2009年7月30日

下積み

 下積みというのはとても大切なことだと思う。一つには下積み
することによっていろいろ頑張れるようになる、ということ。
 それから下積みというもの、自分では決してやらないということ、だ。
 ボクは高校生のとき一人で京都で修行することにした。

 下積みのはじまりだ。
 最初の夏休み、朝の9時から夕方の6時までずっとソロバンの練習
をやった。こんなの、自分から進んでは決してやらない。

 そもそも中学生のころのボクってダラダラとして過ごし、クラブ
活動もせずテレビのオモリをしてた。
 そんなやつにこんな苛酷な練習など勤まるものだろうか。

 練習に向かう道を歩くボクの顔は必死の形相だったに違いない。
 もちろん練習なんて嫌いだった。
 だけど修行するって決めたのは自分だし、それを裏切るのだけは
なんとなく嫌だった。一人で生活してたから洗濯も自分で、食事は
近くの食堂でチキンカツ定食かトンカツ定食を食べていた。

 だが、練習を続けていると上達する自分がいて、なんとなくそれが
すばらしく感じられだした。「オレってやればできるんだ」と思った。
 それからは練習も嫌々ではあるがなんとなく張りもでてきた。
 「もっと早く、もっと正確にこなしてやろう」とか、そんな欲も
でてきた。この教室ではみんながこの練習をこなしていたわけで、
それも背景にあったかもしれない。

 そして、それから大人になりいろんな事態に直面するとなぜだか
あのときのことをよく思い出す。
 率直に思う。
 鍛えないで開花する能力などないと。

 この下積みというやつ、なかなかに難しい。自分一人でやっていると
「まーこれがオレの限界だろう」とか「これくらいやればもう十分」
とか思うものだ。そう。下積みというのはだれかに強制してもらう
側面も持っているのだろうと思う。自分からはやらないよね。

 それは自分の常識を壊していく作業にもなる。それまでのボクは
「オレなんてどうせやってもダメだ」がどっしりと中心にあったからね。
 下積みはとても大切だ。難しいのは自分から進んではやろうとしない
点かもしれない。下積みの向こうにきっと光るものがあると思う。

2009年7月29日

心理学

 つくづく現代という時代は難しいと思う。
 うちの両親などはものすごく分かりやすい世界を生きてきた
ように思う。「とても貧しかったから、頑張って働いた、周囲も
みんな貧乏だった」、とかよく聞かされる。

 みんな貧しいから頑張って働く。そこに、なんて言うか理由とか
意義なんてないんだな。考えなくてもいいんだ。
 ただ必死になって生きる、が正解だ。

 今だって確かにそうかもしれないが「オレだってイチロウになれる
かもしれない」とか考えるととたんにおかしくなる。考えることは
いいが断念せざるをえなくなったらどうするか。

 その点、うちの両親などは楽だ。生活は大変だったかもしれないが
やるべきことは決まってて、やっていれば自分たちその他の生活が
変化していく。それを見れば自分が間違ってたとか思うこともない。

 かなり前のことになるが
 「いつかはクラウン」というコマーシャルが流れてた。
 自分ところもいつかはクラウンに乗りたい、乗れたらいいなー、
どうすれば乗れるのか、みたいな感じ。分かりやすいと思う。
 選択の幅がとても小さかったのかもしれない。

 今は何だってやれそうな気がするから、「あんたはどうする、
どうする」って問われることになる。目立たないと「しょうもない
生活」みたいな印象を抱く人もいるはずだ。
 ボクはこうなってしまったものはある程度やむをえないと思う。
 とにかく今は分かりにくい時勢なんだ。

 「何だってやれるかもしれないが、それはあんたじゃないかも」、
みたいな、とても中途半端な感覚が漂う。身体を動かすことはなおさら
だろう。

 たまには心理学の本も読んでみたい。
 「お金をためることそのものが理想ではなく、たまったお金でなにが
やりたいかを探そうとするのが正しい心理」だと書いてある。
 何を目指すか、たまには心理学の本なども読んでみてセットで
考えてみてもいいんじゃないかな。

2009年7月28日

自慢

 「自慢」、あなたにはなにか自慢できることがあるだろうか。 
 この言葉、突き詰めていくとかなり難しい。ボクなら珠算8段、
暗算段位9段だろうか。大型トラックの免許も所持してる。
 だけれどもこれらはなんとなく違う気がする。これらも自慢と
言えば自慢かもしれないが、なんて言うか、これらを達成させる
みなもとがあったはずだと、考えられる。
 結局、そこに行き着くはずだ。

 ボクが珠算段位8段を取得するまでには検定試験を50回近く受験してる。
「いいかげんあきらめることがなかったから」、8段に到達したのかも
しれない。さ、そこで自慢だ。取り柄と言い換えていいかもしれない。
 ボクがここで書いているのは表層的な資格、特技、などではなく
ある局面にぶち当たったときどのような対応を取るか、取れるか、だろうね。

 あなたの自慢は何だろう。
 きっとあなたはその自慢についてだけは相撲の、土俵ぎわに
追い詰められたとしても踏ん張るだろう。
 最後にボクたちに残されたものはそれだけかもしれない。

