2007年10月31日

細い糸

 先日、実際に細い糸をたぐり寄せるような出来事が起こった。

 それはまずボクが本屋さんで一冊の本を目にしたことから
始まった。それを見たとき、まずウンッ?って思った。

 「太平洋は学校だ」。太平洋関連の本はたくさんあるだろうが、
そこに学校とくる。ひょっとすると、これは何年も前に太平洋横断
を一家で企てた山下さんの本かもしれない、そう思ったんだ。

 著者を見ると確かにそう。山下さん、あの山下さんだ。

 ボクはそのことをブログに書いた。それをたまたま山下さんの
知り合いが読み、山下さんに連絡。山下さんからボクにTELが
入った。
それからしばらくしていろいろと話を伺うため機会を作った。

 なにか偶然がたくさん重なり合って今に至っているような、
そんな不思議な気分だった。
 こんなことってあるんだなー。不思議な再会劇だった。

2007年10月30日

詰める

 子供のころデパートに行くとなにが楽しみと
いってお菓子のコーナーほど楽しみなものはなかった。
 いやいや、デパートと言っても一年に一度あるかないか、
だけど。

 今はあるのかどうか、あのころ重さで買うお菓子コーナー
があった。欲しいものを選んでカゴに入れといくと意外と
高く(値段)なったのを覚えている。

 昨今のはやりは「ビニール袋に詰められるだけ詰めて」
ってやつ。ゲーム感覚がそそられるらしく人気が高い。

 先日はプラスチック製の真ん丸い容器にお菓子を詰められる
だけ詰めて、ってのがあった。さっそくやってみた。
 こちらのミソは好きなのを選んで詰めていくこと。入る量
にあまり変わりはないと思う。

 それから健康ドリンクの試飲会をやっていた。こちらも
さっそく試してみる。半額だったので10本買い求めたが
その10本に対しても2本サービスしてくれた。とても得を
した気分だ。
 大人になってもゲーム感覚って必要なんだなーって思う。
 買い物がすごく楽しく感じられる。

2007年10月29日

正面

     昨日、ある施設に向かった。
 想像していたのはかなり大きな建物だったが、実際
とても大きかった。

 建物にたどり着くと「ここは入り口ではありません、
西口よりお入りください」としてある。
 どっちか分からず左に回り込むがそこにもやはり
「ここは入り口ではありません」の紙が。

 そこからは内部の売店の様子が見て取れ、
催し物をやっているらしきドアもかいま見える。
 「うーーーん、こっちはチケットを持っているのに
入れない、もどかしいなー」。
 結局、この建物は入り口が4カ所くらいあった。
 その、どれもが正面に感じられた。

 人って不思議だ。
 自分がやってきて最初に見たゲートが正面だと思い込んで
しまうんだ。実は先に中に入っている人がいて携帯で
押し問答を繰り返していた。
 「正面に回って、正面に」。何度も聞かされるのだが
「我こそが」正面にいると思い込んでいるから始末が悪い。

 結果。この日の一番の収穫は
 「そこが正面かどうか疑え、入り口がたくさんある場合には
矢印などが便利だ」だった。これはこれでうれしい収穫かも

2007年10月26日

ハヤ

 自宅の目の前を用水路が流れていた。ボクはそこで
釣りをしていた。

 釣りと言ってもだれかが教えてくれるわけでなし、
たいした道具も持ち合わせていなかった。そもそも
どうして釣りをする気になったのかさえ、今でも
さっぱり分からない。
 釣りの道具にしてから、どんな道具だったかまるで
思い出せない。

 そうして釣っていたがさっぱり釣れない。
 すると近くで釣りをしていたおじさん(今ならとても
若い人だったと分かる)が「ボク、ちょっと貸して
みんさい」といってボクの釣りの道具を点検し始めた。

 今から思うと「ハリとエサ」の交換をしてもらった。
 それから「ビビビときたら少しあおってやることを」
教えてもらった。釣りの言葉で言う「あわせ」ってやつだ。

 それからしばらくしてボクは一匹のハヤを釣った。
 体長6センチくらいの小さな小さな魚だがいまだに覚えている。
 ハリは自分がつけていたのより半分くらいの大きさのもの。
 エサはサナギに変更された。
 その日はたったその一匹だけだったけどね。
 それから本格的に、ってことはなかったのだが今にしてもあの
光景はよく覚えているな。

