2010年2月26日

引いて

 世の中、引いて生きるか、出て生きるか、二つに一つしかないと思う。
 ボクはどっちでもいいと思う。ただ、決めておく必要はあるだろうな。
 ボクはどういうわけだか、いろいろな方に「これをしてください」
「あれをしてください」と依頼することが多い。
 今もってその最中だ。

 当然のことだが、そこで応えは二つに分かれてくる。
 「いやいや、オレはまだそんな器じゃありません」とか「いろんな人が
見るでしょ、だれが見るか分からないじゃないですか」などの返答がなされる。
 「だれが考えてもそれが適性だって言われるようになったら、自分も
やりますよ」も聞かされた。

 だが、不思議なことだが、世の中、一つ引き下がるとほかの場面でも
下がるようになる。一つ、前に出るとますます前のめりに前進していく
ことがある。

 ボクは前提としてどの人も「出て生きるか、引いて生きるか」決めて
おく方が良いんじゃないかと考えている。決めておけば「いざ」って
とき、「やります」「やりましょう」「やってみます」につながるん
じゃないかな。問われたときはいつも「とっさ」の場面だからね。
 たまには「どうしようかな」と考え、決めておかないととっさの返事は
難しいよね。

 ボクは15歳のとき一人で京都に向かった。このとき返事は一瞬だった。
 「オレ、行くよ」だった。その返事ができたのは実は自分に絶望して
いたから、だった。中学校は年間60日くらい遅刻を繰り返し、日曜日は
昼頃まで寝てた。期末考査はもちろん散々な結果。自分に自信など持て
ようはずもない。

 自分の中にどこか「今の自分を何とかしたい」って気持ちがあったのかも
しれない。ただ、京都での日々は決断した日の気持ちなど全て引っ繰り返す
ほどの激変があったけど。

 ボクは思う。人はみんな「出て生きるか引いて生きるか」なんだ。
 よく映画なんかだと「こっちを選ぶかあっちを選ぶか」みたいな話が
あるけど現実は残酷だ。一つしか選べないんだからね。その選んだ結果
を受け入れるしかないんだから。たまには考えよう。
 「引いて生きるか出て生きるか」を。

2010年2月25日

世代

 ゆうべ、ある男性とお話しをした。20代だらしい。ある職場から
今の職場に転職した。そのときハローワークに通って今の職場を確保した。
 ちょうどそのころ「派遣村」なるものが設立され、「派遣切りの
被害者たちと先を争うようにして」確保に頑張った。

 ボクは「被害者」という言葉に少し戸惑いを覚えた。「もうハローワーク
はすさまじい混雑で、端末の前はいつも人でいっぱい。予約待ちが10名
いるんですよ、って告げられた人もいたそうです」。
 予約待ちが10名とは求人のあった会社に応募したいのだが、既に
10名くらい応募があり、言外に「あきらめた方がいいんじゃないか」
ってことだったようだ。

 これらの話を聞くとどうしても世代というものを感じてしまう。派遣村
が設立されたときに応募に走るのだって、その世相だからこそで。
 「運が悪い」って言えばそれまでだけど、男性の「ちょうどボクたちの
ころが不況の足音が大きくなったころですからね」も耳に痛かった。

 話を聞いていて思ったのは「転職」というのはそこで自分を総括する
ということだ。「今の自分にはなにができて何ができないのか」、
真剣に真剣に考えて書き出していく。すると「あまり資格や特技と
呼べるものがなくてびっくりする」そうだ。

 これまでほとんどの人が「途中で総決算」などやってこなかったに違いない。
だが、改めて書き出してみると「自分ってたいしたことないな」と思えるそうだ。

 そしてハローワークの混雑ぶりを見ていると「勝てっこない」と
思えてしまうとも。人間、改めて自分に何ができるか考えてみれば
あらかたの人が愕然とするに違いない。今の職場が長いということは、
すなわちよその職場の技術をモノにすることに不慣れになっている
ことを示すはずだし。
 あなたもときには総決算してみてはいかがか。
 「今の自分にはなにができてなにができないのか」。転職先の人間が
「うれしく思えるような資格」があるかどうか。ほとんど見当たらない
だろう。今のあなたは恵まれているということだろうな。

