2010年3月31日

嫌う

 「池田さんってオレのこと、嫌いなんだとばかり思ってましたよ」
 「池田さん、あんまりオレのこと、嫌わないでくださいよ」。これらの
セリフ、何度か聞かされたことがある。実際、そんなことないんだよね。
 ただ、周囲にそうした誤解を与えてしまったことは反省しなくちゃ。

 では、なぜこんなセリフを聞かなければならないのか。
 ボクの行動を分析してみると、久しぶりに出会った人に対して「あらー、
久しぶり、元気にしてたー」って気軽にあいさつできないことが大いに
関係してるのだろう。照れ屋が顔をのぞかせるのだが、出会った人たち
みんなに釈明して歩くわけにもいかない。この照れ屋さん、なかなか
改善しないんだよね。

 ボクは自分の気持ちの中を改めて洗い出してみる。そうすると嫌いな
人がいないんだよね。これは嫌いな人がいないという意味ではなく、ただ
選別してしまってるだけなのかね。

 ただ、嫌ってた人はいるよ。嫌ってはいたけど、それから機会があって
いろいろ話してみると「嫌いな部分のある人」になっちゃってる。
 その人の存在全てが嫌いなわけじゃなく、言動であったり、しぐさに
対して嫌いな感情を抱いていたりする。ボクもよく言われてきたな。
 「嫌ってないのならそんな態度、取らないでくださいよ」。
 ボク自身にそんなつもりはないのだが、誤解を招いてしまうらしい。

 「池田さん、なに、怒ってるんですか」もよく言われたな。怒って
なんかいないんだけど顔がそんな感じだったのかな。ただ、このように
言われるときって堅い表情だったり、やはりなにか原因があるみたいだ。
 自分の気持ちを考えてみても「怒ってる」わけでもなんでもないんだ。

 能面みたいだって言われたこともよくある。表情がない、わけね。
 能面みたいな表情の人が誤解されるのは、まー当然だよね。
 ボクが考えるに嫌いという感情はもう一歩、踏み込みが足りない気がする。
 「あの人はなんとなく嫌い、会わなければそれでいいんだし」みたいな
感覚があるんじゃないかな。はっきりさせないんだ。もう一歩踏み込んで
みると案外嫌いじゃないかもよ。あなたはどう思うかな。

2010年3月30日

じゃまた

 別れのシーンは大切にしたい。ボクたちは毎日、いろんな人たちと
出会い、そして別れていく。「それじゃまた」。これはボクの口癖だが、
そのわりにその「また」がなかなかやってこないんだが。

 「なー、久しぶりに酒でも呑もうぜ」。
 よくボクはそう言って誘う。そして酒を呑み、やがて別れていく。
 出会うときより別れる方を大切にしないといけないよね。なんとなく、だけど。
 別れるときにきちんとしておくことが、また次につながっていく気がする。

 だからボクは久しぶりの人と会ったときはハガキをだしてきた。
 「先日は久しぶりでしたね」とか「久しぶりに酒を呑めてとても楽しかった
です」とか。これも別れをきちんとしておきたいと考え、実践したことだった。
 今だったらメールや電話もいいかもしれない。ダイレクト(直通)に
その人につながるなんて、やっぱり夢みたいな話だ。

 それから最近はやはりメールや電話で誘われることが多い。
 先日も「ワイン会をしますがいかがですか」とメールがきた。
 意外と見ているのが「不特定多数に出しているかどうかで」だったら
返信しなかったりする。このワイン会もどうやらその口らしいので返信しなかった。

 だが、これ、反対の立場に立つと意外にいやらしく感じてしまうところ
だろう。BCCで送られてきても返信した方がいいかもしれない。
 「参加します」「欠席します」。

 やはりボクたちは「参加します」はうれしく返信するものだ。反対に
「欠席します」はなかなかだしづらい。当たり前だよね。だけど、
ここが肝心な点かもしれない。「欠席します」こそきちんと返信する
必要がある。ボクも内心では「行かないんだから、返信することないよね」
とか思ってはいたが。ただ、これも一つの別れだろう。これをうまく
やっておかないと次はないんじゃないかな。
 実はボクたちが素直に感じることの逆をやらないといけないのかもね。
 「欠席します」は口にしにくい。だけどここをきちんとしないといけない。

2010年3月29日

誘う

 「ほんっと、池田さんって平気で人を誘うよね、すごいよねー」。
 昨日、三人でお茶することにした。そこでのっけからそんなことを
聞かされるボク。「あんなこと平気でやってると思ってるんですか」。
 「いや、だってそうでしょう。よくあんなにポンポンいろんな人に電話
できるなっていつも感心してますもん」。

 ボク 「わたしだって電話するときはプルプル震えてるんですよ」
 男性 「まさか、そんなことはないでしょう」。「だったらやんない
ですよ、あんなこと」。

 ボク 「プルプル震えるのとやるかやらないかは違うんですよ」。
 男性 「だったら池田さんは嫌々やってるんですか」。
 どっちかと言えばそうなりますね。男性 「だったらやらなきゃいいじゃ
ないですか」。だったらやらなければいいんですけど、この世はそういう
わけにもいかないんですよ。

 ボク 「わたしはずっと同じことをやってきたんですよ。電話したら
(今、忙しいんです)って、悪くは言わない人が多いですよね。だけど
そこでもう少し突き詰めてみる。再度電話ですね。するとそこでバシッと
言われてしまう。(もう電話しないでください)」。みんなね、実は
そういうのをすごく嫌ってるんですよ。ボクだって好きじゃない。
 だから。「好きじゃないけど、それでもやってる」とお話ししてるわけです。

 男性 「だから、どうしてそこまでやるんですか」。
 ボク 「はっきりさせると決めたからですよ。みんな適当にうまく
生きていきたいって願ってる。ボクもどちらかと言えばそうですよ。だけど
もう少しだけ突き詰めたら(あー、池田さん、暇なら行くよ)かどうかが
はっきりする。これまでそこまではやっておこうと決めたんですよ。

