこんな人がいた。履歴書に
書ききれなくて次のページ、またその次のページにまたがっていた。
 面接した理事長は「先生はまたすごい経歴ですね」と口にしていた。
 それは驚くというより「あーまたこのタイプか」みたいな感じだった。
 理事長にとってこの手の先生はそれこそものすごく目にしてきたはずだ。

 さて。高校で教える先生、中学で教える先生、小学校で教える先生が
この世にいるわけだが、みんな先生は初めてなるものなのだ。
 生徒の前に立ってみないと本当のところは分からないものなんだ。
 自信なんてだれにだってあるはずない。
 上の先生だって緊張した初登壇の日があったに違いない。

 たまに思うことがある。胃痛を抱えながらのデビューだったが、だからこそ
と言うべきか、自分がすごく成長したのが分かる。「うまくはやれないけど
やれるものなんだ」くらいの感想は持つようになる。

 それはやはり未知に踏み込んだからだと思う。やれることではなく、
やれるかどうか分からないことをやってみたから、だ。
 「やったことがないから」なんて言ってたら、ボクたちは立ち上がることも、
歩くこともできなかったに違いない。立ち上がることができたってことは
未知に踏み込んだ過去があるわけだ。

 生徒たちが暴れて暴れて授業にならなかったとする。それで自分から退職
することになったとしても、チャレンジした方が100万倍くらい良いと思うね。
 ボクたちは「やったことがないから」、に囲まれて生活していると言って
おかしくない。思い切ってやってみれば、「やったことがないこと」では
なくなるよね。

2010年9月28日

おもしろがる

 おもしろがることはとても大切だと思う。
 おもしろい、からおもしろいのではなく、おもしろがるから、おもしろいの
だと思う。そもそも人間の感覚はそんなものだと考えた方がいい。

 ニュージーランドを旅行したときの話だ。行く飛行機内でずっと流されて
いる映像があった。どうやら水族館らしい。サメが顔を突き出すシーンが
何度も出てくる。「テリータールトン」の文字が読める。
 どうやらテリータールトンという水族館のようだ。

 ニュージーランドはスキーが目的で訪れたのだが、この水族館にも行きたい
なーって思った。人間、行こうと思うと不思議な感覚が働くものらしい。
 閉館が迫っていたが訪問することができた。

 ニュージーランドは南極に近いせいか遠征隊のテント、書物などが陳列されていた。
 水族館なのに、なんて思った。そこからは水族館だった。
 この水族館は画期的で自分たちが歩く通路の上を魚たちが泳いでる。
 人間が観察されてる気分になる。サメも下から観察する感じだ。
 英語なんかろくに話せないのによくぞ行けたものだと今思い出しても感心する。

 先日、知人から「うちは秋になると家族で山登りするんですよ、池田さん、
みんなを誘って行きませんか」と言われた。内心、「みんなを誘うって難しい
だろうなー」とは思ったが、「よし、考えてみるか」、そんな返事をしてた。

 こんなことってありませんか。
 「休みの日曜だから家でゴロゴロしてようと思ったけど、思い切って外出
してみると意外に楽しかった」ってことが。これってあると思う。
 ただ、周囲の人たちを見ていると楽しいかどうか頭の中できちんと処理
してから「はじめて考える」みたいなところがあるようだ。どうしてなんだろう。

 物事はきっと、おもしろいからおもしろいのではなく、おもしろがって
やってみるから楽しいんだろうと思う。
 「わたしはこれからおもしろがるんだ」と決めておけば、とっさの誘いにも
乗ることができるはずだ。昨日、投函したハガキにはこのように書いた。
 「どこにでも行きますから気軽に誘ってください」。やってみたら。

2010年9月27日

上達

 物事が上達するには上達してる人の近くにいることだ。
 ボクは高校にあがるとき単身、京都に留学した。アパートを借りて
毎日学校に珠算教室にと通った。

 ただ、そこの先生もよく認めてくれたものだと思うが、ボクはすさまじく
珠算が下手くそで。よって事務所でお客さん対応係をしながら、こそこそと
隠れて珠算の練習をすることになった。