2010年2月24日

交流会

 よく交流会を開催する。当初はただなんとなく集まってただけだけど、
ゲストがいればそれも楽しいんじゃないかって、思って。それからは
できるだけゲストを用意してる。

 ゲストって言ってもそれもボクの知り合いで、要するに知り合いを
順番にゲストにしてるだけ。だれにも強み(仕事のこととか、趣味の
こととか)があるから、それを話してもらう。30分くらいって
伝えてあるけど楽しければ長くするだけのこと。その後、質問タイム
も用意する。

 どんなふうにおこなうかと言うと、まずゲストの都合を聞く。
 「何月何日、何時から」。ボクがその日、あいてればそれで決定。
 周囲の人にメールで通知。場所も確保する。

 これだとある問題が発生する。なにか分かるだろうか。参加する
人が何人か分からないことだ。だが、あることでこれは解決する。
 要するに「何人でも開催」してしまうのだ。簡単だな。
 だからたまに「ゲストとボクだけ」ということがある。それでも
かまわない。

 よく「日程を決めておいてやればいいのに」と聞かされる。それも
一つの手だな。ただ、「来たい人は来ればいいし」を追求すると
そうもいかなくなってしまう。決まった日におこなうとなにかの会
であるわけで、趣旨とかめんどくさい話になってしまう。

 そして「池田さんの集まりは暗い人がいませんね」もよく聞かされる。
 愚痴ってばかりいる人は誘わないもの、簡単だ。
 みんな自分の意志で参加してるから、そんな場で愚痴ったって仕方ない、
って分かってるんじゃないかな。

 いつだったか知り合いの人からこんなことを聞かされた。「まず商売す
るんじゃない、自分を売れ」ってね。
 そりゃそうだ。自分をきちんと知っていただいて約束も守るし信頼
していただく。そうすりゃー仕事の依頼だってあるだろう。
 異業種交流会に参加する人も多いと思うけど、ここらあたりは最低限の
マナーだな。
 いろんな人から呼んでいただける人間になることもまた大事だよね。

2010年2月22日

あやうさ

 先日、知り合いから「FXってなに」と質問された。ボクはやった
ことがないからなー。よく分からない。
 ただ「外国為替証拠金取引」だって読んだことはあるのでそれを
伝えておいた。「外国」「為替」「証拠金取引」で分からない人には
説明してもなかなか理解しづらいだろう。

 ボクは株の売買をしており、またそれをいろんな人に伝えてもいるから
よく質問を受ける。「池田さん、どうよ、株、どこかええとこある」って。
 ボクはいつも「やめといた方がええよ、そんなに簡単に儲かるんなら苦労は
せん」って応える。世の中、安易に儲かる方法などあるはずがない。

 ただ、ボクは長らく株売買をしているのでFXのことを聞かれると
なんとなく分かることがたくさんある。理解が早い。

 レバレッジだの強制ロスカットなど、なに、株式の世界に照らし合わせれば
ごくごく簡単な話だ。レバレッジはニッショウキンの「三倍まで取引
できる」が大きくなっただけ。

 強制ロスカットは「ニッショウキンは三カ月以内に反対売買をしなければ
ならない」って決まりがあるんだけど、これは「少々、儲かったら危なくなる
前に反対売買せよってことだな」とみんな思ってる。
 要するに賭けの範囲をあらかじめ決めておこうってのと同じ話だ。
 ちなみにニッショウキンというのは「日証金」と書く。

 ニッショウキンは三倍までだが、別の金融機関を利用すると7倍まで
取引できる。レバレッジというのはこいつが大きくなったと解釈すれば
ほぼ間違ってないはずだ。
 FXと聞くとなにか先進的な印象を受けるかもしれないが、なに、株売買
をやってる人から言わせればこれまでの取引を先進的にしただけ。

 あとは「あやうさ」の問題だけ。先進的になった分だけ危ないん
じゃないかって気がする。ボクはそもそも「株売買は借金してまでやらない」
と決めているから、FXもやらない。
 ボクはFXも株の売買も人には薦めない。「そんなに簡単に儲かるわけ
ないじゃないか」って思ってるから。「いや、あの人は儲けた」そんな
事例があるのは確か。世の中にはそういう人もいるだろう。肝心なことは
「世の中の事が自分に当てはまるとは限らない」ことも承知しておくことだな。

2010年2月19日

できません

 人はいとも簡単に「できませんよ」「それはできません」と口にする。
 ボクはいつも思う。「そうか、それはできないのか」。
 ただ、長らくこのセリフを聞いているとあることが分かってきた。
 それは「その人が実際にやってみてできないと結論をだしたのか、
できないと思い込んでいるからできないのか」どちらか分かるように
なってきたんだ。
 とても不思議な話だと思う。そしてごくごく当たり前だとも思う。