2007年10月25日

新聞

 「新聞の読み方」を教わったことがある。

 高校生のころ国語の先生から。この先生は
時代劇みたいな人で言葉を発するとき必ず「オホン」
と入れる。合いの手みたいなものなのだ。
 まずは笑いをとってから授業が始まる。本人は意識して
ないんだけど。

 先生によると
 「大見出しを見て気になったものは本文も読め」とのこと。
 あれがどこか自分の中で生きている気がしてならない。
 要するに新聞にはたくさん載っているけど関係ないものも
たくさんある。取り出して読めってことなのだ。

 どこから読み始めるかの話もあった。
 「裏をめくって社会面から読む人が多いがあれはいただけない」
そうだ。なんとなく分かる。
 さて、あなたは新聞はどこから読むのかな。

2007年10月24日

エレキ

 ゆうべエレキギターの演奏を聞いた。寺内たけしさんだ。
 最前列に座っておきながら大変申し訳ないことだが
寺内さんの演奏を聞いた初めての日だった。

 「伝説の」「往年の」といろいろつけられるのだろうが
ラジオから流れてくればそこまでの感動があったかどうか。

 エレキの津軽ジョンガラ節は最高だった。
 ボクはたまに神楽(かぐら)を見に行くのだがどうにも
エレキと神楽がダブって仕方なかった。
 もう汗だくだ。

 先週の木曜日。
 「池田さん、急にチケットが余っちゃって、聞きに行きま
せんか」っていつも行く料理屋のママさんから言われた。
 どたんばでキャンセルがあったようだ。

 「ああいいですよ、聞いたことないですけど、それもまた
一興です」。もちろん定価の料金をお支払いしたうえで参加
した。最前列で聞くエレキにはらわたがかき回された。
 やっぱエレキは生やなー。

2007年10月23日

暗い

 つい先日のことだ。

 知人から「最近、暗いんですよね。池田さんはこんなとき
どうやって過ごすんですか」と問われた。
 まー自分から暗いと言えるんだから現実にはそう深刻でも
ないのかもしれない。

 ボクは「みんなそんなの持って生きてるよ、みんな表面は
明るく見えるけどね」なんて話をさせていただいた。

 出てきた意見は「好きな音楽を聞く」「好きな映画を見る」
などがあった。(4人で話していたので)。

 ボクは「自分は暗い映画を見るけどね。暗いときにはこれ
がすごく良いんだよ」と話をさせてもらった。
 そうするとみんな口々に「えーーーっ、暗いときに暗い
映画ですか」だって。
 闘病記を読むこともある。
 あなたは暗い気持ちのときどのように過ごされますか。

2007年10月22日

最高級

 金曜日に最高級のブタさんをいただく機会があった。
 スペイン産のイベリコブタだ。

 まずはイベリコブタを仕入れた方のお話しを聞かせて
いただく。この話がとても興味深く楽しかった。

 「最高級のハムは町中には出ないんですね、その前に
買い手がついてるんです」。なるほどねー。

 「普通、70%のハムでも十分イベリコで通用するん
ですけどうちは掛け値なしの100%です」。
 なにがすごいのか分からんがすごくすごいんだろう。

 そしてボクたちは最高級のハムをいただくことになる。
 塩気の効いた感じでとてもうまかった。
 「まず手の平に乗せ脂が溶ける感覚を味わい、匂いを
かいでから口に入れます」。そんな注釈もついた。
 みんな揃って同じことをしている。

 驚いたことは仕入れた方がボクたちがおいしくいただいて
いる間、ずっと切り取る作業をやっていたってこと。難儀な
作業なのだ。
 時間にして2時間半は作業が続いた。
 秋色濃くなってきたっていうのに一人、汗だくだ。

 こうして最初はまるまるしていたイベリコもやがてカモシカ
になりウサギになって終了したってわけ。
 ご苦労さまでした。

2007年10月19日

めざし

 「萩のめざしって、あの萩のこと」
 「そうですよ」

 「やっぱり地元って応援したくなるよね」。
 「そうですよね」「どこで取れたか分からないものが
多いでしょう、その意味もあってできるだけ産地を書く
ようにしてるんですよ」。
 ゆうべの料理屋さんでのお話し。

