2010年7月30日

 アメリカ人には虫の声は聞こえないそうだ。読んだときとても驚いた。
 「えっ、だって、鳴いているのはだれにも分かったことだろう」なんて
思った。アメリカ人には虫の声は声ではなく雑音のようだ。
 あれは日本人の背景というか、情緒の感覚が聞かせているのかもしれない。

 人は聞こうとしなければ聞こえない、見ようとしなければ見えない、
感じようと思わなければ感じられないのかもしれない。
 確かに虫たちの音色は雑音と言えば言えなくもない。
 日本人はそこに季節感であったり、ワビサビを乗せて、だからこそ
聞こえるのだろう。

 全く違った話に聞こえるかもしれない。
 あれは10年くらい前のこと。
 近くの体育館で元オリンピック選手による健康体操教室というのがあった。

 ボクもなにげなく参加していたのだが、この方が体育館に入ってくると
ビシッと引き締まった空気になった。存在感がすごいんだ。いや、ひょっとして
元オリンピック選手、ってこちらがとらえているからかもしれない。

 ボクたちが健康教室で身体を動かすとなったら「まーそう張り切らないで、
楽しくやりましょう」みたいになるものだが、その方が笛でピッピッと
やるうちにボクたちは熱くなっていった。
 熱がこちらに届いた感じだった。
 最後の方は体育館の床がミシミシいってた。

 以上、二つで存在を感じて、徹底的にまじめにやる。といろんなことが
うまくいくと思う。
 虫がそこにいることを知り、まじめにコツコツやっていく。
 虫とは「なにをやるか」で、それを見極める必要がある。
 存在を知らなければ頑張ることはできないからね。
 ダラダラやる運動よりビシッとした空気を伴って運動する方が効果が上がる。
 あなたには虫の音色が聞こえるだろうか。

2010年7月29日

名刺

 名刺は10種類近く持ってる。内容はいろいろだ。全てを受け取った人は
いないはずだ。
 あれは20を少し過ぎたころだったと思う。そのころからボクは自営で
これからの仕事のことや展望のことを考えることが多くなっていた。

 そして分かったことは「ボク自身が」会社であるという意識と、
これからの時代、やはり人脈が大きくモノを言うのではないかと。思った。

 今も基本的に名刺を必要としない。仕事で名刺を出したことは一度もない。
 だから社会人になって8年近く名刺を作ることはなかった。
 ただ、26くらいのころ、名刺を作ろうと思った。

 印刷屋さんにお願いすると「写真入りの名刺なんて作ってる人はいませんよ。
それにうまく印刷できないから、そんな名刺、難しいですよ」って言われた。
 そのころ写真入りの名刺なんて見たこともなかった。
 出来は追求しないということで作ってもらった。やはりモノクロになってて
鮮明な出来ではなかった。
 その名刺、差し出す相手もなくほぼまるまる残ってしまって今に至る。

 それからしばらくして両面に言葉の書かれた名刺を作った。裏がある名刺だ。
 裏には「おっ、裏も確認しましたね。その注意力があればきっとお金持ち
になれるでしょう」と記載した。あげた人からは喜ばれたが、ボクは正直な
ところ、名刺をもらって裏も確認するくらいのやつが成功すると考えて
そのような名刺を作った。

 聞いた話によると作った名刺の四つ角のうち一角をハサミで切って
渡す人もいるらしい。これには意味もあって「まだまだ100%では
ありませんが」を表現したもののようだ。世の中、いろいろ考える人が
いるということだ。

 「自分自身が会社そのものだ」と規定してからボクはいろいろと考え方が
変わった。おかしな名刺を作るようになったのもそれが一因だ。
 名刺の裏に「500%」とだけ印刷したこともある。これは500%
頑張るって意味で作ったんだけど、だれも意味は分からなかったな。
 人は意識の持ち方でいろいろと変化してくるってわけさ。

2010年7月28日

全力

 「グオーーーーーン。グオーーーーーン」。庭の方からなにかをふかす
音がする。出てみると母親が原付きバイクのアクセルをふかしていた。
 10年くらい前のことです。母親が「お兄さん、(わたくしのことです)
バイクの調子が悪いんだけど、なんでかいねー」と。

 どれどれとアクセルをふかしてみますと風邪をひいたみたいになってます。
 ボクは18のころバイクに乗っててバイク屋さんから「池田さん、あんたは
きちんと乗っとるなー」って言われてましたから、すぐに調子の悪さの原因が
分かりました。

 「あのねー、おかあさん、バイクいうんはたまにはアクセルを回してやらんと、
バイク自身が全力、いうのをわからんようになるんよ。じゃけーたまに
アクセルふかしてやると、バイクがびっくりして、うわっ、オレにはこんな
力があったんかーって、自分の力に目覚めるんよー」。