 このころは恥ずかしくて恥ずかしくて、単身、京都で留学してるのに自分の
下手くそさかげんが顔を熱くしてた。
 ただ二カ月もするころ先生から「池田君、そろそろみんなと練習しなさい」
で一般の選手たちと合流して練習することになった。

 選手の中には10段位を取得してる方も何人もいた。百傑という問題が
あるのだが、10分で全てこなしていた。ボクたちは10分でこなすべき
ところを55分くらいかけてやってた。それほど実力には違いがあった。

 だが、同じ空間に10段位の人間がいるととても不思議な心境になって
くるんだ。「これはやれるんだ。人間がやれることなんだ」って思えて
くるから不思議だった。おかしく感じられるだろうか。

 それまでのボクは百傑の問題を見ても「こんなの、全部こなせる人間
なんているはずがない」と思ってた。それが常識だったんだ。
 だけど眼前にそんな人間を目にすると「やれるんだ、やれることなんだ」
って身体が理解する。これはとても大きかった。

 人間はやれないと思って練習しても上達しない。自分で自分の限界を
決めて挑んでるようなものだからね。その点、この教室には10段位取得者
が何人もいてそれを見せつけられると、はるか雲の上の出来事だったものが
人間界に降りてきたように感じられた。

 まず常識を疑ってかかろう。それは本当にできないことなのか。
 上達したい人はいっそのこと、最上級のレベルを見てほしい。その世界
での最上級を。すると確かに開かれるドアが存在することが分かるはずだ。

 同じ練習するにしても意識の持ち方がまるで変わってくることが分かるだろう。
 上達させるのは練習ではない。意識が持ち上がり、それに技量が対応してくる
感じだ。まずは自分の常識をぶち破ろう。

2010年9月24日

存在価値

 「池田さん、オレ、会社に居場所がないんよ、存在価値がはっきりせんのよ」。
 先月、男性と話しているとこんなことを聞かせてくれた。しばし関連した話の後。

 ボク 「年代で働き方が変わるって聞いたことありませんか、20代と
40代では同じ働き方はできないでしょう」。

 男性 「いや、知らん、池田さんはそんなこと考えてたんだ」

 ボク 「ボクだけじゃなくみんな考えてると思いますよ」
 ボク 「20代だったら(徹夜で仕事する)、とか(部長、このやり方で
やろうと思うんですけどいいですか)みたいな感じじゃないですか。だけど
40代は指示する側に回らなくちゃいけないでしょう。身体も思うようには
動かなくなるし」。

 男性 「いっそも考えんかった。そういうもんかー。だけどね、サラリーマン
って自分で決められることって少ないんよ。池田さんとは違ってね」。

 ボク 「仕事の質を変えていくことはやらないといけないんじゃない
ですかね。トラブルがあったらいの一番に自分が解決に動くとか」。
 男性 「いや、それがね、うちの会社はみんなよくやってくれてるから、
トラブルが起きないんよ。それが存在価値をなくしてる一因かもしれんけど」。

 ボク 「それはすばらしいことだと思いますよ、だけど、そのままだと
(自分がいなくて平和な会社)って感じじゃないですか」
 男性 「そうなんよねー、どうすりゃーええんかなー」
 ボク 「知り合った人、全てにハガキを出してみるとかされてはいかがですか」。
 男性 「それをやってどうなるん」

 ボク 「それそれ、あなたはボクがなにか提案するとすぐ、(それを
やってどうなるか)(どんな意味があるか)を尋ねてくる。そうやって
頭の中で物事を進めてきて、今があるんでしょ。たまには(こいつの言う
ことをそのままやってみるか)ってことにはならないんですか」。