 萩は近くはないけど同じ県内。

 「めざしって、めざしって言う魚はいるの」
 「いえ、いませんよね」。
 メニューに「萩のめざし」としてあったが、そんな魚は
いない。一夜干しにされた小魚のことだ。

 「このめざしはウルメイワシでとても香ばしいんですよ」
と聞かせてもらった。頼むと4センチほどの魚が6匹。
 料理屋さんでめざしを頼んだことがなかったがなかなか
おいしかった。

2007年10月18日

クギニ

    ふっと香った。キンモクセイ。
 姿は見えないのにそこにあることが分かる。
 キンモクセイってそんな樹だ。いや花と言うべきか。

    昨日、「クギニ」というものを食べた。
 小さな小さな魚(1.5センチくらい)が煮込んで
(甘辛く)あるのだ。

 そこで、だ。
 問題はその字だ。
 「久ぎ煮」としてある。

 よく聞かされるこのクギニだが、なぜクギなのか。
 ボクは当初「釘と一緒に煮込むんだろう」と思っていた。
 語感だけで判断するからそうなる。
 「きっと釘の鉄分がうまい作用をするに違いない」と。

 だが、昨日「久ぎ煮」を見ていて思ったのは煮込むと
「釘のようになるから」なのかもしれないなーと思った。
 だれかおせーて。

2007年10月17日

境界

   境界線ってのはあるなーとつくづく思う。

 よく通っていたクッキー屋さんがある。ある日、
「移転のご案内」をいただいた。
 そっかー。クッキー屋さん、あそこに移るのかー。

 そこはあまり遠く離れた場所ってわけじゃない。ただ、
国道があいだにあってその向こうになるって話だ。
 どういうわけだか移転してからは一度もその店に行って
ない。そういうものだと思う。
 国道まで遠い、とか離れてるわけじゃないんだが。

 それからボクの街で考えてみると駅の向こう側はなぜか遠い。
気分として遠いんだ。
 やはり駅の向こう側に行くためにはらせんになった橋を
渡る必要がある、とか大回りをしなくてはならない、みたいな
ことが遠く感じさせているのだと思う。
 遠近だけではなく「あの向こうは気分として遠い」っていう
のも人にとってはとても大きな要素だという気がするな。

2007年10月16日

余裕

 あなたは余裕派、それともギリギリ派、どっちかな。

 ボクは酒席ではいつもギリギリ。と言うより遅刻してしまう。
 それは仕事の関係でなのだが、ま、というわけで長らく遅刻
していると分かることがある。酒席という場も関係しているの
だろうがみんなできあがっちまってる。

 「おいおい、オレは池田だ、こっち見ろー」なんて当たり前。
 つくづく思うのはギリギリとか遅刻は良いことなど一つも
ないってことなんだ。

 場にとけこめないって言うか、ついていけない。
 気後れした感じで「おひらき」。くーーーっ。ざんねん。

 酒席について書いたがそんなものはどうでもよくってやはり
仕事場に早く着いておくことがあなたを有利な場面に運んで
くれる気がするな。

 これは仕事そのものに対してやる気を持てるか今一つ調子
が出ないままに終わるかっていうとても恐ろしい側面をも持つ
気がする。決しておざなりにすべき事柄じゃないと思うな。

2007年10月15日

夏の虫

 冬虫夏草って知ってるかな。とても不思議なものなんだ。
 確か最初は中国の漢方薬として聞いた気がする。まず
名前からして変だ。(夏に草だったものが冬には虫になるのか)、
当初そんなことを思ったものだ。
 (一体、それって生き物なのかなんなのか)。

 読んでみると「虫に菌を植え付けたキノコ」だってことが
分かる。うーーーん、それならなんとなく。分かるなー。

 さて、今回、冬虫夏草のことを書いたのにはわけがある。
 もりぐちみちるさんという方が「冬虫夏草の謎」という
本を書いておられるのだがそれを読んだからだ。ほかにも
「ゲッチョ昆虫記」もありこっちも見逃せない。詳しくは
そっちを読んでもらうこととして。

