2010年8月26日

はがき

 これまでたくさんのハガキを出してきた。その中にはこんなケースも多い。
 ある会社に訪問する。その会社の方々に次々に紹介されるといった場合。
 専務さんだったり、部長さんだったりする。それで、その方々にももれなく
ハガキを出してきた。返信があったことはない。

 ボクはこういうときいつも思うんだ。その方がもし独立されたらパートナー
になる人を探したり、お客さんを探したりするだろうに。そのとき自分の
人脈を総点検するだろうが、難しい結果に終わるだろうと思う。
 それだけのことしかしてないからね。

 要は、みんなその時点でしか物事をとらえてないようだ。
 「オレは今、この会社に勤めてる、で、仕事はこれだ」ときっちり決めて
かかってるんだろうな。今、これだけ社会で「これからはどうなるか分からない、
混沌とした社会になる」とか騒がれているのに自分だけは今のままが
続けられると考える。それが、ボクにはおかしくてたまらないんだ。

 ある男性からよくこんなことを聞かされる。
 「池田さん、サラリーマンってのは時間を売ってるんですよ、池田さん
みたいなこと考えるサラリーマンがいるわけないじゃないですか」。
 世のサラリーマンが全て彼の言う人間ではないと思うが、というよりは、
自分を規定して毎日を過ごしてるという感じがする。
 そこには独立とか退職の文字は見当たらない。

 チャンスというのは準備してないとやってこないと思う。
 「あー先日、会った人からハガキがきた。なんでこんなことをするんだろう」
では前に進めないと思う。ボクはこんなちょっとした機会でも活かして
やろうと考えている。反応がないのは当たり前。チャンスにつながらない
のも当たり前。だけれども。それでもやっていかなきゃ。

 要はこれから先、自分がどうしていきたいのかある程度は考えておかなく
ちゃいけない。今の自分の守備範囲でどこまでもやっていけるとは、
ボクには思えないんだが。
 わずか50円でなにかにつなげられるならこれほど安いものもないと思う。

2010年8月24日

ねーねー

 あれは30代になったばかりのころだったと思う。ボクは無意識に
よくこんな言葉を口にしていた。「ねーねー、これ、どう思う。どうしたら
ええんかねー」。きっとそのころ自己啓発本など読んでいたのも原因が
あるのかもしれないけど、ボクは声にならない声をはっしていた。ああっ。

 「オレは。なんでもかんでも人に意見を求めてて、自分ではなにも
決めてないじゃないかって」思った。

 一つには人に尋ねるととても気が楽だった。物事には慣習みたいなものも
あるだろうし、意見を求めてそれにすがっていれば決定的に間違いをおかす
こともないだろう、そんな感覚があった。それに衝撃を受けたのは自分が
「頼っている」そのことに気づいてない、があった。

 そうすると、もういけない。ファミリーレストランなどに出かけても
ついおかしなところばかり点検する自分がいる。家族連れで食事に
来られた一家を観察しているとおかあさんとおぼしき人が「ねーどうする、
あんたは、あんたは」でしまいに自分の番になったとき「わたしはお兄さん
と同じでいいわ」みたいな発言をするのを見たとき再度、ああって思った。
 「オレとおんなじや」。

 きっとこの方も自分では意識されてないと思う。だけど、決定を周囲に
すがっているわけだ。家族ならそれはまーそれでいいのかもしれないけど。
 そのころ、ボクはよくこのことを考えていたのでよけいにそんな光景が
目に飛び込んできたのかもしれない。

 ボクは思うんだ。意欲のある人だったら常に決定する癖をつけとかなく
ちゃいけない。「自分はこのように決定する。その上でみんなに意見を
聞いてみよう」そんな気分を持っておくことが大事だって思う。
 決定も「今日からなんでもかんでも自分で決定します」っていうぐあい
にはいかないんだよね。少しづつやっていかなくちゃ。

2010年8月23日

出会い

 先週の金曜日、何人かの方とお会いさせていただきお話しを伺う機会が
あった。ふと、思った。お互いにこの場にいること、そのものが奇遇
というか、なにかしらの出会いの結果だろうということを。

 ボクたちは毎日生きてはいるからたくさんの人たちと出会う。ただ、
その出会いというのは頭で想像できる範囲にいる人たちだ。
 「今日はどんな出会いがあるか分からない」なんてことはない。
 ボクたちはそれが当然とも当たり前とも認識していない。とても
当たり前過ぎて空気みたいなものになってるに違いない。

