2009年11月30日

クスノキ

 先日、山に登っているとクスノキの木を見つけた。看板がぶら下がってた。
 教育委員会かどこだか知らないが看板を設置してるんだ。
 これまでそれを目にしてもあまり関心も示さなかったが。先日の
「イタヤカエデはなぜ」を読んだからだろうか、ふと目にとまった。

 クスノキというのはとても大きな樹になる。どれだけ大きいかと
いうと人間の背丈くらいのところには大きな空洞ができるほどだ。
 ボクは子供のころからこのクスノキにはなじみがあり、あの空洞は
「クマが住んでいる」とか思っていたものだ。
 ホントに住んでたら大変なことだが。
 それだけ大きな空洞があるわけだ。

 そんな巨樹になると葉っぱとかはどこにも見かけない。はるかかなた
上空にあるからね。ボクたちの生活には幹しか関係しなくなるんだ。
 子供のころもこの幹には手でパンパンたたいてみたり、その樹皮を
なでたりしたものだ。高さは20メートルくらいはあるんじゃないかな。

 ボクの知ってるクスノキはみんな川のすぐ近くにある。きっと
クスノキって水が好きなんじゃないかな。水が好きっていうのも変な
言い方だけど。

 山の中にあったクスノキはまだ高さ1メートルほどだった。当然
葉っぱもよく分かる。「へえーーーっ、クスノキの葉っぱってこんな
だったのか」、改めて思った。樹にくっついてる葉っぱを見たのは
初めてだ。

 葉っぱってボクたちの認識では「木の葉っぱ」だけど実は一枚一枚
みんな違う。分かってましたか。当然ですよね。今、紅葉の時期なので
イチョウの葉っぱが散乱してる。黄色くなってね。あれはとても
印象的な形をしてる。あそこまで突飛でなくても葉っぱはみんな
それぞれ違ってる。「オレはこういう樹なんだぞ」と主張してる気がする。

 ちなみにクスノキは遠くからでもすぐに分かる。(高いから)。
 そして独立して立ってる。周りにほかの樹を見かけないのは
どういうわけだろう。追い出してしまうのかな。高い山に高い樹。
 どちらも人の心に印象的に残る光景っていう気がするね。そして
ランドマークとして大切にしないといけないのかも。ランドマーク、
このごろ使わなくなったね。

2009年11月27日

太陽

 知ってるかなー。今、朝7時くらいに太陽がガバッてあがってくるのを。
 オレンジ色しててとてもきれいだ。昨日も見た。たまには早起きして
太陽を拝むのも良いと思うよ。
 この時間の太陽は当たったもの全てを金色(こんじき)に替えてしまう。
 金は金色を演出するものなのか。かもね。

 ゆうべ、夢で政治家になってた。議事堂に入り座っているとポンポン
と背中をたたかれ女性議員から「そこはわたしたちの席よ」と言われ
そそくさとそこを後にした。
 どういうわけだかテレビ中継がされており、ボクはそのカメラの
前に座る。どうしてこんな夢を見たのか、分からない。

 昨日、オリーブオイルを買わないかと電話が入った。
 スペインから船でやってくるそうだ。
 酸度が重要で値が低いほど高級らしい。ボクは二つのうち下の
ランクを二つ買うことにした。

 オリーブオイルはおいしい。ゆうべあるお店で聞いたんだけど
「そのまま飲んでもおいしい」んだって。試してみたら。
 気になる人は連絡ください。まだ間に合うんじゃないかな。
 みんな知ってたりして。

 確か今年の夏だったかな、広島で黄金展があって見に行った。
 さまざまな黄金細工があったけど中に「オリーブの頭飾り」があり
それはそれは見事だった。オリーブが古くから生活に根差していた
ことを物語るものだよね。

 昨日は徹底的に掃除した。太陽が差し込んでくるとホコリをうまく
発見できる。それを見ると机とかどかしてまた掃除したくなる。
 掃除すると気持ちがシャンとするから不思議だ。時間を見て
できることだけでも取り組めるのがまた良い。

 あなたも掃除してみませんか。するならホームセンターかどこかで
モップを探してみるといいですよ。昔、学校で使ったのもあるけど
いろいろある。中で気に入ったものを使って掃除すると掃除の楽しさ
が分かるよ。