 男性 「そこまで辛い思いをして」。ボク 「いや辛くはないんですよ、
ただはっきりさせると決めたから。みんなが周遊してるところからあと一歩
だけ踏み込んでみようと思っただけです。ボクたちは今ある付き合いを
どのように作ってきただろう。それはだれかが人為的に作ったものでは
ないはず。そこには作為というものが存在していて、その作為をボクたち
がやるかやらないかにかかってる気がするんだよね。だとすればこんなに
楽しいことはないじゃないか。とボクは思うんだが。

2010年3月26日

タイプ

 ゆうべ、ある若い男性と会食させていただいた。
 中で「どんな人間か」が大きなテーマになった。
 男性 「池田さんってどんなタイプなんですか」

 ボク 「わたしはね、良いと思ったらすぐにやってしまうんですよ、
だけどそのすぐ後で(あーあ、こんなはずじゃーなかったんだけどなー)
って思うことがとても多い人間です」って返答した。

 男性 「アッハッハ、ボクと一緒です。どういうものかすぐにやって
みたくなるんですよ、そしてその後で後悔とか謝罪とかさせられたりするんで
すよね」。

 ボクはきっとそういう人間なんだと思う。じっくり考えないからやってみて
「お金はどうするんだ」「このことは」「続けてやるにはどうすんの」
みたいなことが続々と噴き出してくる。
 そのときに現実というものがやっと見えてきて自分の小ささを知る。
 ただボクはそういうタイプなんだろうと思う。あれこれ考えないで
やってしまう。反省とか後悔する時間も多くなるけどそれも仕方ない。

 後先考えないでやってしまうと、たいていの場合、新しい場面が
見えてくる。新しい景色が目の前に広がる。「あれっ、こんな景色
見たことないなー」って思うこともしばしば。

 動けば動くほど問題点が見つかる。課題が噴き出してくる。
 「こりゃーどうすればいいんだ」、思い悩むことになる。
 ボクたちはやはり今いる世界の中で動いてることが多いと思う。

 本当はそこから出るのが怖いんじゃないかな。新たなことをやって失敗
することを恐れている。「池田さんは、またやらかしたの、ダメねー」
って言われるのをどこかで嫌ってる。分かりやすい世界で生きたく
考えてるのがボクたちなんじゃないかな。
 「うっかりやって大いに反省」。ボクはこれでいいんじゃないかと思う。
 今から練習しておこう。
 すいませんでしたー。

2010年3月25日

気配

 先日、よく行く料理屋さんのおかみさんと話していて気配の話を
させていただいた。みんなはどう思うかな。例えば、つい先日のことだ。
 あるお店を利用させていただいたのだが、宴たけなわのころ、お店の
人が「これは店からのサービスです」と一品さし入れをいただいた。

 ここ、ここでどういう対応が取れるかで、大きく違ってくると思えて
仕方ない。「当たり前だ」と思うか「まさかここまでやっていただけるとは」
で、対応も変わってくる。「ありがとね」「気がきくねー」になってくる。

 意外によく聞かされるのが「あっちも商売だから」だが、そういうもの
だろうか。お店というなにか大きなシステムと個人客であるボクたちが
対峙してるわけじゃないとボクは思うんだ。お店と客は案外そのまま直結
した存在になってる。

 例えば、こんなことがあった。もうかなり前のことになる。お店で食事
していると「池田さん、あんた、なになにさん、知ってるよね。あの人、
予約してあるんだけど、まだ来られないんだ、どうなってるかのかな」。

 ボクは店の電話を借りてかけてみた。相手はすんなりでてきて「今日は
キャンセルにした」だった。ここで怒ってみても仕方ないので店の人には
「なにか親類が病気になってキャンセルだって」とウソをついた。

 すぐにお店の人に「もうここは開けとかなくていいから、すぐにほかの
お客さんを入れてあげて」と告げた。このときも相手は「あっちも商売やから」
なんて話していたな。

 よく「あ、これはお店の人が気をきかせてくれたんだな」と思うことがある。
 そういうのをボクは気配と呼んでいる。どこの料理屋さんでもおしぼりが
だされることが多いが、中には店員さんが「これ、熱いですよ」と手の中で
熱さを確かめてから手渡してくれることがある。こういうのってなんてことない
行為だけど「すごいなー」って思ってしまう。

 ボクも鈍感なのでこれまであまり意識してこなかったけど、そういう
言葉では表されないようなちょっとした行為に、気配ってものを感じてしまう。
 それに対してきちんと感謝の念をば伝えるべきなんじゃないかと思う。
 まず気配をきちんとつかむことが求められるよね。

2010年3月24日

いばる

 今日はまず反省から。
 交流会や懇親会でボクと出会った人たちから、よく「池田さんって
ものすごく尊大な態度に見えます」と聞かせていただく。いや反省反省。
 「尊大な態度」。こっちの方言で言うところの「いばって見える」だ。
 現実問題、ボクにはその意識はない。

 ただ、交流会や懇親会の場で「なんでこっちからあいさつしに行かないと
いけないんだよ」とか「だってさー、なにも話すことがないんだから、
わざわざ出向いたって仕方ないよな」とか思ってるのだが、それがモロ
態度に出るようだ。かなり嫌なやつだな、こいつって。

 ある懇親会の場でボクとそっくりな態度の人を見つけた。男性。
 向かいに座る女性が「ワインをついであげましょう」って口にしてる
のに「いやいや、オレ、自分でやれますから」となみなみとついで
グイグイ呑む。ボクは自分を見てるようで、かなしーーーーい。

 これは実は謙そんしてるのだ。
 「オレはついでもらうほどの人間じゃない」と態度で示そうとしてるが、
相手からは「なんなの、これじゃ話すきっかけも見つからないじゃない」
と思われてしまうのだ。あなたもそう思うでしょ。ボクにもそう見えた。