 男性 「池田さんはいつもそういうこと、言うよねー。オレってそんなに
融通きかんかったっけ」。

 ボク 「そんな気がしますよ。とにかく今のままじゃ前に進めないんだから、
やってみたらいかがですか。あなたはやれる素地は十分ある人なんですから」。
 ボク 「これまではとは少し違う路線を取るところに突破口があるかも
しれませんよ」。「少なくとも頭の中で意味を見つけてから動くっての、少し
控えてみませんか」。

2010年9月23日

スキー

 斜度52度の斜面を滑ったことがある。(スキー)。スキーをやって
いるといつしか「どんな斜面を滑ったか」は話題として出てくるようになる。
 で、52度なんてのは日本国内に存在しない。圧倒的スケールだ。

 場所はカナダ、ウイスラースキー場。ここはウイスラー山とブラッコム山
が水晶の双頭みたいになってる。要するにふもとのところであっちに行ったり
こっちに来たりできる。ウイスラー側のホテルに泊まってるのにブラッコム
に滑り降りてしまい、歩いて20分近くもかけて戻ったことがある。
 ウイスラーに宿泊する人はウイスラー側に滑り降りる必要がある。

 52度の斜面はブラッコム側にある。どちらかと言うとブラッコムは
攻撃的なコースが多い。ゴンドラに15分近くも揺られほぼ山頂辺りにまで
運ばれ、左に滑っていくとリフト「セブンスヘブン」が見えてくる。

 このリフトから降りてなだらかな斜面を少し降りると問題の52度の
コースがある。スキー場のコースというのはどこもとても横に広い。だが、
このコースの入り口はわずかに40センチばかり。そこに紙切れが風に
吹かれてカサカサと音を立てていた。「ノーティス、エキスパート、オンリー」。
 はっきりと読めた。「注意、最上級者、のみ」だな。
 「オレ、最上級者と違うけど」。入り口から恐る恐る下をのぞく。や、やばい。

 斜面が見えない。「ひょっとして、オーバーハングってやつ」。まさかね。
 実はこの52度、前年もここに立ち、チャレンジしようとしたが怖く
なって滑らなかった。なんとなくそれが悔しくて、翌年、またここにいるわけ。

 根性決めてガバッと身を乗り出す。あ、見えた。斜面が続いてる。オーバー
ハングじゃなかったんだ。(当たり前だ)。残念ながらスキーの板は下に
向かず(怖くて)横滑りに近いかっこうで降りる。だが、自分がコース入り
してからというもの、実にたくさんのスキーヤーがこのコースに入ってくる。
 これには驚いた。みんな上手でもなんでもなく下手くそなのに。

 斜面にいると上からスキーの板が垂直に飛んできたりする。板が外れたら
自分では取りに行けない。斜面がきつくて。その光景を見ていると思わず
おかしくなって笑ってしまった。「何なんだ、この冗談みたいな光景は」。

 ただ、ほぼ斜面の終わりになると意外にもそんなスキーヤーたちも
しっかりと滑ってる。実はかなりうまかったんだな。ボクはそこからも
苦労して降りた。でもチャレンジしてよかった。エキスパートっていうかさ、
あれが普通に滑れたらスタントマンにだってなれるよ。ホント。

2010年9月22日

誇る

 今日はちょっと変わった話をしてみたい。ゆうべ一緒に酒を呑んだ男性
について、だ。この方は大学在学中にヨーロッパを2カ月近く旅行なさった。
 たまにこの話は聞かされるのだが、この話には続きがある。

 旅行にかかった費用70万円は、そのときの先輩が出してくれたのである。
 その当時の70万円と言えば今の水準に直せば200万近くに達するの
ではないだろうか。実はこの方、ふところに70万円は所有していた
らしいのだが、話の流れで「ヨーロッパも良いですけど費用がありません」
なんて口にしたそうだ。すると先輩が「おまえ、この金、使え」と。

 男性は「自分は利子をつけてきっちり返した」と話してくれたが、問題
はそこじゃないと思う。どこの世界に「ヨーロッパを旅行することはおまえ
のためになる。この金で行って来い」なんてことになるものか。

