2010年4月30日

ずるい

 「オレたちはずるいんだよ、ずるくてもやってこれたんだよ、だけど、
それじゃいけないんじゃないかな」。
 昨晩、ある男性に向かってそんな言葉を吐き出す自分。

 少々、説明が必要だ。
 その前「あんたはこれまでだれかに必死になって訴えたことがあるかい、
これをやらせてください、これをやりたいんですって。ないでしょ。
それはやらなくても許されてきたんだよ。親からお口を(あーーーんして)
って言われて、ただたんに(うんうん)とか(おいしい)とか言ってた
だけなんだ。オレにはなんとなくあんたのその感覚が分かるんだよ」。

 「必死にならなくても周囲がお膳立てしてくれる、それを待ってれば
良かったんだ。だから、あんたからは迫力とかすごみが感じられないんだよ」。
 「オレもそんなとこがあるから、見えてしまうんだよ。そういうオレたち
って実はずるいんだ。自分がやれそうな、取り組めそうなことだけやって、
かなりうまくはやる。こなせる。あんたに質問がある。あんたは人生が
借り物になってるんだよ、まださ。分かってますか」。

 ボク自身は相手が人間の場合でもよくこんなことが起こる。
 相手にしたくない人間は相手にしなくとも許されるというか、そんな
我がままを自分に感じることがあるんだ。「あー、この人はこんな人だな、
オレとは合わないな」とか「こんなちゃらちゃらした服を着て、こんなんで
良い仕事ができるはずない」など内心思ったりしてる。ただ、ボクの場合、
再度会うことも多いので、それが誤解だと知れることも多い。

 あなたに質問がある。最近「オレにこれをやらせてください」って迫った
ことがありますか。「できるだけしっかりやりますから、ぜひオレに
やらせていただけませんか」って口にしてますか。してないでしょう。

 それを口にしたとき、あなたという人間はくっきりと影を伴って
だれの目にもどんな人間か、どんなやつかはっきりするんじゃないかな。
 昨晩はボク自身の痛いところを自分でつっついてるようなところがあったな。
 人はうまくやれそうだと知れると「それじゃやってみますか」みたいな
ことを口にする。やれそうもないことに取り組むと必死にならざるをえない。
 そこがあなたの魅力につながっていくんじゃないかな。取っ組み合ってる
姿勢がかっこいいんだって。

2010年4月29日

強さ

 今日はあなたが強くなるためのアドバイスをしよう。
 なに、簡単だ。これまでで一番恥ずかしかった出来事を口にすればそれで
いいんだ。実に簡単だ。「それを知られたら困る」ことをあえて口にしてみる。
 かなり抵抗があるはずだ。だが、不思議なことだが、それにフタをしてる
からこそ、強くなれないんだ。

 ボクはここに書きましょう。ある日まで、ボクはこのことが知られるのが
怖くて怖くて仕方なかった。だが、暴露してしまうと隠しておく必要が
ないからか、すっきりし、あとは自分のどんな面もオモテにできることを
発見した。

 ボクは株の資産1000万円がたったの180万円になったことがある。
 暴走族がたくさんやってきて、土下座して謝罪したことがある。土下座
したら許してくれたから、案外と彼らも律義な面があったのかも。

 高校生になるとき京都に単身留学したが、そのときあまりにも下手くそで
(自分が)自分の身体を三つに折ってどこかに隠しておきたくなった。

 さて。
 これらの話だが、今、周囲の人にこの話をふると、たいてい「あーそう」だ。
 あまり関心がないんだよね。ボクたちは自分が考えているほど、周囲は
それにこだわってるわけじゃないんだ。
 自分一人でやきもきしてるとも言える。

 そこで、はたと知るわけだね。
 「オレはたいしたことないことで悩んでいたんだな」って。
 そして、自分の気持ちの中で「弱点」「隠しておきたいこと」だった
ことが周知されることにより、弱点が消滅していることも知った。

 「何でも見てよ、オレってこんだけのもんだから」なにも隠さずそのまま
でいられるようになった。
 弱点はほったらかしにしておくといつまでも弱点のまま、他人からそこを
触られるとひどく不機嫌になる、などの作用がある。だけど笑って
「オレってさー、株で900万くらい損しちゃってさー」って口にすれば、
「この人はバカなのか気宇壮大なのか分からん」ってことになって、
楽しんでもらえるのさ。思い切って弱点を口にしてみよう。口にできること、
そのものがあなたの強みになる。

2010年4月28日

目標

 目標は高めに設定しておく方がいい。もっともっと高めでもいいくらいだ。
 珠算の10段位を取得できる人はどんな人だろうか。それは10段位
なんて軽くクリアーできると考える人だけが達成できる。どうしてか。

 実は3段4段から6段を目指すと「どうしても時間が足りなくなり」、
壁のようなものができてしまう。そこで新しい手法を取り入れることになるが、
新しい手法を取り入れると、次の試験あたりで初段とか悪くすると不合格
になったりする。「4段を取得した人が不合格」になったりするんだ。
 ボクも経験がある。新しい手法は危険な賭けなんだ。

 だが、そこであきらめずにその手法で頑張るしかない。その途中に
競技大会なんかがあると調子を崩してうまい成績につながらなかったりする。

 珠算で言えば「習得するのも難しいし、それを安定させるのもとても
難しい」ってことが起こる。だから、実際にやってみると分かるが、3段の
人が6段を目指しても良くて4段くらいで終わってしまう。
 新しい手法を取り入れることは大きな賭けになる。途中の競技大会
においても散々な点数になってしまう危険がある。

 やはり10段とかもっと上を目指して、やっと10段にたどり着ける。
 そういう我慢の時期を乗り越えるしかなくなるからね。

 だから、目標は高め高めに設定しておくといい。高く設定しておかないと
途中で「もうオレも十分やった」とか思うようになる。それから10段位
を目指すと宣言すると周囲の人たちから「君ねー、そんな技術じゃ10段
なんか達成できないよ」と具体的に教えてくれたりもする。