2009年11月26日

イタヤ楓

 「イタヤカエデはなぜ、自らの枝を枯らすのか」がおもしろい。本。
 ボクはよく山を歩く。もともとはスキーの体力作りから始まった。
 夏にスキーはできないからね。

 だが、山の中は車も走ってないしとても気持ちが良い。そんなボクだが
山に生えてる木は、なんていうか「森林」「森」みたいな扱いだ。今、山を
歩くとたくさんのドングリが落ちてるんだけど、どの木が落としているのか、
どんな種類の木なのかさっぱり分からない。

 ボクに見えているのは樹皮、幹の部分だけ。
 樹木とは形容できても具体的に「アカマツ」だとか「ツバキカエデ」
などの名前はでてこない。
 この本には樹皮の紹介もあるから少しづつ頭に入れていこうと思う。

 「アカマツ」は先駆的な樹木だそうだ。「アカマツが生えていれば
そこには人間の手が入り荒廃している証拠」なのだと。火山が噴火
して最初に生える木があり、クリスマスツリーと呼ばれてる。
 ほかの一般的な樹木が勢力を伸ばしてくると姿を見なくなる。
 アカマツはそういう樹木なのだ。アカマツの分布で人間が森林に
立ち入ったことが分かるっていうんだからおもしろい。

 月曜日、石見銀山に行った。かなり前に出掛けたことがあるが
世界遺産に登録されたからだろう、大きく様変わりしていた。
 一般の住居の中にも解放されてるお宅がありなかなかに楽しい。

 ただ、時間的な制約もあり短時間しか滞在できなかった。次回は
もっと時間を取って訪問したい。ボクは子供のころコイン収集を
していたことがあるから、金銀には大変に興味がある。

 銀貨というのはおもしろい特性があり爪で弾いてなにかに当てると
キーーーンと済んだ音がある。これが聞きたくて銀貨、アメリカの
1ドルを飛ばしたものだ。日本のコインにも銀貨はあるが高価だから。

 もちろん金貨は高額なので手にしたことはない。石見銀山には
「一しゅ銀」が陳列されてあったが、ボクはこれを所有していた。
 あまり高くなかったに違いない。石見銀山は島根県にあり、国道9号
を走らせていると看板が見える。看板からはすぐだ。浜田と出雲の中間辺り。
 機会があれば訪問してみてはどうかな。

2009年11月25日

兄弟

 「あんた、長男でしょ」。そう、この言葉、何度聞かされてきたことか。
 先日、兄弟の話で盛り上がった。
 いつも決まって「分かりますか、なんで分かるんですか」と質問する。
 「だってー、見たまんまですよ」。もよく言われる。

 ボクは人を見て長男とか次男だろうとか考えたことがない。
 だが、世の中の人は意外によくこの辺りを観察しているものらしい。

 だとしたら、長男らしさとは何なのか。
 よく「長男は長男として育てられる」と聞く。
 男だったらよくあるのが「あなたは男の子でしょ、このくらいで泣いて
いてどうするの」がある。それに対して男の子というものはたいてい
「男だからって強いわけじゃない」などの反論はしない。
 それを当然のこととして受け止めているものだ。
 だれか「オレは反論した」とおっしゃる方はお知らせください。

 ボク自身、反論したことはなかったな。なぜかは分からないが。
 いろいろな方に接してみて思うのは長男イコール初めての子という
場合が多い。それだけ期待もあり、不安もあり、なにをやったら
いいのか迷ってしまいがち、があるのかもしれない。

 長男にとって困ったことは「たいていの男の子が幼いころ発達が
顕著に感じられない」が悪く作用してしまう。

 最近は大人になってもありがちな話かもしれないが、男は幼いころ
女の子に比べて「洋服を一人で着られない」とか「学校でハキハキした
態度が取れない」などがあり、それを克服すべく立ち上がった母親が
必要以上にしつけ、その他に全力を入れる、が長男に関係していると
思える。損な役回りかもしれない。

 やはり長男は長男として育てられているのだ。
 よくよそのお宅を拝見していても長男のときはあれだけ頑張った
学校の勉強やしつけのこと、一切がっさい次男は忘れ去られてしまって
ることが多い。次男はやはり肩の力が抜けて育てられてることが
拝見しているだけでも多く見受けられる。
 こうしてみると長男という生き物は得なのか損なのか。まーどっち
でもいいけど期待してるほどにはならなかったでしょ、いずれにせよ。

2009年11月19日

パノラマ

 先日、いつもの山に登った。山頂は右側がきれいに刈られ、はるか
かなたまで見渡すことができしばし感動。
 あらためて下界を眺める。右側の海がきれいに見える。
 ここはその名も展望台。コンクリートでできた長椅子が二つ置かれて
いるだけの展望台。これまではデルタ地帯がきれいに見えていた。