 実際にそれと取り組んでみてできないと判断した人はすごく説得力がある。
 「あれはあのころ、こんなふうにやってみたが、うまくいきませんでした」
どこかそんな雰囲気が感じ取れる。

 だが自分はやらないで判断する人は話がどこか遠い。
 「あの人が口にしてたから」「それはできないって決まっているでしょ」、
みたいなものが感じられる。これはかなり当たってると思う。

 それはこういうことかな。
 物事の本質をそのまま触る人と、本質の上にビニールをかけてそれを
眺めて、さもそれが真実だと思っている人との違い。
 違いは「やってみればはっきりする」。

 ボクはこの問題についてはいつも思う。
 「物事というものはいつも変化している。自分がやったときはたまたま
うまくやれたのかもしれない。たまたまうまくいかなかったのかもしれない」
が真実だと思う。
 で、あるなら「それはできません」というのはおかしい。

 「いつもいつもできないとは限らないけど、うまくやればできるかも
しれない」が現実なんだ。ボクにも「あの人はこの方法でやればできる
って話していたのに」ってことはよくある。だけどはたと気づくね。

 「その人にはその人独自の方法があって、それでうまくやれたの
かもしれない」って。だったら、それだけの話だ。
 「できる、できない」は実は「できるときとできないときがある」のが
現実だ。まずボクたちはこの違いを認識すべきだろうな。

2010年2月18日

開店

 先日、ある開店希望者の方とお会いしお話しを聞く機会があった。
 「自分もこんなふうだったのかなー」、なんとなくそんなふうに思った。
 だれしも新たに開業するときというのはうれしい気持ち、誇らしい気持ち、
とうとう夢がかなった気持ちとがないまぜになってるかもしれない。

 だが。
 現実の世界は果たしてどうだろうか。飲食店であれば「あなたの開店
を心待ちにしとったんよ、うれしい」なんてことはなく、開店当初は
来てくれたお客さんも初々しさがなくなるごろには冷めた目で観察される
のが当たり前の光景だ。

 不思議とこれから開店しようとする人間には「自分の店にどんどん
お客が押し寄せる光景」「いろいろと評価をしてくれるたくさんの人々」
がいるように感じられるようだ。それは、ないな。
 脳裏に思い浮かべたほとんどのことは外れて終わりだろう。

 成績をあげている経営者というのは独特の雰囲気が備わっている。
 吸い取り紙のようなエネルギーを有していることが多い。吸い取り紙
だからこそたくさんのお客さんが吸い寄せられるのだろう。

 だから、自分もそんなふうな目で観察することになる。
 「飲食店であれば安くてうまいは当たり前」である。一般庶民の感覚、
「たまには食べに行こうぜ」の評価基準はそのくらいでしかない。
 「自分がこれまで培った知識」「豊富な経験」なども自分が感じてる
ほどにはお客さんは感じてくれないものだ。

 バラ色の未来は自分が勝手に描いたものでしかないのが現実だ。
 それに同じ飲食店だって工夫を怠っているわけではない。今や、
一軒の飲食店が消滅したとしてもだれも困らないのが悲しいかな、現実だ。

 「あんな人が住んでないところでよく商売してるな」と思えるお店
だって隠れた工夫があるものだ。開業してみるとそんなことも見えて
くるかもしれない。これからは吸い取り紙の時代だと思う。

 それはどうすれば身につくのか。きっと教科書や参考書の類いはないの
だろう。だからこそ手にした人が果実を手にする。そう思えば努力
しがいがあると言えるかもしれない。とにかく開店当初のにぎわいは決して
実力ではないことをまず肝に命じておくべきだ

2010年2月17日

自分のため

 よく「池田さんって他人のためになぜそこまでやるんですか」と
聞かれる。戸惑う発言だ。自分ではそんなこと思ってないんだけどなー。
 周囲の方のめんどうを見てあげる。そんなところから思われてるの
かもしれない。ただね、それは、もうかなり前のことになる。

 ボクたちはある地域で仕事をさせていただいている。
 分かったことだがその地域の経済がおかしくなると自分のところの
仕事も減ってくる。頼む人が少なくなるからね。
 であれば、その地域が活性化、好循環、魅力あふれるものに変われば
自分のところも潤ってくるはずだ。が、根本にある。

