2010年3月 2日

自分

 このごろあまり言わなくなったな。「自分の確立」。これ、大事だと思うよ。
 いつの時代になってもきちんと求められてしかるべきものだ。
 ボクたちは、今、自分の人生しか送ることはできない。いまさら、
大富豪のうちに生まれていたら、とか、株で大儲けして南の島で豪遊、とか、
会社を興して上場だ、なんてのも難しいだろう。目指すことは悪くないけどね。

 ただ、自分が確立していればあまりうらやましく感じることはないはずだ。
 ボクなども「株で大儲け」とか読むと「くっそー、うまくやりやがって」
と思ってしまう。だけれども、と同時に自分でも株売買はやっていて、
そんなに簡単に儲かることでもないこともよく分かってる。
 やはり雑誌などで儲かった人が取り上げられるのは数が少ないから、なんだ。

 それを見て「オレもなりたい」「ちくしょう」、と思うか、どっちに
してもなんとなくつまらない気がする。

 よくボクたちは子供のころ言われたもんだ。言われたよね。
 「よそはよそ、うちはうち」って。
 「あの子は毎日お菓子を買ってもらえるんだって、だから買ってよ」、
 「よそはよそ、うちはうち。そんなにあの子が良いんだったら、もう
帰ってこなくていいよ」。ちゃんちゃん。現実を知る。

 だが、これは子供の話じゃなくてさ、大人になっても必要なことじゃ
ないかな。無意味に欲しがっても精神衛生上、良くないでしょ。

 これは諦観という難しい言葉に置き換えることもできる。あきらめる
気持ちだな。ただ、「あきらめる」って書くとなんとなく残念な気も
するが、諦観はもっと深くて「自分の分をきちんと見極めよう」くらいに
なるはずだ。その中でできる努力はやっていかなくちゃいけない。
 手抜きの理由にはならないんだな。

 ボクたちは上昇志向だから(これはほんとにそうだと思うよ)、
自分にないものを探すのは得意だ。だから不足してるものを見つけて
「まだまだ」って思っちゃう。だけど、それだけじゃないんじゃないかな。
 たまには思い出そう。「よそはよそ、うちはうち」。自分に与えられた
ものをきちんと見つめてやれることをやろう。これ、自分にも言えるな。

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