 「あれが川下、あそこが今津、門前はあっちかー」。に加え、はるかな
海まで見通すことができる。そこにぽっかり飛行機が見える。
 飛行機はグライダーを飛ばしてるみたいだ。音がしないからかな。
 このごろ寒いからか、景色がとてもシャープだ。

 この展望台からも海は見えるがパノラマとして言えばまだまだ。何年か
前、銭壷山(ここから10キロ)という山に登ったが海は目の前だった。
 あのロケーションはすばらしかった。ボクたちが暮らしているのは
瀬戸内海沿いだからどこからでも海は近い。ただ、普段は海とは関係なく
暮らしてる。かえって山からだとアクセスは近いってことかな。
 海はしょっちゅう見てるけど波打ち際まで行くことってほとんどないからね。

 山でいつも出会うおじさんと出会う。
 「あんたはあそこから降りるんかね」。
 「はい、降りますよ」
 「あそこにスズメバチがおろうがね、わしゃーこの前刺されてからの、
一週間はパンパンにはれたで」。「ええっ、ほんとですか、ボクも
あそこは通りますけど少し山側に迂回するんですよ」。

 刺されたらしい、それもスズメバチに。
 確かに現在危険な状況にある。秋だからだろうか気が立ってる。
 このスズメバチ、山道のすぐそばに巣を作ってる。こちらは巣に
用事はないのだが向こうには関係がない。近づくと取り囲まれて身動き
できなくなるほどだ。

 今、山は冷気に包まれ歩いてもとても気持ちが良い。下界を見下ろすと
紅葉がきれいだ。赤ばかりでなく黄色もまたいいな。
 紅葉は山からのプレゼントかもしれないね。

2009年11月18日

バイヤー

 いつも行くレンタルショップの店内に「カリスマバイヤーのおすすめ」
というコーナーができた。今はどこでもこれだなー。
 内容を見ると確かにそのままではスルー(通り過ぎる)しちゃうような
ものばかり。レンタルショップには有名どころの映画は10本単位で
そろえてあるがこれらは複数そろえてあることはまずない、そんな
ものばかりだ。

 要するに、現代は情報が多すぎるのだ。
 あまりにもたくさんありすぎて、結果、なにも目にしなくなってる、
そんな傾向があるんだろう。そこで「B級だけど内容はグッド」
みたいなものを厳選しようというわけだ。

 しかし。
 レンタルショップに行くととてもおかしい。
 ターミネーターがヒットすると必ず「ターミアーター」とか
「ターミネーター、復活」みたいな類似の作品がある。これって
日本人がつけてるわけでしょ。原題が復活なわけないもん。
 だったとしたら絶対にターミネーターを越えないターミネーターが
存在してることになる。どういう気分でつけてるのかとても気になる
ところだ。

 ちなみにむちゃくちゃ昔にはやった「慕情」だってそうでしょ。
 作った国の人間が慕情なんてつけるわけないんだから。
 ただ、作品を見てるだけのこちら側はついついそんな気分じゃ
いるけどね。みんな脳裏には慕情でセットされちゃってんの。
 原題を聞くと分からなかったりして。

 本屋さんにもあるんだよ、最近。
 「書店員さん、おすすめ」とか自分で「さん」をつけちゃったりして。
 ポップがヒラヒラしてんの。だったらその隣にある本はどうなのって
ことになる。かわいそうだよな。
 きっと、これからますますバイヤーの世界は広がりを見せるだろう。
 それは要するにボクたちは一つ一つを確認して判断することは
時間的に無理ってことになるな。バイヤーって道先案内、なのかな。

2009年11月17日

ボクサー

 日曜日、ボクサーという映画を見た。なかなか良かった。
 当初は掃除係として入った主人公。サンドバッグをたたくがボクシング
には興味なさそうな顔をする。だがトレーナーは素質を見抜いたようだ。

 これ、このストーリー、どこかで見た気がする。「明日のジョー」
にかなり近いんじゃないか。そんな気がした。
 こちらは見ているうちに泣きはらしてくる。きっと涙腺を刺激する
ものがありそれをきっちり押さえてるんだろう。

 トレーナーは言う。
 「ボクシングはケンカじゃない、ルールを決めた戦いだ」。
 「人生も戦いだ。今のままでのんきに過ごせるはずがないじゃないか」
 「人生というリングに上がれ、そして実力でつかみ取るんだ」