 ただ、そうは言ってもボクは自分が真から好きなことだけをやっている。
 だからストレスがたまらないのかもね。
 よく父親も話してくれる。
 「自分だけ儲かることはないんやから。周囲も儲かることを考えんと。
周囲が儲かったら、まわりがほっとかんよ」。
 これらがボクの基軸をなしてる考え方だ。

 同業者にしてもそうで、これまで同業者はなくなればいい、とか考えていた。
 だけど、そうじゃなく、業界全体のお客さんを増やす観点に立たなければ
ならない。そんなことにも気づいた。

 たとえてみればこうかな。
 ボクたちは円で生活している。ビジネスのうまい人がいて円をたくさん
かき集めたとする。たくさん集めたのは良いけど国が没落して円の
価値が半減したとする。その人の資産は半分になってしまう。

 要するにお金も「使える場が」あるからお金として機能するのであって
たくさんあっても実は意味がない。日本も敗戦ののちは「リヤカー
にお金を乗せれるだけ乗せてサツマイモ一個と交換してもらった」そうだ。
 「スーパーに行ったら品物がなくて買えるものがなかった」とも言える。
 そうした視点からもう一度自分の周囲を見直してみることも大切だと思う。
 「お金はあれば使えるものじゃない」ことを頭に入れておこう。

2010年2月16日

行動

 行動、動いてみることはとても大切だ。改めて思ったね。
 実に不思議なことがある。それは人は動こうとするとき、周囲の人たち
はそれをとめにかかることだ。「やめといた方がいい」。
 「もっと準備したら」「どうして池田さんがしなくちゃいけないの」。

 ボクはどれだけこの言葉を聞かされたことだろう。
 それはよく言えば善意なのだろう。だけれどもやる前からストップ
をかけられるわけで、やはり気持ちが前に向かっていかない。
 「そうかー、やっぱりそうだよな。別にそれ、オレがやらなくても
いいよな」など思ってしまう。「やっぱり準備期間をきちんと設ける
必要があるのか。そりゃそうだよな」。

 「失敗したらどうするの。どうせやるなら失敗しないようにしなくちゃ」。
 これらの言葉に押し流されるようにして「だよな、やっぱ、やめとこ」
になりがち。

 ボクは改めて思う。
 それらの方々は善意で発してるのだろうけど、どうにも前に進めない、
動けないセリフをみんな口にしてると思う。
 そうしてお互いにしばってるような気がするんだ。
 その真意はボクには分からない。

 ボクはよく「だれも思いつかないことを口にしますね」と言われる。
 そうかー。そうかもね。
 基本的にボクには「それはできない。自分がすべきことではない」
なる感覚がないのかもしれない。何だってやれるんじゃないかな。規模
はさておいても。

 まず動いてみよう。そうしたら全体の大きさも分かる。周囲の「やめとけ
コール」の意味も分かる。実に意外なことだが「池田さん、それおもしろいよ」
と言っていただける人などほとんどいないんだ。ボクにとっては実に意外だ。
 現実の問題というのは実際にやってみてはっきりする。動かなければ
「なにが問題」かも分からないものだ。周囲の「やめとけコール」は
無視しよう。それが善意からきているものでもね。

2010年2月12日

新幹線

 新幹線、もう久しく乗ってないなー。ボクは新幹線と言えば試験列車
というのを見てるんだよね。黄色いんだ。試験列車というのはかなり
後になって知った。山陽新幹線をテストしていたわけだ。
 あの黄色い列車、中は測定機材がたくさん並んでるらしい。

 昨日「新幹線、国道1号を走る」を読んだ。いやーなかなか良かった。
 CMでも流してるから新幹線が国道を走るのは知ってるよね。
 ただ、やはり本になってるくらいだから初めて知ることも多かった。
 新幹線は道路を、新幹線で走っているのだ。これから納品する新幹線
の下にタイヤがある台車を用意しそこに乗っかってるわけ。

 本来、新幹線は線路を走る台車がくっついている。ただ、それでは
国道を通行できないので履き替えてるわけだ。作った会社から納品する
までで輸送のお金がかかることになる。

 実は新幹線の役目はとても大きいと読んだことがある。新幹線会社の
社長さんのお話しを読んだことがある。新幹線とか列車は「早く目的地
に着ける乗り物」であるばかりでなく、「自動車の使用を少なくなる」
乗り物でもあるのだ。当たり前な気もするだろうけど。
 で、あれば輸送にかかるお金を少なくすることもとても大事ということになる。