 その人の思いが強ければ強いほど周囲もその気になり、アドバイスも
活きてくる。6段と10段は全く違う世界だ。違う世界だからこそ、
そこを目指さないといけない。今の練習の延長に10段があるわけじゃ
ないところが大変なところだ。あえて高めを設定しよう。最高水準を
目指しておけばやるべきこともはっきりするし、そこに向かっていく
力も増大してくる。そんなもんだ。
 物事は段階をおって進めばうまくいく、っていうほど単純じゃないね。

2010年4月27日

 頭はいくらさげてもお金はいらないんだと言う。そりゃそうだよね。
 先日、天津アマグリを買ったときのことだ。650円のを買った。
 「これください」と言うとおばさんは売り物のアマグリの袋の口を開け、
アマグリを5・6個入れてくれた。ボクの口からは無意識に「あ、ありがとね」
が繰り出されていた。自分でも驚いた。「えっ、今、オレの口から出たの」って。
 おばさんは「いいやー、これぐらいなんぼのものでもないんよ」と。

 こういうのを「おまけ」と言う。だが、このおまけ、いつも、だれにでも
行われるわけではない。そして、それはこちらの姿勢にも大きく関わって
くるのだ。おまけだときちんと見つけて口にしなくちゃいけないしね。
 ボクはとっさに自分の口から出た言葉に自分でも驚いた。無意識にも
でてくるほどまでになったのだ。

 この、おまけ、たくさんいただける人と全くいただくことのできない人がいる。
 分かったことだが、これはおまけって見抜かないとダメだ。
 「あ、つけてくれたんだ」「いつものサービスじゃないんだ」って。
 特別なことをしてくれたんだから、特別にあいさつしなくちゃ、すると
次回もまた良いことが起こる。

 「どうしてオレはツイてないんだ」と口にする人の多くが、これを実践
してないんじゃないかね。特別なことが起こらないからね。
 商売人の間では常識なんだよね。これ。

 特別なサービスじゃなくても、そのように口にしてみればいいんだよ。
 そうすると相手は「お、こいつはこんな謝辞を口にするのか、よし
次からはサービスしとくか」ってなるんだから。

 自然に口から出るよう訓練しよう。ニッコリ笑顔もくっつけてね。
 「あ、ありがとね」「どうもどうも」「あ、ごめん」「いつも悪いね」
 「そんなに気をつかってくれんでもええのに」「うちばっかりサービス
しとったらあんたのとこ、つぶれるよ」などなど。
 頭はいくらさげてもお金はかからないと言われる。確かにそうだ。
 この世は潤滑油を伴って動いてる。それをうまく使うとお互いいろんな
ことがうまくいくようになるからさ。

2010年4月26日

前のめり

 前のめり。前のめりで行こうじゃありませんか。
 4月10日の土曜日は特別な一日だった。昼頃家を出て何件かハシゴ。
 それから三次に行って会合に参加。行動は車だったのでアルコールは
呑まず、自宅に戻ったのは深夜1時だった。

 よく思うのだが、また思った。「まだ、今日が続いているのか」って。
 一日にあまりにもたくさんの行事を詰め込むとこんな感じになる。

 ボクはどこかで劇的に変わった気がする。それは急に変わったわけではなく、
少しづつ少しづつそちらに移動していく感じ。ボクはいつしか前のめりに
なって生きてる自分を発見した。
 そして、前のめりってとても楽しい。
 身体は少し前に倒していこう。

 ボクが中学生のころ「三無主義」と言われていた。そろそろ「五無主義」
と言われるようになった。「無気力、無感動、無関心」で三無。
 そのころいつも口にしていた言葉は「別に」だった。なにを聞かれても「別に」。
 断言しよう。これらの言葉を口にしている人は決して楽しいことは起きない。

 あなたは無意識にもこれらの言葉を吐いてはいないだろうか。
 「くだらない」「どうせ」「あーあ」「どっちでもいい」「なんでもいい」。
 これらは悪魔の言葉だ。ボクたちからやる気を吸い上げ、毎日を楽しく
ないようにしてしまう。
 これらの言葉を使ってる人は即刻、やめてもらいたい。
 良いことはなにもないから。

 中学生のボクにはなにか良いことが起こったか。なにも起こらない。
 起きるはずがないんだ。自分の感受性がとことん疲弊して、摩耗してしまうと
なにも楽しく感じられなくなる。自分の存在なんてどうでもよくなってくるんだ。
 つっかえ棒を外すと前に倒れるくらいでいいな。前のめりで行こう。
 前のめりで行動すると何でも楽しいよ。楽しいから毎日が楽しくなるわけ
じゃなくて、前のめりで行動するから楽しくなるんだな。きっと。

2010年4月23日

鋭利

 言葉は鋭利な刃物のようなものだと思う。
 父親はかなり前、人に誘われあるスタンドにて
 「こちら、静かな方ですね」と言われたと、今でもブリブリ怒って口にする。
 それほど腹立たしく思ったんだろう。

 スタンドのママが思ったままを口にしたのだろうが、初対面の父親から
すれば「静かだろうとうるさかろうと関係ないだろう」と思ったとしても
仕方がない。
 ほんの一言で関係性をぶち壊してしまうことがある。だから言葉って恐ろしい。

 ボクも最近でこそ普通に話せるようになったが、ある時期、かなり無口に
近い状態になったことがある。
 それまでは普通に話せていたのだが、「池田さんの言葉ってときに誤解
されることがあるから注意した方がいいよ」と聞かされてからだ。
 それからはよく考えてから話すようになった。