 ボクが中学生のとき、周囲の何人かで百人一首がはやった。
 下の句をばらまいておき上の句を読む。
 それを取っていくゲーム。なかでお気に入りがありボクは
「うかりける、人を初瀬の山おろし、はげしかれとは祈らんものを」
をオハコにしていた。うかりけるー、くらいで下のはげしかれとは
のカードを取ってしまう。ま、なじみのカードってやつ。
 自慢というのはこういうことだと思う。そこだけは譲れないもの、
本領を発揮しようともがくもの、それがあなたにとって何なのか
ということになる。ボクなら何だろう。

 前に富士山に登った。ボクは雨の中、すさまじい形相で登っていた。
 「山頂を目前にして引き返せるか」だった。知人にその話をすると
「オレならあと1歩で山頂でも苦しかったら降りる」と聞かされ、
違いを知った。ここでこんなこだわりを見せるのも自慢なら、
引き返せるのも自慢かもしれない。あなたは目前に見えた山頂手前で
引き返せるだろうか。ボクにはできない。
 あなたの自慢は何だろう。ボクは、もう少し考えてみることにする。
 きっと突き詰めていくと「たった一つ、これだけ」が残ると思う。
 それがあなたの自慢ということになる。それが全てを成立させる
カギになると考えられる。

2009年7月27日

プロレス

 メガネをかえた。お店の人によるとあまり見えてないらしい。
 ボクは車に乗るから免許の更新に差し障りがでるだろう。
 視力検査をすることになった。
 1.2だと言う。「うえ、よこ、した」と応えるとクスクス
笑われる。そりゃそうだ。「へ、に、り、い」だったから。

 昨日、日曜日の朝、ついついテレビを見てしまう。最近の
テレビはすごい。一度スイッチを入れるとつい見てしまう。
 高度に練り上げられたそれぞれの感性というやつが爆発してるな。

 中で信州プロレスの話が特に良かった。
 主人公はさびれいく町並みを見てなんとかしようと願うようになる。
 「ボクたちが子供のころここはすごいにぎわいで、なんとかそれを
取り戻そうと思ったんです」。そして主人公は学生時代やってたアマ
プロレスを思いつく。プロレスというものをボクはなんとなく堅苦しい
ものと考えていたが信州プロレスは全く違う。

 悪役と善玉仕立てにして最後に正義が勝つように仕組まれている。
 それを見て拍手喝采してもらおうってことだ。爆笑でいいのだろう。

 人は「頑張ってるなー」と思う人を見るのが基本的に好きなんだと
思う。そこに自分の可能性やまだまだやれる、みたいなものを見るの
かもしれない。真剣に取り組むことはなんにしてもできることだから。
 やってみたらいいと思う。

 しかし。先週の豪雨はすさまじかった。
 どう、すさまじいかと言うと「ロードアップ」と呼ばれるプラ製の
ものがある。車を車庫に入れるときに段差を乗り越えるために設置
しておく、あれ。あれが道路の真ん中くらいにまで飛び出てしまってた。

 それもそこここがそうなってた。初めは意味が分からなかったが
豪雨で飛び出たと分かった。水の力ってすさまじいものがある。
 うちの団地は山にあるのだが山という構造上か知らないがある一点
に水が集まるようだ。マンホールのフタなんか軽く持ち上げてバカバカ
やってるのを見たことがある。とにかく今回の豪雨はすさまじかった。

 うちの家は雨樋がいろんなところで壊れているからそこから水が
それこそ飛び出る。それを見ていると「あー、あそこも、ここも
壊れているな」と分かる。おかしなところで補修の必要性が分かると
いうわけだ。とにかく、水の力は甘く見ない方がいい。

2009年7月24日

方向性

 ボクは20代のころからたくさんのアドバイスを受けてきた。
 その中でも聞いてすぐ実行したのがこれだ。「もらったお金、
お給料は3分の1しか使うな」というもの。「もらったお金のうち
自由に使っていいのは3分の1まで。あとはきちんと使途を明確
にすべし」と何度も聞かされてきた。

 ボクたち自営業の人間はとくに厳しく言われてる。
 ほかにも「3分の1は投資に、3分の1はお勉強に、だから
生活はあとの3分の1でやりなさい」。とか。

 要するにお金に方向性を持たせてきちんと意識して使うことを
何度も聞かされてきた。それらをかなり実践してきたと考えている。
 ボクが各種の勉強会や講習会に進んで参加するのもこの3分の1が
関わってる。投資の部類に入るかな。

 そして、現にお金を使ってみると分かることがある。自分の財布
からお金を出して支払うと、なんていうか、「だしただけの元は
取りたい」みたいな感覚が働くのである。いや、当然だよね。

 ボクは連盟から催促されて会議や大会に出席、参加してことも
たくさんあるし、団体から旅費が支出されることもしばしばだったが、
だからというか、ボク自身の中で「きちんと吸収したい」っていう
念が少し薄かった気がする。

 ボクはエジプトが好きで旅行しているがガイドの話を一言残さず
聞き取ろうとするのも自分が支払っているからに違いない。これは
考えてみると実に恐ろしいことではないだろうか。