 鉄道マニアは今「鉄ちゃん」などと呼ばれているがボクが子供のときにも
たくさんいた。あこがれるんだな。男が初めて乗る乗り物が消防車だったり、
パトカーだったりするから。違う意味で将来を予感してたりして。
 あ、これ、三輪車とかの話ね。

 さて。国道1号を走る新幹線。ほぼ一度も切り返しをしないようだ。
 すごいよなー。車に乗る人なら分かるよね。切り返し。ボクたちも
駐車場に入れるときにやるやつ。「あ、当たる」と思って車を前にだし、
改めてバックさせる。これをあの長い新幹線を引っ張るトレーラーで
やらないというんだから。たまにはやるらしいけど。

 「輸送の職人」なんだよね。40キロを5時間かけて走る。
 切り返し、なし。ただ、新幹線を乗せた台車には操作パネルがあり、
内輪差が生じないように操作することができる。こういう秘密もあるんだね。
 鉄ちゃんじゃなくてもたまには読んでみましょう。こういうの。

2010年2月10日

最短距離

 映画、ココシリを見た。うーーーん、あれはすばらしい映画だな。ぜひ。
 ココシリというのは「美しい山」くらいの意味になるそうだ。チベット
カモシカを守る自警団のお話しである。

 日本で自警団と聞くとどんな姿を思い浮かべるだろう。ここで言う
自警団は苛酷、苛烈、すさまじくしんどい世界なのだ。
 山に入るがそこにはなにもなく、苛烈な風が吹きすさぶ。

 隊員たちが別れぎわには「達者でな」と口にするが、それはおおげさ
ではなく「次はないかもしれない」、今生の別れを意味する場合もある。
 それに比べると日本の風土のなんとありがたいことか。

 たまに諜報関係の映画を見ることがある。
 二つの国の中で交渉ごとが発生する。
 映画を見るボクからすると「ここはコブシを振り上げて怒りを表明し」
などと思うが映画の中の面々は実に粘り強い対応を取る。

 どこまで現実かは分からないがとにかく「頭にきた」くらいのレベルで
解決していくことはない。ボクたちの日常にはよくあるよね。これ。
 最短距離で問題を解決しようと試みる。

 先日、駐車場でのこと。こっちはバックで車をおさめようとしているのに、
隣の車が前進で出てきた。こちらはバックすることができず、その車は
ボクの車があるために前進できない。笑ってしまうような光景だった。
 こんなとき映画の監督はどんな展開を取るのだろう。

 その車は元の位置に戻すのはためらわれたのだろう。斜めに前進させて
ボクをやりすごそうとする。すさまじい手間をかけて2台は別れを告げた。
 ただ、方々の駐車場でこのような問題が発生してるようだ。ボクたちは
案外と賢くなってないね。そう思うよ。

 昨日、知ったことだけど今年は「22年2月22日」ということに
なるそうだ。当然だね。それを当て込んでいろいろ催しをやるようだ。
 郵便局に人が並ぶかな。日曜だったら良かったのにね。この事実を
楽しいと思うか「それがどうしたんだ」って思うか。やはりここは
「へえーーーっ、おもしろいなー」って思うべきなんじゃないかな。

2010年2月 9日

現象

 うーーーん、また、あの現象がぶり返してきたな。当たってるかどうか
は分からないけど。いやね、本屋さんに本を注文する。本が届く。
 その本がたくさん並べられてる現象のことね。前に利用してた店は
明らかだった。自分が注文した本が8冊くらい置かれていたりしたから。
 注文するまではその本はなかったわけで。ま、自分だけじゃなく、
いろんな人の注文が重なったのかもしれないけど。

 実は本屋さんというのは、ボクの地元なんかは特に「売れる雑誌」
主体に陳列してあることがほとんどだ。平積みもベストセラーが多い。
 「本と言えばベストセラー」で事足りるということだろう。
 ボクはあの「売れ筋ランキング」の本を買ったことがない。これは
嫌ってるわけじゃないんだ。ただそうなってるだけ。小説を読まない
ことにも一因があるかもしれない。

 最近、読んでおもしろいと思ったもの。
 マラソン関係の文庫がたくさんでている。合計4冊。みなどれも
おもしろかった。「スローな未来へ」。「ホームレスが流した涙」。

 この、村田らもさんという方の書く「ホームレス本」、これが
すばらしくて、ついつい引き込まれて読んでしまった。文庫だから
みんなも買って読んでみてよ。絶対にお薦め。