 ボクもつい、やってしまうんだ。
 「池田さん、久しぶり、元気でやっておられましたか」に対して「はい」
とか「まーね」などで返してしまう。話が続かん。
 ぶすっとして突っ立ってる。内心「まずいな」とは思ってるんだけどね。
 照れてるからうまく言葉にして出せないんだな。

 「いやーー、久しぶり、元気でやってた、オレも元気だったよ、ね、
聞いてくれる、オレ、今こんなことやってるんだよ」なんて言葉はボク
の口からはあと100年くらい経たないとだせやしないのだ。

 ボクとかボクと同類の男性はそういうものなのである。ただ、ボクは
変身しようと考えている。「あんたも景気良いっていう話じゃない、いろんな
人から聞かされるよ」と返していこうと思う。ボクは自分の口からそんな
セリフがでてくると「おいおい、だれの口がそんなこと言わせとるんじゃ」
って思ってしまうんだけどね。変身変身。

2010年3月23日

はがき

 「池田さんはこうやってみんなにハガキをだされてるんですか」。
 先日、携帯に電話がかかってきた。交流会で名刺を交換させていただいた
人からだった。ボクはかつかつ名前を覚えているくらいだった。
 ボクは名刺を交換した人にはもれなくハガキをだしてきた。

 みんなはどうして交流会とかいろんな集まりに顔を出すんだろう。
 そこにはなんらかの意図があるに違いない。
 「友達が欲しいから」「仲間が欲しい」「同じ考えの人たちで集まりたい」
「ひょっとすると仕事につながるかもしれない」などなどいろいろあるはず。
 そのためにはなにかをしなくちゃいけない。

 ボクは電話をもらったとき思った。
 「そんなのって当然のことでしょ」。
 そもそもなぜ交流会に出席したのか。なにかあったらおもしろいなーって
思ったから。人と人なんてどこでどうなるか分からない。
 だからきっかけだけはきちんとしておきたい。
 ボクからするとボクに電話をくれた人こそ、ハガキを有効活用できると
感じた。だけどその人からの返信はなかった。

 ボクは「どこで縁があるか分かりませんからね」とお応えさせていただいた。
 当然だ。交流会で出会った人だってその続きがあるかもしれない。
 なにもしなければ、なにも生まれないんだから。

 たかが50円のハガキできっかけがつかめるなら安いもんだと、ボクは
考えている。ただ、ハガキをだしたほとんどの人からは「池田さんって
すごいですね」そんな感想を口にされる。ハガキを出すことがそんなに
すごいことなのか。それこそがおかしいと思うんだが。

 ハガキ。費用は50円。時間にして3分くらいで書き終える。
 それにてこちらのことをきちんと覚えていただけるならなんと安いことか。
 今はハガキを出す人は少ないと言う。だったらなおさら、有効なツールと
して使うことができるじゃないか。とボクは思うんだけどね。
 あんなのは癖みたいなもんだからね。癖にしちゃえばいいんだよ。

2010年3月20日

山口県

 たまに名刺を交換すると相手から「えっ、池田さんって山口県ですか」
と驚かれることがある。そんなに驚くようなことかなー。
 まー確かに、ボクも「えーーーっ、広島、なんでオレが広島になんか
行かんといけんのん」とかやってたな。あのころ広島がとてつもなく遠かった。
 仕事で出かけるときも「だれか代わりに行ってくれる人、いないかなー」
なんてよく思ってた。

 だけれども、いつしかボクは「半径理論」というのを打ち立てることになる。
 これは「半径50キロくらいだったらどこにでも出没する」というもの。
 その円の中にある場所だったら出かけようというものだ。
 この考え方をするようになってから、遠くまで出かけることがあまり
おっくうではなくなった。いな、相手が「山口県なんて絶対にわたしは
行かない」と断言してくれてるんだから、考えようによっては良い面も
あるわけだ。

 まだ遠くに出没するのに慣れないころ、よくこんな感じがしてた。
 「このレストランで食事してる人の中で山口県って自分一人だけ
だろうなー、あとはみんなここの地元の人のはず。この人たちに会う
ためにはここに来ないと実現しないわけだ」。そんなことを思ったな。

 レストランというところはたいがい、地元の人たちで構成されている。
 そこにボクみたいなのが一人入ることになる。実に不思議な気分だった。
 この気分が理解できないという人は、そもそも自分が遠くに出かけて
いないことを反省しないといけないかもしれない。

 「山口県ですか」と尋ねる人は無意識のうちに「そんな遠くにわたしは
出かける気がない」ことを確認してるわけだ。自分の行動範囲を狭めて
いることに気づかなくてはならない。
 それはひょっとして考え方を狭めているのかもしれない。
 ボクが思うのに「行動の前に頭の組み立て」が存在するみたいだ。
 だって「遠くに出かけるなんて」と思う人が実際の行動に移すはずが
ないからね。自分の中で可能性を高めておかないと、たったこれだけの
ことだって簡単にはできないってわけさ。

2010年3月19日

常識的

 「うちの従業員は、常識的に考えれば分かることが分からないんですよ、
それを見ると腹立たしく感じるんですよね」。
 「なんでだれにでも分かることが分かんないのって。これを納品すると
するじゃないですか。向こうが留守ならどうすればいいか考えるもん
でしょう。留守でしたで終わるんなら小学生でもできますよ」。
 ゆうべのある男性のお話し。

 常識的に考えれば分かることがどうして分からないのか、それが疑問のようだ。
 ボクはあまり疑問にも感じないんだけど。
 あるファーストフード店でのお話し。「ハンバーガーを30個、お願い
します」「はい、ここでお召しあがりになりますか」の問答に似てるな、これ。
 「30個をここで食えるか」なんだけど、そんなことは知らない。
 「そう言うように言われてるんだから」。

 ボクにも経験あるなー。常識的に考えないから分からなかったことが、
たくさん。指示されて動くだけを続けているとどうしてもこうなっちゃうん
だよね。エサをくれるのを待ってると言うか。くれたものはみんな食える
んだろう、みたいな。