 言葉ってつくづく恐ろしいと思う。
 だって口から放たれた言葉は決して戻ってこないじゃないですか。
 「あんたはつまらない男なんだよ」、ちょっとした思いつきみたいな
感じで発せられた言葉でも聞いた側は忘れないものだ。

 これらの言葉は何人かをへて伝えられるとすっかり模様が違ってることも
よくある。「あの人は、こうなんだよ」、軽く発したその言葉は自分の
意志を無視して次々に伝えられ、しまいにはとてつもなく悪く伝えられる
こともよくある。
 「世間の口と評判には戸がたてられない」は事実だな。

 人は口がついてるから話をする。だけれども、その口からは気持ちの良い
言葉ばかりが放たれるわけではない。
 話すときには一瞬、間をおくのが良い。
 「ホントにこれ、口にしていいものかどうか」考えることがあなたを
救う事になることもある。

2010年4月22日

痛感

 ボクは痛感してるよ。
 人はやはり他人から認められたい生き物なんだって。ほんとにそう思う。
 ただし、だったら、今のこの、みんなが暮らしてる社会が認め合って
るかと言えば、全く違うんじゃないかな。

 その線から言えば今はみんなの心がこわばってる気がする。
 「オレを認めろ、だったら、あんたも認めてやる」ってところがある
んじゃないかな。
 だからこそ、それはなかなか叶えられないよね。「どっちが先か」って
話だから。

 ボクはよく「池田さん、またほめ戦術ですね、それによいしょされて
しまうんだよなー」って言われる。人は他人の良い点を探してまでは
ほめないものなんだよね。そして悪いところはきちんと見えてしまう。

 だけどね、ボクの留学先の先生が話してくれたように、他人の良い
ところを真似ることはとても大事と思うんだ。
 それにはまず、他人の良い点を見つけなくっちゃいけないよね。でないと
ほめることも真似ることもできないんだから。

 ボクは他人をほめるときは「針ほどのものを棒に表現する」ことが
大切だと感じてる。舞台役者の話をテレビで聞いたことがある。
 「とにかくおおげさにやらないと、観客の人には伝わらない、ええっ、
ここまでってくらいオーバーにやるんです」だった。

 ボクはよく「池田さん、この人になにか売りたいんですか」って言われる。
 オーバーにほめるからかもしれない。

 ボクの言葉はいわゆる「よいしょ」かもしれない。持ち上げる、かな。
 それでいいんじゃないかな。少しひねった方が良いのは確かだけどね。
 イケメンだったら「バレンタインのチョコ、食べてあげるよ」とかね。
 ボクはこの手の切りだしが好きなんだよね。

 もっともっと、今の社会ってみんなを称賛しても良いんじゃないかな。
 よいしょしてみる、持ち上げてみる。「周りがオレのことをほめて
くれたらとりあえず返礼はするよ」みたいな感覚はやめてね。持ち上げれば
いいんだよ。とことん、徹底的に。

2010年4月21日

迫力

 「彼、このごろ迫力、ないね、どうしちゃったんだろう」。
 先日、ある方とお話させていただくと、共通の知人についてこんな感想を
聞かされた。迫力かー。難しいなー。

 先般、ある方にこんなことを言うボク。「これからはさ、イエスマンに
なろうと思うんだ。なんでもイエスだ」。すると聞いていた彼。「えーーーっ、
そんなのできるわけないじゃないですか」。いや、オレのことなんすけど。

 ボクの周りでは意外にもイエスマンは評判が悪い。「なんでもイエスって
言うんだよ」と言うと「できないですよ、そんなの」って。
 そういうものかなー。だからみんな迫力がないんじゃないの。

 誘われたら、とにかくなんでもイエス、イエス、イエス。
 「行く、行く、行く」「参加します、参加します、参加します」。
 「やってみます、やってみます、やってみます」。ボクもそうだったから
よく分かるが、誘われるというのは意外に難しいことなんだ。他人はそこ
まで知ったことじゃないからね。

 そして、誘われるということはそこになにかあると思うんだ。なにか
あるから誘われる。それはこっちが想像していたものとは違うんだ。

 ボクたちは自分が想像した明日を暮らしてるものだ。ボクもそう。
 「部屋で本を読んでいます」はいくらでも想像できる。実際、その通り
になる。楽しいことだけど、それだけって気もする。

 みんな、携帯電話って持ってるよね。
 人とのやり取りって実は最初の10秒くらいで決まっちゃう気がするんだ。
 ここで「お、いいねー、行きます、やります、行きたいですね」って
とりあえず口にしてみる。その日は用事があって参加できなくても、
この返答をしておくと再度の誘いがかかる。

 携帯電話では「おっ、待ってました」みたいな感覚がとても大事だと思う。
 ウソでも「あ、池田さん、今、電話しようと思っとったんよ」と口にしてみる。
 これを読みながらいやーな顔しているあなた。とりあえず電話には
「よっ、待ってました」みたいな感覚ででよう。

2010年4月20日

ほめる

 ボクは前々から意識しているあることがある。
 他人のすばらしい点を見つけてほめることだ。
 人は探せばきっといくつかのすばらしい点が見つかるはず。それを口に
すればそれでいい。だが、現実にはこれを実行してる人はなかなか見つからない。

 ボクは20代のころ「池田さんは最後の一言がいらんのんよ」と言われてた。
 ボク自身にあまり意識はなかったが最後に「もっとこうだったらね」
みたいな言葉を付け加えていると。
 その最後の一言がそれまでの話をぶち壊しにしてしまうようだ。

 このことが直接的に今につながってるわけではないかもしれないが、
あのころよく「どうしてだろう」とは思っていた。自分ではこのことが
ある意味、得意な感じになっていたりもした。