 あなたに聞いてみたい。
 あなたはだれかに「こいつのためになるから」と現金を渡したことがありますか。
 だれかから「きっとおまえのためになるから。この金で行って来い」と
渡されたことがありますか。ないはずだ。ありえないことが起こったんだ。

 男性は遠くを見るような顔付きになり「そういえば、あの先輩は自分が
ゼミに入るとき保証人になってくれたんだよね、それがありがたくって」。

 男性 「なにかあるといつもその先輩は(おまえの後見人はオレだから)
とうれしそうに話していましたよ」。

 この話が成立するためには二つの要素が欠かせない。
 「貸したい」と思う人がいて、それを「借りてくれる人」の存在だ。
 ボク自身想像してみるに「先輩といえどやはり他人からお金を借りる
ことにためらいがある。返せなかったら困るし」って考えちゃうね。

 また「お金がないんだったらそもそも旅行を取りやめにするべきだ」も
考えるかもしれない。これは男性も話してた。

 男性は「ヨーロッパを巡った」ことが今になってみれば財産だったと
話してくれたが、ボクはそんなものはなんの財産にもならないと思う。
 男性が誇るべきは「この金でヨーロッパを見て来いとお金を出して
くれた人がいたんですよ」だな。

2010年9月17日

ハードル

 ゆうべ、食事会に参加された人たちに「一年後、成し遂げたいこと」を
それぞれ考え、公表してもらった。ゲストが元アスリートであり、たくさんの
選手の調整もおこなう佐藤さんだから、もある。
 少し気づいたところを。

 一年後、とか将来の目標設定は実はかなり大きな意味があると思う。
 それは手を伸ばせば届きそうな目標を口にしても意味がないということだ。
 自分の中では「ありえないほどの設定」をするからこそ、目標に向かって
歩き始めることができると思う。人間って基本的に怠け者だからね。

 今年の2月、ある男性から「池田さん、今度、うちの地元でフルマラソンが
あるんですよ、走ってみたらどうですか」って声をかけてきたから即答した。
 「でる、でます」。

 その後、この男性とは何度かやり取りをしたが、結果、「締め切りを
過ぎていてダメでした」で出場はできなかった。
 ボクは、フルマラソンに参加してもきっと完走はならなかっただろう。
 だけれども、その土俵を用意してもらって、自分なりに走ったり調整したり
するはずで。それはボクの気持ちの中に「今までとは違うなにか」を作り出す
気がしていた。

 ボクは高校生のとき珠算の全国大会に出場したことがある。の、予選だったな。
 ただ、そのころボクは自分が選手として大きくなろうとは全く思ってなかった
ので、先生の「池田君、君も出てみー」の言葉はとても衝撃的だった。

 そして当日を迎えた。この大会は自分が得意とする種目を選び、そのタイム
が早ければ早いほど本選出場ができるかどうか決まる、というものだった。
 なにせ、10分かけて計算するところを選手たちはみんな「52秒」とか
「1分8秒」くらいで仕上げる。ボクは一人で3分くらいかけて計算したが、
あれは針のむしろだった。ここで人間は決まる。

 「もう一度出場して前回より高得点を弾き出す」と思うか「あの大会に
出ると恥をかくから。二度と出たくない」のどちらかに分類される。
 ハードルは上げなければならない。上げるからこそ落差が分かって、
「なにくそ」とか「次は見とれよ」「オレの実力はこんなもんじゃない」って
ところにつながるんじゃないかな。

2010年9月15日

うまい

 ボクは20代のころからいろんなところに食事に出かけてた。
 そんなとき、出された料理を口にしてよくこんなセリフを口にしていた。

 「これ、死ぬほどうまい」ってね。
 それを聞いた相手は「そうか、死ぬほどうまいか」。
 「うん、死ぬほどうまい」、と返してた。
 実際、そこまでうまかったかどうか。