 ただ、ボクならこのような見方もするだろう。
 そういう方々が周りにいるから、あんたは上司としてやってられるんだって。
ガミガミ文句を言ってればまーそこそこ勤まるわけだ。みんなのレベルが
上がったら(あんたじゃ物足りない)ってことになるかもしれない。

 前にある会社に標語が貼ってあった。そこには「そのときどきでできる
最善の判断をせよ」とあった。自分が決済権を握ってるつもりで仕事
しろというわけだ。

 ボクたちはつい「これ、どうするんですか」って口にするよね。「数は
どれくらい頼むの」とか。頭をどこかに置き忘れちゃってるの。自分が責任を
持てば「これはこのくらい注文しようと思いますがそれでいいですか」に
なるだろうね。だけどそれはなかなか難しい課題だとは思うよ。
 この男性に提案。「これはどうしたらいいとあなたは思いますか」
なんて投げかけをしてみちゃーどうかね。

2010年3月18日

価値観

 あなたには価値観の激変が起こったことがあるだろうか。ボクはあるなー。
 ボクは中学卒業と同時に京都に留学することにした。はれてボクは
京都の高校生になったわけだが、しょっぱなから腹立たしいことが
たくさんあった。「おまえ、どこけ(質問してる)」。どこけ、は
「どこの出身ですか」と思ってもらえばけっこうだ。
 「オレは山口県だ」と応える。それに対して「山口って九州やろ」。

 がっかりさせられた。地方なのでもちろん方言がある。それを話して
いると「おまえ、九州やろ」。これは何度も言われた。山口県の方言
を聞くと九州の言葉に聞こえるのか。現実にボクが九州の言葉を聞くと
全く違って聞こえるのに。「やっとうーお」なんて山口県の人間は使わない。
 山口県の方言の「たう」はさっぱり分かってもらえなかった。これは当然。
 「たう」は「届く」の意味。届かないは「たわん」だ。

 ボクは伏見区にある珠算塾にお世話になったいたのだが、たまにボクに
質問が及ぶことがある。「池田君ところって土地とか建物はあるの」。
 そのころ盛んに京都で土地の手当をする話をされていた。

 ボクは父親が所有していた気がしたので「あると思いますよ」なんて
返事をしていた。しかし、ややあって、先生がたから「しかし山口県に
どんな広い邸宅があっても関係ないよなー」って話になった。当たり前だ。
 山口県の土地を京都に持ってくるわけにもいかない。

 京都で暮らすようになって2年くらい経ったころ、やはり感化されやすい
年頃だからだろうか、ボクは「京都に住む人間が都会的なんじゃなく、
普通の人間がただ京都に暮らしてるだけ」だと気づいた。

 「都会的な人間が京都にいるのではなく、ただ町が都会的だったという
だけ」に気づいた。もちろん上には上がいるもので、京都の人間は
東京には無条件に降参してるようだったけど。
 「人はどこにいても変わらないなー」なんて高校生が実感したものだ。

 それはボクが京都に入り込んで生活していたからかもしれない。留学
は旅行者じゃないからね。夕食は近くの食堂で、お風呂は銭湯を利用してた。
 あとから考えてみるとこれらのことはボクの中になんとなく化学反応を
起こしてる気がする。そしてものの見方がそれにてかなり変わった気もする。
 しかし。強烈だったなー。「山口県って九州やろ」は。隣り合ってはいるん
だけどね。

2010年3月17日

あこがれ

 「今のあなたは子供のころなりたかった、あなた、だろうか」。これ、
実はテレビのCMだったんだよね。確か車だった気がする。それにしては
壮大なテーマじゃないか。車の宣伝にしちゃーもったいない。
 ボク?どうだろう。子供のころ、そんなこと思わなかったなー。
 自分が思わずになぜ問いかけするのか。いや、ほかの人はどうなのかなって。

 子供のころよく聞かれた。
 「あなたはなにになりたいの」。ボクが子供のころ消防士さん、とか
救急車の運転手さん、が多かった。ほとんどの人はそれに就いてないんじゃ
ないかな。当然だ。

 それから「尊敬する人は」もよく聞かれた。「おとうさん」って
応えると頭をなでてもらえる。ちなみにこれはボクじゃない。
 なぜ尊敬する人を尋ねるかと言えば、尊敬する人がいればそっちに近づく
からだろう。的にする相手がないのに頑張れるわけもないからね。

 こんなのはどうだろう。
 「人は一番最初に就いた仕事でほぼ人生が決まってしまう」。これは
ボクなりにふと浮かんだことを書いたわけだが、当てはまってると思う。

 辛い基準をそこに置くからね。それを元にするから、それが大事に
なってくるんだ。厳しい会社に在籍してると、それがいつしか当たり前
になって、それを元に考える。独立してもその流儀でいくんじゃないかな。
 独立するにしても最初に就いた仕事に関連する職種にすることがほとんど
だよね。これらはなにを物語っているかと言うと。人は自分ではなかなか
自分を制御することができない、になるかな。

 尊敬する人がいて、だからそっちに向かって頑張れる。張り合いがでてくる。
なにを目的にするかもはっきりしてる。

 だから、いろんな方々が「あなたはだれを尊敬してるの」と尋ねたに
違いない。それは素朴だが、深淵なテーマだったってわけだ。
 ボクは子供のころ尊敬の意味がよく分かってなかったけどね。
 これはあこがれと表現してもいいよね。どんな人にあこがれるのか。
 それがあればあこがれ、そのものになることもできる。それがなければ
いつまでも自分を続けるしかないから。あこがれはボクたちをどこか
遠くに運んでくれるってわけさ。

2010年3月16日

なんのために

 先日、ある会で「それではそれぞれ、人はなんのために生きている
のか、手短に話してください」そんな提案がなされた。
 みんな苦しんでいたな。すさまじく大切なことだけど、なにか目を
そむけて見ないようにしてる面もある、この課題。