 本当に驚いたのは冬虫夏草が日本にもあるということだ。
 ボクはてっきりあれは中国でだけ取れるものだと思っていた。
 時期としては梅雨が終わりかけのころ。

 ただ漫然と山道を歩いていても決して見つからないと記して
ある。ボクの想像する冬虫夏草はススキの葉っぱなどにセミ
の身体から生えたキノコ、だったのだが実際は違うようだ。
 (いや、そういうのもある)。(ややこしいな)。
 冬虫夏草そのものがややこしい存在だからってのもある。

 要するに冬虫夏草とは昆虫の養分を元に生えてきたキノコ、
だったのである。本当に不思議な話だ。エイリアンの元ダネを
聞いてる気がする。おもしろいこともあるもんだ。
 この本は先日買ったばかり。興味のある人はぜひ読んでみては
いかが。

2007年10月12日

疑う

 たまに「どうやったら上手になれるんですか」、そんな
質問を受けることがある。いろんな分野で技術向上を願う
人はたくさんいるのだ。
 みんな効率的に短時間で向上することを願ってるようだ。

 ボクの経験で書いてみたい。
 まず「自分の能力を疑いながら取り組んでいる人」が現実
にはとても多いことが挙げられる。ボクもそうだった。
 「どうせオレなんか」「なにをやらせてもうまくやれない」、
そんなものが心の奥底に沈んでいる。それがあるのになにかを
真剣にやれって言うのは難しい注文だ。

 どんなことでもいいから上達するためには
 「自分を信じること」「能力があると確かめること」が
とても大切だ。
 信じることができれば少なくとも自分の能力は最大限に発揮できる。

 「人の能力にはほとんど差はない」と書くとあなたは受け入れ
られるだろうか。きっと「そんなことはない」と感じているの
ではないだろうか。
 その「そんなことはない」の根拠はどの辺りにあるのか。
 もう一度、そんなことを考え直してみるのはいかがだろうか。
 「疑いながらなにかを真剣にやる」。人は意外とこんな矛盾
していることがあると思う。

2007年10月11日

料理の舌

 母親の同級生に料理屋の娘さんがいる。いつしかご自分でも仕出し屋
を始められたのだ。どうやら母親は10代のころこのお宅によく出入りし
もう一人の娘みたいな扱いだったらしい。
 よってその料理屋の背後もよく観察ができたようだ。

 母親は料理はまったくダメな人で自分でもいつも才能がないと
こぼしている。ボクなどは「あんなものは努力しだいでなんとでもなる
だろう」と考えていたのだが、どうやら違うらしい。

 その同級生(女性)の方の話によると
「料理、言うんは舌で決まるんよ、それがうまいかどうかはこの舌が
覚えてる」みたいなことを言われる。
 実際は出雲弁でここにそのまま書いてもだれも理解はできないので、
翻訳した。「料理で一番大切なんは舌なんよ、料理屋の娘言うんは
この舌が鍛えられているのよ」。だって。

 この方は塩とかなんだとかすべて勘で入れる。計量スプーン
など使わない。
 それでも作られたものを食べるとドンピシャなのだ。
 料理屋には「鍛えられた舌」がある。聞いてるときはただ
ぼんやりと聞いていたのだが改めて考えてみるとすばらしい話だ。

2007年10月10日

自分

    あなたは自分ってやつを知ってますか。

 ほとんどの人は案外と自分のことを知らずに過ごして
いるものだと、ボクは思う。

 自分のことを知るためには。
 お金を張ってみればよく分かる。ごまかしようがないからだ。
 「わたしってお金にはあまり執着しないんです」って人が
いたとする。ボクは思う。口でならなんとでも言えるのだ。

 株式投資をやってみる。(薦めてるわけではない)。
 30万円が50万円になったとする。このときあなたはどう
思うか。想像しているだけでは分からないんだ。

 ボクなら「今、売れば20万円儲かる」「いやいや、このまま
まだ我慢すればもっと儲かるはずだ」という双方の意見で身体
が引き裂かれそうになる。

 株式投資とはお金を張ること。やっていると必ずこれらの問答
が突き付けられる。ある応えを導き出すしかなくなる。
 結果。ボクだったら50万円の半分だけ売却して25万円を得る、
みたいなことをやってしまうのだ。この応えがすなわちあなた
そのものなのだ。