 ファイトの相手をさして「あいつは憎しみでパンチをだしてる。なに、
たいしたやつじゃない」。
 「ボクシングというのは筋肉は関係ない、だったらなぜ筋力トレーニング
をするか、それは自信を持つためだ。練習で培った自信がファイトに
つながる」。

 「いいか、ボクシングというスポーツは最後まで立ってるやつが
勝利者だ。いくら打ちのめされても、ひざまずこうとも最後まで
立つんだ。だったら絶対に勝てる」。
 「相手のパンチをしなやかに受けて、最終ラウンドまでねばる、
相手の疲労を待つ作戦だってある」。

 「相手が優勢に見えることがあるかもしれない。だがパンチを
次々に繰り出しているとそうとう応えてるもんだ。優勢だから強い
わけじゃない。劣勢に回ることだってある」。
 このように書いてみるとなかなかに頼もしい。

 結局、ボクシングも世の中もルールを決めて戦ってることにおいては
変わらないはずだよね。そのルールを「自分に有利じゃない」とすねた
ところで仕方ないんだよな。共通のルールで戦ってるんだから。
 今のまんまじゃなにも変わらない。なにかを替えるためのパンチが
必要なんじゃないかな。

2009年11月16日

太陽光

 うん、これはおもしろい。あなたもぜひやってみてはいかが。
 土曜日に太陽光発電と電化住宅に関するお話を聞いた。「あなたの
家も電化にしませんか」って案内なわけだ。それはそれでいいのだが
隅の方でクルクル回ってるものに目がいって仕方なかった。
 近くに寄ってみると太陽光で動く風車だったりカエルだったりした。

 展示は電気のすぐ近くに置いて回転させていたが、太陽光でも
動くことは確認した。ボクは「うん、これはおもしろいかも」と思い
カモメを手にした。カモメは太陽光を受けて羽を上下させる。
 展示は完成品だが販売されているのは箱にキットとして入ってる。

 ほかにもいろいろあって見て回るうちに「シックスインワン」という
やつが目にとまった。子犬やボートなど太陽光を受けて違った楽しみ方
ができるいうものだ。結局、こっちを買うことにした。2415円。

 そこで昨日の日曜日。さっそく製作に取り掛かることにした。
 必要なものとして「ハンマー、ニッパー」などと書かれていたが
そんなもの必要ない。爪きりとハンマーを代用できるものがあれば十分。

 中はプラモデルみたいになってて組み立てていく。プラモデルより
5段階くらいやさしく作れる。肝心なのは「ギアボックスの作成」と
「太陽光パネルの組み立て」くらいのもの。あとは製作なんて言葉
は不釣り合いなほど簡単だ。ギアボックスのみ5分くらいかかり
あとはパッパと進んだ。昨日は風車を作った。太陽光で動く風車。

 ギアボックスと太陽光パネル(太陽光で動くことを体感するキット
だからね)とを配線でつなぐ。配線でつなぐのはかっちりとはやらない。
 それをすると六つの遊び方ができなくなるからね。
 すぐに太陽が当たるところに設置してみる。あれっ、動かない。おかしいなー。
 きっとどこかが間違ってるんだ。しかし、窓を開けると動き出した。

 3センチ四方の太陽光パネルで風車の羽が動いてる。
 なにかとても楽しいな。午前10時くらいになると勢いよく回りだした。

 ただ室内なせいか太陽光の角度がすぐに変わる。角度ってこんなに
早く変わっていたんだな。午後4時。室内でいくら太陽光を受けても
回らない。外で直接当てると動いた。
 太陽光パネルを体感するキット。遊びとしても楽しいからぜひやって
みてほしい。昨日は風車のみとした。太陽が電気に変わることを実感
されることと思う。どこで手に入るかなど知りたい方は教えますよ。

2009年11月13日

下戸

 下戸とはなにか。酒を飲まない人のことだ。ボクの周囲にも何人かいる。
 その人たちと食事するとどうも調子が狂ってしまう。
 平気で「ウーロン茶、ください」とか「オレンジジュース、ありますか」
って注文するからだ。別になにを注文なさってもかまわないのだが、
こっちはビールとか焼酎のお湯割りなど頼むからね。

 あれって多分世界の違いってやつなんだろう。
 ボクたち酒を飲む人間からするとそれによって見える世界がある
ことになり、飲まない人たちにはそこから見える世界があるはずだ。
 ボクたち酒を飲む人たちには「酔眼もうろう」という言葉があるが、
彼らにはないはずだ。あったらおかしい。