 ほとんどの人が「なんでって、生きてるから生きてるんだよ」くらいしか
言えないのではないだろうか。また、状況は変わっていくから、「そのときの」
と但し書きを加えなければなるまい。あなたはどうだろう。

 ちなみにボクの応え。
 「わたくしは、なんのために生きているのか分かりません。ただ、
いつももがき、あがくことだけはやめないようにしています。それが
唯一、わたくしに与えられた特権のような気がしています」。

 「わたくしは小学、中学のころ、バカで、勉強ができず、テストは
いつも小さくダンゴにして捨ててました。それは自分を真正面から眺める
ことを拒否してた。今はそう思ってます。そんなわたくしですが、
こうして社会人になり、それなりにやっています。社会人になってみると
子供のころ感じた(勉強ができないやつは存在価値がない)なんて意識
もどこかに消えうせているのに気づきました。なんのために、はいまだに
分かりませんけど、今はバカだったことにありがたみすら感じています。
だって、マイナスから出発した方が楽しいですし、落ちたって、
もともとはそんなものだと思えば気が楽ですから」。

 ちなみにボクが勉強できなかったのはただ単に「勉強しないことの
言い訳」だったと今は思ってる。バカだって規定してしまえば楽だから、だ。

 きっとだれしも意味があって生きてるんだろう。ただ日ごろは毎日が
忙しいから考えないようにしてるだけで。だけど、「なんのために」が
はっきりするとするべきこともはっきりし、やるべきことが見えてくるはずだ。
 ボクたちはなんとなく「なんのために、って堅苦しいことは考えないで、
とにかく毎日をしっかり暮らしましょう」なんてこのテーマを濁しがちだ。
 だから、実は全力がだせないのかもしれない。

2010年3月15日

初対面

 ボクは毎月毎月初対面の方とお会いしてる。毎月20人くらいの初対面
の方と会ってるんじゃないかな。仕事柄じゃなくこれだけの回数は
かなり多い方かもしれない。

 ボクは社会人になったときが自営業の開始で、24・5のころはそりゃー
危機感のかたまりだった。そのころから今の仕事に就いていたわけだけど、
ボクはこれからの自分の仕事を次のように規定した。
 「人とのつながりを重んじる」だ。

 対人間で仕事をしていくと決めた。要は人間相手の仕事をしていくと
いうわけだ。ただ、ボクの父親は他人とは全く話さない人間で、やはり
ボクにもその傾向はある。「だけどこのままじゃいけないんだよなー」なんて
よく思った。

 ボクは自然に任せていると他人なんかどうでもいいんだな。
 でもお仕事上はそれではよくない。そんな自分が対人間関係で仕事を
していこうって言うんだから。難しい課題だった。
 ただ「飛び込んでいく気概」があれば、意外に道は開けるもので。
 初対面の方とこれだけお会いする機会があるというのもそれを求めてる
からだろう。ボクは引っ込み思案な性格で、それは周囲の人も了解してる。
 だけどそれで済ませてちゃいけない。

 さて。初対面の方とお会いしても、それはなんて言うか、海岸で手に
すくった砂がこぼれ落ちるようなもので、霧散してしまう。これはみんなも
経験あるんじゃないかな。逆もまたしかりで「池田さん、どこそこで
会ったでしょう」と言われて黙り込んでしまうことも多い。

 初対面の方で記憶している方はとても少ないのが現実だ。人はやはり
インパクトがなければ記憶していただけないのかもしれない。
 ボクはこれまで「やはりこうしたものも時間がかかる」なんて思って
いたが、次回がいつになるか分からないこの手の出会いでは、自分を
前面に押し出していくのが得策なのかもしれない。

 引っ込み思案はこんなところにも顔をだしていたのだ。
 やる気、元気、勇気、よく言われることだが、これらを表現していか
なくてはならない。「だから、オレにはそんなものとは無縁なんだよ」と
口にするあなた。それはボクも口にしてきた。で、どうなった。

2010年3月12日

受け入れる

 あなたは現状をそのまま受け入れているだろうか。
 ボクの知り合いにこんな人がいる。「それ、おかしいと思うんですよね」。
 どうやら彼なりに正しさの価値観みたいなものがあり、それと違って
いるとつい口にしてしまうようだ。よくあるよね。

 「学校の教育現場はこれではいけない」とか「お客さんに対して
このような対応の仕方が当然だ」などとする意見が。
 それは確かにそうだが、そこからよく考えてほしいことがある。
 物事にはほとんど全てに背景があるということを。
 ボクはいつもこのように応えている。「正しいのはどっちかは
わたしにも分かります。だけれども、現状はこうなっているんです。まず
それをそのまま受け入れる必要があるんじゃないですか」と。

 昔、ばあさんが生きていたころ。さまざまな問題に振り回されていた。
 まず病院からは「おばあさんが病室で線香をたくのをやめさせてください」
 「おばあさんが病室からたくさんの人に電話して、それでお見舞いの
方がたくさん来られるんです、なんとかなりませんか」。

 ばあさんからは「これを病院の先生に届けてくれ」、見れば栄養剤が
ぎっしり。病院の先生に届けると「受けとれません」だ。当然だ。
 ばあさんにそれを言うと「いいや、受け取るはずや」の一点張り。

 看護士さんにも届けるよう、うるさい。ナースセンターに持参する。
 もちろん断られる。ばあさんに告げる。「受け取るはず、もう一回、
行ってこい」だ。

 こんなとき、あなたならどうするだろう。ボクもいろいろ考えてみた。
 「ウソも方便」で先生に届けたと口にするのもいいだろう。まずは
それを認めて受け入れることが先決だろうと思う。ばあさんに倫理観
を押し付けてもどうにもならないことをまずは知るべきだ。