 お金と同等のものに時間がある。団体からお金を出してもらって
いいかげんに参加しても時間だけは消費してしまってる。だったら
お金うんぬんはよしとしても時間は損になってしまう。

 時間を大切に考えるなら、こういう支出を身銭と言うんだろうが、
それでおこなうべきだと思う。あなたも時間をお金で買ってるわけでしょ。
 こんなことを考えながら1月に2回とか3回とかやっていると
年数の後に大変な成果につながるはずだ。
 お金と時間は方向性だと思うな。

2009年7月23日

日食

 「うーーん、きたぞ、きたぞ」。そんな感じ。昨日、日食を見た。
 部分日食というやつだ。見られる時間とは思ってなかったので
全くなんの用意もなし。だけど人が教えてくれて仰ぎ見ることに。
 すると確かに欠けている。って言っても日ごろ太陽は直視しない。
 日ごろはどうなってるか、なんてみんな気にしないよね。

 改めてそんな気持ちで太陽を見ていると荘厳な気持ちにさせられる。
 「それは確かにある。だけど見ることはできない」存在なわけでしょ。
 そんな日食を見ているとこんなことを思った。
 「太古の人たちからすれば日食とかいろんな現象はドラマチックな
ことだったのではないか」。と。昨日を再現するとこんな感じだった。

 午前11時。外の様子がいつもと違う。
 秋の夕暮れみたいにモノトーンって言うか、景色が白黒になってる。
 そして部分日食を見て、それから辺りの景色を見ると白いものは
「黄色のセロファン」ごしに見てるような感じだ。
 ひょっとして紫外線が取り出されたのか。

 これって太古の人たちからすれば驚き以外のなにものでもないだろう。
 今で言えば人気の映画、お芝居、ミュージカルみたいなものか。
 そして、これを正確に言い当てられたなら、人々は畏怖しどよめいた
に相違ない。アンティキティラ島で引き上げられた遺物はその名も
アンティキティラと呼ばれてる。調べてみるとどうやら天体の動きが
正確に分かる古代の暦、ないしはちょっとしたパソコンだったことが
分かってる。そんな不思議な天体の動きを正確に告げることができる
なら、これはお告げにほかならないだろう。

 世界にはマカ不思議な現象がそれこそいくらでもある。それらを
起こる年月日まで正確に告げればそれこそすさまじいパワーに
なると考えられる。

 エジプトに「アブシンベル神殿」がある。アスワンハイダムの建設
にともなって移動した遺跡だ。その真ん中にラムセス2世像が置かれてる。
 長い廊下の向こうにあるのだが、一年に一度だけこの像に太陽が
スルスルと伸びて照らす日がある。そのように設計されていたんだ。

 それって神秘的。春分の日だ。きっと荘厳な祭りが展開されたこと
だろう。演出としてすさまじい効果をあげたに違いない。これら天体の
動きはお祭りや儀式に利用されていただろう。農事にも利用されただろう。
 それは驚きの目をもって迎えられたはずだ。古代の人たちはきっと
天体に大きなショーを見たに違いない。

2009年7月21日

小心者

 こう見えても、前はサングラスをかけていた。だが、あるとき本を
読んでると「実はサングラスをかける人は気の弱い人だ」なんて
書いてあり、「まさにこれはオレのことじゃないか」と大いに納得
させられた。サングラスにそういう効果があることは、ボクは自分
でもなんとなく気づいていたと思う。

 しかし。今はどうだろう。
 よく「わたくしは対人恐怖があるんです」とかって口にする。
 それを口にすると「池田さん、それはないでしょう」って。
 いやー。ボクは対人恐怖を口にすることによってそれから逃れてる
自分がいると考えている。
 実に不可思議な話だ。

 ボクはこれまでどことなく「自分は強い人間だ」「気が弱いなんて
嫌だ」とかなり強く思っていた。そのせいかかなり強がっていた。
 それは「それを隠すことに」エネルギーを使うことにもなっていた。
 きっとだれの心にもこういう気分が巣くっているのではないだろうか。

 自分の顔が気に入らない人(ボクもそうかな)がいたとして、それを
直視しないせいで友人などがテレビで「あいつの顔、変なの」となんの
意味もなく口にしたことにさえ「顔のことでガタガタ言うやつは嫌いだな」
みたいなことを口にする。また、大いに不機嫌になってしまったりする。
 友人はわけが分からずポカンとするのみ。

 直視するというのは簡単なことだ。「オレってさー、顔、変だろ」と
口にしてしまえばいい。すると周囲の人たちも「いやーそんなことないと
思うよ、それは考え過ぎってもんなんだよ」と口にする。それを聞いて
「そうか、そういうものなのか」、ひどく落ち着く自分を見つけるだろう。

 対人恐怖、顔が変、学校の成績が悪い、などなど人は自分で気にすれば
するほどそれが拡大して感じられてしまう。隠すものだから「ひょっとして
こいつはオレの弱点を知ってるんじゃないか」みたいな疑心暗鬼にも
陥ることになる。コソコソしてしまうんじゃないかな。