 ただ、母親はボクのそんな話を冗談かなにかと思ったらしく、「あんたは。
まじめに考えてや」だって。まじめもまじめ。

 「バイクいうんはいつも20キロで走らせてると、それが最大のパワーなんよ。
それで、そういうバイクはエンジンが切れそうになったり、ゼイゼイいったり
するんよ、たまにアクセルふかすと排気管の中に詰まったゴミが飛ばされたり、
バイク自身が自分の力に気づくんよー」なんて話をしました。

 これ、本当にそういうことがあるんです。
 この手のバイクはとにかく調子が悪い。ストトン、ストトン、スススス。
 そのススススのときにエンジンが止まるような、そんな感覚を覚えます。

 これはバイクに限ったことではなく人間も全く同じ。そのためには
自分自身、思いっきりアクセルをふかして「自分の力がどれほどのものか」
確認する必要があると思います。その上で100%では動かないようにします。
 バイクも同じですが全力を知って7割くらいの力を出してやるのがいいと
思います。人間もたまにエンジン全力にしてやらないと調子が悪くなって
しまいます。

2010年7月26日

大義名分

 人が動くときにはエネルギーが必要だと思う。大義名分と言ってもいいん
じゃないかな。なんのために働くか、だ。
 あれはいつごろの話だろう。自分のために働くより他人のために働く
方が全力が出せるんじゃないかと感じたことがある。不思議な気分だった。

 自分からはなにもやらないが頼まれると頑張ってしまう自分がいる。
 「あなたでなくてもいいんです」って言われると力を出せないが、「あなた
じゃなきゃだめなんです」なんて言われると「やってやろうじゃないか」と
感じる自分を見つけた。

 ここのところはうちの両親にいくら話して聞かせても理解してもらえない
ところだ。「働くのに理由なんかあるか」なんだな。きっと時代もあるんだと
思う。無目的に頑張ることができない時代になったんじゃないかな。
 理由って言うか、根っこのところを考えないといけない時代になったんだ。

 これまでは「良い暮らし」というとても分かりやすい指標があった。
 で、これを読んでるほとんどの人が実は良い暮らしは達成していて、
だから働く意味が見つけられなくなってるんじゃないだろうか。

 ボクたちは子供のころ「無気力、無感動、無目的」で三無主義と言われた。
 やりたいことが見つけられずに苦しみ始めた世代だろうな。

 あなたにとっての大義名分とは何だろう。
 社会が混乱しているとそれを鎮めるため、苦しんでいる人がいればそれを
助けてあげる。などがある。が、今は見つけられないでいる。

 要するに大義名分とは大きく考えて不足を見つけてそれを補うことじゃ
ないかな。ボクは自分なりにそう考えている。

 今は職を求める人たちがたくさんいるんだから、それを満たすことは大きな
原動力になれる。困ってる人たちがいるわけだから。
 まずはあなたの周りの困っている人たちを探してきて、なにか手伝える
ことはありませんか、と問うことは大きな意味がある。ボクはボクなりに
実践してるつもりだけど。ボクの大義名分はきっとそこだろうな。

2010年7月22日

弁護士

 先日、ある会に参加して、弁護士の先生とお話ししていたときのこと。
 一緒に出かけた人がボクを見て「相手が弁護士だと話し方が変わりますね」
だって。そりゃーそうだろう。と口にすると「なぜですか」。

 「それは相手がえずい(賢いの方言)からだ」。するとまた、「なんで
ですか」。「オレからみればあんただって十分、えずいから、尊敬してて、
それなりの話し方をしてるつもりだけど」。
 「相手が賢いと話し方が変わるんですか」。変わるとも。
 なんて会話をしたのであれからいろいろ考えてみた。

 人間としてはみんな大人で成人なんだから扱いが同じであって当然だ。
 は分かるんだけどね。なんとなく、相手がえずいとかしこまってしまう
ところがある。かしこまること自体は良いことじゃないかな。
 人によって対応を替えるところは確かにまずいかもね。

 ボクは子供のころからあまり勉強ができず、それが長いこと減点
のような気分だった。「オレはバカだから、ま、こんなもんだよな」、
自分で自分をけなして、さも当然、みたいな気分でいた。それ自体は悪い
ことだと思ってる。

 ただ関門を突破したことはすばらしいことだと思ってる。えずい人は
みんな関門を突破してる。ただ、と同時にこれまで弁護士の知り合いが
一人もいないことも確かだ。どんな対応をすればいいのか分からない面がある。
 そういう意味ではお互いに未知の生き物かもしれない。