 今、人の話を聞いていても「この人は損しているな」と思うことはよくある。
 ボクたちはどうして他人のすばらしい点をほめることが難しいのだろう。

 ボクはそれは「自分に自信がないから」だと考えている。
 自分に絶対の自信があれば、いくらでも他人をほめることができ、
すばらしい点を見つけることができる。ほめると自分がつまらなく感じられる、
が他人をほめない大きな原因じゃないかな。

 だからボクたちは「本物の自信」を身につけるべきなのだ。
 自信とは何だろう。ボクは「自分の中にある能力を高め、なにか一つ、
他人に負けないものを作っていくこと」だと考えている。

 自信は横並びじゃいけない。
 「人並にできているからいい」ってもんじゃない。
 「他人にはできなくて、自分にだけできる」ものを作っていくべきだ。
 それは「オレはこんなにできるんだ」って意味じゃなく、「他人の
すばらしい点を見つけてほめることができるようになる」根本の理由
になれると思う。
 他人をほめるにはまず自分の能力を信じることじゃないかな。

2010年4月19日

お金

 「お金はね、預かり物で、回りものなんよ」。
 これまで何度かこのような言葉を聞かされてきた。
 預かり物で、回りもの、なんだそうだ。

 お金と言えばだれしも「もらったもの」で「どう使ってもかまわない」
と考えているはずだ。だが、これらの言葉は少々意味合いが違ってる。

 預かり物なら、だれかに返していかなくてはならない。
 回りものなら、回り回っていく必要がある、ことになる。

 また「たくさんお金を使う人にはたくさんの人が集まってくる、たくさん
集まってくる、ことそのものが、その人を輝かしている」も。
 お金というのは分かったことだが、人を伴うものだ。
 お金を使うから人が集まる。情報も集まる。機会も集まる、わけだ。

 どうだろう。
 ここまででかなりお金に対する見方は変わってこないだろうか。

 それから「お金がたくさん行き来しているところは必ず儲かる」も
何度も聞いた。その場所を経由してお金がたくさん行き来しているところは
必ず儲かるのだ。

 銀行もそうだろう。クレジット会社もそうかな。
 一件当たりの金額は少ないが、数が膨大なので手数料だけでもバカに
ならない。さすれば「儲けたければお金がたくさん行き来している環境
に自分を置け」ってことになる。
 一見、自分とは無関係に見えても自分の目の前を行き来しているだけで
いい、はずだ。

 ボクは株式の売買もずっと続けているが、「預かり物」の感覚は株の
投資と似ている面がある。
 あなたに「お金は預かり物で回りもの」、みたいな感覚はあるだろうか。
 もし、ないとすれば、少し考えを改めてみてはいかがだろう。
 預かり物は投資の考えとあいまって、とても重要で含みがあると、ボク
には思える。

2010年4月16日

俯瞰

 ゆうべ、ある男性からこんなことを聞かされた。
 「池田さんからいただいた小冊子、まだたくさん余ってるんですけど、
どうしましょうか」。

 ボクはこの小冊子、7000部、作った。
 そして、ボク個人が直接手渡した数は、40部くらいかな。
 だから、この男性の言わんとするところはよく分かる。

 脳裏に「この小冊子をもらってくれそうな人はどれくらいかな」と想像
すると、50とか、70くらいだろうか。ボクなんかもっと少ないくらいだ。
 そして、現実に配ってみるとなかなか配布先がないことがよく分かる。
 それも現実ってやつだ。

 だけどね、ボクは7000部、作って、それはたちどころに配布し終えた。
 これはきっと根っこにある発想の違いかと思われる。

 おまけにボクは配送料もほとんど払ってない。
 なんと、「お披露目の会」っていうのをやって、それぞれ持って帰って
もらった。いろいろと考え、アイディアを出したんだ。

 ここに小冊子がある。それもたくさん。それをどうしたらたくさんの人たちに
手渡すことができるのか。当たり前に考えてちゃ配れない。

 一人の人間が出会う人間の数なんて知れてるものなんだ。
 ボクはこの小冊子ができあがったとき、町中で配布してみた。2時間近く
かかって配れた部数は、たったの15部。これをどう積み上げても7000部
には届くわけない。当たり前だ。何年もかかる。

 たくさんの小冊子がある。これをどうしたら配布できるか。
 考え方を大きくしていくしかない。デカい考え方をしなくては、まず無理だ。

 いくら頭で考えていても分からないことも多い。そのときは、とりあえず
たくさんの部数を用意してみよう。用意してから「どうやったら配布できる
のか」ない頭を働かせよう。そこから突破できることもある。
 ボクは思う。人間は考え方のでかさで全てが決まる。大きく考えよう、
俯瞰して考えよう。やれると信じて取り組もう。

2010年4月15日

商売人

 よく父親が「商売人を敵に回すな」と聞かせてくれる。
 ボクなりにこの言葉を考えてみると「商売人というのは自分ところを
利用してもらうために理不尽な申し出とか要請に対して対応しようとする。
お客さんが間違ったことでも(あんたがそう言ったから)みたいなことは
なかなか口にできない。だけど、商売人もやられたことは忘れない。
どこかで仇(カタキ)を取られるかもしれない。だったら、最初から
敵に回すような言動はするな」と。いうことだろう。

 どうだろう。
 ボクたちは立場上、口にできる言葉ってないだろうか。
 セールスマンが自分ちにやってきたら「あー、忙しい、忙しい」って
手でシッシッと追い払う気持ちが。営業マンがやってきたらいろいろと
無理難題をふっかけて「これもあいつの商売やから」といい気になることが。
 ないだろうか。

 日本では「お客さんは偉い」ってことになってるから、どうしてもこう
なりがち。ただ、父親の意見からすると「一見、それは正しいが、あんた
だって苦しくなるときもあるだろう。そういうとき、日ごろの態度が
裏返しになって戻ってくることがあるから、注意しなよ」にほかならない。
 ただ、人は「苦しくなったとき」をあまり想像できないから、やって
しまうのかもしれないが。