 いや、ボクは今、ばあさんに鍛えられたと思ってる。いろんな問題
が提起され、「あんたはどうするんや」と問われた気さえしている。
 うちの家族はばあさんが問題を起こすたびに結束を高めた気がする。
 意外な副産物だけど。この世の中は思ったように真っすぐにはいかない
ものだ。正しい、正しくない、と選べば答えは明らかだろう。だけれども
そのようにうまくいかないこともある。まずはそのまま受け入れるべき
ではないだろうか。倫理観はその後だ。

2010年3月11日

おやじ

 ゆうべ、ある男性とお話しさせていただいた。その男性とだけではなく
全員で8人いた。
 その男性は口にする。「みなさんを見ているととてもうらやましいですよ、
創業社長ってみんな生き生きされている。それからすると、うちなんか、
おやじが社長を務めてきたんです。おやじはおやじなりに苦しい時代を
頑張って経営してきたっていう自負があるのは分かるんだけど、今からの
時代もそれでやっていけるかってなったら、どうなんですかね」。

 おやじさんとはことあるごとに口論になるらしい。口論などはどこの
お宅にも存在する。目障りなおやじもよくある話だ。
 それをどう消化するかにかかってくるだろう。
 あなたなら、この人にどんなアドバイスをするだろうか。

 まず、ボクはこの背景には危機意識が存在していると思う。それはとても
すばらしいことだ。それから、よくありがちな「根性論」。「歯を食いしばって
やればなんとかなる」みたいな話。は現在、あまり通用しないだろう。

 ボクの話をしようか。ボクは19から株式売買をやってる。父親から
「この株をやるけー、(あげる)株をやってみー」と言われた。それから
何日間かは新聞をめくって株価を確認したりしていたが、数字の羅列に
すぐに飽きてしまった。それから10年くらい、ボクは株式を買うのも
売るのも全て父親の指示された通りだった。だって許してくれないんだもの。
 だけど、父親の指示にしたがって売買するだけじゃつまらないよね。

 そこでボクはひそかに株式の本を買ってきて読んだり、読めない経済新聞
を読むようになった。株式の難解な言語も理解するようになり、そんな
話を会話に織り混ぜるようにもなっていた。当初の10年間は全て
父親の指示通りに売買してた。だけど15年くらい経ったある日、
父親が「オマエ、どこ買ってるんや」と尋ねてきた。もちろんボクは
得意になって教えてあげた。ボクは内心、「やっと父親もボクの株式
に対する理論を認めてくれたんだな」なんて思った。

 「おとうさんの時代は時代が良かった」「今は右肩上がりの時代じゃない」
「これまでみたいに経営してて、これからもやっていけるかどうか分からない」
それらは全て正しいと思う。だけれども、どこの家庭もそうだと思うが、
おとうさんの頭の方が堅い。おとうさんは変化しないのだ。だから、
変わるのはおとうさんじゃなくて自分だと思う。おとうさんの年齢を
追い越す息子なんていないんだから。

2010年3月10日

一般常識

 先日のある男性との話はとてもおもしろく、また興味深かった。
 その男性は何度も同じ言葉を発した。「一般常識的に見てそれは
おかしいですよ」。ボクは思わず問い返した。「一般常識って何なの、
あなたはさっきからその言葉を繰り返すけど、だったらあなたの中に
一般常識があり、それにのっとって行動してるわけだ。わたしは
そのことをとてもおもしろく思うよ」と。

 一般常識って何だろう。ボクたちみたいな地方都市に暮らしている者
にとってはある決まったヒエラルキーがある。「どこそこ大学をでて
ここで働いている」とか「あそこのお宅はけっこうな名士で」ってやつ。
 その中にいると偉い順番ができあがってくる。なにが偉くて、なにが
偉くないのか。決まってくる。それはそれでいいのだが。
 だが、その序列からはみ出してしまったやつにその話を持ち出すと
「えっ、それってなに、どういうことなの」ってことになる。

 ボクは「珠算8段、暗算9段」だが、このことがすさまじくすごいと
されている世界から、そうでもないところにやってきたら。すごくも
なんともないのだ。ボクはそれをきちんと分かってる。

 ただ、一般世間ではボクのことを「計算がすさまじく早い」と言って
くださるのだが、珠算の世界ではあまりたいした実力でもない。
 これくらいの腕前の人は一つの県に200人くらいは軽く存在してる。
 それを言うと「ええっ、ホントですか」っていつも驚かれる。
 いや、中に入ってみるとよく分かりますよ、そこんところは。

 ボクはこの男性に聞いた。「きっとあなたはこの町でそこそこの名士
になって、会社をかなりもり立てた人になりたいんでしょう。それは
良いんですよ、だけどほかの価値観があってもいいじゃないですか。
それだけがすばらしいことでもないでしょう」。

 この男性はサル山から一人、原宿に投げ出されたオスみたいな顔に
なってた。分からなくもない。一般常識って何だろう。一般的って
何だろう。それをあなたは、いつ、身につけたのか。それってそんなに
きちんと決まった守護神みたいなものなのか。一度疑問に思った方が良いと
思うよ。少なくとも一般常識って言葉を振り回すことはなくなると思う。

2010年3月 9日

重み

 言葉には重みが存在する。きっとみんなはあまり意識してないんじゃ
ないかな。ボクが株式売買を始めたのは父親から「この株、やるよ」が
きっかけだった。帝国繊維という会社だった。それからしばらくは
売るのも買うのもみな父親の指示がついてまわった。

 いつも「自分の意志だけで売買できるようになってやる」と思ってた。
 父親がみんな決めてたら一体、だれが株式売買してるか分からなく
なってしまうよね。ただ、それにはそれだけの識見が求められる。

 経済情報についても、株の売買のタイミングにしても有無をいわさぬ
迫力と裏付けが必要となる。なのでそのころ、23・4で経済関連の
本をたくさん読むようになった。

 このころ父親からよく言われたのは「一度、売買の指示をだしたものは
責任を持て」があった。証券会社に電話し「池田ですが、どこそこの
株を買ってください」と指示をだす。それはときには動くお金が300万
だったり400万だったりする。