 ボクははっきり言って相手によって対応を替えていると言える。
 それは関門突破が大きな理由だ。えずい学校に入学した人も突破してる。
 ボクの知り合いに会社の肩書は平のサラリーマンの方がいらっしゃる。

 この方とは長い付き合いだがいつもかしこまった対応をしてる。
 相手がでかい会社の人間とか、重役とかそういうことだけではなく、
相手からかもし出される雰囲気によってもボクは対応を替えている。
 かしこまるのは相手が自然に発する人間性に対して、かもしれない。
 あなたの考えはどうかな。

2010年7月21日

遠く

 ボクはよく「よくそんなに遠くから来られますね」とあきれられてる。
 そうかもしれない。
 ただ、ボクは中学生のころ親友が大阪に引っ越した記憶がよぎる。

 心中、「あー、こいつとはこれで終わりだな」って、思った。だから
住所とか電話番号も聞かなかった。ところが。今度はボク自身が単身京都
に留学することになった。知ってる人も多いと思うが大阪の梅田には電車
で35分。たまに梅田に遊びに行くこともあったが「あー、ここにあいつ
がいるんだなー」ってよく思ったもんだ。

 そして、自分自身の観念の弱さも実感したな。
 京都は大阪のやつらも自由に行動していて言葉もかなり入ってきてた。
 事実上、京都と大阪の間に境界線らしきものは見つからなかった。
 分けているのはボクたちの意識かもしれないね。

 今、大阪は日帰りでも十分に行ける。だけど、中学生のボクにとって大阪
は未知の世界だったな。梅田をほっつき歩いて「考えてみれば不思議だなー」
って、よく思った。

 ボクの気持ちがもっと大きければあいつとはいまだに遊んでたかもしれない。
 ただ中学校に入学するときはもっとひどくて「クラスが違うから、もう
オマエとは一緒に学校に行かない」なんてお互いにやってたな。

 ボクはエジプトを二度旅行してる。これは意識がまずあり、そして実際の
旅行があると思ってる。要するに「なんとなく行きたいなー」「いつか
チャンスがあったらなー」と思う人は行けないんだな。いろんなものを
犠牲にしようと思わないから。

 ボクはエジプトに行くことが決まったとき旅行費用は一切調べなかった。
 関空からは土曜日出発がないので成田にした。
 関空と成田じゃ国内の費用だけでも倍にはね上がってしまう。
 まずボクたちは頭で行動しているものだと認識しよう。頭で行動し、
そして実際に行動する。だから、頭は大きく、広く、たくましく行動した
方がいいということになる。そのうちの何割かを実践できるわけだからね。

2010年7月20日

本質

 たまには本質を探してみることも必要ではないだろうか。
 仕事とは。働いてお金を得て、それにて生活を成り立たせるもの。

 そんな考えをよく聞かされるがそうだろうか。逆に、そのように考える
から、全力が出さない結果を招いている面もあるのではないかな。

 あなたのお仕事の本質は何だろうか。
 ボクはよく「人にモノを教えてそれで生活してる」と表現されるが自分
ではそうは思ってない。ボクの本質は「あなたにはもっと可能性がある。
それに気づいて、その上で努力したら」である。

 この本質というやつ、今やってる仕事と決して矛盾するものではない。
 「突き詰めて考えてみることを」お薦めしてるんだ。

 前にある方から「オレの仕事はサービス業で、いらないって言われたら
それで終わりだよな」そんな話を聞かされた。そういうとらえ方をすると
結局、前が見えなくなってしまうと思う。
 警察だって弁護士だってこの世に事件がなくなれば仕事はなくなる。
 だからそういう考え方はあまり得策じゃないと思う。

 行動面で、現象面でどうなっているかじゃなく、もっと物事の本質に
立ち至ってもいいんじゃないかな。
 そうすると、血流が良くなっていろんな物事がどしどしはかどると思う。
 あなたが全力を出せてない理由はひょっとしてそこにあるのかもしれないよ。

 だから仕事とは「働いてお金をもらう」で片付けてしまうと全力は出せない。
 「なぜ働くのか」「それによってだれが助かるのか」「社会をどのように
していきたいのか」などなど。それぞれ改めて考えてみてもいいんじゃ
ないかな。それがはっきりしてる人ほど全力が出せて実力が出せる。
 働くことの意味をしっかりつかんでるからね。

 「働けば金になる」で済ませてしまうと「だったら宝くじで1億円
当たったら、働かないわけね」になってしまう。社会に必要とされてる
なら1億円あろうとなかろうと関係ないはず。じゃないかな。
 あなたのお仕事は何ですか。