 気の弱い人、小心者の人、きっとほとんどの人間はこれらに該当すると
思うよ。だったらそれを思い切って口にしてしまうのも一つの手だろう。
 案外、他人はあなたが思ってるほどあなたの弱点に注意も関心も
寄せないものだ。ひどくこだわったあなたがバカみたいだったっていう
ことになる、はずだ。

2009年7月20日

選択

 先日、父親と買い物したときのことだ。父親にはお願いして免許
を返上してもらった。そのときに「お父さん、これからは用事が
あったら乗せてあげるけー」なんて話していたので、できるだけ
乗せている。

 そんな父親と行動を共にしているとおかしなことに気づくようにもなる。
 父親は足が悪く靴はいつも左だけダメになる。なのでうちには右足ばかり
たくさん残る。

 「靴が犠牲になっとるんじゃけー、ええんよ」と口にするが父親は
実にもったいないという顔付きをする。ま、左足だけ売ってくれれば
解決するんだけどね。

 洋服を買いに行ったときだ。
 ボクは「そろそろ赤がええんよ、これからは赤」と真っ赤なシャツ
を手に薦めるが見せると決して買わない。「なんで赤がいけんのん」。
 「こんなのはオレの趣味じゃない」って。まーそりゃそうだけど。

 しかし。
 赤を試着してもらうととても似合う。おおげさじゃなく10くらいは
若く見える。無理して着たらきっと気分まで若々しくなると思う。
 洋服ってそういう効果がある。

 ただ、最初に袖を通すときに「これはオレの考える色じゃない、
センスじゃない」って思っちゃうから。難しいんだけど。

 なのでときには知らん顔して買い物カゴに入れておくこともある。
 あとは「せっかく買ったんじゃけー、着ないと損だ」と思うらしく
赤でも黄色でも着てる。赤、黄色、黒、どれも原色と言うんだろうか、
そういう色だがとてもよく似合う。ただ、自分では選ばないところが難点。

 洋服というのは意外に戦闘的と言うか、向かっていく要素がある。
 きちんとした装いをするときちんとしてくるから不思議。言葉遣い
まで変わったりするからおかしい。

 きっとあなたには「選ばない色、センス」というものがあると思う。
 それはあなたを決定づけているわけだけど、それって自分で自分を
規定してるんじゃないかと思う。うちの父親みたいなもんだね。
 あえてそれを否定してこだわってみるとまた違う、新しい自分
になれるってことでもあるんじゃないかな。

2009年7月16日

 あなたには敵はいるだろうか。ボクには、たくさんいた気がする。
 それなら今は。うーーーん。とても少なくなってる気がするなー。
 なぜなのか。

 ボクの思うのに敵というのはこちらの受け止め方、考え方が大きく
関係しているんだ。まずこちらが相手を敵と認識するところから出発
してるようだ。敵が少なくなったのはこの認識が大きく関与している。 

 どうだろう。
 あなたにはやりたいことがあり、もしくは達成したいことがあるとする。
 だけれども、あなたの周りには敵も多く存在している。そのため
できることならこの敵抜きで物事を進めたいと願うはずだ。
 だが、達成したいことが大きければ大きいほど、そうも言ってられなく
なるんだ。心の中で天秤にかけるわけだ。

 で、達成したいことが天秤で重い方に重心がふれれば、敵という認識
はひとまずおき、味方になってもらうよりほかなくなる。
 要するにだいたいの場合、ボクたちの敵とか味方という認識そのもの
が自分の心の狭さと関係してるというわけだ。ボクの見解。

 で、ほとんどの場合、ボクたちの抱負は小さいままなので「敵は
相変わらず敵」になってしまうのではないか。
 敵とみなしてしまえる、とも言える。

 ボクは20代のころよく父親と対立していた。「お父さん、そんな
考えじゃダメじゃ、今からはやっていかれん」と。だけどこっちの考え方
が大きくなるにつれ父親との対立がとてもバカらしくなってきた。

 「父親となにやってるんだろ」みたいに思う自分を見つけたりした。
 これはきっとボクと父親が同じ敵を見つめていればもっとうまく解決
したように思う。内部の小さな対立などどうでもよくなるわけだ。

 敵とか対立というものの根底にはこんなものもあるように感じてる。
 要するに敵うんぬんはあなたの小ささを表現してる場合もありうる
わけだ。そんなの、少し悲しくないか。

 より大きな、達成したいものがあればボクたちは敵をも味方につけて
いくのではないか。そのとき、そもそも敵と判断していた自分の小ささ
も見つめることになるかもしれない。これは他人ごとではなくボク
自身にも言えることだ。

2009年7月15日

運続き

 昨日の続きを書いてみます。
 「近々、祭りがあるんで、あの人にお願いできませんか」、
そんな意味のことを尋ねられた。「お客さんを楽しませることが
できれば」。そう、このとき「この人」とターゲットは決まっていたのだ。