 だが、ただの一度も「あ、ごめん、さっきの取り消して」なんてことは
なかった。それは決して口にしてはいけない。「あの人間は、口にしたことは
必ず履行する」があるから、証券会社も信用してくる。

 それを一度でも覆したら「池田さん、次回からは店頭に来てください」
なんてことになっても仕方がない。お金を真ん中にして口にしたことは
なにがなんでも守らなくてはならない。確かにしばらくして「あー、
これ、取り消せたらなー」って思うことはある。だがそれを口にした
ことはない。できないんだ。

 どうだろう。言葉にはなんとも言えない重みがあると思わないだろうか。
 実はあなたの言葉にはそれだけの重みと責任がある。あなたが大人で
あればね。気づいてないかもしれないが、あなたの言葉にはときとして
500万円とか600万円の責任が乗っかってくる。社会人って
のはそういうものだ。それは早く気づいた方がいい。
 であれば、うかつに口を滑らせることがいかに危ないことかよく
理解できるだろう。

2010年3月 8日

ハッスル

 昨日、スポーツクラブに誘われて出かけた。それも片道2時間もかけて、だ。
 実にすばらしい。ボクは入会してないので知人が出てくるのを待った。
 伴われて中に入っていく。知人から使用案内の説明を受ける。

 まずは体重測定だとかなんだとか。体脂肪率が29%。体重90.2。
 かなりしぼったはずだが、まだまだ。ただ出てきた用紙には「このまま
筋力トレーニングをすれば理想的になります」としてあった。B判定。

 血圧測定。どういうわけだか「180と90」。知人から「あんた、
きつい運動したらぶっ倒れるよ」とおどかされる。ホントだ。
 歯科医院でも血圧を計ったことがあるが、あのときも高かった。
 ボクは高血圧なのか。かもしれない。うちの父親もそうだし。
 ただ、歯科医院のときは再度計ると普通だった。

 まずはエアロビ。前面がガラス張りになった部屋でトレーナーの動き
に合わせて自分も踊る。リズミカルな曲で自然に身体が動く。
 やってる人の年齢もバラバラで、だけど筋を伸ばしたり、そうした
自然な動作から始まる。1クール30分。二階には機械体操の器具が
並んでてたくさんの人が走っていたが、ボクはやはりトレーナーと
一緒に踊ったりするのが好きだな。

 二つ目は「ボディヨガ」。こっちは人気のため整理券の受け取りから
始まる。マットを敷いて待つ。ここはゴムを使用するみたいだ。どういう
わけか、これ使ってるときに切れてしまった。ごめんなさい。どんな握力や。
 ここは前面はガラス張りだが、横になると上もガラス張りになってた。
 「なんとかのポーズ」とかいろいろやったが、やはりヨガは呼吸が大事。

 「自分の背筋を感じてください」と言われたが、なかなか分からない。
 「吸って、はいてー」と言われると呼吸を忘れてしまう。ゲホゲホゲホ。
 そのすぐ次に「ハッスルマッスル」だ。「これは格闘技の動きを取り入れた
エキソサイズです」と聞かされる。すさまじい動きにトレーナーも汗びっしょり。
 曲に合わせてパンチやキックを繰り出すととても気持ちが良い。

 「さーここで気合を入れて、ハッ」。このハッスルマッスルはやってると
「身体が覚醒」してくるのが分かる。目覚めてくるんだ。
 毎日、これをやってからお仕事したらさぞかし能率が上がるだろう。
 起きているか寝ているのかはっきりしないあなた。たまにはハッスル
マッスルしようよ。

2010年3月 5日

比較

 比較というのはとても大切だ。比較するからこそ、自分が立ってる
場所がはっきりつかめるということもあるのではないだろうか。
 先日、「池田さんはなぜ交流会をするんですか」って質問された。

 それに対する返答は「ボクも20代のころ、こんな会があったら
良いなーって思ってたんですよ。あまり職業にとらわれずにね、
人は周囲の人と比較するからこそ、ああなりたい、そうなりたい、と
思うんじゃないですかね。だから比較する相手を見つけることはとても
大切なことだと思うんですよ」。

 「あなたがかっこいい人になりたいとするじゃないですか、だけど、
ただ漠然とかっこいい人になりたい、じゃ難しいと思うんですよ、
だけど近くにそんな人がいたら、(あの人のようになりたい)に
なるじゃないですか。その人を真似ればいいわけですよね。そっちの
方が断然早道ですよ」。

 「ボクたちは、まず、どういう人がかっこいいのか、あこがれる存在
なのか、近くで感じないとそれは分からないと思うんです。(ああ
あの人、かっこいいな、ああいう生き方っていいな)と思えたなら、
観察してみればいい。ボクはそういう人に早く出会った方がより良いな
と思ってるんですよ」。

 「だから、人は常に変化を受け入れる気持ちが大切。だってそれを
受け入れる気持ちがないと(かっこいい存在)に移れないじゃないですか」。
 ボクが交流会をおこなう理由に、こういうことも入ってる。

 ボクが社会人になったころ、まだまだ「大人になるってことはタバコ
をふかすこと」が主流だった。だから気の早い高校生たちは我先に
タバコをふかした。「これが大人ってやつだ」ってところだね。
 まずは真似てみる。とたんにゲホゲホやらかす。
 だが、それはそれがかっこいいと分かっているからだろう。
 まずは「だれがかっこいいのか」「あこがれる存在」を見つけて観察しよう。
 そして真似しよう。きっとあなたもかっこいい人になれる。

2010年3月 3日

吸引力

 たまにおかしな話になることがある。
 ボクが「今日はこちらの社長さんをご紹介します」って紹介したとする。
 するとその社長さんに対して、「社長さんとは末長い付き合いに
なると思います」なんてことを口にする人が、けっこういるんだ。