 ただ、そのセリフを口にするとボクは本当にそれをうまいと感じてた。
 いや、うまいと思ったからそのようなことを口にしたのだが。

 人間には喜怒哀楽の感情がある。で、まっとうな大人になるとだれもが
「自然な感情を吐き出すのはかっこ悪い」とか考えるようになる。

 あれはなぜなんだろう。
 あなたも子供に戻ってみてはいかがか。
 気持ちは戻ることができるだろう。

 「あー、これ、おいしいですね」じゃなく「うわ、やばいよ、これ、
むちゃくちゃうまい、すさまじくうまい」って。
 「どんなセリフを口にしたって料理の味が変わるはずもない」と思うかな。
 ボクは「変わる」と思う。
 並の料理だって「すさまじくうまい」と言えばかなりうまくなる。

 よくこのセリフを口にすると「そんなもんかなねー、変わらないと
思うよ」みたいなまっとうなご意見をいただくことがある。
 いや、だからさ、やってみたらどうだろう。

 「これ、むちゃくちゃうまいよ」で味は三段階くらいおいしく感じられる
ようになる。
 思ったことをそのまま口にする。もちろん制御も必要だろうが、まず
基本としてそこが大事だ。「聞き分けの良い大人」って、ボクにはあまり
意味がないというか、つまんないって思うんだよね。

2010年9月13日

名前

 たまに封筒が届く。その宛て名を見るといつも笑ってしまう。
 住所も池田も合ってるんだが、下が女性の名前なのだ。
 いつも間違えて女性の名前で届く。

 ほかの人がそれを見て「池田さん、いつから女性になったんですか」。
 「これってパソコンに入力してるのが一つずれてるんだろうね。それで
果てしなくこの名前で届くってわけ」。

 初めから女性の名前で届き、いまだに女性の名前で届く。すごいね。
 機械的にやっているとこれらの間違いを起こしてしまう。
 機械的な作業でもたまに見直してみないととんでもなく失礼なことを
やってるかも、って話だ。
 人の名前を間違えるのは完全なる失態で、ものすごく失礼に当たる。
 十分に注意したいものだ。

 先日、ある会合に出席した。隣に座った男性が「はじめまして」と声を
かけてくるので下の名前をお呼びした。「なになにさんですよね」。
 男性は驚いて「なぜ、ボクの名前を」だった。

 男性は受付で「なになにですけど」と上の名前を告げてお金を支払った。
 その上の名前から「あー、あの人か」と思い、間違っているかもと思いながら
下の名前で呼んでみたら当たりだったわけだ。
 何年か前、名刺を交換していた。

 ボクはいただいた名刺をたまに取り出して名前を確認したりしてるから
こういうことができるんだ。それはかなり刺激的なことだと(相手にとって)
思うよ。

 いつだったか、スタンド(飲み屋さん)に連れられて行ったことがある。
 それから数カ月して顔を出すとママさんから「あら池田さん」と言われて
ひどく驚き、感激したことがある。「たまたま連れられて行った人間を
覚えてるなんてすごい」って思った。

 たまに会合に顔を出すと「あー顔は分かるんだが、名前が出てこない」
ってことはないだろうか。ボクは最近、このようにしてる。
 「あー池田です。おひさしぶりです。どうですか、その後」ってね。
 自分が忘れてるということは、相手も忘れてる可能性が高い。だからまずは
自己紹介をしちゃーどうだろうかって話だね。

2010年9月 8日

連絡

 先日、ある会に参加してきました。主催者によると「メールを流しても
当初は全く集まらなくて、どうしようかと思いました」。

 そこでボクの思うところを。
 「メールでご案内されるときは一カ月前くらいに一度予告として流されて、
締め切り近くになったら(先日、ご案内した件、締め切りが近づいております)
と流していただくと、予定に組みやすいですし、どうしようか考えている人
は再度のご案内で参加を決めるところがありますよ」とお話しさせていただいた。
 ま、これはボクの感想かな。