 「ホームレスも人それぞれであることを知ってほしい」。著者の
書くさりげないこんなセリフがぐさっとくる。文中、「ホームレスは
ホントに危険なんだ。一般人がこんなに怖いと思ったことはなかったよ」
のセリフには驚いた。ボクたちの気持ちの中に「社会のやっかいもの」
みたいな意識があり、それが自然に向けられるということかもしれない。

 ま、ボクが子供のころも「しっかり勉強しないと、あんな人になるよ」
とは言われたけどね。反面教師の役割はあったと思うな。
 著者は言う。「ホームレスに割り当てられた労働はすさまじく苦しく
辛いものがほとんど。昼間寝ているのは夜、寒くて寝られないから」、
これが置かれた現実だろう。それがボクたちの目にどのように映るか、
だろうな。たまにはこうした本にも目を通してほしいな。

2010年2月 8日

マラソン

 土曜日、映画アバターを見た。いやーなかなか良かったな。
 3Dメガネをかけると聞いていたので期待していた。ボクはメガネ
をかけているので始めはかけずに、だけどやっぱりメガネの上から
3D装着。大丈夫みたいだ。3Dはアメリカ製としてあった。

 ま、アバターは劇場で見ないとダメってわけだ。それはいいが、
今回、地元の劇場が大きな変身を遂げていた。もちろん3D登場に
合わせて、だろう。知らなかったが3Dは特殊な設備が必要らしく「山口県
で初」と誇らしげに垂れ幕が下がっていた。料金も少しアップしてた。
 そして、初自動券売機が導入されていた。ただ、券売機の前に女性
が立ちお客がやってくるたびに説明していた。まだ移行期なのだ。
 駐車券を配る係の人、3Dを配る人ありで、とにかく人手が多い。

 「山の遭難」を読んだ。ひとごとじゃないからね。このごろは気軽に
救助を要請する事例が多く困っているとのことだった。ただし、その
ステージが山、ないしは山奥なので肝心の「気軽」という点の解釈が
とても難しくなる。「ネンザしたので歩けません」なる救助要請を
軽くみて動けなくなることも確かにあるわけだし。難しいね。

 「マラソン100回の知恵」を読んだ。なかなかおもしろい。
 マラソンと言えば知り合いが「走るときはテーピングするんですよ」と
聞かされ「まさか」とか思ったものだった。だが、マラソンの本を読むと
どれにもみんな書かれてる。マラソンをしない者にとっての42キロ
というのは苦行そのものだ。想像するだけで辛い。試しに車で走ってみよう。
 軽く1時間はかかるからね。それを人間の足だけで走り切るって
どういうことよ。おかしいぞ。

 「42キロは現実には一度も走らなくても走れる」そうだ。ボクなんぞの
シロウトは「毎日42キロを走って練習」などと夢想するのだが、それは
ないらしい。できっこないのだと。ま、ボクとしては予備知識なしに
臨んでいろんな失敗を繰り返しながら達成していくのが楽しい気も
するのだが。一体、いつからだれもが42キロを視界に入れて走るよう
になったんだろう。すごいことだなーって改めて思う。

2010年2月 5日

提案

 火曜日の晩、男性にある提案をした。男性は「いいですよ、オレなんか、
あと何年かしたら必ずやりますから」って返事をした。
 ボクは聞きながらおかしくてたまらなかった。
 この男性からこんな返答をもらうとは思ってなかったし、また、
何年かしたら、って返答が実現したことがないから。

 きっと人はいつも条件不十分なんだろう。
 「オレなんかはその価値がない」「まだまだ経験を積んでから」、
聞いてる分には分からなくもないが、その経験をやらずして、なんの
経験なのか。聞いてみたくもなる。

 人にはみんな「今のオレはまだ役不足」みたいな場面があるはず。
 逆にそこでどんな態度を取るかで自分が決まってしまうのではないだろうか。
 ボクは即答は避けるべきだと思う。

 そして、こうした提案というのは「次回も必ず自分のところに回ってくる」
ものではないことも肝に銘じておくべきだろう。
 いな、一つ飛ばしてしまうと次はなかなかやってこないものだ。
 それはチャンスだったのかもしれないにもかかわらず。