 人はきっといろんな顔を持っているはずだ。
 ただ切り口によって般若だったりえびす顔だったりする。
 この自分ってやつを裏切るのは大変に困難だとボクはお金を
張っていていつも思う。

2007年10月 9日

バリバリ

 いつだったかある本を読んでいていたく感心
したことがある。いつしかそれは自分の中に入り込んで
きた気がする。

 とにかくその人が食事をすると皿になにも残らないらしい。
 お店の人などあまりの見事な平らげ方におまけの一品まで
つけてくれると書いてある。

 想像してみた。
 なにも残ってない皿、とはどのようなものか。
 とにかくなんでもかんでもバリバリ食べてしまうんだろう。
 ボクはそこに軽いショックを覚えた。

 そのころわりと好き嫌いのあった自分としてはなにか羨望の
まなざしになっているのが分かった。
 「なんかオレもやってみたくなってきたぞ」、日ごろ、
本に書いてあることを実践することなど、夢想もしなかったが
そのときは本心からそう思った。

 だから今の好き嫌いのなさや魚などもできるだけ骨まで
バリバリ食べてしまうつもりになっているのはこのときの
ことが発端になっている。(魚の骨は堅いものも多くそれは
無理だが)。
 「出されたものはすべていただく」、初歩的にして簡単な
ことなはずだがこれをやり切れば意外と周囲の人たちは喜んで
くれる気がするのだが、あなたはやはり好き嫌い、ありますよね。

2007年10月 8日

お買い物

      ある日(かなり前)のこと。

 父親が母親に「そんな高いジャガイモが買えるかっ」
と口にし買い物カゴから売り場に戻すことがあった。

 父親「お前は一つ一つの値段を確認せんと(せずに)買うんか」。

 母親「わたしゃー(わたしは)値段なんか見たこたー(こと)
ありゃーせんよ」。

 そこで母親がボクに尋ねてくる。
 「それで、あんたはどうなん」。
 「オレ、オレが個別の値段なんか知るはずないだろ」。

 母親は「なんでも自分が食べたいと思うものをカゴに入れる
んよ、それで払うときに1万か2万かって言うだけで」だと。
 ボクもまったく同じだ。これをやると「同じチーズなんだけど
ほかのより30円高かったり」する。だけど個別では判断しない
からそれが高いのか安いのかさっぱり分からない。
 みんながこんなことをすれば景気も上向くはずだが。

 母親に言わせると
 「人間、言うんはお金の使い方で決まるんよ、男がつまらん
ことでガタガタ言いんさんなって。そういうことよ。それで
大きな男になんかなれるはずないでしょ」と言うのだが、あなたの
ご意見はいかがだろうか。
 男みたいな女。いつもボクが母親に対して感じることだ。

2007年10月 5日

結局

        先日のことだ。

 ボクは「結局、なにがしたいんや」と尋ねた。

 聞かれた相手は
 「池田さん、この前もそんなこと言ってたなー」と。
 そうだったか。

 きっと人はみんなある目的や目的地があって今があるん
だろう。「この試験に合格すれば資格がもらえてそれが次の
ビジネスにつながる」ことを考えてみれば分かりやすい。

 今、必死になって勉強するのもビジネスのため、資格が
取れればお墨付きがもらえてなにかと有利。
 今よりはもっともっとたくさんお金が入ってくるかも。
 そうすればあんなことや、こんなこともできるかも。
 ボクはその、あんなことや、こんなこと、を尋ねているのだ。

 まーボクは自分に聞かれてもとっさには応えられないんだけどね。
 きっとこれを読んでる人の大半は
 「オレって結局、なにがやりたいのか」はっきりしない人が
多いはずだ。たまには考えてみましょうよ。
 あなたは結局、なにがしたいんですか。

2007年10月 4日

出走

 中学生のころ近くのお店の屋上がボクたちの合言葉
みたいになっていた。そこには簡単な遊戯施設があり
ダメな中学生たちがそこで遊んでいたのだ。

 遊びはルーレットが多くクルクル回るやつで自分が
これと決めたときに押すとストップする仕組みだ。

 あれはなんと言うのか、
掛け金設定をまずおこなってやる。
 1から5までの数字で止まったとき当たり、6から10
までで止まれば当たり、そんな仕組みになっていた。
 ベットだな。