 これはそれぞれの人の時間感覚も問題になる。
 ボクの知り合いの男性は冗談ではなく三カ月前くらいにスケジュール
が決まるみたいで、これらの方に参加いただくとなったら三カ月前に
連絡するほかない。ボクが連絡するといつも「池田さん、そんな急に
言われても行かれませんよ」と聞かされる。そんな急だったっけ。

 さて。
 この世にはたくさんの会が存在しており、出欠を取ることはこれからも
なくならないだろう。ボクもご案内を出して「欠席します」と返って
きたりすると「分かった、分かった、もうあんたには案内しないよ」と
思ってしまう。ただ、いつも思うのだが、これってこっちの勝手な言い分、
って気がしないでもない。

 そして、そういう気持ちでいるとだんだんと集まりが悪くなる気がする。
 なんていうか、後始末が下手くそだからね。
 これは逆もしかりで欠席のメールを返すとなんの反応もない人もたくさんいる。

 自分の気持ちに正直って言えば言えるんだろうけど、やっぱダメだよな。
 ボクたちの真価は拒絶されたときに決まるんだろうな。
 だれだって拒絶されれば気持ち良くはないんで。だけどそこにあなたが
現れるってのは間違いなくある。人は「気持ちがなびく方になびいちゃ
いけない」ってことかもしれないね。自然は許されないんだ。
 だって、みんなわがままだろ。実際のところ。

2010年9月 7日

明確

 何年前だったか、観光でカナダを旅行した。ナイアガラも日程に入ってた。
 ある本によるとカナダ側からアメリカにかかった橋を歩いて国境を
越えることが可能としてあった。パスポートはもちろん持参してるわけで。
 やってみましたよ。

 橋を歩いて税関に向かう。係員がいてパスポートを見せて「あっちに
行きたいんだけど」。英語じゃなく、身ぶり手ぶりに近かった。

 結果は。
 「なに、言ってるのか、わかりませーーーん」みたいな感じで終わった。
 仲間内でゲラゲラ笑っているのが聞こえた。顔がカッと熱くなった。
 「おかしいなー、あの本によるとできるって書いてあったのに」。

 そして。また別のカナダ旅行中のこと。このときはウイスラースキー場で
スキーをやった。「よし、良い機会だ。バンクーバーにある博物館を
全て踏破しよう」と決めた。バンクーバーには三つくらいの博物館があり、
全て訪問することに決めた。重ねて言いますがボクは英語はからっきしダメ。

 バンクーバーを走ってるバスは「2時間以内なら帰りはタダ」っていう
システムがある。英語も話せないのにボクはしっかりとこのシステムを
利用した。やればできるものなのだ。

 バンクーバーの町中をバスで移動する。海洋博物館はすぐに見つけて
訪問できた。バンクーバー大学のすぐそばにあるというアクアリウムは
見つからなかった。大学の玄関で「アクアリウム、アクアリウム」と
大きな声で尋ねたがけんもほろろだった。

 同じことはニュージーランドのオークランドでもやってて、こちらは
全ての博物館を踏破できた。ちなみにスペインではガウディー建築を
見たくて全て回ったな。もちろんスペイン語なんか話せないんだが、
どういうわけだか、日本語で話すときちんと通じた。そんなものかも
しれないね。

 スペインでは町中で地図を広げているとたくさんの人から「どこに
行きたいんだ」と親切にしていただいた。ありがたかった。
 目的を明確にするとやりたいことって意外にやれちゃうんだよね。

2010年9月 6日

本能

 ボクは本能にのまま生きたいと願ってる。が、まだまだだなー。
 本能のまま生きるのはとても難しいことです。

 本能で生きるとは。
 やりたいことに真っすぐになればいい。やりたいことがあればすぐ実行。
 うだうだ考えてる間に実行に移せよ。だけどねー。うまくいかない。

 みんなも心当たりあるだろ。
 「それ、やったらみんなが変って言うに決まってる」
 「また池田さんの病気が出たね」
 「結局、池田さんはなにがしたいの」
 「目立ちたいわけね」
 って言われるのを恐れてる。