 であれば、「おいおい、だったらオレとは短い付き合いになるって
ことなのか」なんて冗談で口にすることがある。

 これは別に今に始まったことじゃなく、ボク、まただれもがこれまで
繰り返してきた人間ドラマの一つに過ぎないよね。その人たちは大きな吸引力
を持ち合わせてるということなんだ。ボクはこのことに対して嫉妬心など
全く感じない。「すばらしいことじゃないか」って思う。
 だから紹介してるわけだし。

 ボクはすばらしい人はみんなで共有すればいいと考えている。その結果、
ボクから人が離れていってもいっこうにかまわない。ボクはそこんとこ、
あまり気にしないんだ。
 上記のようなことはよくある。
 ボクにはそれだけの吸引力がないんだろう。

 ただ、人と人をくっつける接着剤のような役目は果たしているかもしれない。
 子供のころもいたよね。いつも一緒にいる仲間がいて、そいつと自分、
みたいな感じだった。そこに新しい仲間が入ってきて「二人の中に割って
入られた」みたいなことが。
 ボクは子供のころは確かに嫉妬心みたいなものは感じていたが。今はないな。

 それよりそれぞれの人にとって有意義な人間を紹介できたことが素直に
うれしい。実はこの延長線に自分がやってる仕事がうまく運んだり、
仕事先を紹介していただいたり、ってことが存在してると思う。
 仕事も人が運んでくるんだな。
 「この人を紹介すると自分の友達が一人減る」みたいな感覚を持つのは
やめよう。「みんなで一緒」で進んでいけばいい。自分の周囲に人が
満ちあふれていれば、どん底に落ちたって助けてくれる人は現れるはずだ。

2010年3月 2日

自分

 このごろあまり言わなくなったな。「自分の確立」。これ、大事だと思うよ。
 いつの時代になってもきちんと求められてしかるべきものだ。
 ボクたちは、今、自分の人生しか送ることはできない。いまさら、
大富豪のうちに生まれていたら、とか、株で大儲けして南の島で豪遊、とか、
会社を興して上場だ、なんてのも難しいだろう。目指すことは悪くないけどね。

 ただ、自分が確立していればあまりうらやましく感じることはないはずだ。
 ボクなども「株で大儲け」とか読むと「くっそー、うまくやりやがって」
と思ってしまう。だけれども、と同時に自分でも株売買はやっていて、
そんなに簡単に儲かることでもないこともよく分かってる。
 やはり雑誌などで儲かった人が取り上げられるのは数が少ないから、なんだ。

 それを見て「オレもなりたい」「ちくしょう」、と思うか、どっちに
してもなんとなくつまらない気がする。

 よくボクたちは子供のころ言われたもんだ。言われたよね。
 「よそはよそ、うちはうち」って。
 「あの子は毎日お菓子を買ってもらえるんだって、だから買ってよ」、
 「よそはよそ、うちはうち。そんなにあの子が良いんだったら、もう
帰ってこなくていいよ」。ちゃんちゃん。現実を知る。

 だが、これは子供の話じゃなくてさ、大人になっても必要なことじゃ
ないかな。無意味に欲しがっても精神衛生上、良くないでしょ。

 これは諦観という難しい言葉に置き換えることもできる。あきらめる
気持ちだな。ただ、「あきらめる」って書くとなんとなく残念な気も
するが、諦観はもっと深くて「自分の分をきちんと見極めよう」くらいに
なるはずだ。その中でできる努力はやっていかなくちゃいけない。
 手抜きの理由にはならないんだな。

 ボクたちは上昇志向だから(これはほんとにそうだと思うよ)、
自分にないものを探すのは得意だ。だから不足してるものを見つけて
「まだまだ」って思っちゃう。だけど、それだけじゃないんじゃないかな。
 たまには思い出そう。「よそはよそ、うちはうち」。自分に与えられた
ものをきちんと見つめてやれることをやろう。これ、自分にも言えるな。

2010年3月 1日

チャンス

 チャンスって醜悪な顔をして近づいてくるものだと思う。ボクは社会人
としてのスタートを自営で始めた。何年かしてあるきっかけで別の会社
に入ることになった。そこでボクは初めて「自営の恐ろしさ」を感じた。

 「オレは今まであんな怖いところにいたのか」、不思議な話だが、
自営が社会人のスタートで、そこにいるときは全くそんなことは感じて
なかった。今まで自分がいたところが「難破しそうな小さな船」だった
ことに気づいた。ゾッとした。

 だけれども自営には自営の良さもあった。どこでどうなるか分からない
けど、それを大きくしていくこともできる。可能性はあった。

 そこで、チャンスだ。
 自営をやっているといろんなところから話が持ち込まれる。「池田さん、
ここでやってもらえませんか」「こんな話があるんですが」。
 持ち込まれると「またやっかいなことを」、正直、そんなふうに思ってる
自分がいた。その話も全く可能性が感じられなかった。

 ただ、改めて思う。可能性のありそうなことってたいていの人が既に
取り組んでて、自分なんかの出番なんてないことを。
 「今、あの商売が良い」とか聞かされるけど、少し眺めてみると競争
が激化してみんな四苦八苦してる。可能性が十分にありそうなことって、
たいていダメなんだ。

 ボクたち自営の人間は「チャンスというものは醜悪な顔をしてやってくる」
くらいに考えるのがちょうど良いと思う。「儲かりそうにない」「あんなの、
だれもやらないよ」みたいなことが。良いのだ。

 いつしかボクは大通りを歩く感覚が薄れた。大通りは混雑してて、
優秀な人間が歩くところだ。ボクたちはそこを歩いちゃいけない。
 ボクたちは一見、「せんなくて、金にならない」ことをせっせとやる
べきなんだ。「めんどくさくて、時間ばかりかかる」ことを。

 醜悪な顔をしてるからほとんどの人にとってそれは嫌なことだ。だから
可能性がある。ボクはいつしか「チャンスって醜悪な顔をしてるな」と
思うようになった。ただ、きれいに見えたらみんな入ってくるだろうからね。
 チャンスはそういうものだと思った方が良い