 そんな下戸の人たちともたまにスナックとかクラブに出没する
ことがある。そんなときとてもおかしな気分になる。
 なんと彼らは車を運転して店に向かうのだ。言われてみれば当たり前
かもしれないが「スナックとは酒を飲むところ」という意識のこちらに
してみるととてもおかしな気分にさせられる。

 そして「そろそろ帰ろうか」なんて話になるとごくごく自然に
「送りましょう」と車に乗せて連れて帰ってくれたりもするのだ。
 「あ、そうか、この人は飲んでないんだもんね」なんてとても
驚いてしまう。そんな彼らに「酒、飲まなくてもこういうお店は
苦痛にならないの」と聞くが「いえ、楽しいですよ」と。
 きっと苦痛な人もいるはずだが、苦痛じゃない人もいるわけだ。

 ボクなど酒も飲まずにスナックに置かれたら武者修行のような
気持ちにさせられるだろう。酒を飲むことが日常になってる人の
意識はこうしたものだ。

 そんな彼らに質問することがある。「酒を飲むとどうなるのか」。
 中には「奈良漬けを食べただけでハーハーいって苦しくなる」
と応える人もいる。「ビール、コップ3分の1まではなんとかいける」、
こちらも苦しそうだ。彼らにとって酒を飲むことは武者修行そのもの
らしい。そんな両者には見える景色もきっと違っていることだろう。
 酒を飲む人はそちら側からしか見ないことをたまに考えてみては
いかがだろう。楽しいかもよ。

2009年11月12日

スズメバチ

 先日、山を歩いているとスズメバチがすごかった。そこに巣が
あるのは知っていたので注意はしていた。だけど手前4メートルくらい
のところで取り囲まれてしまった。おおげさじゃなく前に進めなくなった。
 後ずさり後ずさり。

 しばらく思案していたが迂回ルートを取ることにした。少し山の中に
入り歩く。山道はすぐそこに見えてる、そんな感じ。10メートルばかり
歩いてまた山道に戻る。
 たったこれだけだけど襲ってはこない。
 これまで何度も迂回した。

 観察するととてもおもしろい。なんと、手前4メートルくらいの地面に
一匹のスズメバチが待機しているんだ。地面に着地してる。近づくと
ブワンと発して身体にまとわりついてくる。相手はスズメバチだからね。
 威嚇音がすさまじい。
 このスズメバチは斥候(見張り)というわけだ。
 この斥候、山道のどちら側にもいることが判明した。

 そうして先日も迂回したのだが振り返って観察していると一匹の
スズメバチが突進してきた。腕の辺りに激突した。こっちは「うわっ」
って感じ。スズメバチの感触が生々しいっていうか、こんな体験
あまりしないだろうと思う。スズメバチは大きいからその感触もまた
大きい。

 ただ、改めて考えてみると突進するのは頭からだろう。よって刺される
ことはないわけだ。威嚇としては十分でこちらにダメージもない。
 恐怖感はすさまじいけどね。

 分かったことは迂回ルートの設定は有効だということだ。そして
スズメバチとかハチはこの時期興奮してることが多いからほかの季節
よりよほど注意しなくてはいけないということになる。
 とにかく足腰を鍛えておいてなにかあればすぐに逃げることだ。
 とどまることは決して良策とは言えないだろう。また、スズメバチ
は缶飲料が好物で人間の生活に入り込んでいると言われる。
 意外なところで出くわす危険はあるということだ。注意したい。

2009年11月11日

歩く

 「歩くとなぜいいのか」という本があり今、読んでます。文庫です。
 だれしも歩くことは身体に良いことだとなんとなく分かっていると思う。
 昨今では過激な運動はかえって身体に悪いと言われているから
歩くことはますます見直されていると思う。夜間に歩く人もたくさん
見かける。

 本にもあるが歩くことは別の趣味につながるところがあると思う。
 ボクなども歩いているうちに知らない小道を行く楽しさを知り、
近くに観光地があるがいつもそこをゴールとし、そんなことをやってる
うちにそこにある山に登るようになり、山には車など入ってこない
のでゆったりとした気持ちで歩けることを見つけた。
 なにかをするということはそこから派生していろんなことにぶち
当たることでもあるってわけだ。

 日曜日、「暴走族だったボクが大統領シェフになるまで」っていう本
を読んだ。とても良かった。大統領シェフってところがすごい。
 ボクが子供のころは料理人に対してまだまだ認識が低く「ほうちょう、
いっぽん、サラシにまいて」みたいな感じだった。