 それが当たり前であるなら、先週金曜日は特別な一日だった。
 次にやって来られる人がどんな人なのか分からない。さて、それなら
その方とどんな話をすればいいのやら。
 それらの方々もなにかしらの縁があってここにやって来たわけだ。

 よくよく話を聞いてみるとあまり詳しく内容を確認した人も少なかった
らしく「とりあえず行ってみて、そこで詳しく聞いてください」だったようだ。
 中継ぎに立った人も説明に困ってたのかもしれない。

 この日、お会いさせていただいた人に共通してるあるものを感じた。それは
意識する、しないにせよ、出会いを強烈に活かしてるということだ。
 ある方はその出会いによってお客さんを増やしたと語る。ある方は出会い
によって職を得、今の仕事のとっかかりをつかんだと話してくれた。

 それらはそれぞれの方が力説していたことではなく、話を聞いていたボク
が強く感じたことだった。本人はあまり意識してないかもしれないが、
その出会いによって今が成り立ってる、そんなことを感じた。
 これってすごいことだと思いませんか。

 ボクはある方に「その出会いをつかむきっかけは何だったんですか」と
思わず質問していた。要領を得た返事はいただけなかった。
 ただ、だれにも共通して感じたのはサービス精神みたいなものだった。

 自分が自分を推挙するのは説得力が足りない。周囲が推挙してくれれば
これほどありがたく説得力のあるものもない。これらの人たちは周囲による
推挙をうまく活用してる気がした。そして、うまく活用してることすら、
当人たちの脳裏にはないことも知った。「出会いを活かす」って、そういう
ことなのかもしれないな。

2010年8月13日

注意

 先日、ある会に参加させていただいた。ボクは自分の番になったので
「岩国からやって来ました池田と申します。ボクはよく広島でも食事会
をやってまして、ぜひご興味のある方はボクの会にも参加してください」と
自己紹介させていただいた。

 で、その後、たくさんの出席者の人たちと名刺交換させていただいたの
だが。「あれっ、池田さんって岩国ですか」がいの一番の人がたくさんいて
驚いた。ボクは紹介のとき「岩国の」と念を押していたのに。

 ま、人はこんなものだ。
 みんなさ、自分が話すことにばかり気を取られていて、今紹介している
人がなにを話しているか、どんなことに興味を抱いているか、肝心なこと
に注意を向けないんだな。

 後々の雑談のとき、その人がなにを話していたかきちんと覚えておけば
話が楽しく展開すると思うんだけどね。だれもボクのことを覚えておいて
くれなかったのでとてもさみしく感じたよ。

 人が話していると下を向いて「自分がなにに注意してしゃべるか」再点検に
余念のないあなた、あなたですよ。チッチッチ。ダメですよ。それじゃ。
 ボクに関心を持たないあなたにボクが関心を持つはずもない。
 世の中、そういうふうにできあがってるんだから。

 しっかり聞いてくれることって、それは歌手のリサイタルかなにかで
しっかりお金を払ってるとき。無関心じゃいられない。もったいなくて。

 はっきり言おう。
 自分がなにを話すか、ではなく、今、お話ししている人がなにを話して
いるかに注意を払う方がよほど結果は大きくなる。だれしも自分に関心
持ってくれる人に対しては敬意をあらわすもんだからね。

 ボクは岩国、食事会のこと、ゲストのこと、お客さんのことを話した。
 それらはボクのキーワードで雑談するときに大いに役立つはずだ。
 その人が話したことの中で少し気にかかったことをキーワードとして
記憶しておこう。それだけであなたの評判はグッとよくなるはずだ。

2010年8月12日

人相

 先日、ある女性から「池田さんはヒザが悪いですね、でも、それも
腰から来てるんですよ。それから内臓も良くないですね」と聞かされる。
 ドキッ。当たってる。この女性にはなにかを頼んだわけではなく、
初対面でただお話しさせていただいただけ。その中で出てきたセリフが
これだった。

 内臓は子供のころから弱く、映画で内臓を鍛えるためなにかの薬を
呑ませるシーンを見て「あれはどこで手に入るのか」なんて考えたものだ。

 ヒザも去年だったか悪くしてる。腰から来ているといえば言えるだろう。
 腰は20代のころとにかく痛くて痛くてたまらず、何度か整体に通った。
 首と足にロープをかけられ引っ張られた覚えがある。

 そのときの整体の方のお話し。
 「基本的に腰は良くなることはありませんから、せっせと鍛えて周辺の
筋肉をつけて、腰に負担をかけないようにすることです」だった。
 ただ、あれから運動に登山にと励んだせいか腰痛に悩まされたことはない。