 いや、本当に恐ろしいよ、これらのことは。
 本能のまま生きようとするとこの世は本当の姿を現すんだ。

 そこはさ、透明なシールドがかかってて、みんなその中で生きてるんだ。
 そしてそのシールドから出ようとするとみんなが「おまえ、なに、
してんだよ。そんな恥ずかしいことするなよ」と引き戻される。で、現実に
気づくわけさ。「あ、これが現実か」って。

 ボクははっきりとそのシールドを感じてしまう。で、みんなはこのシールド
の中でぬくぬくと生きてることを感じてしまう。そんなに居心地良いのかな。

 はっきり言おう。
 やりたいことを真っすぐ実践するのはとてつもなく大変だ。
 みんなが足を引っ張る。身動きできなくさせてしまうんだ。

 ボクはそのシールドの中、あがいて、もがいて、のたうち回ってる、
いつもそんな感じ。そんな自分も恥ずかしい。
 「なんでオレ一人でもがいてるんだ」と考えると悲しくなってしまう。

 それほど、やりたいことを真っすぐ実践するのは難しく大変なことだ。
 あなたの前にもガスが充満してる。まずそれに気づかなくちゃね。
 ボクはそれでも本能のまま生きていたい。
 自分の考えをそのまま現実にしていきたい。
 また、のたうち回ることになる明日がやってくる。

2010年9月 3日

払った

 人は払った分ほどお持ち帰りになる、が一つの現実だと思います。
 先日、ある方とお話しさせていただきました。その方は「各種セミナー
を格安で提供していきたい」とのお話しだった。

 すばらしいことだと思う。ただ、「人はどういうものかたくさん
払うと真剣になるところがありますから、そのような作用もお忘れなきよう」
も付け加えさせていただいた。

 あれはエジプトに行ったときのことだ。エジプトは行きたくて行きたくて
たまらなかったところだ。行けたときはうれしかったなー。
 ただ、費用の点検もしっかりやった。かかった費用を観光できる日数
で割り算する。そうすると、おそるべきことに一日当たり8万円くらい
かかる計算だ。「うわっ、のんびりしてられないや」。

 よってガイドさんの話は最前列で聞き、「ちなみにナイトショーで
こんなのがあります」なんて説明をされるとただちに申し込みをした。

 だが、これだけ費用がかかった旅行にもかかわらず、ガイドさんの
話はそっちのけで、ただ後ろをついてくるだけ、なんて人もいた。
 一番後ろは追いついたころにはガイドさんの話が終わってて、次の
部屋についていくだけ、って感じだった。

 ま、これら余裕しゃくしゃくの人たちもいるのだが、普通は逆だろう。
 お金をたくさん払うと人はその元を取りたくなる。よって真剣になれる。
 無料でも真剣になれれば言うことはないんだけどね。

 試しに無料の催しをやってみるといい。「はい、参加します」「行きます」
って返事していた人の中でおそるべきほどの人たちが欠席するから。
 これらは「とりあえず参加で応えておいて、当日、よほど暇なら行く
ことにしよう」なんて考えているから、結局、欠席になってしまうんだ。

 前に食事付演奏会に出席したことがある。費用は2万円だった。ありゃ
欠席はいなかっただろうな。無料の催しというものはとても意義の
あることなのかもしれない。だけど、無料ということが、その催し自体
をおかしくさせてしまう。「行きます、行きます」なんて言葉より会費
をたくさん払うことが出席を間違いなくさせるってことだな。
 やはり人はたくさん払うと元を取ろうと必死になる面がある。
 自分のそんな面を知って活用することも大切だと思うな。

2010年9月 2日

継続

 今年、小冊子を作った。みんなにも気に入ってもらえてそれぞれが口に
するのが「続けることが大事ですよ」だ。そんなものかねー。
 ボクはホームページにおいてコラムを書いてたことがある。1360まで
一つも欠けずに連載した。こういう継続ならできますよ。