 すぐに携帯にて電話してみる。
 「すいません、ええええ、八月のええ、何日なんですが。はー空いて
ませんか」。すぐ却下。予定がふさがっていた。

 これまでならここで
 「あーはいはい、池田ですが、さっき電話したら、もう予定が入ってて、
難しいって」とかけるところだが、とっさにそのように思ったが。
 まー待て待てとしばし時間を取ることにした。
 これまではどうしてここで終了のゴングを鳴らしていたのだろう。
 飛んできたボールに真っすぐにバットをだすバッター、みたいな感じ。

 で、自分はこう考えた。
 「お客さんを楽しませることが第一だろう」。
 そこで自分の脳みそに浮かぶ候補者たちに片っ端から電話することにした。
 いや、実際「何月何日」まで決まってるんだから、候補者たちから次々に
断られる。それでも二人は確保できた。

 そこで相手方に電話して「あの人はダメだった。うん、だけどね、
こっちの二人は日程も空いてて、やってもいいって言ってるんだ。
どうだろう。考えてみていただけませんか」ともっていった。

 すると「うーーーん」とか言っていたが「よし、考えてみる」と
返事をもらった。相手にしてもとっさのことで判断がつかなかったの
だろう。いきなり候補者が別の人になったわけだから。

 ボクはこれまで「その人が、その案件がダメだったから、ダメ」みたいな
判定をくだしていた。そこに少しだけ幅を持たせたい。
 「どうしてもその人ってわけでもないだろう。お客さんを楽しませる
ことが一番なんじゃないか」っていうふうに。そうすると候補者が
いくらでもあがってくる。つかまる可能性も高まる。
 幅を持つことはとても大切だと思う。幅を持とう。すぐに却下する
ことはやめよう。しばらく考える時間を持つべきだ。

2009年7月14日

 さて、ここで質問。
 太平洋戦争が終わった日、終戦の日は何日でしょうか。
 とっさには分からない人がほとんどかもしれない。
 しかし。あなたがこの方の立場だったなら違う。忘れようとして、
忘れられない日になるはずだ。

 ゆうべ「兵隊三日、捕虜三年」を読んだ。文庫だからぜひ読んで
ください。なんと、8月13日に兵隊となって中国に到着。翌々日
には終戦。そのままシベリアに送られ強制労働につかされる。
 その期間が三年だ。

 「軍隊は運隊」だそうだ。運が悪ければ敵弾に当たって終わり、
すぐ前の人が、自分であってもおかしくないんだ。シベリア送り
になる前、たくさんの兵隊が脱走を企てた。

 「いくら戦争に負けたからって脱走はいけないだろう」と思った
人間はそのままシベリアに。大変な苦痛を味わうことになる。
 運ととっさの判断が自分の命を存続させることにつながる。

 昨日、あるところから問い合わせを受けた。
 「あるところで祭りをやるんだけど、そこでお客さんたちを
喜ばせてあげられる人はいないか」と。「そんなの、聞かれてもなー」
と思ったが、ま、これもなにかの縁と思っていろいろ当たった。

 あなたはこんなときどうするだろう。
 「それはな、オレの仕事じゃねえんだよ」「こっちだって忙しいのに、
付き合ってられるか」だろうか。ボクもそう思ったことがある。
 だけれども、ボクはいつしかこれも一つのチャンスだろうと思う
ようになった。とにかく、人と金が動くことだからね。

 そして。昨日、いろいろ当たったが、やはりここでも運が左右してくる。
 電話がつながる人、つながらない人、とね。つながっても日程が空いてる
人に空いてない人。なかなか難しい。

 こうした、番狂わせな状況がたまにはあるんじゃないかな。なので
ボクは常日頃から「番狂わせがあったときにはこうしよう」と決めてある。
 こうしておくととっさのときに返事がしやすくなる。
 「2・3日、待ってください」ではどこかにいってしまうチャンスって
のもあるんだ。今日は運でまとまったな。

2009年7月13日

お墓参り

 昨日、墓参りに行ってきました。久しぶりです。
 今、あるのはだれのおかげか、それは直接の先祖のみならず
いろいろな方たちのおかげかもしれません。ふと、そんなことも
思ったりして。日ごろは列車の中でのいざこざとか、車の運転マナー
などで腹立たしいこともありますが、みんな実は今という時間を共有
している仲間たちなのかもしれません。現実の世界ではなかなか
そんな気分にはなれないのですが。

 墓参りがそんな気分にさせてくれるのかも。
 久しぶりのお参りはそれを感じさせます。雑草がかなり生い茂って
おり「早くなんとかしてくれよ」「こんなに久しぶりじゃ困る」、
みたいな投げかけを受けてる気にもなる。

 せっせと草むしり。
 近くのお墓もすごいことになってました。
 雑草を見ると自分の不摂生がよく分かるってものです。
 昨日は雨を心配しましたがおかげで降らず、お参りの間だけ曇天
の最高のおひよりでした。

 うちは母親の父親も父親の父親も戦争に行ってる。この暑い時期、
汗をぽたぽた流すことにもなにかしらの意味があるかもしれない。

 母親なんぞはまだ子供のころは軍医あがりのお医者さんがたくさんいて
そんなお医者さんは決まって「なに、これが痛い、こんなのは痛い
うちに入らん、軍人さんの痛みからすれば」、そんな麻酔をかけられた
らしい。たまらん麻酔だな。