 要するに、日本ではお客さんは偉い立場なわけだが、それをごく当たり前
に受け入れるのはとても危険な面があるということにほかならない。
 ボクはどちらか、一方的な立場に立つ、のはよくないと思ってる。
 お客さんの立場だけで行動することはとても危ない。

 立場上、優位に立てる立場の人間が、相手のことをしっかりおもんばかって
行動するべきなんだ。

 父親はよくこんな話をしてくれた。「支払いの良い、いつも笑顔の商店
には鮮度の良い品を、こんちくしょうの商店には、その店から返品された
品を納品することだってある」と。これはやられても仕方のないことなんだ。
 あなたの態度一つでいろんな結果が引き起こされる。
 立場上、優位に立てる人ほど謙虚にいこう。

2010年4月14日

感情的

 みんなさー、もっと感情的になろうよ。
 去年の11月のこと、6人でお酒を呑んでいた。ある男性が顔を
真っ赤にして「池田さんは間違ってる、あんたはおかしい」と口走った。

 「おーーー、言ってくれるじゃないか」と思ったが、その男性、
「もう電車がなくなるから帰る」だって。なんじゃそりゃー。

 文句だけ口にして帰んのかよ。腹が立ったんだろう、そこからの話し合い
に意味があるんじゃないか。「おいっ、逃げるな」。
 あーあ、帰っちまいやがんの。

 ボクは酒席でもどんな席でも感情的にならないとダメだと思うんだよね。
 みんな分かったふうな顔をしてさ、おとなしく呑んでる。で、楽しいの
かと思えば怒りを隠してる。アホちゃうか。

 もっともっとさー、感情をむきだしにしようよ。
 上記の男性は実際のところなにに腹を立てているかは、分からない。
 ボクは「間違ってる、ウソつき」なんだそうだ。一体、なにが、どこが。
 感情的になるのはいいけど、こういう形での発散はどうかと思うね。

 ボクたちはみんな大人なんだから、「あんたは間違ってる、それはね、
オレはこう思うんだ。あんたの意見を聞かせてよ」って言えばいいじゃないか。
 言うだけ言ってはつらつとした顔をされたんじゃ困るっての。

 実はさ、ボクたちはみんな同じような顔はしてるけどさ、みんな考えてる
ことは違うんだよ。それを是正するために口がついてるんだろう。
 感情的になっていいけど、それをうまく表現することが求められる。
 中学生じゃないんだから。

 ボクは酒席のはじまりでドカーーーンと「池田さん、あんたは間違ってる」と
やってほしかったね。そこから「お、言うねー、言ってくれるじゃない、
もっと真意を聞かせてよ」になる。誤解も解ける可能性大、だよね。
 それからさ、別れ際で「あんたは間違ってる」とやっちゃうと、あんたの
印象はそのときのまんまなんだよね。それはあまりにもったいないだろう。
 しばらくこの人からは電話がかかってこなくなった。分かりやすー。

2010年4月13日

嫌われる

 ボクはたまに「池田さん、嫌われてますよ」とか「池田さんってわけが
分かんないって話をみんながしてますよ」とか聞かされる。
 そのときはやはりがっくりくるな。

 だけどねー。仕方のない面もあるんだよ。
 ボクは前から「トランプ理論」っていう理論を打ち立ててきた。
 分かったことだが、トランプには53枚のカードがある。その中から
ジョーカーを引こうと願う。最初にひくかもしれないし、一番最後かも
しれない。ボクはただ、トランプを引き続けようと考えてるだけなんだ。
 どこかに必ずジョーカーはあるわけだから。

 ボクはこの1カ月間でお初の人、20人くらいの人と出会った。
 みんな名刺をいただいた。
 そして、これらの方々とはこれからどうなるのだろう。
 どうかなる人とどうにもならない人に分けられてしまう。だけどそれは
仕方ないんじゃないかな。
 よく言う「みんなに受け入れられようとするな」ってことになるんじゃ
ないかな。ボクはそう思ってやってきた。

 あなたはさー、みんなに悪口を言われるのが嫌なんじゃないの。
 だけどさ、生きてれば嫌う人や苦手な人がいて当たり前。こちらの
考えだけじゃなく、相手は別個に存在してるんだからね。

 嫌われるってことはさ、なにかアクションを起こしてるわけさ。
 だから嫌われることもある。だけどそれはあなたがはっきりしたからで、
それでいいんじゃないかな。「あー、池田さん、別になんとも思ってない
ですけどね」より「池田さんってわけ、わかんない」って言われる方が
まだマシってことさ。

 それから嫌われる嫌われるって言うけどさ、他人は意外に人のことを
そこまで気にかけてられないのが現実。

 ボクは思うな。もっともっと嫌われることが大事なんじゃないかって。
 すさまじく嫌う人がいる一方、めちゃくちゃ気に入ってくれる人も
でてくる。そんなものだと思うよ。
 そんなボクも20のころは「池田さんって、好き嫌いをはっきりさせない
ですよね、モゴモゴしてるばかりで、はっきりさせた方が良いですよ」って
よく言われたもんだ。

2010年4月12日

突破

 人に聞かせると驚かれる話しがある。「ボクは本を読むときは一日
ぶっ続けで16時間とか17時間読みます」なんて話したときだ。本当の話だ。
 ここに三食の時間は入るわけだが、それでも一日にこれくらい読むことはある。
 スキーが好きなのでよく出かける。スキーやってるときもこんな感じ。

 とにかくとことん、とにかく徹底的にやる。それはやはりソロバンから
きている。突破することを覚えたんだ。

 ボクはいわゆるダメ人間で、「え、クラブ、どうせダメに決まってる
じゃないか。運動神経なんてカタツムリ並だし」とか思ってた。
 だけど京都に留学し、毎日すさまじいまでの練習をした。そしてメキメキ
上達した。突破することができた。