 いつだったか、だれかの本を読んだとき「フランスでは料理人は
大変尊敬される存在であり、アーティストだ」とあり、ひどく驚いた
ものだ。

 この本にある暴走族というのは一年ばかり悪さをしたという部類
だが、それでもヤンチャやってた人間がここまでやるとはやはりすごい。

 文中に「出会う人、出会う人に引き立ててもらって今の自分がある」
ってのがある。ま、それもこれも全身全霊で仕事に打ち込んだ背景が
あるからかもしれないが。途中からは引き込まれるように読むことが
できた。ぜひ読んでほしい。

 アメリカ人にはやはり味にとんちゃくしない人たちも多いようだ。
 そこのあたりの記述もおもしろい。温度55度。この温度は「これから
調理するために味も落ちないし、そのままの状態であり続けてくれる」
だそうだ。料理も科学的な視点が持ち込まれている。この著者が調理場
に「温度計」を持ち込んだらしいからね。楽しいと思うよ。

2009年11月10日

薦め

 今日は株の薦めでも書いてみるか。株式投資のことだ。株と聞くと
すぐに「どこが儲かるか」「いくら儲かったか」、みたいな話になる
けど、投資の意味はそればかりでもない気がする。

 ボクはたぶんトータルでは損になってるんじゃないかな。貯金から
たくさんおろしてきて投じたお金がマイナスになったからね。

 株式投資というのは一つ一つの勝負で勝った負けたはあまり意味が
ないと思う。だってトータルで損してればそれはやはり損でしょ。
 だけど、投資という行為から得られるものはそれだけではない。

 まずこれを読むあなたは株というものに単位があることすら知らない
かもしれない。東芝とかソニーに株があることは知ってはいても
株価を見れば1300円だったら「へーーーー、株って安いんだなー」
って感想を持つかも。ここらあたりはただの知識だから、まずは投資
を始めようとすると単位とか銘柄などの知識は取り入れようとするだろう。
 こんなものは簡単なことだ。

 あ、ここで書いておくが株式投資で損をしてもボクは知らないよ。
 それに儲かる銘柄とかも教えてあげられない。投資という行為を
通してあなたがなにかを身につけられると思うから書いている。

 ちなみにソニー株は最低単位が100株だから1300円の株価
なら13万円あればゴーだ。

 さて。
 投資をやってみれば分かるもの、だからそこからなにを得られるか
書くことはほぼできない。それぞれが通してなにを感じるか、だから。
 ひょっとしてたくさん儲かって有頂天になるかもしれない。悲嘆に
くれるかもしれない。それはわかんないなー。

 ただ、お金というものは魔物だ。あなたもきっとそう思うに違いない。
 お金がかかってると思えばこそ人は自由な動きが制限される。
 自分が料理されるってわけだ。スリリングであることは確かだ。

 貯金からいくらおろしてきて株を買うかも決断しなくちゃならない。
 そのとき自分の小ささを実感するかもね。自分を知るためにも
投資をしてみるといい。頭で描いていた自由闊達な感覚はすぐにウソ
だってことが分かるはずだ。

2009年11月 9日

お金

 お金に対して空しくなったことはありますか。ボクはあるなー。
 中学生のころ古銭を集めていた。中学生だからあまり自由になるお金
もなく、ためては買っていた。そこに大人がやってきていわゆる大人買い
というのをやる。ゴソッと買っていっちゃうんだ。

 そのころボクたちはショーケースの上にある贈答かなにかでもらった
感じの空き箱に入れられていた古銭の中から買っていた。一つ一つは
きちんと収納されてはいるんだが扱いがぞんざいだった。
 そんなのばかり目にしているボクたちの前で大人が財布を開くと
たちどころに収集することが可能になる。だけどそれを見ていると
なんとなく空しくなったな。

 それから出入りしていたコイン屋さんには昔のお金である「1厘」
がアルバムに入っていた。ボクたちはアルバムを買っていたがコイン屋
さんは表紙もなにもないものを使っていた。めくってもめくっても
キラキラ輝く1厘だった。全て1厘だけ。そのころボクたちはかなり汚れた
1厘(銅貨なので今の10円玉と同じような色になる)を80円とか
60円くらいで買っていた。

 あの膨大なキラキラ光る1厘を見たときもなんだかとても空しくなったな。
 あのころ漠然とだけど「資本の力にはとてもかなわないな」って思った
ものだ。古銭集めをやってると目にするのが「貨幣収蔵ケース」ってやつ。