 チャンスって不思議だと思う。きっとチャンスは楽しい顔だけして
訪れるのではなく困難の裏側に用意されているのかもしれない。
 ボクも逡巡したことは何度もある。

 それは「うまくやれるかどうか分からない」「なぜオレが、オレじゃ
なくてもいいだろう」「今だって十分忙しいのにこれ以上、課題を持ち込んで
くるなよ」だった。

 それは自分が出会ったことのない種類のものだから、そう思うんだろう。
 だが、思う。ボクたちは子供のころ「あの先がどうなっているか知りたい」
と願わなかっただろうか。分からないからこそ出かけたくなったものだ。
 いつしかそれを忘れてしまったんだな。「これをこのまま死守してれば
やってはいけるんだし」みたいな感覚になっちゃってる。ボク自身も
そうだったし。提案。必ずされるとは限らないが、ボクは思う。
 心の準備はしておくべきだよ。とりあえず即答は避けよう。

2010年2月 4日

天然

 髪にカールやウエーブがかかってる人のことを天然と言う。理容室などに
行くと「あらー、あなた、天然なのね、すばらしいわ」と聞かせてくれる。
 天然ってそんなにありがたいことなのか。どうだろう。
 大人になるといろんな人から髪を触られて「あら、天然、いいなー、
わたしもそうだったら良かったのに」。

 いろんな人からありがたがられる天然だが、そんなにうれしくもない。
 この天然、寝癖がつくと徹底的にどうにもならなくなる。
 朝はいつも時間がないのですぐに身支度して家を出たい。そう思って
るのに、頭が科学者ばりになってるから。とにかく、この天然、水で
ぬらしたぐらいではどうにもならない強度を持つのだ。本来、天然は
柔らかいものなのだろうが。

 理容室でもいろいろ質問してみる。
 「この髪、なんとかならんのかね、朝、一刻も早く出たいんよー、
セットしとる暇はないんじゃけー」。
 応えは決まって「うーーん、難しい」か「いっそパーマでもしてみる」だ。

 パーマをかけるとまとまりはするようだ。過去、かけてたこともある。
 ありがたがられるのはパーマせずにパーマ効果があるからなんだが。

 仕方がないので(今はやってない)横をGIカットにしてもらってた。
 理容室にて「横をズバッとカットしてみてくれないか」と頼んだことがある。

 ここ岩国にはアメリカ軍の基地がある。そこの兵隊さんがおこなうカット
の方法にGIカットなるものがあるそうだ。映画などで見るボウズ頭
に近いあの髪形だ。それからはよく「GIカットで」と注文をだしていた。

 これにするととにかく髪がないのでウエーブがかかっていようと関係ない。
 セットに要する時間はゼロだ。GIカットはそこから来ているのかもね。
 髪に軽くウエーブがかかっているというのはドライヤーなどでセット
するにはありがたいのだ。そんなことをする気のない人間にとってはあまり
意味はない。「天然ね」と言われると「取り替えてあげようか」と口にする。
 きっと取り替えても不満は残るだろう。人間とは勝手な生き物だ。

2010年2月 3日

お酒

 ゆうべ六人でお酒を飲んだ。料理もおいしかった。話も楽しかった。
 いつもとは違うメンバーで卓を囲むと話題もまた違ってくる。
 話はあっちにいったりこっちに来たりするが、この日は打ち合わせと
いうこともあって、やはり一つに絞られてくる。

 それぞれが目的地に向かってまとまって進むってなにかとてもすばらしい。
 子供のころからこんな感覚、あまり味わったことがなかった。
 ボクは今でもそうだけど一人でいることが全く苦痛じゃない。それでも
こうして何人かで楽しく飲むのもとても楽しい。
 子供のころのそれがボクの読書好きの一面を形成したのかもしれない。

 こうして何人かで飲んでいると自分の新しい一面、新しい意見に出会う
ことがある。「いい年をした大人が」と思うかもしれない。いやいや。
 自分が話しているのに他人が口にしてるような、「へえーーーーっ、
そういう考え方もあるんだー」って。
 ありませんか。

 いつもは深いところに隠されてるんだろうけど、それが姿を現す感じだ。
 実はみんなにもあるかもしれない。

 ただ、環境とか気持ちのありようとかが変化しないから気づかないだけ
かもしれない。酒を飲んでいると決まって繰り出すセリフみたいなものが
ないだろうか。きっとそれは日ごろ、言いたいんだけどなんとなく
しまったままになってる意見なのかもしれない。