 なにかを突破する人と、突破できない人との違いはなにか。
 「突破できると分かって練習する人と」「どうせ突破なんかできやしない」
と決めつけて練習する人の違いだ。

 突破できると分かってる人は「こんなことはだれにだってできるんだ」と
思いながらやる。突破できないと思う人は「突破できるはずないよね、オレって
前からそうだったもん」などと考えながらやる。こんなことで突破できるはずがない。

 だから。なにか一つ、突破することが大事なんだ。何だっていい。突破
すれば「オレって実はこんな力があったんだ。こうしてやっていけばいい
んだ」って分かる。あとは突破したいものが見つかればいくらでも集中する
ことができる。疑いながら全力を出すって人間には無理な相談なんだな。

 突破するとき、自分だけで決めてやるのは難しいかもしれない。強制
されるくらいでいいんだ。嫌々やらされてもいい。それでもそのうち
自分の力を見つけることができる。ボクがそうだったからね。

 ボクはこれまで試験というものをおよそ100回くらい受けてきた。
 最初のころは「どうせ不合格に決まってる。オレってバカだもん」と
思ってた。練習にも身が入らない。だけどとことん練習するようになった
とき「なんとか合格したい、あの練習の成果を出したいんだ」って強く
思った。前のめりな自分がそこにいた。

 ボクはそのとき強く思った。人間にバカなやつなんていないんだ。
 みんな同じ能力をさずけられてる。火事場の馬鹿力という言葉がある。
 とことん練習することによって火事場でしかだせない能力を常に出せる
ようにできる。だけなんだ。バカって便利な言葉だけど突破したことの
あるやつは決して口にしない。それだけは覚えておいてほしいな。

2010年4月 9日

すごみ

 「君さー、人間はすごみだよ、すごみを大切にしなくてはならない」。
 先週の金曜日、ある若い男性に向かってそんな言葉を吐く自分。
 男性 「すごみって何ですか」。
 ボク 「すごみというのはさ、実地に体験すること、それを少し厳しく
言ってるわけさ」。

 ボク 「すごみのある発言をしようか。わたしは少し前、3年半に
わたってネットにて文章を書いてたことがある。コラム欄を受け持ってたんだ。
そのコラム欄は一日たりとも休まなかった。風邪でフラフラなことも
あったけど、そういうときも必死な思いで書いた。内容なんてどうでも
いいんだ。とにかく休まない、とにかく続けるってことさ」。

 ボク 「人はみんな意味を考え過ぎるのさ、これをやったらどうなるん
ですか、やらなかったらどうなるんですかって。そんなことはどうでも
いいから、とにかくやれよ。やれ、やれ、やれ。ただそれだけさ」。

 ボク 「ソロバンの練習はとことんやった。夏休みなんて毎日10時間
以上やるんだ。もう頭、フラフラってもんじゃないよ。午前中なんて
(もう嫌だー)って泣きたくなるものさ。だけど午後4時ごろになって
くるとのってくるんだな。まだまだあと5時間くらい練習できるぞ、
って気分になる。だけど翌朝、またドヨーーーーン」。

 ボク 「暗算の2級はさ、制限時間4分なんだけど、当初8分くらい
かかってた。それが5分を切り4分を切って計算できるようになった。
しまいには1分を切ってこなせるようになった。1分を切ってみると、
満点しか取れなくなってた。何回やっても必ず満点」。
 「3分を切ってからは自分自身の力に目覚めた気分で、なだれのように
上手になった。そのとき初めて自分を信用したな」。

 ボク 「前にさ、講演会の講師を頼まれた。必死になって原稿を用意
して臨んだ。ただ、正面に座ってるおじさんが居眠りしてて、そのとたん
頭の中が真っ白になって。用意した原稿は頭の中からきれいさっぱり消えて
しまった」。
 すごみのある発言をしよう。あなたという人間がどんな人間で、どこに
こだわりがあるか、そこからはっきりする。それがあなたを信用できる
かどうかかかってる点でもある。

2010年4月 8日

痛い思い

 先日、ある若い男性とお話しさせていただいたときのことだ。
 「池田さん、そうは言いますけどうちはみんな自腹なんですよ、
会社は一切、出してくれないんです。自分はセミナーに出たり講習会に
出たりして内面を高めようとしてるのに」なんて話してくれた。

 そんなもん、当たり前だろう。
 ボクも経費として一切落としていない。確かに内容からするとみんな
経費と考えられる。ただ、本当に自分の内面を高めたいと考えるなら、
ならばこそ、自分で支払うべきだ。

 なぜならば。
 人は自分の腹が痛くならないと吸収しようとするエネルギーが落ちて
しまうからだ。自分の財布から出していると思えばこそ、「内容を
自分のものにするぞ」になってくる。これは心構えの問題ではなく、
財布から出すだけで姿勢が変わってくるものなんだ。

 ボクもこれまでたくさんの経費持ちのセミナーや講習会に参加してきた。
 だけど途中で居眠りしたり、遅刻して早退したこともある。そんなことで
内容を吸収なんかできるはずがない。なんにもまして、その時間はムダだ。

 だけれども自腹を切っていると思うとそんな気軽なことはやってられない。
 席だって一番前に座ったり、「なにか質問のある人」って言われると
サッと挙手できたりする。そういう利点があるんだ。

 お金はたくさん出すに限る。ボクは以前、よくパチンコに出かけてた。
 だけど今、パチンコに行く時間もお金も全くない。別のところに振り
向けられたんだ。

 セミナーや講習会ではなんとか自分の肥料にしたいと考えるからみんな
参加するんだろう。「お金を出してくれないからやる気が起きない」なんて
のはちょうど逆。「自腹で行かないから本気で参加しようという気を
なくさせている」のが現実だ。
 自分の頭の中にあるものはだれも盗めやしない。それを積み上げて
いこうって言うんだから、当然自腹でいい。それは会社のためじゃなく
自分のためなんだからね。