2010年7月16日

メリット

 先日、知り合いを誘ってある会に参加した。見ていると知り合いはせっせと
自分の仕事について話してるらしかった。だれもが興味あるところかもしれない。

ボクはこそこそと呼んで「あんたなー、自分の仕事のこと
ばかり話すな。まずはあんた自身を気に入ってもらえるようにしろ。仕事
の話はそれからだ」って話して聞かせた。

 仕事熱心はいいのだが、つい自分のことしか見えなくなってしまう。
 会にはそれぞれ色合いや趣があり、それを尊重することから始めなく
てはならない。

 ボクは人と話すとき、いつも相手にとってのメリットを考える。
 だれかと実際に会って話をするのって実はかなり大変なことだ。
 どこかの飲食店で食事しながらにせよ、そこまでの交通費、かかった
時間、その約束を入れてしまったがために、それからの約束は受けられない、
など考えていけば実にたくさんのことがある。
 もちろん飲食代もかかるしね。

 相手のメリットというのは「ただ楽しい」とか「今日はつまらない時間
の使い方をせずに済んだな」でいいと思う。交通費や飲食代をかけただけの
ことはあるな、と思ってもらえるようにするのは当然だと思う。

 それからすると彼のように「自分の仕事に対して熱心」というのは少し
いただけない。相手がそれを欲してるどうかが大きく関わってくると思うからね。
 やはりこの世は「相手あってのこと」なんだね。当然だけど。

 会をやっていると「ねーねー池田さん、あの人、来るの」と背中を
つつかれることがある。で「来るんなら、わたしは行かない」につながる。
 なんらかの理由で煙たく感じてるんだな。

 この世の取引というのは、まず「相手のメリット」を優先させることが
先決だと思う。そうしてからほかのことが進んでいくんだよね。
 だから、ボクたちは「自分のメリットより、相手のメリットが先」くらい
の感覚でいなければいけないと思う。これを頭に入れておけば物事、かなり
うまく進んでいくと思う。

2010年7月14日

横並び

 あなたは横並びを意識することはあるだろうか。ボクは、すごくあるなー。 
 やはりいろんな人たちと会って話すからなのかな。みんなの気分、意識
みたいなものが伝わってくる。

 横並びとはこういうものだ。
 「クラスのみんなはさかあがりができる。さかあがりはできて当然なんだ、
できないやつはおかしいんだ」。これらのことはものすごく目にする。

 ボクは小学1年生のとき、学校でさかあがりをすることになった。で、
全くできないので父親と学校の鉄棒で練習することになった。

 父親はボクの身体を追いかけるようにして支え、さかあがりができる
ように助けてくれる。しかし。いつまで経ってもできないので、父親と
二人、無言で学校をあとにした。

 自分がとても情けなく思ったことをよく覚えてる。ただ、と同時に、
それからもできないことはたくさんあり、「ま、オレはこんなもんだ」、
あきらめみたいな感覚になってきたな。

 ボクが横並びを観察していて思うのは「平均点でみんながまとまろうとする
こと」がいけない気がするんだ。いくらさかあがりができるようになっても、
できるようになったってそれはただ単に「みんなができることができるように
なっただけ」だよね。平均点に追いついただけじゃないか、それって。

 日本では「これこれはあいつにしかできない」ってのが完全に不足してるんだ。
 「これをやらせたらあいつにはかなわない」が欠けてる。
 横並びはただ単にだれもができることがあなたにもできるというだけ。
 じゃなく「あなたにしかできない能力は何か」が、あなたの値打ちを高める
んじゃないだろうか。どうだろう。

 小学6年生のとき、友人に「社会のテストだけ必ず90点以上」って
やつがいた。際立っているのがほかのテストは全くダメなの。だけど、
あいつをバカにすることはできなかった。なんとなく、「こいつはすごい
ものを持ってるんだ」って子供ながらに感じていたからね。
 今、日本という国では自分が食べるものを自分で生産し、なおかつテレビ
を作って自分で見てる人などいない。それぞれが自分の強みを活かして
生活してるわけだ。だれもができることができるようになったって、
あまり意味ないんじゃないかな。

2010年7月13日

高校生

 高校で教えてたことがある。ある日、高校生がこんなことを口にする。
 「オレさー、もうこれこれの資格、取ってるから。卒業まで勉強しなくても
いいってことだよね」。まだ高校に入学してあまり日も経たないころの話だ。
 ボクは返事のしようがないので、笑いながら
 「それもそうだね」と。極端なことを言えばこういうことは発生する。

 高校では「最低限、身につけるレベル」ということで最低限のレベルを
決めている。要するに赤点。赤点は二つあって資格を取ればいいのと、
定期交差を実施して、「平均点の半分以下」も赤点としていた。