 そして、それが本当の自分だったりもするのかも。
 ボクは次回からは昨日、仕入れた自分の意見を口にしてるかもしれない。
 それも頻繁に。

 自分の考えが明確になった。そんな気がしたな。
 いつもと同じだとなんとなく安心できるけど、それだと自分の違った一面
を見つけだすこともまた難しいのかもしれない。ぬるま湯ばかりじゃ
いけないってことだろうな。

2010年2月 2日

ネット

 ネットというのは意外に便利に使ってるものだ。
 映画、「オーシャンズ」についていろんな人から質問される。
 とても良い映画なんだそうだ。

 で、上映時間だとか場所を調べるのにネットを使う。
 こういうとき、ネットは本当に役立つ。
 上映時間も場所もたちどころにはっきりする。

 電話で問い合わせることもあるが、なかなかに大変。今はね、「それでは
2を押してください。それでは3を押してください」といろいろ指示される。
 そもそも電話だと一週間分くらいしか収録できないみたいだ。
 映画は封切りの時期の問題もあるが「いつまで上映するか」もあるからね。

 それからお店やレストランの情報を探すのにネットはとても便利。
 店名だけ教えてくれることが多い。
 それにしたがってネットで探す。
 今は場所や電話番号、もよりの地図、アクセス方法などもでてくる。

 このもよりの地図がバカにならない。
 地図の中から自分が知ってる建物を探し見当をつける。
 「あー、あの建物の裏だな」と分かれば実際に歩いて出かけても
たどり着ける。

 先日、「島根フェスタ」というのがあり出かけた。ところがこれ、
いくらネットで探しても見つからない。こういうときとても困ったことになる。
 ネットで探しても見つからないので「あれ、本当にやってるの」なんて
ことになる。テレビでは流してたみたいだ。

 情報をどこから得るのか、の問題になってくる。
 ああいう大きなイベントはネットでもきちんとおさえておく必要が
あるだろう。実際にはそんなイベント、存在してないことにもなってしまう。

 旅館やホテルの予約もとても便利だ。先日、旅館を予約したとき、
あまりにも手軽で驚いた。空いてる部屋の状況に予約の完了まであっと
いう間だった。あれ、電話だととにかく大変。
 部屋指定までできるんだから。おまけに割り引きクーポンの発行まで
してもらったよ。

2010年2月 1日

大潮

 あなたは大潮というのをご存じだろうか。知ってはいても見たことは
ないだろう。もうかなり前のことになるが周防大島という島で潮干狩り
を楽しんだ。それも空前絶後の潮干狩りだ。

 知り合いから「この日は年に一度の大潮ですから、ぜひおいでください」
と聞かされていた。大潮でいいのかな、一年に一度か二度、海がはるか
かなたまで後退する日があるのだ。ま、いくら言葉で聞かされても分からない。

 とにかくその日、大島に出かけた。もう地理的なことは全く記憶にないが。
 はるかかなたまで海が後退しているはずだが、こちらはいつもの状態を
知らない。とにかく、広大な土地が開けていて、そこに地元民だろうか、
たくさんの人が潮干狩りを楽しんでいた。一年に一度しかできない潮干狩りを。

 この日、主にねらったものは「ミル貝」と呼ばれる貝だった。大きさは
30センチくらいある。とにかく巨大な貝だ。お寿司屋さんに行くと
ミル貝と書かれてる、あれだ。この開けた場所はいつもは海面から
3メートルくらい下にある海底ということになる。ミル貝はそこに転がって
いるわけじゃなく、そこから掘って採取する。海底から30センチくらいは
掘る。するとそこに、ありました。いました。巨大な貝が。

 さー大変だ。こんなものがいると分かるとついつい狩猟本能が刺激され、
まともな道具もないのに必死で掘る。まったく宝探しだ。おかげで爪はザラザラ
になってしまった。

 ただ、いつもは海底なので、楽しい生き物ばかりじゃなく不気味な生物
もうようよしてる。少し掘ってはゴカイが登場(魚のエサになる)、
少し掘ってはわけの分からない生き物が飛び出してくる。そのたび、
こちらはウワッと声をあげ知り合いから「そんなに驚かんでも、
飛びかかってはこんって」と笑われてしまう。

 しかし。不気味な生物がたくさんいる。もっと早い時間に行くと潮だまりに
取り残されたタコや魚も採取できる。ミル貝は貝の大きさと同じくらいの舌を
出しててこれにも驚く。持参した入れ物に入りきらないほどのミル貝を取った。
 一年に一度しかできない潮干狩り。アサリのように簡単にはできやしないよ。