 昭和24年の5円玉から年代別にお金を埋めてできあがる。内容は
5円玉だったり明治時代に使われたお金だったりいろいろ。こちらも
もちろん資本力があれば一気に集まる。が、楽しいかどうかはまた別。

 それから大人になって始めた株式投資。一時は1000万を越える
資産にもなったが、こちらはたったの180万円に減衰。火だるまに
なって疾走する感があったな。

 お金も1000万くらいになるとお金じゃなくて数字になる。その
数字が大きくなったり小さくなったりする。すると財布の中にあるお金
は確かにお金なんだけど、株式に回すお金はお金にお金をくっつける
役目をする道具みたいになっちゃう。これは投資をやってみないと
分からない感覚かもしれない。空しいなー。こんなことやってるのに
スーパーでは「特価、半額」の野菜を買ったりする。矛盾してるなー。

2009年11月 6日

最重要

 株の売買、やってます。売買って聞くとどんな光景を思い浮かべるだろう。
 毎日売買したり、クリックボタンをもどかしげに操作する、とか。
 まーそういう人もいるんだろうけど、現実問題、株価はそんなに
目まぐるしく動くものではありません。きっぱり。

 実は投資のスタイルというのは人それぞれでクリックが好きな人は
そうすればいいし、ボクみたいなのはほったらかしにできる売買形態
が似合ってる。

 株の売買において大切なことは「安く買って、高く売ること」、商売
の秘訣となんら変わりはない。
 ただ、株の場合、「いつが安かったのか」「いつが高かったのか」は、
なんと自分で決めてやるってところが違っているかな。
 自分がそうだと思えばそうなるだけ。

 さて。株式市場というところは毎日、開いてる。毎日なにがしかの
変動があるわけだが、いくら毎日、見続けていようとたいして大きな
変化があるわけでもない。まさに一進一退。

 ボクは中国の株しか所有していないので「昨日2.5元だった株価が
2.4だったり2.6」だったりするだけだ。毎日、こういう光景ばかり
見ているとなんだか自分がなだらかな高原をゆっくり歩いてるような、
そんな気分になってくる。

 先日、ある方とお話したが「株価のことが気になって仕事が手につか
ない」って話してた。ボクはそういうことはないなー。
 その方は株売買からはすっぱり手を引いたって話してたけどね。
 ボクが株に対して取られる時間は一日5分くらいかな。意外でしょ。

 「あれをどうかして、これを処分して、あそこを手当して」とか
そんなこと考えないからね。株の売買は「どの分野を買うか」「これから
中国にとって最重要になるテーマはなにか」で決めてるからね。
 それらを比較的安いところで手当できたらあとは所有し続けること
が肝心。ボクの投資スタイルというのはそういう感じだ。
 おかしな話かもしれないが「最重要テーマ」の株を所有することが
できたなら、売買なんてできなくなる。
 だって最重要な株を所有してるわけだからね。

2009年11月 5日

自分

 服って男にとってはとても新鮮なものだと思う。ボクについては間違いなく
言えるな。男も洋服売り場に行くことは行く。見ることは見る。
 だが、そのときいつも同じような服を選んではいないだろうか。
 なにか、これまでの自分を反すうしてるって感じなんだよね。

 最近、お店に行き、店員さんの薦めるものを買うことが多い。
 一見すると「おいおい、こんなのオレの感覚じゃないんだって」と思う。
 「こんなの着て歩いたらみんながこっちに注目しちゃうぜ」って。

 かなりの違和感がある。要するに男は、特にボクは「自分の中に
自分に似合うもの」が存在しており、それ以外はなんとなく認めたく
ないってことなのだ。

 男の場合、多いのは「外で着て歩くのに抵抗がない服」が最も優先
されることだろうと思う。

 そんな自分に店員さんは
 「こっちの方が断然、良いですよー」とかなんとか言ってくる。
 ここから難しくなる。
 自分では選ばないが「断然良いのかー」にもなっちゃう。ここらは
素直さも関係してくるのかもね。

 人間には「ほめられる」「認められる」というのは意外に大きな力
を秘めてるようだ。だから「これはあなたにぴったり」というのは
大きく言えば認められていることになる。そういう受け取り方を
しているな。