 分かったことだが、「高校生の教育課程はこれだけは取得するように」
を既に取得している人は勉強せずとも卒業できる。
 だが、「なら、なんで君はここに来たの」って質問したくなってしまう。

 別の高校生の話。
 「オレは家が土建屋だから、勉強なんてかったるくてやってられない、
卒業したら土建屋やってクラウンを転がすんだ」って話してた。
 勉強の裏付けのないやつがただ単に自分ちの土建屋をついでなんになるか。
 時代が変われば「つぶしの効かない存在」だと思い知るだろう。
 確かに彼はクラウンを転がしてはいたけれど。

 分かったことだが世の中というものは常に変転を続けてる。
 次の時代がどうなるかそのときは分からないものなんだ。だから本当に
賢い人というのは「どんな世の中になっても平然として生きていける人」だ。
 その裏付けとして学校とか勉強は存在してる。箔をつけるために存在してる
わけじゃないんだ。

 言ってみれば生きていく力を養うために学校はある。
 職に就くために存在してるわけでもない。職自体はどうなるか分から
ないからね。
 人は常に「今」を見ようとする。だけど今がそのまま続くわけじゃない
こともみんなよく知ってるはずだ。自分の力を磨いてどこででも通用する
力を体得することがもっとも必要なことなんじゃないかな。

2010年7月12日

二代目

 先週の金曜日、ある男性とお話しさせていただいた。とても楽しかった。
 男性はいわゆる二代目で今のところお父様が社長をなさっているが、
当然の帰結としてそのうちに自分が社長になることは決まった路線である。
 本人もそのつもりである。

 男性 「ボクはスポーツメーカーに勤めてましたけど、そのときその
企画が通らなかったらクビにしてください、って詰め寄ったことが何度か
ありましたけど、うちの社員にそういうのはいませんね」。

 ボク 「会社というのは社長を飛び越す社員は現れないものです。社長
の考えを飛び越す社員もいないでしょう。そういうことだと思います」。

 ボク 「あなたはスポーツメーカーで7年間、働いてこられたわけでしょう、
今、感じる違和感こそ大切にしないといけないと思いますよ、あなたの
これからは今、感じた違和感をどれだけ解決できるかにかかってる気がします」。

 ボク 「どの業界にも(その業界の慣行)みたいなものがあり、それを
踏襲したくなる。だけど門外漢は事情は分からないがおかしく感じることも
たくさんある。いつしか違和感そのものも感じなくなってしまうものですよ」。
 ボク 「今、感じてる違和感は絶対に正しいと思いますよ」。

 男性 「そうなんですかねー、今、業界の会合とかに出ると(やはり
東京の会社に勤めてた人は考え方が違うなー)ってよく言われるんですよ」。

 ボク 「業界の中にいる人は時間の移り変わりがはっきり読めないんですよ、
で、いつしか時代が変わってることに気づいて、だけどなんの手も打てない
ことが多いんですよ」。「異物を排除する気分でいますからね」。

 ボク 「あなたはこれからケンカをうっていくべきだと思いますよ、
納得しちゃいけないんですよ。(おかしい)と思ったらおかしい、と」。

 ボク 「東京の人間がなにを言うかって、言われると思いますけど、
(知ったことじゃない)って態度でいかないとね。この地の人間になろう
なんて、とんでもないですよ」。

 ボク 「二代目っていう職業はないんですよ、今の会社だって、業界
だってどうなるか分からないんですから。新しく会社を創業する気持ちで
やらないと。ひょっとして今やっているお仕事そのものが社会から否定
されるかもしれないんですから。その速度は早まってますからね。
なんにでも早変わりするつもりでやらないと」。

2010年7月 9日

展覧会

 かなり前のことになるが絵の展覧会をやることにした。地元にある
市民会館に出向き日付もおさえた。使用料も申し込みと同時に支払う
必要があるとかで払った。その前ごろから知り合いになった画家がいて
その方の絵を展示することにした。(きっと大きな反響があることだろう)
なんて空想をふくらませていた。

 だが、動き出してみると次々に困った事態が発生した。まず展覧会の
ご案内だが、分かったことだが簡単に印刷するにもお金がかかる。だれが
負担するんだ。あ、そうか、自分か。それに展覧会をやるのは自由だが
見学に来る人はいるのか。いない。だれか協力してくれる人はいるのか。いない。

 そのころもボクは人脈は広い方だと自負していたが、いざ見学
に来てくれる人となったら。だれだろう。そこではたと町中にあるギャラリー
がお客さん集めに苦労していて、問題のほとんどがそこにあることが、よく
分かった。