2010年4月 7日

受け手

 あなたは講演会やセミナー、講習会を聞きに行ったことはありますか。
 そのときボクはいつも思うことがある。その場が話し手と受け手の
役割がきっちりできあがっていることをだ。
 それに気づいたのはなにげない自分の行動からだった。

 誘われてある講演会に出向いた。そのときもだれが講師か会場に
たどり着くまで知らなかった。会場でこの方が講師だとやっと分かった。
 壇上でマイクの調整をされてる男性がいた。ボクはきっとこの方が講師
だと思い横の階段から壇上に上がった。

 「先生、今日はよろしくお願いします」とごあいさつさせていただいた。
 「あーはいはい、よろしくね、君はどこから来たの、あーそう山口県から、
山口には何度か行ったことあるよ」。そんな気さくな言葉をかけてもらった。

 そのとき、壇上から会場を見渡すような感じになった。会場にはライト
がさんさんとそそがれ、聴衆の人たちがこっちに襲いかかってくるように
感じられた。「うわっ、なんや、これ、講師の人ってこんな重圧を
感じながらお話しされてんのか」。そのとき初めてそんなことを思った。

 それまで講演会なんていくらでも聞いたことがあった。それまでは一人の
お客さん、聴衆にすぎなかったわけだけど、そのとき初めて自分が講師に
なった気分にさせられた。

 ボクはそのとき強く思った。
 「講演会っていうのは、話し手と受け手の役割がきっちりできあがってる、
受け手はテレビの向こうから見てるような感じなんだなー」って。

 壇上と客席とはものすごく距離がある。テレビの向こうとこっちくらい。
 どうだろう。たまに講師の方が「それでは今日は壇上でちょっとした
テストをやってみましょう。どなたか壇上にどうぞ」と口にされることがある。

 そのとき、初めて受け手は受け手の役割を放棄させられる。壇上に上がる
のが辛いのは要するにお客さんになっているからだ。
 これでは講演会の料金がもったいない。自分が講師になった気分で
「自分だったらこう話す」「自分だったらこのような演出をする」と
考えながら聞くとまた違った意味合いが出てくるはずだ。講演会で
受け手になるべきじゃないとボクは思うな。講演会の講師にごあいさつ
に出向いてみてはどうだろう。きっとあなたの中に化学変化が起きるはずだ。

2010年4月 6日

意味のないもの

 「意味のないものこそ大切にしましょう」。
 先日の日曜日、ある講演会に行きました。ボクはだれが講師か知りませんでした。
 誘ってくれた人がいて、「それなら行ってみようか」と思ったものですから。
 会場に着いて初めてだれか分かりました。あなたはこんなこと、やってますか。
 やりませんよね。吟味に吟味を重ねて、時間がムダにならないよう考え、
それから実施するはず。ボクは違ってるんですね。

 いろいろはっきりして、自分の中で意味が見つかる。それから行動する
ことって、なんていうか、既にあなたの頭の中にあること、なんじゃないですか。
分かったことなんですよ。だから、あえてそれをする必要はないとボクは
考えるわけです。

 ボクは大事にしてる言葉があって、それは「辺縁を大切にする」という
考えです。友人も一番外側にいる友人を大切にする。わけです。

 たまに「どこそこに行こう」と誘われます。ボクは中身を吟味することは
ほとんどありませんね。その人がそれだけ誘ってくれてるんなら行って
みようかと思う。楽しいかどうかは後から判断すればいい。
 出かけてみると「こんなはずじゃなかった」と思うこともよくあります。
 退屈だなー、とか「これなら家でゴロゴロしてる方がよほど良かった」とか。

 だけれども、知らないで出かける場所って、たいていまた未知の人が
いらっしゃるわけです。「はじめまして、池田です」ってごあいさつ
させていただきますけど、「まだ知らない人がいるんだなー」って
感動を覚えます。(当たり前だけど)。

 それはボクたちが予想できる空間にばかりいるから、「見知った人」ばかりに
出会うわけなんですよ。誘われて出かけると「そこにしかいない人が」必ずいる
わけで、そういう人に出会うわけです。しんどいですけどね。確かに。
 だから、内容を吟味しちゃいけないと思うんです。わけが分からないから
こそ出かける意味がある。知らない人や、知らない知識がそこにあるわけです。
 ボクはできるだけ安心できる場所には行かないことにしています。

2010年4月 5日

変わってる

 「とにかく池田さんって変わってますよね、これまで池田さんみたいな
人に出会ったことがないですよ」。
 金曜日の晩、ある男性と呑んでいてそんなことを聞かされる自分。
 ま、よく聞かされてきたことだけどね。「で、どこがそんなに変わってるの」。

 「とにかく池田さんは常識がないんですよ、人だったらこのように考える、
ってところがない。なぜなんですか」。

 ボク 「わたしは自分が何でもできるように感じてしまうんです。できない
ことはないと。ただ、なにをするにしても時間はかかるでしょう。たくさんの
時間が。それは覚悟してるんですけどね。みんな多分、やる前からできない、
無理だとあきらめるようなことも、ボクはあきらめてないんだと思いますよ」。

 ボク 「それから常識というのが人がやるべきこと、みたいなことで
あれば蹴飛ばしたいですね、そんなものは。わたしは(この仕事なのに
外車に乗りたい)みたいな発言をする人が好きなんですよ」。