 そして、その翌日。
 別の場所で出会った初対面の男性から。
 「占いは腰、内臓、頭痛辺りを言えばほぼ当たりますよ」と聞かされ、
なんとなくこっちにも納得させられた。ある程度の年齢になればみんな
腰痛や内臓疾患など抱えるわけで。

 ただ、こんな話も聞いたことがある。
 「人はなんの仕事をしてきたかで頭の形が変わる」と。長年続けていると
頭の形まで変わってしまうということだが、ボクの表情になにかしら
苦悶の跡があり、それを的確に見抜くことに長けているのかもしれない、
なんて思ったんだ。それなら、当たってもおかしくない。

 昔々、江戸時代は手配人相というのがあった。写真がないのでその人物の
行方をつきとめるために描いた似顔絵だ。この似顔絵描きのような職業
の人たちは案外、その人のたどった軌跡などが分かったのかもしれない。
 あなたの見解を聞いてみたいものだ。

2010年8月11日

第一印象

 この一週間で4つくらいの会をハシゴした。もちろんどこにも知らない
人がいて名刺もたくさんいただいた。ボクはこの多数の人を見たとき、
なにをしゃべればいいのか途方にくれ、座り込んでいた。もともと雑談は
好きではない。だから周囲の人に雑談のコツを聞くのだが、「池田さんは
考え過ぎ」で話は進まない。難しいなー。

 さて、人はどこに出かけても未知の、知らない人と出会う可能性は十分
にある。そのとき、できるならその方に良い印象を持っていただくことは
大事だと思う。なぜなら、こうして未知の会にたくさん出席してみて
感じることは「みんな第一印象、悪すぎ」だからだ。

 表情にはいろいろある。「笑ってる顔」「ほがらか」「いさましい」
「楽しそうな顔」「なにかを期する顔」などなど。
 だから未知の人と出会う可能性のあるときは少なからず表情を作って
臨むくらいでいいのではないかな。

 ボクはよく「用意してない顔はダメ」と口にする。
 自分の顔にもっと意識を向けなくてはいけない。
 あえて言おう。自分の顔は自分のためにあるのではなく、それを見る人の
ためにあるのだ。だから、元気のない顔をすればそれだけ可能性は逃げていく。
 表情はいろんな人を引き寄せるかどうか決定する力を秘めている。

 ま、こんなこと書くと「おまえはどうなんだ」って言われそうだけど、
ボクも意識はしてるよ。人はみんな基本的にちやほやされるのが好きだと
思う。「あなたは偉い」「立派」「さすが」なんて言ってほしい。
 だけど現実にはなかなか人はこれらのセリフを口にしない。
 楽しそうな顔をして、「さすがですね」なんてセリフを多用すれば
きっとあなたの周りにはたくさんの人が集まってくるに違いない。

2010年8月 9日

言葉

 言葉は恐ろしいと思う。
 ボクは自分でも食事会をすることがあるし、とにかくよく会にも参加する。
 当然、そこでたくさんの人たちと会うことになるのだが。

 そこで交わされる言葉によって次が生まれたり生まれなかったりする。
 言葉は生まれてからすぐに使い始め、みんなが達人みたいな気分でいる
かもしれない。だけど、実はそんなことはなく、もっともっと注意した
方が良いんじゃないかな。

 言葉には意志を伝える役割もあるが、全ての世代の人に共通して使う
ことのできる装置と言えなくもない。

 ボクなども世代の違う人たちと話すとき、なんとなくかったるく感じてしまう。
 共通の話題を探さなくてはならないし、失礼な物言いにならないよう気を
つかう。そのこと自体もくたびれる原因だ。

 だけれども、なにかをやろうとするとき、世代のことなんかかまっていられない。
 世代を越えて自分の意志を伝え、なんとか協力していただく必要がある。
 きっとだれもが今はそんなことなくても、そのうちそういう事態が発生
するんじゃないかな。

 要するに、話す言葉も注意してどんな世代にもきちんと伝わるよう訓練
しておく必要があるってわけだ。
 逆にさ、「この人には協力してあげたいな」「また酒でも呑みに行きたいな」
と思わせる人もいる。どっちが得か考えたらこっちだろう。

 言葉遣いは要するに「足切り」みたいな役目を果たしてる。その後が
あるかどうか、まずは言葉遣いによって判断されているんだな。
 だから怖いと思うんだ。
 言葉は仲間で通用する道具、でもあるが、違う世代にもきちんと伝える
べく装置としての役目もある。