 そしてギャラリーはボクのような行事好きな人が現れるのを待っている
こともよく分かった。共同開催みたいな仕組みを作りたがるんだ。ギャラリー
と組んで展覧会をやったこともある。やけにギャラリーが乗り気なわけが
当初は分からなかった。

 こうして行動してみると、日ごろ、自分が友達だと感じてる人たち、
なにかあれば駆けつけてきてくれるだろうと願っていた人たちが、そこまで
ではないことに気づく。気づかされる。(オレはなにをやっていたんだろう)
って、つくづく思った。勝手に裏切られた気分でいた。

 結果的に、市民会館での展覧会は中止した。使用料は後々になってよく
聞いてみると中止の場合、返却してくれるそうだが、気が動転してて
無駄に捨ててしまうこととなった。行動してみると、やけに周囲の景色が
くっきり見えることがある。その景色はあまり美しいものじゃないかも
しれない。だけど直視して、耐えるしかない。

 あなたも行動してみるといいだろう。周囲の人たちの姿がきちんと見える
かもしれない。だけど、ね、相手を責めちゃいけない。そういうものしか
作ってこなかった自分を責めないとね。

2010年7月 8日

実現

 ゆうべ4人で食事会をさせていただきました。「このくらいの人数の
方がその人の人とナリが分かっていいですね」と聞かせていただいた。
 参考にさせていただきます。

 「池田さんはどうしてこのような会をやってらっしゃるんですか」。
 それでは応えましょう。ゆうべ、ある方が長年の夢をお持ちであり、
いつかはそっちの方向に進みたいと、そんな話を聞かせていただいた。

 話を聞くととても良い内容だったので「良いじゃないですか、
やりましょうよ、それ」と。それを聞いておられた参加者が「10月10日に
こんな行事があるんですが、よろしかったら前座を務められますか」そんな
話になった。ボクはこの急展開に少し驚いてしまった。まさかここまで
ど真ん中にヒットするとは。
 「でも前座を務めるっていったら、練習しないといけませんよね。これから
大変だわ」。

 ボク 「いや、大変なことはないと思いますよ。これってものすごく良い
タイミングですよ」。「まず本番の日付をセットしてから、あとは無意識にでも、
風呂に入ってても練習するものですよ。逆に(上手になったら前座の口を
探してみようかしら)ってやってるといつまで経っても本番の日を迎えられ
ないものですよ」。

 ボク 「ボクは練習することは否定はしないんですけど、それよりも
本番の日を設定する。意義を見つめ直すことの方がより大切だと考えて
いるんです。ゴール地点をはっきりさせてからの方が練習は簡単になるん
ですよ」。「ボクが交流会とか食事会をやってる意味は、こうして人との
出会いがあり、物事が動き出すためのきっかけになれば良いなと思ってる
からなんです」。

 ボク 「頭の中で(まだわたしは上手じゃない、練習が足りない、習練が
足りない)、なんてやってるより、こうしてある方と出会って前座を務める
って決めてしまった方が物事ってよほど前に動き出すものなんですよ。
だからいろんな人と会うことを嫌がっちゃいけないと思ってるんです」。

 ボク 「現実に行動してみることの方が頭の中でいろいろ組み立てるより
よほど早道ってこともあるんですよ。これは参加者にも言えることだし
ボク自身にも言えることだと思っています」。「頭の中でただ漠然と
こんなふうになったらいいな、と思うよりこうして人と会って模索した
方がよほど近道ってことはありますよ」。とボクは思う。

2010年7月 7日

自分

 このごろあまり「自分を作る」って言わなくなったな。なんでだろう。
 試しにみんなも作ってみてはいかがかな。なーに簡単。自分はこんな人間
で、ここにこだわりがあると分かればそれでいい。

 昨日のこと、たまたま古本屋さんに立ち寄ったが、そこで見つけた本を
何点か買った。「世界の艦船」という本で特集が「ロシアの潜水艦」。
 価格は100円。見てみると20年近く前の本だ。すげー。

 一体、どこのだれがこんな本を買うのか、なんて思うけど、ここに供給を
満たす人間がいたってわけだ。この手のマニアックな本は古本屋ででも
なければ手に入らない。

 これをこう見てみるとどうだろう。あまりにマニアックになってくると
だれも見向きもしないからお安く手にできる。みんなが追い求めるものは
数が足りなくなって高くなる。見向きもされないものは安い。
 自分を作る、というのはこういうことじゃないかな。

 「社会に背を向ける」って言ってもいいかも。ボクが子供のころ学校に
行くとき、話すこともないので「ねーねー昨日、テレビ、なに、見た」って
話をしてた。話を成立させるためにはテレビを見なくてはならない。