 そこでついつい「ぴったりならいいじゃん」になっちゃう。
 似合わないと思ってた服も着ているうちになじんでくる。
 自然に着ていたりするものだ。

 男は、特にボクは「無難」というのが一番大きなキーワードになってる
と思う。「無難な服」を探してるわけ。その無難っていうのもこれまでの
その人の生きざまとか暮らしに根差したものだろうね。
 たまには自分が選ばないものを買ってみようよ。人が薦めるものを。
 おかしなこだわりを続けていただけかもしれないしね。
 「こんな服も似合うんだー」って、新たな一面を見ることになる
かもしれないよ。

2009年11月 4日

バッグ

 「一澤帆布物語り」だったっけ、ぜひおもしろいから読んでみてよ。
 文庫だから。あまり金額もかからないしね。

 買ったのは先週だった。冒頭、読んでみるとおもしろそうだった
のでそのままにしておき、昨日かなりのところまで読んだ。
 ボクはここのバッグを所有しているわけではない。

 存在も知らなかった。あ、ちなみにボクは京都で暮らしていたこと
がある。だけどそのころこの会社の名前を聞いたことはなかったな。
 本で初めて京都の会社だって分かった。

 この名前は悪い話から始まった。いつだったか、週刊誌の記事などで
お家騒動として取り上げられていた。
 「はいはい、よくあるお家騒動ね、だれが社長になるか、だとか
だれに実権があるか、などでガタガタやってるわけだ」とか思ってた。
 いや、確かにそうなんだけど。

 本来、こうした取り上げられ方はそこの社長にしても従業員の方たち
にしてもとても不本意なものだと思う。
 「いやいや、オレたちはこれまでまじめに仕事に取り組んできたんだ。
だけど突然嵐がやってきて、それはオレたちとは無関係のものなんだ」
って感じだったんじゃないかな。

 ただ、ボクはこの悪い話を聞かされて逆にこのバッグの存在を認識
した口だ。帆布って言葉がやけに脳裏に焼き付いた。
 と同時に週刊誌には「帆布のバッグの写真」が掲載されていた。

 それを見ると「なんだか奥ゆかしくて、ちょっとした日常使いに
ぴったりじゃん」とか思ったものだった。悪い印象を植え付けるための
記事なのにこんなことを思うなんて。が、あったからこの本を手にした
ときとても興味がわいた。

 こんなことって珍しいんじゃないかな。悪い記事を読んだらますます
嫌になるのが常じゃないか。
 それはここの社長とか従業員さんたちがまじめに仕事に取り組んで
きたから、がぼんやりと表面に姿を現したってことかもしれないね。
 ぜひこの本を読みましょう。

2009年11月 2日

測定テスト

 土曜日、ある催し物に出場するにさいしてあるテストをおこなった。
 見学者も含めて、全員で。脳内年齢測定テストと題して問題を出題した。
 残った枚数を見ると120枚ばかりあったのでこのテストをおこなった
のは80人ばかりということになる。

 問題は簡単な足し算と引き算。3たす5は、5たす8は、7ひく2は、
12ひく8は、などで100個。これを1分で計ってやっていただいた。

 測定テストとしたがどうせ遊びなのでゆるゆるの基準を作った。
 1分で25題できて30代、50題できて20代、75題以上
できたらプロ級とした。エキスパートとしたかったがその意味が
分からないといけないのでプロにした。

 会場には30代から40代、50代とさまざまな年代の方がおられる
ようだ。女性が多かった。日ごろ計算などとは縁がなかろうと思い
50個もできればいい方だろうと思っていた。

 「ようい、はじめ」でスタート。
 計算はしてもらうのだが答え合わせなどはしない。
 「たまには計算に取り組んで脳の活性化をしましょう」という提案なのだ。

 さて、終わってみるととても意外なことが起こった。
 プロ級までこなした方が8人くらいおられた。とても意外だった。
 「けっこうこなせるんだなー」。

 50題から75題の間の方がやはり7・8人。ボクはゆっくり計算
したつもりで90題くらいできていたので、みなさんかなりの実力の
持ち主ということになる。ここのところの計算力がやはり日本人の
底力のように存在しているのだと思われる。
 諸外国では決してこのような結果にはならないだろう。

 これは子供のころ身につけた計算力やほかのことが家事や日々の
雑事に追われていても発揮できるということにほかならない。
 計算はなぜ大切か。よくいろんな方に問いかける。計算はお金に
通じるからだ。どんな人だってお金と関係せずに暮らしていける人は
いないだろう。その元になるのが計算力なのだ。たまには数と格闘
するのも大切なことだと思うよ。