2010年8月 5日

予定

 今のところ、ボクはずっと空いてます。とほほ。
 いろんな方とお話しさせていただくと分かることがある。それはみんな
忙しすぎるということ。あまりにも忙しいのはいただけない。

 「実は今日、東京からこんな人が来てるんです。良かったらお越しに
なりませんか」と電話してもたいてい「今日はダメ」「都合がつかない」
人が多い。一見、忙しいことは充実してるように見えるだろうけど、
果たしてそうだろうか。ボクはそうは思わない。思えない。

 あなたは一週間のうちどれだけの夜が要件ありになっているだろうか。
 一週間のうち二日や三日は意識して空きにしておかないといけないんじゃ
ないかな。ボクの場合、一週間のうちまず一日ほどは予定を入れる。

 水曜日なら水曜日に予定を組む。あとの曜日は空きだが、これもやはり
「たまには呑もうよ」「話でもしよう」と誘われることがあり、終わって
みると一週間のうち三日くらいは予定が埋まってしまう形だ。
 どうだろう。ボクの場合は突発的な行事に対応できることが分かって
いただけるはずだ。

 チャンスという言葉がある。このチャンス、あらかじめ予定を組んで
おいた中ではなかなか発生しないものだ。「いつものあの会に参加しよう」、
で参加してもチャンスなど巡ってこない。結末は分かり切った会、とも言える。

 いつもの仲間、いつもの友達と呑むのももちろん楽しいものだ。
 だけれども、そうした中でふと「おい、オレ、あの人と知り合いになった
から、今度紹介してやるよ」なんてことは起きない。よそに飛び火しない
っていうか。そうなる。

 ボク自身何度かあったが「池田さん、今日、講演会を終えたばかりの
先生と呑んでるんですが、良かったら来ませんか」みたいなことが何度か
あった。講演会の講師の方と呑む設定は前々からは難しい。
 「フタを空けてみると先生と呑むことになった」だけだ。

 こんな突発的な行事がきちんと入れられるよう、日程と気持ちにゆとり
を持たせておくことが大事だと思うんだ。こういう突発的なことがボクたちの
気持ちや考えに風穴を空けるんじゃないかな。
 あなたの意見はどうだろう。

2010年8月 2日

独創性

 「ケッ、へたくそが、どうにもならんのー、へたが」。
 一週間ばかり前、いつもボクが利用してる駅で深夜、代行運転の
ドライバーを待っていると、隣に座る男性がそんな言葉を。

 「カランカランカラン」。男性は「ケッ、へたくそが」と言うと呑んでいた
ビールの空き缶を前に放り投げ、横になると寝入ってしまいました。

 その椅子はところどころ盛り上がっているのですが、男性が苦しそうに
体勢を整えるのを見て「寝るのを禁止する目的もあったのかー」って
思って見てました。

 この駅にも最近、歌を歌う男性、女性の姿が散見されるようになりました。
 酔っ払った男性が毒づいていたのはその歌手に対してでした。
 ただ、そう言われて聞いていると「うん、なかなか良い曲じゃないか」と
思ったんです。なかなかすばらしい。いや、待てよ、どこかで聞いたことがある。
 「あー、これ、こぶくろだ」。

 そうです。やはりこれら街頭歌手はテレビでよく見る歌手、よく売れてる
歌手の歌を歌っているのです。

 ボクは思いました。「これだよなー、これら街頭歌手にこれらの歌が
あったなら、すごいんだけどなー」。こぶくろも確かこうして街頭で歌を
歌い人気化したって聞いたことがある。出身は同じだったんだ。

 こぶくろの歌を聞いてると勇気やファイトがわいてくる。
 これらの歌手にはそれがない。持ち歌がない。いや、あるんだろうが、
もちろんメジャーじゃない。ってだけ。

 どれだけうまくこぶくろの歌を歌ってもやはり評価されない。
 そんなことは当の本人が一番分かっちゃいることだろうが。
 とすると、やはり酔っ払いのおじさんが口にしてたように「ケッ、へたくそ
が」ってことになるんだろうか。どうだろう。

 自分の持ち歌で評価されなければ意味がない。独創性、オリジナリティー
が要求される。きっとこぶくろは街頭で歌ってるときからメジャーの片鱗
を見せつけていたに違いない。「ここにこのまま収まる器じゃない」ってね。
 頑張ろう。あの酔っ払いのおじさんをアッと言わせてやろう。それしかない。