 「オレは見ない」って言ってしまえばいいんだけど、そうすると唯一の
チャンネルが閉ざされてしまう。あのころは「みんなが見るテレビ」って
のが存在してた。

 自分の価値観を作り上げていくと「お金がないからどうしよう」とか
「他人から注目を集めないオレってなにか悪いわけ」みたいなことを考える
必要はなくなる。逆に注目を集めることも結果論だということになる。

 注目を集めるためになにかをするのではなく、自分をしっかり作ると
注目を集めることも、あるかもしれない。そういう人は話していると
楽しいからね。

 周囲の人たちから称賛される趣味を持つことがすごいんじゃなくて、
自分が納得できるものを見つけだすことだ。レストランに入って「みんなが
これ」って言ってるのに自分だけ「いや、今日はオレ、これにしてみる」、
ことも大切だってわけだ。一つ一つにやけにこだわってみるのも良いんじゃ
ないかな。

2010年7月 6日

人脈

 先日、ある人から「池田さんの人脈はすごいですよね」と聞かせていただいた。
 いやー、そんなことは全く、ないんだけどね。
 ボクの考える人脈というのは必要なときすぐに手配できて、それなりに
効力を発揮するもの、だから。

 ただ、常に人脈を増やしていくよう努力はしてる。
 よく「池田さんはよくそんなにちょくちょく電話をかけれますね」と
驚きとも呆れてるともとれるようなことを言われる。かもしれません。
 名刺を交換しただけでは知人レベル、少しは相手の人となりを知りたいと
思うものじゃありませんか。

 これは参考になるかどうか分かりませんけど書いてみますね。
 ボクはよくあまり知らない人に電話しますけどこれまでたくさん感じて
きたことは「自分が偉い人になったらさぞかし電話するのが楽になるだろう」
でした。

 「あー君、君、わしはなんとかの会社の池田っていうものだがね」
なんて電話できればさぞ楽になるだろうと思ってました。が。
 きっとそういうことはないんだと思います。
 知らない人に電話をするのはだれにとっても苦痛なものなんです。きっと。

 だからボクはなにを知っているかというと「知らない人に電話するのは
苦痛なことだ」をきちんと分かってるということでしょうね。
 だからいまだに電話をかけることは苦痛です。
 楽々やれてるわけではないんです。

 電話をしてとても多いのが「えーーーっと、どこの池田さんでしたっけ」。
 これは全くの誤解。必死に探そうとするがそれは無理。

 それから「ご用件は何でしょうか」も多い。
 これまではこれにて撃退されていた。撃退って言葉がぴったり。
 電話口でこれをやられるほど辛いことはない。
 知人を友人にしたくないならこれをやれば一発だ。
 大事なことは「電話するのはこちらの勝手」「それをことわるのは相手の
勝手」だということをどこまで真に受け止めているかどうかだ。

2010年7月 5日

 かなり前のことになるが本をタダで周囲の人に配ってあげてたことがある。
 本はどんどんたまるし邪魔になって仕方がない。もちろん蔵書として
保存したい気分もあるが、改めて取り出して再読することは意外にも少ない。
 そして始めてみたがやめてしまった。

 あることに気づいた。
 それはボクはお金を支払って本を買い求めたが、タダでもらった人は
お金を払わない。お金を払うからこそ意義を求めて最期までしつっこく
読むんだと分かった。

 人はお金を払うと「なんとか元を取ってやろう」と思うものだ。ボクに
してもそう。そこから「どうせお金を払うのなら自分が満足するものを
買いたい」と願うのも当然のことだ。
 そこのところの吟味がとても大切だと思う。

 タダでもらう人は「タダなんだからもらっておこう」と持ち帰るはずだが、
逆に「タダだから読まない」「どうせ他人が選んだものだから」みたいな
意識が働くに違いない。それが分かってからやめてしまった。

 「あ、それ、ちょうどわたしも欲しくて買おうと思っていたんです」って
こともたまにはある。だけどそんなことは本当にまれ、なんだ。
 だから「欲しければ自分で買えばいい」と思うようになった。 

 そして人からはよく「なぜそんなことをするんですか」とも問われる。
 自分なりにおこなう理由を述べるのだがピンとこないようだ。
 「だって自分ちに積んどいても仕方ないでしょう」と本音を言うも
釈然としないようだ。それからは分からない人には説明しないことにした。

 いくら理由を述べたところで分からないものはしようがない。
 要するにこれらの人は「自分の尺度に当てはまらない」ことは理解する
ことができないんだ。それはもちろんその人のことだから、かまわない。