 昨日は久しぶりに親に戦争のなんたるかを話して聞かせた。
 日本は実はイギリスやオーストラリアとも戦ってる。話すと「初耳
だ」って言うんだから。困ったものだ。イギリスとかオーストラリアは
連合国として戦った。南洋の島での戦いだ。

 歴史をきちんと知ることはそれを理解する手立てになる。批評するのも
賛意をあらわすのも事実をきちんと知っていればこそだ。
 そんな太平洋戦争の話になったのもお墓参りのおかげかもしれない。
 草葉のかげで「オレたちの話をしてくれよ」と声をたてていたの
かもしれない。

2009年7月10日

包丁

 宇都宮と言えば、ギョウザの街だ。
 ボクは前々から不思議だった。同じ街にギョウザを売る店がたくさん
あるとする。それってみんなで市場を分け合うことになるだろう。
 そんなのでやっていけるのかって。同じ種類の店ばかり並んでて、
一体、どこに入るのか。広島にもこんな場所がある。そこはお好み焼き
の店ばかり並んでる。どうしてなんだろう。

 だけど自分がひとたびお客の立場になるとすぐに分かる。
 どうだろう。車でドライブしている。お昼どきでおなかがすいた。
 あそこにしようか、ここにしようか。歩いてるときでもいい。

 ボクは結局、全国展開してる店に入ったりする。知らない店だと
「おいしいのか」「高いのか、安いのか」分からないからとても
不安になる。中は常連さんばかりで居心地が悪いかも。とかね。
 あれこれ考えて知ってる店とかチェーン店に入ったりする。
 おいしいとかは思わないけどとりあえず安心していられる。

 だが、どうだろう。
 ギョウザの店ばかり並んでいたら、お好み焼きの店ばかり並んで
いたら。そんな心配は無用だ。集合の効果は店側の都合じゃなく
お客の利便性にかなってるんじゃないだろうか。

 毎日のようにネットに接続してよく分かることがある。それは
ネットもリアルの世界と全く同じだなってことだ。

 ネットだから「どこか遠くにあるもの」とか「知らないところから
突然品物が届く」みたいな感想を抱きがちだが、実はそんなことなくて
リアル店舗でもきちんとやってそうな店がはやってるようだ。
 当然かもしれない。

 ただ、その中にあって高級包丁のように残された聖地みたいなものは
あるのかもしれないが。高級包丁はネットで紹介するようになって
から爆発的に受注が始まった。

 あなたの近所に高級包丁を所望される人は少ないかもしれないが、
全国的に見れば「高級なものが欲しい」と思う人は存在してるということだ。
 ま、新たなドッキングをここに見たって感じだが、これにしたって包丁
がきちんと切れなければなんにもならないだろう。
 ネットはリアルの延長にあるな。

2009年7月 9日

ネット

 「ネットで調べてくれんかね。7月の連休でお芝居でも映画でも
ええけー、広島で遊ぼうと思っとるんじゃけど」。母親からこうした
ミッションを与えられた。
 久しぶりに広島に繰り出そうということのようだ。

 なのでさっそくネットで調べてみることにした。
 「広島」「デパート」「催し物」などで探していく。当然なこと
だがデパートはお中元とかそんなのばっかり。母親の言うことはよく
分かる。デパートなら「北海道物産展」、美術館なら「夏季特別展示」
どこそこ商店街なら「うまいもん市」を探せってことだ。

 映画なら「どこそこで、これこれこういう映画をやってる」が
知りたいわけだ。上演は毎日やってるわけだから特別に、格別に、
自分がおもしろいことが大切だ。

 ところが、これらのミッション、簡単ではない。
 どうだろう。デパートで調べることはできるが、一つのデパートの
物産展に限られる。横断的な情報など載せるわけがない。

 なのでこっちのデパート、あっちのデパートと探していくが、どこも
スタート画面から始まりやたらと時間がかかる。欲しい情報になかなか
たどり着けないのが現実だ。なので今度は横断的に探す試みをする。

 「広島」「催し物」だ。
 だが、羅列された情報は「だれがおもしろいのかは分からない」もの
だらけ。母親に「ネット、ほったらかしで毎月これだけ儲かる」なんて
講座を案内しても無意味だろう。

 ネットというのは意外に使い勝手が悪い。欲しい情報と知らせたい情報
に格差があるからだろう。ならばこの世で一番重大事(お金ね)ばかりが
取り上げられることになるのは分かったことだ。
 ネットも資本主義から離れて存在することはできないってわけだ。
 だが、それだとそもそも購買の可能性の客を取り逃がす、ことになるし。

 この世は情報が氾濫してる。テレビの通販番組みたいに「わたしも
使ってます、とても良いですよ」と投げかける人が必要なわけだ。
 さっきコンビニで「タウン紙」を探してみたがなかった。ミッション
を与えられると意外に難しさが分かることがある。これらのことに
うまく応えることも財布を開かせるきっかけになるんだけどなー。