 みんなはプロの世界のことがあまり分かってないみたいだ。
 だれもが子供のころ読んだはずの週刊マンガ、必ずアンケート用紙が
はさんであって、集計されて真ん中から半分あたりを継続してる連載は
すぐに打ち切りになっちゃうんだ。継続させてもらえないんですよ。

 こちらがどれだけ真剣に、必死になって書いたか、なんてことは読む
人には関係ない。読む人はとにかくおもしろければそれでいいんであって。

 「これは意義のあることだから続けましょう」。ま、一応、そんなふうには
思うけど間違ってもおもしろくないものが継続されることなんてない。

 ボクは本を読むのが好きでよく書店に顔を出す。たくさんの本が並んで
いるからタイトルを目で追って気に入ると中を少し読む。「ま、間違い
ないかな」と思って買うことも多い。だけどけっこう外れがある。
 タイトルに興味はあってもつまらないものはつまらない。ってわけだ。

 だから小冊子が継続するかどうかは企画の問題だ。
 続けることに意味があるんじゃなくて、どれだけすばらしい企画で内容
をすばらしいものにできるかどうかにかかってる。継続してればだれもが
評価してくれるわけじゃない。

 継続していればそのうち上達というのはあるかもしれない。だけど
そんなものにだれがお金を払うのか。「もう少し様子を見てください、
きっとすばらしくなりますから」であなたは財布を開くだろうか。

 世に問うものというのは「いきなりすばらしく」なければならない。
 最初がすばらしくて、いつまでもすばらしいものしか残れない。
 継続は結果でしかない。
 継続が大事なんじゃなくて、すばらしいものを作るうちに長続きした、
が実際だろうな。

2010年9月 1日

赴任

 あなたが、明日から外国に転勤を命ぜられたら、どうしますか。
 ボクはたまにそんなことを考える。アメリカだったら。イタリアだったら。
 きっと日本人がたくさん集まるコミュニティを探すだろう。日本食が
食べれるレストランを探すだろうな。

 何年か前、米軍基地関係者と知り合いになることがあった。
 米軍基地から外部の人間を呼ぶ形にすると基地内部にもわりと手軽に
入ることが可能だ。何度か食事に誘っていただいたりした。

 そのお宅は一家でアメリカから日本に赴任してきたわけだ。
 この一家と話しているとあまりにも自分が日本という国を大事に
しているというか、それにばかりこだわっているかよく分かる。

 「うちはイタリアに家があってリタイアしたあとはそこで暮らすつもり」。
 れっきとしたアメリカ人だが職場の関係で滞在したイタリアが気に入って
購入されたんだ。それまでにも世界各地を赴任してるみたいだった。
 ワールドワイドっていうか、世界的な視野なんだよね。

 そして、その一家はバケーションをとっては日本各地を旅してまわる。
 話を聞くと日本の観光地のほぼ全てに足を伸ばしたことがうかがえる。
 当たり前の話だがアメリカ本国から日本各地を旅行するよりよほど手軽だ。
 言われてみればごく当然のことなのだが、世界各地に赴任するということは
こんなメリットもあるわけだ。

 ボクも一緒に食事させていただいたが、本国から母親を呼んだりもしていた。
 母親はアメリカで宝石販売の仕事をされてるそうだが、日本で40日
ばかり過ごす予定だと聞いた。耳を疑う内容ばかりだ。
 母親一人では日本各地を旅行することは難しいだろう。子供が日本に
いて呼んでくれるから可能になったわけだ。

 それまでボクは海外赴任と聞くと「寂しい」「日本語が話せなくなる」
「和食が食べたい」そんな角度からばかり見ていた気がする。だが、彼ら、
アメリカ人と話していると「おいおい、こんな良い面もあるぜ」って言われた
気がして。おかしかった。
 みんな物事、どういうふうに見るか、どんなふうに感じるか、で変わる
ってことなんだろうね。