 それからは一々分かってもらう必要もないんじゃないかと思ってる。
 分かる人には分かるが分からない人には分からないことなのだ。それは
生きてきた世界も違うし考え方も違うんだから当然だろう。逆にそれらの
人たちも「生きる世界が違う」ことは了承しなくてはいけないだろう。
 「もったいない」定義も時間とともに変わってくるというわけだ。

2010年7月 2日

考える

 水曜日の晩、ある男性から「池田さんはなぜこのような会をやってるん
ですか」と聞かれた。交流会めいたものをやっていることに関する質問。

 ボク 「まず、あまり物事を考えないようにしてるんだよね、オレは。
基本的に。みんなさ、講演会や懇親会、交流会とかに出席するかどうか
悩むと思うんだよね。自分の役に立つか、楽しいか、おもしろいか、とか。
もちろんオレはそれは否定しないけど、吟味に吟味を重ねることをあえて
やらないようにしてる。講演会はつまらないかもしれないけど、そこで
前々からの友人と出会って呑みに行くかもしれないし」。

 ボク 「あまり自分の中にきちんとした尺度を持つと、なんていうか、
決まった場所ばかりで動くことになるから。交流会もだから、なんのために
ってのはよく分からない。とにかくやるんだ、って感じ」。

 ボク 「交流会の場を持つといろんなところで出会った人に対して(わたくし
交流会やってますから、そこにもおいでください)みたいに誘いやすく
なるのはある」。

 ボク 「大人ってさ、とくに時間がないから。その少ない時間で最大の
効果をあげようとする。それはいいんだけど、その判断も自分がやるわけだ。
意義とか意味を自分が決めてる。そうじゃなくて、時間というものをある意味、
捨て去るというか、ドブに投げ入れる感覚をわざと持つようにしてる」。

 ボク 「そういう感覚ってとても大切だと思うんだ。みんなと違う動き
ができるから。わざわざ効果の薄いことにはだれも手を出さないんだよね」。

 ボク 「こういう感覚を身につけたのは株式売買も大きく影響してると
思う。株の売買ってみんなと同じことをやるとたいした収益にならないん
だよね。発明や新製品の開発もそう。これまでこの世になかったサービス
を提供するのなら、一般の人が考えないことを考えるようにしないと」。

 ボク 「だからある決まった範囲の中で動いてると発想も似通ってくる。
(あーこんなサービス欲しかったんです)ってことにはならない気がする」。
 ボク 「オレは周囲の人が納得できる生き方をしたいわけじゃなくて、
オレが納得する生き方をしたいだけなんだよ」。

2010年7月 1日

誤解

 「いやー池田さんのこと、誤解してました。池田さんっていろんな
ところからお金をもらってやっているのかと思ってました」。
 ゆうべ、ある男性からそんな話を聞かされた。
 ボクの動きはだれかからお金をもらってやっているのだと勘違いしたと言う。
 ま、くれるってものは断るつもりはないけどね。

 続けて「池田さん、それだとたくさん誤解されるでしょう」。
 でしょうね。だけれどもボクは誤解もボクだと考えている。
 その人の頭の中では「そっちが」ボクの姿なんだ。

 「いや、オレはね、誤解されてもかまわないんだ。っていうか、その
人がオレのことをどのように考えるかってのは、その人の問題で、オレの
問題じゃないっていうか。どうしようもないよね」。
 「あなた、それは誤解です。正してください」って詰め寄ってもその人の
頭の中で発生してることだから、ときようがない。

 「それよりさ、自分が自分としてさらけ出して、誤解されたんなら、
それが自分って気がするんだよね。どの人に対しても本当のオレを見て
くれってわけにもいかなしさ」。

 「なんていうか、おおまかなくくりで信頼、信用していただけるか
どうかを問うてるわけで。誤解されたんならそれは不徳の致すところって
ことだよね」。「ただ、誤解を恐れていてはなにもできないから、無視
するってのもある」。

 「人間ってさー、よく日本人論とかあってさ、それによると内側か外側
かをとても気にする、とよく言われてる。そいつは内側か外側なのかを。
その人を評価するのによく(あいつはあっち系だよね)みたいな断定の
仕方をよくするよね。外側で排除しようとしてるんだろうね」。

 「で、オレはただ単に内側、外側の規定をゆるやかにしてるってこと
なんだよね」。「それが誤解の原因かもしれない」「ただ誤解自体は
どうしようもない」。「その人が誤解したいんなら、それはそれでいいんじゃ
ないかな」。「あまり腹も立たないんだよね」。
 「あなたもさ、あまりオレのことを知らないのに誤解してたってことは、
改める必要はあるよね。知らないのに誤解するって変な話でさ」。