2009年7月 8日

プレミア

 今、あなたに3000円あげるって言われたらいかがですか。
 かなりうれしいでしょう。もらえるんですよ。
 少し前補助金がもらえましたよね、一人一人に。なんとかって、
名前も忘れましたけど。それにちなんで地域活性化もあいまって
商品券を作ってるんです。テレビやなんかで取り上げていたでしょ。

 ボクの地元でもやってて、1万円だすと千円分の商品券をプラス
していただける特典つきです。一つの家庭で3万円まで、なので
プレミアの部分は3千円になります。

 ただし条件がありまして、当然、市内の指定のお店のみ、10月1日
までに使い切ってしまう、お釣りはもらえない、などです。
 この券、発行が先週の土曜日で、昨日の火曜日の時点でほぼ完売
になったようです。意外に人気。想像として白い紙に印刷されたもの、
ぐらいだったのですがきちんと印刷したものを用意してました。

 これにて無事3000円、いただくことができました。
 1万円に対して千円のプレミアってかなりの率だと思いませんか。
 きっとあなたの地域でもやってると思うので問い合わせをしてみては
いかが。いまどき3千円なんてだれもくれませんよ。

 昨日、「アメリカ型成功者の法則」という本を読んだ。
 アメリカと言えばゴールドラッシュ。そう、金だ。それにオイル。
 皮肉な話だが金を発掘したりオイルを発掘したりした人はあまり
大成功していない。それより金を掘りたい人たちにシャベルやお肉
を売ったりした人たちが大儲けした。オイルも発掘した人じゃなく
輸送のレールを買い占めた人が大儲けした。輸送しなくちゃオイル
もただの液体だからね。

 こういうのを日本では「目のつけ所が違う」と表現する。
 これからすると自分が大成功すると考えるより大成功する人のそば
から離れないことが肝心って気がするな。

 最後にこんな話を。3年くらい前のこと。大阪で。旅行会社から
「大阪駅で下車されたらすぐ分かりますから」と言われた、阪急ホテル
を探す。地下を通って地上にでるとホテルが見える。道路を横断できない
のでまた地下に戻り歩く。地上にでると近くではあるがたどり着けない。
 なんと、ここですぐ目の前にある阪急ホテルに行くのに30分も
かかった。かなり前のことになるがボクたちは東京駅から脱出するのに
1時間かかったこともある。都会はジャングルでした。

2009年7月 7日

右折

 近くにスーパーが開店した。いろんな形態の店が集合したって感じだ。
 ボクは本屋さんに用事があるのでいつも寄る。
 金曜日、開店当日だったようだ。
 道路にまで係員がでて車の誘導をしてる。みんな手に荷物をぶら下げて
いるから、特売かなにかだったんだろう。

 さて。本も買ったし。車に乗って出ようとすると。
 紙に書かれた文字が目に入った。
 「左折出発にご協力ください」。

 はーなるほど。そりゃそうだよな。開店初日とあってかたくさんの
車が出入り口に殺到してる。みんなが左折して出てくれたらはかどるはず。
 右折は両方の流れを止めなくてはならないから大変だ。

 で、出入り口に近づくと右折のウインカーをだしてる車がたくさんいる。
 見えてないのか、はたまたどこまでも右折にこだわるのか。
 どのような心境か分からないが。
 とにかく左折協力の看板がでていてもそれを無視する車がたくさんいる。
そういうものなのかね。

 あんなとき実際はどうしたらいいんだろうね。
 「オレはあくまでも右折したいんだ」って突っぱねるべきか。
 本当は右折したいんだが、で一人だけ左折するのもねー。
 ちなみにボク自身はもともと左折なので左折した。

 あなただったらこんなとき、どうする。
 「いや、オレは右に用事があるんだ。家は右だし」でこだわるのかな。
 係員も笛をピピーと鳴らして「そこそこ、右折はダメだって言って
るだろ」みたいなことは口にせず、右折させてた。お願いはするが
ダメだしまではしないわけね。
 今はもう元に戻って係員はいない。それまで通りに戻った。

 ここは事故が多かったに違いない。おかしな場所に出入り口を作り
直したから。こういう注意すべき箇所というのはどこにでもある。
 そこは避けた方が無難だろうね。ボクは横着せずに信号機のある
交差点まで遠回りしてるよ。

2009年7月 3日

調子

 「調子に乗る」とか「波に乗る」ってあると思う。
 高校生のころ国語の時間に毎週小テストというのがあった。

 漢字の書き取りだ。10題ひらがなを漢字に直し、10題漢字を
ひらがなに直すというものだった。どういうわけだか一番最初のテストの
ときに満点が取れた。なんていうか、それをそのまま続けたくなって
この漢字の小テストだけ必ず勉強することにした。

 なんてことはない、次回の出題は決まっていたから、それをサラサラ
っておさらいするだけで十分だった。ボクは一年間、満点を続けた。

 それからやはり高校生のとき、百人一首のテストがあった。
 上の「うかりける」とかが書いてあり、続けて人をはつせのやまおろし、
はげしかれとはいのらんものを、を書くのだ。
 中学生のときからよく百人一首で遊んでいたんでこれにも気合を入れた。