 コインを一枚入れて当たれば三枚くらいになって戻って
くる。二枚入れれば六枚になって戻ってくる。
 続けてやっていると
 「要するにすべてにかければ必ず当たる」ことに気づく。

 横にすべての掛け金のところにコインを投入する。
 すると、どうなるかご存じだろうか。
 あまり時間が経たないうちにコインは霧散してしまうのだ。
 要するに外れるのが嫌ですべての窓口にお金を投じても全体
としては間違いなく減っていくのだ。

 今度はそれが嫌で一つに絞る。
 結果。やはり急速に減っていくのだ。
 掛け金をどうするか。ベットと呼ばれているが、さてあなたは
どちらのタイプだろうか。
 一つに絞って投入する。少しづつ分散して投入する。
 これは案外と恐ろしい「自分判断」だと思う。どちらが正解と
いうものはないが

2007年10月 3日

ナンバー

 知ってるだろうか。
 最近の車のナンバーは自分の好きな番号がつけられるのだ。
 そういうわたくしはまったく興味なしではあるのだが。

 ただこの番号の付けられ方にも変遷があるって話を。
 これまで圧倒的に多かったのが西暦をつけたものだ。
 今年は2007年だが2000年、2001年ころは
これらの番号が多かった。

 わたくしなんぞは「初年度がいつだったかそれで確認するのか」
などやや揶揄して見ていた。ただこれら西暦番号は「買ってから
3年」など古さが露呈されることを恐れてか急速に見かけなくなった。
 そんなことはつける前から分かっていたはずだが。

 それから急に見かけることの多くなったのが
 「1235」とか「3215」など。
 一見、なんのことか分からぬかもしれないが5はゴーと読む。
 ほかにも5678などの揃い番号も多くなった。

 先日見かけたのは「8686」きっとハローハローなのだろう。
 4747というのもあった。わたくしはこれを「しなじな」と
読み「ひょっとしてお料理屋さんか」など想像してみたものだ。
 まー番号の付けられ方にも進歩、発展が感じられるって話でして。
 これから先、どのような番号が多くなるのだろう。あなたも
ナンバーを見て推量してみるのも楽しいかもしれない。

2007年10月 2日

すぐにやる

 たまに「すぐにやる」「すぐにやることにするのです」、
みたいなことを力説する人に出会う。

 聞いていると確かに反論することもない。「よし、やってみよう」
とそのときは思う。

 ただ現実にはボクは「あーこれね、まーすぐにやることもないさ」
みたいなことを考えて後回しにする。本当に不思議だ。

 「これとこれを持ってきてください」「これをいついつまでに
提出してください」。人はいろんな用件に包まれて暮らしている。
 これがボクの場合、いつもギリギリにならないと前に進まない。
 後回しにするからつい忘れることも多くなる。

 そこで冒頭の
「すぐにやるんです」「すぐにやることに決めるんです」に出会う。
 ボクも決心する。「そうだ、やろう」。
 だが、やらない。後回しの連続。
 で、ボクの場合、「すぐにやろう」は深く考えないことにしました。
 「大事なことからやっていこう」。きっと反論もあると思う。
 あなたの反論を聞きたい

2007年10月 1日

温度

    ある人に向かって

 「あんたは言葉に温度がないんだよ」と言うと
「池田さん、またそれですか、そんなことはありませんよ」
と反論されてしまった。

 「あんたが自分でどう思うかよりオレがどのように
受け取るかがすべてなんじゃないの」。

 分かったことだと思うがあまりたくさん生きてない人の
言葉に温度が乗ることはないのかもしれない。
 ただきっちりとした裏付けのある言葉、セリフというものは
温度を伴うものなのではないかとも思うのだ。
 また、それは自分がそう思うからそうだ、ではなく他人が
勝手に判断するのが、残念ながらこの世というものでもあると
思う。

 温度を乗せることはそんなに難しいことだろうか。
 だれだって心の底から吐き出すセリフがあるはずだ。それを
のたまったとき、きっと温度がこもっているに違いない。

 ボクが無意識にも「温度がなー、こもってないんだよ」なんて
セリフを口にするということは、この世の人たちの多くが体感
しながら生活してるってことだろう。
 実はボク自身、言葉に温度がこもってないことを自分に対して
感じたことがある。だから、そんなことを強く感じるのかも
しれない。