 ボク 「サラリーマンをやってるとしますよね、月々の稼ぎはみんな
同じくらい。だから乗る車から、住む家まで似通ってくる。普通は
それが当たり前と思うはずだけど、(オレは違う。オレは外車に乗りたい、
高級車に乗りたい)と思うやつって、なにかをするはずなんだ。普通じゃない
なにかを」。

 ボク 「なんて言うか、そいつの発想はいまのそいつを乗り越えてる。
今のそいつを乗り越えてるから、いつしか本当に越えてしまう。発想が
先で人の身体が後ろからついてくる感じ。そういうのってあると思う。

 「ボクの古い友人でこんなやつがいる。そいつは絶対にアメ車しか乗ら
ないんだ。で、いつも絶対に借金をする。なぜかって、借金しないと
やる気がわいてこないと言うんだ。アメ車なんて古いよ、高いよ、と言われて
も気にしない。いつも800万以上の車しか買わない。そしていつも借金」。

 ボク 「あんたも何者かになりたかったら、発想は新しくする必要が
あるんじゃないの。人の行動は発想の後からしかついてこないと思うん
だよね。当たり前に考えてちゃ、当たり前の結果しか出てこない。突飛
な発想をして、後から自分をそこに近づけてくぐらいでいいんじゃないの」。
 「オレはさ、他人がどう思うっていうのが全く気にならないわけよ、
どういうわけだかさ」。

2010年4月 2日

苦手

 「世の中にはそんな人間はいくらでもいる。苦手な人間、嫌な人間。
どこの組織にも一人くらいはいるんじゃないかな。その人とどのように
付き合うか、うまく付き合うかが、大切で、君みたいに逃げてちゃダメ
なんだって。どうしたらこの人の信任が得られるかって、難しくてもトライ
しなきゃ」。

 先日、三人でお話しさせていただく機会があった。ある男性がこんな
話をされた。確かにこの世には「めんどくさい人」っている。難癖つけて
きたり、いつも気難しい顔をしてぶすっとしてる人、文句ばかりつけて
くる人。なにが不満なのか知らないが、もっと楽しくできないものかね。
 とは思うが、こうして苦手意識を持つと不思議なものでどこに行っても
この手のタイプの人がいてこちらを困らせるものだ。
 「あ、また、あのタイプだ」とは思うもののどうしようもない。

 こちらが嫌うとなにか知らないが相手もこちらを嫌ってるように感じられる。
 ますます相手のことがうっとうしくなる。いつしか相手の悪いところばかり
見つけるようになってくる。自分の中に悪い雲みたいなものが広がってくる。

 きっとだれもがこんな気分を味わったことの一度や二度はあるんじゃ
ないかな。ボクは仕事のスタートがなにせ自営だったから、お山の大将で
いられた気がする。だが、それはすなわちボクの他人に対するストライクが
とても狭いことも意味してるかも。ボクは「嫌なやつを消してしまえる」立場
だったと言えるかもしれない。

 ボクは思うんだ。きっとだれにも嫌なやつっていると思うんだ。
 男だったらたまに酒席に誘ってみてはいかがか。気さくに話せる雰囲気
作りからスタートしてみては。観光地に遊びに行ったらその人も含めて
お土産を買ってくるとか。それから人はやはり耐え忍ぶことも少しはあって
いいのでは。「その人の文句や罵倒に少し付き合ってみる」ことも実は
一つの財産になってくれる。嫌な体験こそが後々生きてくるからね。

 嫌な人がいたら「このタイプはどこにでもいる。逃げても追いかけてくる」
と考えた方がいいと思うね。別の組織でご対面、だから。
 ボクはよく大金を払って講演会やセミナーを受けに行く。苦手な人は
そこから得られる教訓をタダで教えてやろうっていうんだから、実は心の
広い人かもしれないね。

2010年4月 1日

願い

 先日、ある若い男性とお話しさせていただいた。なんでも独立したいの
だと口にする。ただし、お父さんが作られた会社があり、自分もそこで
お勤めになっておられる。いわば「それ以上、まだなにか望むか」
って状態なわけだ。実にうらやましい。と同時に巨大なエネルギーも
感じられる。不満があるってとても大事だ。

 ボクの察するに彼は自分の力を再確認したいのだろうと思う。強大な
力を実感したいんじゃないかね。お父さんが作った会社を継いで
自分が思うようにビジネスを展開していけば良いんじゃないかな。ってボクは
思うんだけどね。既に独立なさってる状態が不満だってんだから、実に
恵まれてる。それも分かってないのかもしれない。

 ボク 「あなたさ、この会社になくちゃならない存在になったらどう
ですか、あの会社はあいつでもってる、とか言われるくらいに。独立
したらなにもかも思うように決定できるわけでもないんですよ」。
 聡明な彼のことだからよく分かってるみたいだった。

 ただ、彼の会社を訪問させていただいたのだが、彼がなんてことのない
スリッパをはいて、だされたコーヒーがあまりおいしくなかったのが印象に残る。
 「まずはそこからだろ」なんて言いたくなった。
 スリッパと言えば聞こえはいいが、子供がよくはくサンダルだ。
 緊張感のなさがうかがえる。(これで良い仕事ができるのかね)。

 ボク 「人は最後は人間で決まると思うんですよ、あなたの見識も
そうですけど、周囲にあいつが困ってる、助けてやりたいっていう人が
どれだけ集まるか、があなたの値打ちだと思うんです。それは今の状態
でも独立しても変わらないと思いますよ。それがあなたの値打ちを高める
んですよ」。「人という財産を作っていかれたらいかがですか」。

 「あいつは二世のボンボンだって言われるか、あいつがいるからあの
会社はもってると言われるか、ですからね」。「それとあまり他人の言う
ことに耳、貸す必要もないと思いますよ、自分が感じるようにやれば
いいわけで」。
 人は今、いる場所じゃないどこかに行けばもっともっと活躍できると
考える。ボクも含めて、ま、そんなところはありますよね。