 百人一首はゲームもそうだが「百人一首、その解説とてほどき」
みたいな本もあり、ボクはいつしかこれらの本も手にしてよく読んでいた。
 なので結果は91点だった。百人一首っていうぐらいだから100題
出題されるのだが、わずかに間違えたのは9つだったわけだ。

 ボクは改めて言うまでもないがあんまり頭がよろしくない。
 なのでここに書いたのは「このボクが、ここまでやれた」を言いたい
から書いてみたんだ。
 きっとボクは小テストと百人一首では「調子に乗った」んだろう。
 はずみと言ってもいいかな。

 どこをどのように勉強すればいいか方法が分かっていたことも
大きいかもしれない。それは小テストも百人一首もたいした問題じゃ
ないんだが。

 ただ、人は上にあがるための道筋と方法が分かれば自分でも
驚くほどの力が発揮できるものだとも思う。だれにもそんな経験は
あるんじゃないかな。
 この、調子に乗る、と波に乗る、なにかを達成したいときや力を
発揮したいときにうまく活用するといいと思う。これは頭の良い悪いは
関係ないと思う

2009年7月 2日

イギリス

 イギリス紳士の身だしなみってなにか知ってるかな。
 まずはステッキ。不思議な話だがイギリスでは「外出するときは
必ずカサを持って行け」があるのだが、それに続いて「だが、決して
さしては(カサ)ならない」がくるんだ。おかしな話。

 イギリスはよく雨が降るのだがイギリス紳士はカサは持参しても
使用してはならないのだ。なぜかって。どうしてだろう。
 イキって(ちなみに漢字はこれ(意気)(粋))やつかもしれない。

 イギリス紳士の身だしなみは
 「卵と三時の紅茶があればなにもいらない」なのだ。
 好き嫌いとか洋服のあれこれ、生活の継続など取るにたりない雑事
ということだね。どうしてこんなことになったのか。

 やはり
 「ザ・グレート・オブ・ブリテン」ってのが大きいんじゃないか。
 どこに行っても、暮らすことになっても不平不満を口にせず、
その土地の風土や風習にのっとって生活していくのだ。
 世界をマタに駆け回ったイギリスならではかもしれない。

 ボク自身、どこか海外に行くことになったら、とか考えると、
うーーーん。想像できないなー。
 ちなみに日本人の出張者に喜ばれるお土産は日本の雑誌とミソ、
などらしい。日本人は遠く離れてやはり日本人として暮らしているのだ。

 こんなことを思ったのは最近、よく食事に出ることが多く日本食、
和食の世界の広がりを体感しているからかもしれない。
 素直に言っておいしいんだね。

 この、夏の季節の「ハモの梅肉あえ」なんていったら、あなた、
日本酒の冷やをキュッとやりたくなる。ジメジメした季節にさっぱりと
した味が広がる。この時期になるととたんにクラッカー、ビスケット
の類いを口にしなくなる。代わりに冷製のものが好きになる。

 今日は同じ島国ということでまとめてみたが基本的にイギリスと
日本は条件的には似通っているがその実、なにも似てないし同類
でもないようだ。改めて比べてみるとおもしろい。

2009年7月 1日

カエル

 このニュースは知ってるかな。日本のどこだったかオタマジャクシ
や魚が降ってきて大変な騒ぎになったんだ。つい最近のことだ。
 実はこれ、かなり古くからある現象でボクは子供のころから
こんな話が大好きだったのでよく知ってる。あれこれ謎を解明する
ために空想することはとても楽しかった。

 確か「世界、謎と不思議」と題する本の中で取り上げられて
いたと記憶してる。無論、日本ばかりでなく世界で起こっている現象だ。
 雷雨があったりだとか、台風に見舞われたわけでもないのに魚や
カエルが空から降ってくる。ため池の近くだとか湖が近くにある
わけでもない。なのに、なぜ。

 ボクが読んだ本には「生きたままの魚」が降ってくるあり様が
書かれていた。ピチョンピチョンはねていたというのだ。
 ならば、上空では生きててそのまま落下したことになる。魚なら
その間の水とかなんだとかの問題はどうクリアーしたのか。
 分からない。

 この現代においてまだ解明されていない自然現象があるという
のがとてもおもしろい。
 普通に考えればやはり「竜巻のしわざ」ってことになるだろうね。

 実は日本にはこんな話もある。
 どこの県だったか忘れたが鉱毒の流れている湖で暮らす魚が
いたのだ。戦時中、軍が水利用のため鉱毒の流れを止めると
この魚は絶滅してしまったのだ。そんな毒があふれてる湖なので
ここに住む魚は一種類、この魚だけだった。

 世界にもこんな例がある。
 巨大生物の発見でわきたったトルコ、バン湖。
 ここは塩分濃度があまりにも高いため「インジケファリ」という
魚しか住んでない。その濃度を中和できる性質をもっているんだろう。
 これら、三つ、「なさそうで、実はあった話」でまとめてみた。

 「そんなの、ありえない」「起こりうるはずがない」、「常識的
に考えて無理」なことが実際に起こってる。
 人為という言葉がある。人が裏で操作していることを言うが、きっと
大自然というやつもこの人為ってやつをときにやらかすに違いない。